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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
幕間3 深魔の森に生きる人々

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新米冒険者らの旅立ち



 ライオネルの狩った角ウサギ肉は、シンプルな串焼きになった。コウメイが野営でも活用できる簡単な味付けと焼き方を教えると、彼は慣れない手つきで串を持ち火加減を覚えようとした。


「焼いただけなのに、角ウサギの肉はこんなに美味しかったんですね」


 これまで食べてきたどの肉よりも美味しいとライオネルは感動している。自身で狩り調理した食事は格別なのだろう。

 身体を動かし知識を学んで頭を使った彼は、満腹になるとすぐに眠気に襲われたようだ。ライオネルを寝室に押し込み、見張りをシュウに任せたアキラは、リンウッドの小屋を訪ねた。


「あの痣は、アレか?」

「ええ、消せますか?」

「無理だな」


 診察するまでもない。報復のために用意したのは、竜血の毒から致死成分を排除した薬品だ。長く苦しませるための薬は、肌に醜い痕跡を残すように作られている。少々早めに中和薬を与えたが、苦しみは取り去れても痣は消せない。


「まさかアレが巡ってここに来るとはな。お前も消したいのか?」

「苦しんでいるのが王なら放っておいたのですが」

「……お前たちは甘いな。貴族の殺害を試みた者は、妻子とも連座がこの国の法だぞ」


 ミシェルは魔法使いギルド長であり、男爵でもあったのだ。アレックスがこの国の法に基づいて報復(裁こうと)したのは間違っていない。たとえ相手が一国の王と王妃と王子であっても。


「連座というのは首謀者に罰を与えてからするものでしょうに。王に毒を盛り、余ったので連座の王子にというならわかりますけどね」

「まあ、そうだな。あいつは面倒くさかったのもあるだろうが、どちらかと言えば混乱を楽しむのを優先したんだろう」

「……王族の混乱だけじゃなくて、俺たちが奔走するのを楽しんでいるんでしょうね」


 アキラは苛立たしげに唇を噛んだ。コウメイの料理を取り上げ奈落に蹴り落とすくらいでは気は晴れそうにない。


「それで、どうするんだ。俺は正直に診断していいのか?」


 含みのあるリンウッドの言葉に、アキラは少し迷った。痣と色は消せないが、別の色に染められるかもしれないとアキラも気付いている。だがそれを正直に伝えてしまえば、彼は破滅に向かう選択をする可能性が高いのだ。


「……嘘偽りは褒められませんが、真実が彼のためになるとも思えません」

「ふうむ。消せるかと問われたのだ、否と答えればいいんだな?」

「傲慢でしょうか?」


 最後の希望を失った後にどうするのか、それは彼の選択を尊重するしかない。


「お前らがお節介したいだけなんだ、俺はどちらでもかまわんが……王族は醜い王子を受け入れんだろう。追い詰められここまで来たのだ、自死を選ぶのではないか?」


 いいのか? と赤い目がアキラを見据える。アキラは小さく微笑んで、そうならないために昼間ライオネルを連れ回したのだと答えた。


「視野が狭いままだと選択肢は少ないままですからね」

「まったく、呆れるくらいにお節介な奴らだな」


 呆れの息をついた彼は、机の下から秘蔵の酒を取りだし、アキラの労をねぎらうかのように注いだ。


   +++


 朝食後、リンウッドは暖炉前でライオネルを診た。

 彼の痣は顔の左上と、首から背中にかけて、右胸から腰、右の太ももと、左の膝下にあった。清めた手が痣に触れると、ライオネルはくすぐったそうに眉を寄せたが、痛みや苦痛を感じている様子はない。肌はなめらかで、膨れ破裂した痕跡はほとんど見あたらなかった。


