大逃走
「な、何だ!?」
空に上がった巨大な炎の玉に驚き、エルネスティの足がもつれた。騎士や奴隷ら、そして魔術師らも呆然と空を見あげている。
「で、でかい……」
「そんな……馬鹿なっ」
「誰があんな、あんな巨大な炎の玉を?!」
愕然とするヒッターの顔から血の気が失せている。何が起きても飄々としていた彼が、うろたえ、怯み、足を震わせていた。
頭上高くで燃えていた炎の玉が、どんどん膨れ大きくなっているように見えた。
「お……落ちてくるぞ!」
「待避、待避だ――!!」
号令の前に騎士や魔術師らは我先にと逃げ出した。命令によってようやく腕輪付きの奴隷らも逃げられるようになり、蜘蛛の子を散らすように走り出す。
その場に残ったのはシュウとエルネスティ、そして動きを止めた甲冑騎士と鉄の軍馬だけだ。
「おい、狼。逃げないのか?」
「だいじょーぶだって」
炎の玉は風に流されたのか、それとも最初からそこを狙っていたのか、彼らではなく脇に見えている王宮騎士団の詰め所に落下した。
四階建ての石造りの建物半分が炎で溶けた。訓練場や倉庫、奴隷収容施設にも炎が移る。この前の公爵邸の火災のように、王城の庭先は昼間のように明るくなった。
「消火を急げ! 王城に火を移してはならんぞ!!」
国政の場であり、王の居住でもある王城は、少し強い風が吹けば火の粉が飛び移るほど近くにある。王宮・王国の両騎士団も、魔術師団の面々も、襲撃者を放り出して消火に専念した。異例ではあるが城門が開けられ、応援に駆けつけた街兵も消火にあたっている。
シュウやエルネスティ、甲冑騎士と鉄の軍馬にかまう者はいなくなった。
「お、きたきた」
消火活動に邪魔にならぬように距離をあけ、炎の灯りが届かない影で仲間が脱出するのを待っていたシュウは、城から出てきた二人を見つけて手を振った。火災の様子をうかがってから合流したコウメイとアキラは、シュウの隣に立つ見知らぬ存在を警戒する。
「回収できたか?」
「一冊を残してな。ところで、そちらは?」
「あー、こいつな。公爵邸襲撃犯のエルなんとかってやつ」
「エルネスティだ」
敵対していたはずの相手と、いつの間に名乗りあうほど親しくなったのだろう。眉をひそめるアキラは、素早くエルネスティの全身を探り見る。赤錆色の髪に見え隠れする耳には、自分と同じデザインのピアス。全身にまとわりつく魔力は、彼の両手付近が最も濃く強固だ。そして胸元の不自然な膨らみの形は四角い。
「なるほど、俺たちよりも先に魔術書を盗み出したのはあなたでしたか」
「魔術書?」
「一と書かれた本ですよ、あなたの髪色によく似た革表紙の」
「ああ、これ?」
上着の合わせを開いて見せたそこに、赤錆色の本が収められていた。
「ええ、それです。私たちに譲っていただけませんか。もちろん対価は支払いますよ。そうですね、あなたのその両手の治療と引き換えでどうでしょう?」
「これ、この狼にやられたんだけど?」
「最初に襲いかかったのはあなたですよね?」
攻撃されたから反撃しただけだ、その結果に責任はないとアキラは涼しい顔でさらりと流す。悔しそうに眉間に皺を寄せるエルネスティが口を開こうとしたときだ。
「ミキにハギモリ、どうしてここにいるんだ!?」
消火の水と汗でしんなりとしたアフロ頭が、コウメイとアキラを見つけて叫んでいた。
「隷属の魔道具をどうやって外した?!」
コウメイの両腕と、アキラの額を見て、己の優位が失われたと気付いたヒッターは蒼白だ。
「悪ぃな、あれ、もとから効いてなかったんだよ」
「魔術師を縛りたければ、もっと精度の高い魔武具を使用するべきでしたね」
「ま……まさか、ハギモリは、魔術師なのか?」
魔力を感じなかったのに、と続けたヒッターの声が震えている。普通の魔術師ならば、垂れ流す魔力が勿体ないと力コントロール術を習得し、漏れないよう細心の注意を払うくらいはする。
「顔を見られちまったし、のんびりしてる暇はねぇな」
