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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
10章 ヘルミーネの遺物

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ヘルミーネの書/エピローグ



 ごく普通の旅人を装うのをやめた彼らの旅は自由奔放だ。

 彼らは森で美味しそうな食材を狩り、地域固有の薬草採取を堪能しつつ、山脈の国境を目指していた。


「休憩は終わりだ、行くぞ」

「待て、あと少し。ここのゼルマの新芽を採取して」

「それさっき採取してたのと同じゃねーか」

「同じじゃない。この芽の渦の巻き方が違うだろ!」


 先に採取したゼルマの新芽は先端を中心に渦巻いているが、こちらは単純な渦巻きではなく捻りが入っているし、色の濃度も違う。どちらも回復薬に使われるが、濃度が違うようだから検証する必要がある。アキラはそう熱く主張し、その場を動こうとしない。


「同じにしか見えねーよ」

「高度な間違い探しに付き合ってる時間はねぇ。今日中に国境を越えて、できるだけ早くウォルク村の跡地検証をすると決めたのはアキだぞ」

「そーだ、そーだ。手がかりを見つけられるかもしれないって言ったのはアキラだからな。俺の嫁探し手伝ってくれるんだろ!」


 痺れを切らしたシュウは、薬草の前に座り込んでいるアキラの首根っこを掴み、強引に抱えて歩き出した。


「おい、まてっ。ゼルマの新芽がっ」

「うるせー」


 川岸でオルステインからの脱出をどうするか話し合ったとき、南の山脈国境を越え、かつての狼獣人の隠れ村に寄りたいと言い出したのはシュウだ。アキラもあそこの転移魔術陣がまだ使えるのかどうか、知りたいと同意していた。


「狼獣人の嫁を探しに行く手がかりは、あそこしかねーんだからな」

「わかったから、手伝うから、揺するな……うぅ」


 担がれ激しく揺すられたアキラの胃が悲鳴をあげる。肩の上で嘔吐されてはたまらないと、シュウが慌ててアキラをおろした。暴れる胃をどうにかしたいが周囲に薬草は見あたらない。仕方なく丸薬を口に含んで噛み砕いたアキラは、強い苦みと酸味で不快感を誤魔化した。


「しかし、いきなり嫁探しとか言い出すからビックリしたぜ」

「いきなりじゃねーよ。前から彼女欲しいってずっと言ってただろ」


 エルネスティの元相棒が、冒険者を引退する年齢で結婚したと聞いて焦ったのだ。


「そのわりに積極的な行動はしていなかったようだが?」

「してたの。コーメイやアキラの見えねーとこで頑張ってたの!」


 これまでの経験から、親しくなりたい女性をみつけても、無自覚タラシと崇拝級の美貌が側にいては、一ミリも関係を発展させられないと思い知っていた。だから二人が深魔の森に引きこもっている間に、出かけた先でよさげな女性を探していたのだ。


「けどエルネスティの話を聞いてたら、人族の嫁よりはケモ耳嫁じゃねーと子供が不幸かなーって思ってさー」


 シュウの子が人族として生まれればいいが、そうでなければエルネスティのように苦労するだろう。シュウ自身がはぐれ狼獣人であり、同族の支援はいっさい期待できないのだ。


「狼獣人の嫁もらうには、まずは出会わねーとだめじゃん?」


 人族の町や村で探しても獣人は見つからない。ナナクシャール島ならば年に数回、さまざまな獣人族と会う機会もある。だがエルフ族に便利に使われる面倒を思えば、島以外の場所で獣人と出会いたかった。


「シュウの嫁はともかく」

「ともかくじゃねー」

「さっさと国境を越えるぞ。寄り道はオルステインを出てからだ」


 コウメイに尻を叩かれて一路国境を目指した。

 連なる山々、その谷間にある険しい国境を密かに越え、深い森に降りてさらに南下する。銀板の地図を頼りに廃村を探して五日、彼らは懐かしくも苦い思い出のある村の跡地にたどり着いた。


   +


 前に訪れてからの二十年は、草木が村のあった痕跡を完全に消し去っていた。拓かれていたはずの村の敷地は太く生長した木々に浸食され、そこが田畑であった当時の面影はない。