「服を着ていいぞ」


 リンウッドは食卓の自分の席に移動した。診察の様子を見守っていた三人は、ライオネルを赤目の治療魔術師の正面に座らせる。


「さて、その痣が消せるのか、だったな」

「はい……」

「消せん」


 短く淡々と告げられた診断結果を聞いて、ライオネルの表情から感情が抜け落ちた。


「……消えないのですね」

「そうだ」


 ゆっくりと彼の頭が垂れ、膝の上で握った拳が震える。

 彼の隣に座っていたアキラが、静かに問いかけた。


「あなたは痣を消して、王に何を求めるつもりだったのですか?」

「私は……私はただ、よくやった、と……」


 父王の身代わりとなって毒を受けた自分を褒めてもらいたかった。よく耐えたと、よくぞ回復してくれた、誇りに思うと。

 その一言が欲しかった。

 ただ一言でよかったのだ。

 ぽとりと、大粒のしずくが膝に落ちた。

 背中を撫でおろすあたたかさに誘われて、彼は息を吐く。


「その痣は痛みますか?」

「いいえ」

「かゆくて堪えられない?」

「いいえ……?」

「呪われている様子もありませんし、そのままでも生きるのに支障ないと思いますが」


 感情のない声のつむぐ慈悲のない言葉に、彼は顔を上げた。

 冷たい言葉とは裏腹に、銀髪の美しい人はやさしい表情で彼を見つめている。その励ますような眼差しのおかげだろうか、父王に認められたいという切望と、それがかなわない悲しみは、以前ほど彼を苦しめなかった。


「……そうですね」


 銀の賢者の言葉を受け止めたライオネルは、痣が消えていたらそうなっていたであろう未来を予測する。


「痣が消えて王宮に戻っても、陛下は宮廷を乱す私を叱責するでしょう。それに痣を消した薬を得ようと、この森に騎士団を派遣するに違いありません」


 ライオネルが口をつぐんでいても、王宮にある自白薬で聞き出せない秘密はない。騎士団は森を焼き、この場所に押しかけて薬を求めるだろう。銀の賢者や赤目の治療魔術師を連れ去るに違いない。


「王族の横暴はいつの時代も同じだな」

「あんたには悪いが、消せなくてよかったよ」

「私も恩を仇で返すことにならなくて安心しました」


 あれほど痣を消したがっていたのに、今はそれほど疎ましく感じないのが不思議だと、彼は小さく呟いた。


「痣はそのままだが、王都に帰るのか?」

「帰れませんし、帰ったとしても宮廷が混乱するだけですし……おそらく命を狙われ続けると思います」


 ライオネルは首を振りため息をついた。そして自分を見守る四人を見回して請う。


「少しだけ、愚痴を吐いてもいいでしょうか?」

「おー、いいぜ。好きなだけ愚痴れよ。ぜーんぶ吐き出してすっきりしちまえって」


 咳き込むほど強い力で背中を叩かれたライオネルは、むせ笑いとともに抱え込んできた鬱憤を発散したのだった。


   +++


 ライオネルは愚痴をこぼしながら己の置かれた現状を整理しているようだった。


「認めたくなかったけれど、私は王都を発つそのときから死を望まれていたんです」


 彼は王都を無断で抜け出したのではない。父王には冒険者の身分でハリハルタへ向かう目的を伝え、堂々と王都を発ったのだ。最初はルーシャスと二人で痣を消す方法を探すつもりだったのに、父王は騎士と従者をそれぞれ二人つけてくれた。帰ってこいと、必ず痣を消して戻れという餞だと信じていた。けれど。


「従者は刺客でしたし、騎士も私を守るためではなく監視のため、あるいは見届けるためでしょうか」

「血も涙もねぇクソ親父だな」

「唯一味方だと思っていた護衛騎士も、私を殺そうとしました……王都に戻れば幽閉か暗殺のどちらかでしょうね」


 側室腹である第二王子の立太子に反対する派閥は、今もライオネルを擁立しようと暗躍している。彼らがライオネルに接触しようとすれば何かしらの罪を被せて毒杯を命じるか、病が再発し死亡したと発表するだろう。