「こちらの様子に気付いた騎士もいるようだ、さっさと退散しましょうか」
パン、とアキラが手を叩くと、動きを止めていた甲冑騎士と鉄の軍馬が再び暴れはじめる。ヒッターの叫びに気付いて駆けつけた騎士らは、戦人形らによって蹴散らされた。
「逃走経路は?」
「何回も下見してんだ、任せとけ」
シュウの後を追って走り出す二人を、何故か軍馬と甲冑も追いかけた。
「どこに行くんだよ、アマイモ三号ーっ」
呼び止めても振り返りもしない愛馬を取り戻そうと、エルネスティがしがみついている。
「アマイモ?」
「あの鉄の馬の名前らしーぜ」
「あいつも芋好きなのか」
「飼い主……」
「それより、どーすんだよ、あれ」
シュウに促されて振り返ったアキラは、頭痛を堪えるように目を閉じた。追っ手を引き受けて暴れてくれれば良いのに、何故か甲冑と軍馬は自分たちを追いかけてくる。慌てて命令を上書きし起動させたせいで、微妙に誤作動が生じているようだ。
「逃げるのに邪魔だ。壊すか?」
「いや、そんな余裕はないだろう。とにかく王都を脱出してから考えよう」
アキラは甲冑と軍馬が追ってこられない逃走経路を案内しろとシュウに命じた。
それなら屋根の上一択だと、シュウが二人の先を走る。
消火活動にかり出されて手薄になった見張りの目を盗み、彼らは商人街の石造りの建物をのぼって屋根に上がった。立派な作りをした家屋の屋根は頑丈で、多少乱暴に走ったくらいでは壊れそうにない。
アキラの運動能力に配慮した平らな屋根を走り、幅の狭い路地を飛び越え、身を隠せる煙突や出窓の影で小休憩を挟みながら、三人は王城の火が鎮火する前に都市壁にたどりついた。
さすがに都市壁の警備は厳重だ。等間隔に設置された見張り台の兵士は、遠くに見える王城の火災だけでなく、便乗した騒ぎや犯罪が起きてはいないかと目を凝らしていた。
「強行突破するか?」
「いや、連中が注意を引きつけてくれそうだぞ」
屋根を伝って移動する三人を追いかけ、甲冑と軍馬はかなり無茶な移動をしてきたようだ。道路ではない場所に踏み込んだり、障害物を破壊して進んできたらしい魔武具らは、街兵の一団と野次馬を引き連れていた。見張り台の兵士らは、謎の存在を高みから確認しつつ指示を出すのに忙しく、近くの屋根に曲者が潜んでいると気付いていない。
「あとはこの壁一枚だぜ」
防犯上、都市壁に隣接して建物は建てられない決まりだ。三人が潜んでいる屋根の際から壁まで、軽く三百マール(30メートル)はあるだろう。シュウはロープの端をコウメイに持たせ、軽やかに都市壁に飛び移った。
壁との間にピンと張られたロープをつたい、コウメイがするすると壁へ移動する。縄を掴んでそろりと下を見たアキラは、一本の縄とその下に待ち受ける石畳を眺めて息をのむ。しっかりと固定されたロープに不安はない。不安があるとすれば自分の筋力だ。
「……座布団を持ってくれば良かったな」
疑われそうな荷物を一切持ってこなかったことを少しだけ後悔していると、痺れを切らしたシュウが屋根に戻ってきてロープをほどいた。
「アキラが覚悟決めるの待ってる暇ねーんだよ」
「え、あ、ちょっと待て」
「うるせー。跳ぶぜ」
問答無用でアキラを担ぎ上げたシュウは、助走なしに三百マールと壁を飛び越え、王都の外に着地した。
「ぐふっ」
「あ、悪い」
着地の衝撃で激しく揺すられたアキラが、首の後ろを押さえてうめく。シュウを恨めしげに睨みながら、むち打ちになりかけた首に治癒の魔術をかけた。壁を滑り降りたコウメイがロープを回収する。ひとまず王都脱出は成功だ。
「どっかで仮眠とりてーな」
「南にある森まで休憩は無理だぞ」
「駿馬人形と甲冑の後始末、どうする気だ?」
「放っておいて問題ない。魔力が切れれば止まる」
「魔力(電池)切れまで止まらねーのかよ」
「……住人に被害がなけりゃいいんだがなぁ」
タップリと魔力を注いだ現場に立ち会っているコウメイは、一晩で魔力が切れてくれますように、と心の中で祈った。
