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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
10章 ヘルミーネの遺物

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公爵家の宝物庫



 四の鐘と同時に迎えにきた黒塗りの箱馬車によって連れて行かれたのは、王城に近い貴族街の大きな邸宅だ。アキラがよく知る貴族の館はアレ・テタルのサットン邸だが、馬車が乗り入れたのは、それよりも遙かに広く大きな邸宅、いや、まるで宮殿のようであった。


「お待ちしておりました、殿下」

「ローガルム公爵みずからの出迎えか、ご苦労」


 先を走っていたらしい豪奢な箱馬車からヒッターが降りると、宮殿のような館から頭髪は貧相だが着衣は高慢そうな中年男が進み出た。ローガルム公爵家といえば、過去に王家から姫が何人か降嫁した由緒ある公爵家だ。その当主自らの出迎えも、相手が王族ならば当然だが、アキラにすればヒッターは人格破綻したエセ魔術師だ。どうにも納得しがたい光景だ。


 ヒッターは公爵自らの案内で豪奢な応接室に招き入れられたが、護衛のコウメイと修理道具を持ったアキラは、扉を入ったすぐ脇で待機を命じられた。召使いが主人とその客に極上の茶と菓子を供する。当然、コウメイとアキラは見ているだけだ。


 天気の話に貴族社会の流行りや王都で人気の女優の美醜まで、差し障りのない話題からはじまり、政治談義へと話が移った。どうやらこの薄毛公爵は、国防に携わる部署の要職に就いているらしく、現在の防衛策の有様を嘆いているようだった。魔術師団を率いる王族(ヒッター)を味方につけ、己の希望にかなう改革案の根回しを目論んでの招待だったようだ。

 苦笑いで隣に目を向けると、アキラも同じように薄く笑っていた。修理道具を持たされ同行を命じられたのは、門外不出の魔道具の修理が主目的ではなさそうだ。それだけではない、本来なら秘密談義は二人だけでするべきだろうに、いくら王族の供でも人払いせずにおくのはいかがなものか。薄毛公爵が要職にあるのは、実力ではなく家系による恩恵でしかなさそうだ。

 二人はアフロと薄毛の会話を邪魔しないよう気配を殺し耳を澄ませた。


「そこで殿下にお願いしたいのです。殿下は先ごろ、陛下から国産の奴隷の腕輪の権利を賜ったとか」

「そういえば其方は舞踏会に出ておらなかったな?」

「はい、体調を崩しておりまして息子が代わりに。聞きましたところ、殿下が披露した隷属の腕輪の効力は、これまでの物と遜色ないとか。その魔道具を是非とも量産をお願いしたいのです」

「なんだ、家宝の修理依頼ではなかったのか。それで?」


 薄毛公爵は宝物庫の魔術鍵の修理を口実にヒッターを招いたらしい。残念そうに、そして目的ははっきり口にしろと笑いながら薄毛を促した。


「ご存じのように、我が国で使用されている奴隷の腕輪は、他国からの輸入に頼っております。陛下や魔術師団に意見するつもりはございませんが、犯罪奴隷は貴重な労働力であり戦力です。ですが罪人を拘束し従属させる唯一の魔道具が、他国産というのはなんともたよりない」


 奴隷の腕輪にはさまざまな魔術がほどこされている。反抗の意思を奪うものや、隷属を受け入れるもの、従うべき者が誰であるか。そういった命令が魔術式に組み込まれているのだが、それ故に薄毛は不安視するのだろう。


「陛下が命じた魔法使いギルドの排除には意味があるのでしょう。ですが腕輪に調整を施せる者が居なくなってしまったのは事実でございます」

「……今のところ、犯罪奴隷の管理に不都合が出ているとは聞いていないが?」

「腕輪を使い回すようになってからは、まだ隣国との戦争をしておりませんので」


 奴隷の腕輪は使い回すことが前提ではあるが、その際に刑期と懲罰の度合い、どの官吏が束ねるのか、といった情報を付け替えの際に刻み直すようになっている。だが魔道具師がいなくなってからのオルステインでは、それらの調整が一切出来なくなった。現在は最後に調整したときの情報を元に腕輪を管理し、罪状に見合った腕輪で拘束しているが、それでは間に合わないのだ。他国から調整済みの腕輪を購入し、なんとか犯罪者を管理しているのが現状だ。


