山村ワオルの農作事情
雷雲を引き連れることなく無事に山村のワオルに荷馬車が着いたのは、日も暮れたころだった。三人が降りた荷馬車には、その場で山芋と薪が積み込まれている。明日の早朝にイートス村に帰るのだそうだ。
「ゼノスからの言伝は聞いた。ワオルはイートスほどピリピリしてねぇから、まあ気楽にしてくれ」
御者から受け取った板紙を読んだ栗毛の髭マッチョは、豪快に笑って三人を案内する。ぼんやりとした夜空の下を連れて行かれたのは、ゴラドの家だ。
ワオルは深い森を抜けた先にある山の麓にある小さな村だ。山肌を背にして建てられた家が数軒ずつ集まっており、コウメイたちが寝泊まりするゴラドの家も斜面にもたれるようにして建てられている。
「平屋なのか、二階建てなのか、よくわからねぇ建物だな」
「この村は平地が少ないから、どこもこんな作りだぞ」
火をともし中に入る。入り口すぐに土間と台所があるが、奥の壁は斜面を削ったそのままのようだ。小さな木の扉の向こうは、土を掘って作った食材置き場だ。台所の続きにある板の間を食事や仕事、寝起きに使っているという。こちらの納戸の横にある階段を上がった先が、コウメイたちが寝起きする半二階だ。
「あんたらの寝床の下は山羊小屋だから、あんまり騒がないでくれ」
「山羊小屋の上なのに、出入りは母屋の室内からというのは珍しいですね」
ハギ藁にくるまって眠るものとばかり思っていたが、部屋は床も壁もしっかりとした板張りで、組み立てベッドとハンモックが備え付けられている。天井は低いが、屋根裏部屋のような趣があって悪くはない。
「ゴラドさんは一人暮らしなのか」
「子供は独立して家を出たんだ」
「嫁さんは?」
「子供が家を出たときに、一緒に逃げちまったよ」
ギョッとする内容だというのに、ゴラドの表情には何の陰りもない。彼らが使う半二階は夫婦の部屋として使っていたが、嫁と子供が家を出てからは上がり下りが面倒で使わなくなったのだという。
「町で知り合って嫁にもらったが、山村の生活が合わなかったんだから仕方ねぇよ」
鍋を洗い、夕食を作りはじめたゴラドを手伝いながら、三人は明日からの予定をたずねる。
「コウメイたちには俺の畑を手伝ってもらう」
「ゴラドさんの畑? 村の畑じゃねぇのか?」
「給金は村から払われるが、働くのは俺の畑だ。ここはイートス村と違って、それぞれの家が決められた量のハギを村に納めて、そこから国に村の税金として納めているんだ。俺たちはそれぞれに納税用のハギと自家用のハギ、あとは好んで食べる雑穀を作っている」
村で雇った人足は働き手の必要な各家に配されるが、賃金は村から払われる。食と住は派遣先の家庭が用意するため、常連の働き手は料理の美味いおかみさんのいる農家や、食事量の多い家を希望する。ゴラドは食材を加熱した程度の料理しか出来ないため、人気がないそうだ。
「俺は美味い飯は作ってやれねぇが、寝床は広いからそれで許してくれ」
「だったら飯は俺が作っていいか?」
食料庫をのぞいたコウメイは、これだけ豊富な食材があれば美味い飯が作れると断言した。ゴラドの作った夕食は、野菜と干し肉の塩っぽいスープに焼いた魔鹿肉、それと濃い茶色の固いパンだ。素材は悪くないが味付けに工夫がなく単調だ、この食事が数日続けば飽きるのは間違いない。
「飯作りに給金は出せんぞ」
「自分が美味い飯を食いてぇだけだから金はいらねぇよ。ただ食材は提供してもらえると助かるが」
「それはかまわんが、食い尽くさんでくれよ」
シュウの健啖ぶりに冷や汗をかくゴラドに、コウメイは「肉は食った奴が補充する」と約束した。
「ああそうだ、チーズがあるが、食うか?」
「いいのかよ、貴重な食料だろ?」
「一人では食いきれんし、町で売るには量が少ない」
山羊からは毎日乳がとれ、一人では飲みきれないし食べきれないとゴラドは愚痴をこぼした。近所に配ろうにも、どこの家でも農耕用に山羊や牛を飼っており、乳やチーズはお裾分けには向かないらしい。
「あ、これウメー」
「意外にあっさりしているな」
「これ、いろいろ混ぜたら面白くなりそうだぜ」
