虎穴に入る
闇に慣れた目に見えたのは、くすんだ狭い天井だ。意識を手放してからずいぶん長く眠っていたようだ。壁に掛けられている上着に見覚えがある。ここはコウメイの部屋のようだ。アキラはゆっくりと身体を起こし、小さな灯りを作った。
おそらく魔術師団の宿舎だろう。壁はそれほど厚くはなさそうだが、隣室や廊下に動く人の気配はない。コウメイに割り当てられたのが離れた部屋なのか、それともみなが寝静まるほどの深夜かのどちらかだろう。
視線で四隅を確認し、結界魔石の存在を確かめる。この部屋で多少の騒ぎがおきても外に漏れる心配はなさそうだ。
殺風景な部屋だが、ベッドは柔らかく悪くはない寝心地だった。
「さて、どうしたものか」
アキラはため息をついて再び寝台に寝転がった。
無理矢理はめられた銀のサークレットに触れる。額の魔石に含まれる魔力量はそれほど多くはない。微量の魔力を流し探ってみても、雑な魔術陣が二つ刻まれているだけで、他に縛り付けるような仕掛けは見つからない。破壊し取り外すのは簡単だが、コウメイに何か策がありそうだった。それを確かめるまで手を加えないほうが良いだろう。
「……コウメイの手首のあれは、奴隷の鉄輪だったな」
昨日アキラが退勤する直前はあんな物ははめていなかった。舞踏会の間に何かがあって、奴隷の輪をはめざるを得なくなったのか。
「意思は封じられていないようだし、何を企んでいるのか聞き出したいが、どこに行ったんだ?」
ごろごろと寝台で退屈を潰していると、扉を叩く小さな音が聞こえた。
飛び起きて身構える。
静かに扉が開き、眼帯の魔術剣士が室内に忍び入った。
「起きてたか、アキ」
「説明しろ」
「その前に飯食おうぜ。腹減ってるだろ」
魔猪肉とピリ菜を挟んだパンに、酢漬け野菜の瓶と艶のあるレギルの実。なだめるような笑顔で料理の包みを広げてゆくコウメイに、アキラはぴしりと指を突きつけた。
「説明!」
怒気のこもった一声とともに、切れるような冷気がコウメイの肌を嬲る。
「いつ、どこで、誰が、何を企んで、どうしてこうなったか、端的に!」
「はいっ」
姿勢を正し思わず床に正座したコウメイは、灯りを反射してキラキラと輝く氷の粒をまとったアキラを、眩しげに見あげたのだった。
+
奴隷の腕輪をつけられたコウメイに監視はついていなかった。腕輪で縛り付けているので逃れられる心配はないと考えているらしい。
「無能な連中だな。その腕輪、半分壊れているじゃないか」
「装着させられる寸前に魔術陣を引っ掻いて壊した。間に合わなくて右手のだけだけどな」
両手の腕輪が揃ってはじめて隷属の効果が完璧になる魔道具だ。片方だけでは縛り付ける力も弱く、抗うのもそれほど難しくはない。
アキラはコウメイの腕をとって、鉄の輪を指でなぞった。
「これもかなり雑な作りだな。これだけ省略した魔術陣を下手な手で刻んだ呪具など、壊れていなくても効果は長く続かないだろう。外すか?」
「いや、これがあるから怪しまれずに敷地内をうろうろ出来るんだ、しばらくはこのままにしとこうぜ」
「コウメイがいいなら……けど、一体何があってこんな物をはめられたんだ?」
自ら両手を差し出したわけではないだろうと探るように見据えられ、コウメイは気まずさを誤魔化すように視線を逸らした。
「夕べの舞踏会でな」
「ああ」
「貴族のお嬢さん方に囲まれて」
「なるほど」
護衛のつもりでいたコウメイは、王族であるヒッターの使用人に着替えを強制させられた。着飾って会場に入れば「護衛なんて無粋だよ」とヒッターに巻かれ、せめて目を離すまいと会場を探しているときに豪奢に飾り立てた女性らに声を掛けられた。
「知ってたか、連中のあのふんわり広がってるドレスってのは、一種の壁なんだぜ」
「それで?」
「前後左右に立たれたら逃げる場所がなくなった」
野性味と甘さが絶妙に同居するコウメイの容姿は、怠惰に溺れた貴族の男性らとは異なる魅力に満ちあふれている。着飾った淑女がそれを見逃すはずもなく、あっという間に囲まれ逃げ場がなくなったのだ。
「まさか力で排除するわけにもゆかねぇだろ」
踊ってくれと迫る女性らをどうやって追い払おうかと困っているところに、隙を狙っていたヒッターが奴隷の腕輪をはめたのだ。
「……あのアフロは何のためにコウメイにコレを着けたんだ?」
「魔術剣士ってところが気に入ったんだってさ」
コウメイの魔力を武器にまとわせる戦い方は、ヒッターにとっては未知の新鮮な魔術だった。普通の攻撃魔術師だけでなく、今後はコウメイのようなタイプの魔術師も増やしたいと考えたらしい。
