深魔の森の銀の賢者
コウメイがひそかに連れ帰った冒険者の寝顔を見ただけで、アキラは王宮で何が起きているのかを察し頭を抱えた。
「親の因果が子に報いとは言うが……ここまでとはな」
「俺もまさかこんなひでぇ結果になってるとは思わなかったんだよ。後味が悪すぎてほっとけねぇだろ」
「王族とか貴族って、マジこえー」
コウメイから事情を聞いてシュウも呆れ果てた。ミシェルやジェイムズに毒を盛られた報復を後悔していないが、王子の姿を見るとアレックスに任せてしまったことだけは悔やまれる。
「次に島行ったら、細目の尻を全力で蹴って奈落に落としてやろーぜ」
「シュウ、俺の分も頼む」
「おー、任せとけ」
アキラは自分の皿の糖衣豆菓子を賄賂にアレックスへの仕置きを頼んでいる。蹴り落すくらいで細目は困らないだろうが、と渋い顔だ。
「アイツなら奈落から無傷で戻ってきそうだしなぁ」
「あー、ありそーだわ」
「そうなったら食事を抜くくらいしか手段はないぞ」
コウメイの料理を取り上げれば多少は反省すると思いたい。シュウが島に渡るときは手土産(コウメイの料理)を忘れて行けばいいし、コウメイは金華亭で食事をとればよいのだ。
「ま、その線で反省を促してみるか」
そう結論づけてハギ茶を入れ直したコウメイは、チラリと寝室の扉をうかがい話題を戻した。
「それであの王子の痣は消えるのか?」
「俺は医者じゃないし、リンウッドさんが戻ってきたら診てもらうが……多分、消えないと思う」
それを知らされたとき、あの王子はどうするだろう。顔を曇らせたコウメイを、アキラは気に病むなと慰める。
「彼は死にたくないと言ったんだろう?」
「ああ。けど積極的に生きたいって感じじゃなかったんだよなぁ」
側仕えなしに生活できなかったとしても、暗殺者を側に置かなければならなかった彼の心境は想像できない。討伐隊ではマイルズが配慮するまでは遠ざける様子はなかった。殺されても仕方がないと諦めていたのか、あるいは刺客同士の相打ちを狙っていたのか、彼にたずねるまでその真意はわからない。
「自分に毒矢を撃つやろーに身の回りの世話を任せるとか、意味わかんねーな」
「王族というのは一人で着替えもできないのだろう」
「どっちにしても危なっかしいんだよなぁ」
彼一人を市井に放っても長生きしそうにない。
「しばらく連れ回して鍛えよーか?」
「本人が望めばそれもありだが、無理矢理引っ張り回すなよ」
「微妙だなぁ」
額を付き合わせて唸る。
分のない簒奪騒ぎで命を賭けて憂さ晴らしするくらいなら、痣を抱えたまま冒険者として生きるほうが健全だと彼らは思うが、王子がそれを受け入れられるかはわからない。
「話を聞いてる感じだと、普段からストレスためすぎてねーか? ムカついたときに思いっきり暴れてりゃ、大爆発寸前まで溜め込まねーですんだはずだぜー」
「そこは王族という身分が許さなかったんだろう」
周囲に迷惑をかけつつ発散できるくらい図太ければ、そもそも破滅思考に陥りはしないとアキラが指摘する。ライオネルには支配者一族にありがちな傲慢さが足りない。だからこそコウメイが手を貸そうと思ったのだろうけれど。
「身分隠して冒険者になってんのに、何で暴れるの苦手なんだろーな?」
「それは本人に聞けばいいんじゃないか?」
そう言ってアキラが寝室の扉を振り返る。
細く開いていた隙間が、驚いた拍子に少し幅が広がった。
「おー、起きたか」
「隠れてねぇで出てこいよ。腹減ってるだろ?」
「見慣れない場所で警戒しているのかもしれませんが、ここは安全ですよ。何よりあなたを害して得をする者はいませんからね」
シュウが手を振り、コウメイが新しいカップに茶を注ぎ、アキラがほほ笑みかける。
深い眠りに癒やされたのだろう、そろりと顔を出したライオネルからは険が薄れていた。だが見知らぬ二人への警戒と見慣れぬ場所への戸惑いがあるようだ。
「あの……銀の賢者様でいらっしゃいますか?」
野良猫を相手にするように気長に扉が開くのを待っていたアキラは、隙間から呼びかけられた呼称と畏れのまじる声に首を傾げた。
「賢者? 誰だそれは」
「俺じゃねーよな?」
