2 依頼
翌朝、宿で食事を済ませ再び冒険者ギルドを訪れた三人は、ご機嫌な様子のポリーに迎え入れられた。
「お待ちしていました。ギルド長からこれを預かってます」
差し出されたのは分厚い革表紙の本だ。表紙には八とだけ書かれている。
「これはギルドの記録簿なので貸し出しはできません。閲覧でお願いします、だそうよ」
「ギルド長は仕事中か?」
「今夜の食材を調達しに行きました。魔猪を狩ってくるそうです」
酒場の主人を兼任しているとはいえ、冒険者ギルドのギルド長が直々に食材調達に出るとは驚きだ。
「ここは冒険者から肉は買い取らないのか?」
「買い取ってますよ。絶賛買取中です。でもあまり持ち込んでもらえないんですよね」
受付窓口の背後にある壁には、魔獣肉の買取価格表が貼られていた。角ウサギや魔猪、魔鹿といった定番の肉から、北の山の頂上付近に生息する岩鳥と羽蜥蜴の名前まである。
「冒険者の大半がこの町の出身者なんですよ。だから皆さん獲物の肉は自宅に持ち帰って家族で食べてしまうので、ギルドに持ち込まれるのは魔石や皮素材ばかりなんです」
「じゃあ俺らが肉を持ち込んでも大丈夫か?」
「もちろんですよ、肉の量が多ければ町の飯屋と酒場にも卸せますからね、大歓迎です」
身を乗り出して「肉をよろしく」と繰り返す彼女を押し離しながら、機会があればと曖昧に返したコウメイだった。
「酒場のテーブルを借りてもよろしいでしょうか?」
渡された記録簿は十センチほどの厚みがありずっしりと重い。三人で打ち合わせもしたいので椅子と机を借りたいと申し出たアキラに、彼女はわざわざテーブル席に案内してくれた。
コウメイたちを見張っていろと命じられているのかもしれない。田舎の町は余所者に対する警戒心が強い。特に流れてきた冒険者は厄介事を抱えている者が多く、安易に受け入れると町に犯罪者を招き入れることになりかねないからだ。
「みなさんはどうしてウォルク村の事を調べるんですか?」
推察を裏付けるように、椅子に座り記録簿を読もうとした三人に、彼女は率直に問いかけた。
「あの村の事は町では誰も話題にしないのに、いったい誰から聞いたんですか?」
一夜にして謎の滅び方をした村の事なんて、好奇心旺盛な者にとっては積極的に追求したい出来事だが、町にはウォルク村の話題を口にする者はいない。過去の出来事だからというだけでなく、最後の元住人が亡くなってからは存在すら忘れようとしているかのように、当時を知る者はみな口を閉ざしている。事件の後に生まれた住民にはウォルク村の名前すら知らない者も多いのだ。ギルドでも村に関して提供する情報は制限されていたし、ポリー自身も自分が説明する以上のことは知らない。
余所からやってきた冒険者を警戒し見極めるのは、ギルド職員であるポリーの仕事だ。十五の年から受付に座り多くの冒険者を見てきた彼女は、自分の目には自信があった。だが人懐っこい笑顔の逞しい青年も、眼帯の精悍な青年も、流れるような銀髪が眩しい美青年も、非常に目立ってはいるが犯罪者には見えない。けれどその目的は疑う余地がありすぎた。
「お節介かもしれませんけど、町でウォルク村の名前を出すと、お年寄りたちは凄く嫌がりますから注意してくださいね」
ポリーの忠告に三人は表情を曇らせた。シュウが「なんだよ、それー」と呻いている陰でコウメイが視線でGOサインを出し、頷いたアキラが小首を傾げて職員を見つめ。
「それは困りました、実は彼の祖母が村の出身らしいんです」
と言ってシュウを指し示した。
