胸躍る討伐
魔核から出現したのは八岐大蛇だった。間近で見た大蛇を奪い合う魔物らの戦いは、眠気が吹き飛ぶ迫力だ。シュウは身振り手振りでヘルハウンドに声援を送り、コウメイは魔物らの戦いを食い入るように観察し、アキラはリズムを取るように指で杖を叩いている。
「あー、やっぱ鎧竜が優勢かー」
「硬さは防御に直結しているからな」
「ホブが残ってくれたら楽だったのに、やっぱり無理だったか」
コウメイが差し出した手に、シュウは悔しそうに小銀貨を一枚投げ渡した。
魔物大乱闘は最初にホブゴブリンらがヘルハウンドに噛み殺され、鎧竜の尾に打ち潰された。俊敏さに勝るヘルハウンドは炎を吐き、牙を立て、爪を引いて手数勝負で鎧竜に挑んだが、表皮をズタボロにできてもその下の鎧骨には歯が立たなかった。
「どーする? 八岐大蛇との対決が終わるまで待つ?」
「おっさんは鎧竜と八頭の大蛇と、どっちと戦いてぇ?」
「俺は見物していたいぞ」
新たな小銀貨を賭ける二人に呆れつつ、マイルズも一枚を鎧竜に置く。
目的のヒュドラではなかったのだから休息に戻ればいいのにと渋い顔をするアキラも小銀貨を懐から取り出している。
「お、アキは八岐大蛇か」
「鎧竜の硬さに蛇が太刀打ちできるわけねーだろ?」
「柔能制剛だ」
「ジューノーセイゴー?」
「柔よく剛を制する、聞いたことあるだろ。状況はちょっと意味は違うが……アリだな」
コウメイが小銀貨の置き場を八岐大蛇側へ移動させる。
二対二にわかれた彼らは、はじまったばかりの八岐大蛇と鎧竜の戦いに向き直った。
「シュウ、大人しく座って見ていろ」
「えー、目の前であんなスゲー戦い見たら、身体動かしたくならねー?」
「見張り番で居眠りしない自信があるなら討伐してもいいぞ」
「……見物が終わったら寝まーす」
剣を手に立ち上がっていたシュウは、冷ややかなアキラの声で再び焚き火の前に腰をおろした。鎧竜と八岐大蛇の戦いは、大蛇がその首と太い胴を使って鎧竜の関節や首を絞め殺して終わり、コウメイとアキラの懐に小銀貨が増えた。地味で長い戦いを欠伸を噛み殺して見届けたシュウはそのままふて寝し、マイルズは興味深かったと満足して横になった。
「朝一番の仕事は鎧竜の死骸回収だな」
コウメイとアキラが見守るなか、八岐大蛇はホブゴブリンやヘルハウンドの死骸を喰って腹を満たし、悠然と森の向こうへと消えた。鎧竜の死骸は硬くて不味いと見向きもしなかった。
「魔石もいくつか残っているし、濡れ手で粟ってとこか」
「どうやって持ち帰るんだ?」
ヒュドラの運搬ですら悩ましいのに、乗用車サイズの鎧竜などとても無理だと顔をしかめるアキラに、コウメイはニッコリと笑って返す。
「運搬革命、起こすんだろ?」
「マイルズさんの狙っている剣竜の素材もあるのに……マントに載せきれるのか?」
交代時間になるまで、アキラは最も布面積の多いシュウのマントをどう改造するかに頭を悩ませたのだった。
+
コウメイらと交代したシュウとマイルズが見張りをはじめてすぐ、血の臭いに誘われた銀狼の群れや、死肉食いの巨大ミミズらが魔核に集まってきた。
「見ているだけだぞ」
「わかってるって」
「だったら剣から手を離したらどうなんだ?」
マイルズに指摘され、シュウはニヘラと誤魔化し笑いを浮かべて剣を地面に置く。ため息をつくマイルズは、これではどちらの監視をしているのかわからないと恨めしげに横たわったコウメイの背中を睨んだ。
二人が監視を続ける間も魔物らは争い続けていたが、魔核が力を持つことはなかった。
夜が明け、木々の隙間から朝日が差し込む。
「いつになったらヒュドラは出てくんだよー?」
干し肉とクッキーバー、新鮮な薬草ジュースの朝食をとりながら、シュウは反応のない魔核の観察を続けていた。
「次は数日後か、長ければ十数日後だと思うぞ」
「えー、なんですぐ湧かねーんだよ?」
「スタンピードじゃねぇんだ、そんなにポンポン出現するわけねぇって」
