懐かしい記憶
ジョンの身体の特質を押さえ込む錬金薬には、魔物素材と特殊な薬草が必要だ。
「レッドベアの胆嚢は冒険者から買い取るか、父親に狩りに行かせれば良いでしょう」
深魔の森の巨大赤熊は近隣の冒険者らが自らの力量を試す魔物だ。レッドベアを倒せたら一人前、その死骸から売り物になる素材が採れたら一流冒険者と評価される。夫は喜んで討伐に向かうだろうとマユは頷いた。
だが薬草は冒険者による採取は期待できない素材だ。そのためアキラが畑で栽培しているいくつかの稀少薬草を株分けし、マユの家の裏庭で増やせるように栽培方法を教えた。
「ムスタ草は種ではなく地下茎を伸ばして増えます。錬金薬には古い根のほうを使ってください。新しく芽が出て親株と同じくらい成長したら、親株の根を掘り出します」
採取の手本を見せるアキラは、それらの栽培のコツも教えた。
「土は常に軟らかくあるように気を配ってください。長く深い根の先に薬効が多いのです。肥料として使う魔石の粉末も、可能な限り細かく砕いてください。ツェルル草は水気の多い生育を好みます。大きな磁器の鉢を用意して、常に水が注がれる環境を作って育てるといいでしょう」
川から引いた水路で育てられているツェルル草は、赤く豪華な花を咲かせている。アキラは葉をかき分け、水面に顔を出したばかりの堅いつぼみに指を添えた。
「錬金薬に使うのは色付く前の花芽です。赤い色が出はじめる前の硬いときに採取してくださいください。この辺りを持って、爪でプツンと」
「あ、思ってたよりも硬い」
「上手ですよ」
マユが薬草と錬金薬の指導を受けている間、ジョンはシュウに付き添われてリハビリに励んでいる。力加減を失敗して取り返しのつかない後遺症が残っては大変だと反対するコウメイを説得したのはジョン本人だ。
「シュウさんの肩車が一番高くて気持ちいいから」
歩行訓練の後の、シュウに肩車されての森の散歩が彼には最高のご褒美らしい。
かつて彼の肩車に夢中になり、雲に手を伸ばしたくなるほど高くまで放り投げられては歓声をあげていた子供が懐かしい。当時を思い出したシュウはご機嫌だが、コウメイとアキラは渋い顔だ。
「そーか、そーか! やっぱり子供は俺の肩車の価値がわかるんだよ!」
「ジョンがそう言うなら仕方ねぇが、お前に求められているのはリハビリ指導と見守りだ、それを忘れるんじゃねぇぞ」
「肩車以上のことはするな、わかってるな?」
「心配するなって、どれだけ高くあがっても絶対に受け止めてみせるから」
「「投げるなと言ってるんだ!!」」
コウメイとアキラの雷が落ちて、ジョンのリハビリはどちらかの目が届かない場所では禁止となった。歩行訓練後のご褒美も視界の範囲内でと念を押してある。
今もリハビリを終えたジョンは、駆けるシュウの肩で風が頬にあたる感触に歓声をあげていた。
「おい、もう少し力を抑えろ」
「このスピードがいいんだぜ、なー?」
「はいっ」
全力ではないが乱暴なスピードの走りは見ていてハラハラさせられると、アキラは畑の周囲を駆け回るシュウを睨んでいる。
「あの子はあんなふうに駆け回れないから、経験させてやってください」
「マユさんがいいなら……シュウ! ケガさせたらお前が元に戻れなくなるようにしてやるからな、覚悟しておけよ!」
「ひー、アキラこえーっ」
「こわーいっ」
その声は悲鳴というよりも歓喜の声に聞こえる。はしゃぐ二人を楽しげに見ているマユの視界に、キラリと魔力が閃いた。
「……魔紙」
「俺宛のようだな」
ひらりと舞い落ちた紙がアキラの手に収まる。
「ウナ・パレムの兄弟子からだが……どうやらジョンのお父さんのパーティーが訪ねてきたらしい」
彼女の夫が仲間とともに息子の病を治す新薬を求めニーベルメアへ向かったと聞いて、サイモンに送る手紙にレオンらの存在を追記しておいたのだが、つい先日、彼らは医薬師ギルド長職を降りたサイモンを訪ねてきたらしい。
陸路で大陸を北上した彼らは、ウナ・パレムにたどり着いたはいいものの、魔法使いギルドでも医薬師ギルドでも新薬の情報を得られず困っていた。藁にもすがる思いで前ギルド長のサイモンを訪問したらしい。
夫の気性を知るマユは、アキラの説明を聞いて少しばかり不安そうだ。
「ギルドに迷惑かけてませんでしたか?」
「いや、ジョンが健康に近づいたと聞いて大喜びだったそうだぞ。そのままとんぼ返りしたそうだ」
