深魔の森の秘密の検証
夜の森は意外に賑やかだ。
風にこすれる木々がささやき、枯れ草を踏む獣が走り、鋭い爪が樹皮を先砕く音がする。ホゥホゥと夜の女王が鳴き、羽が空を切って木の葉が舞い落ちた。
「シュウ、もう少し西寄りだ」
「おい、あまり揺すってくれるな」
「しかたねーだろ、足場がデコボコなんだよっ」
飛び跳ねるように走るシュウに背負われたリンウッドの顔色は悪い。これ以上揺さぶられるともたない、そう警告するように彼はシュウの肩を強く掴んだ。
「西すぎだ、三十度修正。それとスピードを落とせ」
木々の間を駆けるシュウを追うアキラの表情は険しい。彼は座布団を器用に操作しながら、感じ取った目印の位置を地図で確かめながら細かく進路を指示している。
「急がねーと朝になっちまうだろ」
「現地でリンウッドさんの回復を待つ時間がもったいない」
「おまえら……師匠と主治医の体調を案じる優しさはないのかね」
絞り出した声に、アキラは腰鞄の錬金薬を示した。
「心配していますよ、回復薬もたっぷり準備してきました」
「ちゃんと気をつかってるだろー、俺が本気出したらおっさん気絶してるぜ?」
火山の時を思い出せと言ったシュウの言葉に、リンウッドは気絶したままのほうが楽かもしれないと歯を食いしばった。
「その木の先だ」
目印の存在を強く感じ取ったアキラが停止を指示する。足を止めたシュウはリンウッドをおろし、火を灯した魔道ランプを掲げて地面を照らし探した。
「あったぜ、目印」
雑草に隠れた杭を見つけたシュウは、その頂部に黒布の袋を被せた。苦痛が途切れほっと息を吐いたアキラは、リンウッドに回復薬を差し出す。
「酔いましたか? 急かしてすみません」
「そんなにコウメイに知られたくないのかね?」
「ええ、まあ」
「あいつウルセーもんなー」
銀板を確認したシュウが仲間の現在位置を教えた。
「船が大陸に着いたみてーだぜ。親父さんちに一泊してからだと、乗合馬車で十日かなー」
「馬を借りたら六日後だろうな。それまでに終わらせないと」
「帰ってきて話聞いたら、あいつぜってー拗ねるぜ。なんで帰るまで待ってくれなかったのかって」
なだめるのは任せたと背中を叩かれ、つんのめったアキラはリンウッドの横に倒れ込むように腰をおろした。
「アレに虹魔石を使ったのを隠したいのか?」
チラリと杭を流し見した赤い義眼は、うつむいたアキラに問いかけた。方角を見失いやすい森で早く確実に探し出せるようにと、アキラは目印の杭を作る際にクズ虹魔石を埋め込んだのだ。
「そうですね……一時的とはいえ、本来の目的以外に使うのは少し後ろめたいです」
「全部回収すれば問題ねーんだし、俺はいいと思うぜ。コウメイだってアキラにやったんだから好きに使えって言うだろーし」
「自分で集めたものじゃないんだ、そこまで図々しくはなれないだろ」
そーかなー、とシュウは含み笑いでリンウッドに視線で「どう思う?」と問う。ようやく顔色の戻ってきた彼は「知るか」と鼻を鳴らした。
「でも急ぐのはマイルズさん対策です」
これから行う実験は、絶対にこの三人、コウメイも含めれば四人以外に知られてはならないものだ。若かりしころは危険を追いかけて大陸を旅し、スタンピードを追うパーティーと噂されたマイルズでも、魔物災害を故意に起こすと知れば激怒するだろう。被害は及ばないと約束しても許されない。大陸の人々にとってスタンピードは死に直結する恐怖なのだから。
「十日間も連れ回したので、数日は森に入ろうとは思わないでしょう。ハリハルタを長く留守にしましたから、ギルドも離さないでしょうし」
