6 寄港地にて
アウビンの港町を出港して丸三日、七の鐘の鳴る少し前に、最初の寄港地であるカラセルテ港街に船が着岸した。
「サンステン国の港町ははじめてだな」
散々砂漠で魔物を討伐したせいか、どうしても砂漠の国というイメージが強いが、南北に長いサンステンの国土には山脈に森林もあれば海運で栄える港町もある。
「塊砂糖が買いてぇなぁ」
「甘味よりも肉だよ、肉?!」
桟橋からかけられた階段梯子を、下船する乗客が次々と降りてゆく。
「出港は明日の早朝二の鐘だ、遅れるなよ」
時間厳守、乗り遅れれば下船とみなされるぞと船員に念押され、コウメイたちは梯子を降りた。カラセルテの街に滞在できるのは今夜だけだが、買い物をする時間を考えるとかなり急がなくてはならないだろう。
「アウビンよりは大きな街だよな」
「閉門時間が遅ければ、商店も遅くまで店を開けているはずなんだが」
港から続く緩やかな傾斜の石畳を、道なりに進んだ突き当りの高台に冒険者ギルドの建物がある。そののぼり道と交差するいくつもの十字路の一つで、シュウが突然足を止めた。
「屋台だ、いー匂いがする」
十字路の左側の道では多くの人々が行き交い、両端にずらりと並んだ露店で忙しそうに買い物をしていた。その何処からか漂ってくる肉汁の匂いを嗅ぎ取ったシュウが、鼻をひくひくと動かしながら方向を変えた。
「シュウ?」
数メートル先で振り返ったコウメイとアキラが、急かすように声をあげた。
「寄り道してる暇ないんだぞ」
「寄り道じゃねーよ。肉料理買うんだろー」
「その前にタライだ、タライ。職人の店を見つけなきゃならねぇんだ、急ぐぞ」
「えー、屋台が閉まったらどーすんだよ」
風呂より食欲のシュウは、食料調達を後回しにしたくないとゴネた。事実、いくつかの露店は店じまいをはじめている。
「仕方ない、手分けするか」
八の鐘の頃には屋台も店も職人も看板を下ろしてしまう。全ての買い物を終わらせるには時間が足りないのだ。十字路から動こうとしないシュウの手に、アキラが銅貨の入った小袋を手渡した。
「きちんと料理ごとに個別包装してもらえよ」
「おう」
「最低五日分だ。買い終わったら冒険者ギルドで合流、いいな?」
「りょーかい」
次の寄港地までの五日分の料理調達を請け負ったシュウは、意気揚々と料理の屋台へと走っていった。
「せっかくの港街なんだ、魚料理も買ってきてほしいんだがなぁ」
「さっさと用事を済ませて自分で調達した方が確実だぞ」
自分の食べたい料理ばかりを買い集めてくるに決まっているとアキラが言うと、コウメイは「早く終わらせて食いたい料理を買いに行こうぜ」と足を速める。ちょうどすれ違った職人風の男をつかまえて木工職人の店をたずねた。
「タライを作っている職人なんざ、知らねぇな」
石工職人の男は専門外だと首を振った。そういうたずねごとなら職人ギルドへ行けと教えられた場所は、冒険者ギルドの手前の分かれ道を下った先にあるようだった。
「職人ギルドと職人街は港の方が近いんだな」
「急いで行ってみるか。アキはどうする?」
「俺は冒険者ギルドで情報収集と、少し薬草を仕入れたい」
コウメイと別れたアキラは、緩い傾斜の道を上り切った小高い場所にあるカラセルテの冒険者ギルドを訪れた。そろそろ日暮れに近いこともあって、獲物を抱えた冒険者が列を作って査定待ちをしている。アキラは喧騒を尻目に、掲示物をざっくりとチェックしはじめた。
「……錬金薬が、高い」
