ミシェルの葬儀・中
執事に復帰したコウメイは忙しい。
朝は一番に起き、まだ空が暗いうちに敷地内の見回り点検だ。ほぼ毎日のように落雷でひび割れた鎧戸や焼け裂けた庭木を発見し、その側に倒れている刺客を捕縛している。今朝も一人を縛りあげた。意識が戻る前に憲兵に引き取ってもらうのだが、またかと嫌そうに顔をしかめられるのにも慣れてきた。
使用人全員がそろうのは朝食時だ。現在サットン邸で住み込みで働いているのは、ハウスメイドでありながらコウメイが来るまでは執事の仕事も引き受けていたチハル、掃除夫のレートと厨房の下働きと雑用をするハンナの夫婦、そしてコウメイの四人だ。少人数で広い館を管理し、押しかけてくる客に対処するためには、全員が複数の役目をこなさねばならなかった。
朝食を食べながらミーティングは、ほぼコウメイとチハルの報告とその日の予定のすり合わせが中心だ。使用人の数が少ないからこそ、役割分担の確認は重要になる。
「本日は書庫の片づけに専念します。昨日の魔術師の方々が散らかしたままなので」
「何も持ち出されてねぇよな?」
「防衛魔術が発動していないので大丈夫」
忘れ物をしたから、部屋を間違えた、といった言い訳で侵入されないように、使用しない部屋は全て防衛魔術付きの鍵で施錠してある。昨日も魔術鍵に引っかかった一人を邸宅から追い出した。人手が足りないせいで邸宅の防犯は魔術に頼りっぱなしだ。
「悪いが書庫の片づけは後回しにしてくれるか。午後に次期サットン男爵が見舞いにくると連絡があった。レートさんを手伝って応接室を使えるようにしてくれ」
しばらく閉鎖されていた応接室の家具には覆いが掛けられ、窓の鎧戸も閉じられたままだ。来客を通せるように整えるには、掃除夫のレート一人では手が足りないだろう。
「今まで一度も顔を出さなかったのに、何しにくるのかしら」
「それを探るのは俺の仕事だな。かかりきりになると思うから、お供の連中の監視は頼むぜ」
「魔法使いギルドからの方々はどうします?」
「両方を相手にする余裕はねぇか……面倒だが魔術師は門前払いで。強引な奴がいたら呼んでくれ、蹴り出すから」
打ち合わせが終わるとすぐにそれぞれの仕事に向かう。コウメイは粒ハギのミルクリゾットと、野菜が溶けるほど煮込んだスープ、そして砂糖と香辛料で煮たレシャのジャムを添えた香り茶とともに、ミシェルの寝室を訪問する。
死期の迫っている重病人は、コウメイの前では至極健康体だ。
「もっと食べ応えのある食事がほしいわね。角ウサギ肉のサンドイッチとか、ふわふわの卵焼きとか」
「無茶言うなよ。重病人のあんたに飯を運ぶだけでも不自然なのに、そんなもの用意したらぴんぴんしてるってバレるじゃねぇか」
近く死ぬ予定の病人は、固形物なんて食べないとたしなめられ、ミシェルは仕方なさそうにリゾットを口に運ぶ。
「あんたの甥っ子が見舞いに来るらしいぜ、どう対応する?」
「グレイグなら従甥よ。あの子、葬式までは近づかないと豪語するくらいわたくしを忌み嫌っているのに、何しにくるのかしら」
「そりゃ遺産相続を期待してのご機嫌うかがいだろ」
コウメイは壁際から椅子を寄せて枕元に置き、彼女の食事に付き合って茶を飲む。
「わたくしの腐った金など受け取るつもりはない、と常々口にしていたのに……」
「サットン本家って、平民よりも貧乏なんだろ? そんな経済状態で金はいらねぇって言い切るのかよ。えらく嫌われてるんだな」
「仕方ないわ。生まれてからずっと、父親にわたくしたち兄妹への恨み言を聞かされて育ったわけだもの」