「俺が元は放浪冒険者だって聞いて、そのうちギナエルマ(王都)から出て行っちまうんじゃねぇかって考えに至って、団に縛り付けるためにコレを着けようって思ったらしい」
「……いろいろ破綻しているとは思っていたが、そこまで腐っているとは」
「腐ってる奴ってのは自覚があるもんだぜ、奴にはそれがねぇから厄介なんだ」
王に統治される国は、王が絶対の存在だ。だからといって法を無視し続ければ国民が黙ってはいない。無実の者に罪を被せるのなら、有罪である証拠を捏造して民衆を納得させるものだ。だがヒッターの行動はそれすらなかった。
「ここの王族全員がアレなのか?」
「遠目に見ただけだが、舞踏会に出てた王族で、ここまで妙なのはアフロだけだと思うぜ」
何度か王城内に入ったことのあるコウメイがそう言うと、アキラは心底から安堵した。盗みに入る先にヒッターのような人物が何人もいては、予想外のアクシデントが頻発するに違いない。その不安がなくなるだけでも気持ちはずいぶん楽だ。
「腕輪を着け続けるのに利点はあるが、俺を巻き込んだ理由は?」
「俺よりもアキが探すほうが確実だろ? だから同じように従属しているフリをすれば行動範囲も広がると思ったんだよ」
腕輪をはめられた直後、瞬時に策を練ったコウメイは、ハギモリにも同じ物をはめて欲しいとヒッターに頼んだ。旅商人のハギモリも王都を去る可能性は高いぞとヒッターにささやき、自分も彼が気に入ったので側に置きたい、何とかしろとそそのかした。まさか拷問道具のほうを作らせるとは予想しなかったとコウメイは言い訳する。
「俺と同じ腕輪にしろって言ったんだぜ。けどあいつサークレットのほうが似合うって譲らねぇし」
確かに似合うだろうと納得してしまったコウメイは、それ以上強くは止められなかった。
「それを着けていれば出入り自由で探り放題だ、宝探し頑張ろうぜ、な?」
「……コウメイと違って、コレは痛みが伴うんだぞ」
アキラは恨めしげにコウメイを睨んだ。二十年ほど前に発案し、リンウッドに譲渡した緊箍児の魔術式は、犯罪奴隷の矯正に使用されているとは聞いていた。だがまさか巡り巡って自分が身につけることになるとは、因果というのはどう巡ってくるのかわからないものだ。
「アキなら外せるだろ。ちょろっとイジって無効化しちまえよ」
それを作った魔道具師は、魔法使いギルドの基準では黒級がせいぜいの実力だ、アキラの小細工は絶対に見破れない。
「そうしたいが、これを作った魔道具師というのが気になる」
ヒッターはアキラのために作らせたと言ったのだ。他国から取り寄せたのではなく、思い立って即日で作らせている。これだけの短期間で完成させられる腕前の魔術師への警戒は必要だ。
「団にはそれらしい人物はいないはずだし、奴の『陛下』という言葉が気になる」
「国王お抱えの魔道具師だ。腕前は『ハギモリ』よりちょっと上ってレベルだぜ」
「知っているのか?」
「アフロの変態と俺が、朝からどこで何してたと思ってるんだ?」
元は彫金師だというその人物は、魔力が備わっていたがために国に見出され、魔道具師として王宮に使えているのだそうだ。
「魔術を学んだわけじゃないから、作れる魔道具は既製品の丸写しばかりだ。魔術陣の修復技術はねぇぜ」
「なるほど……」
それなら多少細工をしても見破られはしないだろう。
アキラは両手で額の輪を押さえ、本来ならば主の許しなしに取り外せないそれに、微量の魔力を流して誤魔化し、慎重にサークレットを外した。
「ここだな。やはり魔術陣の省略が不完全だ」
肌に触れる内側に施された彫金は、二つの魔術陣を写したものだ。職人としての腕が良くないのか、記号や文字の持つ意味を理解していないせいか、簡単に干渉できる雑な仕上がりだ。
「完全に消すと不自然だし……少し調整して」
ヒッターが緊箍児を発動させた際に、自然な演技をしてみせる自信のないアキラは、ちょっと抓った程度の痛みを感じるように調整した。小さな痛みの合図で頭を押さえうずくまり、顔を隠して丸くなっていれば誤魔化せるだろう。
サークレットを着け直したアキラを見て、コウメイは楽しげに目を細めた。
「アキの部屋は契約解除だな。宿舎に入れってよ」
宿舎の空き部屋から好きなところを選べと言われ、アキラはコウメイと同じ階の部屋にした。街で借りた部屋に置きっぱなしの荷物は、明日にでも取りに行かなくてはならない。