「あったぞ、転移陣の中心になる標石だ」


 木の根に抱き込まれ傾いているそれを発見したアキラは、慎重に触れ、魔力を流してその働きを探った。


「……これは、もう使えないな」


 狼獣人族の里へと繋がる転移魔術陣も、襲撃者を捕捉する仕掛けも、全て自然によって砕かれたようだ。自動修復も働いておらず、魔術陣としての役割は果たさなくなっている。


「やはりウォルク村は狼族側からも廃棄されたようだ」


 結界に守られた里で種族ごとに暮らす獣人族らは、必要に応じて人族の町や村で最低限の交易を行っているが、そのための窓口であったウォルク村は捨てられた。どこか別の場所に新たな窓口を作っているのだろう。


「狼族と連絡も取れねーのか?」

「たぶん、な」

「連絡取りてぇならエルズワースさんに頼んだらどうだ?」


 異なる種族間の連絡網はあるらしいのだ、シュウが頼めば狼族に伝言くらいはしてもらえるだろう。


「えー、狼族の女の子紹介してくれって、言いにくいだろー」

「正直すぎだ……」

「狼じゃなきゃダメなのか? 熊族なら知り合いもいるだろ?」

「熊族のおねーさんたちは俺よりマッチョなんだぜ。それはちょっとなー」


 そんなくだらなくも微笑ましい話をしながら廃墟で夜を明かした三人は、翌朝早くに山頂の寒村マーゲイトを目指した。目的は魔法使いギルド、いや転移魔術陣だ。


「アーネストのおっさん、使わせてくれっかなー」

「俺たちの転移は無理でも、魔術書の転送なら引き受けてもらえると思う」


 私的使用は禁止されているが、物資の転送はその限りではない。トレ・マテルの地下深くにも支援物資が定期的に転送されているのだ、ナナクシャール島のギルドから依頼された品だといえば、許可は下りるとアキラは考えていた。


「ブツがブツだから手放してえって頼めば断れねえってことか」

「ギルド長ならエルフ族の機嫌は損ねたくはないだろうし」


 依頼を終わらせるには、ナナクシャール島まで足を伸ばしてミシェルに直接手渡すか、深魔の森に帰って地下に呼び出すかしかない。だがどちらも遠すぎる。さっさと終わらせるには、多少強引でも送りつけるしかないと三人の意見は一致していた。


「早く解放されてーよ」

「全くだぜ。もしかしたら今ごろは、米にかぶりついてたかもしれねぇんだよなぁ」


 本来ならばヘル・ヘルタントの平原で米を探しているはずだったのだ。季節は春、農家が作付けにかかるこの時期は、両国とも開戦を控える傾向にある。今ごろは米を発見し、育て方を教わり、種籾を譲ってもらう対価として、労働を提供している予定だったのだ。

 米を発見したらどんな料理を作りたい。種籾をもらったらどこで栽培しようか。隠れ家周辺を新たに開拓する必要がある。そんな楽しげな会話で登山の苦しみを紛らわせながら、彼らは日没直後にようやく山頂の魔法使いギルドにたどり着いたのだった。


   +++


「ご用の方はお呼びください?」


 閉じられていた鉄柵の門を開け、ギルドの入り口に立って見つけたのは、施錠された扉に貼られた伝言だ。


「これ、呼び鈴とかノッカーの意味じゃねぇよな?」

「人の気配ねーのは相変わらずだけど、なんかウォルク村みてーな感じがするぜ」


 魔力の灯りを近づけて扉の周囲を探ったアキラは、手がかりなしだと首を振る。扉だけでなく建物そのものを守る魔術鍵は、オルステインでさんざん修理したおもちゃのような魔術鍵とは何もかもが違う。これの解錠には、解析の時間と相当な魔力が必要だ。


「連絡先が書かれていない。これはお手上げだな」


 建物や扉の物理的な耐久度は変わらないため、本気のシュウなら蹴破れるだろう。だが、それを実行すれば強盗犯になってしまう。朝になれば状況が変わるかもしれないと、彼らは以前泊まった平屋で夜を過ごすことにした。


「すげーホコリ!」


 シュウが板の間をすっと撫で、指先についた埃に眉をひそめている。同じく埃をかぶったカマドはずいぶんと長い間使われていないようで、薪もなければ、灰も炭も残っていない。


