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やたら長い人生のすごし方~隻眼、エルフ、あとケモ耳~  作者: HAL
幕間3 深魔の森に生きる人々

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選択と決断



 息子を上級治療魔術師に診せられると知ったマユは、玄関扉を開けたときよりも明るく気力に満ちて見えた。専門用語ばかりの問診事項に応える横顔は笑むようにゆるみ、初対面の印象より実年齢に近づいている。そんな彼女の変化を確かめ、コウメイは息子との面会を頼んだ。


「本人と少し話をしたい」

「ジーナから連絡が来る前に錬金薬を飲ませたので、今は眠っています。薬が切れるまでは……」


 躊躇いがちに案内された子供の寝室は、日当たりの良い二階にあった。窓際のベッドで眠る子供は、とても小さく見える。痩せ細り、皮膚は色が沈んでいる。ふりそそぐ太陽の光はあたたかいはずなのに、子供の肌は氷の中で凍えたかのように暗い。


「この子はいくつなんだ?」

「四月に五歳になりました。名前はジョンよ」


 コウメイは「小さい」という言葉を慌てて飲み込んだ。彼の記憶にある五歳のマユは、もっと大きくて子供らしい丸みのある身体をしていた。なのにジョンは痩せ細っているだけでなく、全体的に小さい。病によって成長が遅れているのか、三歳ほどにしか見えなかった。錬金薬が効いているのか、眠る子供の胸の小さな動きは安らかで、それだけが救いだ。


「錬金薬の効果時間はどのくらいだ?」

「今は一日に三回服用させているけど、そろそろ四回になりそうです」


 効果が継続する時間は確実に短くなっているらしい。


「ずっと眠らせているのか?」

「この錬金薬に眠りの効果はないんですよ」


 コウメイの問いに、彼女は目を伏せ息子の髪を撫でながら答えた。マユが処方するのは、治療のための薬ではなく、熱と痛みを感じなくなる薬だそうだ。感覚を麻痺させている間に、ジョン自身の生命力に期待して回復を促す薬を処方しているらしい。


「でも麻痺させ続けると、正常な感覚も鈍くなっていくので、継続して薬を与えられなくて」


 マユによれば、薬が切れた後、およそ鐘一つ分の時間をあけているそうだ。


「次の錬金薬を飲むまでの一鐘の間、痛みと熱に耐えるんです。その疲れで眠ってしまうの」

「治療のためじゃなく、緩和のための薬なのか」

「薬魔術師にできるのは、症状に合わせた薬の調合と、定められた処方薬を作ることだけだから」


 それでも軽い不調や治療処方の確立した病ならば、錬金薬や一般薬だけで完治する。だが原因も治療法もわからなければ、薬魔術師にできることは限られている。己の無力を言葉にするのは辛いのだろう、彼女は息子の痩せた頬を何度も撫でた。

 コウメイは先ほどの問診の回答を書いた魔紙を再び差し出した。


「今飲ませている薬と、一番効果のあった錬金薬の処方を書いてくれ」


 マユが処方と投薬されたときの容態の変化を追記した後に、コウメイは数行を書き加えてアキラへ魔紙を返した。


「送り先は治療魔術師様ですか?」

「そうだ。内容を検討して、この後の指示が来ると思う。それほど時間はかからねぇから待たせてもらっていいか?」


 居間のテーブルに落ち着いた三人は、改めて本来の用件である薬草の納品契約を話し合った。実際に薬草を納品しはじめるのはジョンの診察結果次第になる。必要な取り決めを記録したジーナは、ギリギリまで渋っていたがマユに説得されギルドに戻っていった。

 マユがもらった土産で錬金薬を作るというので、コウメイは見学させてもらった。薬草を丁寧に処理する彼女の手際は悪くはないようだ。


「ジョンのための薬を作らねぇのか?」


 そのために持ってきた薬草だと言うと、彼女は戸惑ったように笑う。


「治療魔術師様の指示があるまでは、勝手な投薬は控えたほうがいいと思うから」


 なるほど、そういうものなのかと、コウメイは余計な口出しを控えた。

 丸薬を作る作業は興味深く見学したが、錬金薬の調合になるとアキラで見慣れているせいか興味は薄れる。視界のあちこちで気にかかっていた埃をどうにかしようと、コウメイは腰を上げた。恐縮するマユを押し切って部屋の掃除をはじめ、そのまま台所を借りて料理を作った。用意された昼食を前に、マユはとても居心地が悪そうだ。


