魔術書泥棒
夜の王都に爆音が響いた。
街兵が走り回り、王宮騎士団が慌ただしく飛び出して行く。
魔術師団の宿舎も騒ぎで起き出した者らが敵国の襲撃かとそわそわしはじめていた。
「大きな火事だな」
「その前に爆音が聞こえたぜ」
コウメイとアキラも窓から身を乗り出して、夜空を明るく照らす炎を見ていた。この方角は貴族街だ。
「どっかの貴族が襲撃されたのかもな」
「街はそんなに不穏だったか?」
「知らねぇな。俺らには関係ねぇだろ」
王都の治安はそれほど悪くは見えなかったが、どこにでも闇はある。この騒ぎが自分たちの計画に影響がなければそれでいい。
他人事のように騒ぎを眺めていた二人は、翌早朝にヒッターに呼び出されてはじめて当事者であると知らされた。
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出勤前に騎士団員が部屋まで迎えにやってきた。
いやこれは迎えではない、連行だ。彼らは抗わず同行しろと求めてきた。隣室のコウメイも同様に、二人の騎士に両脇を拘束されている。
「どこに連れて行かれるのか」と問う声は「黙ってついてこい」と厳しく命じる声が遮る。
彼らは宿舎を出て魔術師団の建物を素通りし、王宮騎士団の詰め所に連行された。王族警護と王宮警備が任務の彼らが、何故自分たちを拘束するのか。その疑問は待ち構えていたヒッターと、チリチリになった薄毛の顔を見てすぐに理解した。
「きみたちじゃないって僕は説明したんだけどね、どうしても公爵が納得してなくてさ」
「我が家に立ち入った不審者はこの二人しかおりません。館を破壊し、火を点け、宝物庫から魔術書を盗み出したのはこの者らに決まっています!」
昨夜の襲撃騒ぎ、被害をうけたのはローガルム公爵邸だった。
チリチリになった残り少ない毛髪を振り乱しながら、公爵は昨夜の襲撃の様子を訴えた。
寝静まった深夜に、建物が揺らぐほどの衝撃が襲った。宝物庫の隣室の壁が破られ、何者かが邸内に侵入したのだ。賊は宝物庫の扉ではなく、隣室から壁を破壊して内部に踏み込むと、先日ヒッターに見せたばかりの魔術書を奪って逃げたのだという。
「我が家の宝物庫の場所を知るのも、あそこに陛下から頂いた魔術書が保管されていると知るのも、この二人しかいない。それを殿下はお庇いになるのですか?!」
「ぼくは事実を言ってるだけなんだけどな。二人とも昨夜は宿舎から出ていないのはわかっているし、騒ぎが起きたときも部屋にいたって他の団員が証言してるよ。窓から顔を出して、公爵の家の方角の赤い空を眺めてたって」
発言を許されていない二人は、ヒッターの言葉に大きく頷いて無実を主張した。盗みに入る計画は立てていたが、昨夜は自分たちではない。
「殿下、こやつらが謀っていないと証明していただきますぞ」
「仕方ないなぁ。ぼくのなんだから、あんまり手荒に扱わないでよ?」
またか、と覚悟を決めるのと同時に、隷属の魔道具が二人を縛った。アキラは痛みに頭を抱えてうずくまり、コウメイは全身を硬くして膝を突く。
公爵に命じられ、騎士らが二人に手荒な取り調べをはじめた。衣服を探って所持品を調べ、乱暴に足で転がし、脇腹を蹴り、髪を掴んで半身を持ちあげ床に落とす。普段のコウメイならこの程度の騎士などあっというまに制圧してみせるのだが、作戦行動中の今は、下品な愉悦の笑みを浮かべた騎士らの暴行に耐えるしかない。
「そのあたりにしてくれないかな。それ以上は使い物にならなくなる。それらはぼくのものなんだよ?」
冷やりとしたヒッターの声で、騎士らの取り調べは唐突に終わった。
床に転がる二人を見おろしながら、ヒッターは納得したかと公爵を振り返る。
「どうだい? 隷属の魔道具は効いているだろう? これを着けている限りぼくには逆らえないし、好き勝手に出歩けはしないんだよ。ちゃんと探知も出来ていたから、昨夜はずっと宿舎にいたのは間違いない」
