ナナクシャールの虹狩り
太陽が真上から少し傾いたころ、三人は森の中心である大樹に到着した。荷をおろしたマイルズは、はやるコウメイをなだめて休憩を要求する。
「ここまで強行軍だったんだ、少し休ませろ。それに打ち合わせの必要があるだろう」
ナナクシャールの森では、コウメイの威圧はシュウほど効果はなく、最短ルートを走る間に何体もの魔物と遭遇した。先手を取れる戦いばかりではなく、二度ほど不意を突かれ苦戦した。安全圏である大樹まで一直線に走り抜けながらの連戦は、経験豊富なマイルズでもなかなかにキツい強行軍だった。
それに、虹魔石探知役と指揮官の間で討伐方針は打ち合わせ済みでも、討伐実行担当のマイルズにはほとんど情報が与えられていない。どんな討伐でも情報が身を守ると信じる彼は、詳細を聞くまではここを動くつもりはないと強く主張した。
「ワシも賛成や。腹減っとるし、なんか食わしてくれへん?」
「てめぇは見てただけだろうが」
マイルズの額を流れる汗を目にしてコウメイは足を止めた。隠しているが息も少し早いようだ。本番はこれからなのだ、討伐を担当するマイルズの状態に最も気を気配らねばならないと思い出したコウメイは、ようやく冷静さを取り戻していた。
「食材を狩りに行く暇はねぇ。簡単なスープと携帯食でいいか?」
「すまない」
「おっさんが謝る筋合いじゃねぇだろ。引っ張り回してる俺が全然配慮できてねぇのが悪いんだ」
降ろしたばかりの荷から鍋と食材を取り出し、組み立て式の五徳を置いてアレックスに火を付けさせる。燃料はアレックスの、水はコウメイの魔力で作ったスープを注がれ、マイルズは引きつった笑みを見せた。
「……ほとんど魔力でできたスープとは、贅沢すぎるな」
「便利でいいだろ」
「わざわざ不便する必要あれへんやん」
マイルズの常識では、討伐において魔力は戦力だ。だが魔力が人族の平均以上にあるコウメイや、エルフのアレックスとはやはり色々な基準や感覚が違うようだ。このずれを踏まえて討伐に望まねば大怪我をしそうだとマイルズは気を引き締めた。
乾燥野菜と干し肉のスープに、堅焼きのパンを浸しながら食べる。軽く腹を満たすのと同時進行で、今回の討伐方針の打ち合わせがすすめられた。
「どういう魔物を狙うのか、目星はついているのか?」
それは自分一人でも屠れる魔物なのかとマイルズが問う。
「ワシ、ジブンがどんくらいでけるか知らんねん」
「マイルズさんは強いぜ。奈落でもヘルハウンドにうまく斬り込んでいた」
「単独では何狩ったんや?」
「奈落では何も。この森ならホブゴブリンやオーガ、吸血大蝙蝠あたりだが」
「へぇ、人族の冒険者にしてはええ腕前やん」
これなら遠慮は必要なさそうだというアレックスのつぶやきに、マイルズはアキラにもらった錬金薬と魔術玉入りの腰カバンに手を伸ばした。一人で屠ったのは事実だが、コウメイやシュウが他の魔物らを遠ざけていたから成せたことだ。本当の意味でたった一人で得た戦果ではないと繰り返したが、この糸のような目をしたエルフが理解しているかは怪しい。マイルズは心の中でアキラの差し入れが足りますようにと祈った。
「俺たちが狙うのは虹魔石を持つ魔物だけだ。それは細目が探知する」
「言うとくけど、一族が印付けたんは教えへんで」
「わかってるって。コイツが発見した魔物の討伐方法は、その場その場で検討するのでいいか?」
「基本は俺一人が戦うんだ、できる限り殺りやすい魔物を選んでもらえると助かる」
「そら無理やで。虹の感知はでけるけど魔物の探知は専門外や」
アレックスが探知できるのは虹を持っているかいないか、それだけだ。なおかつエルフのマーキングがついていれば教えない。
彼が最初に見つけたのは雷蜥蜴だ。馴染みのあるあの芋洗い状態の沼地で、アレックスは三匹の個体を指し示す。屠りやすい魔物で助かったと胸を撫で下ろしたマイルズだが、コウメイは不満そうだ。
「クズ石か……」
採取した虹魔石を巾着にしまったコウメイは、四匹目を示そうとするアレックスの後ろ首を掴んで止めた。
「貴重な枠をクズ石ばかりで消費すんな」
「えー、せやけどデカいんは印ついとるし」
だからといって三十五個すべてクズ石では割りにあわない。
「雷蜥蜴はもういい。他の場所で虹持ちを探せ」
