ハリハルタ冒険者ギルドの相談役
昔なじみも多いハリハルタに居を構えたマイルズは、のんびりとした隠居生活を考えていた。
定期的に町を訪れるコウメイやシュウを泊め、気が向けばこちらから訪ねて行き料理と酒を楽しむ。日々の生活に困らない程度に討伐をして小銭を稼ぎ、昔なじみと思い出話に花を咲かせる。そんな悠々自適の老後をおくるつもりでいたのだが。
「マイルズ殿、いい知恵があったら貸してくれないか」
「馬鹿どもが呼び玉を使っちまいやがった、ゴブリンが町に向かってきている、討伐を手伝ってくれ」
「無鉄砲どもの再教育に悩んでいるんだが、何か良い案はないかね?」
大陸に名を馳せた冒険者集団「赤鉄の双璧」の副リーダー、実質的な団長であったマイルズはそう簡単には隠居させてもらえなかった。酒を手に、あるいは幾ばくかの硬貨を手に訪れては、マイルズに助言を求め、手を借りたいと頭を下げ、冒険者集団での経験を聞きたがる。
「現役のころより忙しい気がする」
「そりゃ仕方ねぇぜ副団長。ここは血気盛んな冒険者の町だ。冒険者から完全に足を洗いたかったら、大都会で豪邸に住むしかねぇよ」
常連になりつつある酒場でぼやくマイルズの向かいにいるのは、赤鉄の双璧を解散した当時に彼の直属にいた冒険者だ。故郷に戻ったと聞いていたが、それがハリハルタだったのは運が良いのか悪いのか微妙だ。
「デロッシがいろいろ持ち込むから忙しいんだ。俺は隠居なんだから少しは遠慮しろ」
「嫌なら断わりゃいいだろ。なのにあんた全部引き受けるじゃねぇか。暇を持て余してるんだろ?」
「持て余してはいないが、まあ……」
マイルズは注がれた酒に口をつけ言葉を濁す。
のんびり隠居生活を楽しみたいと言ってはいたものの、実際に経験してみると予想以上に退屈なのだ。これといった趣味のないマイルズは、雲を眺めて昼寝をするのも、雨音を楽しむのも、すぐに飽きた。旅生活では楽しめなかった読書をはじめようとしたが、脳筋冒険者の町には本がない。手持ちの数冊を飽きるほど読み、冒険者ギルドの資料室の古びた数冊を読み、商業ギルドの店舗リストや販売物一覧表を読み、ついには読む物がなくなっている。
「……やはりこれは暇をしているということか」
「よし、認めたな」
勢いよくフォークを置いたデロッシは、ニヤリと笑ってカップを掲げる。
「副団長の相談役就任を祝って、乾杯!」
「待て、俺は引き受けるとは言ってない」
「あんた暇なんだろ? 退屈してんだろ? 身体が動く間は好きにしようじゃねぇか」
冒険者が、討伐が好きなんだろう?