だから館を破壊し魔術書を奪ったのは彼らではないとヒッターは繰り返す。
「おそれながら殿下、この魔術剣士は国家騎士団へ頻繁に出入りしておりますが」
「そりゃそうでしょ、ぼくが許可してるもの。ミキは剣士だよ、魔術師相手じゃ訓練にならないでしょ」
「ですが」
「きみたちがぼくを煩わせている間にも、国家騎士団と街兵が捜査を進めているよ。公爵が王族の血を引いているからきみたちは動いたんでしょう? だったら彼らに手柄を奪われる前に、真面目に仕事をしたほうが良いんじゃないかな。それに公爵も、自分の雇ってる兵士の失態をこれらのせいにされては困るね。末姫をいただくのにあのような警備じゃ陛下も安心して嫁がせられないんじゃないかな」
平民ばかりの騎士団に出し抜かれたとなれば、王家の盾の面目を失うぞと脅されて、騎士らは顔色を変えた。公爵は孫に嫁いでくる王女が安全に暮らせる環境を用意できないのなら、延期もしくは破談も有り得るとほのめかされ青ざめる。
「悪かったね、ぼくはちゃんと説明したんだけど、公爵が納得しないからさ」
最初に騎士らが辞し、公爵が続いて部屋を出た。それらを見送ったヒッターは硬い床に横たわる二人に言い訳をした。王族ではあってもヒッターは末席、過去に何人もの王女が降嫁しているローガルム公爵と血の濃さはかわらない。それもあって訴えを突っぱねられなかったのだ、と。
「錬金薬を手配するから今日はゆっくり休んでていいよ」
そう言って彼も取調室を出て行った。全身に少なくない打撲を負った己の奴隷を、他所の組織の建物内に放置して立ち去ったのだ。
「歩けねぇ怪我人を置いていくんじゃねぇ!!」
怒りをこめた拳を床にたたきつけたコウメイは、痛みに呻いた。
「……無駄な体力を使うな」
「くそ、割に合わねぇぜ」
「まったくだ」
頭を守るようにして転がっていたアキラが、ゆっくりと身体を起こし、衣服の乱れを直した。蹴られはしたが手加減されていたのだろう、コウメイほど派手な痕はない。
「アキ、痛むか?」
「俺よりもコウメイだろう……折れているだろう?」
「わかるか?」
起き上がろうとすると脇腹に激痛が走るというコウメイににじり寄ったアキラは、彼が必死に押さえている患部に手を当て、治療魔術をかけた。あちこちの打撲痕も癒やしてゆく。
「見える部分の派手なヤツは残しとけよ」
「わかっている」
ヒッターらが油断している間に魔術書と血毒を探すのだ。王都にやってきてからというもの、潜伏して探りを入れるはずが、王族に目をつけられて振り回されてきた。隷属の魔道具を身につける羽目に陥り、濡れ衣で集団リンチの被害にあうという災難続きだ。このままでは目的を達することなんて不可能だ。
「もう穏便にとか密かになんて言ってらんねぇぞ」
「ああ、もう我慢は限界だ」
すぐに癒やせるとはいっても痛みは感じるのだ。こんなものを何度も堪えたくはない。二人は計画を短期決戦に切り替えると決めた。
見た目はボロボロの二人は、支え合うようにして王宮騎士団の詰め所を出ると、多くの視線に晒されながら魔術師団の宿舎に戻った。ヒッターが連絡していたのだろう、事務員が錬金薬を持ってきたが。
「支給は二本なんですが、これでは治りそうにないですね」
腫れあがったコウメイの頬と、変色したアキラの肩や腕を見た事務員は、これ以上の経費はかけられないのだと申し訳なさそうに頭を下げた。
「金は払うから、買い物頼んでいいか?」
冒険者ギルドの通りにあるモルダ薬店を指定し、そこで打撲に効く塗り薬を買ってきて欲しいと頼むと、二人の惨状に同情した彼は、昼休みに購入してくると引き受けてくれた。