グレイグにとって家が貧乏なのも、領地が狭くて貧しいのも、全部ミシェルら兄妹に奪われたからだと思い込んでいる。ミシェルやテレンスが魔術師として稼いだ少なくはない金は領地に送られ、サットン一族や領民の生活を支えていたというのに、従弟は彼女から受けた支援を隠し、爵位が奪われたから困窮するのだと息子に逆恨みを吹き込み続けたのだ。
貴族の体面を維持できないほど貧しい暮らしよりも、他人の金で貴族らしく暮らすことを選んだくせに、恩を仇で返すのかとコウメイは憤慨している。
「そんな奴らに財産を残したってろくなことにならねぇぜ?」
「だから魔術遺産は引き継がせたくないのよ。彼らに残すのは爵位と、それに付随するささやかな財産だけにするつもりよ」
ささやかとはいっても、田舎の領地で平穏に死ぬまで暮らせるだけの資産だ。
「それは正式に遺言にも残してあるし、公表しているのよ。葬儀にさえ出席すれば相続条件は満たすのに、わざわざやってくるなんて、何が目的なのかしら」
そんなものいくらでも想像できる。コウメイは筋の良くない借金の返済を急ぐため、ミシェルの死を早めにくるのではないかと疑っていた。だがコウメイの懸念を彼女は即座に否定する。昨年没したバルムトにも、跡を継いだグレイグにも、仕送りで返済できないほど高額な借金がないことは調べがすんでいるという。
「……コウメイ、グレイグをわたくしの部屋に通す前に、ちょっと視てもらえるかしら」
彼女の指が右目に触れる。
「何を視ればいいんだ?」
「確信はないのよ。だからとにかく視てほしいの」
魔術がらみの何かが視えたなら教えてくれ、と言ったミシェルの表情は暗く険しかった。
+
雑務を片付けている間に、魔法使いギルドの魔術師らが押しかけてきた。昨日と同じ面子が二人に、新顔が一人だ。この日の名目も見舞いだったので、ミシェルの容態が悪いと説明し、病人を心配するのなら遠慮しろと告げた。
「それならまた書庫で文献を読ませてもらいたい」
「あいにく、書庫は酷く荒らされた形跡がありまして、お客様をそのような部屋にお通しできません」
片づけが終わっていないという理由で彼らを追い返そうとするのだが、彼らは執拗に粘る。チハルが押しきられそうだというので駆けつけて後を引き受けた。
「それなら我々が片付けてやろう」
「使用人に魔術書の分類は無理だからな」
「やはり魔術書は魔術師でなければ」
「申し訳ないが、憲兵より検めが終わるまで部外者を立ち入れるなと命令されている」
荒らした本人のくせに「片付けてやろう」とは恩着せがましいにもほどがある。コウメイは少しばかり殺気を解放し、憲兵に窃盗犯と疑われたくなければ立ち去れと彼らを脅した。
魔術師らが逃げ帰った後は静かなもので、書庫の片づけと応接室の掃除がはかどった。
昼食の少し前だ、表で蹄と馬車の音が聞こえた。急かすように鳴らされる鐘の音に、コウメイは料理の手を止めて玄関に向かう。
扉を開けたそこにいたのは、赤みがかった茶髪の中年男性だった。仏頂面の彼の後ろには従僕の青年らがずらりと控えている。
「お、遅い。グレイグ・サットンだ、大伯母はいるか?」
「いらっしゃいませ、ご予定よりもずいぶんと早いお着きでしたので、お迎えができずに申し訳ありません」
コウメイの眼帯にわずかに怯んだグレイグだが、彼が人好きのする笑顔で丁寧に迎え入れると気分を良くしたようだ。コウメイは素早く彼らを観察する。
豪奢とはいえないが品の良い大きな馬車と、とてもよく手入れされた美しい馬、そして食うにも困っている者が誂えるにしては上等のフロックコート。衿からのぞくシャツは光沢のある最上級の服地だし、その仕立ても洗練されている。
金回りが良すぎるようだと、コウメイは疑念を隠してミシェルの従甥に軽く頭を下げた。
「近ごろの主人はいつも眠っておりまして。お約束の時間はお伝えしていますが、いかがなさいますか?」