「確かに、内乱には騎士団があたっていたね」


 近年の戦いのほとんどは内戦、それも魔法使いギルドを打ち崩す戦いが主であり、両騎士団が主軸だった。


「隣国との戦争が再開されれば、犯罪奴隷を投入することになります。だがニーベルメアやサンステンから購入した腕輪を着けた奴隷を戦線に送るのは危険です。隣国には魔法使いギルドが残っておりますし、魔術師によって腕輪の魔術をあちらの都合の良いように操作されてしまえば……」

「貴重な戦力を一瞬で奪われると心配しているんだね」

「はい。奪われ、我が軍への攻撃に使われれば、その損害は計り知れません」


 敵国はオルステインからかすめ取った奴隷兵を使って、我が国の兵士や国民を攻撃するだろう。勝敗に関係なく、敵国は一切の損害を被らず戦を終えるのである。

 どうやらローガルム公爵はぼんくらではなさそうだ、とアキラは考えをあらためた。王族批判とも受け取られかねない具申も、性格を読んだ上でヒッターを選ぶあたりが上手い。隣に立つコウメイも警戒しているのか、表情はそのままに目つきが鋭くなっている。


「魔道ランプや魔道調理具などは輸入でも差し障りありません。だが国防に関わる魔道具だけは、国内で製造し管理するべきなのです」


 強く言い切った公爵は勢いのまま壁際に立つ二人に目を向けた。アキラは目を伏せ表情を取り繕う。


「その魔道具修理師が、隷属の腕輪を作ったのでしょう? 是非ともお貸しいただきたいのです」

「いや、残念ながらハギモリは修理しか出来ないんだ。出来ないよな?」


 振り返ったヒッターに問われ、今ごろ確かめるのかと呆れつつも、アキラはしっかりと頷いて返した。


「だが魔術鍵を修理できる腕はもったいない。魔道具を作らせれば万事解決するのではありませんか?」


 魔術に対する一般人の知識は少ないものだが、オルステインにおいてはよりその傾向が強い。当然、魔術師を自称するヒッターですら、まともな知識を持ち合わせていない。


「ハギモリ、代わりに説明して」

「……それでは僭越ながら」


 丸投げされたアキラはわずかに頭を下げてから、視線を落としたままヒッターに代わってローガルム公爵に魔術の基礎の一部を語って聞かせた。


「私は魔道具の修理方法を学びましたが、魔道具師にはなれませんでした。それは私に魔力がないからです。道具に魔術陣を刻み込む際には、必ず魔力を必要とします。魔力のない者が魔術陣を書き刻んでも、その道具は絶対に魔道具にならないのです」


 アキラの言葉に嘘はないのかと公爵はヒッターをうかがい見る。


「うちの魔術書管理人の報告では、ハギモリは魔術陣や修理の知識は魔術師団で一番だそうだ。彼の修理方法を魔道具室の者に教えたが、わずか半日で失敗が激減したと報告があったぞ。ベルギスとボルガは魔力がある、今日は魔道具製作を試させているから、その結果次第では隷属の魔道具作りをさせられるだろう」

「殿下、それでは私の案は」

「うん、陛下に伝えておくよ。使い回している奴隷の腕輪にも問題が出てきてるって聞いてたしね。腕輪が壊れたせいで犯罪奴隷が王都に散ったら大変だ。だが量産となると、もう少し時間がかかるよ」