「えー、せやったらマイルズはんがよう狩っとったいうゴブリンかオークあたりにするか? それとも魔物問わず大物狙う?」
「大物狙いだ。いいか、魔物じゃねぇぞ。虹魔石がデカいのを探すんだ」
「コウメイ、横暴すぎひん?」
アレックスは眉を吊り上げ、服の上から肌を撫でた。反応が大きければ不快な痒みも大きくなる。それを堪えて協力しているのに。
「なんやワシの扱い、雑い気ぃするんやけど。マイルズはん、どない思う?」
「いつもと変わらねぇだろ、な?」
「……」
屠った雷蜥蜴を担いだ彼は、無言の笑顔で返答を拒絶する。
コウメイのクレームに応えたアレックスが次に探知したのは、ゴブリンの死肉に群がる巨大ミミズの群れだ。その中にいる虹持ちをマイルズが引き受けたのだが、大陸の屍食いミミズより二回り以上も大きく、吐き出される溶解液の威力も段違いで苦戦を強いられた。突風の魔術玉で射出された溶解液を跳ね返し、なんとか傷口を斬り広げて勝利した。
次のヘルハウンドからも、オークの巣からも、多頭の大蛇からも、得られたのはクズ石から小魔石サイズの虹ばかりだ。なかなか中魔石以上の虹は見つからない。
虹を探知するたびに、アレックスは首を傾げていた。日が暮れ、その日の討伐に区切りを付けて大樹に戻ってからも、彼は眉間にしわを寄せて呻り続けている。
「妙や」
手に持つ雷蜥蜴の串焼きを凝視する彼の表情は険しい。
「文句があるなら食わなくていいんだぜ」
「飯のことやあれへんわ」
取りあげられそうになった串肉を慌てて口に放り込む彼に、マイルズは安全に関わる可能性があるのなら、些細なことでもいいから教えてくれと頼んだ。
「印付きがな、一個も見つからへんのや」
虹持ちの魔物を探知したアレックスは、直後にそれが一族の印が入ってはいないかをエルフ独自の力で見極めている。これまで発見した虹持ち魔物はどれも無印だった。
「前回、ぎょうさん印つけとったん覚えとるんやけど、あれドコ行ってしもたんや?」
「エルフが探してるのに気づいて逃げ出したんじゃねぇの?」
魔物は強者に敏感だというコウメイの意見に、マイルズも深く頷く。
「そないなことあるんかいな?」
首を捻るアレックスに、コウメイは白くプリッと焼きあがった雷蜥蜴肉を差し出した。パラパラと振りかけた塩とハーブの香りが、彼の鼻腔をふわりとくすぐる。
「見つけても我々に教えられないのだろう? だったら見つからないのは都合が良いのではないか?」
「だよな。手間暇が省けてよかったじゃねぇか。お代わりは?」
「もらうわ」
お代わりを差し出されたアレックスは、コウメイの目論見通りあっさりと悩みを放り捨て、二本目の串肉にかぶりついた。
「明日は島の西を中心に虹を狩ろうぜ」
「また雷蜥蜴か」
「その南側はあんまり踏み込んだことねぇからな。未発見の虹持ち魔物がいるはずだ。ちゃんと見つけろよアレックス」
「わかっとるがな。けどあのへん、食える魔物少ないんやで」
「……てめぇ、何を狩りに行くか、わかってねぇだろ?」
「ちょっとした冗談やのに。アキラが慰めてくれへんからて、そないカッカせんとって」
「陰険細目野郎、死にてぇのか?」
マイルズは二人の間に割って入り、アレックスの喉元を狙うコウメイの手を掴んだ。
「食事に使うものを武器にするんじゃない。もったいないだろう」
突きつけられた串は、彼の剣と同じ魔物素材だ。ちょっと手が滑っただけでもエルフの首から血が噴き出しかねず、そうなればせっかくの虹集めも中止だ。
「二人とも、仲良くしろとは言わないが、あと二十六個分だ。早く終わらせないと、暴牛の面倒を見させられる連中が可哀想だぞ」
明日の船便で生け捕りされた暴牛が到着する予定だ。本当に生きたまま暴牛が届けられれば、受け取るアキラは途方に暮れるだろう。
「せやったわ。極上ソースで暴牛を食べるんやった、はよ終わらせて戻らな」
「アキもシュウも捌けねぇから放し飼いだろうな……餌の心配はねぇけど」
早く帰らねばという一点でだけ意思の疎通が図られた結果、翌日ははやる二人に食いついて森を走り回ることになったマイルズだ。
結局彼らは三日を待たずして三十五個の虹魔石を手に入れ、仲間の元に戻ったのだった。
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定期船は小さな船を牽引して港に入った。強張った顔で船を下りた船頭は、積荷を降ろし、牽引用のロープと納品書を押し付けて早々に港を去っていった。
