深魔の森の秘密基地
死に物狂いで指名依頼を受け続けた三人は、わずか一ヶ月の後には目標にしていた建築費用の残る三分の一を稼ぎ終えていた。来月はエルフ族の狩猟日がある。
「ちょっと早いが最後に虹魔石を狩ってから逃げようぜ」
空飛ぶ座布団での討伐にも慣れたアキラは、増えはじめた虹持ち魔物を片っ端から探知した。エルフが印を付けた特徴的な魔物も見逃さない。それらをコウメイとシュウが片っ端から屠ってゆく。さすがに狩り尽くしてはエルフ族の逆鱗に触れるだろうから、奈落の魔物には手を出さなかった。
七月の第一週目の闇の日に、彼らはナナクシャールギルドからホウレンソウの名を消した。同時にリンウッドもギルド所長の役を正式に辞した。
「研究三昧できてええ場所やて言うとったやん、なんで出て行かなあかんのや?」
「俺はてめぇの代理でここにいたんだぞ。戻ってきたんだから代理は必要ないだろうが」
「なんやそんなコトかいな。せやったらに代理やのうてずっと所長やってくれてええんやで」
「断る」
「えー、ワシの昼寝時間がなくなるやん」
必死に引き止めるアレックスを無視して、リンウッドは荷造りをすすめた。山のような研究資料や標本はすべて運び出す予定だ。島に残しておいたらアレックスにいいように遊ばれてしまいかねない。
リンウッドが辞任し、アキラたちが島を離れると知った冒険者らは、いよいよ完全閉鎖が近いかもと焦りはじめた。本国とどのようなやり取りがあったのかはわからないが、ひっきりなしに魔物素材が持ち込まれている。鬼気迫る形相の冒険者らに囲まれてアレックスはヒイヒイ言いながら事務処理をさせられていた。
「アキラ、困っとる師匠を助けるんは賢い弟子の務めやで」
「これまでずっとあなたの代わりに仕事をしてきたのですから、懐の広い師匠は弟子を労ってしかるべきではありませんか?」
「すまへんなぁ、ワシの胸板、貧弱なんや」
「残念ですね、私もあなたの弟子を努められるほど賢くないんですよ」
息つく暇もないほど忙しくとも、これまでサボっていたツケの利子だと思って真面目に働けと、アキラの笑みは冷たい。
リンウッドが積みあげた荷箱を見たコウメイが、シュウだけでは運びきれないと言った。
「こりゃ町で馬車を調達する必要があるぜ」
「ミシェルさんに頼んで、ネイトさんに連絡しておいてもらおう」
王都から彼が居を移したのは、港町トルンから東に二日ほど離れた小さな漁村だ。こちらを拠点にナナクシャールへの仲介を続けていた。彼との連絡手段はミシェルが握っている。大陸に戻ってからの細々とした頼みごとを言伝てもらった際に、何か土産の一つでも用意するべきだろうかとミシェルに相談した。
「お酒はどうでしょう?」
「ふふ、彼、ああ見えて一滴も飲めないのよ」
渋く嗜んでいそうな外見とは正反対に、舐めただけで全身が真っ赤になるらしい。自分が飲めないから酒屋ではなく飯屋を開業し、開いている部屋に知り合いを泊めているうちに宿屋を営むようになったのだそうだ。では甘味はどうかと問うと、それも得意ではないらしい。
「彼、コウメイの料理に興味があるようだから、いくつかのレシピを譲れば機嫌を取れると思うわよ」
アキラからその話を聞いたコウメイは、そんな簡単なものでいいのかと半信半疑だ。
「作り方教えるんならさー、実際に作って見せたほうがいーと思うぜ」
「コウメイの使う調味料は珍しいものも多い、口頭では伝わりにくいだろうぜ」
実際に料理を作って見せるべきだと熱心に助言するシュウとリンウッドの本音は、試作料理の味見にあるようだった。
+
星の日、四人は大荷物とともに定期船に乗った。所長業務から逃れるべく密航にて逃亡を謀ったアレックスを蹴り出してから出港した船は、半日ほどで名もない漁村に着いた。
踏み抜きそうなほどに古びた桟橋に降り立った彼らを出迎えたネイトは、ずいぶんと皺が増えていた。相変わらずの仏頂面だが、変わらないシュウの姿を見る目はあたたかく細められている。
