10 陰謀のスプレマシー
「ご出身はどちらですか?」
「難しい本を読まれているんですね」
「その眼は……不自由されていませんか?」
「試合には出ないのですか?」
「コウメイさんはとても強くて素敵です」
朝の日向ぼっこ兼読書タイムと、昼過ぎからの戦闘訓練。コウメイの日課に合わせるように、少女は毎日毎回、護衛を連れてやってくるようになった。訓練の終わった今も、愛くるしい笑顔で駆け寄り、楽しそうにまとわりついている。
「あらあら、コウメイったら私にはツレなかったのに、フラン様にはお優しいなんて。そういう趣味だったのね」
護衛として同行しているはずのブリアナが、ニマニマと人の悪い笑みでコウメイをからかう風景も、乗船客にとって見慣れた日常になりつつあった。
「コウメイに幼女趣味があるとは思わなかったなー」
「……シュウ、かわいそうだから本人には言ってやるなよ」
「あー、遅かったわー。初日にがっつり肘鉄食らった」
反撃されるとわかっていても、コウメイを茶化す機会なんて滅多にないのだからと、シュウは毎日楽しそうにからかうネタを探している。付き合いきれないと肩をすくめたアキラは、少女を取り巻く人々を静かに観察していた。
「怪しーの、見つかった?」
「いや、いないな」
この四日間、コウメイは決まった時間に決まった場所で毎日同じ行動を続けていた。少女がコウメイに合わせて行動することで、あえて狙われやすいように企んでみたのだが、物騒な気配を発する存在が現れることはなかった。
「禿マッチョのやろーの考えすぎだったんじゃねーか?」
「そうだな」
むしろ攻撃的な気配を積極的に発しているのは、黒髪の護衛と女性乗客らだった。
以前から船旅の遊び相手にコウメイを篭絡しようと躍起になっていた女性客は、後から乗船した少女に出し抜かれた悔しさを隠していない。攻撃的な視線を向けて牽制しようとしたが、少女にはそれを遮る護衛がいる。彼女たちの怨念は残念ながらフランには届いていなかった。
そして背中に引き受けて守る黒髪の護衛は、女性たちにも劣らないほどの攻撃的な不快感をコウメイに向けている。護衛の敵意に気づいているだろうに、平然として少女の相手を続けるコウメイの神経は相当に図太い。
アキラは賑やかな一団から目を逸らし、背を預けていた舷縁からゆっくりと離れた。
「そろそろ客室に戻るが、シュウはどうする?」
「俺はもうちょっと見物してく」
取り繕った笑顔で誤魔化しつつ少女の相手をするコウメイを見るのはなかなか面白いのだ。アキラと違って相手を無下にできないところは、高校時代の浩明を見ているようだ。コウメイと少女の交流は、シュウの娯楽となり果てているようだった。
+++
「私も皆のように訓練に参加できないでしょうか」
木刀で激しく打ち合う冒険者たちに羨望の視線を向けたまま、少女は傍らの護衛にたずねた。黒髪の護衛の眉が不愉快だとでもいうようにピクリと跳ねる。
「フラン様には必要ございません」
「そうでしょうか?」
「何のために我々がお側についているとお考えですか」
護衛を信頼していないのかという怒りを感じとりフランは「頼りにしています」と短く返した。二人の役割は理解しているし、その強さも信頼している。だがもしも大勢の敵に襲われたら、二人では抵抗しきれないのではないか。その時に自分が足手まといになるのではないかと思うと、何かをせずにはいられないのだとフランは訴えた。
「フラン様の気持ちはわかるわ。でも、付け焼き刃では余計に危険が増すだけよ?」
「そうなのですか?」
「ええ、敵は戦える者を徹底して潰しにくるでしょう。私だったらそうします。フラン様が反撃手段を持っていると知れば、それを見逃しませんわ。生き延びたいのでしたら、力を持たないという選択も悪くはないのですよ」
