深魔の森のすこやかなる日々
本日から連載を再開します。
いつものように月・水・金になります。
よろしくお願いします。
コウメイの朝は早い。
空が明らむ前に起き出した彼は、手早く身支度を済ませると朝食の準備に取りかかる。粒ハギを水に漬け、鍋に干しブブスル海草を砕き入れて出汁をとり、赤芋と白芋を刻み入れて軽く味を調える。
「今朝は鳥ハムとサラダにするか」
台所に隣接する食料庫の扉を慎重に開いた。中に入るなり、壁一面を占める冷凍庫と冷蔵庫を素早く観察する。ドッシリと重い冷凍庫が、隣の冷蔵庫よりもわずかに手前に移動していた。
「……夢じゃなかったのか」
がっくりと肩を落としたコウメイのため息は深い。夜中にドンドンと何かを叩く音が聞こえたような気がしたのだ。夢であってほしいと耳を塞いで目を閉じたのだが、願いもむなしく現実だったようだ。
冷凍庫を押し戻してピタリと壁にくっつける。
「もっと中身を詰め込めばいけるか?」
深魔の森に暮らしてまだ一ヶ月だ、冷凍庫に保存している食材は少なく、三分の二はまだ空だ。ここにぎっしりと食材を詰め込めば、そのぶん重量が増し動かしにくくなるだろう。シュウに暴牛を狩りに行かせるとしよう。
とりあえずは朝食だと、コウメイは冷蔵庫から鳥ハムの塊を取り出した。薄めに切り分け皿に盛り付けたが、どうにも物足りない。目玉焼きを添えたいがあいにく卵は切らしていた。牛乳も品切れだ。今日は予定を変更して買い出しに行くことにしよう。
鳥ハムに添えるサラダ材料を求めてコウメイは勝手口から外に出た。ぐるりと回り込んで菜園からエレ菜とピリ菜を収穫する。朝露に濡れた野菜はそのままでも美味しそうで、アキラが薬草をそのままかじる気持ちが少しだけわかるような気がする。
「ハルパも植えてぇが、来年だな」
コウメイの菜園は葉野菜が中心だ。野菜の種や苗を分けてもらおうと農家を訪ね、育て方を教わったのだが、ハルパは手間暇がかかり素人には少々難しかった。初心者であるコウメイは、種をまいて放っておいても収穫できる品種から菜園をはじめている。ベランダガーデニングの経験のあるアキラなら、ハルパもレト菜も簡単に育てるだろうが、あいにく本人にその気がない。彼が熱心に世話をするのは薬草だ。
野菜籠がいっぱいになるころ、玄関扉が開いた。振り返ると半分目を閉じたアキラが手提げ籠を手に、杖に支えられながら出てきた。
「おはよう、コウメイ」
「おう、おはようアキ。薬草園か?」
「今日はハリハルタに卸す日だからな」
薬草は夜の間に地中の魔素をたっぷりと吸収し、昼は光を浴びて葉の気孔から空中に魔素を振り撒く。薬魔素の濃いものを収穫するには、日の出直後が最も適している。アキラが育てる薬草は品質が良く、ハリハルタの薬魔術師から指名依頼が入るほどだ。
アキラは畑の手前で足を止め、コウメイの手元をチラリと見た。
「エレ菜の収穫は茎を折るんじゃなくて、土に近い葉から上へとちぎってゆくといいぞ」
「口を出すなら手も出せよ」
「……畑に手を出すなと言ったのはコウメイだろ」
「畑で野菜を作ってくれるんなら文句は言わねぇけどな」
最初はアキラに畑を任せるつもりだった。だがシュウと二人して開墾した畑で彼が育てたのは薬草だ。苦労して開墾した畑が薬草に占拠され、さすがのシュウもキレて薬草を引き抜き捨てた。シュウが野菜作りに協力したのは、美味しい肉料理の下ごしらえには香味野菜が欠かせないとコウメイに説得されたからだ。それを薬草園にされてしまったのだから黙っていられない。
シュウは半獣化し、アキラは耳飾りを外す。本気のケンカをはじめた二人を、コウメイは止めなかった。逆にシュウに味方してアキラを説教した。畑はゆたかな食生活のために作ったのだ、趣味を満喫したいのなら自分で作れ、と。
「ここを薬草畑にするのなら、野菜料理は今後一切作らねぇからな」
シュウの好みに合わせた肉料理を一生作り続けるぞ、とコウメイが宣言すると、アキラは蒼白になり、シュウは満面の笑顔で手のひらを返した。
「飯が全部肉になるんなら、畑はアキラにやるよー」
「胃もたれで薬草がいくらあっても足りないじゃないか、絶対に嫌だ。薬草園は別の場所に作る」
アキラは大慌てで別の場所に薬草園を作った。シュウが薬草の移植作業を妨害しようとして、再び本気のケンカがはじまりかけたが、今度も「今後の料理はリンウッドに任せる」との脅しが二人を黙らせた。