「ここ、食料配達の冒険者が寝泊まりしてるつってたよな?」

「この様子だともう何年も使われていないようだし、もしかしてギルドも閉鎖されてるのかもしれないな」


 ミシェルが引退して以降、アキラはいくつかの魔法使いギルドとの接点を失っている。ダッタザートとは定期的にやりとりをしているが、他国のギルドの動向は、意識的に集めなければ入ってこない。マーゲイトとは一度も連絡を取り合ったことがなく、エルフ族の監視下にある転移魔術陣が、このような形で放置されているとは知らなかった。


「ここって一応重要拠点なんだろ? こんな状態でいいのかよ」

「……ミシェルさんに報告しておくか」


 彼女がマーゲイトの現状を承知しているかどうかわからないが、知らないのであれば連絡しておかなければ不安だ。ことエルフに関わる件での報連相不足は、自分たちにも影響を及ぼしかねないのだから。

 ミシェルにマーゲイトの状況と依頼の品の回収が済んだ旨を書き送って、その夜は久々に屋根のある環境でくつろいだ。


   +


 日の出前にシュウが食料調達に出かけた。彼が岩鳥を三羽狩って戻るまでの間に、コウメイは残されていた鍋と釜を洗う。薪になるものを求めてギルドの周囲を散策したアキラは、かつての薬草園と思われる場所で、辛うじて自生していた食用薬草を採取し、枯れ枝をかき集めた。


「「「いただきます」」」


 携帯食のハギ粉団子を砕いて粉にし、岩鳥の骨を出汁にしたスープで煮た粥と、食用薬草で岩鳥肉を挟んで塩焼きにした品が彼らの朝食だ。


「美味いけど、物足りねー」

「仕方ねぇだろ、スパイスは目潰しに使っちまったんだ」

「朝はこれくらいで十分だ」


 塩と薬草のシンプルな味付けに不満を零しながらも、シュウは岩鳥肉のお代わりを要求する。粥をすするアキラは、朝から赤唐たっぷりのピリ辛料理なんてどんな胃袋だと呆れ顔だ。コウメイは少ない調味料と限られた設備でも納得できる味に仕上がったのに満足しつつ、麓の町でこれからの旅に備えて買い足さねばならない品をリストアップしていた。

 最後の岩鳥肉をシュウの箸がつまんだときだった。


「ミシェルさんからだ」


 ひらりと小さな魔紙がアキラの手に舞い落ちる。素早く目を通した彼は、どう判断すれば良いのかと困ったように眉間に皺を寄せた。


「面倒な返事か?」

「いや、ここに来るそうだ」

「転移してくるって? けどギルドは閉鎖されてるだろ?」

「外から入れなくても、中からなら簡単に開くそうだ」


 マーゲイトの施錠は外部からの侵入を防ぐ目的の魔術鍵であり、内側からは出入り自由らしい。


「こんな山のてっぺんに、わざわざ押し込み強盗なんて、ふつーはこねーだろ?」

「まあ、俺たちくらいだろうな」

「転移陣を使う権限のねぇヤツが堂々と忍び込めるんじゃ、防犯の意味ねぇよな?」

「鍵をかける場所が間違っているのは確かだと思う。手紙の感じだと、ミシェルさんも自由に使っているようだし」


 魔法使いギルドとは無関係になったのだから、転移の権限もなくなっているはずなのに、ミシェルは堂々と暗躍し楽しんでいるようだ。アレ・テタルのギルド長職で抑圧されていたものが一気に爆発したのだろうか。


「あの人も謎が多いよな。何考えてるのかわからねぇところなんか、細目野郎とよく似てるぜ」


 コウメイの言葉にアキラも深く頷いた。いざというときに頼りになる師匠ではあるが、実際に頼るとなると思い切りと覚悟が必要だ。そういう意味ではリンウッドは気安いのだが、頼れる分野が異なっている。


「これらの引き渡しも油断は出来ない。気を引き締めていくぞ」


 レオナードに押しつけられたとはいえ、ミシェル自身の欲もあってアキラに押しつけられた回収仕事だ。一体どのような思惑があってかと警戒もしたくなる。

 後片付けを終わらせた三人は、明るい日差しの下で再びギルドの扉の前に立った。


「……全貌が見えていても手を出しにくい魔術鍵だな」

「そんなに厄介か?」


 オルステインの宝物庫は簡単だったじゃないかと不思議そうなコウメイに、壊れかけの魔術鍵と、最高峰の魔術師が細部までこだわった防犯魔術では難易度が違う、とアキラは苦笑いだ。


