サガストの再会
左の瞼越しに感じた光にコウメイは目を覚ました。
「ああ、いてぇな」
木根の枕と地面の寝心地は最悪だ。身体を起こし、軽くほぐしただけで全身が軋む。身体がほぐれると腹が鳴った。コウメイは単独野営では料理などしない。朝食は持参した携帯食を水で流し込んで終わりだ。クッキーバーを食べ終えて空を見あげ、木々の隙間から差し込む朝日の強さから、時刻は二の鐘まで半鐘ほどだろうと見当をつけた。
「町までは走れば半鐘ってとこか。開門と同時に入るか、ギルドの開店にあわせるか……どっちにするかな」
ハリハルタの募集依頼を口実にする建前上、まっすぐにササオカ薬店を訪問するのは警戒される。ギルドを仲介して訪問の形が受け入れられやすいだろう。開店時間に合わせると決め衣服の土埃を叩き落としていると、頭に何かが触れて足元に落ちた。
「間に合ったか」
ひらりひらりと舞い落ちたのはアキラからの魔紙だ。届けられたマユの調査結果に目を通す。
「アレ・テタル所属の薬魔術師。出身は王都の孤児院……やっぱりあのマユだったんだな」
待機を命じられているシュウは、この結果を知って今ごろ飛び出そうとしているだろう。コウメイが先行すると決めたときも、彼はずいぶんと抵抗していた。
+++
マユの子供が病気だというのなら、アキラかリンウッドを連れて行けば早い。そう考えたシュウが、無理矢理アキラを背負って駆け出そうとするのを止めるのは一苦労だった。
「急ぐんだろ、俺が運べばすぐだから、今すぐ行こうぜ!」
「待て、何の情報もなく押しかけても無駄足になるぞ」
アキラを挟んで揉み合う二人を止めたのはリンウッドだ。彼はコウメイが持ち帰ったマユ作の錬金薬と一般薬を分析し、その腕前を把握していた。彼女の実力は白級に限りなく近い灰級だ。その薬魔術師が治せない病なのだ、何の準備もせず駆けつけても満足な治療はできないと断言する。
「子供の病の情報が得られるなら、それを待ってからのほうがいい。道具や設備のために移動していては二度手間だし、必要となる薬草が町で調達できるかもはっきりせんのだ。現状は問い合わせてからが最良だろうな」
シュウの手から逃れて乱れた上着を整えたアキラも、急がば回れだとシュウをたしなめる。
「子供の年齢もわからないし、病名もわからない。そんな状態で治療薬は作れないし、迂闊な提案はできない。情報は必要なんだ」
「そんなの、マユに聞けばすむだろ」
むすっとしたシュウは、自分が駆けつければすべて解決すると言い張る。だがそれは楽観過ぎると二人は首を横に振った。
「あれから何年経ったと思ってるんだ? こちらは歳を取っていないし、五歳だった彼女は二十代半ばだぞ、怪しまれるに決まっているだろう。生活が一変して、苦労もしてきたはずだ。シュウを覚えているかどうかもあやしいのに」
「見ず知らずの他人に押しかけられて、自分が一番大事にしている子供に会わせろって脅すんだぜ、門前払いされるに決まってるだろ」
下手をすれば町兵を呼ばれてしまう。
「俺はマユを脅したりしねーよ!」
「そう受け取られるつってんだ!」
コウメイはシュウの頭を掴んで両手に力をいれ、キリキリと締め上げる。アキラも「少しは頭を使え」とため息をついた。
「穏やかに訪問したとしても、初対面の人間がプライベートに踏み込もうとしたら、誰だって警戒するだろう。ましてや子供の病気を治してやる、なんて輩はあやしげな宗教勧誘とどこが違う?」
「アキの言う通りだぜ。不審者に押しかけられたって通報されて、町兵に取り囲まれたら治療もできねぇんだぞ」