「船ごと置いてくのかよー」
「暴牛だけ置いて行かれても困るだけだろ」
納品兼請求書にはしっかりと船一艘の購入費と檻の増設費も記されている。額面を見て顔を強張らせたアキラだが、請求先がアレックスになっているのを確かめると表情が安堵にゆるんだ。
「しかし、これをどうするかな」
アキラは激しく揺れる船を振り返った。増設された檻を破ってやろうと角が激しく打ちつけられている。ガンガンと激しい音と、ギシギシと不気味な音、そしてブオォォと怒りの声が騒がしい。このままでは遠からず転覆間違いなしだが、島に降ろすのも躊躇われた。
「檻ごと降ろせると思いますか?」
「……船体に固定されているから無理だな」
他の積荷を運び終えたリンウッドは、檻の作りを確かめて動かせないと断言した。
「もうこのままにしておいたらどうだ」
「転覆したら溺死ですよ、それはちょっと……」
「溺れ死んだ暴牛って、美味いのかなー?」
食べるために殺すのであっても、苦しめるのは可哀想だと気が進まないアキラだ。シュウは塩漬けの下味ができて美味くなるかもしれないと迷っている。
「勝手に味付けしたらコウメイが怒るぞ」
「なんか手の込んだソースも作るって言ってたし、邪魔しちゃわりーよな」
「どこかに鉄檻を作れないか?」
「ロビンさんに頼めば……いや、今は改装工事で忙しかったか」
ミシェルの注文はかなり細かく手のかかるものだったらしく、ドワーフ職人らは本職ではないロビンまで駆り出して工事を進めていた。持ち込まれた武器の修繕が疎かになるのではと心配する冒険者らだが、ドワーフ族に文句を言えるはずもなく、苦情がギルドに寄せられているくらいだ。
「木の柵なら俺でも作れるけど?」
「一撃で突き壊されるのは確実だぞ」
アキラの視線の先には、頭突きと角攻撃で歪み広がりつつある鉄柵があった。このままでは数鐘後には破られているに違いない。
「ロープで繋いどくのはどーだ?」
「あっという間に引きちぎられて終わりだな」
たとえ鉄の鎖であっても簡単に破られてしまうだろう。
「もうさー、放し飼いでいいんじゃねーの?」
「森に逃げ込まれたらどうするんだ。連れ戻すのは不可能だぞ」
捕まえる前に魔物に捕食されてしまう。
「結界で弾くとかさ、どうにかできねーのかよ?」
二人の視線を受けたリンウッドは、気が向かないというように首の後ろを掻く。
「暴牛に魔術を仕込んだ首輪を付ければ可能だが……誰が首輪を付けるんだ?」
リンウッドに見返され、アキラがさも当然というようにシュウの肩を叩く。
「俺しかいねーよな、うん」
「首輪を用意してこよう……」
「手伝えシュウ、足場の良い場所に船を牽引するぞ」
失敗したときのことを考え、船は港から浜へと移された。砂浜に乗り上げて揺れが軽減されると、暴牛の足腰も安定したのか、鉄檻への攻撃が一段と激しくなっている。
「急げ、もう船体が保たないぞ。一度で成功させろよ」
「捕まえるのは難しくねーんだよなー。その後の力加減がなー」
かつて暴牛の生け捕りの依頼を何度も失敗したことのあるシュウだ。あれ以来生け捕りの経験はない。
「失敗しても解体すりゃダイジョーブだよな?」
「シュウは手を出すなよ。リンウッドさん、もしものときは手伝いよろしくお願いします」
肉を切るのは慣れているが、人体と暴牛では勝手が違うとブツブツ言うリンウッドを笑顔で丸め込んだアキラは、崩壊寸前の船の周囲に風の壁を作った。万が一にもシュウが暴牛を捕り逃がし、首輪なしに島に放たれたら損害は計り知れない。
「細目の苦情なんか聞きたくないぞ」
「ワシの肉を逃がしたーって、うるさそーだし」
二人は暴牛の生け捕り作戦を開始した。
ドスン、ガタンと振動する檻に近づいたシュウは、いつも討伐でしているように暴牛を威圧する。これで大人しくなると思ったのだが、ナナクシャールの魔物を相手に鍛えた威圧は、大陸生まれの暴牛の耐えうる限界を越えていた。過ぎた恐怖は思わぬ力をもたらすものだ。シュウに脅された暴牛は恐怖に身を竦ませるのではなく、生存本能を爆発させた。
命を賭けた一撃で鉄格子を破ったのだ。
「あーっ!!」