違うとは言わせないぞと顔の前に酒瓶を突きつけられ、マイルズは苦笑いで受け取った。
「椅子に座ってふんぞり返ってるのは性に合わない」
「そんなことはわかってる。副団長はふんぞり返ってる奴が困ってたら、そいつらができねぇ技術と拳で恩を売れば良いんだよ」
つまりは、討伐実績と腕力でしかものを考えられない脳筋が、職員や町の住人に迷惑をかけないように押さえつける役割を果たせ、ということだ。
「相談役ってのは相談を受ける役割だと思うんだが」
「その通り、相談を受けて物事を解決する役割だぜ」
解決手段が拳なだけだ。
「頼むよ副団長。あんたにしか務まらないんだ」
もう一押しと手応えを感じたのだろう、デロッシはマイルズを担ぎ出したい本音をぶつけた。
「正直、赤鉄の幻影は俺には重すぎてどうにもならなくなってんだ」
解散したとは言え「赤鉄の双璧」は今も語り継がれる伝説的な冒険者集団だ。同時代に活動していた冒険者だけでなく、今の若手冒険者らにもその存在は広く知れ渡っており、いつかは赤鉄のようなパーティーにと彼らの目標にもなっている。その副団長がハリハルタに腰を据えたのだ、冒険者らはマイルズに目をかけてもらおうとその注意を引きたがっていた。
「あんたがこの町に来なけりゃ俺程度の冒険者でも元赤鉄の幻影は効果があったんだ。だが一団員と叙爵までされた副団長じゃ、影響力が違いすぎるんだよ」
マイルズがハリハルタに住まいを構えてからというもの、若手冒険者らの無謀な行為が目立つようになってきた。派手な戦果で、あるいは難易度の高い討伐成果でマイルズに目をとめてもらおうとする脳筋どもが増えたのだ。他よりも成果を、目立つ働きを、と考えるものが増えた結果、ギルドの規律を乱す者や、無謀な討伐で負傷して取り返しのつかなくなりかける者も出てきた。
「俺じゃ連中を抑えきれない。あんたのせいなんだから、あんたがどうにかしてくれ」
デロッシは悔しそうに笑い、断れない言葉で押しつける。
かつての部下の苦境の原因が自分であるとはっきり告げられたマイルズは、ため息とともに酒を飲み干した。自身の認識以上に赤鉄の双璧という集団は評価されているらしい。現役時代ならまだしも、まさか引退し解散してからもこれほど尾を引くとは想像もしていなかったのだ。
「わかった。面倒をかけた、すまんな」
「いや、あんたの意思を無視して押しつけるんだ、謝られてもな」
「自分の不始末だ、自分の手で片付けねば気が済まんよ」
だがな、と彼は空いたカップに自ら酒を注いだ。
「連中があがめ奉る理由がわからん。赤鉄はただの冒険者集団だぞ?」
少しばかり大所帯ではあったが、ギルドの厄介者、一匹狼や鼻つまみ者、加減を知らない荒くれに偏屈者といった問題のある冒険者ばかりが寄り集まっていただけだ。そんな集団がどうしてこれほど尊敬されるのか。不思議でならないと首をひねるマイルズに、デロッシはそもそもの認識が間違っていると指摘する。
「尊敬されてるのは赤鉄という集団じゃなくて、厄介者の集団をまとめあげた副団長の手腕ですよ」
「まとめていたのは団長だぞ」
「あの人は旗印に丁度良かっただけで、実際に連中の面倒を見ていたのは副団長ですよ」
自分も含めて、元赤鉄の冒険者らは全員そう思っているのだとデロッシは譲らない。
「それに勲章と爵位までもらっちまいましたし。冒険者あがりの騎士爵様なんてそうそう拝めるものじゃないんだ、若造らの憧れなんですよ」
「その爵位はマナルカト国でしか名乗れないものなんだが」
「それでも冒険者としては前例のない出世だ。若い連中が夢を追えるようになったのは良いことだぜ。ただ目指す憧れが同じ町に住んでいるってんで空回りしているんだ、あんたが進む先を示してやれば問題は全部解決する」
そこまで請われてはマイルズも否とは言えなかった。