自分たちの行動が善意の押しつけになるとの認識が、コウメイにもアキラにもあった。話の持って行き方によっては脅迫と受け取られる可能性もある。焦りはあるが慎重に事を進めるべき繊細な事案なのだ。彼女の負担にならないアプローチ方法を考えるためにも、子供の病気の手がかりを得るためにも、まずは調査が必要だとシュウに説明したが、彼は少しでも早くマユを安心させたいと譲らない。
「間に合わなかったらどーすんだよ!」
互いに譲ろうとしないコウメイとシュウは、相手の腕を掴んだまま睨み合っている。殴り合いになりそうな二人を再び引き剥がしたリンウッドは、ことさら冷たく言い放った。
「何の準備もなしに駆けつけて、その場で治療できない病気だったらどうする? お前の子供は治らないと告げるのだぞ、そちらのほうが残酷だとわからんのか?」
「あんた医者だろ、そんな冷てーこと言っていいのかよ!」
魔物に向けるような容赦のない威圧が室内の空気を震わせる。
だがリンウッドは微動だにしなかった。
「治療魔術師だからこそ言うんだ。俺は、治療魔術師は、どんな病気でも治せるわけではない。どこをどう治療するかを見極めねば、魔術は病には効かんのだ。時には錬金薬や薬草、毒を使って治療することもある」
「毒も、かよ?」
「そうだ。非常に緻密な調合になるし、患者の現状だけじゃない、過去の治療の過程も、体質も考慮して治療にあたらねばならん。そうやって手を尽くしても治らない病はあるんだ。的確な治療をするためにも、母子の情報は絶対に必要だ」
悔しさと無力感にシュウは拳を硬く握りしめる。力んで膨らんだ肩をアキラが静かに撫でた。
「シュウの焦りはわかる。だが少し時間をくれ。マユとその子について問い合わせた結果が届くまででいい」
病気に治療魔術を使うのは、目に見える傷を癒やすのとは全く別の技術が必要なのだと補足すると、シュウは二人の魔術師にすがるような目を向ける。
「……病気のことがわかったら、治せるんだよな?」
「最善を尽くす」
「できる限りをするつもりだ」
二人は確約をしなかった。
こういうときに決して嘘をつかないと知るシュウは、焦燥を飲み込んで頷くしかなかった。
シュウの暴れたリビングは酷いありさまだ。コウメイはひっくり返った椅子を戻し、床に転がったカップを拾った。払い飛ばされた魔紙を集めたアキラは、その場でサガストの薬魔術師について問い合わせる手紙を書き、ダッタザートへと送った。ミシェルのいなくなったアレ・テタルに伝手がないため、頼るならばジョイスしかない。できるだけ早急にと最後に書き記した。
ひらりと舞い上がった魔紙が消えるのを見届けて、コウメイは入れ直した茶を配る。自分とアキラにはコレ豆茶を、シュウには砂糖と牛乳をたっぷり入れた。リンウッドには香り茶に数滴の酒を落としてある。
甘くあたたかな飲み物でほぐされたのか、刺だらけだったシュウの気配が少しだけ柔らかくなった。そのタイミングでコウメイはリンウッドにたずねる。
「調査が終わるまでの間に、俺たちに何かできることはねぇか?」
シュウの気を紛らわせるために仕事をくれ、と声にしなかった意図をリンウッドは的確に読み取っていた。
「指定する魔物の討伐と、その素材の採取を頼みたい。普段はあまり使わんのだが、念のため薬になる魔物素材をそろえておきたい」
アキラが差し出した板紙に、リンウッドは素早く討伐対象と採取部位とその扱いを書き出した。羽蜥蜴の背骨、ベア系魔物の肝臓と暴牛の胆嚢、青銅大蛇の皮と眼球。それらの採取方法や運搬中の保管方法の指定はとても細かいものだった。
「これ全部錬金薬の材料なのか?」
「俺はあまり使わんがな」
「ついでに薬草も探してくれ。薬草園に移植できなかったものだ、慎重に扱ってくれよ」
アキラも板紙のメモをシュウに渡す。焦りでイライラしていたシュウは、仕事を与えられて気持ちが切り替わったようだ。