サガストは大陸の中心に近い内陸部にある。船便を使うにしても陸路にしても時間がかかるため、彼らが帰宅するのは早くて二ヶ月後だろう。
「ちょうどいい、マユさんが耳にした新薬について、少しお聞きしてもいいですか?」
サイモンに問い合わせていた回答と、マユの耳にしたアレ・テタルに伝わる噂話の真偽を確かめなければならない。アキラは室内に移動し、マユから話を聞き出した。
+
夕食後、アキラはリンウッドの小屋でマユから得た情報を話し合っていた。
アレ・テタルにジョンの治療方法を何度も問い合わせ、断わられても治療魔術師の派遣を依頼し続けたマユに同情した医薬師ギルドの役員が、彼女にウナ・パレムでどんな病でも治せる新薬が作られているらしい、と書き送ってきたそうだ。
彼女は処方の詳細を求めてあちこちに問い合わせたが、魔法使いギルドや医薬師ギルド、魔術学校時代恩師や友人の誰からも、これという有益な情報を得られなかった。それどころか彼女に情報を漏らしたギルド職員は、上司に注意されたのか、二度とマユの手紙に返事をくれなかったそうだ。
火種のない場所に煙は立たないものだ。夫婦で話し合い、新薬の手がかりを求めて夫のレオンとその仲間たちはウナ・パレムへと旅立った。
「研究はそこまで進んでいないはずだが……」
「サクリエ草自体の情報が秘匿されているのは間違いないでしょうね。ただサイモンさんが我々に嘘をつくとは思えません」
あちらも長く手詰まっており、異なる視点からの意見や発想を求めているのだから、発見者であるアキラに嘘を教える利点はない。
「秘匿情報が漏れたのか。ギルドの長ともあろう者が、情報管理を失敗するとは情けない」
「サイモンさんは昨年退任したそうですし、ローレンさんもサクリエ草については実用化が見込めるまで情報を外に漏らさないよう制限しているそうですよ。ただサクリエ草は個人研究ではありませんから、そのあたりで緩みがあった可能性が高いと思います」
「漏らしたのはどちらだ?」
「魔法使いギルドだそうです。研究部会に参加している魔術師の弟子から漏れたようなのですが、弟子自身もどのような新薬かは把握していなかったらしいですよ」
師匠がギルド長主催の研究部会に選ばれた、どうやらこれまでになかった新薬の開発にかかわっているらしい、と師匠のライバルである魔術師の弟子に自慢した。そこから魔法使いギルド内部で一騒動あり、それも含めて箝口令が敷かれたのだが、すでに手遅れだったというわけだ。
「新薬やら新しい薬草については、どこのギルドも敏感ですからね。サクリエ草の名前もその特性も伝わってはいませんが、なにかすごい新薬、あるいは薬草があるらしい、という噂は消せなかったようです」
「それに期待やら憶測がいくつもついてアレ・テタルまで伝わったのか」
リンウッドはしかめっ面のまま眉間を揉んだ。
魔術師ともあろう者が不確かな情報に惑わされ、利己のために吹聴する。その行為が己の価値だけでなく、魔術師の存在価値を貶めていると何故気づかないのか。いつの間に魔術師らはこれほど愚かになってしまったのかと彼は嘆いた。
「いろいろ要因はあるかと思いますが、今それを嘆いても無意味です。それよりも期待と思惑で膨張した噂は、アレ・テタルの他にも伝わっていると思ったほうがいいですよね?」
「全ての魔法使いギルドと、大多数の医薬師ギルド、各国中枢にも伝わっていると考えておくべきだろうな」
「厄介な……」
竜血の毒もそうだった。いつの間にやらオルステインからあちこちの王室や貴族に存在が知れ渡ったっただけでなく、現物が取引きされるまでになってしまったのだ。根拠のない尾ひれのついた新薬の噂も、確実に伝わっていると考えていいだろう。
「サイモンはどうすると?」
「ウナ・パレムは一区切りつくまでは研究を続行するつもりのようですが、発見に関する一切の情報をギルドの記録から削除したそうです。それを知っている魔術師らは自ら沈黙の枷をはめたと……サイモンさんもそれに準ずる予定だそうです」
好奇心に負けたアキラのツケを、ローレンやサイモンに払わせるのはなんとも後味が悪いものだ。
「もったいないが、こうも憶測が真実のように広まってしまっては、表で生きるサイモンらに自由な研究は難しいだろうな」
噂には過剰な期待や希望が乗せられている。権力者は彼らの研究にそれを期待するのだ。そして期待にそぐわない結果になれば、ギルドやその研究者の評価は下げられてしまう。