「コウメイさんって、冒険者らしくないですね」

「これでもちゃんと冒険者やってるんだぜ。まあ他の奴らと比べれば変わってる自覚はあるが」

「私より掃除の手際はいいし、料理も……ほとんどの冒険者は串肉を焼くのがせいぜいなのに」

「俺の仲間も似たようなもんだぜ。茹で芋しか作れねぇおっさんと、野菜をちぎるくらいしかさせられねぇ奴と、肉を焼くだけのデカい男だ」


 そのくせ味付けにうるさい連中なのだとコウメイがぼやくと、マユからも夫に料理を任せると焼いただけの肉と茹でた芋になると愚痴がこぼれ、二人は声をそろえて笑った。


「……美味しい」


 昼食に出された膨らんだパンケーキはほのかに甘く、添えられた角ウサギ肉のソテーはやわらかい。どちらもとてもやさしい薄味だ。野菜のポタージュスープは濃厚なのにあっさりとしている。知らず知らずのうちに料理を平らげた彼女は、皿が空になったのに気づいて驚いていた。


「食事をこんなにたくさん食べたの、ずいぶん久しぶりだわ」

「そりゃ良かった。看病する側が倒れちゃまずい。ちゃんと飯を食わなきゃだめだぜ」


 ジョンも痩せているが、マユもかなり細い。暮らしぶりは困窮からほど遠いのだから、痩せた原因は息子の看病に没頭し、己の健康にまで気を配る余裕がなかったせいだろう。ジョンだけでなく、彼女にも療養と栄養が必要だ。


「ジョンは食事を食べられるか?」

「スープや水気の多い果物なら、少しだけ。この野菜と牛乳のスープ、ジョンにも飲ませたい……残ってる?」


 夢中で食べてしまったが、息子にこそこのスープが必要なのにと後悔するマユに、コウメイはまだ鍋にたくさんあると安心させた。


「きみもお代りしていいんだぜ」

「もうお腹いっぱいよ」


 病床の子供がどのくらい食べられるかわからないので、鍋ごとジョンの部屋に運ぶ。

 錬金薬を飲まされ楽になったジョンは、母親の後ろ目に見知らぬ眼帯男を見て目を丸くした。脅えられるか警戒されるだろうと覚悟していたのたが、彼は母親と鍋を持ったコウメイを交互に見て、不思議に思うほど自然にコウメイを受け入れていた。


「父さんの友達?」

「いや、お母さんの取引相手だ」


 目を細めたコウメイは、大きな青い瞳を好奇心いっぱいに動かす少年の前に、スープ皿を差し出した。


「飯は食えるか?」

「お腹はすいてないんだけど、いい匂いだね」

「体力を維持したけりゃ飯は食わねぇとな。スープだけでいいから飲んでおけ」

「母さんもさっき飲んだけど、すごく美味しかったわよ。ジョンもきっとお代わりが欲しくなるわ」


 スプーンを口元に運ぶ母親の手を拒否して、ジョンは自分で匙を握った。おそらくコウメイが見ているので見栄を張ったのだろう。震える手は二度三度とスープを運ぶうちにしっかりとしてきた。皿の底が見えはじめるころには、ジョンの頬にかすかに赤みが差しはじめていた。


「まだあるぞ」

「少しだけ、ください。これ野菜の味が濃くて美味しい」


 少なくはあるが二杯目の最後の一滴まで飲み干したジョンを見て、コウメイは料理人冥利に尽きると破顔した。


「おじさんは料理人? それとも薬草冒険者?」

「コウメイだ。料理は趣味だな。本業は冒険者だ。薬草だけじゃねぇぞ。俺は討伐もするし、護衛も引き受けるし、運搬もする」


 ずっと寝たきりで、父親も不在にしている。大人の男性と会話をするのは久しぶりなのだろう、ジョンの瞳は憧れと好奇心に弾んでいた。


「じゃあスタンピードで戦ったことはある? 父さんは深魔の森であふれた大蜘蛛を討伐したんだって」

「俺が遭遇したのはゴブリンだったぜ。ジョンは討伐冒険者になりてぇのか?」

「ううん、ぼくは薬草を扱う仕事がしたいな。いろんな薬草をしらべて、苦くない薬を作るんだ」


 ジョンはコウメイの袖を引っ張り、母親に聞こえないようにと声を潜めた。


「母さんの薬を飲むと、すごく楽になるけど、とても苦いんだ」

「薬が不味いのは当たり前だ。美味しかったらわざと病気になろうとする馬鹿がいるからな」

「そうなの? いくら薬が美味しくても、ぼくは病気になりたいなんて思わないな」

「俺もそう思うぜ」


 ニヤリと笑ってみせると、ジョンもコウメイのまねをして悪戯っぽく笑う。身体の成長は遅くとも、彼の精神はとても大人びていた。自分のために奮闘する母親を見ていたせいだろうか、実年齢以上に物わかりが良く我慢強い。それが健気で、痛々しかった。