「昨夜これを強引に破ってギルドの中に入っていたら、束縛されていたようだぞ」


 床から壁、天井に至るまで、ありとあらゆる場所に、扉の魔術鍵に連動した侵入者の足を止める罠が仕掛けられている。


「けれど、内側から無効化するのは簡単なのよ」


 アキラの声に応えるように開いた扉の内には、腹黒さを感じさせない穏やかな表情のミシェルが立っていた。


「おはようございます、早いですね」

「おはよう。楽しみにしていたエルフの魔術書ですもの、早く読みたくて我慢できなかったのよ。さあ入ってちょうだい」


 珍しいくらいに朗らかな彼女の表情に、アキラはやや警戒ぎみに室内に踏み込んだ。

 昨夜泊まった平屋とは違い、ギルドの内部は埃一つない状態が保たれていた。定期的に清掃される魔術があるのかもしれない。コウメイに茶の用意を頼んだミシェルは、他人のギルド長室にアキラを招き入れた。座面を布張りした椅子に座り、素朴なテーブルを挟んで向かい合う。チラリと視線を流したアキラの合図を受け、シュウが扉側に立ち逃走路を確保する。その警戒を見て彼女は苦笑をこぼした。


「そんなにわたくしを警戒する必要はないわよ」

「すみません、オルステイン(敵陣)での癖が抜けないようです」

「聞こえているわよ、ずいぶん派手に楽しんだらしいわね」

「数日前のことですのに、もう耳に入っているのですか?」

「ギナエルマにいる知人から、大変な騒ぎだったと聞いたの。楽しかったでしょう?」

「……惨滅の女神の気持ちを少しだけ理解できたように思います」

「……それは良い経験でしたわね」


 ピクリとミシェルの頬が引きつったが、ほほ笑みは維持された。ピリピリと放電する魔力と、冷え凍る魔力がぶつかり合う中間地点に、遮るように茶器が置かれた。香り茶のたてる湯気を見て、両者の魔力が静かに引っ込んだ。


「仕事の結果報告で睨み合うんじゃねぇよ」

「睨んでいるつもりはないぞ」

「ええ、わたくしも楽しく報告を聞くつもりでしてよ」


「どこがだよ」とコウメイは息をつき、シュウも「そっくりな師弟」とぼそりと呟く。確かに二人とも笑顔ではあったが、気配も目つきも臨戦態勢だ。


「騒ぎを聞いてるって言うけど、どんなふうに伝わってるんだ?」


 自分たちの去った後、オルステイン王都がどうなっているのか気になっていたコウメイは、アキラの後ろに立ってミシェルに問う。


「王城が襲撃され、城の一部が大きな損害を受けた。国王暗殺を企てた襲撃は騎士団と魔術師団によって阻止された。けれど犯人は王城の付属施設に火を放ち、そのドサクサに王都を逃げ延びており、国家反逆罪で手配されたそうよ」


