9 厄介な乗船客
海賊船に遭遇した二日後、コウメイたちの乗った周回船は、サンステン国の最北の港町であるキケイドに着いた。
早朝の二の鐘の頃だというのに、港はアメリア号を迎え入れるために賑わっていたし、甲板には下船客がずらりと並んでいる。その後ろには外出する人々が大きな荷物を抱え控えていた。彼らは出港予定の七の鐘までに、買い物や洗濯などの用事を済ませなくてはならないのだ。
「魔猪肉は向こうの屋台だな。角ウサギ肉はこの屋台の蒸したやつを買っていこう」
「魚料理はどうする?」
「そうだな、そこの煮たやつと、あっちの蒸したのは良さそうだ」
三人は市場に直行し料理調達に励んでいた。コウメイが料理の屋台を吟味し次々に購入していった。次の寄港地まではこの航路最長期間になる八日間の船旅だ、遅延も考慮に入れるとそれなりの量になる。
「干し魚、うまそーだぜ」
「部屋で焼くのか? 煙臭くなるのはなぁ」
酒がすすむので干物は買いたいが、客室が煙と魚で臭くなるのは嫌だ。毎日作っているスープも、できるだけ匂いが染みつかないように食材を工夫しているくらいだ。
「パンはどうする?」
「あの硬くて酸っぱいパン、俺あんま好きじゃねーんだよなー」
みっちりと詰まった硬くて酸味のあるパンは、たまに食べるならいいが、毎日となると正直キツイ。この世界で七年も生きているのに、舌はいまだに生まれ育った日本の味から離れられないでいる。
「そうだな、ハギ粉団子くらいなら何とかなるけど、主食どっちにする?」
「クッキーバー」
「団子」
「はいはい、ハギ粉も買っておくか。あとパンもな」
「パンは嫌だって言ってんだろー」
「毎日スープ団子は飽きるぞ」
どんな料理でも三日も続けば飽きるし食欲は減退する。
「チーズを乗せたら食うだろ?」
「溶けたチーズなら」
「それはアキに頼め」
「頼むぜ、レンチン!」
「お前ら……」
買った食料はその場でアキラが凍らせ、シュウの背負う荷袋に納められていく。食料調達の後にアキラの染髪剤を買い、医薬師ギルドで保存薬草と錬金薬を買い足して寄港地での補給は終了だ。
「流石に八日分となると多いな」
「次はマナルカト国だったな確か」
「島国なんだろー?」
キケイドから北のサンステン国の海岸線は、切り立った断崖絶壁が続き、周回船のような大型船が立ち寄れる規模の港は存在しない。陸沿いに北上し、岬の先にあるのが次の寄港地である島国マナルカトだ。キケイドからは最短で八日間、波と風の都合で十日かかることもあるらしい。
すべての買い物を終えた三人は、港の見える食堂で少し遅めの昼食を堪能していた。シュウの苦手な酸っぱくて硬いパンの薄切りで挟んだ、チーズと酢漬けのレト菜に肉汁たっぷりの焼いた魔猪肉はなかなかに美味かったし、丸芋のとろりとしたスープは海風で冷えた身体を芯から温めてくれる。
「そういやアキラが頼まれたアレックスのお使いっての、どーなってんだ?」
「それは俺が聞きたいくらいだ」
アキラのため息はスープの表面を波立たせるほどに深かった。
確か船旅の間に向こうから接触してくるとか言っていたが、今のところ誰も話しかけてこない。ニーベルメア迄の間に残る寄港地は三か所。入港の時刻によっては町で接触を待つこともできない場合だってあるのだ、せめて場所や相手の特徴くらいは教えておいて欲しかった。
「イライラすんな。ここにシワできてるぜ」
ここにはいない腹黒エルフを睨みつけるかのように顔をしかめるアキラの眉間を、コウメイの指がトントンと突いた。
「ま、のんびり待ってりゃいいんじゃねぇか? 接触してこなけりゃそれで終わりだろ」
「そーそー、気楽にいこーぜ」
「何か落とし穴がありそうな気がする……」
これまで散々アレックスに振り回されてきたアキラは、どうしても警戒を解くことができないようだ。コウメイは仕方ないなと口の端を引き上げた。
「アキが荷物を届けるんじゃなくて、向こうが持ってくるんだろ。来ないのは向こうの都合なんだから、こっちがイライラして待つのは馬鹿らしいって」
だからしかめっ面で飯を食うな、料理はおいしく味わって楽しめと言われたアキラは、ほとんど口をつけていなかったサンドイッチにかぶりついた。酸味のあるパンとチーズの相性は抜群だし、酢漬けが魔猪肉の脂っぽさを丁度よく抑えていて食べやすい。確かに、つまらないことを考えながら食べるのは勿体ない味だった。