「シュウにはキャロルさん経由で伝言しといたぜ」
今後の連絡は全てモルダ薬店を経由することにしたそうだ。
シュウの名前が出て賭けを思い出したアキラは、まろやかな笑顔でたずねた。
「それで、舞踏会では何人の女性と踊ったんだ?」
+++
屋根の端に置いた爪先のはるか下では、小さな灯火がいくつも流れていた。シュウは夜道を急ぐ人々から、さまざまな形をした屋根の連なりに視線を移す。
ギナエルマが王都になったのは、先々代の国王が遷都を命じてからだ。クルセイア国を併合した際に両国を統治しやすい場所に王都を移し、防衛を第一にした都市を築いた。そのため門から王城のある中心部まで、敵が到達しにくいように区画整備されている。
「裏道も合わせると、ほとんど迷路だよなー」
逃走経路の確保を任されているシュウは、兵士として堂々と街を巡回し逃げやすい道を探しているが、今のところ上手くはいっていない。王都は住人も多く、兵の見回りももれがない。兵士の巡回は規則性があり裏をかくのは難しくはないが、厄介なのは掃除屋と呼ばれる国家騎士団の下請け連中だ。街の路上生活者を排除する役割を与えられた連中は、昼夜を問わずの神出鬼没だ。
「奴らと遭遇したらメンドーだ」
まさか殺して突破するわけにもゆかない。迅速かつ人目につかない安全な逃走経路を探せとコウメイに指示されているが、調べれば調べるほど地上を逃げるのは難しそうなのだ。
「屋根の上が邪魔が少なくて確実だけど、危険度がなー」
シュウは助走なしに跳躍すると、二十マール強も離れた路地向こうの屋根に音もなく飛び移った。壁を蹴る音もなく、着地で屋根を軋ませることもない。シュウは二人よりも大きな身体をしているが、屋根を飛び渡る彼は誰よりも敏捷で静かだ。
「コウメイは大丈夫そーだけど、アキラには無理だしなー」
飛び移った距離を目測したシュウは、何で座布団を持ってこなかったのかとため息をついた。
「いざとなったら担げばいいかー」
逃走のどさくさで落としては大変だ。今後は少しでも走りやすい屋根や、飛びやすい建物を見つける方向で街を探索するとしよう。都市壁を越えてからの逃走経路によっても、選択する屋根は変わるだろう。そのあたりも含め二人との打ち合わせは必須だ。
十の鐘が鳴って半鐘も経っただろうか。シュウはそろそろだと屋根伝いにアキラの部屋に向かった。あと一つ屋根を跳べばというところで、シュウの足が止まる。
「なんか、変だよな?」
遠目に見える窓が閉まったままだ。いつもより慎重に近づいたが、合図の印も出ていない。アキラが約束に遅れるのは珍しいし、周囲にコウメイの気配がないのも妙だ。警戒しながら木窓の隙間から室内をのぞき込んだ。
「結界魔石、置いてねーのか?」
それだけではない、室内にはアキラの私物も残っていない。
「これ、ヤベーやつか?」
瞬間的に窓から離れ、二つ東の建物へと逃げた。
屋根に身を伏せ、煙突の影に潜む。
危険を察知したアキラがこの潜伏部屋を捨てたのだとしたら、見張りがいてもおかしくはない。
だが素早く周囲を探っても、それらしい気配はみつからない。
「コウメイの宿舎には押しかけらんねーし。キャロルさんとこに何か残してっかな?」
薬店に伝言がなければ、露店をたずねよう。もしそこに店が出ていなかったら、一時撤退だ。
「捕まってなきゃいいんだけどなー」
シュウは人気のない路地裏に音もなく降り、酔っ払いの雑踏に紛れた。
持ち帰りの出来る飯屋で料理を買い、夜食を買ってきたように見せかけながら街兵宿舎に入った。
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翌日、いつもより緊張して巡回する途中でモルダ薬店に立ち寄ったシュウは、キャロルから二つの板紙を受け取って安堵の息を吐いた。
異世界語(日本語)で書かれた板紙の一つはコウメイからで、潜伏部屋を引き払う顛末の説明だ。なかなかに危ない橋を渡っていたようで、シュウは従属魔道具がほぼ無効化されていると知って胸を撫で下ろした。
「心配して損したーっ」
「良かったじゃない。あなたここに来たとき死にそうな顔してたわよ」
「えー、俺ってそんなに顔に出てる?」
片手で頬肉を揉みながら、二枚目の板紙に目を移す。
文面は短かった。
「……」
「こんどは悪い知らせかしら?」
「賭けが成立しなかったってさー」
残念だ、と首を振りながら、シュウはランプの火を二枚の板紙に移し、手のひらの上で燃え尽きるのを見届けたのだった。