 魔術剣士のミキと魔道具修理師ハギモリの手配書が、各ギルドを通じて国内外に出回っているらしい。


「国王暗殺未遂犯にされたのか」

「シュウは手配されてねぇのかよ?」

「俺、ちゃんと除隊届出してきたしー」

「このタイミングなら疑われても不思議じゃないんだが」

「そこは俺の人徳でしょー」

「ぬかせ」

「写しがあるわよ、ご覧になる?」


 含み笑いとともに彼女が取り出した手配書には、コウメイとアキラの偽名と説明だけでなく、簡素だが特徴を掴んだ似顔絵が描かれていた。


「……似てねぇな」

「そーか? コウメイの柄の悪いとことか、アキラのすんげー怒ってるときの目つきとか、そっくりじゃねーか」


 興味津々にのぞき込んだシュウは、よく描けていると感心している。


「この短期間で似顔絵入りの手配書が出回っているなんて、こういうところは抜かりがないんだな」

「それにしてもよく手に入れたよな?」

「ギナエルマの知人が送ってくれたの。それとこちらの手配書も面白いわよ」


 追加で示された手配書の書式は、冒険者ギルドで見慣れたものだった。


「鉄の軍馬と、首の落ちた甲冑騎士?」

「王城の宝物庫から盗み出された魔武具だそうよ。発見者には情報料が、回収して持ち込んだ者には報奨金が支払われるのですって」


 国境を越えさせるな、いざとなれば破壊してもかまわない、と但し書きがある。壊れていると思っていた魔武具が動いたのだ、何としても回収し自国の戦力にしたいだろうし、他国に奪われ戦力にされても都合が悪いのだろう。ヘル・ヘルタントに知られれば返却交渉が面倒になるのは間違いない。


「これもアキラがやったのでしょう?」

「陽動に利用しただけです。まだ魔力が切れていないのかな?」

「どれだけ注ぎ込んだのやら……まあそのうちどこかで動きを止めるでしょうね」


 また動かぬガラクタに戻るのか、オルステインが技術を得て実用化させるのかは今後の動向を見守る必要があるだろうと、ミシェルは複雑そうに息を吐く。


「そういえば、ギナエルマには魔術師ギルドがあるそうですよ」


 ピクリとミシェルの眉が跳ねた。


「国王直属の攻撃魔術師集団のようでした」

「ヒッターの魔術師団ではなく?」

「あっちは目くらましだぜ」


 他国に自国の戦力をどう見積もらせるかは、統治者の考え方によるだろう。オルステインは油断を誘うために、実力のある魔術師を隠していたようだ。


「そう……役に立ちそうな情報ね、ありがとう」


 表舞台から身を引いている彼女だが、アキラの知らぬところではまだまだ現役で暗躍し続けているようだ。願わくばその悪巧みに巻き込まれませんようにと心中で祈りながら、アキラは茶器を置いてミシェルに向き直った。


「今ここで魔術書を引き渡せば、依頼は完了ですね?」

「そうね、こんなに早く揃うとは思っていなかったわ。昨夜知らせをもらってエルフ族に連絡したら、本人が直接乗り込んできそうで大変だったのよ」

「本人……まさかヘルミーネさんが?」

「そうなの。駆け落ちしたときと同じ勢いで飛び出そうとしたらしくて、レオナードが魔力に任せて引き止めたそうよ」


 次期長老候補の魔力に抗えるエルフはそれほど多くはいない。出戻った姉を押さえたレオナードから、早急に回収してこいとミシェルに指示が来たそうだ。どうやらのんびり陸路で持ち帰っていたら、エルフに押しかけられるところだったらしい。


「ヘルミーネさんの忘れ物の魔術書、七冊です。確認してください」


 赤錆色の本を七冊、番号順に並べて差し出した。そろえて置くと放出される魔力が増幅するようだ。虹魔石とは異なる奇妙な不快感が、アキラの感覚を刺激する。込められた魔力からもその内容への期待が高まった。


「それとこの指輪もお返ししておきます」

「それは快気祝いに差し上げたものよ」

「強力な探知の魔道具なんて、仕事が終われば不要、当然返却いたします」

「そう、残念だわ……」


 本気で残念がるミシェルを見て、やはり返却して正解だったとアキラは笑みを引きつらせた。探知するだけでなく、探知される目印になる可能性は、どうやら考えすぎではなかったようだ。


「ところで、その魔術書の文字は古代魔術言語ではないようですが、ミシェルさんは読めるのですか?」

「ほんの少しだけならね。アレックスとの付き合いも長くなって、嫌でもエルフ言語を学ぶ必要性があったから……」


 そんな愚痴をぼやきながら彼女は一冊を手に取った。ぱらりと無造作にめくったページに目を通したミシェルの表情が驚きで固まる。目を見開いたまま、一頁、また一頁と、文字を読めているのかと疑いたくなるような早さでめくった彼女は、突然に本を閉じ他の本へと手を伸ばした。何かを確かめるかのように全ての本をめくったミシェルは、最後の一冊を閉じると目頭を押さえた。