「大蛇系の魔核なのは確かめられたのだし、ここから生じたヒュドラは周辺に潜んでいるはずだ。今日はそれを探すぞ」
木漏れる朝日をバックに戦うオーガとヘルハウンドを見物しながら朝食を終えた四人は、戦いの終わりを見届けてから結界を出た。傷を負ったヘルハウンドにとどめを刺し、魔核の周囲に散らばる魔石や素材の破片を集め、どの魔物も口をつけなかった鎧竜の死骸を結界魔石の内側に引きずり入れる。
「立派な毛皮だ。もったいない気がするが……」
「鎧竜のほうが高く売れるから我慢してくれよ」
価値を損なうように刃を入れられ、魔核を取り出したあとはそのまま捨て置かれるヘルハウンドの皮を惜しむマイルズだが、コウメイの指示に逆らうつもりはない。奈落での生き残り方を知る彼らに従うことが生きて戻るために必要な選択だ。
討伐準備を整えた四人は、結界を出てヒュドラ探しをはじめた。踏み荒らされた魔核周辺を検分したアキラは、残念そうにため息をつく。
「これだけ踏み散らされていると、ヒュドラの足跡……腹跡? はとても見わけられそうにない」
蛇とはいえ巨大な胴体が地面を擦って移動するのだから、それらしい痕跡は必ず見つかるはずと、彼らは探索範囲を広げた。
「なー、ヒュドラも蛇なんだろ? ヤマタノオロチと何が違うんだよ?」
「頭が一個多いのと、足がある。あとは蘇生能力と毒の強さが格段に違う」
「ヒュドラは主格以外の首をいくら落としても、すぐに再生するから厄介なんだよ」
頭部は九つあるが、それらが独立した意思を持っているのではなく、主格となる頭が他の八つを支配している。司令頭を破壊すれば他の首は恐れるに足らないのだが、今回はそう簡単にはゆかない都合がある。
「ボス頭を倒せばいーのか。見わけられるんなら簡単じゃねーか」
「見わけるのは難しいし、血を無駄に流すなって条件ついてるんだぜ、簡単なわけねぇだろ」
「あ、そーだった。スパッとやれれば早えーのに、どーすんだ?」
「それなんだよなぁ」
「司令首を折れば息の根も止まると思うが、獣人の力を使わずにやれるか?」
アキラに問われたシュウは、難しいかも、と首を捻った。双頭や三頭の大蛇なら素手で戦い勝利した経験はあるが、さすがに八岐大蛇の首は太すぎて力任せではどうにもならなかった。頭が九つもあるのだから、八岐大蛇より小さいはずはない。
「まだヒュドラと戦ったことねーからなー。太さとか硬さとか、実際に見てみねーと」
「発見してから方針を決めるしかないか。折れそうになければ、斬るしかない」
切断直後にスライム布で患部を覆ってしまえば、大地に血を無駄に吸わせることにはならないだろう。
雑談のように討伐方針を話し合いながらも探索に神経を傾けていたが、やはり蛇の足跡を見つけるのは困難だ。二泊三日を予定しているが、それではヒュドラは狩れそうにないと計画変更を考えはじめたとき、マイルズがアキラを呼んだ。
「ここに大蛇系魔物が通った跡がある」
「何処です?」
「ここだ。その雑草が広く踏み荒らされているところだ」
マイルズが指し示したのは、木々同士の間隔が広く雑草が元気良く生え育っているあたりだ。膝丈ほどある草むらが広範囲に不自然に荒らされていた。
「……二足歩行の足跡っぽいのとか、でけぇ肉球みたいなのは何となくわかるけど」
「俺、全然っわかんねー」
「……もしかして、この岩山のほうに向かって倒れている、これですか?」
この島の魔物討伐では教えを請うばかりだったマイルズは、森での探索はまだ教えることがあるようだと嬉しくなった。
「どれだよ?」
「草が倒れてるだけじゃねーの?」
「ここを通過した魔物の足跡を、新しい順に排除していけば見えてくるぞ」
三人は腰をかがめて足跡をじっくりと観察する。雑草の倒れている向きと折れた茎の様子から、最後に通ったのはヘルハウンドだろう。その前は種類ははっきりしないが二足歩行の魔物の群れ。その二種類の足跡をなかったものとして広く雑草を眺めると、一つの方角に向かって流れを描くように倒されている雑草群が見えてきた。