「苦しいときに飲む薬が苦くて不味いのは、本当に辛いんだ」


 自分のために苦労して薬草を調達し、効き目や味を工夫してくれる母親には聞こえないように、少年は正直な気持ちを漏らす。薬を飲み慣れていても、いや飽きるほど飲んでいるからこそ、ジョンは飲みやすい薬を作る仕事をしたいと言った。


「そうか、頑張れよ」

「うん」


 乱雑に少年の頭を撫でると、彼は嬉しそうに微笑んだ。

 話し疲れたのか、それとも空腹が薬以外のもので満たされたせいか、ジョンの瞼がゆっくりと重く落ちてゆく。コウメイが手を貸して頭を枕に落ち着かせると、ジョンはすぐに穏やかな寝息を立てはじめた。その寝顔は穏やかで笑っているように見えた。 


   +


 六の鐘がなって半鐘ほど過ぎたころ、マユに代わってギルドへの納品から戻ったコウメイの前に、アキラから魔紙が二枚届いた。


「治療魔術師様からのお返事ですよね?」

「ああ、いろいろと決断してもらわなきゃならねぇようだぜ」


 小さくはない魔紙の隅々までに綴られた文字を読んだコウメイは、居間のテーブルを挟んでマユと向き合った。マユを見つめるコウメイの表情に楽観できる優しさはなく、マユは緊張に息をのむ。


「書いてもらったジョンの容態とこれまでの治療記録を検討しても、やはり治せると保証できないそうだ」


 マユは嗚咽を漏らさぬように硬く唇を噛み、膝の上で両手を握りしめた。


「それを承知の上なら診察するそうだ。どうする?」

「……ありがとう、治療をお願いします」


 テーブルに額をつけて礼を言う彼女に、コウメイは「礼はまだ早いぞ」と顔を上げさせた。


「ジョンは数日の移動に耐えられるか?」

「治療魔術師様はここに来てくれるんじゃないの?」

「往診でジョンが完治したら、きみの評判に影響するぜ」


 町の住人らは、ジョンが灰級薬魔術師である母親にも治せない病であると知っている。そこにふらりとやってきた治療魔術師が治せば、彼らはこれまで町を支えてきたマユの評価をねじ曲げかねない。

