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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
10章 ヘルミーネの遺物

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トレ・マテル魔法使いギルド



『トレ・マテル』


 まろやかな、だが魔力を帯びた強い声に送られて、彼らは狭くほの暗いそこに降り立った。


「……明るいな」


 切り出したままの石壁に装飾はない。円柱状の広くはない部屋だった。足下の転移魔術陣から漏れる魔力の光で照らされた室内は、少しばかり圧迫を感じる。おそらく地下の深い場所なのだろう、空気が湿っぽくまとわりついてきた。見回したコウメイは呆れ顔だ。


「転移部屋にしてはずいぶん辛気くせぇな」

「人の気配も感じねーぜ」


 家捜しの難易度が低くて助かるが、不用心すぎじゃないかとシュウは呆れている。


「トレ・マテル魔法使いギルドで健在なのは建物と看板だけで、所属の魔術師はわずか五名だそうだ」

「たった五人? それギルドじゃなくてパーティーじゃん」

「数年前はまだ粘ってたよな?」

「王様の作った魔術団ってのに引き抜かれたのか?」

「いや、他国に転籍している」


 トレ・マテルに所属していた多くの魔術師は他国ギルドに席を移している。アレ・テタルとヘル・ヘルタントで七割を引き受け、一割はケギーテが、残りはダッタザートやウナ・パレムへと散り散りだ。


「へぇ、王様の魔術団って待遇悪いのかね?」

「待遇ではなく矜持の問題だったらしいぞ。あちらはギルドの色級を尊重しない組織らしい。プライドの高い魔術師たちが、黒級未満の落ちこぼれに頭を下げるわけないだろう」


 結果、十数年の間に優秀な人材のほとんどが国外に流出し、残された魔術師未満の実力しかない者らが国家魔術師を名乗っている。


「なー、その話、ここでしなきゃならねーのかよ」


 ジメジメとした空気が不快でならないシュウは、早く外に出たいとアキラを急かした。


「そうだな、隠れていても無駄だろうし」

「ミシェルさんから話は……通ってねぇわな。死んでることになってるし」

「それって無断使用でこれから叱られるってことかよ?」


 その通りだと頷くアキラを見て、シュウは見つかる前にさっさと用事を済ませて逃げればいいと扉に手をかけた。

 見た目に反して重く硬い扉がギギギと音を立てて開く。


「おや、どなたかと思えば……久しぶりだね」


 扉の前に古びた赤いローブをまとった老人が待ち構えていた。


「うおっ、だ、誰?」

「……ドミニクさん、お久しぶりです」


 痩せて血色の悪い老人を見て、シュウが後退る。気まずげに挨拶したアキラに、ドミニクは歓迎の笑みで迫った。転移室から出しはしないとでも言うように、彼は室内にアキラたちを押し戻す。


「君たちはこの転移魔術でここに来た、間違いないね?」


 他にどんな手段があるのかと視線で問いかけるアキラに、彼は転移陣を指し示した。


「ケギーテへ跳んでみなさい」

「ドミニクさん?」

「アキラが居た場所でも良い、転移できるか見せてくれ」


 ほほ笑んでいたはずの表情が、怖気を感じるほどの気迫に変わっていた。


「待てよ、爺さん」


 いまだ魔力が満ちたままの魔術陣へと押し戻すように迫るドミニクを、コウメイが遮った。二人の間に割って入り、目を血走らせた老魔術師を押し返す。


「こっそり忍び込んだのは謝るぜ。だがいきなり転移してみろなんて、何させようっていうんだ?」

「転移してほしいだけだ。見ていなさい、この魔術陣は使えなくなっているはずなのだよ」


 どういうことだ、とアキラは足下の転移魔術陣を見下ろした。彼は魔力を込めていないのに、転移陣ははっきりと魔力の光を放ち続けている。

 ドミニクは三人を中央に立たせ、魔術陣を杖でをついた。


『ケギーテ』


 古代魔術言語の正しい発声と音階。

 魔術陣に満ちている魔力。

 浮遊感とともに視界が切り替わるはず、だった。


「失敗……ではありませんね」


 アキラの視線は魔力を追いかけ探る。魔力の流れは正常だし、魔術陣に欠けはない。足元の魔術陣を確かめたアキラは、見知らぬ術式が書き加えられていると気付いた。


「転移に制限がかけられている……?」

「その通りだ。わしらでは誰かを送ることも、自ら転移することもできんのだ」


 転移魔術陣の改変はドミニクには許されていない。だがこの状態でも転移してこられたアキラに試してほしいのだと頼んだ。


「ここに転移してこられたアキラなら、どこかに転移することも可能なはずだ。頼む」


「やってみます」と返す前に、コウメイが杖を持つ彼の腕を掴んで引いた。


「アキ、実験に付き合う必要はねぇぜ」

「だが試すくらいは」

「それで罰術を発動させるのか?」


 転移魔術陣を使った結果ではない、使おうとしただけで契約魔術は発動するのだ。それがわかっていて失敗確実な転移はさせられない。拗ねたように口をつぐんだアキラからドミニクへと視線を移したコウメイは、悲壮感で青ざめる彼を見据えた。