かつての上司に自分の肩書きをそのまま丸投げできたデロッシは、肩の荷が下りたと美味そうに酒をお代わりしたのだった。
+++
ハリハルタ冒険者ギルドの相談役となったマイルズは、日々ギルド職員や冒険者らの持ち込む困りごとの解決に奔走することになった。
「ハリハルタでは活動が難しいひよっこ連中をどうにかできんか?」
よその町からやってきた経験の浅い冒険者らの損害率の高さに、ギルド役員は頭を抱えていた。その程度ではハリハルタでは通用しないと説明しても、他の町で一人前だった連中は納得しない。
「森の特長を学べと言っても話を聞かないのだ」
「それで取り返しのつかない怪我を負って、見舞金の支出ばかりが膨れあがる。うちの金庫が空になるのもそう遠いことではないぞ」
これらはマイルズが引っ越してきてから顕著になったというのだから頭が痛い。
ギルド職員の大半は深魔の森で長く活動してきた熟練の元冒険者たちだ。なのによそ者は彼らを冒険者として身を立てられなかった挫折者だと馬鹿にしている。他の町では討伐経験のない職員がいて当然かもしれないが、ハリハルタに限っては生き延びた剛の者らが余生のついでに職員を務めている。受付には色気を振りまく女性や若い男性は一人も居ないのだから、見れば理解できそうなものだがとマイルズも呆れている。
「ギルドの講習は義務化していると聞いていたが?」
「しているが、学ぶ気のない連中は何も覚えようとせん」
多くの冒険者ギルドでは新米に対する講習を用意しているが、ハリハルタではよそから移ってきた冒険者のための講習がある。十年ほど前から義務化しており、受講していない冒険者はギルドを利用できない。
「形骸化しているのか……そういえば、俺も受けていないな」
考えるようにしていたマイルズがこぼした呟きに、ギルド役員は苦笑いで、マイルズに教えられる者はいないと断言した。現役時代に何度もハリハルタを訪れ、幾度もスタンピード討伐に参加したマイルズは、職員らと遜色ないほど深魔の森の戦い方を熟知しているのだ。今さら何を教えることがあるというのか、と呆れ顔である。
「だが講習は義務化されているのだし、俺が受けていないのも事実だ」
デロッシが若造らに方向を指し示せと言っていたのだから、自分が率先して講習を受ければ彼らの認識も変わるかもしれない。
「ともかく、俺は相談役だが、ギルドを利用する冒険者でもある。規約に反しないように講習を受けよう」
マイルズがギルドの義務講習を受けることが広まると、同じ講習への申し込みが殺到した。すでに町で何年も活動している中堅までが参加を希望する始末だ。
どうせなら室内での講習ではなく、森に入っての実践講習にしてはどうかとマイルズが提案すると、ギルド長は二つ返事でそれを受け入れた。
そうして実施されたはじめての実践講習では、ほどほどの負傷者を出しつつも無事に終わった。頭で覚えられない脳筋冒険者らも、身体に叩き込めば面白いように身につける。
それ以来、ハリハルタの義務講習はすべて実践形式に代わった。
+++
それはコウメイがナナクシャール島へと発って数日後の日暮れだった。そろそろ閉門も近づき賑わうギルドに、血だらけの男たちが駆け込んできたのだ。
「きゅ、救援を頼む」
全員が怪我を負っていたが、命に関わるほど深手の者はいない。だが彼らの声は命を脅かされる者の叫びだった。
「リーダーが、ビッカがゴブリンを引きつけて森の奥にっ」
「助けてくれ、頼む!」
マイルズは見覚えのある三人の必死の形相を見つめた。彼らは半月前に実践講習を受けたばかりのパーティーだ。職員への説明では、ゴブリン集団同士が争っているのを発見した彼らは、こっそり死骸から討伐部位を切り取ろうとしたとこで気付かれ、襲われたのだという。
「リーダーがゴブリンを引きつけている間に助けを呼んでこいって」
「頼むよ、なぁ!」
