船旅の終わりと米探索のはじまり
本日より連載再開します。
いつものように月・水・金の更新予定です。
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ヘル・ヘルタント国最南端の港町キニックは、大陸周回船が着岸する港だ。ウェルシュタント国との国境であるムルラダ川の河口からわずか十五万マール(十五キロ)ほどしか離れておらず、駐留の兵士らの数も多い。
岸壁の作りは他の港町でも見かけぬほど広く頑強だ。停泊している軍艦はウェルシュタント国を向いているし、港と居住区の間も大きく頑強な壁で区切られている。
日の出直後に着岸した周回船を下船したコウメイたちは、他港よりも厳しい検めを受けてようやく港に降り立った。すでに太陽は頭上高くで輝いている。
「あー、腹減ったー」
「朝抜きでまさか六の鐘まで待たされるとは……」
「どうする、屋台にするか? それともすぐに乗合馬車を押さえるか?」
「疲れる船旅だったんだ、数日はゆっくりしたい」
今回の船旅は、酔わないはずのアキラがやつれるほどに疲れる旅程だった。もともと期限のある旅ではないのだし、コウメイとシュウものんびりとした逗留に賛成する。
「屋台飯じゃ食った気にならねーよ。どーせなら町の名物料理とか食いてーなー」
「ならちょっといい宿を探して、美味い飯屋を探すか。あとは各ギルドで情報収集だな」
さっそくシュウは港の職員らに声をかけては、よさげな飯屋を探しにかかり、コウメイも下っ端役人を捕まえ、港町キニックにあるおすすめの宿をたずねている。
忙しく荷車の行き交う桟橋を眺め、ちゃぷりちゃぷりと岸壁にあたる波の心地よい音を楽しむアキラに、静かに、だが素早く近づく影があった。
「アキラさん、こんなところにお待たせして申し訳ない。川魚と海魚の両方が楽しめる料理店がありましてね、ぜひあなたをお連れしたいと予約を入れたのです。さあ、どうぞこちらに!」
「ひいっ」
その男の出現は、気配に敏感なはずのシュウすら気付かなかった。背後から声をかけ、驚いて跳ねるアキラの肩に手を添えてくるりと自分に向かせ、流れるような素早さで手を取り甲に唇を落とす。
触れられた手から全身へと、波のように肌の粟立ちが広がった。
「おい、いい加減にしろよ!」
「船長さんよー、職権乱用はしねーんじゃなかったのかよ」
元騎士らしい傷跡とタコでゴツゴツした手を叩き落としたコウメイが、身体が硬直しているアキラを引き離してかばい、シュウが間に入って盾になった。
「アキラさんは船を下りた、今は船長と乗客ではないのだから職権乱用にはあたらない。この時間はどこの料理屋も混雑していて食事が出来るまで待たされますよ。だが私の予約した店ならすぐにでも美味しい料理が楽しめる。さあ、まいりましょう!」
「まいらねーよ」
「悪いな、俺らこれからすぐ乗合馬車で街を出るんだ」
「それにアキラは魚料理に飽き飽きしてんだよ。食いてーのは肉料理だ」
「召使いどもは黙っていろ、私はアキラ殿をお誘いしているのだぞ」
騎士あがりの名誉船長はコウメイとシュウを叱りつけ、アキラには貴婦人に見せるような甘やかな笑みとともに手を差し出した。高貴で優美な船長の笑みに見とれた港で働く女たちから、嫉妬と羨望の息がこぼれている。
「どうぞ、お手を」
「……船長、たいへん申し訳ありませんが、彼が説明したように乗合馬車の時間が迫っていますので」
背後をとられただけでなく肩を掴まれ、手の甲に接吻までされた衝撃からギリギリ浮上したアキラは、気合を入れて強引に笑顔を作り、しつこい男を振り払った。
「船中ではお世話になりました。航海の無事をお祈りいたします。それでは」
「あ、待ってください、せめて贈り物をっ」
豪華に飾り付けられた包みを押しつけられそうになって、アキラは早口の別れの言葉が終わるのと同時に踵を返し、コウメイに手を引かれながらその場から全力で走り逃げた。
「やっと解放された……っ」
「船上のストーカーとか、最悪だぜ」
「コーメイ、アキラ、乗合馬車確保したぜ」
ストーカー船長と対峙している間に、シュウが出発時刻の迫る乗合馬車の席を購入し、屋台で食料を調達して準備万端整えていた。のんびりと港町の名物料理を堪能し、船旅の疲れを癒やす予定は、打ち合わせるまでもなく取りやめだ。
「周回船の出港は、明日の朝だったよな?」
「船長は大人しく船に籠もってろってんだ」
任期が終わるまで船長は周回船から離れられないとわかっていても、ストーカーが追いかけてくるような気がして、停留所のある北門へと向かうアキラの足は、まるで追い立てられる角ウサギのように乱れていた。
+
「飯、どっちにする?」