 試すようにたずねた言葉に、彼女は即答した。


「かまわないわ」


 息子の命と引き換えというなら、自分の評判など安いものだと彼女は前のめり気味に断言する。コウメイはごまかしたまま彼女を説得するのは無理だと諦めた。


「きみの覚悟はわかるが、ここでは診察や治療の環境が整ってねぇから無理なんだよ」


 診療の魔道具を運搬する時間と手間がもったいないのだ。リンウッドとアキラがサガストまで移動する時間と、足りない魔道具や薬草を取りに移動する時間は無駄でしかない。


「それに俺たちは少々ワケアリでね。特に魔術師二人は人目につきたくねぇんだ。だからジョンを連れて行きたいんだが……」


 それが彼の命を脅かすのであれば移動させられない。だがその判断はコウメイにはできない。マユの薬魔術師としての判断に委ねた。

 この家から、町から息子を連れ出して無事でいられるのか、さすがにマユも決断を迷っているようだ。


「移動にどのくらいの時間が必要ですか?」

「丸一日だ。ジョンは眠らせたままで運ぶことになる」


 彼女は胸に下げている錬金薬の小瓶を、すがるように両手で包みこんだ。


「……その移動中は、薬が切れている一鐘の間を、安全に過ごせますか?」

「大丈夫だ。魔物にも、不届き者にも気づかれないよう隠匿する魔道具がある」

「それなら、お願いします。私とジョンを、その治療魔術師様のところへ連れて行ってください」


 マユの決断をアキラに知らせると、ほとんど待つことなく返事が届いた。


「明日の早朝に迎えがくる。それまでにしばらくここを留守にしてもかまわないように、各所へ根回しをしてくれ」


 最低でも十日、長ければ数ヶ月になると聞き、マユは薬を卸せなければ町の人々が困ると顔を曇らせた。


「それなら俺たちの家で薬を作ればいい。十日おきでいいなら俺がサガストまで届ける」


 どうせハリハルタに薬草を配達しているのだから、サガストに足を伸ばすのは可能だとコウメイが引き受けた。


「助かります。あとは夫になんて書き残したらいいのかわからなくて」

「そういえば姿が見えねぇが、どこに遠征してるんだ?」

「ジョンの病気に効くかもしれない薬がニーベルメアで発見されたと聞いて、半年前に仲間と一緒に向かったんです」

「ニーベルメア? それ、なんて街だ?」

「ウナ・パレムです。ウェルシュタントにおけるアレ・テタルのような、魔術師の集まる街です」


 マユの口から出た因縁のある地名に、コウメイは取り繕った表情の奥で盛大に眉をひそめていた。おそらくサクリエ草の情報が、かなり歪んで各地に伝わったのだろう。この真偽は後でアキラに投げる必要がある。


「なら伝言は、ジョンの治療のため青級の治療魔術師の元にいると書き残しておこう。二人が戻る前に帰ってきたら、連絡をするように魔紙を残しておけばいいんじゃないか?」


 帰宅したと連絡があればマユの夫を迎えに来ると約束すると、彼女はコウメイの指示通りに夫宛の手紙を書き残した。マユに届く魔紙を一枚封入し、帰宅したらすぐに連絡をと書き記す。


「次はきみにしかできねぇ仕事だ。この錬金薬を作れるか?」

「これは……ジョンのための処方ですね」


 魔紙の処方を読み取ると、彼女は「すごい」と感嘆の息をこぼす。


「ウチの薬魔術師らがきみの処方をもとに改良したらしい。移動中はこの錬金薬を常時服用するように、だそうだ。間隔をあける必要はない」

「……」

「どうした?」


 処方の魔紙を凝視したまま固まったマユに声をかける。

 コウメイの声で彼女の身体はビクリと跳ねた。ペンダントトップの錬金薬瓶を握りしめ、どうしようかと迷う素振りを見せた彼女は、すぐに首を横に振る。


「今さらだけど、お代はいくら払えばいいのでしょうか?」


 決死の表情で治療代を問われ、今度はコウメイが言葉を詰まらせた。


「……治療費は俺が決めるんじゃねぇからなぁ。治療魔術師が請求すると思うが、心配しなくていい、あいつらはぼったくったりしねぇよ」


 安心させようと告げたコウメイの言葉は、彼女には逆効果だった。


「こんなこと言ったらダメだと思うけれど、貴重な処方をもらって、上級の治療魔術師を紹介してもらって、なのに料金が提示されないのでは……怖くなるんです」


 うつむいた彼女から漏れる声と言葉には不安が溢れていた。


「高価な魔紙を何枚も使って、ジョンを安全に運ぶ方法も考えてくれて、ありがたいのは本当だけど、怖いんです」


 コウメイや魔術師らの善意は、気まぐれの域を超えていて怖いと彼女は吐き出した。

 はじめは訪れた幸運を逃すまいと飛びつき、コウメイの厚意を受け入れた。だが考える余裕がうまれると、しだいに不安が押し寄せた。そして薬魔術師にとって生命線である処方の提供で、不安は恐怖に変わる。


「理由のわからない善意は、怖いんです。大金を要求されたり、治療する代わりにこの家を寄こせと言われるほうが恐ろしくない」


 コウメイらの善意は、見ず知らずの他人に分け与える限度を超えている。


「じゃあ、止めるか?」

「いいえ……」


 彼女は処方の魔紙を奪われないようしっかりと握り、のしかかる不安を抱えたまま顔を上げコウメイを見あげた。


「それでも、私はジョンに治療を受けさせたいから、治療の後で卑劣な対価を要求されるとしても、受け入れるって覚悟したから」


 彼女の決意の眼差しを受けて、コウメイは頭を抱えた。よかれと思った行動が彼女を脅えさせたのだ。シュウを叱り飛ばした自分が、同じ理由でマユを困らせてしまったのだ、反省するしかない。


「覚悟なんてしなくていい」

「え……?」

「それに理由はちゃんとあるんだ」


 戸惑う彼女を見るコウメイの表情は、マユが息子に向けるものとよく似ていた。


「だから怖がらないでくれ……特に俺の仲間には、笑ってやってくれよ」


 それが対価なのだとは言えなかった。



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