「……けれど」
少女は外套の下で強く拳を握りしめていた。
「そんなに思いつめなくても大丈夫ですよ。この船にはフラン様を害そうとする者はいません。下船まで船旅を楽しんでいればよいのです」
ブリアナは派手に動くコウメイたちを指し示してほほ笑んだ。
「憧れの冒険者の一挙一動を見逃すのはもったいないわよ」
「見たいのはブリアナだろう」
「あら、コンラッドだって彼らには注目しているのでしょ」
「俺は警戒しているだけだ」
ふんっと鼻で笑った黒髪の護衛は、警戒も露わにコウメイらを凝視した。
「コンラッドはコウメイさんを怪しいと思うのですか?」
フランは祖父から海賊船を追い払えたのは、彼らが活躍したからだと聞いていた。味方かどうかはわからないが、敵ではないはず……敵であってほしくない、そう少女は思いたかった。
「今のところ不審な行動はないようです。だが、彼らは我々を滅するだけの力を持った冒険者です。そして冒険者は金で動く」
だから信用できないのだとコンラッドはもう一人の護衛を横目で見やった。
「まったく、失礼ね。冒険者にも色々いるわよ、騎士にだって忠誠心の薄い奴も役立たずもいるじゃない。確かに私は報酬で雇い主を選ぶけど、一度引き受けた仕事はやり遂げてきたの、そこは認めてもらいたいわね」
「認めていますよ。私はブリアナさんを信頼しています。もちろんコンラッドもです」
フランはケンカになりそうな二人の間に入って宥めた。コンラッドは自分の盾になってすべての攻撃を受け止めることを厭わないだろう。それが予想できるからこそ、自分も戦えるようになりたいし、もっと護衛の数を増やして彼の負担を軽減したい。自分の盾になって死ぬ場面を容易に想像できる現状を、フランは容認できなかった。
「相変わらず、鮮やかな身のこなしよね」
障害物を挟んだ状態でコウメイとバーニーが打ち合っていた。樽を使って間合いを取り、壁を蹴って背後に回り込む。振り下ろされた木刀は弾き返されたが、くるりと上体を捻って再び樽の反対側へと逃れて向き合う。派手な動きの打ち合いに見物客らから歓声があがった。
「……凄いです」
彼が護衛についてくれたら、コンラッドたちも楽になるし、自分も嬉しい。木刀を降ろし仲間から放られた手ぬぐいで汗を拭くコウメイの姿を、フランは憧れの目で見つめ続けた。
+++
「今日は何の本を読んでいらっしゃるのですか?」
日当たりのよい甲板にじかに座っているコウメイの隣に、少女は敷き布を広げ腰を下ろした。反対側の隣にはフード姿のアキラが、その向こうにはシュウが壁に背を預けてうたた寝しているのだが、当然少女の眼中に入っていない。
金装飾を施された革表紙の本を膝に置き、フランはコウメイが読んでいる本をのぞき込んだ。
「難しそうですね」
「北国の気候風土と風俗に関する研究書だ」
昨日から読みはじめたのはアキラに借りた本だ。自分たちの向かう土地の気候や生活に関する知識は、百科事典を読んでいるようで面白い。
「フラン様の本は?」
「剣術指南の教本です。私、戦い方を身に着けたいのです」
少女の言葉に護衛二人の気配が乱れた。チラリと視線をあげて見れば、ブリアナは困ったように、コンラッドは険しい顔つきで護衛対象を見つめている。嫌な予感がするなと、コウメイは作り笑いで問うた。
「フラン様は戦う必要はないだろう?」
「……私は、守られるだけでは駄目なのです」
少女は外套の中から小さな短剣を取り出し、本の上に重ねて置いた。
「フラン様、それは?」
ブリアナが驚いているのに対し、コンラッドは平然としている。どうやら二人の護衛の間にも情報の差があるようだ。
「これは私がお父様からいただいたものです」