+
昼食を終えた三人は冒険者ギルドで手紙を出し、ぶらぶらと港を見物しながら乗船場へと向かった。アメリア号の付近では、八日分の水や酒や食料を積み込む船員らが忙しく動き、乗船客の荷物は人夫によって船内へと運び込まれている。
乗船口では船員が新規の乗客を振り分けていた。一等客室以上の乗客は、乗船手続きを終えると、二等や三等の乗客よりも優先して船内に案内される。キケイドでは上級客室が一つに一級客室の三つの乗客が入れ替わったようだ。
「今度は何を買ってきたんです?」
乗船口で確認作業をしている船員が、シュウの背負う荷物に興味深げに目をやった。前回の寄港地でタライを持ち込もうとした時は、用途が説明できずに不審がられた。今度は何を買ってきたのかと、馴染みになった船員は興味を持ったようだ。
「食料だよ。次の寄港地まで八日もあるんだろ。言っちゃわりーけど、食堂の飯は不味くて量も少ねーのに高けーし」
「はは、すみませんね。あれでもずいぶんマシになったんですよ」
「あれでかよ!」
「前はどれだけ酷かったんだか」
絶句した三人に船員は申し訳なさそうに言った。
「実は昨年までは船員が交代で料理してたので、当たり外れがひどかったんです。でも今年からはすべての船に料理人を雇えるようになったので……船によって当たりはずれはありますけど」
最後の一言は周囲に聞こえないように小さく声を絞っていた。苦笑いの彼の様子からも、アメリア号の料理人はハズレなのだとわかる。
帰船手続きを終え連絡路を歩いていると、護衛の冒険者二人を従えて船を降りる老人と行き交った。護衛の片割れであるブリアナが、すれ違いざまにコウメイに流し目を送ってきた。
「下船じゃなさそうだよな」
「彼女が護衛ということは、上級客室の客か」
「地味な目立たないじーさんだよな?」
護衛の必要な金持ちには見えなかったとシュウは不思議がったが、アキラから見れば老人はかなり裕福で地位のある人物に見える。老人の服は装飾を排していたが、仕立も生地も最高級で上品にまとめられていた。
「あえて地味に装ってるんだろう。いかにも金持ちっぽいと面倒に巻き込まれるからじゃないか?」
「そういやあのじーさん、甲板で見かけたことねぇな。身を隠してんのかな」
ふと先日の海賊騒ぎの事が思い出された。捕えた海賊を尋問した結果は公表されていないが、乗客の誰かを狙って襲ってきたらしいという噂が、まことしやかに広がっていた。もしや海賊の目的はあの老人だろうか。
「……君子じゃねぇけど、危ういのには近づかねぇでおこうぜ」
「だな」
「りょーかい」
老人が気になるが、余計な好奇心は災いを招くと嫌というほど知っている。三人はまっすぐに客室に戻り、買ってきた食料を保存したり、出かける前に干してあった洗濯物を取り込んだり、アキラの髪を重ね染めしたりして出航までの時間を潰したのだった。
+
キケイドの港では三等客室の大半と、二等客室の三割ほどが新しい乗客に変わっていた。甲板での訓練に参加する冒険者も大半が入れ替わっている。そして禿マッチョが指導する訓練も、それまでとは少しばかり内容が変わっていた。
「なんかこーいうの動画で見たことあったなー」
障害物を利用した移動訓練のお手本が、身軽な船員の一人によって披露されていた。舷縁からロープを使って屋根の上に移動し、屋根から降りざまに壁を蹴って樽に飛び移る。手をついて身体をひねりながら音を立てずに甲板に着地し、くるりと回転して転がっている木刀を拾って構えた。
「パルクールだな」
「それそれ。屋根とか壁とか看板とか手すりとかを使って、カッコよく街を移動するやつ」
目の前で船員たちによって繰り広げられているパフォーマンスはまさにそれだ。普段から不安定な足場を自在に移動している彼らにとって、こう言った動きは慣れたもののようだ。
「船上での戦いは足場の確保が重要だ。慣れない者は船が揺れただけで体勢を崩してしまう。その隙を突かれれば回避も防御もできずにやられて終わりだ。まずはどんな場所でも回避できる動きを身につけてもらう」