そうして深魔の森を走り回って必要と思われる魔物素材や、アキラの薬草園にない薬草をかき集めて一週間が過ぎた。薬素材は順調に集まっているというのに、ジョイスからの報告は届かない。かき集める物がなくなってくると、再びシュウは落ち着きをなくした。
「薬草届けるくらいならいーだろ!」
収穫した薬草の籠を奪って飛び出そうとするシュウを、コウメイが剣を抜き、アキラが雷を落として止めた。
「謎の男が押しつける薬草なんて怪しすぎるだろ」
「彼女は薬魔術師だぞ、素性のわからないあやしい冒険者が持ち込んだ薬草を、無防備に受け取ったりするものか」
マユの警戒心を高めるだけだからやめろと、コウメイとアキラは必死だ。ジョイスにあてた督促には、あと数日時間をくれと短い一言が返ってきた。あと少しだからと二人がかりでなだめたが、シュウが堪えていられたのは一日だった。
これ以上はシュウを抑えきれないと諦めたコウメイは、見切り発車も仕方ないと決断した。
「俺が先にサガストに入って、マユに接触する。ジョイスから返事が来たら指示をくれ」
先日ギルドを訪問し薬草も納品してあるから、薬草冒険者の募集に応じたと言えば、それほど警戒されないだろう。交渉を長引かせ、その間に彼女と親しくなれば子供の病状を聞き出せるかもしれない。情報を得られれば必要な対策もとれるだろう。
「コウメイが残れよ、俺が行くぜ」
「シュウは待機だ」
「何でだよ!?」
待機を命じられたシュウは、堪えに堪えていた不満を爆発させ、敷地を取り囲む木々に怒りをぶつけた。その余波で倒木が夏野菜の畑を半壊させたため、コウメイの本気の反撃を受け地面に正座させられている。アキラの杖とリンウッドの手術用ナイフ、そしてコウメイの剣先を突きつけられ、シュウは不貞腐れた。
「感情的になりすぎてるからダメだつってんだ」
「おまえに薬草冒険者のフリができるのか?」
返事に窮したシュウは、口をへの字に曲げてそっぽ向く。彼は配達できても、薬草冒険者の知識を求められれば応えられない。
「それにシュウとは密な連絡が取れない」
魔力のないシュウは、アキラへ手紙を送れても、アキラからの指示を受け取れないのだ。
「じゃあ、俺はどーすりゃいいんだよ」
「シュウの出番はもっと後だ。物資の運搬とか、最悪誰かを運ぶことになるかもしれねぇ。そのときには絶対にシュウの力と足が必要だろ。ここでアキの指示があるまで待機してろ」
アキラから魔紙の束と指示、大量の薬草を受け取ったコウメイは、そうしてサガストを目指したのだ。
+++
コウメイは魔紙の続きに目を走らせた。
「六歳の国民登録時に魔力が認められ、王都の薬魔術師に弟子入り。十二歳で魔術師資格を得たのか」
黒級薬魔術師になった彼女は師匠の元には戻らず、アレ・テタルの魔術学校に通いながら、冒険者として仲間とともに活動した。同時にフリーの薬魔術師として、ギルドや町の薬屋からの依頼を受けていたらしい。
「灰に昇級するのと同時にサガストに移り住んだのか」
長く不在だったサガストの薬魔術師の空席を埋めるため、魔法使いギルドと医薬師ギルドの両方から依頼されて移り住んだ彼女は、この町で冒険者仲間の一人と結婚している。配偶者の名前はレオン。同じ孤児院で育った男だ。しかし子供の記録は存在しない。
「記録がギルドにねぇってことは、六歳以下だな」
町の住民帳にも、魔法使いギルドの魔術師管理課にも、国民登録前の子供が記されることはない。この世界の子供の死亡率は高く、成人できそうだと見込まれる六歳までは住民帳に記録されないのだ。
「確かジョンだったな」
名前から男児なのは間違いないだろう。