その後、畑はコウメイの管轄、家を挟んだ反対側に作った薬草園はアキラの領域と棲み分けており、毎食野菜料理を食べさせられるシュウ以外は平和な日々だ。
「ユーク草とセタン草、ユルックの茎だったな」
膝をついたアキラは数種類の薬草を手際よく収穫してゆく。ハリハルタで需要があるのは回復薬や治療薬の素材だ。魔力回復薬は滅多に発注がないため、育てたエラム草やフェイタ草らはアキラの調合実験にしか使われていない。
納品予定数よりも少し多めに収穫し、洗い場で下処理を終わらせて戻ると、珍しくシュウがアキラよりも先に席に座っていた。
「たたき起こされる前に起きてくるなんて、珍しいな」
「寝覚めが悪いっつーか、夜中に嫌な夢を見てさー、熟睡できなかったんだよなー」
大あくびをするシュウは睡眠不足のようで、頭がぼーっとしているらしく目がうつろだ。
「意外に繊細だったんだな」
「うるせー。夜中にガンガンって何かを叩く音がうるせーんだよ。アキラにだって聞こえただろ」
「そういえば遠くで奇妙なうめき声が聞こえたような」
「叩くなつってんのに止めねーし、目開けたら音聞こえねーのに、寝たら聞こえるんだぜ。どんな夢だよ」
「睡眠不足になるのも当然の悪夢だな」
「だろー?」
「それは……夢なのか?」
シュウの隣の席で温かい茶を飲んでいるリンウッドは、あきれた様子で二人の顔を交互に見る。
「夢なんですよ、ただの悪夢です」
「ムカつく悪夢だよなー」
決して現実ではないのだと声をそろえて返されたリンウッドは、現実逃避かと視線を手元の茶に戻してため息をつく。
「おいシュウ、運ぶの手伝え」
台所から呼ばれたシュウが席を立つ。
「悪夢を放置するのか?」
「うるさいだけの夢ですから、耳栓でもしますよ」
「往生際が悪いぞ」
「では現実だと認めるリンウッドさんが対処してください」
「……俺は悪夢を見ていないんでわからんな」
存在を無視するのが一番だと納得し合った師弟は、そろって茶を口に運んだ。
+
「「「「いただきます」」」」
彼らとの生活になじんだリンウッドは、食事前に自然と声を合わせるようになっている。
朝食は根菜のスープと鳥ハムのサラダ添え。コウメイとシュウの皿には魔猪肉の腸詰めが二本追加されている。主食は粒ハギのリゾット。少し固めでハギのぷちぷちとした歯ごたえが楽しい。
食後にコレ豆茶が配られるとミーティングがはじまる。
「今日の予定だけどな、狩りの獲物は銀狼から暴牛に変更したい」
「狩り場の変更か。暴牛ならサガストの南だぞ、薬草の納品はどうするんだ?」
「そこは二手に分かれるしかねぇ。俺がハリハルタに行くから、シュウは暴牛を頼む」
「おー、いいぜ。牛肉三昧か、楽しみだー」
「最低でも二頭、できれば三頭狩ってくれ」
「そんな大量の肉をどうする気だ?」
「冷凍庫の中を満杯にして重くしてぇんだよ……夜の間に、これくらい移動していた」
コウメイが親指と人差し指を大きく開いて見せると、アキラは眉間に皺を寄せて「漬物石を置くべきだ」と意見し、シュウは「鉄のつっかえ棒したほーがいいんじゃねーの?」と頬を引きつらせた。
「ハリハルタで鉄棒があったら買ってくるが、冷凍庫も満杯にしたいから頼むぜ」
「りょーかい。気合入れて狩ってくる」
「留守番、気をつけろよ」
「わかった。リンウッドさん、漬物石を探しに行きましょう」
ツケモノイシとは何ぞやと疑問を抱いたリンウッドだが、こちらも睡眠不足らしいアキラの据わった目つきに圧倒されて頷くしかなかった。
+++
森での生活は自給自足にはほど遠いため、必要な食材は近隣の町や村で調達する。コウメイやシュウが五日から十日置きにハリハルタへ魔獣の皮や薬草を卸し、その収入で必要な食材を購入して帰るのだ。
ハリハルタは薬草採取など見向きもしない武闘派の冒険者が多く、錬金薬も常に不足している。アキラの薬草は品質が高く、納品量も安定していることから、冒険者ギルドはコウメイが卸しに来るたびに、専属にならないかと交渉を持ちかけていた。
「巡回の薬魔術師からも熱心に頼まれているんですよ。あんたの納品する薬草で錬金薬を作ると、二級も品質が高くなるんだそうだ。使った冒険者の評判もいい。毎日が無理なら、二日置き、いや三日置きでもいい、量と頻度をあげてくれよ、頼む」