白くほろりと崩れる生チーズを載せると、固くて酸味の強いパンがまろやかで食べやすくなる。三人は遠慮することなくチーズを堪能した。
「なぁゴラドさん、チーズの作り方教えてもらえねぇか?」
「雑穀の食い方じゃなくていいのか?」
「そっちも教わりてぇけど、チーズは作り手で風味も味も変わるっていうだろ。一度習っておくのも悪くねぇと思うし」
食にこだわる男はチーズ作りにまで手を出すつもりらしい。アキラは「牛は飼えないぞ」とぼやき、シュウも「農園の次は牧場かよー」と呆れ顔だ。
素朴だがたっぷりの夕食にシュウも満足したようだ。台所を片付けながらゴラドが栽培している穀物の説明を聞く。
「納税用の白ハギの他に、黒ハギとギナゴも少しだな。あとは山芋だ。先に白ハギの収穫を終わらせてから、他の穀物を刈り取る」
ハギに白と黒があるとは知らなかったコウメイは、どう違うのかとたずねた。
「税金用のが白ハギだ。町では丸ハギと呼ばれているな。貴族連中が食うパンは白ハギが使われる。黒ハギは色が黒いだけのハギだが、パンの見た目が悪くなるから値段は安い。庶民用だな。さっき食ったパンは黒ハギとギナゴで作っているぞ」
保管や料理での扱いも普通のハギと同じらしく、このあたりでは珍しくはないそうだ。
「この村でしか栽培してねぇ雑穀があるってのは、嘘だったのかよ?」
「いや、あるぞ。ただ俺は栽培していないだけだ。税金や換金以外で作るとなると、自分の食いたい物になるからな。アレは俺の舌にはあわねぇ」
村の各農家も納税と自家消費以外で育てる作物は、それぞれ販売先を考えて各戸が自由に決めている。
「この村にしかねぇって穀物は、イートス村の黒いのと同じものか?」
「いんや、違うぜ。この村はあれを食わなきゃならんほど追い詰められてない」
オヌマスはイートス村以外ではほとんど栽培されていないそうだ。
「この村でよく栽培されてるのは、ザルドルだ」
「農業ギルドじゃその名前は聞かなかったな」
「ほとんど村の中で消費しちまうんだ、もったいなくて売れねぇんだとよ」
コウメイの眉がピクリと跳ねた。もったいない、という一言が引っかかったのだ。
「ザルドルってのは、美味いんだな?」
「俺はあんまり好きじゃねぇが、村の女衆は大好物だぜ」
ザルドルは粉にしてから水で錬り、平たく伸ばして蒸すのだそうだ。ほのかな甘さとモチモチとした食感が村の女性たちに好かれており、主食というよりも甘味として食べているらしい。
「これは当たりかもしれねぇぞ」
「モチモチ、か。いいな」
餅粉のような使い方をすると知り、コウメイの期待が高まった。アキラも頬がゆるんでいる。これは何としても実物を確かめねばならない。
「ゴラドさん、そのザルドルを栽培している家を紹介してくれ」
「いいぜ。だが交渉は自分でやれよ、色男」
ニヤリと笑ったゴラドは、コウメイの背中を強く叩いた。
「村の女衆はコウメイみたいな街の匂いのする色男に弱いんだ。俺が口利きしても連中は簡単に好物を譲っちゃくれねぇが、コウメイが口説けばそんなに難しくねぇだろうぜ」
「いや、普通に売ってくれる農家を紹介してくれよ!」
「男衆も好いた女に貢ぎたくて育てているんだぞ、恋敵になりそうなコウメイに売りはしないだろうぜ」
「恋敵になんかならねぇって!」
「よ、色男。モチモチめざしてガンバレー」
「無駄にモテるその特技を存分に発揮してくれ。モチモチの美味いのを期待しているからな」
「……アキ、……シュウ」
モチモチの食感に負けたコウメイは、がっくりと肩を落しうなだれた。
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夜明け前から仕事がはじまるのはワオル村も同じだ。ゴラドはチーズを挟んだパンをそれぞれに持たせ、藁縄や鎌といった道具を背負子にくくりつけて急な斜面をのぼる。
「俺の畑は山の上にある。道が悪いから俺の足跡を踏め。足を滑らせたら麓まで真っ逆さまだぞ」