販売物の価格表を見たアキラは顔をしかめた。何処の街でも錬金治療薬一本の価格は、四百から六百ダル程度で安定しているものだ。だがここでの販売価格は一本千二百ダル。他の街の倍もする。ちらりと薬草の買取価格を確認してみれば、こちらは他所の価格とそれほど乖離していない。医薬師ギルドなら薬魔術師の紋章を提示すれば値引きを受けられるのだ、ここで無理に購入する必要はないだろう。アキラは受付の職員に声をかけた。
「医薬師ギルドの場所を教えてもらえませんか?」
深く被ったフードで顔を隠した人物に声をかけられ、身構え探るように見あげた太い眉毛の青年職員は、不信と警戒の声色で応えた。
「この街に医薬師ギルドはありません」
素っ気ない返事にアキラは首を傾げた。
薬魔術師になってから知った事だが、街で販売されている錬金薬は医薬師ギルドに所属する魔術師が製作し、各職ギルドや販売店に卸していた。魔法使いギルドのない街でも錬金薬がもれなく流通しているのは、どんな小さな町にも医薬師ギルドが存在するおかげだ。だがカラセルテほどの規模の街で医薬師ギルドが無いというのは、かなり問題なのではないだろうか。
「では錬金薬は何処から調達しているのでしょうか?」
「月に一度、薬魔術師が街に来て錬金薬を作っています」
「冒険者ギルドで、ですか?」
「ええ、そうですが……失礼ですが、あなたは?」
太眉職員の警戒が高まった。
街の事情を知らない街外からやってきた冒険者は、職員たちにとっては警戒対象だ。彼らは錬金薬の値段を知ると怒り、ギルド職員に暴言を吐く。顔をフードで隠したいかにも訳ありふうの冒険者に身構えてしまうのは当然だった。
「私は薬魔術師です。薬草と錬金薬が必要になるので仕入れにきたのですが」
そう言ってアキラが魔術師証の白紋章を見せると、職員は椅子を蹴り飛ばすような勢いで立ち上がった。
「薬魔術師殿でしたか、ようこそカラセルテの街へ!」
今までの塩対応が嘘のように愛想がよくなり、笑顔でアキラの手を取り、決して離さないぞというようにしっかりと握り締めると、「どうぞ、こちらへ。さぁどうぞっ」と強引に引っ張って職員エリアへの扉を開けた。
「あ、あの、ちょっと」
「今すぐ上司を呼んできますから、どうぞ寛いでいてくださいね」
「寛いでといわれても、ちょっと、待ってくださいっ」
引きずるような勢いで連れ込まれた部屋の中、バタンと大きな音を立てて閉まった扉を前に、これはどういう展開なのだろうかとアキラは茫然としたのだった。
+
部屋の中央には小さな丸テーブルと椅子が三脚。小さな窓にはガラスがはめ込まれていて、そこからは夕暮れ前の淡いオレンジ色の空が見えている。
わけが分からぬままこの部屋に押し込められて数分、馬鹿正直に上司とやらを待つ必要もないと気を取り直したアキラは、部屋を出て行こうと扉に手をかけた、その時だ。
バタバタと廊下を走る足音が近づき、扉を隔てたすぐそばで止まる。危険を感じて咄嗟に身を引いたアキラの鼻先を、蝶番が壊れたのではないかという勢いで開いた扉が掠った。
「ようこそ、カラセルテの街へ!! あなたが新しい医薬師ギルドの方ですね?」
飛び込んできたのは三十代後半に見える女性だった。背は低いが線は太く、動きやすさ優先なのか赤茶色の髪は短く切り揃えられている。元冒険者なのだろう、頬には複数の切傷が残っていた。
「助かります、街の医薬師ギルドが閉鎖されてこの三年、慢性的な錬金薬不足に頭を悩ませていたんですよ。我々はあなたを歓迎しますよ!!」
飛び込んできた瞬間にまくしたて、アキラの両手をしっかりと掴んだ力の強さに、思わず腰が引けていた。
「あの、何か誤解があるようなのですが」
「ん? 誤解? 何が?」
「あなた、いったいどういう説明をしたんですか?」
アキラは彼女から手を取り返して一歩二歩と後退し、入り口に立っている太眉青年を恨めしげに見た。