「おやっさん、元気そーだな」
「シュウは変わらないな。そっちの二人も、な。それと……」
ネイトは最後に船を下りたリンウッドの瞳に目をとめた。古い知り合いの顔が何故か思い浮かんで首を捻る。彼が冒険者を引退するきっかけになった大怪我を治療してくれた治療魔術師も、目の前に立つ中年男性のような不思議な輝きを放つ赤い瞳をしていたが、もしや。
「悪い、名前を覚えていない」
「……忘れたままでいてくれ」
眉間に深い皺を作った男の返事に、ネイトは「わかった」と小さく頷いた。ミシェルとつながりがあるということは、彼もシュウらのように人ならざる存在なのだろう。平穏な隠居生活を切望するネイトは、赤い瞳の中年男に名をたずねなかった。
ネイトがひとり暮らすのは、漁村の外れにある小さな一軒家だ。村の漁師に教わって釣りを覚え、日々魚を釣ってはそれを料理したりと、のんびりとした暮らしを送っているそうだ。
「暇そー」
「これまで忙しかったからな、余生は暇でいいんだよ」
「それなら何故島への仲介役を引き受けたのですか?」
島へ渡ろうとする人物の見極めやら、注文物資の手配仕事をしていては余生を楽しむ暇もないだろうに。アキラの疑問に、ネイトは苦虫を噛みつぶしてボソリと返した。
「……あの魔女はしつこいんだ」
どうやら今回もミシェルに押し負けたらしい。七十を過ぎた老人が拗ねたようにそっぽを向く姿が妙にかわいらしくて、アキラは彼に気取られないよう必至に笑いを堪えた。
その夜はネイトの家に一泊させてもらった。漁師から買った魚を料理するというので、コウメイが一緒に台所に立つ。この辺りの海はエンダンの海と似た環境にあるらしく、捕れる魚の種類もほとんどかわらない。
「もしかしておばけ海草も生えてるのか?」
「西寄りの漁場に群生していると聞くな」
サハギンが住み着いているせいで漁場に近づけないと漁師らが嘆いていたらしい。それを聞いたコウメイは、ニヤリと笑って小さな筒容器を取り出した。
「なぁネイトのおっさん、一つ頼まれてくれねぇか?」
コウメイはブブスル海草からの出汁昆布作りをネイトに頼んだ。旅暮らしの彼らは、なかなかエンダン近くに立ち寄る機会がなく、ストックを切らしてしまうことも多かった。ネイトが作ってくれれば、それをいつでも手に入れられるようになる。
ブブスル海草の乾燥粉末と干し肉と乾燥野菜で作った野営スープを味見したネイトは、これは良いと目を見開いた。冒険者や旅商人だけでなく、海の素材が手に入りにくい内陸部にも需要が見込めるだろう。
「この粉末の権利登録はどうなっている?」
「俺はしてねぇよ」
チェリ海藻とともにサツキが登録している可能性はあるが、どの街にいっても販売されているのを見たことがないので、おそらくは未登録だ。
「……ちゃんと登録してくれ。それとこの村に製造を委託するのでかまわないか?」
「その辺は好きにしてくれよ。俺は必要なときに手に入れられるようになればいいだけだから」
「欲がねぇな」
貧しい漁村に仕事ができれば、出稼ぎに行った若い村人らも戻ってくるだろう。死んだような村が活気を取り戻せる。ネイトがコウメイにそう説明し、本当にいいのかと重ねて問うた。
「儲けたけりゃ儲けてくれてかまわねぇぜ。俺が欲しいときに確実に手に入れられるなら大歓迎だ」
「まったく、仕事を増やしやがって。暇な余生が遠のいたじゃねぇか」
そう憎まれ口をきくネイトの顔は活き活きとしており、少し若返ったように見えた。
+
翌早朝、四人はネイトに見送られて漁村を発った。
用意された幌付きの馬車と馬はネイトが最寄りの冒険者ギルドから手配したものだ。サガストで返却する契約になっているそうだ。
最初に立ち寄った街でブブスル海草と出汁昆布の製法をギルドに登録し、さっそくレシピの写しをネイトあてに送った。その後は立ち寄る町で馬を替えつつ馬車を走らせサガストを目指す。
