王都ギナエルマ
王都に入る門での検めは、どこの国も念入りに行われるものだが、ここオルステインの王都ギナエルマ門兵の検問は特に厳しい。それは彼がいつもの魔術師証ではなく、田舎の山村出身の行商人という身分証を提示したからではない。
門にはあえて体格が良く厳つい顔つきの者を集めているのだろう、威圧的な顎髭の兵士は受け取った身分証を隅々まで確認し、頬に目立つ刃痕のある兵は彼の背負った荷を検める。
「モルダという名の村は存在しない」
「幼少のころに起きたスタンピードで一家が離散しまして、村もそのときに消滅しています」
長い黒髪を緩く編んで背にたらした青年は、悲し気にそう語った。守りの壁を持たない村が魔物によって壊滅するのは珍しくはない。
顎髭は別の帳面を取り出しパラパラとめくる。廃村一覧の半ばで村の名前を見つけたようだが、検めは終わらなかった。
「その顔といい身なりといい、行商人には見えんな」
「そう言われてましても、顔は生まれつきですからどうしようもないですし……」
長い睫が困ったように伏せられ、銀色の瞳が陰る。確かに彼は役者か吟遊詩人のような整った顔をしていた。
「このガラクタが売り物か?」
荷を検めていた刃痕の兵が、壊れた探索用ランプを取り出して馬鹿にしたように鼻で笑う。彼の荷箱に収められているのは壊れた道具ばかりだ。
「壊れたランプに壊れた鍋、ふざけるなよ」
「ふざけていません。それは客引きに使う魔道具です」
「魔道具なのは見ればわかる。だが壊れたものでどうやって客引きする?」
売り物がないのに行商人と称するのは無理があるぞと、刀傷の兵士が睨みつけた。
「私が売るのは技術です。壊れた魔道具を修理して代金を頂きますが、実際に直して見せないと、お客様を呼び込めないでしょう? そのために使うのです」
彼の説明を聞き、顎髭と刃痕の表情に警戒と畏れがよぎる。
「魔道具の修理ということは、おまえ魔術師か?」
「いいえ。スタンピードから逃れた先で出会った魔術師に、魔道具を修理する方法を学びました。ですが私にできるのはそれだけです。以来あちこちの町をまわって魔道具の修理をしています」
その説明を聞き、門兵は控え室から持ってこさせた魔道具を彼に見せた。
「ではこれを直してみろ」
行商人のガラクタに仕掛けがある可能性を考え、門兵は備品を用意した。これを治せなければ身分詐称を理由に追い返すか、あるいは身元保証金として大金を巻き上げるつもりなのだろう。
彼は受け取った湯沸かしの魔道具から魔石を外すと、窪みに指を入れて外装を外した。あらわれた魔術式に顔を寄せてじっくりと眺め、すぐに故障の原因を突き止める。荷箱に手をかけたままの刃痕に頼んで銀のペンを取ってもらい、消えている魔術式をなぞってから外装を戻し、顎髭に湯沸かしの魔道具を返した。
「試しに湯を沸かしてください」
顎髭が少量の水の入った小鍋を置き、窪みに魔石を戻して指で押す。しばらくすると水が泡立ち湯気が立ちはじめた。
「……直った、な」
「日常的に使われる魔道具でしたら、たいていの物は修理いたします。王都の商業ギルドに登録して露店を出すつもりですので、ご贔屓くださいね」
黒髪に銀瞳の魔道具修理人は、検問の順番待ちをしていた人々にそう宣伝して微笑みかけた。
「よ、よし、行商人ハギモリ、王都へ入ることを許す。行け」
顎髭は身分証の裏に焼き印を押して返した。
それまでの待ち時間と検めに時間がかかったこともあり、彼が門をくぐったころには日が沈みはじめていた。
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ハギモリは門を入ってすぐに商業ギルドの場所をたずね、小走りに向かった。街の中心部に近い一等地の建物に入り、露店の申し込みをして営業許可をもらう。その際にも魔道具修理人であることを証明するため、ギルドの壊れた魔道具を修理して見せねばならず、手続きが終わったのは八の鐘が鳴ってしばらく経っていた。
「その許可証は三日分だ。最終日に更新に来てくれ。やめるなら返却だ」
「出店できるのは二日後ですか……安い宿、紹介していただけませんか?」
懐が寂しいという彼に、職員は商人ではなく冒険者が多く宿泊する安宿屋をすすめた。彼の衣服が商人ではなく冒険者風だったのも理由だろう。
商業ギルドの建物を出ると、通りには冒険者の姿を多く見かけた。冒険者ギルドに、あるいは定宿に帰ろうとしているのだろう。空き部屋が残っているようにと祈りながら彼も急いで宿に向かった。