「……胃に優しいほうで」
目についた屋台飯を買ったのがシュウという時点で、肉料理は避けられない。コウメイは塩焼きの角ウサギ肉をアキラに渡し、自分は魔猪肉のタレ焼きを選んだ。シュウは香辛料たっぷりの暴れ牛肉だ。
乗合馬車の陰に隠れて座り込んだ三人の表情は、解放感に笑みほころんでいる。直接ストーカーされたアキラの精神的な疲労は大きいが、それに巻き込まれたコウメイとシュウのストレスもずいぶんなものだった。
「密室殺人が起きる前に下船できてほっとしたぜー」
「ストーカーの他にも面倒なのが乗っていたのか?」
「いや、俺はコーメイが逆上して船長を殺っちまうかと心配してたからさー」
「失礼な、俺はそんな面倒なことはしねぇよ」
アレを始末するなら波の高い夜に甲板から蹴り落とすだけだ、と至極真面目に返されたシュウだ。半ば本気の声色に、シュウは冗談だったのにと頭を抱えた。
「しかし、あんな馬鹿を船長に据えるなんて、周回船もやべぇな」
三人はサンステンの港町で西回りの周回船に乗船したのだが、船室にはいった直後にそれは現れた。元騎士だという船長は甲板を歩く銀髪の美形に一目惚れし、乗船名簿を調べ、個室に船長特権を使って強引に押し入り、アキラにぜひお付き合いをと迫ったのだ。
船長室で食事をと誘われ、特別室を融通すると持ちかけられ、船上パーティーに招待すると宝飾品を贈られ、とアキラの船旅は散々なものになった。
「……あの船を寄贈したのが、船長の実家らしい」
金持ちの子爵が(放蕩)次男の将来(後始末)を考え大枚はたいて事業に大型船を(強引に)寄付し、ついでに次男を船長として推薦し(押しつけ)たのだ。聞きたくもないのにべらべらと己を自慢して喋る船長のせいで、周回船事業の闇を察してしまったアキラだ。
「厄介払いするなら別のところにしてほしかったぜ」
客船であれ軍艦であれ、船において船長というのは最高権力者だ。円滑な航行と乗船者の安全を守るために、指揮監督する大きな力を持たされている。しかもこの船長は元騎士、つまりは貴族だ。船員には止められないし、いち冒険者の乗船客の立場では、強引に突っぱねるのも難しかった。
「あんな奴に権力持たせるんじゃねぇ」
「まともに仕事してなかったもんなー」
全ての業務を副船長におしつけて、当人は鼻息も荒く毎日のように三人の客室に押しかけてきた。そのせいでシュウは常に扉の前で見張りだったし、コウメイは食料調達と情報収集、他の船員らへの根回しにと奔走した。アキラは小さな窓から見える天候の変化だけを楽しみに、神経をすり減らす船旅を耐えたのだ。
「貴族の矜持と自己顕示欲の強さに助けられたな……」
「アキラ、うまくあしらってたもんなー」
立派な船長、尊敬される船長、貴族としての高貴なる務め、そういった言葉で船長の矜持をくすぐり、職務権限を使わせないように苦心したアキラだ。
「もうあのストーカーのことは忘れようぜ。シュウ、この馬車はどこ行きだ?」
「知らねー。一番最初に出発するヤツってだけで席おさえたからなー」
カランカランとハンドベルの音がして、御者が三人に乗車を求めた。
乗り込んだ幌馬車の他の客は、背負子に商品を積んだ個人行商人や、空の籠を抱えた農夫たちだ。彼らはシュウを見て「でかい兄ちゃんだな」と驚き、コウメイを見て「色男か」と興味なさげに放置した。乗客に見とれる女性がいれば反感も抱いただろうが、車内には髭や白髪のまじる男しかいない。そして最後に乗車したアキラを見た瞬間、彼らは何度も目を瞬き、擦り、呆然とみとれた後「目の保養になった」とご機嫌になる。
それらの視線を無視して三人が腰を下ろしてすぐ、馬車はガタゴトと大きく揺れながら町を出発した。
港町キニックを囲む壁は、まるで城壁のように厚く高い。見張り用の塔だけでなく、側塔には外敵を攻撃するための狭間もあった。水陸どちらから攻められても耐えられる構造だと、アキラは遠ざかる街壁を眺めてそんなことを思った。
「この馬車はテルバウムの町行きだ」
「キニックの北東にある町で、鐘二つもあれば着くぞ」
乗客に教わって地図で位置を確認する。テルバウムはウェルシュタントへと繋がる唯一の街道にほど近い街、いや町だ。国境では頻繁に戦争が起きているせいか、国境警備兵の砦も近くにあり、要塞としての位置づけもあるらしい。
「テルバウムにはどんなギルドがあるんだ?」
「冒険者ギルドで仕事を探すなら、今はたいした募集はないぞ」
コウメイらの服装から判断したのだろう、農夫の一人は「冬になれば兵の募集があふれかえる」と教えた。
「農業ギルドはねぇのか?」
「あるが、あんたら冒険者だろう?」