「なー、最後に立ち寄ったのって、どれくらい前だっけ?」
「十年くらい前じゃねぇか?」
「詐欺薬魔術師の後任がいるのか気になるな」
「アキラが薬屋さんやればいーじゃん」
「本職を差し置いてできるわけがないだろ」
「お前ら、隠れ住むんじゃなかったのか?」
ガタゴトと馬車に揺られる旅に緊張感はない。魔獣はシュウの気配を察して近寄らないし、最初に山賊の襲撃を受けた際に徹底的に叩きのめした話が伝わったのか、馬車を狙った野盗や賊らは、御者台の眼帯冒険者や幌の隙間に銀髪を見つけた途端、一目散に逃げ去るので平穏だ。
のんびりとした馬車の旅は一週間で終わった。
サガストの町に一泊し、翌朝に冒険者ギルドでマイルズの伝言を受け取った三人は、リンウッドと彼の荷物を町に残して深魔の森に入った。
「マイルズさんの地図だと、俺らが放り出されたあたりからもっと奥のようだぜ」
「シュウ、気配は?」
「スゲー遠くで魔物の気配が全然ねーところがある」
「そこだな」
懐に地図をしまったコウメイは、シュウに先導をまかせて秘密基地建設現場を目指した。森を歩き慣れた彼らの脚は、かつては丸二日かかっていた距離を一日で駆け抜ける。
木々を抜けた彼らがそこに踏み込むと、丸く切り抜かれたような青空が見えた。開墾されたエリアの端に、森を背にして立派な平屋の家が建っている。周囲には職人らが寝起きするテントや積みあげられた木材があった。
「……もう完成しているのか」
「ドワーフは仕事が早ぇなぁ」
二階建てよりは少々低い屋根は、森に馴染む深い緑色に塗られていた。板壁の腐敗防止の黒い塗料が落ち着きと貫禄を演出している。キラキラと眩しいあたりに目を向ければ、居間に設置した透明度の高いガラスが空を映して眩しく輝いていた。
「予想外にシックでいいな」
「ああ、森の風景に溶け込んでいて、落ち着ける」
「俺としてはもうちょっと遊び心が欲しかったなー」
間取りには細かな注文を付けたが、外観についてはドワーフらに一任していた。金華亭の改装工事やアレックスの素材倉庫の仕事ぶりを見て、任せて大丈夫だと判断したのだが間違っていなかったようだ。
「あ、オッサムのおっちゃん」
アキラを降ろしたシュウが、掃除道具を抱えて家から出てきた棟梁に手を振る。
「おお、早かったな。引き渡しはもっと先かと思っていたぞ」
オッサムに招き入れられて踏み込んだ室内は、まだ家具が入っていないせいかがらんとしている。建物自体は完成しているのだろう、ドワーフらが木くずを集めたり埃を払ったりと掃除をしていた。
「マイルズさんまで……」
「おっさん、何やってんだよ。監視は?」
「見ているだけなのは退屈だからな」
ドワーフの職人らが忙しく働く中、ひとり何もせずにいるのは心地が悪かったと笑うマイルズの手には、ホウキと雑巾があった。
「ちゃんと図面通りに作られているかも監視していた。怠けていたわけじゃないから安心しろ」
掃除を終えたオッサムがアキラを呼んだ。建物の中心になる壁の前に連れて行き、柱に埋め込まれた魔石を指さす。
「ここに結界の魔術陣を埋め込んである。今は借り物の魔石で発動させているが、これを外してあんたの魔力で鍵をかければ、建物は完成だ」
結界はこの家を中心に半径五百マールの範囲に広がっている。また結界だけでなく防護の魔術陣も組み込んでおり、鍵をかけた者の魔力を越える力でなければ、建物は決して破壊されることはないという。
「……要塞化は望んでいなかったのですが」
「そう言うな、防護魔術は建物の劣化も防げるそうだ、つけておいて損はないと思うぞ」
森の奥の一軒家は日々の手入れが欠かせない。アキラたちに完璧なメンテナンスができるとは思えなかったマイルズが、追加費用は不要と聞いてついでに頼んでおいたのだ。
「森は湿気も多いし虫もいる。手入れを怠った家屋が朽ちるのは意外に早いぞ。お前たちに雨漏り修理ができるのか?」