ちぎれて飛んでくる鉄棒と暴牛の怒りの突進を真正面から受けたシュウは、砂に足を取られてバランスを崩す。角で腹に穴を開けられてはたまるものかと両手で掴んで耐えたが、その際に首輪が手から落ちた。
「シュウ、そのまま絶対に離すんじゃないぞ」
座布団を滑らせて首輪を拾ったアキラは、暴牛の首にはめようと挑戦したが、激しく暴れる後ろ足によって座布団ごと蹴り飛ばされそうになっていた。
「はーやーくー! また薬増量したくねーっ」
「ええい、一か八かだっ」
アキラはパチンと指を鳴らした。
すると暴牛の鼻が大きく震え、口が開いて頭を振りはじめる。
すぐにシュウを圧していた力が消え、前足を突いて苦しげに喘ぎはじめた。
「呼吸を邪魔している、今のうちに!」
アキラが投げ渡した首輪を受け取ったシュウは、素早く牛の首にはめた。
「離れろっ」
その声と同時にアキラは呼吸阻害をやめる。
暴牛が弱っていたのは一瞬だった。
それまでの怒りを爆発させた暴牛は、首輪を装着できて気の緩んだシュウの隙を突き、二度と拘束されてはなるものかと砂を蹴散らしながら逃げた。
「おい、向こうには冒険者の宿舎があるぞ」
「あ……」
「ま、ダイジョーブなんじゃねーかな?」
ナナクシャール島に派遣されてきている冒険者らはみな腕利きばかりだ。森の魔物らには手こずっているが、大陸の魔獣なら苦戦はしないだろう。
「いや、勝手に討伐されたらマズイだろう。あいつらなら捌いて食うぞ?」
リンウッドの指摘に、狩った者勝ちの冒険者ルールを思い出した二人は、深々とため息をついた。
「……シュウ、捕まえてきてくれ」
「りょーかい。早くコーメイ、戻ってこねーかなー」
アキラに渡されたロープを肩に掛けたシュウは、暴牛の足跡を追って走り出す。
シュウの背を見送り、座布団に座り直して移動しようとしたアキラを、リンウッドが呼び止める。
「何処に行く?」
「森で飼葉を調達してきます」
「……飼うつもりか」
「コウメイが帰ってくるまでは捌かないほうがいいと思うので。リンウッドさん、庭に柵を作っておいてもらえますか?」
「飼うんだな」
「俺にはコウメイが本当にあの暴牛を捌くところから調理するのか、届いた一頭分の肉で料理するのか、判断がつかないんですよ」
「……まて、肉は別に届いているのか?」
アキラは困り顔のまま小さく頷いた。定期船で届いた荷物の中には、暴牛一頭分の処理肉があった。筆圧の高い文字でネイトのサインがあったから間違いではない。生け捕り暴牛はおそらく彼のアレックスに対する嫌がらせだ。
「アレックスも嫌われてますねぇ」
「好いてるヤツは見たことねぇな」
「……ミシェルさんは?」
首を傾げたアキラに、リンウッドは幼子を見るような目を向ける。
「あいつが一番、アレックスを嫌ってるじゃないか」
色のない仮面のような笑みを浮かべて呟いたリンウッドに、アキラは言葉を返せなかった。
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ローストビーフのお裾分けを条件にロビンの協力を得て、リンウッドの診療所の裏庭に立派な飼育柵ができあがった。昼下がりに頼んだのだが夕暮れ前に完成していたのには驚いた。コウメイの料理の価値が高騰しすぎていて少し不安になる。
「ドワーフの連中の食欲を思えば、ペットでいる期間は短そうだな」
アキラの呟きを理解したのか、捕えられた暴牛は何度となく脱走を試みたが、鉱族特製の飼育柵は頑強でびくともしなかった。
そして翌日、予定よりも早く三人が討伐から帰還した。
「おー、届いとるやん、ワシの肉!」
「支払いは期日までにお願いします」
アキラはネイトからの請求額に加え、ロビンらに手伝ってもらった経費を上乗せした請求書を押し付けた。
「本当に生きたまま送ってきやがったのかよ」
「捕まえるの、ほんっとーに大変だったんだぜー」
シュウはコウメイの襟を掴み、生け捕りの難しさを懇々と訴える。だから美味い部位を優先して食わせろと囁くことも忘れなかった。
「……ネイト殿も苦労しているのだな」
「嫌がらせは本人に向けて直接してもらいたいものだ」
現状、アレックスではなくその周りが最も損害を被っている。細目の近くにいるといつも巻き込まれるとため息をつくリンウッドを、マイルズは実感のこもった頷きとともに、励ますようにその肩を叩いた。