柄は金と宝石で装飾されており、鞘にも宝石が散りばめられている。フランがそっと抜くと砥がれた刃に太陽の光が反射した。お飾りに見えるが、立派な実用武器だ。
「身を守るためにと渡されました」
この少女は自分が何を言おうとしているのかわかっているのだろうか。コウメイは周囲を警戒するように探った。午後の戦闘訓練ほどの人出はないが、それでも散歩をしたり海を眺める乗客がいる。ブリアナは宝飾短剣に興味津々のようで任務が疎かになっていた。コンラッドは周囲を警戒して立ち位置を変えた。ピリッとした空気にシュウが目を開け、アキラは本から目を離して少女を見る。
コウメイは声を押さえて言った。
「その短剣は守り刀だな」
「まもりがたな?」
「俺の故郷の古い風習に、病や災いから身を守るようにと願いを込めて子供に短刀を贈るというのがあるんだ」
戦国武将の正妻や姫君は最後の自決に使ったというけれど、贈る側の一番の想いは「守りたい」それが一番だ。コウメイの言葉を聞いて少女は感慨に浸るように頷いた。
「お父様もそのようなことを言っていました。この短剣が災いを払ってくれることを祈ろう、と。ですが今の私では自決のためにしか使えません」
短剣を抱きしめるようにして握ったフランはコウメイを見あげ懇願した。
「お願いです、私にこの短剣の使い方を教えてくださいませんか」
チラリとブリアナを見ると、何とか宥めてくれとでもいうような視線が返ってきた。コンラッドは硬く口を閉じ、警戒の目でコウメイを見極めようとしていた。
「無理だ。フラン様の保護者が許可しないだろうし、護衛の意味がなくなる」
「いざという時に足手まといにならないようにしたいのです」
「それなら中途半端に武器に慣れるより、護衛の指示に従った方がいい」
「ですが」と少女は縋るようにコウメイの袖を掴んだ。言葉を続けようとするのを遮って、コウメイはフランの手を押しのけた。
「俺は部外者だ、無責任なことはできねぇよ」
「ではお爺様にお願いします、私の護衛になっていただけませんか?」
そうすれば部外者でなくなると提案する少女に、はっきりと首を振って見せた。
「俺たちは依頼を請けている最中だ。それを放棄する気はねぇよ」
「……貴様、その依頼はどういうものだ」
自分たちに近づいたのは狙いがあっての事かと、コンラッドから露骨なまでの殺気が噴き出た。少女を守るその思いの強さには頭が下がるが、感情に振り回されている様子は危なっかしくて見ていられない。
「守秘義務ってのがあるんだが」
コウメイは肩をすくめた。
「フラン様が何者で、あんたたちが何を警戒してるのかは知らねぇ。俺らは完全に無関係だ、安心しろよ」
できるか、とコンラッドは小さく吐き捨てる。
ゆっくりと立ち上がったコウメイを追うように、少女も敷物から降りた。客室入口へと向かう三人を追いかけようとするフランをブリアナの手が引き止めた。
「コウメイさん、私は……」
「身の安全を優先するなら、ふらふら出歩かずに客室でおとなしくしていろ。それが一番確実だ」
突き放すような冷たい声に、少女は戸惑い悲し気に目を伏せた。
「私はご迷惑をかけていましたか?」
「いや、楽しかったよ。けど護衛がこれだけピリピリしてるんだ、守らせやすいように行動するのも、守られる側の義務だと思うぜ」
コウメイはアキラとシュウを促し、甲板を離れたのだった。
+
その日の午後の甲板にも、少女と二人の護衛は現れた。だが訓練が終わっても、いつものように少女は駆け寄ってこなかった。遠巻きにしている見物客の外側から、もの言いたげに見つめているだけだった。
「保護者に説得されたみてぇだな」
「護衛が必要な意味をやっと理解したようで何よりだ」
「あー、でもかわいそうな感じ?」