それまでは冷ややかな表情を崩していなかった美形に、憂いの浮かぶ瞳で見つめられた彼女は、ほんのり頬を染めてアキラの言葉に耳を傾けた。
「彼の祖母は駆け落ち同然にウォルク村を出ていて、それ以来親族とは連絡を取り合っていなかったのですが、先月、急に体調を崩してしまって……」
アキラのアドリブが理解できず、間抜けな顔で口を開け「は?」「へ?」と混乱しているシュウの鳩尾に、彼女から見えない角度にコウメイの肘が鋭く突き入った。うっ、と呻いて俯いたシュウの目尻に、うっすらと涙が浮かんだのを見たポリーは、三人の冒険者に対する印象が「祖母を思う孫息子とその仲間」へと好意的に変化していた。
「まあ、お祖母さまが……」
「なんとか祖母の親族と連絡を取りたくて村を訪ねるところだったのですが……まさか魔物に襲われて廃村になっていたなんて、残念です」
アキラが悲し気に目を伏せると、ポリーは胸を押さえて息を詰めた後「そんな事情が」と同情の目をシュウに向ける。
「村人の行方が分からないのなら、せめて村を自分たちの目で確かめたいと思うのは当然だろ?」
口を開くなとシュウの肩を押さえたコウメイが、仕上げとばかりに憂いを乗せて語りかけると、彼女から警戒の気配が完全に失せた。
「そういう事情があったんですね。たいへん失礼しました。でも……」
親族の故郷が消滅していたと悲しむシュウへの同情と、仲間を思いやる冒険者たちの友情、そしてこんな田舎では滅多にいない美形たちが失われるのは勿体ないと、ポリーは三人を引き止めにかかった。
「村の跡地へ行くつもりですか?」
「ええ、自分の目で確かめて、自らの口で祖母に語ってあげたいと彼がいうので」
「気持ちはわかるけどやめた方がいいわ。村への道はとても厳しいし、ほとんど使われてないからとても荒れていて町の住人でも迷うほどなのよ。それにあの森にはものすごく凶暴な魔物が出るの」
大物狩りを狙う冒険者ですら滅多に近づかない場所なのだ。そんな危険な場所へ向かうなんて、自殺行為だと彼女は止めた。
「大丈夫、俺らこう見えても強いんだぜ」
「場慣れだけはしていますので、心配は無用ですよ」
眼帯と銀髪にやんわりと、だがきっぱりと拒絶された彼女は、内心の落胆を押し隠して「何か用があったら声をかけてね」と笑顔を作って仕事に戻るため定位置へと戻っていった。
職員が十分に離れたのを確認してから、アキラは記録簿を開いた。パラパラとめくって目を通したが、かなり大雑把な記録簿のようだと落胆を見せた。
「この一冊で二十年分なのか……」
一年で数ページしか書き込まれていない。業務記録としたら職務怠慢としか思えない代物だ。
「コウメイ、どうだ?」
「何もねぇな、ただの本だ」
ポリーから隠れるようにして眼帯をずらし記録簿を視たコウメイは、魔術的隠蔽はないと保証した。
「なー、なんて書いてあるんだよ」
「数行しかないから自分で読んでみろ」
アキラはシュウの前に記録簿を押し出した。
・一月十三日、ウォルク村住人の救援要請に応じ冒険者を招集し討伐に出る。参加者四十二名。
・森で二十三名の村人を保護。
・村の家屋はすべて倒壊。
・銀狼よりも大きな獣の足跡を複数発見するも、魔物とは遭遇せず。
・残る二十一名の村人の亡骸は発見できず。
・二月二日、調査を打ち切る。
「たったこれだけかよ」
あまりにも簡素な箇条書きだ。救援を要請した村人の名前も、生存が確認できなかった村人の名前も、討伐に参加した冒険者の名前も、事件の詳細も、何も記録されていない。文面や文脈から読み取ろうにもその余地が全くなかった。