マイルズの経験と人望、そして統率能力は、冒険者ギルドの日常業務に必要不可欠になっている。町に帰った途端、ギルド職員に囲まれ荒くれどもの持ち込んだ面倒事の解決にあたっているはずだ。
「絶対に森に立ち入らないこの数日しか猶予はありません」
顔を上げたアキラの視線を追って、二人も杭を見つめ、深く頷いた。
「俺はもう大丈夫だ、やるか?」
「リンウッドさんが良いのなら」
「おー、久々で腕がなるぜー。何の魔物が出るかなー」
移動したアキラは、ミノタウロスの杖を杭に添えるようにして地面に突き刺した。
シュウは剣を抜き構える。
この検証のために作った結界を張ったリンウッドも、攻撃魔術用の杖を右手に、魔素測定の魔道具を左手に用意した。
「……いきます」
数日前に観測したこの場の数値は黄の十九。その溜まりつつある魔素に、アキラは己の魔力を注ぎ込んだ。
「橙十、十五、二十、赤五」
みるみるうちに測定値が上がってゆく。
「固まってきたみてーだぜ」
「サクリエ草は?」
「影もない。これ以上は溢れるぞ?」
「心配すんなっておっさん、俺が全部やっつけてやるからよ!」
地面がほのかに光を帯びた。
「ギリギリまで注ぎます。シュウ、頼むぞ」
「りょーかい!!」
吹き上がる魔素の風が木々を大きく揺らす。
溢れる光から逃れるように、いくつもの鳥の羽ばたきが遠ざかった。
「赤十八、青六、十二」
地中に染み入った魔素が濃縮され、形作られたそこから、草色の爪が生えた。
「ゴブリン!」
「止めろアキラ」
リンウッドの声でアキラが飛び退がった。
何かを掴み取ろうと動く腕を、シュウの剣が斬りはねる。
「火弾」
アキラの魔法が形を持ちはじめた魔核に落ちた。
「……氷柱」
リンウッドの杖の動きに合わせ、氷の柱が刺さる。
「これで終わり、っと」
シュウの剣の半分ほどが地面に埋まると、魔素の輝きが消えた。
終結したスタンピード跡地から掘り出された魔核は、シュウの握りこぶしほどの大きさだ。アキラとリンウッドは掘り出す前、掘り出した後、と逐一観測し記録してゆく。
「掘り出す前は白の十七、掘り出し後は白の十四だ」
測定器の示す値を書き取ったアキラは、難しい顔で唸っている。
「前後での差は誤差範囲ですね。スタンピード前よりは低い。あの腕はゴブリンで間違いなかったか?」
「あの爪と色を見間違うわけねーよ。オークはもっと太くて毛深いし、ワーラットはもっと小せーぜ」
「記録では確か青銅大蛇が湧いた魔核ではなかったか?」
アキラの手元をのぞき込んだリンウッドも眉を寄せている。
「ギルドからの情報では、十三年前に発生した大蛇のスタンピード跡地です」
「ふむ、魔核が生み出す魔物は固定されているわけではないのか」
「ウナ・パレムでも前回と異なる魔物が湧いていました。魔物の発生する法則を突き止める前にあの地を離れたので断言はできませんが、魔核と魔物の関係は固定化されていないのだと思います」
「だが魔物が増えすぎると魔素溜まりが生じ、濃度が高まれば魔核となるのが定説だ。だからゴブリンにはゴブリンの魔核、オークにはオークのと考えられていたが」
記録用紙から顔を上げたリンウッドがシュウに頼んだ。
「この近辺に巣を作っている魔物を調べてきてくれるか」
「おー、まかせとけ」
「半径五千マール内でいい。調査だけだぞ、遊ぶなよ」
リンウッドの頼み事を聞いた途端に晴れ晴れとした笑顔を見せたシュウに、アキラが寄り道禁止の釘を刺す。スタンピードの戦いを期待していたシュウには、たった一本ゴブリンの腕を切り落しただけでは物足りないだろうが、今はのんびり討伐をしている時間はないのだ。