「俺らはアキの魔術でここに来たんじゃねぇ、依頼主に送り込まれたんだ」

「誰にだ? どこから転移した?」

「依頼主は……エルフです」


 監視者の種族と聞いて怯んだが、ドミニクは引き下がらなかった。


「試すくらいはかまわないだろう?」

「じゃあアキの代わりに罰術を受けてくれるのかよ?」


 コウメイが袖をめくってアキラの左腕を晒す。そこに刻み込まれた契約魔術を読んで老魔術師は息をのんだ。


「術者が死してなお残るほど強力な契約魔術とは……」


 さすがに強制はできないと諦めたのか、ドミニクの肩が落胆で沈んだ。


「転移魔術陣が改変されるなんて、一体何があったのですか?」

「長い話になるぞ。ここでは落ちつかん、上へ行こう」


 床の魔術陣を切なげに撫でていたドミニクは、思い切るように立ち上がって転移室の扉を開けた。


   +


 転移室の扉の外にあるのは石壁の階段だ。

 先が見えないほど急な螺旋は、どこまでも続いているように思える。


「ほれ、どうした、ついてきなさい」


 ドミニクはすっぱりと気持ちを切り替えたようだ。魔法使いギルド長としての落ち着きと、旧知への親しみを取り戻している。 


「何の目的でトレ・マテルに忍び入ろうとしたのか、聞かせてもらわねばな」

「そんな怖い顔をしないでください。顔色がよくないようですし、ご無理なさってはいけませんよ」

「なんの、引きこもった暮らしは退屈でな、急な来客をもてなしたくてたまらんのだ、しばらく付き合ってくれんかね」


 どうやら見逃してはもらえないようだ。諦めて三人はドミニクについてゆくことにした。

 靴音が石壁に弾かれ、複雑に重なって響き耳障りだ。

 痩せ細った老魔術師は、意外なほどしっかりとした足取りで狭く長い階段をのぼってゆく。


「こちらの塔はずいぶんと高いのですね」


 トレ・マテルがはじめてのアキラは、同じように地下に作られたケギーテを思い出していた。あちらはエレベーターのような移動装置が備わっていたのに、ここは古く今にも朽ちそうな石階段だ。階段の途中にはいくつかの扉があったが、ドミニクはそれを無視してひたすら上を目指している。


「もともと転移室は地下一階にあったのだよ。それが二年前の紛争時に、塔の防御魔術を発動させるしかない状況まで追い込まれてね」

「紛争? えらく物騒だな」

「えーと、それってでっかいケンカだよな?」


 当時を思い出したのだろう、先をゆくドミニクから愉快そうな笑い声が降ってきた。


「そうだな、確かに大きな喧嘩だったよ。オルステイン王家が、我々魔法使いギルドを反逆の異端組織だと名指しし、戦を仕掛けてきたのだ」


 トレ・マテルは近隣で最も大きな都市だ。魔物だけでなく犯罪者や侵略への備えは万全である。その安全なはずの都市に、王の勅命を受けた領主が門を開いて王宮騎士団と国家騎士団、そして魔術騎士団を招き入れた。彼らは街の中心地にそびえ立つ魔法使いギルドの塔を包囲し、問答無用で破壊をはじめたのだ。


「塔の防御魔術が発動したのですか……それは大規模な破壊戦だったのではありませんか?」


 塔の魔術師らに被害はなかったのかと問うアキラに、ドミニクはからからと笑って返す。


「大岩を撃たれようと、火を放たれようと、我が塔が簡単に崩れ落ちたりするものか」


 当然、中にいた数少ない魔術師らには何の影響もなかった。だがこれで完全にオルステインとの決別を決めたドミニクは、塔に残っていた魔術師らとともに防御魔術を発動させたのだという。


 話しているうちに階段を昇りきっていた。

 階段の終わりを示す扉を開き、ドミニクは三人を招き入れた。


「狭い部屋で申し訳ないが、くつろいでくれ」


 小さな魔術の灯りだけの部屋は薄暗い。部屋の真ん中にあるのは、大きめのテーブルと数脚の椅子だ。石壁に並ぶ等間隔の窓は内鎧戸で固く閉じられている。踏み台が置かれているのは何故だろうと、コウメイは引っかかりを覚えつつ、逃げ道を確保しようと立ち位置を変える。