「説明も何も、薬魔術師が来たとだけしか。上司の早とちりです。申し訳ありません」
謝罪した彼はどうぞお座りくださいとアキラに椅子をすすめた。
「あんた街に赴任してきたんじゃないのか?」
「そんな説明はしてませんよ。カレンさんは思い込みが激しすぎます」
「そんなぁ」
がっくりと項垂れた上司を椅子に座らせた青年は、改めてアキラに上司を紹介した。
「こちらは当ギルドの査定部門の責任者のカレン、私は受付の統括をしているスコットです」
「……薬魔術師のアキラです」
「フードを外していただけませんか? 商談の場で顔を隠したままというのは褒められた礼儀ではありませんよ」
「あいにくと私は商談をするつもりはありませんので、このままで結構です」
彼らはアキラの態度にムッとしているようだが、最初に礼儀に反する行動を起こしたのは彼らである。後ろめたさがあるのか、スコットは苦笑いで小さく頷いた。だが彼の上司は不快に顔を歪め声を荒げた。
「着任の挨拶じゃないというなら、あなた何しに来たんですか?」
「薬草の仕入れと、錬金薬の補充ですが?」
「それだけ?」
イライラが積もっていたところにカレンの鼻で笑うような声だ。流石にカチンときた。
「こちらの話など一切考慮されず強引に引っ張り込まれました。仲間と待ち合わせをしていますし、急ぎの身ですのでこれで失礼しますね」
コウメイの酔い止め薬に使ったせいで無くなった特殊な薬草の補充をしたかったし、長い船旅では錬金薬が手持ちで足りなくなる可能性を考えて買い足したかったのだが、この街で補給は諦めよう。
扉に向かうアキラの前に顔色を変えたスコットが素早く回り込んだ。
「ああ、待ってくださいっ。私たちの話を聞いてください」
「お断りします。無駄ですから」
「困ってるか弱い女性にその態度はどうよ!」
両手を広げて身構えるカレンの姿は、森で獲物を生け捕りにしようとする剛力の冒険者の姿そのものだ、とてもか弱い女には見えない。どうせならもう少しか弱く色仕掛けでやって欲しいものだ。いや色っぽくしなを作られても突き飛ばして逃げるつもりだが。
「今カラセルテには治療魔術師も薬魔術師もいなくて大変なのよ」
「それは良かったですね」
「良くないわよっ。病人もケガ人もあふれてるし、錬金薬は常に不足しているし、買い取った薬草は溜まるばかりだわ」
ダンッとカレンが足を踏み鳴らす。「落ち着いてください」と焦ったスコットが止めようと伸ばした腕を振り払って、彼女はアキラを指さした。
「あなた薬魔術師なんだから、困っている患者を助ける義務があるはずよ!」
治療魔術師、そして薬魔術師には病人やケガ人の治療を、理由なく断ってはならないという決まりがある。正当な理由なく製薬を断るのは、薬魔術師の資格問題にまで発展するほどの問題なのだ。
「そうですね、たしかに義務があります」
「じゃあ」
「ですがそれは街のギルドに所属している薬魔術師に限られるのですよ?」
アキラは何処の都市の医薬師ギルドにも所属していない、フリーなのだ。目の前の重傷者を見捨てても罪にはならない――自分たちに害の及ばない範囲で治療をするのはやぶさかではないが、そんなことはおくびにも出さずにアキラは言い切った。
「何処にも所属していない私にはそのような義務は一切ありません」
「……あんた、最低の人間ね」
硬く握った拳を震わせるカレンは、殴りかかりたい気持ちを必死に堪えていた。
「随分勝手な主張ですね。こちらの事情も都合も無視して責任と義務を押し付けようとし、罪悪感を煽ろうとするあなた達からは悪意しか感じられません。わずかな良心を惜しむのも当然でしょう?」