国境近くに遠方からやってくる冒険者の目的は、戦争での一稼ぎに決まっている。それが農業ギルドに何の用事があるのかと、乗客の視線が胡散臭げな彼らに集まる。コウメイは人たらしの表情で彼らの警戒をゆるめ、オストラント平原にやってきた目的を説明した。
「コメ? それは穀物なのかね?」
「ああ、俺らの滅びた故郷で主食だった穀物だ。知らねぇか?」
「聞いたことがないな。知っているか?」
乗り合わせた農夫らは栽培したことはない、自分の村では聞き覚えがない、と誰もが首を傾げている。コウメイは彼らに米を説明しようとして困った。
こちらの穀物や植物は、自分たちの知るものに似ている物もあれば、全く別物だったりもする。例えば紫ギネは葉も皮も紫色だが、一皮むいた中身は自分たちもよく知る玉葱だし、味や食感がカボチャに最も近い黒芋は、こちらでは地中で育つし色も黒だ。そういった差違を考慮すると、自分たちの知る米の形状を説明しても、全く異なる植物にたどり着く可能性は高い。
「なんか見つかりそーにねーな」
「諦めが早すぎるぞ、シュウ」
「だって農家の人が知らねーっていうんだぜ?」
プロが知らないのだから存在しない確率は高いし、素人の自分たちがそれを闇雲に探しても見つかるわけがない、とシュウは出足をくじかれただけでやる気をなくしていた。
「農業ギルドには一帯で栽培されてる穀物の資料があるはずだ。それを閲覧させてもらうところからだな」
「ギルドにとっても近隣農家にとってもそれは重要情報だぞ、簡単に教えてもらえないんじゃないか?」
魔法使いギルドだって他業種の来訪者に簡単に魔術を与えたりはしない。楽観しないほうが良いとたしなめるアキラに、コウメイはニヤリと笑って懐から真新しい身分証を出して見せた。
「あー、それ」
「リアグレンで作ったやつ……持ってきていたのか」
「そりゃ大事な証明だし」
潜入先で見つかったとしても、農業ギルドの身分証ならば警戒されることはない。コウメイは逃走時の保険として持ち歩いていたのだ。
「あんた農業ギルドに籍があるのかね?」
「ウェルシュタント国の、リアグレンって街の農業ギルドだけどな」
オストラント平原の農民、それもヘル・ヘルタント国民にとって敵国からの旅人の印象は良くないだろう。そう警戒していたのだが、乗り合わせた農夫らは特にコウメイらを敵視するような様子はなかった。
「敵国の農業ギルド員だ、門前払いも覚悟してたんだが」
「戦争やってるのは国の上のほうだからな」
「農繁期に攻め入ってくる国なら容赦しないが、農閑期にちょっとばかり騒がしくなるくらいはな」
「ああ、臨時収入にもなるし、畑で暴れるんじゃなきゃ別に、なぁ」
町や村、畑からそれほど離れていない場所で戦争がおきても、平民の暮らしにはそれほど大きな変化はないらしい。少々拍子抜けだった。
それからは顔見知り同士らしい農夫らの会話や、行商人のうんちくに耳を傾けて認識の違いを学んだ。
「このあたりは国境が近いのに、村に損害はないのですか?」
「兵隊らは街道沿いや砦の近くで戦うからね、離れた村まで押し寄せてくることはないよ」
「わしらも冒険者を雇って自衛はしているし」
「兵隊に食料を売りつけると、冬場のいい稼ぎになるぞ」
この世界における戦争は、自分の周辺に降りかかってくるのでなければ、平民にとっては他人ごと、国境の争いは国王と領主や貴族らの喧嘩でしかない。田畑で作物を育てて暮らす彼らにとって、国の存亡は税を納める先と農産物を売る先が変わるだけなのだ。
むしろ彼らにとっては戦争よりも、あふれる魔物や盗賊のほうが脅威だという。
「……戦争の感覚が違いすぎる」
声を潜めてぼそりとこぼれたアキラの呟きに、コウメイとシュウも無言で頷く。
「ウェルシュタントもヘル・ヘルタントも、国境を定めた後で税を徴収しなきゃならねぇからな。戦争で田畑を焼いて農民の反感を買うわけにはゆかねぇんだろうぜ」
「利害が優先されるからこそ、全てを破滅させるような戦争はできないのか」
「おっさんたち、高く買ってくれるなら敵国でもハギを売るつってるぜ。すげーな」
「たくましいなぁ」
「本当に」
実際に戦火の近くで暮らせばまた感覚は変わるかもしれないが、彼らの明るさとたくましさには好感しかない。
「ま、敵国籍のギルド証でもどうにかなりそうなのは助かるぜ」
「冒険者ギルドにも寄るんだろ? 米探しついでに稼げる魔物を見つけてガンガン討伐しよーぜ」
「あまり狩りすぎるなよ。生態系を乱すと住人にも迷惑がかかるんだ」
大陸のどこでも魔物は出るが、地域性というものは確かにある。ヘル・ヘルタントでの本格的な討伐にはしゃぐシュウに釘を刺したアキラは、根気は必要だが気楽に楽しめそうな米探しのはじまりに、少しだけ気持ちが高鳴るのだった。