カウンターに身を乗り出して職員に迫る者、頭を深々と下げて涙を流す者、助けてくれる冒険者はいないのかと辺りを見回す者。
「それは救援依頼になるが、いいのか?」
緊急の討伐依頼だ、しかも救命を保証できないし、依頼料も高額だ。彼らが借金を背負うことになるのは確実である。それでもいいのかと問われ、三人は応と力強く即答した。
「俺が行こう」
「マイルズさんが?」
彼が救援に向かってくれるのなら心強いと思う一方で、いったいどれだけの借金を背負わされるのかと三人は顔面蒼白だ。引退冒険者はそれほど高くないと告げたマイルズは、旧知のデロッシを伴ってギルドを出た。
「ま、待ってください、案内を」
「不要だ、場所ならわかっている」
「あんたらは傷の手当てをして、職員に叱られながら待ってろ」
追ってきた依頼主を追い返して閉門を確認した二人は、すぐさま森に向かう。
他の森ではあり得ないが、深魔の森のゴブリンは人族が領地争いをするかのように、巣ごとに縄張りを争っている。ハリハルタの冒険者らの間では知られている事実だ。
「講習でも教わったはずなんだが」
「副団長と一緒の講習で浮かれてて、説明聞いてなかったんじゃないですかね」
「俺のせいにするな……生きていてほしいものだな」
自分のせいで講習に身が入らなかった、そのせいで命を落とすはめになったなんてのは勘弁して欲しい。マイルズは空を見あげて息を吐いた。夜の色に半分ほど染まった空には、星が見えはじめていた。完全な闇になる前に森にたどり着きたいと足を早める。
「連中が踏み込みそうな浅い場所で最近間引けてねぇのは……」
深魔の森に関してはデロッシのほうが詳しい。彼の案内で森へと向かっていたマイルズは、まだ森に入る前に異変に気付いた。
「デロッシ」
「ああ、あの妙な光だな?」
薄闇に黒く広がる森に、小さな光が見えた。探索用ランプの灯りとも、松明とも違う光に、二人は足を止めるのと同時に剣を抜いた。
「魔術の光のようだ」
「連中のリーダーは魔術師じゃなかったはずだぞ?」
警戒を強める二人は、ふわりふわりと動く光に剣を向け、ゆっくりと近づく。
百マールほどまで近づくと、魔術の光が照らす男の姿がはっきりと見えた。囮となって仲間を逃がしたリーダーだ。彼もこちらに気づいたようだ、マイルズを見て歓喜の声をあげた。
「まさかマイルズさんが助けに来てくれるなんて!」
泣き笑いの青年は酷く汚れてはいたが怪我をしているようには見えなかった。
「無事でよかった。ところでゴブリンはどうした?」
「まさかこっちへ引き連れてきてねぇよな?」
「大丈夫です、魔除け玉を使って森を抜けてきましたから」
ゴブリンの抗争現場に踏み込む迂闊さと、魔除け玉を用意する準備の良さが妙にかみ合わない。気になったマイルズは、町門の外で火をたいて腰を落ち着けると、ゴブリンに襲われてから森を出るまでに何があったのかとたずねた。
「銀の……銀髪のとても美しい人に助けてもらったんです」
揺れる炎を見つめた青年は、夢を見るようなぼんやりとした表情で語った。
+
仲間を逃がすためゴブリンを引きつけたビッカは、森の奥を目指して走った。足の速さには自信のある彼は、なんとか逃げ切りたいと必死だった。だが森が深くなるに連れて足場が悪くなり、背後に魔物の気配が迫ってくる。木の根を飛び越えたところで小石に足を取られ、踏ん張りきれずに転倒した彼は、雑草の上に倒れ込む。ゴブリンに襲いかかられる前に立ち上がらねばと手を突いた、そのときだ。
「……っ」
目の前に小さな光を従えた銀髪の美女がいた。草むらに座した彼女は驚いたように目を瞬き、困ったとの呟きが聞こえそうに首を傾げている。
起き上がったビッカは剣を抜き、彼女をかばってゴブリンを迎え討とうとした。だが自分を追いかけてきたはずの魔物の気配がない。