一階が食堂兼酒場というありきたりな宿は、すでに多くの冒険者でごった返していたが、そのほとんどは酒場客のようだ。運の良いことに彼は最後の個室を押さえられた。一泊百六十ダルという格安の宿泊料金には食事代が含まれていない。荷物を狭い個室に収めると、ごった返す食堂に空席を見つけ、なんとか夕食にありついた。
料理よりも酒に重きを置いているのだろう、料理はその日の夕食という一品のみ。だが酒の種類は豊富だ。注文してすぐに届けられた暴牛肉の煮込みと茹でた丸芋の皿を見て彼は眉をひそめた。
「……野菜がない」
せめて酢漬け野菜が欲しいと嘆いている間に向かいの客が入れ替わる。
「ここ、いいか?」
「聞く前に座っているようだが?」
「他に空いてる席がねぇんだ、返事待ってたら他の奴に座られちまうだろ。俺は腹が減ってるんだ」
向かい合う席に座った眼帯の冒険者がニヤリと笑う。運ばれてきたエル酒のカップを掲げた彼は、勝手にハギモリのカップと乾杯して一気に飲み干した。その後はお代わりのエル酒と夕食に集中し、他の客の動向など気にもとめない。
暴牛肉は筋まで柔らかく煮込まれているが、彼には濃すぎる味付けだ。酒をたくさん飲ませるための料理ならば納得だが、食事を楽しみたい彼には辛い。ハギモリは添えられた茹で芋を潰し入れて味を調整し、なんとか夕食を平らげた。
一人酒を楽しむには騒がしすぎる食堂に長居は無用だ。カップに残り少ないエル酒を飲み干しながら、彼は爪先を伸ばして向かいの男の革靴を二回踏んだ。足を踏まれた男は煮込みに舌鼓をうっており気にもしない。仕上げとばかりに爪先同士を五回打ち合わせてから彼は席を離れた。
隣テーブルのパーティーは昼間の討伐を自慢しながら酒を飲み、斜め後ろの集団はギルドの買取が渋いと文句を垂れている。そんな大きな雑音のおかげか、テーブル下の小さな物音を聞いた者はいなかった。
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二階の、階段から五番目の扉がアキラの客室だ。
個室だがベッドが床面積のほとんどを占めており、彼の荷物はベッドの端にしか置く場所がない。しかもシーツの下に敷かれた藁もずいぶんと少なく、寝心地は期待できそうになかった。
彼は素早く室内に入ると、四方に置いた魔石結界に異変がないのを確認し、大きな荷の陰に隠れるようにベッドに腰を下ろした。
そのまま静かに来訪者を待つ。
ノックは五回、少し間を置いて二回だ。内鍵を開けた直後、コウメイがするりと滑り入った。
「爪先がつぶれるかと思ったぞ、加減しろよ」
「俺が踏んだくらいで潰れるようなか弱い靴じゃないだろ」
爪先や踵を金属で補強した、魔物を蹴り倒せるブーツを履いていて何をほざいているのかと、アキラは目をすがめた。
「ずいぶんと遅かったじゃねぇか」
「この荷物のおかげで立て続けに乗車拒否されたんだ」
恨めしげに叩いた荷箱は、普段シュウが使っているものだ。乗客の数で稼ぐ乗合馬車は、かさばる荷物の客は追加利用金を払うとしても後回しにしがちだ。背負子からはみ出すほどに大きな荷箱は、アキラが使うにあたって内側に重量軽減の魔術陣を刻み込んである。
「首尾は?」
「上々」
狭い寝台に並んで腰を下ろすと、コウメイは状況を手短に説明する。
「シュウは夜回り当番でこれねぇ」
「うまく街兵に雇われたか」
「下っ端は外回りの巡回からってんで、昼も夜も王都を歩き回ってるぜ」
最初に王都に到着したシュウは、モルダ薬店を頼ってきたとの理由で王都に入り、予定通りソロ冒険者として名をあげた。その評判を聞きつけた街兵にスカウトされ、先月から巡回兵として働いている。人懐っこいシュウは街民らの評判も良いし、その体格と剛力は知れ渡っているため、彼が巡回していると街が平和なのだそうだ。
「あの体格にあう制服があったのか」
「特注したらしいぜ」
ずいぶん期待されているようだ。その制服のおかげで、裏道や巡回経路以外も堂々と歩ける。そうやって街の隅々までを把握するのがシュウに与えられた役割だ。
「それとドミニクさんからの情報だ。ヘルミーネの遺物だが、やっぱり魔術書は売買記録を追いやすかったみてぇだぜ」
「王都か?」
「ああ、十七年前にオルステインの貴族が買い取って、王家に献上したそうだ」
予想していた中で最も難易度の高い場所だと知らされて、アキラは残念そうに肩を落とす。