まさか病人を無理に起こせとは言わないよな? と笑顔で凄むと、グレイグは不愉快そうに顔を歪めた。
「仕方ない、起きるまで待とう。案内しろ」
「ではグレイグ様には応接室へ、従僕の方々には一度お帰り頂いてよろしいでしょうか」
「従僕ではない、俺の連れだ。追い返すつもりか」
「失礼いたしました。昨日のお手紙では、お連れ様がいらっしゃると書かれておりませんでしたので。それに残り少ない日々を穏やかに過ごそうとしている病人の、それも女性の寝室に、まさか大勢の殿方が押しかけるなんて非常識はなさいませんよね? 次期男爵ともあろう方ですから、当然の良識を持ち合わせていると思っておりますよ?」
正論が良い塩梅の嫌味となって彼らを怯ませた。
「ご存じのように、この館の使用人は少なく、みなさまにくつろいで頂く準備ができておりません。お見舞いは日を改めてはいかがでしょうか」
「そ、それなら俺と、息子だけでいい。大伯母に会わせておきたいからな」
グレイグの後ろに控えていたご立派な従僕の中から、最も身なりの地味な青年が一歩前に出た。清潔で手入れのゆきとどいた衣服に身を包んでいるが、父親とは比べものにならないほど質素な衣服だ。落ちついた茶の髪に聡明そうな青い瞳。わずかな感情も隠せない父親とは異なり、息子のほうは見事に感情を消していた。
「どうぞ、こちらでお待ちください。主人の様子を確認して参ります」
他の従僕らは玄関先で追い返し、二人を応接室に招き入れた。掃除したばかりのソファに乱暴に腰をおろしたグレイグが、茶が運ばれてくる前に昼食を食わせろと嫌みったらしく要求する。
茶と菓子の準備を整えて現れたチハルに彼らの昼食の給仕も頼んで、コウメイは急ぎ応接室を出る。その際、眼帯をずらして次期男爵親子の全身を盗み視る。
「……大当たりだぜ、ミシェルさん」
慣れない香り茶を緊張した様子で口に運ぶグレイグに、後ろ首から生じた白く細い糸のように見える魔力が絡まっていた。
+
コウメイが作ろうとしていた昼食は、狂鳥肉と芋の牛乳煮と、野菜サラダ、朝焼いたパンの残りだ。それらをグレイグらに供したのだが、チハルに対し貴族をもてなすには質素すぎると嫌みったらしい文句を言い連ねたらしい。そのくせ完食したばかりかお代わりまで要求するという図々しさだ。自分たちの昼食を横取りされたチハルは、恨めしさを隠すのに苦労したと後にコウメイに愚痴った。
次期サットン男爵らに奪われた料理の代わりに、コウメイは魔猪肉とレト菜とチーズを麺にからめた一品を作り、チハルや夫妻に出した。そして自分の大盛りの皿を持ってミシェルの執務室へ報告に向かう。
「白い魔力、ねぇ」
コウメイからお裾分けをもらって昼食をとる彼女は、厄介なことになったと顔をしかめた。
「間違いないわ、それ、傀儡魔術よ」
「それって確か、強力な催眠術みてぇな魔術だったよな?」
「その程度なら強制的に解除できるけれど、首の後ろに魔力が埋め込まれていたのよね?」
「ああ、指の太さくらいの塊だった」
コウメイが自分の親指を立ててこれくらいだと示すと、ミシェルは悲しげに目を伏せる。
「……それほど太い針を埋め込まれては、もう救えないわ。グレイグは間違いなく誰かに操られているわね」
「誰だ?」
「魔術を施した者はわからないけれど、依頼主はきっと王家の誰かだわ。グレイグを使ってわたくしを探りに来たのでしょう」
「死ぬのがいつごろになりそうか、をか?」
「あの毒を盛られて三年以上も生きのびた秘密を、よ」
ほぼ同時に毒を飲んだ老執事は解毒がかなわず数日後に亡くなったのに、ミシェルは毒の進行を遅らせる程度に薬が効き、一時は爛れ変色した肌を見せつつも魔法使いギルド長の職務に就けるほどに回復していたのだ。その秘密を知ろうと画策しているに違いないとミシェルは断言した。
