4 船上の一日 前編
大陸周回船の一日は銅鑼の合図ではじまる。
ゴーン、ゴーンという音が二度船内に響くと、乗船客は日の出を知り、それぞれに動きはじめる。
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「っ……くる、しい」
圧迫感と拘束感からくる最悪の夢見で目が覚めたアキラは、両脇から絡みつく体温を押しはがして上肢を起こした。
「寒い、な」
人肌の温かさから離れた途端、室内の寒さが身に染みた。木窓を閉め切った室内は暗くて見えないが、吐く息はきっと白いに違いない。
アキラはゆっくりと立ち上がり、手探りで壁を探って窓にたどり着いた。押し開けると、小さな窓から射し込む朝陽が客室内を照らす。
「なんなんだ、これは……」
射し込む光を追うように振り返ったアキラは、室内の様子に言葉を詰まらせた。
確か黒ひげモドキ勝負を延々と続ける二人を放置して、部屋の片隅で横になっていたはずなのに、いつの間にか三人で団子のように固まって寝ていたらしい。シュウは毛布とマントを重ねて身体を包み丸くなっているし、向かい合う位置のコウメイはアキラの抜け出した毛布を抱き枕のようにがっしりと抱え込んでいる。
木窓を全開にすると、船の揺れとともに風が吹き込んできた。
「……うぅ、寒ー」
「あれ、朝か?」
「おはよう」
シュウはアキラが抜け出た毛布を引き寄せてさらに身体に巻き付け、コウメイは眩しそうに瞬きしながらアキラを見あげた。
「おー、アキラが俺らより早いなんて珍しーな」
「寝汚いアキが俺より先に……何かあったのか?」
「誰のせいだと思ってる」
不機嫌を隠さずにアキラは二人を睨みつけた。デカイ図体が横から重しになって身動きは取れないし、ぎゅうぎゅうと毛布ごと脇から締めつけられていたおかげで、アキラは簀巻きにされ銅像に押しつぶされる夢を見て目が覚めてしまったのだ。
「だいたい何で床で寝てたんだ? シュウはハンモックじゃなかったか?」
二人がいつ勝負をやめて就寝したのかは知らないが、あんなにはしゃいでハンモックを設置していたのに、使わないなんてシュウらしくない。
「それがさー、ハンモックで寝てたんだけど、すげー寒くて目が覚めて」
真冬の海、それも寒さの厳しい北を目指す航路は、昼と夜の寒暖差が激しかった。毛布とマントではとても温まらないと、シュウはハンモックを降りてアキラの横に丸まり暖を取っていたらしい。
「コウメイはハンモック使わなかったのか?」
「いや、ただでさえ揺れてんのに、ハンモックだともっと揺れそうだろ」
酔い止めの薬の効果が切れた時の事を考えて、床で寝たのだとコウメイは苦笑いだ。
「それよりアキは何で床の上なんだ?」
「二人がバカな勝負してたからだろうが」
黒ひげモドキの蓋が何処に飛ぶかもわからないのだ。ハンモックで寝ていて二人にぶつかられたら、確実に落ちるだろうし負傷する。首の骨を折って即死となったらいくら長寿のエルフでも終わりだ。
「あの様子だと寝ているハンモックに激突してきそうだったからな」
そんなことはない、と言い切る自信のない二人は、気まずげに目を逸らした。
再び波に船体が揺れ、風が吹き込んでくる。
「うう、船がこんなに寒いなんて聞いてねーよ」
「毛布一枚じゃ足りねぇな。これから北上するともっと寒くなるんだろ? 雑魚寝でくっついてた方が温けぇぜ」
「確かに」
窮屈で寝苦しいのは嫌だが、寄り添って寝ていたおかげで寒さに凍えることはなかった。凍えるような寒さと寝苦しさを天秤にかけたアキラは、死亡率の低い方を選択するしかなかった。
次の寄港地で北国向けの防寒具を購入するまでは、三人で身を寄せ合って雑魚寝することを受け入れたのだった。
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朝の水回りは競争だ。
コウメイたちのフロアは下階に比べれば密度は薄いが、それでもトイレと洗面には五人以上の列ができていて、なかなか順番は回ってこない。
「トイレは仕方ないが、顔を洗うのは部屋で済ませればいいんじゃないか?」
「桶はあるし、水は自前で用意できるだろ。ここの洗面所って使える水の量が少ねぇし」
限られた水を有効に使うため、乗客には一日に許される水の量は決められている。一等客室の乗客には一日コップ二杯分の水が提供されるが、二等や三等の乗客には水は許されていない。身ぎれいにするためには自分で水を持ち込まなくてはならないし、喉が渇けば食堂で安いエル酒を飲むしかない。
トイレを済ませた順番に客室に戻り、コウメイの出した水で顔を洗って身支度を済ませた。
「朝飯どうする?」
「何でもいいが、コウメイは食えるのか?」
「問題ねぇよ」
船酔いの状態を確かめるように顔をのぞき込んだアキラは、スッキリとしたいつも通りの顔色と表情なのを確かめて頬を緩めた。どうやら一晩で船の揺れに慣れたらしい。
「俺はがっつり食いてーけど、食料無くなったらまずいよな?」
「次の寄港地で補給すればいいから遠慮すんな」
「じゃ、あったけーので」
室内だというのにマントを着ているシュウは、身体の内側から温まりたいらしい。そのリクエストに応えて、コウメイは干し肉で出汁をとった豆のスープを作った。ナッツとドライフルーツをたっぷり練りこんだクッキーバーとの朝食を終えると、三人はそろって甲板に出た。
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太陽の射す甲板は、風さえ避ければ客室よりもずっと暖かかった。