「製造はそれほど難しいのですか?」


 コウメイの両腕を眺め腕輪を観察した公爵は、輸入品よりも地味で簡素な作りだと思ったようだ。


「あれは試作品だしね。もちろんちゃんと効果はあるよ。でもせっかく国産にするんだから、もっと品質を高めたいじゃない?」

「それはどのような?」

「そうだね、例えば……『バ、ク』」


 背を向けたままのヒッターの口から、音階のずれた短い呪文が漏れた瞬間だ。


「う、……あぁっ」


 額にパチリと小さな衝撃を感じた。修正のおかげで軽く額を弾かれた程度の痛みしか感じないが、アキラは杖部屋での痛みを思い出しながら、大げさに頭を抱え膝を突いて見せた。公爵家のふかふかと柔らかく厚みのある絨毯に、顔を隠すように転がってそれらしく呻いてみせる。

 アキラが突然倒れ伏したことに公爵は驚いていた。どうやら腕輪をはめていないアキラを、信頼に厚い従者だと思い込んでいたらしい。コウメイはさりげなく位置を変え、絨毯に転がったアキラを隠すように立つ。気絶のふりの下手なアキラは、コウメイの陰で息をつき二人の会話に耳を澄ませた。


「どうだね、完成したばかりなんだが、魔力を込めて命じると、このように痛みを与えて反抗心を打ち砕けるんだよ」

「素晴らしい! 額のあれはウェルシュタント国で生み出された矯正の魔道具ですな。殿下はあれも生産を可能にしたのですか?」

「あれは先日、陛下の魔道具師に作らせたんだ。ただ他国の品を複製するだけでは我が国は優位に立てない」


 そこで二つの魔術陣を一つの枷に刻み、隷属と矯正が安定して発動する魔道具を作ろうとしているのだとヒッターは鼻高々に語った。国王が抱え込んでいる魔道具師は、その調整のため寝る間も惜しんで研究しているらしい。


「魔道具修理の腕や知識も役に立つだろうから、ハギモリにも手伝わせるつもりだよ。ねぇ、まだ気絶してるの?」


 さっさと起こせと命じられたコウメイは、無表情で膝を突きアキラの身体を揺する。その合図で顔を上げたアキラは、警戒するように辺りを見回し、ヒッターの視線を受け止めた。


「おはよう、よく寝たよね? これから仕事だから、準備してて」

「……お話が、見えないのですが」

「ああそうか。気絶してたもんね、聞いてなかったか。ハギモリにはね、陛下や僕の魔道具師の手伝いをしてもらうことに決めたんだ」

「何故そのような話に……」


 驚くふりをして頭を振るアキラに、ヒッターは得意げに両手を広げた。


「それはきみを縛るサークレットが有効であると、こちらのローガルム公爵が認めてくださったからだよ。ぜひ量産をと頼まれてね。わずかな助言でベギスルの修理術を向上させたきみなら、陛下の魔道具師の腕も鍛えてくれるだろ?」

「鍛えていませんよ、私は何もしていません」


 会話の中で披露した知識をフォルトが勝手に伝え、それを取り入れた結果だ。


「謙遜は嫌みだよ。たったそれだけで怠け者の評判が染みついている魔道具室に、半年分の仕事をさせたんだ、ハギモリって面白い存在だよね」

「貴様、殿下のご命令に背くつもりか!」

「不敬を承知で申し上げますが、私は魔術師ではなく魔道具の修理師です。修理なら手伝えるかも知れませんが、このような複雑で難解な魔術陣の修復は経験がありません。私の技術と知識で何も出来なかった場合に、その失敗を理由に私が罰せられるのは納得できません」

「奴隷の分際で!」

「うん、そうだね、ハギモリの言い分は間違ってないよ」

「殿下!?」


 激高し立ち上がった公爵を、ヒッターは笑いながら止めた。


「ローガルム公、あまり怒りすぎると頭皮が風邪を引きやすくなるぞ」

「あ、あんまりですぞ殿下!」


 薄毛をからかわた公爵は、目に涙を浮かべて勢いよく椅子に倒れ込んだ。冬場の隠れ羊のようにタップリと毛髪をたくわえたヒッターの言葉は、薄毛公爵を深く傷つけている。


「ぼくは一応王族だし、部下を正当に評価しないのは不味いってわかってるよ。理不尽は使える者を萎縮させるからね」


 アキラはなんとか表情を取り繕った。これまでの自分に対する扱いは全て理不尽ばかりだったのに、と思わず声に出かかった。隣から生じた殺気がアキラの肌を嬲る。一瞬で引っ込んだが、さすがのコウメイもヒッターの無神経な傲慢さにキレたようだ。