「派閥争いがなくとも、再発の可能性があり子供も作れない私は、政略の駒としても使えません」

「……再発はないぞ」

「本当ですか? あの恐怖に再び襲われる心配がないだけで救われます」


 ぼそりと差し込まれたリンウッドの言葉に、彼は安堵の笑みを浮かべる。


「じゃ、王都には戻らねーんだな?」

「死にたくありませんし、冒険者の楽しさを知ってしまいましたから」


 自然体で決意を口にした彼は、すぐに自信なげに目を伏せた。


「あの……私は冒険者として、生きていけるでしょうか?」

「心配すんなってー、俺らが鍛えてやるから」

「食いっぱぐれねぇくらいにしてやるぜ」

「お節介ついでです、基礎は叩き込んで差し上げますよ」


 シュウはキラリと光る歯を見せ、コウメイは臆病な小動物を手なずけるように笑う。アキラの声には教える楽しさがにじんでいた。

 彼らは早速ライオネルを鍛えようと外に連れ出した。早急すぎはしないかとリンウッドは呆れている。


「のんびりしてる時間ねぇんだよ。ハリハルタがスタンピード騒ぎで混乱している隙に、王子様を逃がしてやらなきゃならねぇんだ」

「今ある冒険者証は破棄して、新たに作り直さなくてはならないでしょうね」


 身分証がシェラストラル冒険者ギルドのライオネルのままでは、干渉や追っ手から逃れきれない。王都とは無関係の地で新たな身分証を作らなければ、そのうち生活が立ちゆかなくなるだろう。


「そんなことができるのですか?」

「王子がその冒険者証を手に入れたときと同じ方法ですよ」


 平民の暮らしにも冒険者にも詳しくない彼は、流民に近い人間がどうやって身分証明を手に入れているのか知らない。

 身元を保証する者がいない冒険者登録では、一週間から十日ほどをかけて身辺調査が行われ、犯罪者や貴族でなければ正式な身分証が発行される。だが身元保証人と同行し申請すれば、冒険者ギルドは詳しい調査を行わず即日発行するのだ。


「しかし、私には身元を証明してくれる者は……」

「それはマイルズのおっさんに頼むから心配するな」

「マイルズ殿の!」


 叙勲された冒険者が身元保証をすれば誰も疑いはしない。憧れの冒険者に裏書きをしてもらえると聞いてライオネルは顔を輝かせた。

 森を出れば誰も頼れない彼のために、ある程度の現金を持たせ送り出したい。三人は素早く計画を練った。


「昼までの間に薬草の探し方を覚えてもらうぜ。その後は飯を狩って休憩だ。獲物を狩りそこねたら食う物はねぇからな、その覚悟でいてくれよ」

「森で採取した薬草や魔獣の素材は私が査定します。冒険者ギルドと同じ基準で値付けしますので、扱いは慎重にしてください」


 アキラがライオネルから素材を買い取って現金を渡す。施しではなく自分で稼いだ金ならば彼もためらいなく受け取るだろう。

 お下がりの防具を身につけたライオネルは、シュウとコウメイに挟まれて森に入ろうとしていた。

 そのときだ。


「殿下――っ!!」


 森から飛び込んできた護衛騎士が、コウメイに斬りかかった。

 結界に守られているからと油断していたつもりはないが、ここに居るはずのない人物に驚き、コウメイの反応が遅れた。ルーシャスの一撃を剣で受け止めるつもりが、鞘から抜ききれず弾き飛ばされる。