「町の記録も似たようなものだって言ってたし、こりゃどうにもならねぇぜ」
「やっぱ現地に行くしかねーよ」
「その前に町で聞き込みしたかったんだが、あの姉ちゃんの話しぶりだと、期待薄な感じだな」
ギルド長よりも上の世代に話を聞ければ、何かしらの情報が得られると期待していたのだ。しかし村の名前が禁句に近い扱いをされているようでは、懐柔して話を引き出すまでに相当な時間と手間がかかるに違いない。
「十二月にダッタザートに戻ることを考えたら、それほど長居はできないぞ」
アキラは田舎の閉鎖的な人々に馴染むには、年単位の時間が必要だろうと推測していた。そんなに時間をかける余裕はないのだ、十二月末にダッタザートで妹たちと過ごす、これだけは譲れない。
「あー、そーいや武術大会の申し込みっていつだっけ?」
ダッタザートにはシュウもやり残しがある、絶対に間に合うように戻りたい。
「出るのか?」
「出ねーのかよ?」
「出ねぇよ」
昨年優勝したコウメイには予選が免除されている。それを捨てるなんてもったいないし、勝負しようぜとシュウはコウメイの肩を揺すった。
「エントリーは確か十一月の初めくらいだ。間に合わせようと思ったら、十月の末にはボダルーダに居ないと間に合わないだろう」
旅程を計算したアキラは、どうするかと二人にたずねた。ペイトン発の定期馬車便は週に一便、ボダルーダまで七日間を要することを考えれば、相当余裕を見ておかなければならない。
「聞き込みパスしてウォルク村へ行こーぜ」
「そうだな、どこまでの情報が出てくるかもわからないのに、時間を無駄に費やすのはもったいねぇ」
ペイトンで得られる情報に見切りをつけた三人は、ウォルク村へ向かうことを決めたのだった。
+
「ウォルク村を含む近隣の地図はありますか?」
アキラは記録簿を返却するついでに地図の購入を申し込んだ。
「ごめんなさい、今ある地図はウォルク村が記載されていないの。村が載ってるものだとかなり古いものしかないんですけど」
「古くても結構ですよ。新しいものと古いもの、両方いただけますか」
「植物紙と板紙と、どちらにします?」
「では植物紙でお願いします」
代金は合わせて四十ダル。古い地図は倉庫を探さないとすぐに出せないというので、アキラたちはロビーに張り出されている依頼をチェックしながら待つことにした。
「農村の手伝い、薬草採取に畑を荒らす魔猪退治か。代り映えしねぇな」
「どこのギルドも似たような依頼になるのは仕方ないだろう」
「魔物討伐系はあんまりねーな」
戦い甲斐がないと口を尖らせるシュウに、アキラがため息を吐いた。
「砂漠や島は特殊な環境だぞ、あれを標準にするな」
「この町は狩猟メインで稼いでいるみたいだぜ」
「大蛇とか、ムーンベアとか出ねーかな」
「討伐対象はゴブリンと縞小熊だぜ。あとは刺ネズミか」
素材の買取一覧を見る限り、魔獣や魔物の皮の比率が高いようだ。
「護衛仕事は無いのか。目的地が同じなら一石二鳥なんだが」
ダッタザートに戻る時期にボダルーダ方向への護衛仕事があれば助かるのにと呟いたアキラに、ギルド職員が声をかけた。
「お待たせしました、古い地図です」
新旧の地図の縮尺が同じなのを確かめて、アキラは代金を支払った。
「あの、地図を購入したということは、やっぱりウォルク村へ行くんですよね?」
「そのつもりです。地図を見た感じだと、二日ほどかかりそうでしょうか?」
「町の冒険者たちでも分岐までに半日以上かかるから、初めてなら片道三日以上を見込んだ方がいいと思いますよ」