「じゃあさ、どんな条件なら手伝える?」

「……何を求めても、これを発動させないと約束してくださいますか?」


 演技が下手だと自覚しているアキラは、額の魔石を触ってから顔を背けた。思い出した痛みに脅えているように見えてくれればよいのだが。


「言うだけならいいよ、許可を出すかどうかは別だけど」


 下手な演技でも誤魔化せたようだ。アキラはここぞとばかりに求める環境を要求した。


「魔術師団だけでなく、行政舎の書庫や王立の図書館、王宮の図書室や王族の方々が個人で保管している魔術書の閲覧許可をください」

「読めないのに閲覧許可が欲しいのか?」

「魔術文字は読めませんが、魔術陣は写し取れます」


 アキラがどうやって修理の腕を磨いてきたかは、フォルトから伝わっているはずだ。王城の図書室を利用できれば、さらに技術は向上させられる。その主張はヒッターに疑われることなく受け入れられた。


「わかったよ、とりあえず王宮図書館は明日から使えるようにしとく」

「図書館の他に魔術書はありませんか?」


 例えば王族が個人で所有している魔術書も閲覧したい。アキラがそう願うと、彼は難しい表情だ。


「陛下の魔術書はちょっと無理だと思うけど、一応お耳には入れておくよ。他に魔術書を持ってる王族はいないよ。集めてる貴族はいるけど、供出しろって命令はできないよ。ぼくは王族だけど、権力を盾にわがまま言わないようにしてるからね」


 あんたがわがまま以外の発言をしたことがあったのか?!

 噛みしめて堪えるコウメイの血管が切れそうになっている。アキラも冷気を全力で抑え込んでいた。


「け、権力でどうこうとまでは望みませんが、私が旅してきた国々で閲覧した個人所有の魔術書には、珍しい魔術陣が多くあったので……」

「ふうん、そうなんだ。あ、そういえばローガルム公、あなたも一冊持ってなかったっけ?」


 公爵はヒッターに問われてしばし考え、ようやくその存在を思い出した。


「ございます、な。強い魔力があるとの評判があり、陛下の指示で取り寄せた本です。陛下からはお褒めの言葉とともに一冊下賜いただきました」


 魔術書としてではなく、国王から頂戴した品として厳重に保管していると言った。


「ちょうどいいね、それ見せてよ」

「お見せしたいのですが、あいにく宝物庫の魔術鍵が壊れておりまして」

「問題ないよ。ハギモリ、直せるでしょ」


 大事な下賜品を下賤に触らせるものかという遠回しの断りは、ヒッターには通用しなかった。国王が所有する書は、王族の一員であるヒッターですら滅多に閲覧できるものではない。興味津々の彼は、魔術師団の長としても見ておくべきだと言い張り、強引に公爵家の宝物庫に案内させたのだった。


   +


 公爵家の宝物庫は建物の最奥にあった。窓はなく、壁も厚い。扉は三枚あり、全てが魔術鍵で封じるという物々しさだ。当主のみに解錠を許された宝物庫に、王族のヒッターはともかく、奴隷の二人を連れて行くのを公爵は渋った。しかしヒッターが二人は死ぬまで隷属させると断言したことで、渋々に譲った形だ。


(死ぬまでとか、冗談じゃねぇよ)

(明日にでもこれを外して泡を吹かせてやりたいな)