星と月だけでは心許ない暗闇を、ゴラドは迷いなくのぼってゆく。夜目の利くシュウとアキラも、眼帯をずらせて義眼を使うコウメイも、足場を間違うことはない。だが一歩が膝下ほどもある段差をのぼりつづけたアキラは、四半鐘ほどで膝が震えはじめた。
「のろのろしてると日がのぼっちまうぞ」
「……山登りは、数年ぶりなので、すみません」
「ハギ藁担いで何往復もしてもらうんだぞ、大丈夫なのか?」
「私は刈りとり専任でお願いします。荷運びはシュウが引き受けますので」
ゴラドの足取りについて行けなくなったアキラは、悔しげな顔でシュウに背負われている。細身とはいってもアキラは成人男子だ、それを背負って視界の覚束ない急傾斜を軽快にのぼるシュウの足取りを見て、頼りになりそうだとゴラドは嬉しそうに頷いた。
彼らの登る道に樹木はない。暗くてはきとは見えないが、左右とも畑なのだろう。風が吹くたびにハギ穂が揺れる音が聞こえている。何度か細い水の流れを越えた。水路が整備されているらしい。そうやって半鐘(一時間)ほどのぼってきただろうか、だんだんと空が白みはじめた。
「おい、どこまで登るんだよ?」
「もうすぐてっぺんだ」
「そんなところにまで畑作ってんのか?」
「……何故こんな山の上に畑を?」
森を開いて開拓すれば平地で畑ができるのにという疑問に、苦笑いを含んだ声が返った。
「昔は森を切り拓いてハギを育てていたらしいぜ。そこにどっかの群れから追いやられた暴れ牛が住み着いて、でっかい群れになっちまった。柵を作ったくらいじゃ暴れ牛は止められないだろ」
暴れ牛との攻防に疲れた村は、荒らされない土地を選んで畑を広げていった。結果、山の上へ上へと耕作面積が増えたらしい。
「今じゃ暴れ牛は他所に行っちまって、畑も森に戻っちまったが、せっかく作った畑を捨てるのも惜しいってんで、そのままになってるって爺さんが言ってたぜ」
確かに上り下りは大変だが、高地で作物を栽培する利点もある。平地とは植物の生育が異なるため、希少性の高い作物の栽培が盛んなのだそうだ。
「それがザルドルって穀物なのか」
「いや、甘根草という」
はじめて聞く作物の名前だが、その用途は想像がついた。
「砂糖の原料か?」
「ほう……知っていたのか」
先頭を歩くゴラドの気配が鋭くなった。どうやらワオル村にとって最も重要な作物は、ハギでもザルドルでもなく、甘根草のようだ。その情報を探りにきたと思われてはたまらないと、コウメイは慌てて言い訳をする。
「当てずっぽうだ。甘い根っこの草なんて名前だし、貴重な作物っていうんだから砂糖を想像しても不思議じゃねぇだろ」
「確かにな。そういえばコウメイは、暴れるだけが取り柄の冒険者じゃなかったな」
農業ギルドでの交渉を思い出したのだろう、自分が迂闊だったと殺気を引っ込めたゴラドだ。
背後から光が射しはじめ、踏み固められた狭い山路や土止めの木材、生い茂る雑草についた朝露らがはっきりと見えるようになってきた。
「よし、着いたぞ」
ゴラドが足を止めたのは、道を封じるように生えた木の手前だった。石で囲んで平らにならしたそこからたどってきた道を振り返る。
「……美しい」
「すげぇな」
「うわー、段々畑がキラキラしてるぜー」
優しい眩しさとともに視界を占めるのは、黄金の輝きを放つハギの小さな畑たち。急斜面を切り拓き、石で囲って土を固めた小さな畑の連なりは、懐かしい故郷の田園風景として有名な棚田そのものだ。
「キレイだろ」
自慢の畑に感動し見とれる三人の様子は、ゴラドを満足させた。
「収穫前のこの景色を見たら、ここを捨てて平地に降りようなんて気にならないだろ?」
「わかります、ここまでのぼってくるのは大変ですが」
「イートス村の畑は海みてーだって思ったけど、こっちは黄金の箱庭っぽいよなー」
「それを言うなら宝箱だろ」
「お宝なのは間違いない、さあ、どんどん働いてもらうぞ」
+
朝食のチーズパンを食べ終えた三人に、ゴラドは鎌と藁縄を渡し、収穫範囲を教える。彼の畑は山畦道に沿った西側の、麓まですべてだそうだ。数えようとして諦めたコウメイは、一枚の狭さが救いだと気を引き締める。根株を残して刈り取ったハギを藁縄でまとめ背負子に積んでゆくとゴラドが慌てた。