「二人とも、落ち着いてくださいっ」
止めるならもっと早くに止めろと睨みつけるアキラに頭を下げ、スコットは上司の身体を引き戻して椅子に座らせた。
「薬魔術師の証明を見て浮かれた俺が上司にきちんと説明できなかったのが悪いんです、申し訳ありません。謝罪しますので、話を聞いてもらえませんか?」
上司のつま先を踏みつけて「黙っててください」と叱りつけた彼は、必死の形相でアキラに頭を下げた。今さら謝罪されてもという思いはあるが、アキラは大きく息を吸って気持ちを落ち着けると、交渉相手をスコットに切り替えた。
「説明は不要です。だいたいの事情は理解しましたので。ですが、お断りいたします」
「薬草はウチのギルドで保存しているものがありますから、好きなだけさしあげます」
「必要ありません」
「この街を助けてください。あなたが医薬師ギルドを再開してくれたら、街の住人達が救われるんです」
賄賂が通用しないとなると、今度は情に訴えてきた。
「今の供給量では錬金薬の値があがるばかりで、手に入れられない冒険者も増えています。錬金薬を必要としているのは冒険者だけじゃない、街の人々こそが一番困っているんです。港の人夫も漁師も職人も、錬金薬で治療ができれば職を失わずに済んだかもしれない人たちがたくさんいるんです、街を助けると思って医薬師ギルドを再開してもらえませんか?」
お願いします、とテーブルに額がつくほどに頭を下げて頼み込むスコットを、アキラは醒めた目で見ていた。
「お断りします」
「あなたは困っている人たちの事を何とも思わないのですか?」
「さぞ困窮しておられるだろうと同情しますが、出来ないものは出来ないのですからお断りするしかありません」
医薬師ギルドに治療魔術師や薬魔術師が居つかないのは、それ相応の原因があるはずだ。その説明もないままに困窮だけを訴えられても同情はしにくい。
「私は仕事先への旅の途中です。この街に定住するつもりはありません」
「希望に沿うような家も探しますし、美味い飯屋に格安で食えるように話をつけましょう。薬草も優先的に納品します。一定量の錬金薬を確実に供給してもらえるなら、取引価格も規定以上にお支払いします。ああ、なんなら花街ギルドにも話をつけておきますから、どんな美女でもより取り見取りですよ」
アキラはフードの陰で奥歯を噛み呆れた。頼み込む前にまず相手の事情を聴くくらいしろ。ましてや交渉相手の望みにかすりもしないような報酬を提示するなんて、これでよくギルドの受付業務が務まるものだ。
「自分たちの主張ばかりをおっしゃいますね。私の言葉を聞いていないのですか? ”お断りします”と何度繰り返せば解放してもらえるのでしょうか」
「……引き受けられない事情なんて、あるんですか?」
「私は仕事先への旅の途中だと言いました。あなたたちは依頼の遂行中である私に、放棄しろと言っているのですよ?」
仮にも冒険者ギルドの職員というならば、それがどういう意味か分かるだろうと薄眼で睥睨すれば、流石に二人は神妙になった。
「それでは、違約金を当ギルドが負担するので、今の依頼を取りやめてカラセルテに残っていただくことはできませんか?」
「違約金は高額ですよ?」
「い、いくらぐらいでしょう?」
恐る恐る申し出たスコットにアキラが提示した金額は、カラセルテ冒険者ギルドの年間利益の五倍を超える金額だった。
「払えますか?」
「……」
窓口担当として経理にもかかわるスコットは蒼白になった。カレンはそんな高額な依頼があるのかと半信半疑のようだが、部下の顔色を見て口を閉じた。
「分かっていただけたようですね。では私はこれで失礼いたします」