金とメモを渡し職員を部屋から追い出した途端、アキラは指輪に魔力を注いだ。光は王城のある北西と南東を指し示した。
「盗まれた魔術書は冒険者ギルドの方角だ」
「シュウに探してもらうしかねぇな。可能だったら奪い取ってもらうか」
相手は押し込み強盗だ、街兵の職にあるシュウも捜査に加わっているだろう。犯人逮捕は街兵に任せるが、魔術書だけはこちらが回収したい。
「王城の探索はどうする?」
「昼間は図書館通いだな。夜は家捜しする」
ヘルミーネの魔術書の保管場所探しには、フォルトにも手伝ってもらおう。図書館へ行くといえば喜んで同行してくれそうだ。
昼過ぎに職員からモルダ薬店の品を受け取ったコウメイは、痛みに伏せっているという名目で自室にこもった。アキラは錬金薬が効いて痛みがなくなったことにして書庫に向かう。
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入室を求めたアキラを見て、フォルトは悲鳴を上げた。
「お見苦しくてすみません。痛みはないので大丈夫ですよ」
「そ、そんな大きな青あざが、痛くないわけがありませんよ!」
どうやらフォルトは今朝の拷問取り調べのことを聞いていないらしい。仕事はいいから休んでいてくれと、自分が痛みを感じているかのような顔で懇願されたが、アキラはやりかけの仕事を放り出したくないと突っぱねた。
「そんなに魔術書に興味があったんですか?」
「先日団長のお供で出かけたとある方のお宅で、白紙の魔術書をはじめて拝見したんです」
フォルトから話を聞いて興味を持っていたが、現物を見て他の白紙の魔術書も見てみたくなったのだと説明する。
「フォルトさんが見つけたという白紙の魔術書はどのような装丁でした? 何冊くらいありましたか? 大きさは?」
アキラが見た魔術書は赤錆色の革表紙だったと教えると、フォルトは話に食いついた。
「図書館で見つけたのはこの本を二つ並べたくらいの大きさで、表紙は濃紺に銀の装飾がされていました。三冊並んであったのですが、全部白紙でしたね。あとはこちらの本と同じ判型の、紫に染めた革表紙の魔術書です」
「赤錆色の本は見た覚えはないのですね?」
「もしかして、その持ち主が他にもあると教えてくれたのですか?」
「いいえ。でも表紙に五と数字が書かれていたのです。少なくともあと四冊はあると考えられませんか?」
「!! ありますよ、絶対にあります!」
図書館の魔術書は全て確認したフォルトだが、魔術師団に転属になってからは足を向けていなかった。新しく収蔵されたのなら、是非とも自分の目で確かめに行きたいと彼はそわそわしている。
「図書館の蔵書にも魔術陣が記載されているのなら、私も目を通したいですね」
「それです、そうしましょう!」
図書館の魔術書は趣味で読んだだけであり、仕事として触れたわけではない。団員らが使える魔術を増やすための魔術陣収集はフォルトに与えられた業務だ、堂々と閲覧申請できるではないか。閃いた彼は即座にヒッターから許可をもぎ取った。もちろんアキラの同行の許しもだ。
「怪我をしているのに連れ回して申し訳ないですが、一人だと時間内に写しきれそうになくて」
「大丈夫ですよ。薬がきれて痛みはじめたら休ませていただきますから」
閉館まであと鐘一つ半ほどしか時間がないのだ、二人は急ぎ足で王城に向かった。
はじめて踏み込んだ王城はまるで迷路のようだ。いくつもの分岐を右へ左へと曲がり、階段を上下し、扉をいくつもくぐる。とても一人でたどり着ける気がしない。フォルトに置いて行かれまいと、アキラは小走りで追いかけた。兵士に呼び止められるたびにヒッターの許可証を見せて進む。
「それにしても広いですし、複雑ですね」
「お城ですからね。警備も厳重ですし」
城は大きく外殿、中殿、奥殿と三つに区分けされている。外殿は対外的な業務を行う職場、中殿は役職者らの執務室や外交の場、そして奥殿が王族のプライベートだ。