マイルズの指摘に、三人はそれぞれ視線を逸らした。包丁は持ち慣れているコウメイだが、大工道具はまともに扱ったことはない。アキラも図面は書けるが実技は苦手だ。そしてシュウは間違いなく屋根を踏み抜いて雨漏りを悪化させる。
「他に魔術は埋め込んでいませんよね?」
柱から魔石を取り外したオッサムが結界と防護だけだと断言する。それを聞き安堵したアキラは、柱に手をあてて埋め込まれた魔術陣に魔力を満たしてゆく。自分の魔力が建物の隅々まで満ちてゆくのは不思議な感覚だ。魔力は目に見えないはずなのに、コウメイは心地よさそうに目を細めて天井や壁を眺めているし、シュウも慣れ親しんだ匂いを感じるのかリラックスしている。
「よし、完成だ」
オッサムの声でアキラは注ぎ入れる魔力を止めた。
「正式な引き渡しは家具を入れてからなんだが、これで実質的に建物はあんたらのものだ」
「こんなに早く建て終わるとは思いませんでした。ありがとうございます」
「なに、もらった代金の分だけ仕事に励んだだけだ」
そういえばとコウメイが追加の代金を差し出すと、オッサムはそれを押し返した。
「そいつは受け取れない。金はもう支払ってもらっているからな」
「え?」
「あんたの師匠が、弟子への贈り物だって払ったんだぜ」
驚いた三人は顔を見合わせた。アキラの師匠は三人いるが、ずっと行動を共にしていたリンウッドではないだろう。
「……まさか細目じゃねぇよな?」
「やめろ、アレが支払ったなんて、それを口実に我が物顔で出入りされるぞ」
「アレックスは違うだろー。契約魔術を忘れたのかよー」
腹黒細目エルフの口出しを防ぐための契約魔術は、資金提供までを網羅していただろうか。アキラは慌てて魔術契約書を読み直した。
「ずいぶんと嫌われているのだな、黒いエルフは」
「金を出したのは女魔術師だ」
倉庫の引き渡しのときにミシェルから支払われ、驚かせたいから秘密にしていてくれと頼まれたそうだ。これを預かっていると渡された紙片には、アレ・テタルの後始末に奔走したコウメイへの支払いだと書いてあった。
「隠す必要ねぇのに」
「照れくさかったんじゃねーの?」
「ミシェルさんも結構面倒くさい人だしな」
理由のはっきりした金なら安心して受け取れると、三人はほっと胸を撫で下ろした。
「なー、部屋を見てまわろーぜ」
せっかく新築の我が家にいるのだ、どんな仕上がりなのか気になって仕方がなかった。
これから家具作りにかかるというドワーフらを残し、オッサムが三人を案内してゆく。
玄関扉をあけてすぐ右手にあるのは、この世界での標準的な洗い場だ。討伐から戻って狩猟服やブーツの汚れを洗い落とす土間のような作りだ。その奥はトイレ、そして待望の風呂場だ。
「おー、ちゃんとした湯船だ!」
「脱衣室もあるし、こっちの小部屋はボイラー室か」
水場の並びの一番奥には、浴槽とつながった風呂釜があった。ドワーフ職人によって薪でも魔石でも湧かせる釜に改良されている。
玄関の左手は広いリビングダイニングだ。天井が高く、家具の入っていない今は広々としている。奥の暖炉の前にはぶ厚い絨毯かラグを敷きたい。広い窓から注ぎ込む光を楽しめるようにソファを置くのも良いだろう。そうなると食卓テーブルは玄関に近い側に置くことになるだろうか。
「この部屋、アキの寝室だぜ」
玄関に最も近い個室の扉は間口が広くとられていた。防護魔術の刻まれた柱を挟んだ反対側の扉はコウメイの寝室だ。どちらも窓が一つ。少し天井が低いような気がしたが圧迫感はない。
「おい、俺の部屋はどこだよ?」
コウメイの部屋のすぐ側には台所への入り口がある。自分の部屋がないと騒ぐシュウに、オッサムが壁を指さした。
「狼の部屋はここだ。押してみろ」
「壁?」
首を捻りながら板張りの壁を軽く押すと、カチリと金属音がして壁が浮いた。それを手前に引くと少しばかり急な階段が現れる。