売られた喧嘩を値段以上の高値で買って勝利したアキラは、連れ込まれた部屋を出てロビーへ戻った。
+
「んなとこで何してたんだよアキラ」
職員専用の扉から出てきたアキラを見つけたシュウが、大量の料理の包みを抱えて近寄った。
「待ち合わせだってのに二人ともいねーし。コウメイは?」
「タライの調達に行った。まだ終わっていないようだな」
「アキラの用事は終わったのかよ」
「いや、ここでは無理そうだ」
錬金薬は次の寄港地で調達することにしよう、そう言おうとしたところに、一人の冒険者が駆け込んできた。
「解毒薬をくれ! 仲間が殺人蜂にやられたんだ」
飛び込んできた男がカウンターに銅貨の袋を叩きつけた。
「殺人蜂は何匹です? 始末は?」
「三匹だ、全部屠ってやった。けどメリンダの奴が何か所も刺されたんだっ」
職員は銅貨の数を素早く数え、申し訳なさそうに男を見た。
「殺人蜂の討伐報酬と素材の毒針を合わせても四百ダルほど足りません」
「じゃあこの剣を買い取ってくれ!」
まだ若いその男は、躊躇うことなく腰の剣を取り外し、鞘ごとカウンターに置いた。
「いいんですか? 大事な商売道具でしょう?」
「仲間の命の方が大事に決まってんだろ、はやくしろよっ」
男の剣幕に押され職員は慌てて剣を査定し、釣りと一本の錬金解毒薬を差し出した。男はそれを掴み取ると即座に踵を返してギルドを飛び出していった。
「なー、解毒薬ってあんな高かったっけ?」
「……この街は錬金薬が品薄なんだそうだ」
「ふーん。殺人蜂の針つったら、こーんな長くて太いやつだろ?」
シュウが両手で作った長さは三十センチほどだ。針の太さは親指ぐらいある。そんな毒針に刺されたら、負傷箇所によっては命にかかわりかねない。
「治療薬も必要だと思うけど、この値段じゃなー」
解毒薬の八百ダルを支払うのに武器を手放さなくてはならない冒険者に、千二百ダルの治療薬は買えないだろう。その負傷が命にかかわるのならば、身ぐるみ剥いで抵当に入れてでも購入するかもしれないが、諦めるということは、重傷ではあるが解毒さえできれば命は助かるに違いない。
ふとロビーにいる冒険者たちを見てみれば、老若偏りなくどの顔にも大小なりの傷が刻まれていたし、歩き方がおかしい者や手指が欠損している冒険者が何人も目についた。
「メリンダって、女の子の名前だよな?」
「……そうだな」
「傷が残らねーといいんだけどなー」
スコットたちのやり取りなど何も知らないはずなのに、シュウは的確にアキラの罪悪感を刺激してくる。目の前であんな場面を見せられると良心が疼くが、どうしようもないことだ。アキラは販売カウンターで必要な薬草の種類と数量を伝えた。
「アキラさん」
薬草が揃うのを待っていたアキラに、スコットが近づいてきた。
「まだ何か?」
アキラの緊張に気づいたシュウが、ゆっくりと太眉毛を振り返る。
「無理を承知でお願いしたいのですが、この街にいる間に錬金薬を作ってもらえませんか?」
「……」
「次に薬魔術師が派遣されてくるのは半月以上も先です。それまではとても在庫が持ちません」
需要に対して供給が追い付かず、先ほど見たような光景はこの街では日常茶飯事だ。名誉の負傷だと開き直る冒険者も多いが、女性冒険者は顔や身体の傷を癒したくてもできなかったのが現状である。
「お願いします。対価は支払いますし、ご希望の薬草は無料で提供しますから、錬金薬を作ってもらえませんか?」
スコットの太く凛々しい眉毛が、ハの字に情けなく傾いている。それを見つめて何とも答えられないでいたアキラの背をシュウが押した。
「詳しいことはわかんねーけど、助けてやったらどーだよ」