太い釘を刺されたまま調査に向かったシュウは、四半鐘もしないうちに戻ってきた。ほんのりと魔物の血臭をまとっていたが、アキラは気づかないふりをして報告を書き取る。
「魔物の巣は五つ。大蜘蛛と大蛇が一つずつ。残り三つはゴブリンだった」
「……どう思います?」
「近くにあるゴブリンの巣の影響を受けたと考えたいが、一例だけではなんとも言えん」
「では観測項目を増やして、予定通り候補地を回りましょう」
手早く魔道具を片付けた三人は、次の検証予定地へ向かった。
次の魔核跡では、スタンピードを起こす前に周辺の魔物分布を調査する。
「大蜘蛛の巣が四、吸血蝙蝠が三、ゴブリンが二だったぜー」
「ではここから溢れるのは大蜘蛛の可能性が高いですね」
「試してみよーぜ」
地中の魔素濃度を測り、アキラが魔力を注ぎ込み、魔素溜まりを魔核に変化させる。
魔核から現れたのは赤い毒爪の足だ。
「大蜘蛛ですね」
「毒爪に間違いねーな」
「サクリエ草は……やはり無しか」
「おい、そろそろ止めなさい」
手早くスタンピードを終結させ魔核を掘り出す。
彼らは夜が明けるまで同じ検証実験を繰り返した。
+
予定の五ヶ所での検証を終え森の家に戻ってきた彼らは、バーベキューグリルを囲んで朝と昼兼用の食事をとりながら、秘密の実験結果の検証をはじめた。
「たった五つの検証結果で断定はできないが」
「コウメイに試してもらう必要があるな」
「でもコレ確定だろー」
二人の会話に耳を傾けながらも、シュウは目の前で焼ける肉から目を離さない。薄く切ればあっという間に焼けるため焦がしやすいと覚えたシュウは、厚切り肉ならば多少焼き過ぎても炭にもならないと学習していた。
「魔素溜まりの時点では何を生み出すかは定まっておらず、スタンピード魔核化の際に近くに存在する魔物の影響を受け排出する魔物が決まる、と」
「一定濃度以下の魔素溜まりでは、濃度を高めても魔核化しませんが、規定を越えた魔素溜まりを魔核化させるのは容易。しかも……誰の魔力でも可能」
アキラの声に、リンウッドが神妙に頷いた。
「まさか俺の魔力でもスタンピードを起こせるとは思わなかったぞ」
「理論上、魔力量の少ない魔術師でも可能です。錬金薬を飲みながら溢れるまで注ぎ続ければよいのですから……」
二人からバーベキューの火が消えそうなほど大きなため息がこぼれた。
彼らの目的はサクリエ草の発生要件を見つけることだった。そのため濃度の濃い魔素溜まりを選んで検証を行ったのだ。その結果、得られたのは万能薬草ではなく、人為的にスタンピードを発生させる方法だ。
「とんだ副産物だな」
アキラはウナ・パレムでスタンピードを発生させたとき、これが可能なのは自分だけだろうと思っていた。ところが検証の結果は、注入する魔力量さえ維持できれば誰でも人為的にスタンピードを発生させられると判明してしまった。それだけではない、溢れさせる魔物を選ぶことも可能だったのだ。あまりにも扱いが難しく危険すぎる事実に、二人は頭を抱えていた。
「どうします?」
「どうするとは?」
「この事実を、ですよ。手に余ります」
魔法使いギルドへの報告はためらわれた。ウナ・パレムでアキラが故意にスタンピードを起こした事実は、ローレンとサイモンの間だけで秘匿されており、各国の魔法使いギルドに報告された気配はない。だがサクリエ草の発生を探れば、いつかはこの事実を発見する者が現れるだろう。
アキラの説明にリンウッドは小さく頷いた。