+++
隠してあった荷物を回収した後、狼とその背に乗った二人はそこから南下して森に入り、木々をものともせず駆けた。足が止まったのは空が明るくなる直前だ。夜通しの逃走で疲れ切った彼らは、結界魔石を信じて安全確保を任せ、草むらに転がってそのまま眠りに落ちた。
目が覚めたのは昼下がり、シュウの腹の虫が騒いだからだ。森の出口に近かったため、そのまま抜けて川縁に落ち着く。
「腹減った、もー無理、飯っ!!」
昼間の街兵仕事、休む間もなく城の襲撃からの大脱走だ。しかも獣化は消耗が激しい。シュウが空腹と疲労を声高に主張するのも当然だった。
「食材がねぇな。何か狩ってくるか」
「魚でいいだろう?」
「何でもいいよ、もー腹減りすぎて動けねー」
森に戻って獣と格闘するよりも、目の前の水面で跳ねる川魚を獲ったほうが早いが、竿も網もない。素手で魚獲りかと顔をしかめるコウメイをなだめるように、アキラが水面に向かって雷を落とした。
ぷかり、ぷかりと浮き上がってきた川魚を、流れに奪われてしまう前に回収せねばと、コウメイが川に飛び込んだ。間に合わずに数匹が流されてしまったが、十数匹も獲れたのだ、シュウの小腹は満足させられるだろう。
手早く内臓を取り除いて洗い、ブーツに忍ばせていた串に刺して火にくべる。香辛料は目潰しに使ったので塩だけの味付けだ。
「一冊だけ回収し損ねたが、大丈夫なのか?」
小骨をペッと吐き出してコウメイがたずねた。
「ミシェルさんはともかく、レオナードは融通きかねぇだろ。不足している一冊を回収して来いつってうるせぇに決まってる」
「回収の当てはあるから心配するな。確かエルネスティだったか?」
もし回収を失敗しても、持ち去ったのはエルフなのだ、そちらでどうにかしろと言ってやるつもりだ。
「あー、あの赤錆色の、そんな名前だったなー」
「エルフ族の人口はそれほど多くはない。名前を出せばすぐにわかるはずだ」
七冊のうち六冊を回収したし、残る一冊の持ち主も判明しているのだ、報酬に見合う十分な働きはしている。
川魚の塩焼きを七本平らげたシュウは、堪えきれない大欠伸とともに寝転がった。
「ちょっと仮眠するから、出発まで起こすなよー」
「寝てる暇なんかねぇと思うけどな」
「あー?」
「来たぞ、エルネスティが」
疲労が残っているのはコウメイとアキラも同じだ。背にしている森を振り返る目が据わっている。カポカポとした蹄の音に反応してシュウが起き上がった直後に、森から赤錆髪を乗せた軍馬が現れた。
「なんて速度で移動してんだよ、あんたら」
コウメイらの手前で馬を下りたエルネスティは、一晩で移動できる距離ではないと呆れていた。
「おい、そっちのエルフ。ハギモリだっけ。約束守れよな」
「では腕の治療と引き換えに本をいただけるのですね?」
「ああ、それとなんでこの本を集めてるのか教えろ」
「こちらもあなたが奴隷になっていた理由を知りたいですね、教えていただけますか?」
エルネスティは焼き魚の残骸を横目で見て、ねだるように目を細める。くるる、と腹に空腹を主張された彼の頬が赤くなった。
「図々しくて悪いけど、飯もわけてもらえないか?」
「魚でいいなら。ちょっと待ってろ」
コウメイが川魚を焼いている間に、アキラはエルネスティの両手に治癒魔術をかけた。左手は手首にひびが入っていただけなのですぐに治せたが、右手の手指の複雑骨折は簡単ではない。曲がっている骨をまっすぐにし、複雑骨折は破片を集めて固定してから、と神経を使う治療だった。
痛みが消え、魔力で固定する必要がなくなると、エルネスティから緊張が消えた。
「おお、凄いなあんた。さすがエルフだ」
「……あなたもエルフでしょうに」
アキラの苦笑いに気付かないのか、彼は満面の笑顔で両手の動きを確かめている。元通りだと喜んだエルネスティは、赤錆色の革装丁の本をアキラに差し出した。
「治療の対価だ」
「確かに」