「待て、積み過ぎだ。それじゃ運べないだろ」
「イートスでは一度にこの倍くらいは運んでたぜ。段差もあるから最初はこのくらいで様子見させてくれ。問題ねぇなら量を増やす」
「ヨユーだよ、ヨユー」
畑一枚分のハギ藁を背負子に積み上げたコウメイと、それを軽々と背負ったシュウを見て、ゴラドの口端が引きつっている。
「俺とアキは収穫してるから、二人で下山していいぜ。置き場所をシュウに教えたら、ゴラドさんも刈りとりに専念すればいい」
コウメイの提案に頷くのは、シュウが足を踏み外さずに無事麓にたどり着けてからの話だ。そう返したゴラドは、自身も背負子にハギ束を山積みにして背負い、シュウを連れて急な下り道を帰った。
山を背負っているように見えるシュウだが、その足取りはしっかりとしており、全く不安がない。これならハギ降ろしは任せられそうだとゴラドは頼もしくなった。
「あんた、腕だけじゃなくて足腰も人族離れしてるんだな」
「まーな。おかげで力仕事ばっか押しつけられるけど、まー適材適所ってヤツだ」
「なるほど、確かに銀髪の別嬪さんは、一往復すら難しそうだな。眼帯はどうだ?」
「コウメイもゴラドさんくらいの量ならイケると思うけど、あいつの器用さは収穫に専念させたほうがいいんじゃねーかな」
イートス村でのコウメイの仕事は、手慣れた農夫らに負けないくらい早かった。アキラはどうだったかと問われて、シュウは歯を見せて笑う。
「おばちゃんたちのほうが元気だったぜー。疲れは薬草食ってどうにかしてた」
「まあ、薬魔術師様には村人を診察してもらうんだ、収穫仕事で潰すわけにはいかんな」
二人は大荷物を背負っているとは思えない足取りで、登りの半分の時間で麓に降りていた。ゴラドはあと数歩というところで横道に逸れた。家の背面へと回り込み、屋根へと渡された板橋を越える。
「屋上っていうか、ベランダっぽいなー」
「ここがハギ藁の乾燥場だ」
ゴラドは説明しながらハギ束を竿にかけてゆく。シュウの役目は運んできたハギ藁を竿にかけるまでだ。ハギ山を降ろし、竿に乾す作業は思っていた以上に手間がかかった。
「なー思うんだけどさ、ここをアキラに任せて、コウメイとゴラドさんが刈って、俺が運搬だけに専念するのがよさそーだぜ」
決して竿かけ作業が面倒なのではない、と心中で言い訳しつつのシュウの提案に、ゴラドは「そうしよう」と頷いた。毎日シュウに背負わせて薬魔術師を山の上に連れて行くのは効率が悪いと感じていたらしい。
二人が山腹の畑に戻ると、もう何枚もの畑の刈りとりが終わっていた。畑道の反対側で働いている雇われ農夫らが、仕事の速さに驚いている。さっそくハギ藁を荷造りする傍ら、ゴラドはコウメイとアキラに持ち場の変更を指示する。
「山を下りる前に、少し採取をしてかまいませんか? あのあたりで何種類かの薬草を見つけたのですが」
アキラが指さしたのは林に近い畑の畔道あたりだ。種類も多ければ品質も良い薬草の群生だったため、誰かが栽培しているのであれば勝手に採取するわけにはゆかない。許可を求めるアキラに、ゴラドは好きなだけ採取して良いと言った。
「畑の所有者が畔道の管理をしているが、その向こうの林や森は誰のものでもない。好きなだけ採取して、村のために使ってくれるとありがたい」
そういうことならと、アキラは思う存分薬草を採取してから、背負子にささやかなハギ束を積んで下山した。シュウに教わった乾燥場で運ばれてくるハギ束を竿にかけながら、周囲の植生を観察して香草や薬草を把握してゆく。
「おにーさん……おねーさん?」
足下から幼い声に呼びかけられた。身を乗り出して顔を出すと、五、六歳ほどと思われる男児が目を丸くしてアキラを見あげていた。
「お兄さんですよ。何かご用ですか?」
「ゴラドおじさんのとこで、おすくりもらえるってきいたんだ」
「お薬?」
はて、ゴラドは薬師だったのだろうかと首を傾げるアキラに、男児は必死に声を張り上げて頼み込む。
「きのうのよるに、ゴラドおじさんのところに薬魔術師様がきたって、とうちゃんがいってた。ずっとばあちゃんのぐあいが良くないんだ。おにーさんが薬魔術師様ならさ、ばあちゃんが元気になるおくすり、作ってくれよ!」