「やったー、隠し扉だ、かっけー!」
大喜びでシュウが階段を駆け上がってゆく。
「結局作りやがったのかよ」
「……まあ、これくらいなら」
隠し階段を上った先にある屋根裏部屋がシュウの寝室だ。窓を開けて身を乗り出し、屋根にまでよじ登りそうなシュウをアキラに任せて、コウメイは台所におりた。
台所にはすでに調理台や魔道調理器具が設置されており、ほぼ完成していた。鍋やフライパンや材料があればすぐにでも料理ができそうだ。裏庭へと出る勝手口の扉を開けると、少し離れた場所にとんがり屋根の小屋が見えた。あれがリンウッドの研究室兼寝室だろう。
食糧貯蔵専用の部屋に入ったコウメイは、冷却保存庫を設置予定の壁に扉があることに気づいた。
「なんでこんなところに扉があるんだ?」
オッサムに渡した図面に扉を描いた覚えはない。
嫌な予感がして、コウメイは扉に手をかけた。
静かに開いた扉の向こうには、食料貯蔵庫と同じくらいの小部屋だった。壁に向かって書机が置かれ、椅子に座って手の届く距離に書棚が設置されている。書棚の後ろには地下へと降りる階段まであるではないか。
「……ちくしょう、やられた! 腹黒陰険細目野郎め!!」」
コウメイの叫びを聞いて駆けつけたシュウとアキラも、貯蔵室の奥に作られた隠し部屋を見て絶句した。
「これは……」
「なー、オッサムさんよー、これはねーんじゃねーの?」
「契約魔術は発動しなかったのかよ?」
三人に詰め寄られ胸ぐらを掴まれたオッサムは、契約には違反していないと慌てて弁明する。
「いやだって、俺らはこんな部屋、頼んでねぇだろ」
「一体どんな手段でアレックスはこれを作らせたんですか?」
「エルフじゃない、女魔術師だ」
「ミシェルさん?!」
「弟子への餞別だ、喜んで受け取ったらどうなんだね?」
ドワーフの職人の世界では、独り立ちする弟子へ師が贈り物をするのは当たり前の行為だそうだ。師匠の住む島を離れ大陸で住処をかまえる弟子に、餞別を贈ると言われたドワーフらは、それが間違っているとは髪一筋ほども思わなかった。
「これが黒いエルフの申し出なら契約魔術に引っかかるから断ったが、女魔術師については何も禁止されていなかったしな」
師匠の贈り物だ、大切にしろよと背を叩かれたアキラは、座布団に魔力を注ぎ込み損ねて床に崩れ落ちた。
「なーコウメイ、あの階段の下、何があると思う?」
「やめとけ、知らねぇほうがいいに決まってる」
うずうずしているシュウの上着を引っ張って止めたコウメイは、床に伏して動かないアキラを抱え隠し部屋を出た。階段の下は何となく予想はつくが、確かめるのは恐ろしい。
「この扉、壊して壁に作り変えてくれねぇか?」
「無理だ。すでに守りの魔術が働いている」
まさかの防護魔術が裏目に出てしまったと知ったアキラは、もう顔を上げる気力もないようだ。
「マイルズのおっさんよ、何で止めてくれなかったんだ?」
「すまん。俺が見せられた図面には最初からこの部屋が描かれていたから、てっきりコウメイが発注したのだと思っていた」
コウメイらから最初に図面を見せられていれば、ドワーフらの工事に待ったをかけられたかもしれない。契約魔術を結んでアレックスを封じたとの安心から、ミシェルの悪辣さを忘れていたコウメイらの失態である。
「冷蔵庫で塞いじまうしかねぇな」
コウメイは設置予定の冷凍と冷却のそれぞれの保存庫の設置場所を変更した。扉を大容量の冷却保存庫で封鎖し、冷凍保存庫を横に並べて壁一面を埋める。常温保存用の棚は冷凍保存庫を置く予定だった場所に変更だ。
「何もしねぇよりはマシだろ」
気安めくらいにはなるだろうと己を納得させ、彼らは隠し部屋の存在は忘れることにした。
「大至急で冷凍庫と冷蔵庫を入れてくれ。他の家具より優先して頼む」
「わかった。基盤は用意できているから、明日中には設置を終わらせよう」
施主が不満を抱えていると気づいたドワーフらは、少しでも挽回しようと職人魂を燃やし、超特急で家具を納品したのだった。