「悪いがちょっと遠くに住んでるんでね、そんなに頻繁には無理だ」
二の鐘過ぎに森の家を出て、魔物を無視し最低限の休憩だけで走り通しても、コウメイがハリハルタに着くのは閉門時間ギリギリの八の鐘寸前だ。町で一泊し、必要な物資調達を済ませ、同じように走り通しても、森の家に帰り着くのは深夜に近い時刻になる。今のペース以上に無理をするつもりはない。
「それならせめて納品量をせめて三、いや五倍に!」
よほど薬草不足なのだろう。いつも用事だけ済ませて立ち去る彼をなんとか町に引き留めようと、ギルド職員は魅力的な提案を持ちかける。
「薬草だけじゃない、あんたの持ち込む素材はマイルズ殿が納める魔物素材と比較しても遜色ないほどいい物ばかりだ。頼むよ、この町に移ってこないか? 町一番の美女を紹介するぜ」
「美女はいらねぇ」
「心配するなって、嫁には内緒にしてやるからさ、な?」
勘違いしてニヤニヤと笑うギルド職員のなれなれしい手を叩き落とした。
「薬草の納品量は採取担当次第だな。次に返事する」
「期待していますよ!」
執拗な勧誘から逃れたコウメイは足早にギルドを立ち去った。
討伐冒険者の町であるハリハルタには、酒場や飯屋に宿屋は多いが、食材店や日用品を販売する店は少ない。閉店前に買い物を済ませておきたかったが、ギルドで引き止められている間にすべて店じまいしている。コウメイはギルド職員を呪いながら商店街を通り抜け、小さな路地の先にある定宿の玄関扉を叩いた。
「遅いぞ。酒と肉は用意してある」
ノックに応え扉を開けたのはマイルズだ。彼はハリハルタの町でのんびり暮らしている。コウメイらが町を訪れたときは、宿ではなくこちらに寝泊まりさせてもらっていた。
「酒より飯だな。肉は何の肉だ?」
「魔猪だ。角ウサギは物足りなくてな」
招き入れられたコウメイはまっすぐに台所に向かう。用意されている材料を見て何を食べたいのか判断し、手早く料理を作った。魔猪肉を薄切りにしてレト菜の葉と炒め甘辛く仕上げた。黒芋と丸芋はゴロゴロとした食感を楽しめるサラダに。前回泊ったときに作った酢漬け野菜の瓶を開けると、残り少なくなっていた。緑瓜とレト菜の芯、赤芋がマイルズのお気に入りらしく残っていない。白芋と紫ギネは好まないらしいので、これは今夜のコウメイのつまみになる。
「コウメイと飲む酒は美味いな」
「飯が、じゃねぇのかよ」
「飯も美味いし酒も美味い」
定期的に寝床を借りにやってくるコウメイを、マイルズは息子が訪ねてきたかのように歓迎する。来訪を待ちわびているかのような様子に、コウメイは苦笑いだ。
「おっさん、この町の余生に退屈してんのか?」
「勝手に引退させるな。俺は現役だ」
「島じゃ余生はのんびりするとか言ってたじゃねぇか」
「あの島ではとても現役は務まらんが、この町でならまだ働ける。幸いにも必要だと言ってくれる者たちもいるんでな」
全盛期からは衰えたが、それでもマイルズの冒険者としての力は、ハリハルタの熟練にも引けを取らない。誰よりも長く最前線で戦ってきた経験が衰えを補い、町でも五指に入る討伐数を誇っているらしい。また彼に憧れる冒険者も多く、請われてギルドの相談役を務めているらしい。
「コウメイに付き合って波乱を楽しむほど若くはないが、この町で若造どもをからかって遊ぶくらいは健勝だ、あんまり年寄り扱いしてくれるな」
森の隠れ家から近く薬魔術師のいるサガストではなく、巡回薬魔術師に錬金薬を頼るハリハルタに薬草を売りに来るのは、自分を案じてではないかとマイルズは考えていた。それならば気遣いは無用だと断言する。
「俺は自分の意思でこの町にいるんだ、コウメイが気にすることはない」
「気遣ってるつもりはねぇよ。おっさん家に泊まるのは宿代の節約だし、料理は趣味だ。こうやって美味い酒もおごってもらえるしな」
マイルズは酒の趣味が良く、リンウッドとは別の方向に造詣が深い。彼が好む醸造酒を目当てに通っているのだと言って、コウメイはおかわりを要求した。
「そうだ、おっさんに頼みてぇんだけど、しばらく森の家に住まねぇか?」
「なんだ、ケンカでもしたのか?」
「違ぇよ。七月の中頃から留守にするんだけど、ちょっと心配なんだよなぁ」
「エルフの狩猟日前に上前をはねに行くだけだろう、過保護が過ぎるぞ」
往復と島での活動のたかが一ヶ月の不在をそこまでとマイルズは眉をひそめた。