男児の右の拳には、小銭が入っていると思われる小さな袋が握りしめられている。思い詰めたような、それでいて希望にすがるような青い瞳を、アキラは無視できなかった。男児に「少し待っていてくれ」と言い残して首を引っ込めると、魔紙に事情を書き記して飛ばした。すぐに返ってきたコウメイの魔紙には、ゴラドの許可が得られたと記されている。
残っていたハギ藁の束を竿にかけ終えてから、アキラは部屋に戻り、先ほど採取した薬草と、乾燥薬草の収納鞄を手に取り、男児の案内で患者の家に向かった。
たどり着いたのは、ゴラドの家から北西に少し斜面を登った先の集落だ。同じように段々の畑を背負うようにして建てられた家の一つで、出入り口に近い板の間に敷かれた布団には、老婆がうつ伏せに寝かせられていた。
「ばあちゃん、薬魔術師様がきてくれたよ!」
「お邪魔します。診察にうかがいましたが、よろしいでしょうか?」
「なんと……ありがたいが、いいのかね? 村長からは薬魔術師様の訪問はもっと先になると聞いていたんだよ」
孫が強引に連れてきたのではないかと恐縮する老婆に、村長の意見は知らないが、雇い主であるゴラドの許可は得ていると伝えて安心させた。
老婆の許可を得て寝床の側に寄り、症状を聞き取ってゆく。数日前に足を踏み外して畔道から転落し、腰を強打したのだそうだ。そこから立って歩けなくなり、腰が痛まないうつ伏せでの寝たきりになってしまったのだという。
「触れてもかまいませんか?」
「……痛いのは勘弁してくれないかね」
「少しだけ我慢してください」
服の上から背骨と腰に触れ、老婆の表情を観察する。医学的な知識も経験も乏しいアキラは、リンウッドのように触診で痛みの原因や損傷を見つけられるわけではない。彼が老婆の表情から読み取りたいのは治療魔術の効果だ。ごくごく薄くかける治療魔術は、強打した患部を中心に痛みを軽減できているようだ。
「不思議だねぇ、薬魔術師様に撫でられているだけで痛みが軽くなっていくよ」
「私の故郷では、治療のことを『手あて』と言うんです。手を添えるだけでも痛みが和らぐ、気持ちが落ち着く、そういった意味があるのだと伝わっています」
「ばあちゃん、痛くなくなった?」
「まだ痛いが、少し楽になったよ。こんなキレイな薬魔術師様に撫でてもらえたら、そりゃ痛みよりも別の嬉しい気持ちのほうが大きくなるってものだね」
腰に置いた手を掴み取られそうな気がして、アキラは慌てて治療魔術を中止した。ほほ笑みを貼り付けたまま薬鞄を開け、湿布薬と痛み止めの調合をはじめる。継続的な投薬を考えれば、この村で採取できるものを中心にしたほうが良いだろうと、いくつかの薬草を選んだ。
「これは塗り薬です。痛む場所に厚めに塗ってください。こちらは飲み薬です。痛みがあるときにだけ、一粒噛み砕いて飲んでくださいね……少し苦いと思いますが」
「丸呑みしちゃだめかね?」
「効きはじめるのが遅くなってもかまわなければ」
痛みと苦みを天秤に掛けるのかと、老婆は少しばかり顔をしかめた。
「起き上がれるようになったら、できるだけ身体を動かして、少しでも歩くようにしてください。けれど、いきなり畑仕事を手伝うのはだめですよ。薬を飲まなくても大丈夫になるまでは、できるだけ平らな場所を歩くくらいにしてください」
数日間寝込んでいただけで老婆の足腰は衰えている。いきなり急斜面の上り下りなどしてまた転んだら、今度は二度と起き上がれなくなりかねない。アキラは老婆と男児にしっかりと言い聞かせた。
「ありがとう、薬魔術師様。これ薬代だよ」
男児の差し出す小袋を受け取れなかった。男児の必死な思いを拒絶できず駆けつけたが、イートス村での失敗が引っかかったままのアキラは、対価を受け取るべきかを決めきれない。
「村長……や、ゴラドさんと、まだ代金について話し合いが終わっていないのです。きちんと決まってからいただきますね」
慎重に告げて薬代を断わり、アキラはゴラドの家に戻ってきた。