アキラの横から地図をのぞき込んだコウメイは、食料の買い足しが必要だなと呟いた。
「村へ行くのなら、依頼を一つ請けてもらえませんか?」
「ウォルク村がらみの依頼があるのですか?」
「いえ、村に向かう途中にある別の村に、荷物を運んでもらいたいんです」
彼女は腐ってもギルド職員だった。依頼となれば彼らと契約手続きを交わすことになり、個人情報を入手できる。安くて引き受け手の少ない依頼を滞りなく達成させられるなら、冒険者としても信用できるだろう。そして彼らがウォルク村へと向かうのを遅らせることができる。荷運びの途中で森の魔物の強さが分かれば、引き返してくるのではないかと期待していた。
「荷運び?」
「そんな依頼、貼ってなかったぜ」
「指名依頼なので掲示してません。いつも決まった冒険者に頼んでいるんですけど、数日前に彼が刺ネズミに刺されてケガをしてしまって」
代理を立てようにも荷が重すぎて持てる者がいない。依頼には一人分の料金しか払えないと条件がついているため、数人で分担するととても割に合わないと誰も引き受けようとしないのだ。
「明日ギルド長が酒場を閉めて運ぶ予定だったんですけど、ついでがあるならお願いしたいです」
「ついでって場所じゃねぇぜ?」
地図で目的地を確かめたコウメイは露骨に難色を示した。ウォルク村へ向かう道の途中に分岐があり、そこを東に進んだ先にマーゲイトという小さな村がある。荷物の運び先はこの村だが、ペイトンから分岐までも最短で半日、そこから東の難所を通って終点のマーゲイトまでは、地図の縮尺が正しければ丸一日はかかると予測できる。
「山道は荷馬車が入れないので、どうしても背負って運ぶしかないんです。この荷物が届かないと、マーゲイト村の人たちが飢え死にしちゃうんですよ」
荷物は大量の食料品だ。自給自足の困難な村に荷物を届けるのは善良な冒険者の使命だ。そんな風に人命を盾にされては断りづらい。
「どうする?」
「力自慢がいるから問題ない」
「おーい、どーせ俺が背負うんだろーけどよ、先に聞くくらいしろよ」
町のギルドに恩を売っておくのも悪くないだろう。三人はペイトンの冒険者ギルドに登録手続きを済ませて荷運びの依頼を請け、翌朝、マーゲイト村を目指して町を出た。
+++
「おせーよ、二人とも」
「アキ、休憩するか?」
激しく乱れる息を整えながら頷いたアキラは、ミノタウロスの杖を支えに何とか踏ん張っていた。汗をにじませたコウメイも、足を止め水分を求めて水筒に手を伸ばしている。
ペイトンの町から北の森は、町の冒険者も滅多に踏み込まないというだけあって、とても険しいものだった。滅びたとされる寒村への道は、獣道の方がよほどわかりやすいというほどに荒れ、森の奥へと続いている。
「予想以上に足場が悪いな。滑るし、草が邪魔だ」
「……キツイ」
引き受けた大量の荷はすべてシュウが背負い、アキラは少ない私物だけしか背負っていないが、それでも傾斜の続く道は厳しかった。枯葉や雑草で覆われた獣道以下のルートはとにかく歩きづらく、先頭を行くシュウのペースに合わせて歩こうとすると、アキラの体力ではとても追いつかない。
「弱っちいなー」
「体力バカと一緒にするな」
「いや、鈍ってるのは間違いないからな? いざって時に逃げることもできねぇのは困るぜ?」
「……わかってる」