「茹で芋と消し炭と生薬草」
「うん?」
「俺がミシェルさんの手伝いしてる間にあの三人が食ってた飯だよ。町住みなら食堂があるから心配しねぇんだが、あんな奥地に引っ込んじまったからなぁ」
コウメイは引きこもるのは早すぎたと少しばかり後悔しているようだ。
それにしてもと、マイルズはあきれ顔でコウメイにたずねた。
「コウメイ、お前いくつになる?」
「次の誕生日で三十八だな」
「六歳の子供を心配するならわかるが、同い年の男二人など放っておけ。死にたくなければ消し炭を食わなくていいように工夫するはずだ。あの二人の生活力が退化しているのは、コウメイが甘やかすからじゃないのか?」
「……」
マイルズの指摘がコウメイを口ごもらせた。
「どうやら自覚はあったようだな」
返事を拒むようにコウメイは酒に口をつける。
「まったく、面倒くさいなお前たちは」
料理と酒を挟んだ語らいは、いつの間にか説教にすり替わっていた。島で生活を共にしたマイルズは、彼らと暮らす心地よさを身をもって知っている。だからこそコウメイに依存した暮らしへの危機感には敏感だ。仲間を依存させるのではなく自立させろ。マイルズは逃げ出そうとするコウメイを拘束し、懇々と説教を続ける。
「俺も自由な身だ、住み込むつもりはないが、討伐がてら寄り道して様子を見るくらいならしてやろう」
マイルズは存分にコウメイを説教し、眠気を堪えきれなくなると苦笑とともにそう言って締めくくった。
+++
アキラの日課は薬草園の手入れと、森の散策だ。少しでも上質で強い薬草を求め深魔の森を歩き回る。あまり長い時間を森で過ごすとコウメイに連れ戻されるのだが、今日は買い出しでいないので、存分に薬草を探すチャンスだ。
座布団と採取物を収める箱を背負い、魔石を細かく砕いた砂を入れた袋をさげる。二日間の充実した探索を思って、ミノタウロスの杖を持つ彼の手も弾んでいる。
深魔の森はウェルシュタント国のどこの森よりも魔素が濃い。その影響からかここで育つ薬草も成分が濃く、錬金薬の量産や品質向上に適していた。ここでなら目的の薬草が見つかるのではと期待するのだが、今のところ発見できていない。
アキラは小さな棒の目印で足を止め、生い茂る草むらに膝をつく。雑草を抜き取り薬草を調べるが、どれもこれもありきたりな品種ばかりだ。
湿り気のある土を指先で掘り返し、魔素の濃度を測ってため息をつく。
「……やはりスタンピードを起こさなくてはならないか」
「物騒だな」
背中に尖った声が刺さり、アキラは振り返った。険しい顔のリンウッドの手には、攻撃魔法専用として作られた竜鱗の杖が握られている。アキラの後を尾行てきたらしい。
「リンウッドさん、お散歩ですか?」
「肥料を持って採取というのが気になってな。サクリエ草探しか?」
「そんなに怖い顔をしないでください。スタンピードを起こそうなんて思っていませんから」
涼しげなほほ笑みでごまかす彼に、リンウッドは「今のところは、だろう」と眉根を寄せ、隣に膝をつき魔素の測定結果をのぞき込んだ。
「肥料をまく前との差は?」
「二つですから、誤差の範囲ですね」
残念そうにアキラは測定器を片付ける。
「この森の魔素の濃さはナナクシャール島には及びませんが、ウナ・パレムの森とそれほど差はないんです。だったら条件さえ整えばと思ったんですが」
ナナクシャール島の森ではサクリエ草を発見できなかった。あれだけ魔素の濃い森だというのに、あの島ではスタンピードが発生しないのだ。島とウナ・パレムとの差違はスタンピード魔核の存在だ。だから深魔の森でも魔素の濃度を高め、スタンピード魔核を作り出せれば……と考えたのだが。
「どれだけ魔素が濃くとも、人為的にスタンピード魔核は作れない、あきらめろ」
土壌の魔素を高める肥料を、サクリエ草の生えそうな湿度が高く暗い木陰にたっぷりとまいたのが十日前だ。アキラの魔力もたっぷりと注ぎ追肥も完璧だというのに、魔核は発生しなかった。
「魔物が生じるには何が足りないんでしょうか」
「お前はこの大陸を滅ぼすつもりか?」
「まさか」
「だったら魔核の研究ではなくサクリエ草の研究をしろ」
「研究したいから探しているんじゃないですか」
「俺に寄こした標本があるだろう」
「あれはリンウッドさんに差し上げた物ですよ」
いまさら返せなどと恥知らずを言うつもりはないとアキラが顔をしかめる。