「アレックスの企みが表に出たのだと思うわ」
「もう毒を盛ったのかよ」
ミシェルの計画は、首謀者に同じ苦しみを味わわせるという単純明快な報復だ。アレックスが自分でやると主張したので実行役をまかせたのだが、予定ではミシェルの葬式が終わってからのはずだった。打ち合わせと違う勝手な動きをするんじゃねぇ、とコウメイはアレックスを罵る。
「厳重に保管していたはずの竜血の毒が己に盛られたのだから、大変な騒ぎになっているでしょうね。あの猛毒はいま誰の手もとにあるのか……猜疑心と恐怖で神経がすり減っているのではないかしら?」
彼女は愉快そうに目尻に小さな皺をつくる。
毒を道具として使う者は、それが己に向けて使われる可能性を否定できない。王家の誰かは最悪の事態に備え、確実な解毒手段を得たいのだろう。
「ミシェルさんが飲んだ解毒薬のレシピ、魔法使いギルドに売ったんだろ?」
「医薬師ギルドにも提供したわよ」
両ギルドはその解毒薬を秘匿しておらず、ミシェルが毒から回復したと知れ渡った直後から、各国要人から問い合わせが相次いでいた。高額で提供していた両ギルドはかなり儲けたはずだ。
「効かねぇ毒にすり替えたのか?」
「そうよ。アレックスに渡してあるのは別の毒なの。あの解毒薬では効果はなかったでしょうね」
「怖ぇなぁ」
「竜血毒用の薬は効かないけれど、普通に治療魔術師が診療すればすぐに処方されるくらい一般的な毒なのよ?」
だが後ろめたい誰かは医者や治療魔術師に診せようとしなかったのだろう。生き延びるにはミシェルが隠し持っている薬しかないと考え、それを探すためにグレイグが狙われたのだ。
「……傀儡の楔を打ち込まれたら、早ければ数日、遅くとも数年で廃人よ。グレイグには申し訳ないことをしたわ」
一族を利用させないために報復のタイミングを計算していたのに、とミシェルは無念そうに唇を噛む。竜血を盗み出した魔術師も、傀儡魔術の影響で自我が消え、最後は生きる屍のようだった。彼女の従甥も近いうちにそうなるのだ。
手伝うのなら打ち合わせ通りにしろよ、とコウメイは腹の内で独断に走る細目を罵った。
「じゃあ次期男爵の動きには注意しておけばいいんだな。その息子はどうする」
「顔を見てからにするわ」
領民や一族が困窮しないだけの手段と財産は残すつもりだが、それを生かすも殺すも当主の手腕だろう。従甥の子にその才覚があるのか見極めておきたい。
昼食を終えたミシェルは幻影の首飾りを身につけ、毒で爛れ腐った幻影を被った。コウメイは天蓋の幕を下ろし、寝具に潜り込んだ彼女を隠す。
「じゃ、呼んでくるぜ」
庶民的なメニューに文句をこぼしていたグレイグだが、料理の味には満足したようで、当初の予定時刻まで待たされたというのに、呼びにきたコウメイに不満をぶつけることはなかった。
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「ご無沙汰しております、大伯母様。病に伏せられ耄碌したとお聞きしたときから、一族への義務を果たしていただけるだろうかと心配しておりました。お会いできてよかった、大伯母様を苦しめる責務は全てこのグレイグが引き受けます。大伯母様はごゆっくり養生してください」
病室に通されたグレイグは、コウメイが幕を開けるよりも早く、大伯母をいたわる言葉よりも先に芝居がかった言葉と口調で今すぐ爵位と財産を寄こせと訴えた。さすがに父親の態度をまずいと理解した彼の息子が、父親の腕を引いて止める。
「……グレイグ、本当に、あなたはバルムトにそっくりね」