 コウメイは転倒寸前にルーシャスの足を払い、くるりと転がって後退した。

 たたらを踏んだ護衛騎士の腕を叩き剣を奪ったのはシュウだ。腹ばいにして地面に押しつけ、背で両手を拘束する。


「くそっ、離せ! 殿下、殿下っ!!」

「あー、うるせーよ。黙ってろって」


 シュウは手ぬぐいを丸めてルーシャスの口に押し込め塞いだ。

 アキラの背後にかくまわれたライオネルは、シュウに押しつぶされながらも暴れ足掻く護衛騎士を、信じられないという表情で見ていた。


「結界が破られたのか?」

「いや、そんな気配は感じなかったが」


 アキラの魔力で作られた結界は強固で、彼以上の魔力でなければ破れない。破ったのでなければ侵入を許されている者に同行したとしか考えられない。

 そこへマイルズが息せき切って駆け込んできた。


「間に合わなかったか、すまん」

「やはりマイルズさんでしたか」


 彼は頬を赤く張らしていた。腰の鞘に剣はない。


「おっさんも腕が落ちたなー。剣を奪われるなんてかっこわりーぜ」

「面目ない。本当に隠居せねばならんようだ」


 殴られた頬を撫でる老冒険者は、油断があったと三人に謝罪した。


「急いでいたとはいえ警戒がおろそかになっていた、すまん」

「他の連中は?」

「弓使いは複数の大蛇に噛まれて重体、槍使いは消息不明。折れた槍が見つかっているから付近で発見できるだろう。剣士は骨折して動けん状態だ」


 補佐のデロッシに後を任せてマイルズは現場を離れた。結界を越えコウメイらとの合流目前で、後をつけていたルーシャスに殴り倒され剣を奪われてしまったのだ。


「彼は大蛇をかき分けて殿下を探していたから、こちらに気付いていないと思い込み油断してしまった」


 マイルズと距離を開けずについてきたために、結界が彼を同行者と見なしてしまったようだ。アキラは結界の仕組みを改良しようと思考の隅に書き記したのち、王子と拘束された護衛騎士の様子を観察する。

 シュウの体重と剛力に拘束されているというのに、護衛騎士は屈することなく抵抗を続けている。その視線はライオネルだけを見ていた。王子はアキラのローブをすがるように掴み、ルーシャスの視線の意味を問うように見返している。


「彼と話をするべきだと思いますよ」

「……はい。私も確認したいことがあります」


 アキラの後ろから静かに進み出た彼は、腰を落としてルーシャスに声をかけた。


「ルーシャス、悪いが私はあなたに殺されてあげられないんです」

「――!?」

「あなたは私の殺害を誰に命じられたのですか?」


 目を見開いた護衛騎士は、声にならないうめきを漏らしながら何度もかぶりを振った。


「違わないでしょう? 私にすり替えた錬金薬の瓶を持たせたのは、魔物に襲われた傷を癒やさせないため、魔物の毒で死ぬのを見届けるためでしょう?」

「――っ、……がっ、違う!!」


 顔を地面に擦り付けて口を塞いでいた手ふきを外した彼は、悲痛な叫びをあげた。


「違います! 私は殿下の護衛騎士です。あれはお守りするために、あの者らを始末するためであり、殿下の命を奪うなど絶対にあり得ません!!」

「では解毒の錬金薬をただの水とすり替えたのは何故です?」


 大蛇に噛まれ確実に毒が回って死ぬのを見届けるためではないのか? そう問いかけるライオネルの瞳は裏切られた苦しみに揺れていた。


「あれはサティスの毒矢を逆に利用しようと」


 サティスらは毒矢で王子に傷をつけ、それを魔物の毒にやられたように見せかけ殺すつもりでいた。ルーシャスは彼らに倣って、密かに盗み取った毒矢で反撃し、それを事故や偶然に見せかけようと計画したのだと言った。サティスが毒を受けても、ライオネルは自分の錬金薬を差し出すだろう。だから彼の錬金薬もすり替えたのだ。


「どうしてそんな偽装を考えるのです」

「私は騎士ですが平民です。貴族である彼らを害すれば一族の死罪は免れませんから」

「あんた、殿下狙いの刺客を殺して、そこから先はどうするつもりだったんだ?」

「私はどこまでも殿下をお守りいたします」


 地面に押しつけられ這いつくばった男の声も顔も、その眼力も、力強い信念に満ちていた。護衛騎士の熱く訴えるその気迫に、ライオネルは彼の言葉を信じる方へと傾きはじめているようだ。