どうやら海賊戦での冒険者たちは随分と武闘派船員たちの足を引っ張ったようだ。危機管理の点からも、冒険者たちに柔軟性のある身体の使い方を叩きこむ必要があると考えたらしい。シュウは俄然乗り気ですでに集合場所に立っているし、コウメイも船員たちの身体の使い方から学ぶところがありそうだと参加を決めた。
「身体が鈍ってるだろ、アキもどうだ?」
アキラはフードの下でわずかに首を振った。確かに動けるように身体を慣らしておきたいが、今は目立たずひっそりと存在感を隠す方を優先しておきたかった。
「整列、はじめ!」
バーニーの号令で、まずはいつものように木刀での戦闘訓練がはじまった。近くにいる相手と軽く打ち合って身体を解し終えると、次はパルクール訓練だ。手本を見せた船員らが身体の使い方、着地時の衝撃の逃し方などを冒険者たちに教えはじめる。そんないつもとは一風変わった訓練の様子を、観客たちは楽しんでいるようだった。
「わあ、あの方たちの動き、凄いですね」
身なりの良い大人に囲まれた中から、子供の歓声があがった。周回船に子供が乗船しているのは珍しいことだ。ソプラノの声に振り返ったアキラは、子供の脇に立ち、乗客らの視線から守るように動いた人物に引っ掛かりを憶えた。
「……彼女は、あの老人の護衛じゃなかったか?」
蜂蜜のような色の金髪少女の横に立ったブリアナが周りを警戒している。子供を挟んだ反対側には、実直な雰囲気の黒髪の男が、いつでも抜けるようにと剣の柄に軽く手を置いて立っていた。
「岸壁に向かってたのは孫娘を迎えに行くためだったのか」
淡い緑の瞳をキラキラさせて訓練を見ている少女は十歳前後に見える、老人の孫かひ孫の年齢にぴったりだ。仕立の良い深緑の外套は温かそうだし、襟元のふわふわとした毛皮は双尾キツネだろうか、とても似合っている。緩やかな癖のある金髪を結んだリボンが、時おり海風によって煽られ頬を叩いていたが、少女はパルクールを見物するのに夢中で気づいていないようだった。
「凄い、あんなに高いところから飛んで平気なんて。コンラッドはできますか? ブリアナは?」
「私はできませんね。あなたは?」
「彼のように音を立てずに着地するのは無理でしょう」
黒髪の男は護衛対象越しに訓練の様子を見ていたが、シュウのパフォーマンスを見ると警戒するように顔を歪めた。身の軽い者なら少し訓練をすれば着地で音を立てないようになるだろうが、彼ほどの体格と重量が船長室の屋根から飛び降りて、ほぼ無音に近い状態で着地してのけるなんてありえないことだ。もう一人の眼帯の冒険者も、小さく危うい足場を的確につないで移動していた。身軽さもだが、状況を見極める目が良すぎる。
「あの方たちにご挨拶したいです!」
少女は瞳を輝かせ、胸の前で両手を握り合わせてコウメイとシュウを見つめている。
「ご挨拶ですか?」
「ええ。お爺様がコンラッドとブリアナに負担がかかり過ぎるのを心配しておられたでしょう。あの二人を雇えばよいと良いと思いませんか?」
少女の提案に護衛二人は顔を見合わせて苦笑いだ。黒髪がやんわりと少女を止めた。
「そのお話はお爺様に許可を得てからでお願いします」
「わかりました。でもご挨拶だけなら大丈夫ですよね?」
そう言うと、パルクール訓練を終えてアキラの方へ戻ってこようとする二人に、少女は優雅に歩み寄った。
「とても素晴らしい体術でした」
少女に声をかけられた二人は足を止めた。上気した愛らしい少女に見つめられ、シュウから照れ笑いがこぼれた。
「さぞかし名のある方々とお見受けいたします」
「有名、かなー?」
「そんなに大したものじゃありませんよ」
「いいえ、他の方々よりも軽い身のこなし、鋭い動き、どれをとっても一流です。私もあんなふうに動けるようになりたいです」
リボンとレースで飾られたドレスを着て、繊細なカップで高級な香り茶を飲み、花々を愛でながら上品な菓子をちまちまと食べていそうな少女の口から、まるで憧れの騎士を前にした見習いの少年のような賛美が出てきた。驚いて声も出ない様子のコウメイとシュウに気づいて、少女は恥ずかしそうに顔を伏せた。
「あの、突然申し訳ありませんでした。私はフランセスと申します。フランとお呼びください。あなたのお名前を教えていただけますか?」