王宮図書館は外殿と中殿の境界にあった。開館中は開け放たれている入り口から入り、受付で入館手続きをとった。
背の高い書架が整然と並び、その全てにぎっしりと本が収められている。利用者のほとんどがまた職務上の調べ物に訪れる役人なのだろう、ざっと見たところ法律やら地理、産業、統計分野の資料が多いようだ。
「魔術書はあっちですよ」
フォルトは慣れた足取りで書架の間をするりと抜け進む。彼が来なくなってから増えた魔術書の場所を司書に教わったのだろう、奥まった書架から数冊の本を迷いなく選び出した。
「赤錆色のものはありませんね」
「文字も読めますし。残念だなぁ」
彼は読めない魔術書にロマンを感じているらしく、文字が表示された本を残念そうに閉じた。
「時間がありません、どんどん写しましょう」
筆の早いアキラが書写に専念し、フォルトは魔術書を探しては運び、該当ページをひらいて渡す。書き写す合間に人目を気にしながら、アキラは指輪を使って目的の魔術書の保管場所を探った。
光が指し示すのは、三方向だ。南東は盗まれたものだろう。残りは真北と北東だ。王城の中にあるのは間違いなさそうだが、二ヶ所に分かれて保管されているとしたら厄介だ。
「王城にある図書館はここだけなのですか?」
「奥殿にもあるらしいですけど、王家の方々だけが利用する場所ですから、私たちには縁がありませんね」
羨ましげにため息をついたフォルトだ。彼によれば奥殿の図書館は外殿のほぼ真北にあるらしい。王族がこちらでも本を探せるよう、密かにつながっていると聞くが、当然ながら出入り口は秘匿されているそうだ。
「奥の図書館は第二王子が頻繁に利用されていると聞いています。ご自分専用の書庫もあると聞いたこともありますよ。羨ましいですね、自分専用の図書館」
「図書館は無理でも書庫くらいなら手に入るんじゃ入りませんか?」
「無理ですよ、私のような安月給じゃとても無理です」
魔術師団の書庫で我慢しますと空笑いのフォルトは、時間がないとアキラを急かした。閉館時間になり、司書に追い立てられるまでの間に、アキラは三十二種類の魔術陣を書き写した。
+++
アキラが持ち帰った食堂の料理をつまみながら報告を聞き終えたコウメイは、腕輪を外してベッドに置いた。
「俺は寝込んでることになってるから大丈夫だと思うが」
「うまく誤魔化しておくから心配するな」
窓から出て闇に紛れたコウメイは、シュウと落ち合う蜜樽亭へと向かう。魔術書強盗の翌日が定例の日だったのは幸運だった。何度も宿舎に押しかけるのはシュウの身を危険にさらしかねない。
蜜酒と角ウサギ肉料理が評判だというその酒屋も賑わっていた。広い客席の奥には半二階もあり、そちらも客でいっぱいだ。コウメイは給仕と客をかき分けながら二階席で影になるテーブルに落ち着いた。蜜酒と看板料理が届き給仕が遠ざかったのを確認してから、隣の席のシュウに声をかける。
「計画変更だ」
「先に強盗に入られたからだろ?」
視線をあわせないまま、口元をジョッキで隠し頷いた。
「現場は見たか?」
「建物が半壊してたぜ。火は建物の半分と庭を焼いた。怪我人がいねーのは奇跡だってさ」
炎に嬲られ薄毛がチリチリになった公爵は、たしかに頭髪以外に負傷した様子はなかった。
「魔術書を奪った犯人は、魔術団の宿舎から見て南東にいる。街兵が捕まえたら、先に本を奪え」
「あー、それなんだけどさー」
シュウは顔を背けたまま、素早く硬い物をコウメイに押しつけた。
素知らぬふりをして受け取ったそれを、テーブルの下に隠して視線を落とす。
「な……」
目を見開いたコウメイが息を詰まらせた。
「……赤錆色の、五」
それは押し込み強盗に奪われたはずの魔術書だった。