手渡された水筒に口を付けたアキラは、ゆっくりと渇きを潤した。コウメイに指摘されるまでもなく、アキラは己の体力不足を嫌というほど自覚していた。ダッタザートでの引きこもり生活が長かったこと、その後の移動もすべて馬車や馬を利用し、自分の足で長距離を移動することがなかったせいだ。獣人族のシュウはまだしも、人族のコウメイが自分の荷物よりも重いものを担いで平然としているのだ、せめて足手まといにならない程度に鍛え直そうと心に決めた。
「もういいのか?」
「ああ、いける」
水筒を返され、呼吸が落ち着いたのを確認したコウメイは、ゆっくりと歩きはじめた。先頭をシュウにすると自分のペースでどんどん先に進んでしまう。合わせる自分たちに負担がかかるとの理由で殿をシュウに任せ、これまでよりも遅いペースで先に進んだ。
「ほとんど道が残ってねぇな。雑草だらけだ」
「あっちの方で獣の気配するけど、どーする?」
「荷物を増やすな。狩りたければ帰りに好きなだけ暴れてくれ」
時折あらわれる銀狼や縞小熊、大蜘蛛を散らしながら進んだ。傾斜が厳しくなってくると、踏ん張るたびに枯葉や苔で足が滑った。そのたびに転んだり滑り落ちたりして、体力が削られていく。倒木を迂回し、岩を乗り越え、起伏のある道を一日歩き進んだ頃に、ようやく地図にある分岐にたどり着いた。
「左へ進めば元ウォルク村で、右がマーゲイト村だな」
「日も暮れるし、ここで一晩過ごすとしようぜ」
コウメイの言葉を聞き、地図を見ていたアキラが真っ先に地面に腰をおろした。
「えー、俺はまだ行けるぜ?」
「……体力バカめ」
「俺らの身体が持たねぇよ」
疲労が顔に出ているのはアキラだったが、コウメイもまた慣れない悪路で足腰が重くなっていた。ましてやここから先は崖のぼりに近い難所だ、休憩する場所さえ確保できないかもしれない険道を夜通し歩くなど自殺行為だろう。シュウを無視してアキラは結界魔石で安全を確保した。コウメイが手早く火を焚き、さっさと野営の準備を整えてしまう。
「しゃあねーなー」
はやる気持ちを押さえたシュウは、荷物を降ろしてテントを張りはじめた。
「シュウ、何でもいいから食える肉狩ってきてくれ」
「一匹だぞ、ついでだからって余分な荷物を増やすようなことはするなよ」
「注文多いぜー」
野営地に選んだそこは、森と岩山の狭間のような場所だ。岩山から吹き降ろす風は、日が完全に落ちるとさらに冷たくなる。三人は焚火を囲んでマントにくるまり、角ウサギ肉の串焼きで簡単な食事をとった。
「マーゲイト村って変わってるよなー。山の上の辺鄙なとこなんだろ、何で町におりてこねーのかな」
三人が運ぶ荷物は、油に芋に数種類の野菜にハギ粉、干し肉や調味料と言った食料ばかりだ。村というのは最低限の自給自足が可能なはずだが、マーゲイトに関してはほぼ百パーセント村外に食料を依存しているらしい。
「人口は十人もいねぇつってたな」
「それ村っていえるのかよー」
「限界集落じゃないか」
「下りてこれねーってことは、ばーさんばっかの村だったりしてなー」
「じーさんばかりかもよ」
くだらない話をしながら交代で火の番を務め夜を明かした。
+
翌朝、木々の隙間から太陽の光が漏れてとどく中、テントを片付け荷物をまとめた。大きな荷を背負ったシュウは、草むらに座り込んでいるアキラを見て首を傾げた。
「アキラのヤツ、何で草食ってんだ?」
「筋肉痛だってさ。痛み止めかなんかの薬草だと思うぜ」
道草を摘んでは口に運ぶ様子を見たシュウは、ふと好奇心が湧き、アキラを真似て同じ薬草をちぎって口に放り込んでみた。
「うげぇ……まっずぅー」
コウメイが差し出した水筒を奪い取って、何度か口の中を濯ぐと、ようやく舌に感じるピリッとした苦みが消えた。