するすると開けられた幕の向こうから、深い緑の目が彼らを見据えていた。全身の皮膚が赤黒く爛れ腫れた姿を目にした途端、グレイグはえずく。
「うぐっ」
両手で口を押さえ、顔を背ける。
寝室は森のような清麗とした香りに満ちているというのに、腐ろうとしているその存在を目にしただけで胸の奥から饐えたものが込みあげる。父親の無様な姿を横目に、口腔の内頬を噛んで堪えた青年は静かに頭を下げた。
「あなたは?」
「は……、はじめてお目にかかります。私はエグバド・サットン、大伯母様の従甥の長子にございます。父が大変失礼を申しました」
食べるものに事欠いた経験はあっても、生臭く残酷な荒事には縁のなかった親子には、ミシェルの姿は衝撃だろう。グレイグの手は押さえた顎と口を必死に押して顔を背けようとしていた。だがどうしてか身体が動かないようだ。見開いた目から恐怖の涙が流れている。
父親の態度を詫びたエグバドは、ゆっくりと顔をあげると、しっかりと寝台の彼女を見据える。
「……グレイグはわたくしよりも具合が悪そうね。別室で休んでいなさい。あなたの用件はエグバドから聞かせてもらうわ」
寝室を出て行けと言われたグレイグの表情は安堵していたが、意に反して身体は動かないようだ。コウメイが手を貸して強引に隣室に移動させた。
隣の執務室のソファに落ちつくと、グレイグの強張っていた身体が急に弛緩する。ソファの背にもたれかかった彼は、浅く息を吐いて静かに目を閉じた。
「温かな茶をお持ちしましょうか?」
「いや、必要ない」
コウメイに返した彼の声は、先ほどまでの動揺や不調などなかったかのように単調だった。
「息子が大伯母に無理を言うのではないか心配だ、様子を見ていてくれ」
目を開けた彼の顔に感情の色はなく、コウメイを追い払うセリフも事務的だ。まるで別人のようだと眉をひそめたコウメイは、グレイグを操る何者かに気づかれぬよう静かに執務室を出た。
扉を閉める間際に義眼で確かめたグレイグは、首の後ろから漏れ出る魔力にその全身を縛られていた。
+
コウメイが寝室に戻ると、エグバドは枕元に運んだ椅子に座り、ミシェルと静かに話をしていた。
「父は祖父によく似た俗物ですが、気の弱い男です。胸の内で思っていてもそれを外に向かって口にできない人だったのですが、少し前から様子が変わってしまって……」
エグバドは不安そうに執務室への扉をちらりと見る。
「ご病気の大伯母様を煩わせるのではと心配だったのですが、まさかあのような失礼なもの言いをするとは思いませんでした」
「事実ですもの、遠慮する必要はなくてよ」
赤子のぐずりに本気で腹を立てるのは大人げないとでもいうような微笑みを向けられたエクバドは、父親を恥じて視線を落とし、誤魔化すように香り茶に口をつけた。
「領地はバルムト……あなたのお祖父さまに任せきりにしていたわ。領民の暮らしを守っていたのはバルムトやグレイグよ、わたくしが当主面をするのが気に入らないのは当然でしょう」
「大伯母様は魔法使いギルドを治めるという大任がありましたし、領地から得られる以上の援助をいただいてきました。そのおかげで道が整備でき、農地が改良できました。収穫量が増え、わずかですが備蓄もできるほどにまで豊かになりました。すべて大伯母様のお陰です」
「わたくしは一度も、送る資金に用途を指示しなかった。贅沢のために使おうと思えばできたのに、それをせずに領地のために使ったのだから、バルムトもグレイグも立派な領主だわ」
ハッとして顔を上げた彼は、膨れ爛れた肉塊の間から向けられる緑の瞳が、やさしく笑んでいることに気づいた。
「エグバド、あなたいくつ?」
「十五になります」