「賢くねぇって自覚があるのは立派だぜ」
「ちげーよ、銀色じゃねーって意味だろ」
「銀色……私なのか?」
髪を一房つまんで眉をひそめるアキラを、「そういえば」とコウメイが振り返った。
「俺らの居ねぇとき、こっそり森に出かけてただろ?」
そろりとアキラの視線が横に流れた。
目をそらすなと顎を掴んで戻したコウメイは、証拠はあがっているぞと凄んでみせた。
「深魔の森で窮地に陥ったら、銀の賢者さまが救ってくださるらしいぜ?」
「何それ、面白そーなことやってんだなー」
助けろという視線を無視したシュウは、ニヤニヤしながらどんな噂だとコウメイに先を促した。
「帰り道を教えられて振り返ったら姿が消えてたとか、もらった薬草で傷が癒えて礼を言おうと思ったら音も立てずにいなくなってたとか、証言は山ほどあるらしい……てめぇは隠れ住んでるんじゃなかったのかよ」
「それどーやったんだ? 魔法? 魔術?」
「視線をよそに逸らしている隙に、結界魔石を素早く使って気配を消した」
冒険者がいなくなってから立ち去るのだとネタばらしをすると、シュウは自分にもできそうだと不敵な笑いを見せ、コウメイは最初から結界を作っておけと凶悪に笑う。
「け、賢者様、お願いがあります!」
彼らの気安いやりとりが踏み出すきっかけになったのだろう。王子は扉を開けアキラの側に駆け寄った。膝を突き、深く頭を垂れる。
「私は冒険者のライオネルと申します。あなた様が多くの冒険者を救ったように、この醜い痣を消し、私を救ってください」
王族に膝を突き頭を下げられたアキラは、居心地悪そうに居住まいを正した。
「顔を上げてください。申し訳ありませんが、私はあなたに名乗れないのです。それと痣ですが、残念ながら私には診断を下す力はないんですよ」
「そんな……っ」
まるで神に裏切られたとでもいうように打ちひしがれた彼を見て、アキラはコウメイとシュウに助けを求めた。コウメイは「言葉が足りない」とアキラを小突いてから、新しく茶を入れる。シュウが手を貸して立たせ、空いている椅子に導いた。
「小せぇ子供を虐めるなよ」
「きれーな顔が睨んだらこえーんだよ。なんでにっこり笑ってやんねーのかなー」
「虐めてない。それにいきなり跪かれて祈られたんだぞ、笑えるわけがないだろう」
不貞腐れるアキラを放置し、コウメイは王子に茶をすすめる。
「これ飲んであたたまれよ」
目の前に置かれたカップから立ちのぼる湯気が、絶望に冷え切った心をあたためたのか、ライオネルは小さく息をついた。
「こいつは銀髪だが賢者じゃねぇ。薬魔術師だ。痣を消せるかもしれない治療魔術師は採取に出かけてるんだ。もどってくるまで待っててくれるか?」
「ご、ご迷惑では……?」
「俺が連れてきたんだぜ。それにあんたの望みは叶えるって約束しただろ」
信じてなかったのかと、拗ねてみせるコウメイの茶目っ気に、ライオネルの表情からこわばりが溶ける。緊張がほぐれるのと同時に、腹が鳴った。恥ずかしそうに頬を染めうつむく彼の背を、シュウの力強い手が励ますように叩いた。
「腹が減るのは健康な証拠だぜー。はじめてのスタンピード討伐だったんだろ? どーだ、楽しめたか?」
「楽しむ、のですか?」
「思いっきり魔物をぶった斬れるんだぜ? すっきりで楽しーに決まってんだろ」
スタンピード討伐は国を滅ぼしかねない脅威であり大災害だ。それをまるで娯楽のように語られて、ライオネルは驚き戸惑っていた。
「殿下、こいつの言葉は鵜呑みにしねぇでくれ」
「冒険者の全員がスタンピードを楽しんでいるわけじゃありませんからね」
「自分らだけ良い子ぶってんじゃねーぞ。二人だってスタンピードでワクテカしてるじゃねーか」
「人聞きの悪い」
「俺は純粋に魔物討伐に勤しんでるだけだぜ」
ライオネルは胸がねじれるような不思議な感覚に戸惑っていた。
はじめて彼らを見たとき、眼帯の効果もあってかコウメイは謎に満ちているように見え腰が引けたし、豪腕の冒険者の大きな身体は怖い。銀の賢者様は膝を突いて祈りたくなるほど美しくて厳格だ。なのに三人の会話を聞き、その表情を見ていると印象はがらりと変わる。冒険者のパーティーとは、仲間とは、本当はこういう関係が理想なのだろう。ライオネルは羨ましく感じる気持ちを抑え込んだ。