+++
シュウが迎えに行ったリンウッドと荷物が隠れ家に到着した。
結界を越え、切り拓かれた箱庭のような空間に踏み込んだリンウッドは、静かで居心地の良さそうな家を見て目を細める。
「立派な家じゃないか」
「あー、そーっすね。俺はけっこー満足してるんだけどねー」
母屋がこれだけ趣のある作りなのだ、自分の小屋もきっと居心地が良いだろうと期待が膨らんでいるところに、シュウの歯切れの悪さだ。何が不満なのかと首を惜しげながら、彼は荷車を引くシュウの後をついて家の裏に回る。
「……おい、これは、なんだ」
角を曲がろうとしたときに、彼はここにあってはならない存在の力を感じ取った。
リンウッドが指さす先を見て、シュウが困っているのか笑っているのかはっきりしない表情で首を振る。
「それ、俺ら見なかったことにしてるんで、リンウッドさんもそれでお願いしていいっすか?」
「見なかったことって、いや、しかし、アキラは気づいてるだろう?」
「だから気づいてねーってことにしてるんですって」
シュウでなければ一人で動かせないような大きな冷凍保管庫を設置して扉を封じ、その先はなかったものとして暮らしているのだと説明すると、リンウッドは外れてしまいそうなほど大きく顎を落とした。
「気づいてねーんだから、何があっても俺らに責任はねーし」
「……そ、そうだな。俺も面倒に巻き込まれたくはない。気づかなかったことにしよう」
「そーそー、知らねーのが正解だって」
シュウは小屋の前にリンウッドの荷を降ろした。彼の研究室兼寝床は、シュウの寝室よりも狭い。大きな書棚で室内を半分に区切り、入り口近くには椅子や小卓、仮眠用の長椅子を置き、奥は巨大な机だ。机の下には酒の貯蔵庫と、サクリエ草用の暗室を作ってある。
「片づけも手伝おーか?」
「壊さない自信はあるか?」
「ねーな」
後から茶と菓子を持ってくると言って、シュウは母屋に帰っていった。
荷物を書棚に収納し、酒瓶をしまい込み、長椅子の寝心地を確かめる。予想以上に過ごしやすい空間に満足したが、どうしても見なかったことにした存在が気になった。
研究机の横にある小さな窓から母屋をのぞき見る。
「……やっと静かな暮らしができると思ったんだがな」
当面は放っておいてもらいたいものだと、リンウッドは窓に布をたらして見たくない存在を隠した。
あとがき
ご長寿9章「奔放すぎる療養記」はこれにて終了です。
最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
楽しんでいただけましたでしょうか?
書きはじめたころは療養スローライフを書くつもり満々だったのですが、気がつけば色々と話が展開してしまいました。シリーズラストが見えてきたこともあり、これから先はエルフ族らも今まで以上に三人に絡んでくると思います。
ラストが見えてきましたがすぐにご長寿が終わるわけではないです。
ブログの新年のご挨拶(https://kisaraya.hatenablog.com/entry/2023/01/14/163859)にも書きましたが、予定エピソードを順調に書けているな、という感じです。
シリーズ最後までお付き合いいただけるように頑張ります。
次の10章ですが、連載予定は未定です……スミマセン。
「新しい~」の8巻が終わってからになると思います。
早くて6月後半かな……。
今回はかなり間が開いてしまって申し訳ないのですが、お時間頂けると嬉しいです。
正式に予定が決まりましたら活動報告やTwitterにてお知らせしますので、フォローいただけると嬉しいです。
それでは。
HAL
【追記】
いつも誤字報告くださる方にお礼申し上げます。
何度も見返しているはずなのに、毎回誤字が脱字衍字を発見いただいて、本当に感謝しています。
ありがとうございます。