「何やってんだか」
「だってアキラが美味そーに食ってるからさー」
眉間に刻まれた深いシワ、表情も硬く口元だけをわずかに動かしているアキラを指したコウメイは呆れ顔だ。
「あれが美味そうな顔に見えるのか?」
「いや、こんだけマズかったら、もっとこう、うげーって顔しねーか?」
「悪かったな、鉄仮面で」
「うおっ」
いつの間にか草むらから戻ってきたアキラに睨まれたシュウは、驚きにバクバクする胸を押さえて飛び退いていた。
「いや、そこまで言ってねーよ、な?」
「睨むなアキ、顔にしわが残るぞ」
アキラの筋肉痛対策が終わると、三人はマーゲイト村に向けて歩き出した。
分岐から東の道を少し進むと、背の高い木々が減り、低木と大きな石が目立つようになってきた。歩幅に合わせたような窪みの続く急斜面をのぼり、最後は岩を削って作られた絶壁の狭い道を、岩肌に抱き着くようにして進んだ。
「こんな道じゃ、そりゃ誰も引き請けたがらねぇよなぁ」
「なんでこんな住みにくい場所にわざわざ村を作ったんだろう」
大岩を砕き落として作ったと思われる狭いスペースで休憩しながら、眼下に広がる深緑の森とその先に見える小さな町を眺めた。
「絶景なのは間違いないが」
「景色で飯は食えねぇよなぁ」
「獲物は多そうだぜ。あの鳥とか、丸々してて美味そーだし。あ、あっちの岩場に立派な魔鹿もいるじゃねーか」
確かにこの高地は農耕には向いていないが獲物は豊富なようだ。だが狩猟の困難さと運搬を考えれば、こんな秘境でなくとも他にいくらでも生活しやすい場所はあるだろう。村人は何を考えて留まっているのだろうとアキラがぼやいた。
「なんか山奥の村ってさ、隠れ里っぽくねー?」
野菜の詰まった荷箱が三つ、ハギ粉の袋が五つに、油の瓶が二つと乾燥食材の箱が二つ。それらの大荷物を背負っていてもシュウの足取りは軽い。
「誰が何から隠れてんだよ」
人目を避けて隠れるのは、後ろめたい何かを持つ人間しかいないぞとコウメイが笑いまじりに茶化した。
「犯罪者集団の隠れ家とか勘弁してくれ」
「政変に敗れて逃れてきた、やんごとない身分の末裔の可能性もあるな」
「それすげぇ面倒なパターンだぜ」
もしもそういう隠れ村だったなら、荷物を引き渡したら早々に立ち去ろうと話す二人に、シュウはロマンがないと嘆いた。
「隠れ里っつったら隠密だろ、忍者!」
「……ニンジャ」
「この世界に忍者なんているのかよ」
「だからロマンだよ、わかれよなー」
そんなくだらない話で気を紛らわせながら、段差の激しい登山道を登りたどり着いた目的地は、とても村とは言えないような小さな集落だった。
「遅いわよ、遅すぎるわっ。私たちが飢え死にしちゃうじゃないの」
村と呼ぶのも躊躇われるような小さな集落の入り口で、一人の少女が待ち構えていた。成長過程にある細い手足を踏ん張り、長く伸ばした黒髪を振り乱し、まだ幼さの残る目を吊り上げて、ヒステリックに叫んだ。
「よこしなさいっ」
「うおっ」
門柱の側に立っていた少女はシュウに駆け寄ると、その荷物を引きずり降ろして封を破り、箱から取り出した干し肉にかじりついた。
「うう、おいしい~」
「どうなってんだ?」
「さぁ?」
涙を流しながら干し肉をかじる少女の異様な姿を、三人は茫然と見守るしかなかった。
【補足】
武術大会 ダッタザートの冬のお祭り。昨年、剣刀部門でコウメイが優勝している。(第6部参照)
ネイト 新しい人生のはじめ方 第4部登場。白狼亭という宿屋の主人。