「……薬草だけそろっていても、調合錬金道具がなければ製薬はできません」
「道具ならあります。派遣されてくる薬魔術師が使っている物ですが、当ギルドが管理していますから、すぐにでも使用可能です」
シュウの肘がアキラの脇腹をつついた。
「アキラさー、なに意地になってんのか知らねーけど、助けてやりてーんだろ?」
「意地になってるわけじゃない」
「じゃー作ってやれよ。どーせコウメイもまだなんだし、暇あるんだからさ」
断ったら後悔するんだろ、と耳元で図星を刺されたアキラは、フードの陰で小さく息を吐いた。
「……調合錬金道具のある部屋へ案内してください」
「ありがとうございますっ」
「礼の必要はありません。対価はいただきますし、私たちがこの街に居るのは明日の早朝までです。あなたたちが満足できるほどの量を製薬できるとは思えませんが……」
アキラは一晩で作れる量では焼け石に水だろうと言ったが、それでもありがたいのだとスコットは頭を下げた。
「先ほどは本当に申し訳ありませんでした。あなたの事情を全く考慮せず、情に訴えて強要しようとするなんて、ギルド職員としてしてはならない事でした」
「いえ……私も感情的になって、随分と失礼なことを言ってしまいました」
先ほどの部屋のさらに奥の大きな扉の部屋に招き入れられたアキラは、スコットを振り返った。
「できる限り製薬しますが、時間がありません。手伝っていただいてもよろしいですか?」
「もちろんです。なんでも命令してください」
調合部屋にはテーブルが三つあり、その中のもっとも大きな机に調合錬金道具が設置されたままになっていた。アキラは素早くチェックしていくつかの器機の設置場所を変え、使いやすいように整えた。手入れをしていたというだけあって状態は悪くない、これなら錬金の時間短縮も可能で、量産もできそうだ。すぐにでも作業にかかろうと、アキラは被っていたフードマントを脱いでシュウに渡し、袖をまくって気合を入れた。
「スコットさん、ギルドにある薬草を全てこの部屋に運び込んでください。それと薬草の査定に詳しい職員をお借りできますか?」
「……」
「スコットさん?」
振り返ると、夢見るように呆けてアキラを見ている太眉毛と目が合った。
「は、はいっ、らんでしょうかぁ?」
「ぶほっ」
スコットは真っ赤になって舌をもつれさせていたし、シュウは口元を押さえて噴き出すのを堪えていた。何の薬をどれだけの量作ればいいのかを計算していたアキラは、とりあえず不審な様子の二人を無視することにした。
「薬草の運び込みと、手伝いの手配、それと先月の錬金薬の販売記録を見せてください」
保管庫から次々と運び込まれてきた薬草を見たアキラは、かすかに眉をしかめた。医薬師ギルドと違って保存状態はあまり良くなく、二割ほどは使えない状態だし、残りも決して満足できる品質ではなかった。だが今は質より量だろう。アキラは職員に手伝ってもらいながら、薬草の選別にとりかかった。
「解毒薬と治療薬を優先して、あとは薬草の残量次第で体力回復薬と魔力回復薬だな」
販売記録と在庫量から、優先して製薬する錬金薬を決めた。スコットにもう一人合流する仲間への連絡を頼み、荷物運びにシュウをこき使い、アキラは製薬に没頭したのだった。
+
「アキ、休憩だ。飯を食え」
「……あ、コウメイ?」
肩を揺すられて集中の途切れたアキラは、苦笑いのコウメイを見て首を傾げた。いつの間にギルドに戻ってきたのかとたずねると、コウメイは答えの代わりにハギ粉団子と野菜のスープの器を差し出した。
「もう夜だぜ。休憩も取らずにぶっ続けで調合しているから、みんな心配してる」