一の記述を確認して受け取ったそれをシュウに渡した。奪い返すには再び両手を砕かれる覚悟が必要だとわかれば、実行を躊躇うだろうと計算したアキラだ。その思惑は外れていなかったようで、シュウが腰鞄に本をしまうのを見たエルネスティは、諦めの息をついた。
差し出された焼き魚を食べ、とりあえずの空腹を誤魔化せたのだろう、エルネスティは未練がましそうにシュウの腰鞄を見てたずねた。
「あんたらさ、なんでそれ集めてるんだ?」
「断れない筋から頼まれたんですよ。私も聞きたかったのですが、あなたは何故奴隷に?」
「その本を取り戻しに行ったら、王様に見つかって腕輪はめられた」
それからは王個人の奴隷としてこき使われていたらしい。
「……寸前で魔術陣を壊すくらいできなかったのですか?」
「俺、そういうのできないんだよ」
「エルフなのに?」
眉間に皺を寄せたアキラの視線を避けるように、エルネスティはお代わりを寄こせと手を伸ばす。ずっと無言で考え込んでいたコウメイが、串を手渡しながらぼそりと呟いた。
「なんか……エルフらしくねぇんだよな、あんた」
「コウメイもそう思うか?」
何でだろう、と首を捻るコウメイに、同意するようにアキラも小さく頷く。違和感を見過ごせないが、それが何なのかがはっきりしないのは気持ちの良いものではない。首を傾げていた三人のうち最初に気付いたのはシュウだった。
「あ、そーだよ。関西弁じゃねーんだ、コイツ」
違和感の正体はそのしゃべりだと、とシュウが赤錆髪を指さした。
「なるほど……確かに」
「俺らの知ってるエルフの訛りが、あんたには全くねぇんだ」
コウメイらの知るエルフ族は関西弁だ。アレックスだけではない、レオナードも長老もみなが関西弁なのに、エルネスティだけが標準語……人族の言語発音なのだ。
「本当にエルフ族か?」
「それを言うなら、そっちだって訛ってないだろ」
「私は少々特異な生まれなので……」
「……俺もだよ」
生粋のエルフではないとぼんやり誤魔化すと、エルネスティも苦々しそうに吐き捨てる。もしや自分たちと同じ転移事故のエルフなのだろうか。素早く二人とアイコンタクトで示し合わせたアキラは、慎重に耳飾りを外した。
染め粉で黒く変えていた髪が銀色に変わり、長く特徴的な耳があらわれる。彼の変化を見て目を丸くしたエルネスティは、自身もと耳飾りに触れた。彼の耳の形も本来の長さに戻るが、肌や髪や瞳の色に変化は見られない。
これだけでは転移エルフかどうかの判断は難しかった。転移唯一の特典である言語理解があるせいで、日本人でない可能性もあるのだ。赤錆色の髪と金色の瞳は、転移前の世界にも存在する。
「お父様とお母様の出身を教えてもらえますか?」
「親父はマナルカト国、お袋は悠縁の森だ」
「悠縁って、エルフ族の領域の森ですか?」
「そうだ。ハギモリもか?」
「いいえ、私はエルフの森の生まれではありませんので……あなた、エルフと人族のハーフなんですね」
「見えないだろ?」
獣人族と人族の混血児は必ずどちらかに偏って生まれるというが、それはエルフ族と人族も同じだった。
「なぁアキ、俺らつい最近、人族の夫と死に別れたエルフ嫁の話、聞かなかったか?」
「聞いた……な」
まじまじとしたコウメイとアキラの視線は、エルネスティから叔父であるレオナードの面影を探す。整っているがいつも渋面で、眉間の皺が消えない濃紺のエルフと、感情が豊かで、美形ではあるがエルフ族にしては凡庸な印象のエルネスティ。造形も色彩も共通点は見あたらない。
「ご両親のお名前をお聞きしても?」
「クラークとヘルミーネだよ。おまえら、お袋を知ってるのか?」
コウメイは驚きすぎて口を閉じるのを忘れた。アキラは目を見開いたまま笑みを引きつらせる。シュウだけが「聞き覚えがあるような」と不思議そうに首を傾げて。
「あ、そーか。ヘルミーネって、その本の持ち主だ」
やっと繋がったシュウの発言に、気の抜けたコウメイとアキラは、深々と息を吐いていた。