 声を潜めて愚痴る二人は、ヒッターと公爵から十歩分ほど遅れて宝物庫についた。

 コウメイとアキラが近くにやってくる前に、公爵は宝物庫の鍵を開けていた。一枚目と二枚目の扉が公爵の手によって開かれる。魔術鍵を使うところを二人に見せたくなかったのだろう。開けっぱなしの扉を見たアキラは、すぐに難易度を察した。これまでヒッターに開けさせられた魔術鍵の中でいえば、ハギモリには直せないレベルだ。だがアキラになら余裕で直せるし、何なら改変も容易だ。


「最後の扉の鍵が壊れている」

「見せていただいてもよろしいですか?」


 渋々の公爵から鍵を受け取り、軽く確認する。一流の宝飾品のような煌びやかな鍵には、一見してわからないよう、装飾に隠れるように魔術陣が刻み込まれていた。宝石代わりの魔石は光を反射する複雑なカットだ。これだけでも美術品としての価値は十分にある、宝物庫に入れて保管したいくらいの品だ。


「……壊れていないようですよ?」

「そんなはずはない。みてみろ、開かないのだぞ!」


 アキラから鍵を奪い返した公爵は、鍵穴に差し込んでカチカチと乱暴に動かした。たしかに魔術鍵が反応する気配すらない。


「扉のほうを見させていただいても?」


 三枚目の扉は、贅沢にも火蜥蜴の牙の粉末を混ぜた塗料で塗られている。お宝を火事から守るためだろう。塗料の下に隠された魔術陣も見事だ、これを作った魔武具師は上位の色級だったに違いない。


「やっぱり。扉の側も壊れていませんよ」

「ふん、直せないからそのような嘘をつくのだろう!」

「嘘ではありません、開かないのは魔力切れです」

「なに?」

「鍵の魔石に色はついてるよね?」

「これだけ大きな扉を守る鍵ですから、魔力も相当に必要なはずです。扉のあちこちに埋め込まれている魔石を見てください」


 鍵ではないと言われて、公爵は改めて扉を振り返った。二つの扉に隠される最後の一枚だ、装飾など大して気にしていなかったのだろう、指摘されてはじめて魔石が埋め込まれているのに気がついた。


「ああ、これは開かなくて当然だね」


 色のなくなった魔石を見つけたヒッターが納得だと頷いた。淡く赤い魔石が装飾のように散りばめられている中で、彼が見ている蝶番の近くにある魔石だけが無色だった。


「魔石を交換せねば開かないのか……職人は国外から招くしかないか」

「ええ、ぼく魔術書見たいんだけど。ハギモリ、どうにかならないの?」

「魔石の分の魔力を団長が補えば良いのではありませんか?」

「ぼくの魔力? もったいないじゃないか。ミキがやってよ」


 ヒッターに命じられ前に出たコウメイは、どうするのかと視線でアキラに問う。


「公爵様、鍵を差し入れてください。ミキはあの魔石に触れて」


 カチリ、という音と同時に、コウメイは魔石に触れた指先から魔力が吸い取られるのを感じた。


「魔力が流れ出てる感じがするぜ」

「お、おお! 開いた、開いたぞ!」


 六年ぶりだと感激の声を上げた公爵を押しのけて、ヒッターが宝物庫に踏み込んで行く。コウメイとアキラは廊下に残った。奴隷扱いの身で許しもなく入れば、どんな罰を受けるかわかったものではない。それでも公爵家の宝に興味のある二人は、立ったまま宝物庫をのぞき込んだ。


「キンキラだな」

「趣味が悪い」


 宝を保管する倉庫のくせに、どこの宮殿かと目を疑いたくなるような豪華絢爛な室内だ。ヒッターは金銀財宝には目もくれず、公爵を急かして魔術書を探させている。


「ほほう、これが陛下から下賜された魔術書か……ん? どういうことだ?」


 珍しくヒッターの声が尖っていた。顔を見合わせたコウメイとアキラは、身を乗り出すようにして奥にいる二人の会話に聞き耳を立てた。


「魔力を感じるのに……白紙とはいったい?」

「やはり殿下にもそのように見えますか……」


 落胆に震える公爵の声と、感激から一転し動揺に慌てたヒッターの声が、二人を呼びつける。


「おおい、ハギモリ、ミキ、入ってこい」


 許可を得て踏み込んだ二人に、ヒッターがこれを見ろと魔術書の置かれたテーブルの前を譲った。それは手のひらより少し大きな革装丁の本だった。革表紙の赤錆色を見て、思わず息をのむ。