憧れに目をキラキラさせていた少女が、泣くのを堪えているかのような悲し気な顔でこちらを見ているのだ。少しばかり良心が痛んだが、少女自身の安全のためにも、自分たちに余計な面倒ごとが降りかかってこないようにするためにも、距離を取る必要があった。
「考えるな。これ以上かかわると抜けきれなくなるぞ」
「分かってるって。でもあれだけ冷たく突き放したんだ、もう近寄ってこねぇだろ」
アキラとシュウは呆れたように視線をかわした。
「……あれで冷てーのかよ」
「コウメイ基準だからな」
「タラシのホンリョーハッキか、流石だぜ」
ひそひそとした言葉は、残念ながら人族の聴力では聞き取れないほどの小声で交わされていた。
次の日からは少女と護衛の姿を甲板で見ることはなくなった。女性客らは再びコウメイを取り囲んでご機嫌だ。
+
アメリア号はサンステンの峠の先端を目指し順調に航海を続けていた。
峠とマナルカト島の間の狭い海域は、周回船の航路では難所とされる場所だ。断崖からの風で帆の操作は困難を極めるし、海流の流れは複雑に捻じれ、大きな渦を巻いて船の方向を歪ませる。これで天候が荒れれば座礁も覚悟するのだが、幸いにも好天に恵まれたアメリア号は、予定通りの日程でマナルカト国に到着できそうだった。
難所を通り抜けた船内には、少しだけ浮ついた空気が流れていた。
「思ってたより揺れがなくて助かったぜ」
「予定通り明日の到着だそうだ」
「ぎりぎりセーフだったぜ。これ最後の料理だもんなー」
アキラが温めてテーブルに出した料理は、魔鹿肉と芋の煮つけだ。ホクホクに温められた芋に、魔鹿肉の脂と旨味が染み込んでいて酒がすすんだ。
交代でタライ風呂を使い、毛布とマントに包まって身を寄せあう。
「夜の冷え込みが格段に厳しくなってねぇか?」
「次の寄港地で毛皮買おーぜ、ふわふわのヤツ」
「綿入りのベストも欲しい、上着も」
自前の毛皮で防寒対策できないのか、とか。着こみ過ぎて団子になる気かよ、とか。そんなどうでもいいような事を話しながら眠りについた夜だった。
+
不意に目が覚めた。
「……なんだ?」
凍える暗闇の中で、細くかすかな殺気を感じとった。そのせいで目が覚めてしまったらしい。
コウメイが瞼をこすり、普段は無意識に制御している魔眼の力を使うと、視界が魔力の輝きをとらえた。隣のアキラから発せられる輝きは無視して、コウメイはいくつもの壁を隔てた先に見える、小さな魔力の揺らぎに集中した。
「何だよ、まだ朝じゃねーだろ」
「静かに」
気配に敏感なシュウが、コウメイの気迫に押されてのっそりと起き上がった。
「なんかやべー感じ?」
「魔術が発動したな……」
普段は寝起きの悪いアキラまでが、もぞりと身体を起こしていた。これだけ近くで魔力が動けば嫌でも目が覚める。同じ方向を見て眉をしかめるアキラに、コウメイはその正体をたずねた。
「どんな魔術かわかるか?」
「攻撃魔術じゃないのは確かだ。魔力量と範囲、安定した継続性……かなり強力な魔道具か何かが動いているようだな」
「魔道具か」
アキラが魔術の小さな光を灯した。コウメイは緊張した表情だが、寝起きのままで身支度を整えていなかった。てっきり飛び出していくのかと思っていたアキラは思わずたずねていた。
「いいのか?」
「何が?」
「あの辺りは、彼女たちの客室だろう?」
突き放したとはいえ、コウメイが少女を気にかけていたのは間違いない。気にしていたからこそ、かすかな気配を察知して目が覚めたのだろう。案じるアキラの視線に、コウメイは小さく笑みで返した。
「俺らは無関係な部外者だ。騒ぎが大きくなってるのならまだしも、こんな静かな夜に駆けつけたら、それを誰にどう利用されるかわかったものじゃないからな」
コウメイは眼帯をつけて魔眼の力を強制的に押さえ込んだ。フランの無事は気にかかるが、今行動を起こすことが彼女たちにどう影響を与えるかもわからないし、自分たちは彼女の面倒ごとに最後まで付き合ってやれないのだ。