「あー、ナルホド」
「これは大蛇系みてぇだが、八岐大蛇だかヒュドラの尾だかはっきりしねぇな」
「ヒュドラの可能性は高いと思う」
「昨夜出てきたヤマタノオロチじゃねーの?」
「あれは滝のほうに向かって去っていった。方角が違うし、サイズもこの幅ほど大きくはなかった」
アキラは残された腹跡をたどって視線を走らせる。雑草は岩壁が崩れてできた岩の山に向かって倒れていた。視線で岩山の向こうだと合図を送ると、シュウが真っ先に駆け出す。コウメイはマイルズに荷を任せてアキラと共に後を追った。
「いたか?」
声を潜めた問いに、岩陰で身を隠しているシュウは警戒も露わにゆっくりと頷いて返す。二人に下がるようにと手を振り、獲物を前にした獣のように静かに岩向こうへと滑り入った。
固唾を呑んで待つ二人にマイルズが合流するのに続いて、偵察のシュウが戻ってきた。彼は手振りで岩場を離れようと伝える。
「頭が九つの、竜みてーな硬い鱗の生えた、でっけー蛇だった。足もあったぜ」
「ヒュドラで間違いねぇな」
シュウの説明によれば、ヒュドラは岩壁の一部が削れてできた洞窟の入り口を、そのでかい尻で岩洞をふさぐようにしてうずくまっていたそうだ。手負いだとシュウが断言する。
「大蛇の血っぽい匂いがしたからなー」
狼獣人の彼が嗅ぎ間違えるはずはない。何かの魔物と戦い傷を負ったヒュドラは、再生が終わるまでこの岩陰に身を隠しているのだろう。シュウに気づいていながら攻撃してこなかったということは、まだ完全に再生できていないのだろう。
「手負いなのはありがてぇが、真正面から行くしかねぇのはキツいな」
「遠距離攻撃なら先手取れるんじゃねーの?」
「どれが司令頭かわかったか?」
「わかんねーって。九つがおんなじようにこっちを睨んでたし、威嚇も揃ってたし」
戦って追い込み、それぞれの首へ指示を出す様子から判別するしか方法はなさそうだ。
「あの岩穴はどこかに抜けてはいないのか?」
島の地理を熟知しているコウメイらなら、ヒュドラの背後に回り込むルートに心当たりはないのかとマイルズが問う。
「地図くらいは作っていると思ったのだが」
「んな物作れるほど隅々まで探索したわけじゃねぇからなぁ」
「……コウメイ、行けそうだぞ」
アキラが奈落の地図が映し出された銀板を見せる。アキラの手元をのぞき込むコウメイとシュウにならい、マイルズも不思議そうに顔を寄せた。
小さな銀板の表面に現れた地図では、ヒュドラの潜む岩洞の奥は、岩の断裂が幾重にも交わってちょっとした迷路のようになっていた。入り口付近は大きいが奥は狭く、人族一人がやっとすり抜けられるくらいの広さのようだ。
「これは魔道具か? このように詳細な地図が自在に……凄いな」
銀板を見たマイルズが、これは誰が作ったのかとたずねた。空飛ぶ座布団よりも銀板の地図のほうが用途は広く、また重要だと彼は怖いくらいの真剣な顔でアキラを見据える。
「こんなものが領主や国王の手に渡ったら、大陸全土で戦がはじまるぞ」
詳細な地図は国家機密だ。それが他国に渡れば攻め入られるし、自国の王が手に入れれば容赦なく利用し尽くすだろう。懸念と焦燥に顔を曇らせるマイルズに、アキラはやさしげに微笑んだ。
「これはエルフの技術で作られた魔道具です。私はこれを誰にも譲るつもりはありませんし、万が一誰かの手に渡ったとしてもエルフ以外には使えません」
「エルフ以外に使えない、か。その言葉、信じるぞ」
苦笑いとともに誤魔化されてくれたマイルズとアキラで岩壁に入り、ヒュドラの背後から先制攻撃をかけると決まった。コウメイとシュウは支配頭を見極めるためこの場で監視だ。
海岸寄りに移動し、岩壁の裂け目から滑り入ったアキラとマイルズは、気配を殺しながらヒュドラのいる穴を目指す。
「なるほど、それほど複雑な順路ではなさそうだな」
「攻撃は私の魔法で。合間にマイルズさんからも」
「無駄な血は……ああ、再生能力があったな」
分岐のたびに銀板を挟んで顔を突き合わせ、討伐手順を確認してゆく。