「去年あたりからアレ・テタルと頻繁に手紙のやりとりしてんのか……」
彼女は医薬師ギルドに何度も治療魔術師の派遣を求める手紙を送っていた。だが魔術都市ですら治療魔術師は不足しているのが現状だ。たった一人の患者のために、抱えている多くの患者を長期間放り出せないと断わられていた。
アレ・テタルまで患者を連れてくれば優先して診る、そんな手紙を受け取った彼女の落胆はどれほどだったろう。
「サガストを離れられねぇくらいに悪いってことか」
藁を掴む思いで彼女はハリハルタの薬草冒険者を頼ろうとしたのだろう。
アキラの手紙には、子供の容態をくわしく報告しろとあった。リンウッドの指示と思われる確認項目は、どれも医学的な質問だけでなく、マユと子供のプライベートに関わるものばかりだ。すべてを聞き出すのはむずかしそうだが、やるしかない。
「ちっせぇ子が苦しんでるのは見たくねぇもんな」
魔紙をたたんで腰鞄に収めた彼は、手土産の薬草袋を抱え直し移動をはじめた。
+
開店直後の冒険者ギルドは意外に忙しい。
新しく貼り出した労働依頼は早い者勝ちだ。ギルドの扉が開くのを待っていた冒険者らは、少しでも条件の良い仕事を見つけようと我先に掲示板に向かってゆく。受付カウンターにも冒険者が押し寄せていた。前日の閉店までに持ち込めなかった素材や討伐部位を手に、何人もが列を作っている。
列に並ぶべきか、それとも暇そうな職員を探すべきか。思案しつつ職員らを眺めていたコウメイは、見覚えのある栗毛の女性に気付いた。目が合うと、彼女は手をつけていた仕事を同僚に引き継いで、コウメイに愛想良く笑いかける。先日はあれほど睨まれていたというのに、不気味なほどの変わり様だ。
「十日前に薬草を納品してくれた方ですよね? こちらへどうぞ。お話があるのですが、いいですか?」
「ちょうど良かった。俺も聞きたいことがあるんだ」
賑やかなカウンターから離れ、少し奥まった席に案内されたコウメイは、彼女が用件を切り出す前にハリハルタの依頼票を差し出した。
「向こうの町でこんなのを見かけた。ここは薬草冒険者がいねぇのか?」
「その薬魔術師は腕のいい薬草冒険者を探しているんです。先日引き取りさせてもらった薬草はあなたが採取したものですか?」
「いや、俺の仲間だ。この募集について依頼主と条件を確認したいんだが」
「その前に身元を確認させてください。私はサガストギルド職員のジーナです」
コウメイは名乗ってから冒険者証を提示した。もう二十年も前になるが、コウメイがはじめて冒険者登録をしたのはこの町だ。現在使っているのはダッタザートで作り直した身分証だが、過去の記録を調べられ同じ名前が見つかっても、同一人物だとは思わないだろう。現にジーナは記録簿を確認しているが、不審な点は見つからなかったようで、冒険者証はすぐに返された。
「こちらの交渉はギルドに任されています。要望は私がお聞きしますわ」
受付業務にしては過剰なほどの笑顔を見せる彼女だが、その言葉や態度にはいくつもの刺が含まれていた。その警戒にロビーにいる冒険者も気づいたのか、コウメイを見る男たちの視線が不穏だ。
「じゃあそっちの条件を教えてもらおうか。これは専属なのか納品契約なのか、どっちだ?」
「え、ええと」
「頻度はどのくらいを想定している? 必要な薬草の種類は? 注文採取は考えているのか? 俺たちはハリハルタにも卸しているが、専属契約となるとそっちで得られていた報酬の補填も必要だが、その点はどうなんだ?」
意地悪くコウメイがたたみかけると、ジーナの視線が泳ぎはじめた。薬魔術師に確認して返事をするというが、それでは交渉を一任されているとはいえないだろう。コウメイを足止めするのが彼女の目的のようだが、一体何でだと首を傾げたくなる。