「飯ができたぜ」
はじめてのスタンピード討伐参加で神経を張り詰めているライオネルがまともに食べられていないのを知っているコウメイが用意したのは、丸芋のポタージュスープとあっさりした味付けのハギ粒のリゾットだった。
「少しずつ、ゆっくり食えよ」
「あ、ありがとう」
とろりとした丸芋のスープが、胃から全身をあたため、彼の顔色はしだいに明るくなってきた。リゾットのプチプチとした舌触りが楽しいのか、久しぶりの食事らしい食事にライオネルは小さくほほ笑んだ。
「コウメイさんは本当に冒険者なのですか? 料理人ではないのですか?」
「冒険者だよ、大蛇と戦ってるの見てただろ」
「見ていましたが……」
見た目は素朴だが味はとてもいい。食に関して贅沢に育った彼が感嘆するほどなのだ、冒険者にしておくのはもったいないとライオネルは素直な感想を伝えた。
「俺は冒険者だよ。料理は趣味」
「これが趣味なのですか」
ライオネルと一緒に食事をする三人の皿には、葉野菜と丸芋と赤芋のゴロッとしたサラダや、柔らかそうな暴牛肉のロースト、焦げ目のついた溶けたチーズを乗せたパンが盛り付けられている。見ているだけでよだれが出てきそうだ。胃が弱っていなければ、いや味見くらいならとライオネルは葛藤している。
「みなさんは、冒険者を楽しんでいるんですね」
「楽しくねー仕事なんてしたくねーよ」
自由気ままな冒険者は楽しい。そう断言するシュウを見るライオネルの表情は懐疑的だ。
「食いてーときに飯を食えるし、好きな物も食い放題だし」
「だからって肉ばかり食べるな。人の皿から行儀が悪いぞ」
「野菜を食え、野菜を」
自分の皿の肉がなくなると別の皿の肉に手を伸ばす。それをアキラが叩き落とし、コウメイがサラダを押しつける。
「好きなときに昼寝して、体動かしたくなったら討伐するだろ? そーしたら金が入って美味い飯食いに行けるし、遊ぶ金もできるんだぜ!」
「遊ぶなら金を貯めてからにしろよ」
「二度と貸さないからな」
「おめーら、話を合わせろよ! せっかく冒険者は素晴らしーってプレゼンしてんだぜ!」
国を滅ぼしかねない脅威であり大災害であるスタンピードを「楽しい」と言い切る彼らは、どうにもライオネルの知る冒険者とはかけ離れていた。
「スタンピード討伐の名誉は……」
「そーいうのはオマケかなー」
名誉よりも飯と言い切るシュウの言葉は正しいのだろうか。そうライオネルに視線で問いかけられたコウメイとアキラは、曖昧にほほ笑んだ。
「こいつを冒険者の標準だと思われると困るが」
「なんでだよー」
「概ね間違ってもいない、かな」
好きな生き方を貫くには冒険者は都合がいい。もちろん自助自立の厳しさはあるが、誰にも命令されないし、自由だ。どこにでも行けるし、何でもできる。
ライオネルが食べ終えたのを確かめてから、アキラはたずねた。
「あなたはどうして冒険者に?」
「最初は、息抜きでした……奇病から回復した私の居場所が王城にはなかったので」
美味しい食事でリラックスしたからだろうか、それとも明るく前向きな彼らの会話に癒やされたからだろうか。
ライオネルは自然と自身について語りはじめた。
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「私が冒険者登録をしたのは、昨年の冬でした。居場所が、ほしかったのです」
一命をとりとめ回復した彼の身体には、広範囲にわたる黒い痣が残っていた。顔や腕や背中、腰に足と、痣のない部分は見あたらない。
顔に残る痣を嫌った婚約者は、それを理由に婚約解消を望んだ。
父王の態度も豹変した。闘病中も回復後も、王妃や弟妹を決してライオネルに近づけるなと命じ、自身も息子を遠ざけたのだ。
奇病を恐れて見舞いを控えるのはわかる。だが人伝の見舞いすらなく、回復も喜んでもらえないのは何故だと、疑問と不信に悶々としていたとき、彼は両親の会話を聞いてしまった。
「魔女に盛った毒を使われた、と話していたのです」