薬草を選別するテーブルからはスコットが案じるような視線を向けていたし、錬金薬の入った瓶の横ではシュウが欠伸を噛み殺しながら座っていた。
「今、何時だ?」
「さっき十の鐘が鳴ったところだ」
六時間近くも調合に没頭していたらしい。肩を押され、椅子に腰を下ろすと、今まで気づかなかった疲労に身体が重く感じられた。差し出された椀を両手で受け取って、ゆっくりと口をつける。少し薄めの、慣れた好みの味付けと温かさに、胃から疲れが癒されるような気がした。
「ギルドに話をつけて、今晩はここに寝床を確保したが、アキはどうしたい?」
そろそろ終わらせて休んでもいいんだぞと問うコウメイに、アキラは肩をすくめて朝まで続けると言った。
「残っている薬草は放っておくと使い物にならなくなる。全て錬金薬に仕上げてしまわないともったいない」
錬金薬が高騰を続ければ、最も被害を被るのは駆け出しで金のない冒険者たちだ。商売道具の武器や防具を売らなければ治療薬を買えない状況を、放置して去るのはあまりにも後ろめたい。一晩でどれだけ在庫を増やせるかはわからないが、できる限りのことをしておきたいとアキラは思っていた。
「わかった。完徹するならなおさら、少しは休憩を挟め。シュウ、あとで交代するから先に仮眠してろ」
「ふわぁー、りょーかい」
シュウはその場でマントに包まって横になった。
「スコットさんも休んでください。随分疲れているんじゃないですか?」
「い、いえ、大丈夫です!」
疲労の濃い彼を心配してかけられたコウメイの言葉に、スープを食べ終わったスコットは、弾けるように立ち上がった。
「アキラさんに無理をお願いしているのに、職員の私が休むなんてとんでもないっ」
休みなく調合し続けるアキラを見つめてきたスコットは、集中する眼差しと研ぎ澄まされた表情に魅入られていた。
それに彼が薬草を選別する様を見て、冒険者から買い取った薬草の保存状態がかなり悪い事に気づいた。派遣されてくる薬魔術師の腕が悪いのだと思い込んでいたが、ギルドが提供した材料が悪かったせいで、品質も量もそろわなかったのだと初めて気づいた。自分たちギルドは、通いの薬魔術師にも随分と無理難題を強いていたのだ。しかもこちらに非があることに気づかず相手を責めてばかりいた。こんな街に薬魔術師が定住しようとしないのも当然だと反省しきりだ。
そういったことに気づかせてくれたアキラには感謝しかないし、崇拝の念で胸がいっぱいだった。
「私たちも薬草について教えを請いたいのです。アキラさん、休憩中に申し訳ないが、薬草の保存方法を教えてもらえませんか?」
スコットの申し出には、査定部からきた手伝いの職員たちも便乗し、声を合わせて「お願いします」とやる気を見せていた。アキラは疲労を隠して笑顔をみせた。
「品質を保つための保存方法は、手順さえ守ればそれほど難しくはありませんから、ぜひ覚えておいてください」
ハギ粉団子を食べながらの説明を聞いて、職員たちは目の前にある薬草を丁寧に処理していった。長期保存には向かないが、一月程度なら十分に品質を保てる方法を教えられた彼らは、調合に戻ったアキラを眩しそうに見つめるのだった。
+
水平線の先がかすかに明るくなった頃、街に一の鐘が鳴り響いた。
「シュウ、起きろ」
「んー、もうちょっと寝かせろよなー」
「船に間に合わなくなるぞ」
「ふね……あー、そうだった、船だ」
コウメイに乱暴に揺すられて目を覚ましたシュウは、のっそりと半身を起こし大欠伸をした。硬くなった身体をほぐして立ち上がると、調合台に向かうアキラの姿が見えて驚いた。
「まだ調合してんのかよー」
「薬草を使い切るまでやるって聞かねぇんだよ」