リンウッドとしても手をつけた研究を放棄するつもりはないが、独占するほど狭量ではない。
「弟子が師の研究を手伝うのは当然なんだが」
一人で未知の薬草を研究するのは困難だ。手詰まりを感じていたリンウッドは、空を飛ぶ魔道具のようなアキラの視点が解明のきっかけになるかもしれないと考えていた。
「大陸を滅ぼすつもりがないなら、俺の研究を手伝え」
「滅ぼす気はありませんから、手伝わせてもらいます」
アキラはその場の薬草を移植できるように採取して、リンウッドとともに森の家に戻った。
+
薬草園に魔石砂を撒き、採取してきた薬草を植え替えた。リンウッドは手伝いながら畑の土を探り、薬草の配置を興味深そうに観察している。
「ふむ、区画ごとに魔素濃度を変えてあるのか」
「どのくらいの濃さだと最も効率よく育つのか調べているんです。薬草の種類によって適正濃度も異なるので難しいですね」
サクリエ草の生育に適した環境を探るため検証をはじめたのだが、植物を育てるのは奥が深かった。どこの森にでも生えている薬草ですら、最適な生育環境を突き止められないでいるのだ。リンウッドに託したサクリエ草を移植して育て、あわよくば増やしたいと考えたのだが。
「ゆくゆくは増やす方向の研究も必要だが、今はこれがどういう性質を持っているか解明するほうが先だぞ」
「用途を見つけ出すには実験しかありませんが、使える標本が少なくなるのは不安ですね」
「ウナ・パレムに問い合わせてはどうだ?」
あちらはスタンピードの跡地を把握しており、条件さえ整えばサクリエ草を入手できる環境にあるのだ。アキラが標本を寄こしてから二年近く経つ、そろそろ新たに発見されている可能性は高い。
「そうですね、ウナ・パレムの医薬師ギルドに手紙を書いてみましょうか」
「魔法使いギルドじゃないのか?」
「あちらはちょっと……厄介なんですよ」
大陸の魔法使いギルドにおいて、ウナ・パレムは微妙な立場にある。転移魔術陣を失ったことで発言力を弱め、またニーベルメア王家との力関係も不利に傾きつつあった。そのような苦境で発見されたサクリエ草とその研究に、魔法使いギルドは威信を賭けていた。そこに部外者が問い合わせれば、まともな返答どころか、下手をすれば極秘研究をどうやって知ったのかと警戒されるだけだ。
ウナ・パレムの苦境の発端となった事変にも、復興の希望とするサクリエ草の発見にも深く関わったアキラは、なんともいえない笑みをうかべた。
「ローレンさんにごまかしは通用しません。正式にウナ・パレムに属しない限り、情報はいただけないと思います。ですがサイモンさんなら……なんとかなるかな、と」
「弱みでも握っているのか?」
人聞きの悪いことを言うなと顔をしかめたアキラは、忘れたのかとリンウッドに問いかける。
「兄弟子ですよ。サイモンさんはリンウッドさんのお弟子さんでしょうに」
「……そんな名前の弟子は、いた、か?」
「覚えてないんですか?」
リンウッドは呆れ驚くアキラの冷たい視線から目をそらせた。かつてウナ・パレムで活動していたのはどのくらい前だったかと首をひねる。そんな彼を促して、アキラは居間に場所を移した。
茶と菓子と研究記録を挟んで向かい合う。アキラから説明されてもサイモンには心あたりがないらしく、リンウッドは気まずそうに後ろ頭を掻いている。
「そいつは何歳くらいだ?」
「六十代後半ですよ。確か十五歳くらいのころにリンウッドさんに師事したと聞いていたんですが」
百四十年を越えて生きる彼は、五十年前に自分がどこで何をしていたのか、ぼんやりとしか覚えていない。
「大陸を転々としていた時期は長かったが、ウナ・パレムに住んだことはなかったはずなんだ」
リンウッドは魔石義肢技術を、権力者だけでなく同業者にも隠している。魔法使いギルドが影響力を持つ街に近づくはずがないのだが。
「聞き間違いじゃないのか?」
「間違いではありませんよ。リンウッドさんの書いた教本を大切にされていましたよ。私も読ませてもらいました。魔石を使った義肢の図面の一部が書かれていて、巻末にあなたの署名もありましたから」
「……なるほど、あの小僧か」
教本とその内容を聞いてリンウッドはピンときたようだ。彼は感慨深げに目を細めた。
「あの痩せ細った子供が、今やウナ・パレムの医薬師ギルド長なのか。立派になったものだ」