「……魔女?」
絶望の瞬間がよみがえったライオネルは、痛みを堪えるように硬く目を閉じた。
「アレ・テタルの魔術師、前ギルド長です。父王はこう言いました。私は……陛下への報復に、毒を盛られたのだと。魔女に盛った同じ毒が使われたに違いない、と。」
魔女の葬儀に参列した叔父が、遺体を確認したと報告するのも盗み聞いた。そして王は、治療のためではなく、息子が生還できた原因を突きとめ、治療薬を作るようにと医師を寄こした。
「診察した医者たちは、痣を消すための治療をしませんでした」
典医に王都で評判の医師、呼び寄せた治療魔術師らがライオネルを診察し、結果、奇病の治療薬は作れないと結論を出した。
「それだけではありませんでした。私の身体には病の種が残されているため再発は免れないだろう、と。そして他人にも移る可能性があり、子にも継がれるだろうと……」
複数の医師が同じ診断結果を出したため、彼は治療という名目で知らぬ間に去勢手術を受けさせられ、離宮に隔離された。それまでの側近は解任され、代わりに問題のある下級貴族の次男や三男をあてがわれ、護衛騎士も平民出身の騎士に替えられた。
「私の他には誰一人として症状の出た者はいないのに」
そもそも毒の症状であり病ではないのだがその事実は隠され、第一王子の病について 箝口令が敷かれた。だが噂というものは漏れ広がるものだ。ましてや王族が徹底して彼を遠ざけ、召使いらも最低限しか近づかない事実は、噂は真実であると証明しているようなものだ。結果、宮廷や王都の人々は「ライオネルが王になれば病が国中に蔓延し、やがて滅びるのでは」と不安を抱くようになった。
そんな評判を裏付けるように王はライオネルから王位継承権を剥奪し、弟王子を後継者に決めた。
「ずっと閉じこもっている私を、護衛騎士の一人がこっそり離宮の外に出してくれたのです」
閉め切った部屋で一日中塞ぎ込んでいるライオネルを見ていられなかったのか、その護衛騎士は彼を冒険者ギルドに連れて行き、身分証を作り、王都近くの森に連れ出した。
「冒険証があると、顔を隠していても門を出られるのです。それからはその騎士が当番の日には、平民の服を着て森に出かけるようになりました。冒険者らしいことは何もしなかったけれど、私は街を歩いたり、草原や森でただ空を見ているだけで安らいでいました」
ライオネルにとって冒険者証は、解放への通行手形だった。
「冒険者らしいことをはじめたのは、ハリハルタに来てからです」
「それでいきなりスタンピードに当たったのか。そりゃ楽しくねぇよな」
ほとんどの冒険者はスタンピードと聞き殺気立つし、町の住人らも脅える。そんなピリピリした場所に放り込まれれば、冒険者家業の楽しみを感じられないだろう。
「殿下、身体は大丈夫か?」
すぐに助け出したとはいえ大蛇の下敷きになったのだ、コウメイが痛みや不調はないのかとたずねると、彼は大丈夫だと頷き返した。
「じゃあ森に行かねぇか? 夕飯の肉を狩りに」
コウメイの誘いにライオネルは瞳を輝かせた。けれど足手まといになると遠慮しているのか「行く」とは言わない。
「働かざる者は食うべからずだぜ」
「ハタラカザル……?」
「夕飯食いてーなら肉狩れって意味だ」
「か、狩れなかったら?」
「やってみなきゃわかんねーだろ」
ニヤリと笑った豪腕が彼の背を押す。ライオネルは夕食抜きになるを覚悟を決め、コウメイに連れられてはじめての狩りに出かけた。
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森の家から少し入った日当たりのよい草地で、二人は獲物が来るのを待ち構えた。
息を殺して待つのも、揺れる草むらに狙いを定めるのも、角ウサギの体当たりで尻もちをつくのも、後ろ足で蹴られるのも、草をかき分けて腕にたくさんの切り傷を作るのも、すべてがはじめての経験だった。
三度目の挑戦で丸々とした角ウサギを仕留めたライオネルは、嬉しさに身体を小刻みに揺らしてる。痣への鬱屈を忘れて感動に震え喜びに輝く表情を見ていると、お膳立てしたかいがあるというものだ。
「解体もしたことねぇんだよな?」