心配そうにしながらもコウメイは諦めているようで、出来上がった錬金薬を種類ごとに瓶に移し替えたり、薬草を運んだりとアキラを手伝っていた。ギルド職員の半分は床で寝ており、スコットともう一人は完徹の血走った目で、錬金道具を操るアキラを凝視している。一晩中続いている寸分の狂いもない調合から目を離せないようだった。
「これが最後の薬草だぜ」
「ん……」
ほとんど条件反射で渡された薬草を刻み、器機に入れ、魔力を流して調合する。ガラス管を通って精製された錬金薬が容器に流れ込む。最後の一滴が落ちるのを見届けると、アキラの瞼が落ち、身体はスイッチが切れたように崩れた。
「だだだ、大丈夫ですかっ」
「寝てるだけだから心配ねぇよ」
そのまま錬金道具に倒れこみそうになる身体を抱きとめたコウメイは、スコットが慌てて引きずってきた長椅子にアキラを横たえた。閉じた瞼の上に置いた手に、いつもより高い熱が伝わってきた。完徹による疲労と魔力不足により顔色は良くないが、このくらい一日寝て休めば大丈夫だろう。
「アレの後始末は任せてもいいか?」
「それは、はい、大丈夫です」
錬金道具を振り返ってスコットが頷いた。
「シュウ、荷物は頼むぜ」
「おー、まかせとけ」
シュウは毛布代わりにしていたマントを身に着け、コウメイの調達してきたタライに、買い集めた料理の包みを入れて持つ。
「よっと」
マントで包んだアキラを背負ったコウメイに、スコットが薬草の袋と銅貨の包みを差し出した。
「薬草、まだ残ってたのか?」
「いいえ、これはアキラさんが注文していた分です。品質のいいものを取り除けておきました。それと、こちらは薬魔術師にお支払いしている製薬料ですが……一晩でこんなに沢山の錬金薬を調合していただいたのに、少なくて申し訳ないです」
申し訳なさそうに差し出されたのは二千ダルだ。これは、これまでギルドが支払ってきた金額の倍だが、通いの薬魔術師の何倍もの錬金薬をわずか一晩で調合してのけたアキラに支払う対価としてはあまりにも安すぎる。だがギルドの金庫は閉められており、スコットの権限の及ぶ各受付にある小銭をかき集めて用意できたのはこれだけだった。
「アキはいくらで引き受けたんだ?」
「……それが」
金銭的な合意のないままアキラは錬金薬の調合作業に入ってしまったのだ。スコットが太眉を下げて申し訳なさそうにそう言うと、コウメイは「そりゃそっちの値付けを受け入れるつもりだったんだろうぜ」と苦笑して、金と薬草を受け取った。
「急いでるんだ、もう行くぜ」
月星の灯りと、かすかに明るんだ空の下に踏み出そうとする二人に、スコットが慌て声をかけた。
「あの、今引き請けている依頼を終えたら、またカラセルテに寄ってくれませんか?」
「なんでだ?」
「アキラさんに、直接お礼を言いたいので」
顔を隠すように覆うフードの隙間からアキラをのぞきこんだ彼の頬が緩んだ。コウメイは背負った身体の位置を直すようにしてシュウを促した。
「行くぜ、時間がない」
「じゃあな、にーちゃん。帰りはいつになるかわかんねーし、船便かどうかも分かんねーけど、機会があったらこの街に寄ることもあるかもしれねーぜ。そん時は挨拶しに来るな」
シュウはひらひらと手を振り、先に走り出したコウメイを追った。
「お待ちしています」
緩やかな坂道を駆け降りてゆく後姿を、スコットはいつまでも見送っていた。
+
アメリア号は、二の鐘の音と同時に港を離れた。
「ぎりっぎり、セーフ」
「眠ぃ」
客室に戻ったコウメイたちは、荷ほどきもせずにそのまま寝床に倒れこみ、昼の銅鑼に起こされるまで深く眠りに沈み込んだのだった。