「王都に戻らなくてもよいのですか? せっかく騎士になったのに」

「私は騎士ではありません、殿下の護衛騎士です」


 裏切られていたと、最初から味方ではなかったのだと切り捨てたはずの男に、ライオネルは手を差し伸べようとする。

 遮ったのはコウメイの声だ。


「なるほど、あんたの言い分はわかった。けどな、守りたいなら王子を騙したり不安にさせちゃいけねぇだろ」


 ひょいっとライオネルを抱き上げてルーシャスから遠ざけたコウメイは、ニヤリと不敵な笑みで挑発する。


「王子の信頼を取り戻してぇなら、俺たちを突破するんだな」

「おー、そーいうことか。王子を返して欲しけりゃ俺らの屍を越えていけ、てか」

「まったく、悪ノリして……」


 コウメイとシュウは楽しそうに悪役になりきっている。呆れたと呟くアキラも、しっかりと杖を握って戦う気満々だ。ルーシャスは強いがコウメイはもっと強い、そして銀の賢者は片足だ。止めてくれ、無謀はやめてくれと彼はアキラにすがった。


「やめてください、賢者様。私はルーシャスを信じます」

「甘いですよ。巷にはとても嘘をつくのが上手い輩が多いのです。騙されないように見る目を鍛えなければなりません。あなたはそこで戦うあの男の信を見極めなさい。冒険者の師として出す課題ですよ」


 ライオネルはマイルズに腕を引かれてリンウッドの側までさがらされた。彼は護衛騎士を強い瞳でまっすぐに見つめている。


「……いいだろう、貴様らを倒し、殿下の信を取り戻してみせる!」


 そう叫んだ彼は、重しになっているシュウを撥ねのけ起き上がった。爛々と目を輝かせ、主人の許しを得ようと鼻息が荒い。

 コウメイが予備の剣を投げ渡した。

 彼が受け取ったのと同時にシュウが襲いかかる。


「卑怯なっ」

「俺は騎士じゃねーし、これ決闘でもねーし?」


 辛うじて攻撃を避けたルーシャスは、剣を抜く勢いのままシュウを斬りつける。


「勢いと力に頼るなら相手を選べよなー」


 体格も力も自分より優れた相手と戦うのだ、相手に合わせるのではなく自分に有利な戦況を作れ。そう指摘しながらルーシャスの攻撃をことごとく力で跳ね返す。


「くそぉーっ」


 大きく振り払われて転がった彼は、剣を支えに立ち上がり、冷静になろうと息を整える。騎士団でも剛力を自慢していた彼は、子供のようにあしらわれる現実を認めるしかなかった。ライオネルのもとにたどり着くために、なりふり構わぬ覚悟を決める。


「うおぉー」


 やぶれかぶれのように見えたその攻撃を、シュウは余裕で受け止めた。ガツリと剣をぶつけ押し合うが、やはり力の差は歴然だ。何度突き飛ばせばこの男は学ぶのだろうかと思考が逸れた瞬間だった。

 ルーシャスが唾を飛ばした。


「げっ」


 顔面に向かって吐かれた唾を仰け反って避けたシュウは、ルーシャスに顎を打たれて頭から地面に落ちていた。


「いいねぇ、泥臭くて。好みになってきた」


 自分と似た体格ならば負けはしないと突っ込んでくる男を、コウメイは鮮やかな剣捌きでその場に縫い付けた。重く鋭く、そして速い剣だ。反撃させてもらえないルーシャスは防戦一方だ。


「反応が遅い。考えて動いてるようじゃ乱戦で生き残れねぇぜ」

「く、このっ」

「甘いねぇ」


 脇を狙わせ跳ね返したコウメイは、騙された彼を鼻で笑った。敵のどこが弱点なのか、目の前にぶら下がる隙が作られたものであるかどうか、瞬時に判別できなければ終わりである。敵はいつも一人とは限らないし、魔物は人族よりも狡猾で遠慮がない。都会の騎士団で鍛えた剣技など、熟練冒険者には型にはまりすぎていて隙だらけだ。