コウメイの問いにライオネルは恥ずかしそうに頷く。彼の解体用ナイフは、護衛騎士の討伐した魔物から証明部位を切り取るのに使っていたそうだ。
「じゃあ教えてやるからやってみろよ」
「は、はいっ」
己の狩った獲物を使い、ライオネルは血抜きから皮剥ぎに内蔵の処理、肉と骨の取り分けを学んだ。
はじめてなら血や贓物に嘔吐くだろうと予想していたが、ライオネルは平然として内臓や骨を触っていた。ただ手先はかなり不器用なようで、ナイフの先が獲物ではなく自身の指を傷つけそうな場面が何度もあった。教えるコウメイは解体が終わるまでハラハラし通しだった。
解体を終えて洗い場から出ると、待ち構えていたアキラが彼を見て顔をしかめた。転んだり雑草を掻き分けたときに負ったのだろう、細かな切り傷が彼の腕にいくつもできている。
「ちょうどいい、私はこんな足なので、手伝ってもらえると助かります」
立ち上がったアキラを見て、ライオネルははじめて彼の右足の欠損に気づいた。慌てて彼の後を追い、収穫に手を貸す。木の陰に作られた薬草園で足を止めたアキラは、彼に採取の指示を出した。
「まずはセタン草を三束」
「あ、あの、どれでしょう?」
「冒険者に登録したときに、初心者向けの講習を受けませんでしたか?」
「……もうしわけありません」
「謝る必要はありませんが、冒険者でなくとも知っていて損はない知識ですから、覚えておくといいですよ」
赤茶色の、一見して枯れ葉に見える薬草がセタン草だと説明すると、ライオネルはすぐにセタン草を見つけた。次はユルック草の茎を五本、ヤーク草の葉を六枚、と口頭で特徴を説明する。シュウの訓練用に、薬草園にはよく似た雑草も植えられている。ライオネルは半分ほど間違えて採取していた。アキラが雑草と見比べながら見分け方を説明するとすぐに差異を覚えたようだ。
「それらの薬草は、冒険者ギルドで常時買い取りしている物ばかりです。実際には草原や森で薬草を見つけなくてはならないので、これほど簡単に採取できないと思いますが、実物を見たことがあれば、探し出すのもそれほど難しくはないと思いますよ」
「はい、ありがとうございます」
「ではそのヤーク草とセタン草とユルックの茎を小さくちぎって、手のひらで揉んでください」
ちぎった薬草から汁が出て、青臭い薬草の香り広がる。新鮮に感じるのかライオネルは鼻を近づけた。
「セタン草は枯れ葉のように見えるのに、汁が多いのですね」
揉めば揉むほどに汁が増えて、手のひらから流れ落ちそうになっている。
「それをあなたの腕の傷に塗りなさい」
「え?」
「かすり傷ですからすぐに癒えますよ」
ライオネルは半信半疑なまま、薬草汁をひりひりと痛む小さな切り傷に塗った。
「……痛くない」
傷にしみるだろうと歯を噛みしめていた彼は、拍子抜けしたように口を開けている。しかも塗ったそばから傷が薄くなってゆくではないか。驚きに目を丸くする彼に、アキラはギルドの講習では教えてくれない知識ですよ、とほほ笑んだ。
「回復力は劣りますが、錬金薬がないときに薬草が代用できます。覚えておいて損はないでしょう?」
「はいっ」
簡単な傷を癒やすには治療薬の、疲れているときには回復薬に使われる薬草を使う。全種類がそろわなくても少しは効果が認められるため、臨機応変に試してみると面白い。
講習に夢中になっていると、ガサリと雑草をかき分ける音がした。
「おかえりなさい。患者さんがいらしてますよ」
アキラの言葉に、ライオネルは慌てて立ち上がる。振り返ったそこにいたのは、背は高くないががっしりとした体つきの中年男だ。アキラに軽く手を上げた男は、薬草畑に立つライオネルに目を向ける。
赤い両目に見据えられ、彼は息をのんだ。
「ら、ライオネルと申します」
「患者?」
病人のようには思えないがと、ライオネルを見て首を傾げる。
「は、はい。私を、私の痣を、診ていただきたいのです」
「……その顔のか?」
「はい、この痣を消したいのです」
ライオネルの痣からアキラに視線を移した男は、目を伏せて頷いた。
「魔道ランプの灯りでは色が歪む。明日の朝、日の光で診よう」