辺りを見回した彼は、銀髪の女性を振り返り呟いた。
「俺はもう、ゴブリンに殺されているのか……」
彼の前にいるのは、冷たく輝く小さな月を従えた、死と夜を司る女神に違いない。死んでしまった自分を階段へ導こうと女神はあらわれたのだ。そんな呟きを漏らした彼に、女神は静かな笑みを見せた。
「私は女神ではありませんし、あなたは生きていますよ。傷の痛みがあるのでしょう?」
その声は男性のものだった。死と夜の女神ではなく月の男神だったらしい。月の男神は夜の女神のように美しかっただろうかと見とれているうちに、ゴブリンの爪に裂かれた肩と、転んで打ち付けた腰の痛みがよみがえる。
「い、痛い、です」
「ずいぶんと深いようですね。ゴブリンの汚い爪による傷を放置すると、腕を失いかねませんよ。錬金薬を使わないのですか?」
町に逃げ帰る仲間にこそ必要だから投げ渡して逃げてきたと彼が言うと、月の男神は迷うように視線を泳がせ、小さく息をついて錬金薬の小瓶を差し出した。
「血の臭いをさせていては町に戻れないでしょう?」
「……傷が治っても、ゴブリンの巣を俺一人で突破するのは無理だ」
それに闇雲に走ってきたため、町の方角も見失っている。もう死しか道はないと諦めたビッカは、差し出された錬金薬に手を伸ばさなかった。
うなだれる男を眉をひそめて眺めていた月の男神は、もう一つ小さな玉を取り出して錬金薬とともにビッカの手に押しつけた。触れたその手には確かな感触と体温があり、彼は目の前の銀髪の美しい存在が神なのか人なのかわからなくなっていた。
「錬金薬と魔除け玉です。冒険者ギルドで販売されている物より強力なので、朝までしっかりと魔物を追い払えますよ」
「あ、あの」
「案内させましょう」
舞の振り付けのように優雅に手が伸ばされ、細く白い指が彼の斜め後ろを指し示す。
月神の背後にあった小さな灯りが、ついてこいと言うように目の前をゆっくりと移動する。呆気にとられて見ていると、少し先の木々の間で彼が追いつくのを待ち止まった。
「ありがとうござ……いない?」
礼を言おうとビッカが振り返ったそこには、誰も居なかった。
闇が深く、草むらには誰もおらず、気配もない。
人族なのか神なのかも定かでない銀髪の麗人は、忽然と姿を消していた。
+
まるで夢に酔っているような表情でゴブリンに追われてからのことを語る冒険者は、銀髪の麗人にもらった錬金薬の空き瓶を宝物のように両手で握りしめている。
デロッシは何とも言えない表情で男を眺めた。
「月神ねぇ。創世の神話では、月の男神ってのは確か醜男だよな?」
「じゃあ俺が出会ったのはやっぱり人で間違いなかったのか。深魔の森には救いの賢者までいるなんて、どうして講習で教えてくれなかったんですか」
「そんな存在、いるわけないだろ」
ハリハルタに腰を据えてから十年の間、一度もそんな存在に出会ったことはないとデロッシは冷めた目だ。森で活動している冒険者ならハリハルタにも出入りしているはずだが、女神に例えられるほどの銀髪の麗人なんて、娼館ですら一度も拝んだことはない。失態をごまかすためとはいえ、ギルド職員に嘘をつかれては困るとデロッシは男を睨んだ。
「いますよ、絶対にいます。だって錬金薬で傷が治ったし、魔除け玉だってあるんだぜ」
「最初から用意してたんだろ」
「それならゴブリンに襲われたときにすぐに使って、仲間と一緒にとっくに町に戻ってるよ!」
好きでゴブリンに肩を潰されかけ、たった一人で森を駆け回る冒険者などいるものか。故意に騒ぎを起こしたと疑われるのも心外だ。わざと単独で森に残り、借金してまで救援隊を依頼して何の得があるのかとビッカは熱弁を振るった。
確かに錬金薬の空き瓶もあるし、妙に効果の強い魔除け玉の欠片も残っている。疑いたくなる話だが妙な説得力もあり、デロッシは困った。