「逃げてきて助けを求められたら?」
「そりゃ……助けるしかねぇだろ」
だが、彼らは自分たちに助けを求めることはしないだろうという確信があった。
跳ねのけていた毛布を身体にかけて横になった。コウメイが動かないのならとシュウもマントと毛布に丸まった。
「ほら、寝るぞ」
魔力の働きを気にするアキラを引き倒したコウメイは、自分の毛布を重ねて包んだ。三人でピッタリとくっついて、互いの体温で暖をとりながら目を閉じる。
だが、研ぎ澄まされた意識は遠くの気配を探ってしまう。
睡魔は遠く、夜は長い。
コウメイもアキラも、シュウも。
無言で夜明けを待ち続けた。
+++
銅鑼の鳴る前に、慌ただしく廊下を走る音が続いた。
ゆっくりと起きだした三人は、扉を開けて様子をうかがった。他の一等客室からも、警戒しながら何人かが顔を出している。
「何かあったのか?」
顔見知りの船員を捕まえて聞くと、後で船長から話があるだろうと言葉を濁された。
朝の銅鑼が鳴り、船内の空気が活気に満ちてくる。手早く食事を済ませ、何事もなかったかのように甲板に上がろうとした三人を、厳しい顔をした禿マッチョが呼び止めた。
「昨夜、なにか気づかなかったか?」
「何かって?」
「争うような物音とか、誰かが甲板に上がっていく音とかだ」
コウメイたちの客室は階段からは遠く物音は聞こえにくい。バーニーのいうような異変は何も感じなかったと答えると、彼は深々とため息を吐いた。
「まいったな、手がかりなしだ」
「朝早くから船員が走り回ってたが、何が起きたんだ?」
「……乗客が一人、急死した」
問わなくても、誰なのか分かった。
「それと船員が一人行方不明だ」
「は?」
さすがにそちらは予想外だった。
「行方不明って、船から落ちた、とか?」
「おそらくな。キケイドで交代した乗員だが、当番に起きてこなかったんだよ。寝床にも居ねぇし同室の奴らも知らねえっていうし」
そうして探していたら甲板に血痕が見つかった。舷縁に残っていたのは血の手形だ。
「縁をな、こうやって外に向けて握ったような形なんだよ」
「飛び越えたって感じだな」
「本当にその船員のものなのか?」
乗客の可能性はないのかと問うアキラに、バーニーは船員総出で名簿と照らし合わせたから間違いないと断言した。
「船員が客の急死にかかわりがあるかもしれんと思うと、頭が痛い」
ツルツルの頭を掻いて苛立ちを発散したバーニーは、今日は着岸を知らせるまで甲板は立ち入り禁止だと言い残して去っていった。不穏な空気から逃れようと甲板を目指していた乗客たちは、扉の前の船員に止められ、仕方なさそうに客室へと戻っていく。コウメイたちも無言で客室に戻ると、扉を閉めてからようやく口を開いた。
「誰の血だろうな?」
「判別する手段はあるはずだが……調べるかな?」
犠牲者の返り血なのか、それとも逃げた本人の血か。遺族の声が聞こえてこないということは、調査させたいと望んでいないのだろう。船長らはこれ幸いとうやむやにする可能性は高い。
気持ちを落ち着けるためにコレ豆茶を入れ、静かに船の揺れに身体を預けて時間が過ぎるのを待った。
マナルカト国のセモテアタ港に着岸したとの合図が聞こえた後、ゆっくりと人々は動き出した。コウメイたちも部屋を出て甲板にあがった。階段がかけられる位置の舷縁には、静かにたたずむ老人と護衛たちがいた。港からあがってきたと思われる人夫が、四人がかりで箱を抱える。
「……魔道具が起動したままだ」
箱を見たアキラの呟きが聞こえたわけでもないだろうが、ブリアナが不意にコウメイたちを振り返った。疲れの残る表情が、力なく微笑みをつくる。彼女は老人に何かを話しかけてから、コウメイたちの方にやってきた。