「支配頭を落とすまでは再生能力は衰えませんから、遠慮なく腕試ししてください」
「俺の剣がどこまで通用するか……アキラも試すのか?」
「ええ、どの属性の魔法が効くのか情報がないので、試せる魔法はすべて試しておきたいですね」
マイルズの身体が詰まりそうな場所が何カ所かあったが、岩を削って先へと進んだ。しだいに洞窟が広くなってゆき、屈まずとも立っていられるようになったそこで魔物の気配を感じた。足を止め、魔法の火だけを先へと進めると、ヒュドラの太い尾と尻が見えた。
「……負傷したのは尾の付け根だったようですね」
すでに傷は癒えているが、尻付近の地面には血の染みこんだ跡が残っている。ヒュドラは岩洞に尻を押し込むことで外敵から負傷部位を隠し再生を待っていたようだ。
「尻は弱点なのか?」
「どうでしょう。可能性はありますね。重点的に狙ってみましょう」
尾先の届かない場所で杖を構えた彼は、まずは氷の矢で尻を攻撃した。
ヒュドラの尾が大きく揺れ、洞内の岩を激しく叩く。
魔法の矢の刺さった傷は見る見るうちに癒えて消える。
頭上にバラバラと落ちてくる石を、マイルズの剣が打ち払った。
「風刃」
鋭い風の刃が尾を深く切り裂く。
だがそれも血が吹きこぼれるよりも先に癒えてしまった。
「尻は弱点ではなさそうだぞ」
「特定の属性魔法に弱いのかもしれません」
氷と風の攻撃はあっさりと癒されてしまっている。アキラは他の属性の魔法も順番に試してゆくが、炎の矢も土の槍も、雷の剣も水の刃も、ヒュドラの尻に致命傷を与えられなかった。
「ヤツは何故逃げようとしない?」
「正面でコウメイとシュウが睨みを利かせているからでしょうね」
暴れ出したのは尻と尾だけではないだろう。九つの頭部も彼らと戦っているはずだ。
「支配の頭部を見わけてくれれば早く終わるのですが……」
「まだ見つけられていないようだな」
激しく打ち暴れる尾を避けて肉薄したマイルズの剣が、ヒュドラの表皮に何度も線を描いたが、やはりみるみるうちに消されてしまう。有名な剣匠の手による名剣とマイルズの剣技の腕があってもその程度にしかならない。コウメイらが支配頭を落としてくれなければ、このままでは崩れ落ちる岩に埋められてしまうぞと、彼はアキラに判断を迫った。
「一旦引くか?」
「……あと一つ、試したいことがあります」
支配の首を落とさずとも再生能力を低下させる攻撃方法があるはずだ。アキラは必死に考えた。奈落に生息するような上位種の魔物には、魔法で攻撃するものも多い。ヒュドラを窮地に追い込んだ魔物がわかれば、有効な攻撃方法もわかるのだが。
「魔法を使うのはヘルハウンドにサイクロブス、雷竜に」
「大蛇系の毒は?」
「ヒュドラ自身が大蛇系ですから、同類の毒で致命傷を負うとは思えません」
魔法だけではない、もっと別の要因があるはずだと、アキラは奈落に生息する魔物らを思い浮かべる。
「ヒュドラに当り負けしない巨体で、背後を取れる素早さか押さえ込める力のある魔物……」
おそらく物理と魔法の同時攻撃が有効なのだと思うが、どの属性魔法なのかがわからない。ヒュドラの尾が岩壁や天井を叩き壊しており、片っ端から試す猶予はなかった。
「ヒュドラは火を吐く魔物だろう? 水か氷に弱いんじゃないのか?」
「……ヘルハウンドには冷気を吐くものもいましたね」
マイルズの言葉に、アキラは剣を抜いた。先ほどの氷の矢が効かなかったのは、魔力量が足りなかったからだろう。細剣にたっぷりと氷の魔力を注ぎ込みマイルズに渡す。
「これは、コウメイと同じ剣か?」
「全く同じではありませんよ。私の魔力をたっぷり詰め込んでいます。これをヒュドラの尻に刺してください」
できるだけ深く、と注文を付けられたマイルズは、まるで針のような細い剣を振って手に馴染ませる。
「尾の牽制を頼むぞ」
マイルズが飛び出すのと同時に、アキラが風刃を放った。
襲いかかる尾を風刃が打ち払ってマイルズを守る。
太くどっしりとした尻に肉薄したマイルズは、細剣の先で狙いを定めた。