「そう……少し早いかもしれないけれど、次の当主はあなたね」
「大伯母様?」
「魔法使いギルドを率いていたわたくしには敵も多いの……グレイグは」
青年に微笑みかけていたやさしい緑の瞳が、悲痛に曇り、父親のいる隣室に向けられた。
「あなたの父親は、わたくしを殺したい者によって、とても危険な魔術がかけられています」
「危険な、魔術ですか?」
「ええ、あれは解除不能なものです……ごめんなさい」
ミシェルの謝罪の言葉で、父親の奇妙な変質に納得のいったエグバドだ。
「父は、長くはないのですか?」
彼の問いかけに、ミシェルは無言で瞼を伏せた。
「コウメイ、一番上の引き出しにあるアミュレットを彼に」
小さな橙色の魔石と、それを包み込むような銀細工の小さなペンダントが、コウメイから青年に手渡された。
「……これは、とても高価なものでは」
「わたくしが以前作った物よ。あなたに譲ります……今すぐ身につけて、肌身離さず持っていなさい」
就寝時も、入浴時も、絶対に外してはいけない、と念を押す彼女の瞳は、死が迫っているとは思えない力強さがあった。
「そのアミュレットはあなたに襲いかかるあらゆる魔術を跳ね返します」
エグバドはアミュレットを握りしめて、大伯母を真っ直ぐに見つめた。
「これを、これを父に渡してはいけませんか?」
「おやめなさい、グレイグはもう間に合わないのよ」
すでに魔術で捕らわれた父親は救えないと言われ、青年は唇を噛んだ。
「わたくしを責めないのね」
「私は……私は魔術はわかりません。でも他領との争いは経験していますし、飢えて領主館に押しかけてきた領民に襲われ罵られたことも、魔物の討伐経験もあります。どんな戦いも命懸けだと知っていますから」
ミシェルが魔法使いギルドや自身の命を守るため戦い、その結果、このような姿になり果てたのだと、エグバドは理解した。その戦法がどれほど卑劣であっても、戦いにおいて正義は勝った側にある。
エグバドは大伯母が敗者だと理解した。そして勝者は敗者を完全に叩き潰すため、親族である自分の父親を利用したのだということも。
握りしめていた手をほどいた彼は、アミュレットを首にかけた。胸で揺れる銀と橙色の魔石をしばし見つめる。
「わたくしの資産のほとんどは魔術から得たものです。さまざまな魔術の権利は、わたくしの死後も稼ぎ続けるでしょう。けれど金銭的な価値以上に、あれらの魔術はあなた方には危険なものです。魔術の独占を目的とする者らから守るには、サットン男爵家はあまりにも弱い……」
彼女の姿、そして父親にかけられた魔術。エグバドは家族や親類の死を匂わせる大伯母の言葉が、決して誇張や脅しではないと受け止めた。
「わたくしの魔術は、敵と戦える者に譲ります。だから一族に残せる財産はそれほど多くはないの」
ミシェルは遺言と資産目録をエグバドに見せた。彼らが相続するのは冒険者ギルドの口座に預けられている現金だけとあった。
「それは一族に残す財産よ。あなた個人にはこの館を譲ります」
「こんな立派な邸宅をいただけるのですか」
領地の館がいくつも入りそうなほど広くて大きな邸宅をもらえるという喜びは、すぐに現実によって打ち砕かれた。この館の管理には莫大な費用が必要であり、田舎の領地からの収入ではとても足りないだろう。せっかく相続する財産だが、あまりにも不相応すぎるとエグバドは素直に喜べなかった。
「住めとはいわないわ。売りたいなら売ってしまいなさい」
「よろしいのですか?」
「ええ、わたくしが死んだらすぐにここを買いたいという者が現れるでしょう。その者に絵画や美術品や蔵書らも含めた館を丸ごと売ってしまいなさい」