「何か、問題がありましたか?」

「……わたくし、勘違いしていたようだわ」

「勘違い?」


 恥ずかしそうにかすかに頬を染めて、ミシェルは手早く本をまとめた。明らかに内容を知られたくない様子だ。


「待ってください、いったい何の魔術書なんですか、それくらいは教えてくれてもいいでしょう?」

「おい、待てよ。俺ら指名手配されてまでソレを持ち帰ったんだぜ。気になるじゃねぇか」

「そーだそーだ。よくわかんねーけど、独り占めはずりーぞ」


 米探しを後回しにしてまで引き受けたのは、エルフの魔術書を読めるという知的好奇心と探究心があったからだ。それは仲介したミシェルも同じだったはず。それを自分だけ納得して取り上げるのは納得できないと、アキラは憤慨した。コウメイはアキラの擁護、シュウはノリで魔術書の内容を開示しろと要求する。

 どうしたものかとミシェルの視線が宙を泳ぎ、やがて覚悟を決めたのかゆっくりとアキラを見つめて言った。


「魔術書じゃないのよ、これ」

「何を言ってるんです?」

「ミシェルさんにしちゃ誤魔化し方が下手だな。俺にもわかるくらい強力な魔力を放出してるんだぜ」


 オルステインの魔術師団長や王族が、結界に使えると勘違いするほど強い魔力を放つ本が魔術書でなくて何だというのだ。積み重ねられた魔術書を押さえてコウメイが凄んでみせると、ミシェルは目に見えて狼狽し視線を逸らした。


「ミシェルさん?」

「アキラの気持ちはわかるわ。期待していたでしょうから……それはわたくしも同じなの。でもこれは……教えてしまうと、わたくしの身が危険に晒されかねないのだけれど」


 ミシェルの動揺は演技ではない、本物だった。ちらり、ちらりと上目遣いにアキラを見て、心を決めたようだ。


「でも教えろと主張したのはあなたたちですものね。二人、いいえ四人が知れば、危険が分散する可能性は高くなるもの。実はこの本は」

「ちょっと待て」


 一瞬で旗色が悪くなったと判断したコウメイがミシェルの言葉を制止する。


「やっぱり喋るな、聞きたくねぇ」

「私たちに何を押しつけようとしているのです?」

「あら、知りたいと強引に迫ったのはあなたたちでしょう」


 先ほどまでの脅えたような狼狽した表情が、言質はとったとばかりの得意げなものに一変していた。


「これはね」

「言うなつってんのに!」

「ヘルミーネさんの惚気日記よ」

「……日記?」

「ノロケ?」

「ええ。旦那様がいかに素晴らしく愛らしいかを書き綴った手記よ」


 エルフの森を出奔し、人族の男の元に押しかけて夫婦として暮らしたヘルミーネは、夫が魔物を討伐するその勇姿がどれほど素晴らしいか自慢し、また別の日には見とれて後れを取った自分を庇う行動に惚れ直したとのろけ、夫の身体に残る傷跡は見ていて痛々しいだけでなく、美しさに胸が高鳴るといった性癖の雄叫びが書き連ねられているらしい。


「たすかったわ、ヘルミオーネさんの日記を盗み見してしまった罪を、わたくし一人で背負わなくてもよくなったもの」


 ミシェルは晴れ晴れとした表情でヘルミーネの日記をパラパラとめくる。どの日記のどのページを開いても、すべて夫の自慢と惚気しか書かれていないそうだ。ミシェルの策にはまった己の迂闊さを嘆いても遅かった。音読する彼女の声など聞きたくないと三人は両手で耳を塞いだ。


「リア充のノロケなんか、聞きたくねー」

「……ひでぇ」

「私たちを引きずり込みましたね」


 息子(エルネスティ)が必死に取り戻そうとした理由が、今さらながらよくわかった。夫との思い出を書き記した日記を売ったとバレれば、確かに袋だたきになっても不思議ではない。それは内容を知らされたアキラたちも同じだ。