「依頼主に逐一確認するのはまどろっこしいぜ。俺はこの町に住んでるわけじゃないんだ。頻繁にサガストにやってこれねぇ事情がある。次はまた十日後になるが、いいのか?」
「そ、それなら、当ギルドがあなたと契約しましょう」
彼女はどうしてもコウメイを薬魔術師に会わせたくないらしい。聞き耳を立てていた他の職員が慌てたようにジーナを振り返り、咎めるように顔をしかめた。職員らの反応を見る限り、彼女の対応はギルドとして見過ごせない違反に触れかけているのは間違いなさそうだ。
もしかして彼女は薬魔術師……マユと親しいのかもしれない。マユ親子を守るためというならば違反ギリギリの行動も納得できる。
「なあ、俺はあんたに危害を加えたか?」
言葉に詰まったジーナを、コウメイは表情と瞳に少しばかり憂いをのせて見つめた。
「俺は薬草冒険者の代理人として求めに応じただけだぜ。依頼主に会わせられない理由を教えてくれないか」
「あ、会わせられない、わけではなくて、ですね」
後ろめたさにか、それともコウメイの色香に屈したのか、彼女の顔が赤く染まった。
「だったら薬魔術師のところに案内してくれよ。立ち会えば俺が怪しくねえってわかるだろ?」
土産も持ってきているのだと、コウメイは薬草の詰まった大きな袋を見せる。口を引き結んでしばらく考えていたジーナは、すこし待つように言い残し席を離れた。奥で上司に説明をしたのだろう、戻ってきた彼女は薬魔術師を紹介すると言った。
「その依頼は当ギルド経由でハリハルタに出したものなので、経過はすべて記録させていただきます」
好きにしてくれと笑顔で応じたコウメイは、彼女に連れられてギルドを出た。
ジーナが案内したのはササオカ薬店ではなく、住宅街の外れにある一軒家だった。彼女がノックしてしばらくすると、静かに扉が開く。
姿を現したのは、三十代半ばに見える女性だ。後頭部でひっつめられた黒髪から、幾筋かがほつれ垂れていて、それがいっそう彼女を老けさせていた。眠れていないのだろう、顔色は悪く、やつれている。
「サガストの薬魔術師、マユです。私の依頼に応じて来てくださったと聞きました」
「コウメイだ。仲間が薬草に詳しくて、ハリハルタに卸している。あんたの求める基準に達しているか確かめてくれるか?」
招き入れられた彼女の家は、この世界の平均的な田舎の家だ。広くはない玄関と、食堂と客間兼用の部屋には、もう一台のテーブルが置かれている。部屋全体が埃でくすんで見えるのが気になった。おそらく子供の看病で掃除をする余裕もないのだろう。だがマユが薬草を置いた机とその周辺だけは、埃一つなく清められていた。
袋から取り出した薬草を、ひとつひとつ丁寧に検分すると、マユの黒い瞳に気力が戻ってきた。
「見本としてよくギルドに卸すものを用意してきたが、どうだ?」
「素晴らしいです。こんなに新鮮で上質な薬草は滅多にお目にかかれないわ。これは今朝採取したものなの?」
「いや、昨日の朝だ」
丸一日も経ったとは思えないと驚く彼女は、ぜひ契約を結びたいと即答だった。
「専属契約できるほどお金は払えないので、定期的な納品契約と、できれば注文採取の契約もしたいわ」
「そんなに珍しい薬草が必要なのか?」
コウメイはマユの表情の変化を見逃さないよう、ゆっくりと言葉を選んだ。
「大抵の錬金薬なら、この材料で作れるはずなんだが」
「実は特別な調合を試行錯誤しているので、普段は使わない特殊な素材も必要なんです」
「へぇ、薬魔術師というのは勤勉なんだな。これを採取したのは薬草冒険者じゃなくて治療魔術師だ。どんな薬草が必要かわかれば用意してくれると思うぜ」