恥ずかしそうに頬を赤らめ、上目遣いに見あげてくる少女はとても可憐だった。華のある美少女の行動を見守る野次馬の視線が、刺さるほどの鋭さでコウメイに向けられている。
「コウメイ、手出すなよー? 可愛いけど相手は子供だからな?」
「俺を幼女趣味の変態みたいにいうなっ」
小声でからかうシュウの脇腹に即座に肘を撃ち込んだ。背には鋭さを増した周囲の視線が次々に刺さっている。コウメイたちの様子を笑って見ているのはバーニーくらいだった。
禿マッチョは汗を拭きながらアキラの側にやってきた。
「やっぱり顔のいい奴らはモテるんだな」
「バーニーさんも十分に整った男前だと思いますが」
「ははっ、あんたに褒められてもなぁ」
きれいに剃った頭を叩いて豪快に笑ったバーニーは、見物客がコウメイと少女に意識を向けているのを確かめると、舷縁にもたれるアキラに向かい合って声を潜めた。
「あのお客人から目を離さないでいてほしい」
「どういう意味ですか?」
フードの陰から少女と護衛二人を観察していたアキラは、曖昧な表現に引っかかりを憶えた。甲板の人々に背を向けた禿マッチョの眼は鋭い。周囲に唇の動きを読ませないようにと、もう一歩アキラに近づいた。
「拷問した海賊が、乗客の子供を攫うか殺すよう頼まれたと吐いた」
「子供なんて……」
「ああそうだ、あの時点で子供の客なんて一人もいなかった。どういうことかと疑問だったんだが、キケイドであの少女が乗船してきただろう?」
襲撃の時点で少女がいなかったのは運が良かったのか、それとも事前に情報を察知して乗船のタイミングをずらせたのか。どちらにしても海賊と少女が無関係とは思わない方がよさそうだった。
「また海賊に襲われると?」
「わからん。だが何か起きそうだと思わないか?」
「思いませんね」ときっぱり返したかったが、どう考えても悪い予感しかしない。アキラは顔を顰めて少女を見た。
「いったい彼女は何者なんですか?」
「乗船名簿ではオルステイン国の豪商の孫娘だな」
「偽名だと?」
「身分証明書は間違いなく正規のものだった」
だがバーニーは少女の素性を疑っているようだったし、正規の偽証明書などいくらでも作れることを、アキラもまた知っている。少女の身元も気になるが、それよりも問題なのはこの禿マッチョだ。
「何故そんな重要な情報を私に?」
「そりゃ、いざって時に手を貸してもらいたいからな」
「厄介事を押し付ける気ですか」
アキラはフードをずらして禿マッチョを正面から睨みつけた。聞いてしまったからには無視もできないではないか。それを狙っての計略だろうが、姑息すぎる。
「そんなに睨むなよ、美人に蔑まれたら傷つくだろ」
傷心だと大げさに胸を押さえて見せるバーニーの背後では、楽しそうに会話する少女と二人の護衛、そして鼻の下を伸ばしているコウメイとシュウがいる。
「襲撃があるにしても、彼女には立派な護衛がついているようですが」
ブリアナの強さは訓練で見ているし、黒髪の彼は彼女以上に隙が無く、かなりの強さだとわかる。コウメイとシュウの出番などないだろうと指摘すると、バーニーはため息を吐いて身体をひねると、アキラの横に並び同じように舷縁に腰をあずけた。
「ブリアナはなぁ、どうも余所見が過ぎるんだよ。今もお嬢ちゃんの護衛なのに半分意識がコウメイに向いてるだろ。コンラッドがいるからって気を抜きすぎだ」
「彼の方はそれを補って余るほどの力量だと思いますが」
「強さだけなら、まあ、な。だがコンラッドの戦い方はキレイすぎる気がするんだよ」
立ち振る舞いや身体の動きを見れば、戦闘の癖は大体わかると禿マッチョは言った。
「あれは、泥臭い戦闘や、命の駆け引きをまだ経験してない強さだ」
「強い、と矛盾してませんか?」
「強さの種類が違うんだよ。あの男は一対一の試合なら負けなしかもしれねぇ」
だがいくら試合で無敗だといわれても、命を預ける気にはなれないとバーニーは皮肉気に口端を歪めた。
「あっさり裏をかかれて護衛対象を奪われかねない。だからあんたらがこっそり守ってくれれば助かるんだ」
想定外の海賊騒ぎで遅れの出ている予定が、新たな襲撃騒ぎでこれ以上遅れるのは困るとバーニーが船員側の事情も訴えた。それに乗客を安全に目的地に運ぶのが周回船の義務だ、使える人員と手段は問答無用で活用するぞと言い切った。