「疲れただろう、座ってくれ」


 すすめられたが、果たしてどれに座れば良いのかと苦笑いが漏れた。元は調理用の作業台だったらしいテーブルには、フライパンで焼いたと思われる跡や刃物の細かな痕跡が至る所に残っている。なのに用意されている椅子は、貴族の食卓用椅子や執務椅子、辛うじて背もたれのある木製椅子とあまりにもちぐはぐだ。


「面白いだろう、ミシェル殿が階段を昇られてからというもの、どこの魔法使いギルドも変化にのまれておるよ」

「……良い変化であればいいのですが」

「退屈はしていないよ、私はね。過酷ではあるが、それなりに楽しみを見つけている」


 なるほど、彼が痩せ疲れて見えるのはそのせいかと、アキラは悟られぬよう静かに息を吐いた。

 ドミニクは執務椅子に腰をおろした。入り口扉を背にしてコウメイとシュウは木製椅子に座り、アキラは食卓用椅子に落ち着く。


「さて、忘れられたトレ・マテルへようこそ。事前に連絡をもらえていれば茶くらいは用意できたのだがね。どのようなご用件だろうか?」

「手厳しいですね。少し探し物があって訪問させていただいたのですが」

「警戒されるのは覚悟の上だろうに。君が転移してきた軌跡は遡れなかった。いったいどこから跳んできたのだ?」


 新しく設置された森の転移魔術陣を、ミシェルは秘匿するつもりのようだ。先ほどドミニクが調べるのを横目で見ながら、密かにアキラも確認したのだが、新たな鍵の所在は記録されていなかった。森の家からは一方通行なのだろう。

 曖昧に口端をあげて誤魔化す彼に、ドミニクは「まあいい」と小さく頷いた。


「貴重な労働力だ、無断侵入は不問としよう」

「労働力?」


 満悦の笑みを浮かべるドミニクは、無言で耳を傾けていたコウメイとシュウに目を向ける。


「実に働かせがいのある立派な体格じゃないか」

「ドミニクさん……?」

「アキラが何の目的でここに来たのかは問わん。だがここから出たければ仕事を引き受けるしかないのだよ」


 まさか閉じ込められたのかと探るも、結界の存在は見つけ出せない。老魔術師は魔道具を専門にする研究者であり、アキラの攻撃魔術なら余裕で突破できるだろう。コウメイの剣技もシュウの剛力も、非力な魔術が阻めるものではない。突破口を作るのはたやすい。だというのにドミニクの自信に満ちた笑みが不気味だ。

 アキラは薄く開いたままの扉を横目で確かめ、転移室への逃走を瞬時に計算した。

 だが彼よりもコウメイとシュウの行動が早かった。二人は素早く内鎧窓に目をやり、即座にアキラを抱え塔から飛び降りて逃げると決めた。

 コウメイがアキラを抱え、シュウが手近の内鎧窓を蹴り割る。


「なあーっ!?」

「土?! 窓の外に土壁があるのかよ?」


 隣の鎧窓も同じだった。

 窓の外はただの土。

 硬く、湿り気のある、土だ。


「どうなってんだ?」

「ドミニクさん、これは一体……」

「防護魔術のおかげで、転移魔術陣は改変され、塔もこの状態だ。誰も入れなければ、出ることもできなくなってしまったのだよ」


 目の前で繰り広げられる三人の慌てふためく様子を、老魔術師はとても楽しそうに見物している。性格悪いぞと呟いたコウメイは、アキラをおろしてドミニクに詰め寄った。


「じーさん、腹割って話そうじゃねぇか」

「いいね、話が早くて助かるよ」


 そう言ってドミニクはパンと手を叩いた。魔力の込められたそれは石壁を伝って塔に響き伝わる。しばらくすると閉じられていた鎧窓が開き、部屋が騒がしくなった。


「おう、遅かったじゃないか」

「別嬪さんに、色男に、たくましい坊主か」

「活きの良さそうなのを捕まえたな、これは期待できるぞ」

「これでやっと計画が進められるんですね、助かりますっ」


 シュウが蹴り破った二枚とは別の鎧窓が開き、土に汚れたローブ姿の男らがつぎつぎに部屋に降り立った。それぞれが己の物と定めた椅子に腰をかけた彼らは、アキラたちに獲物を見るような目を向ける。