 まさかという思いで触れると、ひりつくような強い魔力を感じた。題名はなく、「五」という数字が書かれている。近づく前から感じていたが、本から感じ取れる魔力は相当に強いものだ。


「読めるか?」


 厳しい表情で問われ手に取った。これだけ強い魔力が込められているのだ、ヒッターらには白紙に見えて当然だろう。アキラの目には細かな文字が見えていた。だが読めない。


「読めませんね」

「ああ、真っ白だぜ」


 後ろからのぞき込んだコウメイの声も、ヒッターを安心させたようだ。


「殿下、魔術書というのは、みなこのような白紙なのですか?」


 前々から疑問に感じていたのだろう、公爵はなんとも気まずそうにたずねた。一般人の彼にとって、表紙も地味で装飾もなく中も白紙の本に価値を見出すのは難しい。だが国王から下賜された魔術書を粗末には扱えない。宝物庫で保管してきたが、これが価値のないものだとしたら、と公爵は悩んでいた。


「陛下は……陛下は私にこの程度の価値しかないとおっしゃりたいのだろうか」

「とても貴重な魔術書なのは間違いないよ。価値のある魔術書からは魔力を感じるからね」

「……フォルトさんも、王宮の図書館にも白紙の魔術書が保管されていると言っていました」


 王宮図書館は王家の所有物だ。そこに収められているのだから、この白紙の魔術書にも同等の価値はあるはずだ。


「そ、そうか……陛下は私をそのようにお認めくださっているか」


 感極まる薄毛と、読むにはどうすればよいのかとあちこちの項をめくるヒッターから離れたアキラは、コウメイの身体を盾に、隠し持っていた指をはめ魔力を注ぐ。


「……あたり、だ」


 指輪は二つの方向を指して光を放っていた。太く大きな光は王城、細い光はヒッターの手元に向かっている。七冊の魔術書はまとめて保管されていると思い込んでいたが、どうやら計画を見直す必要がありそうだ。

 指輪の指し示す光を見ながら、二人はひっそりとうなずき合った。


   +++


 一日の仕事を終えた二人は急ぎ足で宿舎に帰り、公爵邸で見つけた赤錆色の魔術書について意見のすりあわせにかかった。


「昨夜シュウからもらったばかりだってのに、こんなに早く赤錆表紙の魔術書に遭遇するとはなぁ」


 キャロルが情報を出し渋っていたのか、本当にたまたまの偶然なのかはわからない。だがあれが回収を命じられた本である可能性は高くなった。


「アキにも白紙に見えたってことは、アレってそうとう高レベルな魔術じゃねぇと読めねぇ魔術書なんだよな?」

「白紙じゃないぞ」

「読めたのか?」


 アキラは首を横に振った。ヒッターが「読めるか?」と問うたので「読めない」と答えた。もし「白紙に見えるか?」と問われていたら嘘をつけたかどうかわからない。隷属のサークレットの魔術は最弱に設定してあるが、嘘にどんな反応を示すかわからないからだ。


「びっしりと細かな文字が書かれていた」

「何が書いてあった?」

「だから、読めなかったんだ」

「古代魔術言語、読めたよな?」


 悔しそうなアキラの声に、コウメイは首を捻る。異世界にほうりこまれた際に与えられた恩恵は、言語の自動翻訳だけだったが、おかげで自分たちは会話や読み書きに全く苦労してこなかった。だがそれでも読めなかった言葉はある。

 古代魔術言語だ。

 上位色級の魔術師らの使う魔術に特化した言語は難解で、コウメイは早々に習得を諦めたが、魔力と魔法を制御しなくてはならないアキラは必要に迫られて学び覚え、今では読み書きも会話も全く不自由しないくらいに使いこなしている。