購入希望者は一人ではないかもしれない、複数あらわれたなら値をつり上げて高く買う者に売りつけろとまで言われて彼は目を丸くした。
「絵画か美術品を何点か、大伯母様の貢献を目に見えるものとして残してもかまいませんか?」
現金は使えばなくなるが美術品は価値を失わない。今後一族が領地経営で窮地に立たされたとき、その絵画や美術品が役に立つこともあるだろう。浅ましいかもしれないがいくつか手元に残しておきたいというエグバドの密かな決意を、ミシェルは見抜いていた。
「すべて売り払いなさい。それがあなたのためだわ」
死にたくなければ、と続けられて、エグバドは言葉を失った。
「わたくしはギルドではなくこの館で多くの仕事をしてきたの。さまざまな魔術で館を守り、機密を守り、戦ってきた。わたくしにしか使えない魔術を手に入れたい者は、必ずこの館を手に入れるでしょう。そして目的の魔術が見つからなければ、館から持ち出された品の行方を追うでしょうね。紙一枚の行方すら執拗に追い探すに違いないし、それができる連中よ」
ぞくりと、冷たい汗がエグバドの背中を流れる。
「一族の命が惜しければ、この館からは何一つ持ち出さないことね。丸ごと売り渡してしまいなさい」
重篤な病人とは思えない強い瞳に抗えず、彼はミシェルの助言に従うと約束した。
+
骨を失ったように力の抜けた父親を支えて帰ってゆくエグバドを見送ったコウメイは、眼帯を外してミシェルの執務室を点検した。
「覚えのねぇモノが増えてるじゃねぇか」
体調不良を理由に長椅子で休んでいたはずのグレイグは、ずいぶんと精力的に物色していたようだ。ミシェルの執務机や書棚だけでなく、魔術鍵のかかった引き出しや隠し金庫まで、開けられた形跡が残っている。それだけではない、見つかりにくい場所に置き土産が三つ。盗聴と透視と幻影の魔道具だ。
コウメイは報告のため、発見したそれらを放置してミシェルの寝室に戻った。
「魔術鍵の金庫まで開けられてたぜ。ミシェルさんの従甥は魔術師なのかよ」
「まさか。グレイグにもエグバドにも魔力は欠片もないわよ。傀儡魔術で解錠の魔術陣を描かせて、魔石を使って鍵を開けたのでしょうね」
グレイグを通じてミシェルが隠している魔術、あるいは解毒薬を探したが見つからず、魔道具を通じて手がかりを探ろうというのだろう。
「置き土産は始末しとくか?」
「予定を早めるから、そのままでいいわよ」
ミシェルはベッドから降りて幻影のネックレスを外すと、寝具をめくって寝台に隠してあった大きな箱を露わにする。
棺桶だ。
「自分が入る予定の棺桶の上に寝てたのかよ」
「仕方ないでしょう、ここが一番探られにくいのだもの」
悪趣味だと顔を歪めるコウメイに手を貸せと命じた彼女は、朱塗りに金箔で飾られた棺桶の蓋を開けさせた。
「っ! あんた、悪趣味にも程があるだろ!!」
空だと思っていた棺桶には、遺体が納められていた。赤みの強い金髪の、全身の皮膚が膨れ爛れたその姿は、ミシェルがまとう幻影そのものだ。魔術がかけられているのか、腐臭はしない。
「どっから死体を調達したんだ?」
「コウメイの思考は物騒ね。これ、わたくしが作ったのよ」
「作った、だと?」
「ただの泥人形よ。材料は泥と魔石とわたくしの血」
年格好の似た見ず知らずの誰かの死体ではなく、工作の成果だと言われてコウメイは胸を撫で下ろした。驚かせるにしたって趣味が悪すぎると文句を言う。
ミシェルの指示で彼女を模した人形を棺桶から抱きあげ、寝台に横たえた。それは泥で出来ているとは思えないほど精巧だ。抱き運んだ感触も重心も、さらりと流れ落ちる髪も肌の質感も、人間そのものにしか思えない。
泥人形を寝具に包んだミシェルは宣言した。
「死亡は明日の昼さがり、葬儀は五日後にしましょう」