「古本屋で埃をかぶっててくれれば楽だったのに……」
「貴族が出入りするような古物商で売ってたそうだから、装飾が派手だったとか宝石がついてたのかもな」
何冊あったのか、どのような特徴をしているのかは現在調査中だそうだ。
「俺が情報を聞いたのが先々週だ。そろそろ追加情報が入ってるかも知れねぇ、直接聞きに行ってくれ」
「モルダ薬店だったな?」
「そ、冒険者ギルドの並びにある。開店は四の鐘からだ」
板紙のメモに書かれた地図で場所を把握する。
「盗みに入る先が王城だろ、俺も手っ取り早く国家魔術師団に潜り込んだ」
「手っ取り早いかどうかはともかく、騎士団じゃなくて魔術師団なのか?」
困惑するアキラに、コウメイはニヤリとした笑みを返す。シュウに遅れること半月、王都に入ったコウメイはヘルミーネの遺物の情報を得て、王城に近づいても怪しまれない身分を手に入れることにした。シュウを見習って魔術を使うソロ冒険者として目立ち、魔術師団のスカウトを待ったのだ。
「魔術師団の中に、魔術騎士団ってのがあるんだよ」
「王宮騎士団じゃないのか」
「そっちは血統最優先だから、貴族じゃなきゃ入団できねぇって」
入りたくもないと眉をひそめる様子から、魔術騎士団入りした後に揉めるか何かしたのかもしれない。
「国家騎士団には平民もいるが、こっちも推薦人が必要だったり身元調査が厳しくてな。けど魔術騎士団なら実力最優先だ」
オルステインの王都を防衛する騎士団は三組織ある。一つは王の盾であり剣でもある王宮騎士団、そして国家の戦力である国家騎士団、魔術を使える者が所属する魔術騎士団である。
ソロ冒険者として手っ取り早く有名になるために、コウメイは己の魔力を盛大にアピールした。結果「剣と水の攻撃魔術を巧みに使い戦うソロ冒険者」との評判が広がり、水の魔術の使い手なら魔術騎士団にこそ相応しいと勧誘されたのだ。
「騎士団なんていってるけど、実際は攻撃魔術師の集団だな」
「実力は?」
「こんくれぇの火の玉を三連続で撃てたら騎士団長」
標的に命中させたら、ではない。
コウメイの評価を聞き、今度はアキラの顔が渋面で歪んだ。その程度で魔術師を名乗れるのかと呻いて額を押さえる。
トレ・マテル魔法使いギルドを実質的に解散させて以降、オルステイン国内にはまともな魔術師は残っていないと聞いていた。だが王家がかき集め保護し、仮にも国家魔術師団あるいは魔術騎士団と名乗るのだからと多少は警戒していたのが、いらぬ心配だったらしい。
「……まあ、魔術師に邪魔されないのだから良しとするか」
コウメイの説明から判断すれば、そのほとんどは黒級未満、騎士団長でやっと黒級攻撃魔術師レベルだろう。その程度の魔術師なら百人が束になってもアキラの敵ではない。
「そんな低級な中にまじったら、目立ったんじゃないのか?」
「一応力は抑えてるぜ。けど騎士団の中で剣を持ってるのが俺だけだからなぁ、けっこう悪目立ちしてる。まあそれを理由にして国家騎士団の訓練に紛れ込ませてもらってるから、行動範囲は広くなったぜ」
魔術騎士団の訓練は攻撃魔術が中心だ。系統が違うコウメイは、上に掛け合って剣の訓練環境を手に入れた。国家騎士団の訓練場を往復する間に、下級役人や下働きらと顔見知りになり、王城の情報を仕入れている。
「まだ入団十日だから、有益な情報は得られてねぇけど」
目的の所在を探し出すにはもう少し時間がかかりそうだとコウメイは苦笑いだ。
「王城の奥に入り込むのはアキに任せる」
「作戦がどこまで通用するのか不安だな……」
アキラは圧迫感のある荷箱をチラリと見た。重量軽減魔術陣のおかけで重くはなかったが、この大量の壊れた魔道具をいくつ修理すればスカウトが来るかと想像し、重いため息がこぼれる。
「期限は求められなかったが、さっさと終わらせたいな」
「全くだ、せっかく米探しの計画立ててたってのに」
トレ・マテルに寄り道したこともあり、すでに季節は秋の終わりが近づいている。のろのろして冬になってしまえば、ヘル・ヘルタントとウェルシュタントの戦争がはじまってしまう。そうなれば米探しは春まで延期なのだ。
「アキの潜伏場所が決まったら、そこを拠点に即行動開始だな」
「貸部屋か……」
清潔でそれなりの広さがあり、出入りがひと目につかない場所でありながら治安の良い物件、はたしてそんな都合の良い貸し部屋があるだろうかとアキラに問われたコウメイは、応えられずに唸ったのだった。