パチリと、マユは弾かれるように大きく瞬いた。
「治療魔術師、なの?」
目を見開いたマユは、机の端と端に離れていた距離を詰めコウメイに迫った。ジーナの腕がしがみつこうとするマユを止めるが、彼女はそれを振り払ってコウメイにすがりつく。
「その治療魔術師の色は何? お願い、教えて!!」
「マユ、落ち着いてったら」
「薬草を採取した奴は黄色だ」
はるか高位の存在に伝手を得られる可能性に、マユは悲鳴のような声を漏らした。その目に喜びの涙があふれる。
安堵からか床に崩れ落ちそうになった彼女を支えたコウメイは、椅子を引き寄せて座らせ、マユの涙を拭いた。
「よく頑張ったな」
「……え?」
「仲間はきみの錬金薬を褒めてたよ。とても丁寧で工夫されている良い薬だって」
あの小さかった幼女が成長し、息子の命を守ろうと苦境に耐え抗う姿は、直接に知るわけではないコウメイですら労りたいと、彼女とその息子に手を貸してやりたいと思った。
「契約は後回しだ。まずは病気の子供について話を聞かせてほしい」
「だ、ダメよ。早まっちゃダメ」
ジーナがマユとの間に割り込んで、その視界を遮った。友人の苦境をすべて知っているかのような眼帯の男には、戸惑いよりも警戒が先に立つようだ。
「この人とは今日はじめて会ったのよ。なのにジョンのことまで知ってるなんて怪しすぎるわ」
「魔術師なら契約魔術が使えるだろう? それで縛ってくれていい。俺たちはきみとその子供に危害を加えないと約束する」
マユの唇は何かを言おうと上下するのに、言葉が出てこない。大きく見開いた目は今にもこぼれ落ちそうだ。コウメイを信じたいと迷っているのだろう。
「仲間からの伝言だ。きみの子供の病気を絶対に治すと約束はできない。だが全力を尽くす、と」
「確約もできないのに、何を勝手に」
「契約魔術はいらない。信じるわ」
「マユ!!」
彼の言葉を聞いたマユの表情から、絶望と迷いが消えた。
正気に戻れと自分を揺さぶるジーナを押し剥がす。
「心配してくれてありがとう。でも大丈夫。コウメイさんも、その仲間の人も信じられるから」
「どうしてよ? 初対面なのよ。マユの弱みを握って何かをたくらんでいるに違いないじゃない。なんで信用できるのよ」
「絶対に治せるって言わなかったからよ」
薬魔術師である彼女は、錬金薬でも癒やせない傷があることを、助けられない命があることを知っている。なのに息子を諦めきれない自分に、彼は「完治を約束できない」とはっきり告げた。だから信じる気になったと微笑んだ。
「ジーナっていったか。俺が怪しく見えるのは重々承知している。けど彼女の子供のために少しだけ見ない振りをしてくれないか」
赤毛の面食いに向けた含みのある顔でもなく、ジーナを挑発しようとした意地の悪い顔でもない、真摯な言葉と強い瞳に負け、彼女は渋々に折れた。
「友人としてもギルド職員としても、それはできない。監視させてもらうわ。でもマユが望むなら口は出さない。それでいい?」
「ありがとう」
コウメイは今朝受け取ったばかりの魔紙をマユに見せた。
「これは青級の治療魔術師が知りたがっている、子供の病歴とこれまでの治療に関する質問事項だ。回答はこっちの魔紙に書いてくれ」
細かな文字でびっしりと書き込まれた確認項目を見て、マユは昇級試験に挑むような顔でペンを走らせる。その途中でコウメイの言葉にようやく気づいた彼女が、ペン先を紙に引っかけて顔を上げた。
「まって、青級? あなたの仲間の治療魔術師は黄級じゃなかったの?」
「薬草を管理しているのは黄級だが、そいつの師匠は青級なんだよ」
アレ・テタルにもいなかった上級の治療魔術師の存在に、マユの表情は驚きと喜びに輝いた。