「さて、脱出計画を本格化させようではないか」


 ドミニクの言葉に、彼らは獰猛な獣のような笑みを見せた。


   +++


 騎士団らから攻撃を受けた魔法使いギルドは、オルステイン国との完全なる決別を決めた。

 もちろんそれまでも敵対していたのは間違いないが、その相手は国ではなく王家だ。だからこそ領主を通じての依頼や、他職ギルドからの頼まれごとには誠実に応えてきた。ところが領主らは王命に唯々諾々と従い、魔法使いギルドを攻撃したのだ。


「せめて事前にこっそり知らせてくれるなり、忠告してくれればと思うのは贅沢だろうかね?」


 王国民は王命には逆らえない。それは理解している。しかしこれまで誠実に取引きしてきた相手に、ほんの少し心配りをするくらいは見逃されると思うのだ。


「だが奴らはスタンピードのためにと請われて作った魔術玉を、我々の塔を破壊するために使ったのだぞ」

「裏切りの代償は高くつく、それを奴らに見せつけてやろうと思ってな」

「塔の防御魔術を発動させたのだ」

「騎士団どもはわしらの首を取れなかったと悔しがっているだろうよ」


 呵々、と高らかに笑う魔術師らを、アキラはこめかみを押しながら、コウメイは腕を組み半眼で、シュウは顎を乗せた手の肘を突き、深く深く息を吐いた。


「その結果、塔が地下深くにもぐり、転移魔術陣が改変され、ドミニクさんたちは地下深くに生き埋めになった……と」

「うむ」


 災害救助などでは七十二時間の壁などといわれるが、二年も彼らが健康に生き延びたのは、防御魔術に守られた塔の中にいたからだ。塔とその内部に存在するものを守る魔術は、呼吸を保証し生命をつないだのだろう。だがそれだけで丸二年生き延びるのは不可能に近い。どうやって、と問うアキラに彼らは「よくぞ聞いてくれた」と身を乗り出して地中生活の日々を自慢はじめた。


「バーナードとレナルドがいるからな、飲み水には困らなかったしな」

「どいつもこいつも不味い水は嫌だとわがままでな、おかげで美味い水を出せるようになったぞ」

「何を言う、レナルドの水は土臭くて飲めたものじゃない。俺の水のほうが甘くて美味いぞ」


 初老の白級治療魔術師と灰級薬魔術師はともに水属性。命をつないだ甘露は自分が作ったものだと譲らない。終いにはそれぞれに水を満たしたカップを用意し、アキラたちにどちらが美味いか判定しろと迫る。


「あいにく喉は渇いていませんので……」


 どちらを選んでも二人の争いは泥沼化するに違いなく、三人は頬を引きつらせた作り笑いで話を変えた。


「空気と水だけじゃ二年も生きらんねーだろ。食い物はどーしたんだよ?」

「そこはほれ、あちらの水鏡を使って各地に救援を頼んだのだ」


 カーテンを掛けられた鎧窓を開けたそこには、他国の魔法使いギルドにつながる通信の水鏡があった。


「ケギーテやヘル・ヘルタントに協力してもらい転移を試したところ、人は転移できんが物資は拒まれないとわかったからな」


 そこで各地から定期的に食料や生活物資を送ってもらい暮らしていたのだという。


「煮炊きは火属性のアンディが一番だな」


 黒級魔道具師でありドミニクの弟子でもある彼は、まだ三十代半ばという若さのわりに老けて見えた。この二年間で師匠だけでなく老魔術師らの世話で疲れ切っているようだ。


「……みなさん、楽しそうで何よりです」


 いっそこのまま地中暮らしを続けてはどうかと声にしたいのを堪えるアキラに、ドミニクは皺だらけの顔を歪めて笑う。


「地中生活は滅多にできん経験ではあるが、そろそろ太陽が恋しくなってな」

「転移魔術陣には手を加えることはできんし、ならばどうやって脱出するか策を練ったのだ」

「それが……あの穴ですか」


 アキラが振り返ったそこには、ドミニクの合図で彼らが現れた鎧窓があった。窓の向こうには横穴が掘られている。


「うむ、ナジェルの指揮で半年ほど掘り進めておるな」

「計算ではあと少しで街の外に出られるはずじゃ」


 トンネル掘りのリーダーである土属性の黄級魔武具師は、手書きの地図を広げてここだと指し示した。トレ・マテルの街壁の下をくぐり、北東の森に脱出口をつなげる計画らしい。


「さて、ここからが本題だ」


 居住まいを正したドミニクは、アキラたちに頭を下げる。


「我々の脱出に手を貸してくれ」


 ギルド長に倣うように、残る四人もテーブルに額が付くほど深く頭を垂れた。



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