「捏造されなければいいのですが」
攻撃魔術師のようにわかりやすく賞賛される者とは違い、研究に携わる魔術師の多くは評価に飢えている。心弱き誰かが道を間違ってしまわなければ良いのだが。
向かい合う二人は同時にため息をついていた。
「サクリエ草が増やせなければ、推測値による錬金薬が発表される可能性はあるな」
「誰も検証できませんから、可能性はありますね」
アキラの頭にあるのはジョンの病と、竜血の毒だ。
「私たちはどうしますか?」
サイモンからの研究報告書に記された発見の中に、サクリエ草を特定の素材に染め上げる技術があった。サイモンは稀少な薬草素材の複製を作ろうとしているようだ。
「続けたいのか?」
「ええ。この森でしばらく暮らすのですから、発芽と増株はこっそり検証を続けたいです。もし増やせるとわかれば、もっと思い切った研究もできますから」
「ここには叱りつける者もいないしな」
サイモンやローレンから説教されたと聞いていたリンウッドは、ニヤリと共犯者の笑みを向ける。
「師匠の理解を得られて嬉しいですよ」
「俺もアキラも人の枠から外れた異物だ、今さら倫理観を振りかざしてどうする」
リンウッドがマユ親子を受け入れたのは、病に苦しむ子供を見過ごせなかったのもあるが、それだけではない。未知の病への好奇心と、アキラの説明で作ったCTやMRIのような検査魔道具を実際に使ってみたかったからに他ならない。
それを知るアキラは複雑な思いで厳つい師匠の横顔を見つめた。
「それで、使い勝手はどうでしたか?」
「おもしろい。だが魔力消費が激しいし、図面に書き記す際にズレが生じるのはもどかしいぞ」
言外に人体解剖経験のないアキラに書き記させたのは失敗だったと言われた。自分で書けば正確だが、そのたびに手を離していては魔道具への魔力注入が途切れてしまうし、検査の効率が悪くなる。
「探知も操作もすべて自分の魔力でないといかんというのが面倒だな」
「動力源だけなら魔石魔力で代用できますけど、異常の発見を使用者の感覚に頼っていますからね、仕方ありません」
今後の改良によってもっと使いやすく、使用者を選ばない人体検査魔道具の完成が見込まれるが、それはもっと先になるだろう。性能を高める実験と称し、魔道具を担いでサガストやハリハルタに出張することになりそうな気がした。
「サクリエ草をジョンの治療に役立てられないでしょうか?」
「それはアキラが研究してみればいい。あの子供には間に合わんが、同じ症状の者を救う日が来るかもしれん」
「どちらにしてもサクリエ草そのものを増やさないといけませんね」
マユ親子がサガストに帰った後は、再び森を駆け回って発芽実験を繰り返す日々になりそうだ。
+++
「狩ってきたぜー!」
ドサリと玄関先におろされた巨体の毛皮を見て、マユが悲鳴を、ジョンが歓声をあげた。
「きゃぁっ」
「れ、レッドベアだ、すごい!!」
ジョンの治療薬の素材を調達してくると言って出かけたシュウが、まさかたった一人で討伐してくると想像しなかったのだろう。マユは薬草の籠を投げだし尻もちをついたまま、驚きの顔でシュウを見あげていた。母親とは逆にジョンはレッドベアに駆け寄り、そろりと毛皮を撫でている。
「どーだ、すげーだろ?」
「すごいです、父さんだってまるごと持ち帰ったことないのに。シュウさんかっこいいっ」
「はっはー、だろー、っ痛ぇ」
ジョンに憧れの目で見あげられ鼻高々にふんぞり返るシュウの尻を、コウメイが蹴り飛ばしていた。
「解体したくねぇからって、まるごと持ち帰るんじゃねぇ!」
小さな獲物なら玄関近くの洗い場で処理するが、レッドベア級となると裏庭で処理するしかない。コウメイに急かされ再び熊を抱えたシュウの周りを、ジョンが楽しげにまとわりついている。
「ケガしてねぇか?」
コウメイに差し出された手を掴んで、マユはよろよろと立ち上がる。その視線は建物の角を曲がるシュウを、夢見るように見つめていた。
「どうした?」
「……あの、シュウさんの年齢は、いくつなんですか?」
散らばった薬草を籠に集めたコウメイは、首を傾げてその真意を問う。
「親戚とか、年の離れた兄弟はいませんか?」
「どうしてそんなことを?」