元副団長はどう判断しているのかと隣を見る。
「副団長? 何してるんだ?」
マイルズは唸り声が聞こえてこないのが不思議な渋面で固まっていた。デロッシに肩を揺すられ、はっと瞬いてから額を押さえる。まるで激痛に襲われているようだと、彼は心配になってその顔をのぞき込んだ。
「大丈夫か、どこか痛むのなら錬金薬があるぞ」
「……いや、体調はなんともない」
「なんともねえって顔じゃないぞ。……まさかこいつの言う銀髪の賢者だか月神だかに心当たりあるのか?」
「まさか」
いや知っている、とてもとてもよく知っているが、マイルズは無理矢理に表情を作って知らぬ存ぜぬを貫いた。
「俺はこの地に来てまだ数ヶ月だぞ、デロッシが知らないことを俺が知っているわけがないだろう」
「そうだよな……この話、ギルド長になんて報告する?」
「ありのままでいい。俺たちは判断する立場じゃないからな」
丸投げを提案すると、デロッシはその言葉を待っていたとばかりにあっさりと頷き、携帯食を取り出して食べはじめた。ビッカも空腹を思い出したのだろう、硬い干し肉をかじっている間に、銀髪の夢から現実へと切り替わってきたようだ。
周囲を警戒するふりで二人から顔を背けたマイルズは、心の中で銀髪を叱りつけていた。
彼らが森に住む前の打ち合わせで、アキラとリンウッドの存在は町の人々に絶対に知られたくない、マイルズは何度も口止めを念押しされた。
「だというのに、自分から冒険者の前に姿を現すとは、何を考えているんだあいつ」
町壁に背を預けたマイルズは、堪えきれなかった愚痴とため息をごまかすように水筒に口をつけた。
どういう手段なのかわからないが、ビッカの前から忽然と姿を消したのは、アキラ自身も見られたのが失敗だと思っているからだろう。これに懲りておとなしくしていてくれと祈るマイルズだったが、その願いは叶わなかった。
+++
奇跡の生還を果たしたビッカの報告は、半信半疑でギルドや冒険者らに受け止められた。
己の技量に命を賭ける冒険者は迷信深い者が多い。気がつけば、深魔の森には窮地に陥った冒険者に月神が賢者を使わして手を差し伸べる、そんな噂がまことしやかに広まっていた。
ギルドのロビーで銀の賢者との遭遇を自慢する冒険者らを横目で見ながら、マイルズは頭を抱えていた。
「……隠れていたいならおとなしく引きこもってろよ」
彼の目にとまろうと張り切っていた冒険者たちは、今度は銀髪の賢者と遭遇するために、実力以上の討伐に出かけはじめた。アキラには自重を期待し、冒険者らも痛い目をみれば賢者探しを諦めるに違いないと様子を見ていたのだが、事態はマイルズの期待を裏切り続けた。
「銀の賢者様が大蛇の毒を解毒してくれたぞ」
解毒錬金薬が足りずに苦しむ仲間を救ってくれたと彼らは涙ながらに語る。
「稀少薬草を探して奥に進みすぎて迷ってたら、賢者様が帰り道を教えてくれて……キレイだった」
目的の薬草は得られなかったが、木漏れ日で銀髪がきらきらと輝く賢者様は眼福だった、と幸せなため息をつく薬草冒険者見習いたち。
「雷蜥蜴の討伐方法を教わったぞ。あの方はまさに賢者だ!」
真正面から斬りかかるしか知らない脳筋冒険者たちは、硬い皮と攻撃のたびに受ける雷の反撃に困っていたが、賢者様のおかげで素材集めの依頼に失敗することがなくなると上機嫌だ。
「何を考えているんだ、あいつらは」
アキラの暴走を止めるのはコウメイの役目だ。きっちり言い聞かせなければと決意したところで思い出した。彼は現在ナナクシャール島に出かけて留守だ。
「……コウメイがいないから好き勝手しているんだな」
リンウッドは我関せずだし、シュウではアキラに言い負かされる。これは自分が叱りに行かねばならないようだ。
マイルズはギルドに数日の不在を伝え、デロッシに留守中の相談役を押しつけると、すぐに町を発ったのだった。