かつてリンウッドがふらりと立ち寄った田舎町は、老薬魔術師を亡くしたばかりで混乱していた。人々は薬切れを恐れ、冒険者ギルドは錬金薬の確保に血眼になっていた。亡くなった老薬魔術師の弟子はまだ正式な魔術師ではなく、錬金薬の調合もできなければ、一般薬すら怪しいものだった。ギルド職員に頼み込まれてしばらくその町で錬金薬を作ることになったリンウッドに、師を喪った少年が弟子にしてくれと押しかけたのだ。
「勤勉で努力家だった。長居するつもりはなかったから、必要最低限の調合を急いでたたき込んだが、面白いくらい覚えが良くてな」
困窮が原因だろう、成人前かと思うほど成長の遅れた子供は、リンウッドの教えを貪欲に吸収した。面白くなったリンウッドは予定よりも長く町に留まり、彼に薬魔術だけでなく治療魔術と医学も教えた。
「才能はあったが、残念なことに魔力量が少なかった」
どれだけ優秀であっても上位の色級を目指すには魔力量が影響する。魔術師としての限界を自覚し落ち込む彼に、魔力量にこだわらない義肢技術の一片を教えたのだ。
「サイモンさんは今もリンウッドさんの手書き教本を大切にしていましたよ。義肢技術を引き継げなかったと悔しそうでしたが」
アキラの言葉に彼は嬉しそうに頬をゆるめた。
「兄弟弟子だからと色々と世話をしてもらいました。とても面倒見がよくて、勤勉で熱心で誠実な方です」
「……面倒見がよいのではなくて、面倒を押しつけた、の間違いじゃないのか?」
「まさか。お世話になった分のお礼はちゃんとしてきましたよ」
それがサクリエ草だ。彼は今も楽しく研究しているに違いない。
「ふむ、あの小僧の研究内容は興味があるな」
「ではサイモンさんに問い合わせましょう。リンウッドさんの研究記録も送りますか?」
ただで研究記録を寄こせと言うわけにもゆかない、こちらの記録との交換であればあちらも出しやすいだろうとアキラが提案する。リンウッドは自分の名前を出さないのであればと応えた。
アキラはサイモンに宛てた手紙を書き、返信用の魔紙の束を用意した。通常の配達便では手紙が届くまで数ヶ月もかかるからだ。同封する研究録をまとめるため、リンウッドの研究記録にはじめて目を通す。
「リンウッドさんの研究はサクリエ草の用途の追究なんですね」
「これ単体では何の効能も見つけ出せなかったからな。どの錬金薬に活用できるのか、稀少な錬金薬の素材に成り代われるのか、新たな組み合わせによる錬金薬の可能性を探っている」
「それなら私は栽培を研究課題にします」
どれだけ万能な薬草であっても、品がなければ実用化は不可能だ。
「いったいどのくらいの規模を考えている? 薬草冒険者を困窮させるつもりか?」
「まさか。もし栽培技術が確立できても、すべての薬草に成り代わるほどの量産化は不可能ですよ」
アキラが考えているのは、ここぞという場面での活用だ。例えば緊急性を求められる解毒薬や死に至る寸前で引き戻すような劇薬。そういった錬金薬が稀少で高価なのは、材料も稀少で手に入らないからだ。そこに万能薬草と呼ばれるサクリエ草の特性が有効になる。
「解毒薬か……」
「ええ、あらゆる毒を無効にできる錬金薬です」
お互いに何を思い浮かべたのか、確認しなくてもわかる。
リンウッドは覚悟を決めたかのように大きく息を吐いた。
「ならば俺は少し方向を変えるとしよう。汎用性を探るのではなく、希少性を活かせる方向だ」
「サイモンさんの研究が何を目指しているのか、楽しみですね」
「ああ、類似であれば協力もできるし、異なっていても新たな見地は大歓迎だ」
飲みかけのカップを端に寄せ、手をつけられないままの菓子の皿を遠ざけて、彼らはこれまでの研究記録を共有し、サイモンへ送る記録集をまとめ続けた。
+++
「おーい、アキラー? リンウッドさーん?」
暴牛を一頭担いで帰ったシュウは、玄関先から大声で留守番の二人を呼んだ。一頭まるごとを家に運び込むわけにはゆかないし、解体するならどこでやるのか相談、いや丸投げしたいのに。
「アキラー、リンウッドさーん」
声を張り上げ繰り返し呼んでも、二人の声は返ってこない。
「おーい、解体くらい手伝えよなー」
卸す予定ではないため下手な解体でも文句は言われないだろうが、シュウとしては楽しくない作業は極力誰かに押しつけたかった。
「くそ、いるのはわかってんだぞー」