「私たち、ここで下船することになったわ」
「……あの箱は、フラン様か?」
「ええ、昨夜、船員に紛れ込んでいた刺客に……」
全く疑っていなかった方向からの襲撃に、なすすべがなかったとブリアナは辛そうに唇をかみしめた。
「予定していたより短い船旅になっちゃったけど、楽しかったわ」
「これからどうするんだ?」
「私はここで契約終了になるわ」
もともと故郷に帰るついでに引き受けた依頼だ、ブリアナはこのまま別の船に乗り換えるといい、別れを告げて最初に下船する棺桶とともに船を降りていった。遠巻きにしていた乗客がその後に続き、賑わっていた甲板は次第に静かになっていった。
「何かさー、後味悪いっていうか、スッキリしねー感じ」
「そうか?」
「アキラはさ、冷たくねー?」
下船する人々が次々と船を降りてゆくのを眺めながら、三人は舷縁にもたれていた。
「彼女はおそらく真相を知らされていない」
「は? 真相って?」
遠く岸壁では、馬車に乗せられた棺桶を見送るブリアナの金髪が海風に揺れていた。下船する者も、外出する者もすべて甲板から去り、船員たちも忙しく動き回っていて三人の存在は眼中にない。それを確かめてからコウメイがたずねた。
「どういうことだよ、アキ?」
「あの棺桶には魔道具が入っていた。起動した状態のままだ」
少女の亡骸が入っていると思われる箱の中から魔力の存在を感知したアキラは、コウメイに別れを告げるブリアナと、棺桶から離れない老人とコンラッドの様子を観察していて、確信した。
「その魔道具って、どういうものか判ってんのか?」
「いや。だがコウメイも彼女にだけ知らされていない情報があると気付いてたんだろう? だから、多分、見た目や語られた筋書きと真相は違うんじゃないかと思う」
ゆっくりと階段を下りながらアキラの推察を考えていたコウメイは、疲れたように首を揉んだ。
「俺らも、禿マッチョも船長も、当事者のブリアナも、騙されてたって事か?」
「騙されたというよりも、役割を与えられていたというところかな」
襲撃を受けたことも、孫娘が棺桶に入れられることも、目的地の手前で仕方なく下船したことも、すべて老人の計画通りだったのではないだろうか。フランの死を目撃した証人としてブリアナが使われたのではないかと、アキラは指摘した。
「俺たちも証人の予備といったところだろう」
「がっつり利用されてたって事か」
「なんか、こえーよ」
幼くして亡くなった少女への憐みが消えてしまうほどに、謎の陰謀がすぐ近くで展開されていたことにシュウは悪寒を感じた。
「やっぱり危うきに近寄らずだったな」
「ああ、権力は近づかないに限るぜ」
知らされた筋書きが偽りだというのなら、もしかして、とシュウが小声で言った。
「フランちゃんって、ホントに死んだのか? 実は生きてるとかじゃねーの?」
「知りたいのか?」
振り返ったアキラは、笑いながら睨むという器用な表情で、意味深に呟いた。
「好奇心は猫を殺すぞ」
「は? 猫?」
コウメイも苦笑いとともにシュウに忠告する。
「知りたかったら棺桶を追いかけて確かめてこいよ。ただし、秘密を知ったからには命がけは確実だ、口封じに殺されるか、死ぬまで利用されるかだな」
少女の上目遣いの憧れの瞳も、上気した愛らしい笑顔にも、何かしらの作為があったのかもしれない。
「権力こえーよ」
わざとらしく身体を震わせたシュウは、この八日間の出来事をすっぱり忘れることに決めた。日向ぼっこして、おやつ食って、訓練で身体動かして、その他は何もなかった、そうしよう。
セモテアタの港町には一泊する予定だ。出航は明日の三の鐘。それまでは船旅の事は忘れて観光して回ろうと、三人は賑わう町へと向かったのだった。