これまで一度も自分たちの素性を問うことのなかったマユだ。コウメイたちが身を隠していると察し詮索してこなかったのに、突然気が変わったのは何故だろう。探るような彼の視線に、マユは後ろめたそうに目を伏せる。
「私、王都の孤児院で育ったんですけど……そこに入るまでに保護してくれていた、人、がいるんですけど」
薬草の籠を手渡しながら、コウメイは庭先の丸太椅子に彼女を導いた。
「その人、が、さっきシュウさんに重なって見えて……」
見間違いだと思うけれど、とてもよく似ているような気がしたのだと、彼女はシュウの消えたほうに再び顔を向けた。
「面倒見てくれてたって言うけど、そいつに捨てられたんじゃねぇのか?」
「違いますよ。ジョンは私を捨てたんじゃない」
「そいつ、ジョンっていうのか……子供に名前をもらったのか?」
「はい」
小さく頷いたマユの手が、首の革紐をたぐり寄せ、錬金薬の小瓶を握る。
「前から気になってたけど、その錬金薬、古すぎて使えねぇだろ」
「はい、もう何の効果もありませんけど。ジョンが、私の母が残したたった一つの品だからって院長先生に預けてくれていたものなんです」
六歳で薬魔術師に弟子入りすると決めたとき、孤児院の院長にジョンからの伝言とともに渡されたのだ。それ以来ずっと、彼女は形見の品である錬金薬の小瓶をお守りにしてきた。
「……その、人、はとても複雑な身の上だから、私を育てることはできなかったと思います。私は、気がついたらそこにいて、ジョンを見あげていたんです」
池の中で足を滑らせたマユが見あげる先にいたのが、彼女を保護したジョンだ。ついさっき尻もちをついてシュウを見あげたとき、彼女の中に埋もれていた最も古い記憶と重なって見えた。
「今気付いたのですが……とてもよく似ているんです。だから、もしかしたら親戚、なのかなって……そんなはずないってわかってるんですけど」
手の中にある錬金薬の小瓶を見つめる彼女の顔は、今にも泣き出しそうだった。
「残念だが俺たちは全員、天涯孤独なんだ。だから寄り集まって暮らしてる」
「そうですか……」
「ガッカリしたか?」
「……いいえ、忘れかけていたジョンの顔を思い出せたから、嬉しいです」
大切な恩人の名を息子につけたが、呼ぶたびに懐かしい恩人の姿がぼやけて思い出せなくなっていた。忘れたくない大切な名前をもらったことは後悔していないが、記憶の中にある姿が消えてしまうのは悲しく思っていたと語った彼女が、静かに顔を上げた。
「ハリハルタに依頼を出して良かったです。コウメイさんがたずねてきたときに決断して本当に良かった。ありがとうございます」
屈託のない心からの笑みは、空に広がる雲のようにやわらかくまぶしく見えた。
頼まれていた薬草を持って行かねばと、彼女は籠を手にリンウッドの小屋に向かってゆく。その後ろ姿を見送ったコウメイは、ゆっくりと建物の角を曲がった。
「……汚ねぇ泣き顔だな」
「うっせーよ」
壁にもたれてしゃがみ込んだシュウが、穴という穴から体液をだらだらと流し無言で泣いていた。唇を噛んで嗚咽をこらえている。シュウが聞いているとわかっていたから、コウメイはあえてあの場所でマユにたずねたのだ。
「良かったじゃねぇか。恨まれてねぇし、大切な名前だってよ」
「うん……間違ってるけど、もう、いいや」
「じゃあその汚ねぇ顔を洗え。さっさと解体するぞ」
洗い場に飛び込んだシュウは、涙と鼻水とよだれに汚れた顔を洗った。なんとかジョンに見せられる顔を取り繕った彼は、解体用ナイフを手にするコウメイと肩を組む。
「コーメイ」
「礼ならいらねぇぞ」
「そうじゃねーよ。俺はマユを口説くなって言ったよなー?」
肩に回された腕に力が込められ、コウメイが苦しげに呻いた。シュウは友人の首を絞めたまま歩き出す。
「ジョンを泣かしたら許さねーし」
「お前の目と耳は節穴か? 口説いてねぇだろ」
「いや、さっきのはコーメイが美人を甘やかすときの声そのまんまだった」
「は?」
「マユはてめーみたいなタラシにはやらねぇからな」
「おまえ、何言ってんだ? ふざけんじゃねぇぞ」
理不尽な言いがかりで照れくささをごまかしたシュウは、そのままレッドベアまでコウメイを引きずっていった。
危ないので少し離れたところで見学しているようにとジョンをさがらせた二人は、皮を剥ぎ肉を捌き、胆嚢を丁寧に取り出して保存容器に収め、すべての解体作業が終わるまで、小声でくだらない口げんかを続けたのだった。