痺れを切らしたシュウは玄関先に暴牛を投げ出し、室内に踏み込んだ。そうして見つけたアキラとリンウッドは、食卓テーブルにしがみついて植物紙に何かを書いており、二人とも無表情で、視線は走らせるペン先に固定されたまま微動だにしない。
「あー、これ殴らねーと気がつかねーやつだ」
没頭したアキラとリンウッドを正気付かせるのはけっこう面倒だ。衝撃を与えるのが手っ取り早いが、力加減が難しい。軽くつついたり揺すったくらいではこの集中を破れないし、一発で効果を発揮する力で叩くとアキラの顔が腫れあがる。それは後が怖い。
「物理的に書けなくするしかねーよな」
テーブルをたたき割って妨害するか、植物紙を取り上げるか、二人を担ぎ上げて庭に放り出すか。
シュウは一番被害の少ない方法を選んだ。
「何をする」
「シュウ、どういうつもりだ」
暴牛の横に投げ出された二人は握っていたペンを投げつけて抗議する。
「どーもこーもねーって。どうせ飯食わずにカリカリやってたんだろー? さっさと解体して焼き肉にしようぜ」
「飯なら食ったぞ」
「さっき食べたばかりだ」
「俺抜きで食うんじゃねーよ」
「何を言っている。シュウも食べたじゃないか。コウメイからソーセージを一本横取りして」
「……それ、朝飯だからなー」
おや? と二人はそろって首を傾げた。
切り拓かれた木々の空にある太陽は、少しばかり斜めに傾いている。
「あーもお、いいから解体やってくれって。俺焼き肉の準備するから」
「だったらこれは勝手口のほうに運べ」
「冷却と洗浄は引き受けますので、ナイフはお任せします」
得意ですよね、と微笑まれ、彼は複雑な顔で解体用ナイフを受け取った。解剖と解体を一緒にするなとぼやくリンウッドの声はあえて聞かなかったことにした二人だ。
+
切り分けられた肉の塊はさっそく冷凍庫に収められた。遅めの昼食用に残してあった肉は、ほどほどの厚さに切り分けられ、庭に作った簡易かまどに置かれた鉄板の上で、じゅうじゅうと美味しそうな音をさせている。
「シュウ、焼きすぎだぞ」
「この辺り、焦げているじゃないか。食べる分だけ焼きなさい」
「だから全部俺が食うって!」
鉄板を占める肉にパラパラと塩を振ったシュウは、数枚を一度に箸ですくい取って口に入れた。端のほうに残されていた肉をリンウッドは薄切りのパンにのせ、アキラはコウメイの畑からもらったエレ菜の葉で包んで食べる。
「もう一頭は夜までに狩ってくるから、解体を頼むぜ」
「できれば血抜きしてから持ち帰ってほしいのだが」
屠って時間の経った魔獣は処理が面倒になる。美味い肉を食べたければ血抜きを済ませてから持ち帰るか、できるだけ早く戻ってこいとリンウッドが注意を加えた。
「血抜きはなー、ソレやってると帰ってくるのが遅くなるんだよなー。それにコウメイにもするなって言われてるし」
「血抜きをか?」
「止められているのはシュウ流の手抜きですよ」
リンウッドの勘違いをアキラが慌てて訂正する。垂れる血に引き寄せられた魔獣や魔物を引き連れた過去のシュウの血抜き方法を聞いたリンウッドは、頭痛がすると呻いて額をおさえた。
「魔物を集めるなんて常軌を逸している」
「だからやんねーって。ちゃんと血を撒き散らさねーよーに狩ってきただろ」
深魔の森からサガスト南の草原まで二鐘ほどで駆け抜けたシュウは、まったりと草を食んでいた暴牛の小さな群れを襲った。逃げ遅れた一頭を狙い剣を振り下ろそうとしたところでコウメイの説教を思い出し、寸前で剣の腹で暴牛の首を強打したのだ。
「二匹目もちゃんと首を折ってから持ってくるから」
「寄り道するなよ」
「肉が不味くなるんだろ、わかってるって」
満腹になったシュウは、美味くてでっかい肉を狩ってくるからな、とご機嫌で森を発った。あの様子だと少し遅い夕食も焼き肉になりそうだ。
「鉄板はこのままにしておくか」
「廃棄部位を処分して、皮はどうしましょうか」
「パン代くらいにはなるだろう、売ってしまえ」
手早く後始末をすませた二人は、再び室内のテーブルに戻り、サイモンに送る記録のまとめに打ち込んだ。とっぷりと日が暮れてから戻ってきたシュウは、真っ暗な室内に無意識に灯したと思われる魔法の光を挟んで書き物をする二人を、昼間と同じように正気づかせたのだった。