「あんな小さな子供が狙われてるんだぜ、かわいそうだと思わないか?」
「心情的にはわかりますが、他所の事情に首を突っ込むのは御免です」
海賊の時のように、自分たちも被害を被る場合は徹底して反撃するし、身を守るために全力を尽くす。その行動がついでに誰かの救済にもなる場合もある。だが禿マッチョが望んでいるのは少女の護衛任務だ。できるわけがない。
アキラが断ることは予想していたのだろう。バーニーは軽く肩をすくめただけで引き下がった。
「まあ、そうだろうな。けど、あんたらは海賊退治にも無償で手を貸すようなお人好しだからな。目の前で少女が殺されそうになってたら助けに入るだろ?」
「……どうでしょうね」
戦闘の癖は見ればわかるというバーニーだ。対海賊戦をともに戦った経験から、こちらの性格までしっかりと把握されているようだった。アキラの肩を叩き、ニカッと笑う禿マッチョは、太陽の光を嫌というほど反射して目に痛かった。
「頼んだぜ」
「お断りします」
「頼りにしてるぜ」
「しないでください。いいですか、私たちは自分たちの命と都合を最優先にしていますから。それだけは言っておきますからね!」
アキラのその言葉では「手助けくらいはする」と請け負ったと受け取れるものなのだが、言った本人はまだ気づいていない。
ははは、と笑いながら立ち去る禿マッチョに向かって大きな声をあげたアキラを、彼の素性を知る者たちは驚いたように見ていた。
+
客室に戻った三人は、即座に午後のおやつを兼ねた情報交換をはじめた。
「付け込まれたな」
「まー、しかたねーよ。あんな小っせー女の子を見捨てるのって後ろめてーし」
「……悪い」
少女にどんな事情があるかは知らないが、目の前で攫われたり危害を加えられる姿を見たくないと思う程度には、アキラの良心が疼いたのだから仕方がない。もしコウメイとシュウに話が持ち込まれていたとしても、おそらく同じ展開になっていただろう。憧れの目で見あげてくる感情豊かな少女に、二人ともすっかり情が移ってしまっていた。
「あの禿マッチョのことだ、どうせこっそりと守れとか無茶振りしたんだろ?」
「俺らは隠密じゃねーよ」
船内に一人しかいない子供の乗客は嫌でも目につくものだ。他の乗客らも美しい少女をあたたかく見守っていた。彼女を守ろうとする輩は多いだろう、自分たちが積極的にならなくても問題はなさそうな気がする。
「そういやあのお嬢ちゃん、何処へ向かってるんだ?」
「オルステイン国で下船予定だそうだ」
「また面倒な情勢の国へ……」
不意に、コウメイの言葉が途切れた。わずかに俯いてぼそぼそと何かを呟いたかと思うと、険しい表情でアキラに問うた。
「なあ、まさかと思うが、政争がらみの人物とかじゃねぇだろうな?」
「せいそー?」
「政治的な争い、だ。オルステイン国って、王位継承争いで内紛状態だって言ってなかったか?」
確か旅商人のエドモンドから聞いたはずだとのコウメイの言葉で、アキラはスカウトの際の会話を思い出した。
しかし。
「えー、まさか。子供だぜ?」
「貴族とか、王族とか、そういう特権階級に年齢は関係ねぇだろ」
「……」
正体不明の敵に狙われている美少女の目的地が、王位継承争い真っ只中の国。無関係と考える方が不自然だ。
「真っ黒な案件だな」
「禿マッチョにしてやられたか」
「どーすんだよ」
かつて面倒な王族から遁走する羽目になったのは懐かしい思い出だが、もう一度経験したいかと言うと否だ。だが見殺しにするのは後味が悪すぎるが、積極的にガードするのは筋が違う。
「確約したわけじゃねぇし、視界の範囲にいる間は気に留めるくらいにしておこうぜ。本職の護衛がちゃんとついてるんだ、邪魔しちゃ悪ぃよな?」
「自分たちの命が最優先だと宣言してあるし、護衛の二人を差し置いて俺たちが働きかけるのは失礼にあたる。見守る程度に控えておくだけで十分だろう?」
「護衛の二人が守り切れなかった時でいいんじゃねー?」
助けを求められれば可能な範囲で手助けをする、そう意見が一致した瞬間に三人はコレ豆茶のカップをカツンと合わせて乾杯し、厄介事を忘れてパウンドケーキを堪能したのだった。