 変則的に斬り込むコウメイの攻撃を、ルーシャスは肌をかすめる寸前でなんとかかわしていた。剣で受け止めても次の瞬間に流され斬り込まれる。こちらの攻撃は軽く受け流されるのと同時に斬り返され、切っ先は何度も肌に線を描いた。小さな傷は数が増えるごとに痛みを増し、ルーシャスの集中を削いでゆく。


「でん、か」


 守りたいが故の行動が、主君の信頼を失わせた。二度と同じ過ちは犯さない、そう誓い証明するために、どんな手段を使ってでも突破してみせる、とルーシャスは覚悟を決める。

 左斜めに振り下ろされた剣を、ルーシャスは己の腕を盾にして受け止めた。


「ルーシャス!」


 主君の顔が飛び散る鮮血の向こうに見える。

 骨を断つ寸前でコウメイが剣を引く。

 その瞬間、ルーシャスは身を低くしてコウメイの脇を突き、抜け走った。

 残るのは武器を持たない銀髪だけだ。


「あれの甘さを見抜いた反撃、お見事ですね」


 杖をついた銀髪の麗人は薄くほほ笑み、その指先を宙に踊らせた。


「あがぁっ」


 振り下ろしたルーシャスの剣は風の刃に弾き飛ばされ、彼の遙か後方に落ちた。

 目に見えない剛力が腹を打ち、胃液が逆流し喉を焼く。

 重さを感じない、だが抗うことのできない大きな力が背にのしかかり、彼は地面に伏せ転がった。


「数は少ないですけれど、権力者に雇われる魔術師はいます。一見弱そうに見える相手でも、油断は大敵ですよ」


 アキラの足元に転がった騎士は、全身にのしかかる圧力で息も絶え絶えだ。なのに彼は諦めずあらがい続けている。彼が力を込めるたびに左腕から血が流れ、地面にはシミが広がっていった。


「ルーシャスっ」

「ラ、……オネ、ル……さ、ま」


 駆けつけたライオネルは手拭きで左腕の傷を抑え、アキラを仰ぎ懇願する。


「賢者様、もう十分です。もう大丈夫ですから、ルーシャスを許してください」

「……あなたが納得しているのであれば」


 不満そうな声が耳に入ってすぐに、背にかかる巨大な圧迫が消えた。呼吸ができるようになったルーシャスは、跳ね起きてライオネルの前に膝を突く。


「殿下、私の配慮が至らず申し訳ありません」

「……いや、あなたを信頼できなかった私が悪いのだ」

「とんでもございません。信頼されなかった私の不徳ゆえです。殿下は何も悪くございません」

「ルーシャス、その殿下というのはもうやめてください」


 彼の傷を縛って止血しながら、ライオネルは涙で汚れた顔を向ける。


「身分と名を偽ってスタンピードに参加したライオネル・フォル・ルイス・クレムシュタルは、大蛇の毒で死にました」

「殿下っ」

「身分も名前も捨てた私に護衛は不要です。だからあなたも私のことは忘れてください」


 ルーシャスのこれまでの働きに報いたいが、ライオネルには何も渡せる物がなかった。隠し持っている指輪は王家の紋章が入っている。換金できない品を贈られても困るだろう。申し訳ないと頭を下げられ、ルーシャスは感極まった。


「でん……ライオネル様は、身分を捨ててどうなさるのですか?」

「冒険者としてなら、どこか遠くでひっそりと生きていられると思いませんか?」

「では私を供として、冒険者仲間としてお連れください」


 銀の賢者らに教えを請い、豪腕の冒険者らと森を駆けることでライオネルの不安は軽くなっていた。そしてルーシャスの言葉が、残っていた彼の不安を一瞬でかき消す。

 旅立ちは一人ではない、そう思うだけで嬉しさがこみあげる。だがこれまでも報いてこれなかったのに、これから先もを願うのは身勝手すぎないだろうか。ライオネルの躊躇いに気付いたルーシャスは、前のめり気味に己を売り込んだ。