「教えろと迫ったのはあなたたちよ」


 念を押すように繰り返すミシェルは、威圧までして脅し求めた結果なのだから甘んじて受け入れろと朗らかに笑っている。


「いいこと、お互いのためにも、中身を読んでしまったことは黙っておくわよ」

「読んだのはミシェルさんだろー」

「俺には白紙にしか見えねぇんだ」

「私はエルフ言語は読めませんから」

「あなたエルフでしょう、そのような言い訳が通用すると思っているのかしら?」

「……」


 強引に共犯者に仕立て上げられたアキラは、悔しげに唇を噛んだ。エルネスティに内容を確認しておくのだったと今さら後悔しても遅い。


「それじゃ、わたくしは島に戻るわ」


 のんびりしていて盗み読みを疑われたくはないのだろう。待ち構えているレオナードに渡して早々に縁を切りたいと、彼女は七冊を布で包んで抱え持った。

 マーゲイトの転移室はトレ・マテルと同程度に質素で無骨な作りだ。転移魔術陣は床から三段ほど掘り下がった場所に設置されていた。


「アキラたちは表から帰ってね」

「ギルドを封印する魔術鍵はどうするのですか?」


 あれは自分には扱えない、いくらこんな山頂でもさすがに不用心だと心配するアキラに、ミシェルは施錠は簡単だと教えた。


「あなたたちがここを出て玄関の扉が閉まれば、自動的に封印の魔術鍵が発動するわ」

「マーゲイトはどうしてこのようなことに? 何故捨てられたのですか?」

「説明している時間が勿体ないわ。麓のペイトンに分室があるから、知りたければそちらをたずねていくといいわよ」


 魔術陣の中央に立った彼女が杖を掲げる前に、アキラはもう一つの依頼の品を取り出した。


「忘れていますよ」

「あら、こちらも回収できていたのね」


 差し出された二つの瓶を前に、ミシェルは目を見開いた。知人から得たギナエルマでの騒ぎから、ヘルミーネの書の回収で精一杯だろうと思い込んでいたミシェルは、思いのほか弟子(アキラ)が優秀だったことに驚きを隠せない。


「これをどうします?」

「どこに保管されていたの?」

「一つはトレ・マテルの塔、もう一つは国王と思われる人物の私室です」


 書棚の下に作られた隠し場所で発見し、錬金薬の瓶とすり替えてきたとアキラが報告すると、ミシェルは愉快そうに声をあげた。


「これであの国王の武器が一つ失われたわ。いい気味ね」


 ありがとう、と礼を言って受け取ろうとする彼女の手を避けたアキラは、静かにミシェルを見据えた。


「この毒は大陸に存在してはいけない、そうですよね、ミシェルさん?」

「ええ、そうよ」

「ではここで処分してしまいましょう」


 瓶の蓋を開ける。


「アキラ?」

「――浄炎」


 呪文と同時に毒瓶を持つアキラの手が白い炎に包まれた。


「あなた……どういうつもりなの?」

「どうして驚いているのですか? ミシェルさんの代わりに処分して差し上げているのですよ?」


 目を細めた彼女は、浄炎に燃やされ力を失ってゆく猛毒を睨むように見据えていた。


「なー、アキラ、その火って熱くねーの?」

「浄化する炎だからな、熱はそれほど感じない」


 熱よりも辛いのは魔力の消費だ。さすがは竜血、生半可な魔力量では存在を消せはしない。だが自分なら可能だと、アキラはミシェルを挑発するように魔力回復薬を飲んだ。そんな彼をコウメイは顔をしかめて見守っている。