「力任せでは折ってしまいそうだ」
普段とは異なる細くて頼りない剣を、マイルズは尾の付け根に押しあて、尻の動きが止まった瞬間に深々と差し入れた。
「凍れ!」
剣先がヒュドラに埋め込まれるのと同時に、アキラが剣に注ぎ込んだ魔力を解放する。
濁った高音の叫びとともに、ヒュドラの全身が激しく震えた。
岩壁が軋み、まるで豪雨のように天井から石が降ってくる。
ヒュドラは重い尻を引きずるようにして岩洞から這い出ようとしていた。
「こっちだ!」
マイルズに担がれて外に出るさいに確かめると、剣は狂ったように暴れる尾の根元に深々と突き刺さっていた。そこを中心にヒュドラの表皮が凍っている。再生能力が働いているようには見えなかった。
ヒュドラを追って岩洞を出て、九つの首を相手に駆け回る二人と合流する。
「支配頭はわかったのか?」
「やっと見極めたところだったんだが」
「攻撃寸前にヒュドラが大暴れして吹き飛ばされた。アキラのせーかよっ!」
最悪のタイミングだったと責められたアキラはそろりと視線を逸らす。
「……それで、どの首だ?」
同時に複数の首が彼らを襲う。牙を打ち返し、炎の息から逃れながら、彼らは陣形を整えた。
「左の端にあるヒョロッと細ぇヤツだ」
「真ん中のデカくて立派な首じゃないのか?」
「あー、アレ、ただの脳筋」
シュウに脳筋と揶揄されたのは、胴体の大きさに相応しい太くて立派な首だ。他の首よりも一回り以上も逞しく、むき出しにして脅すように向けてくる牙も大きくて鋭い。
「根拠は?」
「バカだからに決まってんだろー」
「炎を吐くタイミングが他の首とズレるんだよ。デカすぎて制御が上手くいってねぇんだろ。あとヒョロい首を狙うと他の首が必ず庇う」
他の首はどれだけ攻撃されてもかばい合うことはないのに、あの一見弱そうな首に向けられた攻撃はすべて他の首が代わって受けるのだ。
「代わりに斬り落とされた首が、あーっという間に再生してたぜ」
「ヒョロ首の傷もすぐに癒えたが、胴体と切り離されたら再生は難しいだろうぜ。ヒュドラの再生能力ってのは、蜥蜴の尻尾と同じじゃねぇかな」
蜥蜴は尻尾を失っても再生されるが、尻尾から身体は再生されない。
「それって頭が生きてたら、身体が再生されるってことかよー」
「さすがにそれは無理……だろう?」
とにかく倒すには支配首を切断するのが一番早いのは間違いない。
アキラはコウメイの剣に氷の魔力をたっぷりと注ぎ込む。
「俺とマイルズさんでヒュドラの注意を引く。コウメイは支配首だ。剣に詰め込んだ魔力を全部放出しながら斬ってくれ」
頭部と胴体部分のどちらにも再生能力が働かないよう凍りつかせる。打ち落とした首はコウメイが確保し、シュウは胴体を押しとどめる役割だ。
「獣人の力はできるだけ使わないように、岩と洞窟を上手く使って動きを止めてくれ」
指示を出す頭がなくなれば、討伐もそれほど長くはかからないだろう。
「じゃあ、はじめるぞ」
座布団を空高くに持ちあげたアキラは、ヒュドラの頭上から雨のように氷の矢を降らせた。他よりも一回り細い首を庇うように、複数の首が氷の矢に向かって動く。
地上ではマイルズとシュウが脳筋首に攻撃を加えていた。魔法攻撃と物理攻撃の連続で混乱した脳筋首は、ヒョロ首を守る行動には移らず、アキラに噛みつこうと首を空へと伸ばす。届かないとわかった途端、脳筋の口から炎が吹き出した。
炎の息をひらりひらりとかわしたアキラは、支配首の注意も引きつけるべく氷の矢を撃ち続ける。地上と空からの攻撃を受け、ヒュドラは息を潜めるコウメイの存在を忘れた。
挑発するように鼻先をかすめては逃れるアキラを、脳筋頭は躍起になって追い続ける。それにつられたいくつかの首が支配首の制御に抗うように脳筋頭と同じ動きを取りはじめていた。
「ヒュドラの頭どもの中で下剋上でも起きてるのかもな」
支配首が脳筋頭を攻撃するように仰いだ。
その隙を活かせとばかりにアキラが氷の矢を撃ち、支配頭の意識を引きつけた。