「あれは違う、古代魔術言語じゃなかった。まったく別の言語だ……たぶん、エルフ語」


 自信を持って断言できないのは、アキラはエルフ独自の文字で書かれた書物を読んだことがないからだ。アレックスは人族の言葉で読み書きをしていたし、一度だけエルフ族の領域に踏み込んだときも、彼らの書いた文字を目にすることはなかった。


「てことは、アレで間違いねぇのか」

「ああ、厄介だ」


 現物を直接見て確かめられたのは運が良かった。残る六冊を探すにしても、見本を知っているかいないかでは難易度が違う。だが、存在するならば王城に全冊揃っていると思い込んでいたのに、まさか国王が臣下に褒美として下賜しているとは想定外だ。回収の難易度と危険度が跳ね上がってしまった。

 アキラが指輪に魔力を込めると、昼間よりもはっきりとした光が王城のある方角を指し示している。


「ここからだと光は一つの方角を指し示しているように見えるな」

「どっちも同じ方角にあるからな。だが確かに二つに分かれていたんだ。魔術書が王城にあるのは間違いないが、他にもどこかに下賜されている可能性はある」

「いや、薄毛公爵の館はこのあたりだっただろ。この位置から二方向にしか光が向かなかったってことは、残りは全部王城だろ」


 板紙にざっくりとした地図を描いたコウメイは、ローガルム公爵邸から光の指し示した方角に指を走らせ、貴族街にはもうないはずだとと言い切った。


「どちらにしても、面倒なのには間違いないか……」


 指輪を見つめる二人は、回収する手間が増えたと揃ってため息をついた。


「アキはあの宝物庫、鍵がなくても開けられるか?」

「もちろんだ」

「じゃあ薄毛公爵のところのは、王城のを盗んで逃げるときに寄るか」


 どちらかを先に盗み出すつもりはない。混乱に乗じ最短で王都を脱出するのが最も安全で確実なのだから、同日に連続して襲撃し回収するのが最良だ。しかし寄り道が増えれば追っ手に捕まる危険は高くなる。


「脱出ルートは公爵邸経由に変更。探り直しだな」


 コウメイは腕輪を外してアキラに預け、これからシュウに接触してくると言って立ち上がった。次の待ち合わせまで時間を無駄にしたくない。


「予定外の接触は危ないぞ」

「仕方ねぇだろ。早いとこ魔術書と毒の隠し場所を見つけねぇと、アフロ頭に好き勝手され続けるじゃねぇか。冗談じゃねぇ」


 コウメイは窓から宿舎を抜け出した。

 夜の闇に紛れ、シュウが潜伏している兵宿舎に忍び入り、夜食を買って戻ったシュウを捕まえる。

 まさかの待ち伏せに夜食の肉を取り落とすほど驚いたシュウだ。だがコウメイの説明を聞き納得もする。


「わかった。調べ直しだな」

「ついでにローガルム公爵邸に侵入しやすい窓か勝手口も探しといてくれ」

「うわー、無茶ぶりすぎ!」


 貴族街は街兵だけでなく騎士団も定期的に見回っている。また敷地内の警備も厳重で、私兵の見張りは街兵すら警戒している節があるのだ。


「捕まったらどーすんだよ」

「自力で脱出しろ」

「そんで俺はお尋ね者になるんだな?」

「どうせ偽名だ。じゃあな」

「おい、待てって」


 夜中に押しかけ、強盗に入る先の下見をしておけと指示したコウメイは、呼び止めるシュウを無視して帰って行った。

 夜中に叫んで隣室に不審がられるわけにはゆかない。シュウは両手で口を押さえ声に出さずに叫んだ。


(コーメイの薄情者っ)


   +++


 コウメイがローガルム公爵邸の下見を指示した四日後の夜、宵っ張りの貴族らも寝静まった深夜だった。王城から北西に位置する貴族街の一郭で火の手が上がった。



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