「……やられたわね」


 ミシェルの顔から表情が抜け落ちていた。声も平坦で感情が乗っていない。


「先ほどのお返しですよ。これでこの大陸から竜血の毒は失われました。誰に使うつもりだったかは知りませんが、毒殺は諦めてくださいね」

「わたくし、そんなにあからさまだったかしら?」

「いいえ。ただ、正義感が動機なのは、ミシェルさんらしくないと思いました」


 挑発するようなアキラの声に、彼女の眉が大きく跳ね、表情が感情を取り戻した。ゆるりと唇が弧を描き、挑むような笑みに変わる。


「まったく、可愛くない弟子だわ」

「光栄です」


 互いに最高の笑顔で見つめ合っているといのうに、転移室の温度が凍りそうなほど冷え、パチパチと雷花が美しく散る。

 冷気も落雷もものともせず白い浄化の炎は燃え続けていた。


「早く帰らなくてよろしいのですか?」

「……覚えていなさいね」


 腹立ちをぶつけるように杖を魔術陣に叩きつけて、ミシェルの姿が消えた。


   +++


 竜血の毒を糧に燃え続ける白炎はまるで陽炎のようだ。

 ミシェルの去った転移室は闇と静寂に満ちていた。


「なー、それいつまで燃えるんだ?」

「燃やし尽くすまで、だな」

「何本錬金薬を飲むつもりだよ?」


 シュウが呆れ顔で問い、コウメイは仏頂面で二本目の錬金薬に手を伸ばすアキラを見ている。

 竜の血の抵抗力は予想外に強かったようだと、アキラは気まずそうに視線を逸らした。


「あと一本、かな?」

「痛みがねぇんなら、見逃すけどな……自分の手で処分したかった気持ちはわかるし」


 竜血の毒がうまれたきっかけは自分たちだ。意図したことではなかったとはいえ、親しい人を苦しめ、命を奪う結果に繋がったことを、ずっと後悔してきた。ミシェルの依頼がなくても、機会があれば奪還していただろう。


「それよりも、ミシェルさんが毒殺してーのって誰だよ?」

「知らん」


 報復は一応終わったことになっているが、彼女の感情がそれを納得していないのかもしれない。あるいは他の誰か、殺したいほどに憎む存在がいるのかもしれない。


「考えるなよ、シュウ。痴話喧嘩に巻き込まれるだけだぜ」

「痴話喧嘩で毒殺考えるのかよー、殺伐としすぎだろー」

「コウメイ、決めつけるのは良くないぞ」


 弟子だ、師匠だ、と付き合いは長く密接だが、アキラはミシェルのプライベートをほとんど知らないのだ。細目との奇妙な関係も、自分たちが知っているのは表面だけかもしれないのだから、勝手に決めつけては後々失敗しかねない。


「他にいると思えねぇんだけど」

「俺もそー思う。でもあいつ竜血の毒くらいで死んでくれそーにねーし」

「どんな毒なら効くんだろうな?」


 もしかして竜血の毒なら息の根を止められるから、彼女は手に入れたかったのだろうか。


「浄化するのは失敗だったか……?」


 半ば本気でそんなことを考えながら、アキラは白い炎が消えるまで魔力を注ぎ続けた。


   +++


 どうせ転移室にいるのだから、ここから深魔の森に帰れるのでは、とアキラは転移を試したがったが、コウメイに強く止められた。


「急いで帰る必要はねぇだろ。のんびりしようぜ」

「米探し、するんじゃなかったのか?」

「それだけどよ、うるせぇ連中が押しかけて来るかもしれねぇし、深魔の森に戻らずにそのまま米探しに向かわねぇか?」

「確かに。旅支度ならどこででも整えられるし、戻って厄介なのにつかまりたくないな」


 今回の成功報酬は受け取っていないが、面倒を考えたら受け取らないほうが良いような気がしてくる。報酬を理由に接触され、また余計な面倒事を押しつけられてはかなわない。


「アキラは杖とか取りに戻らなくていーのかよ?」

「なくても問題ないのは知っているだろう?」


 オルステインでの潜伏中も、杖がなくてもそれなりに魔法を使いこなしていたのだ。どうしても必要になればその場で作れば済むことだとアキラは断言した。


「陸路と海路、どっちにする?」


 地図を広げたコウメイが、二つのルートを示した。

 一つ目は大陸中央の街道を進み、ナモルタタルやアレ・テタルを経由して王都から西に国境を越えヘル・ヘルタントに入る。もう一つはサンステン王都を経由し、最寄りの港町から大陸周回船に乗りヘル・ヘルタントに向かう。


「久しぶりにナモルタタルに寄り道してーけど、王都経由は嫌だなー」

「同感だ。西回りの航路ならクラーケンもいないし、のんびり船旅を楽しめるんじゃないか?」

「じゃあ海路だな。手持ちの現金が少ねぇし、いろいろ買い集めなきゃならねぇ物も多い、サンステン王都までは稼ぎながら移動するぜ」


 応接室の茶器を片付け、痕跡を消して玄関を出た。

 アキラが扉を閉めると、自動的に封印の魔術が発動する。

 太陽は彼らの真上で煌々と輝いていた。


「もう昼過ぎかよ。のんびりしてると明るいうちに下山できねぇぞ」

「こんな険しい山道で野宿はしたくないな」

「なら急ごーぜ」


 三人は急斜面を転がるような勢いで下山したのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] ミシェルは本当に謎ですね 味方寄りだけど信頼しちゃいかん老獪さがある
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