「コーメイ!」
シュウが膝を突き背を向ける。
数歩の助走からシュウの肩を蹴り、コウメイが跳んだ。
「斬れてくれよ!!」
自分の魔力でアキラの魔力を押し出しながら、大きく剣を振るう。
鱗を砕き、皮を破り、肉を切る。
硬い骨が剣を受け止めた。
「再生させてたまるかよっ!」
腰を捻って剣を引き抜いたコウメイは、自身の落下の力を剣に載せ、もう一度骨を打つ。
氷の魔法によって脆くなった骨が、コウメイの一撃で砕かれた。
「シュウ、受け止めろ!」
「え、え、どっちをー?」
コウメイとヒュドラの首と、どちらを受け止めればとオロオロするシュウは、ヒュドラの首に足を向けかけて氷の矢に阻まれた。
「迷うなっ」
「ごめーん!!」
シュウのサポートで無事に着地したコウメイは、用意していたスライム布に支配首の頭部を包み、いまだ暴れている胴体から遠ざけた。
アキラの凍結魔法が効いているせいか、頭部から身体が再生される兆候は見られないし、胴体側の首も凍り固まっており、出血もほとんどないようだ。
「頭部にそれぞれ脳みそはあるようだが、やはり主格を失うと統率が取れないな」
「このまま息の根を止めるには、やっぱり心臓しかねぇよな?」
「ヒュドラの心臓の場所はわかっているのか?」
「多頭の蛇なら知ってるけど、ヒュドラだからなぁ」
一か八かで試して外れたら目も当てられなくなる。シュウがヒュドラのてんでバラバラな攻撃を引き受けている間に、コウメイとマイルズはとどめの刺し方を探っていた。
「アキラの魔法で心臓を凍らせられないか?」
「アキー、できるか?」
「全身を凍らせるなら可能だが、心臓だけとなると……」
頭上からの返事は珍しく自信なさげだ。
「心臓にだけ魔法を届ける方法がわからない」
「そりゃそうだな」
「もういっそのこと、丸ごと凍らしちまえば良くねぇか?」
乱暴なコウメイの提案にマイルズは耳を疑った。だがアキラは乗り気らしくミノタウロスの杖を構えなおしている。
「凍らせても死ぬかどうかはわからないぞ?」
「生きたまま持って帰るなとは言われてねぇから大丈夫だろ」
二人の会話を聞いたマイルズは、本当にそれでいいのかと頭を抱えた。彼らを監督するミシェルの凄さを改めて思い知る。もしケギーテのギルド長を続けており、コウメイやアキラを抱え込んでいたとしたら、彼らを持て余していたに違いない。
「シュウ、五秒でいい、ヒュドラを固定してくれ」
「おー、やっていーのか?」
「薬草が増量にならない程度にだ」
「それ無理だろー」
泣き言を叫んだシュウだが、その顔は久しぶりの開放感に輝いていた。鉢巻きごとサークレットを取り外し、さっそくヒュドラに向かってゆく。
耳飾りを外したアキラはさらに上空へ、ヒュドラの眼が追えないほど高くまでのぼる。そこから合図の雷を落とすのと同時にヒュドラの背後へと急降下した。
狼頭のシュウがヒュドラの首を束にして押さえ込んでいる。
コウメイとマイルズが残る頭部の注意を引きつけた。
「凍結っ」
ヒュドラの腰に突っ込んだアキラは、ありったけの魔力を注ぎ込んだ杖を叩きつけた。
「シュウ、離れろ。一緒に氷漬けになるぞ!!」
九頭の魔物が凍りついたのは、シュウが飛び退いた一瞬の後だった。
座布団ごと地面に転がり落ちたアキラは、震える手で魔力回復薬を口に運んでいる。
「ひー、あっぶねーっ」
「ア、アキラ、これはちょっとやり過ぎじゃないのか?」
「どの程度で凍るのかわからなかったので、全力を出してみたのですが」
「……火山じゃないんだから」
「カチンコチンじゃねぇか。これ運搬の振動で砕けたりしねぇよな?」
回避が遅ければ自分も一緒に氷漬けだったのかと冷や汗をかくシュウ。マイルズは呆然としたまま「やりすぎだ」「思い切りすぎだ」と繰り返している。地面に座ったままのアキラに手を貸すコウメイは、持ち帰るまでが仕事だとぼやいた。
魔力が回復し、ゆっくりと身体を起こしたアキラは、笑顔を固めたまま無言で視線を逸らせた。