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コウメイが森の家に帰り着いたのは、ハリハルタを出た翌日の早朝だ。まだ薄暗い我が家にたどり着き、台所の勝手口から静かに入って荷を下ろす。しぼりたて牛乳の大瓶と卵の入った籠を背負っての移動は、全力を出し切れなかった。魔獣や魔物を振り切れず足止めされもした。威圧で散らせない魔物とは戦い、時に迂回してなんとか帰宅を果たしたのだがこの時間だ。さすがに疲労はピークである。
「……次からは牛乳と卵を同時に調達するのは避けよう」
牛乳瓶を振り回してバターにしてしまっては本末転倒だし、卵はただでさえ割れやすい。降ろした荷を確かめてみれば、大瓶の牛乳は無事だったが小瓶の牛乳は脂肪分が固まっていたし、卵は二つほど割れていた。
「肉と野菜と穀物は問題ねぇが、卵と牛乳の入手方法は他に何か考えねぇとなぁ」
どちらも繊細な生鮮食料品だ、シュウに運ばせるわけにはゆかない。かといってコウメイが運んでくるのにも負担が大きい。
「アキの座布団、借りられねぇかな」
あれをコウメイが操作できるようになれば、卵の運搬はずいぶん楽になるだろう。牛乳瓶も載せ方を工夫すればどうにかなりそうだ。
コウメイは割れてしまった卵を処理し、牛乳瓶と卵を食料保存庫に運び込んだ。
ゴン、ゴン。
食料庫の扉を開けた途端、まるでコウメイを待ち構えていたかのように音がした。
ゴン、ゴン、ゴン。
拳で壁か扉を叩いている。ぎっしりと食材の詰まった冷凍庫に阻まれ、その音は鈍くくぐもって聞こえる。
『なぁ、なんで開かへんのや?』
ドスン、ドスン、ドスン。
体当たりでもしているのだろうか、かすかに壁が揺れているようだが、冷凍庫は微動だにしない。
『そこおるんやろ、ええ加減開けてくれてもええやろ』
牛乳瓶と卵の籠を冷蔵庫に納めたコウメイは、冷凍庫の扉を開いた。出かける前は隙間だらけだったそこは、大量の肉に埋め尽くされていた。ざっと暴牛四頭分はあるだろう。これだけ詰まっていれば冷凍庫が力負けすることはなさそうだ。
『押して開かへんなら、一発でっかいん決めたろか』
不穏な台詞が聞こえた瞬間、コウメイは冷凍庫の扉を叩き閉めた。
「わかってるんだろうな、てめぇがぶち破ろうとしてるのは、ローストビーフの材料が詰まった宝箱だ」
コウメイのドスのきいた声を聞いた瞬間、気配が硬直した。
「それ壊して許されると思うなよ。俺の飯は一生食えなくなるぜ」
『き、今日はなんや調子悪いし、でっかいんはやめとこ……かな』
聞き取れるかどうかギリギリの強がりの声はしぼんで消えた。
しばらく冷凍庫の向こうを睨んでいたコウメイは、気配が立ち去ったのを確信し息を吐く。
台所の窓から見える森は、朝日を浴びてキラキラと輝きはじめている。あくびをしながらソーセージを焼き、酢漬け野菜を添えた。冷蔵庫で硬くなっていたパンを牛乳と卵に漬けて柔らかくし、こんがりと焼いて蜂蜜をかける。スープは冷凍してあったストックを温めれば完成だ。
「おはよう、今帰ったのか?」
台所と食卓を往復する気配で目覚めたアキラが、寝不足と疲労で顔色の悪いコウメイを心配げに見る。
「ああ、飯食ったら風呂入って寝るわ」
「そうしろ。冷凍庫の肉は見たか?」
「シュウが頑張ったみてぇだな。おかげで助かった」
「……やはりさっきの物音か」
顔をしかめたアキラは苦々しげに眉間を揉む。
カチリと小さな音がして壁が動いた。
「おっはよー、腹減ったー」
「珍しいなシュウが起こされる前に下りてくるなんて」
隠し扉から現れたシュウは、大あくびのまま食卓につく。
「目が覚めちまったんだよ。また音がゴンゴンうるさくてさー」
「夢だろ」
「悪夢だな」
「音のする悪夢とか最悪じゃねーか」
寝癖を直す気力もないのか、目を閉じかけているシュウに、アキラが薬指の爪ほどのボールを二つ手渡した。
「なにコレ?」
「耳栓だ。効果はあるぞ」
異音に妨げられることのないすっきり爽やかな目覚めだったらしいアキラの顔を見て、シュウは「もっと早く教えろ」と唇をとがらせた。
勝手口から顔を出したリンウッドが、三人がそろっているのを見て慌てたように席に着く。
「……遅れたか?」
「いや、ちょうどスープが温まったところだ」
蜂蜜たっぷりのフレンチトーストに、酢漬け野菜を添えたソーセージ、スープは三種類の豆の旨味がたっぷりだ。
「「「「いただきます」」」」