「もしも発見するとしたらウナ・パレムの魔術師だろうな。あちらにはスタンピード魔核の観測態勢が整っている。我々と同じようにサクリエ草の発生要件を立証しようとして、同じ結論にたどり着く可能性は高い」
「サイモンさんへの手紙にその件も書けば良かったですね」
森を離れるコウメイにサイモンへの手紙と荷物を託したが、返事が届くのはまだ先になるだろう。あちらで新たな発見はあったか、標本は増えたのか。すぐにでも情報が欲しいのに、サイモンの手元に魔紙が届くまで返事は期待できない。
「魔紙が届いたら返事はすぐ来るだろーからさ、のんびり待ってりゃいーだろ。それよりさっさと食えよなー」
二人が頭を悩ませている間に、彼らの皿に盛られた数枚の肉はすっかり冷めている。シュウはずっと肉を食べ続けていたようだ。ひと抱えもあったかたまり肉は、最後のひと欠片になっていた。それをナイフで切り分け鉄板に並べる。
「まだ検証する予定の魔核は残ってるんだし、全部チェックしてから考えよーぜ」
「そうだな、事例は多ければ多いほどいい。コウメイにも試させねば」
「サイモンさんの手紙次第で、秘匿の対策を練らなくてはならないかもしれませんね……」
ウナ・パレムのサクリエ草研究部会が、発見や栽培に取りかかろうとしていれば、その対策はどうすればいいだろうか。今の時点での妙案はない。
「研究者に理由を説明せず止めろと言っても、納得しないだろうな。俺だって反発するぞ」
「かといってどこまで説明したものか……」
もう何度目かのため息だ。
「中途半端な情報提供は悪手だって、俺でもわかるぜー」
シュウはすべてを秘匿するか開示するかしかないと言い、最後の焼き肉をまとめて飲み込んだ。
「説明聞いてモヤモヤしたら、ぜってーアキラみたいなのがコソコソ実験するだろーしな」
「俺みたいなとはどういう意味だ」
「言葉どーり?」
唇に残った肉汁をペロリとなめるシュウの首を、アキラが掴んで激しく揺する。火の側で危ないだろうと止めたリンウッドは、彼のカップに冷やしたハギ茶を注いだ。
「アキラのような探究心のある魔術師だけならまだしも、為政者に知られればどう利用されるかわからん。検証は中止してこのまま秘匿するほうがいいかもしれんな」
領主や王家は間違いなく戦争に利用するだろう。下手をすれば自国すら危うくなるかもしれない手段だが、切り札としてはこれ以上のものはない。
「けれどサクリエ草の発芽と栽培の方法は見つけ出さねばなりませんし」
「それを見つけ出したとしても、公表できんのでは同じだぞ」
サクリエ草の研究自体を止めるしか人為スタンピードの秘密を隠す方法はなさそうだ。だが万能薬草と期待されるサクリエ草はこの世に存在し、またウナ・パレム魔法使いギルドが正式に新種の薬草だと認めた事実がある。今さら存在をなかったことにはできないのだ。
「なー、これミシェルさんに知らせなくていーのか?」
シュウの疑問に、頭を抱えていた二人は意味ありげに視線を交わした。
「私は報告するつもりはありません」
「俺もミシェルには言わないでおく」
今の彼女に危なっかしさを感じているアキラと同様に、リンウッドもミシェルにこれ以上の強大な武器を持たせたくないようだった。スタンピードを人為的に発生させる方法は、この場にいる者だけで秘匿すると決めた。
「……秘匿するしかない情報ばかりが蓄積されていくのは何故なんだろうな」
火の始末をし、鉄板を清め、食器を片付けるアキラの不意のつぶやきに、リンウッドとシュウは真剣に考え答えた。
「因果ではないのか?」
「細目の呪いじゃねーの?」
不貞腐れた翌朝の食事当番が用意したのは山盛りの薬草サラダだった。