「私は成人と同時に冒険者証を得ています。騎士になった後も休日は冒険者として多くの時間を過ごしました。きっと役に立ちますよ」

「……私を冒険者ギルドに連れて行ってくれたのはルーシャスでしたね」


 懐かしそうに目を細めるライオネルは、握手を求め手を差し出した。


「私……いや、僕は駆け出し冒険者のライです、あなたは?」

「冒険者のシス、剣が得意だ」

「よろしく、シス」

「……よろしく頼む、ライ」


 固く握手を交わす二人を、越えられた屍の三人は微笑ましく見守っていた。


   +++


 用意する証拠は二人分になった。ライオネルとルーシャスの冒険者証と、裂き破いた衣服をそれぞれの血で汚す。


「せっかく流した血がもったいなかったから、泥人形を作ったぞ」


 大蛇の死骸の近くで肉体の一部が発見されれば、二人の死亡を確実なものにできるだろう。

 使え、と血まみれの手と足を投げ渡され、取り落とさなかったマイルズはさすがだ。彼らの血を使った四肢の人形は、本物の人体と見分けがつかない精巧なものだった。

 魔核周辺の片付けが終わる前にと、遺留品と泥の手足を持って持ち場に帰ったマイルズは、三日後に旅支度を調えて戻ってきた。


「サディスは毒から回復できなかった。リチャードは半身を食われた死体が見つかった。ライとシスの偽手足も疑われることはなかったぞ」


 黄金の鷲で生き残ったのは、ハリハルタの町で毒治療のため待機していたヘンリッキと、足を骨折したモーガンだ。仲間の遺体を確かめた二人は、屍は埋葬し、血のついた遺留品を持ち早々に王都へ発ったという。


「その痣はどうしても目立つ。新たな身分証はできるだけ遠くで作るべきだな」


 身分証がなければ町には入れず、乗り合い馬車も使えないため、長く苦しい旅になる。ライには過酷すぎるだろう。シスは治療魔術の応用についてリンウッドにたずねた。


「私の肌を焼いて痣をつけられないだろうか?」

「何を言い出すんだ、シス!」

「顔の半分に痣を持つ冒険者が二人いれば、万が一の追手の目も誤魔化せる」


 肌の目立つ部分に痣を刻みたいと望む彼に応えたのは、リンウッドではなくコウメイだった。


「それなら黒凶鳥の肉を食うのはどうだ?」


 大陸南部の森に生息する毒鳥は、皮膚を変色させる毒を持っている。肉は不味いし、毒はあるしで、ダッタザートの冒険者ギルドは狩っても絶対に食べるなと注意喚起している魔鳥だ。以前それを食べた人物の肌を見せてもらったが、ライの身体にある痣と色合いが似ていた。


「そうだな、二人が兄弟だということにして、子供の頃に食べた黒凶鳥が原因で肌に痣が残ったと説明すれば自然だ。顔を出しても怪しまれなくなるだろう」


 振り返ったアキラに「どうする?」と問われたシスは、力強く頷いた。


「その鳥を食べた後で、兄弟として冒険者登録の申請をしましょう」

「シスが兄さんか」

「嫌ですか?」

「嬉しいよ。僕には姉しかいなかったので、兄という存在に憧れていたから」


 二人は南部までは町や村に立ち寄らず移動し、肌に痣を作ってから冒険者登録をして、国を出ると決めた。


「出奔する先にあてがないのであれば、マナルカト国はどうだ? 久しぶりに里帰りしようと思っていたところだ、向こうのギルドならば伝手があるぞ」


 偽装がうまくいったとしても、国内で二人の身分証を作るのは避けたほうがいい。元々ライオネルを故郷に連れて行くつもりだったマイルズは、一人も二人も同じだと笑って身元保証を引き受けた。

 玄関から見あげた空にまだ星がはっきりと輝く早朝、彼らは森の家を発った。


   +++


 マイルズが二人を連れてこの地を離れた数日後、夕食の席でリンウッドがおもむろに言った。


「アキラの義足だが、泥人形を使うのは面白いと思わんかね?」



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