シュウはマントの前をピッタリと重ね合わせて風を遮っていたし、アキラはフードを深く被って口元までしっかりと覆い隠している。コウメイは二人ほど防寒を徹底していなかったが、それでも冷たく凍えた指先を何度もすり合わせていた。
「考えることはみんな同じなんだな」
「日なた取り合ってるし」
「ぐるっと一周してみるか」
夜の間に冷え切った身体を温めようと上がってきた乗客が溢れ、その間を船員たちが忙しそうに走り回っている。シュウの案内で甲板を歩いているうちに身体が温まってくると、今度は散歩では物足りなくなってきた。
「ちょっと身体動かしてぇな」
「あー、組手とかやる?」
「こんな狭いところでやめろ。周りに迷惑だ」
それにこの二人にとっての軽い運動は、アキラにとっては大きく激しい運動だ。しかもシュウは夢中になって周りが見えなくなり、うっかり船から落ちかねない。そうアキラに止められた二人は、ならばと船員らがのぼってゆく帆柱を見あげた。
「すみません、この柱って俺たちがのぼっても大丈夫ですか?」
「お客さんたちがですか?」
「いや、少し運動してぇんだけど、これだけ人がいるとなぁ」
突然呼び止められた人の良さそうな小柄な船員は、突拍子もないことを聞かれ驚いたが、理由を聞いて笑いながら首を振った。
「お客さんみたいな大きな身体じゃ上まではあがれませんよ」
高所に設置された詰め所へ上がるのは、身軽ですばしっこい小柄な船員の仕事だ。それに船の重要な施設への乗客の立ち入りは禁止されている。
「身体を動かしたいなら、昼の銅鑼の後で甲板に上がってきてください。守備班の訓練があるので、それに混ざったらいいですよ」
「へー、守備班なんてのがいるかー」
「この航路、危険な場所があるのか?」
航海の安全を不安視する他の客とは異なり、心配や怖れではなく楽しそうに問われて船員は戸惑った。
「ここから先は安全ですよ。海賊の出る海域は通過しましたからね。海の魔物も周期があるので、船の遅れ以外には心配はありません」
「えー、海賊はもう出ておわってたのかよー」
すでに海賊のいる海域は通過済みでこれから先の心配はないと聞いたシュウは、目に見えてガッカリと項垂れた。
「今回の航海では運よく襲ってこなかったですけど、もしもの時のために腕利きが何人かと、あとは臨時で雇った冒険者が訓練をしてるんです」
腕に覚えのある乗船客の参加も歓迎しているということだった。
「乗客の中に凄腕の冒険者がいるなら船長が声をかけるでしょう。船上ではいつ何が起きるかわかりませんから、戦力になる乗客は大歓迎ですよ」
マントの上からでもわかる筋肉と大きな身体のシュウ、眼帯がしっくりと馴染んだ隙のないコウメイ、二人をじっくりと観察していた船員は「期待しています」と言って帆柱にするすると登って行った。
「訓練だってよ」
「面白そーじゃん」
「派手にやりすぎない程度に頑張れ」
参加する気満々の二人に誘われたが、フードを被ったままで訓練は無理だろうからとアキラは見学に徹する事に決めた。
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しばらく大海原を眺めて過ごしたのち、三人は部屋に戻った。
アキラの風魔術で簡単に埃を集めて掃除し、それぞれ寛ぐ場所を作って落ち着いた。コウメイは武器の手入れをはじめ、シュウは軽い筋トレをこなした。アキラは持ち込んだ本を手に、壁に背を預けている。
剣を磨く音と、運動数をカウントする声、ページをめくる音だけが聞こえる客室は居心地が良かった。
武器の手入れを終えたコウメイが、簡易魔道コンロで湯を沸かし、コレ豆茶を淹れた。芳ばしい香りに誘われてアキラが本から視線をあげると、待ち構えていたコウメイがにっこりとたずねた。
「クッキーにするか? それともパウンドケーキ?」
「ジャムクッキー」
サツキの作ったジャムクッキーと一緒にコレ豆茶を飲むのが一番美味い、そう主張するアキラが当然選ぶだろうと予想していたコウメイは、返事が返る前に木箱とともにコレ豆茶のカップを差し出していた。
「この木箱は?」
「サツキちゃんから預かったんだよ、出発前に」
広げた手の平と同じくらいの木箱の蓋には、花冠の絵と「ブルーン・ムーン」と店名が凝った飾り文字で彫られていた。蓋を開ければ、サツキの作ったさまざまな種類のクッキーが整然と並び入れられている。
「凝ってるだろ」
プレーンとコレ豆を混ぜた二色の生地で渦巻きをデザインしたクッキーに、砕いた木の実入りの丸クッキー、香り茶の茶葉を刻み入れたものに、ドライフルーツを練りこんだもの、黒芋のクッキー、そしてアキラが最も好きなジャムクッキーも、それぞれ五、六枚が重ね入れられている。
「……何で隠していた」
「隠してねーよ。アキに渡したら独り占めにするだろうからって、サツキちゃんが俺に託してくれたんだからな」
図星だったらしく、アキラは「ちっ」と顔を歪めて舌を鳴らした。
コウメイが保存食づくりに忙しい脇で、サツキが餞別用だと作っていたクッキーは、コズエが装飾デザインした木箱に納められていた。
「サツキちゃん、これを贈答用のクッキー箱として売りに出すことにしたいって言ってたぜ」
だから食べ終わっても入手する方法はある、もったいないからと我慢するのではなく、美味しいうちに楽しめと言われ、アキラはレギルジャムのクッキーを一枚選んだ。
コレ豆茶を一口飲み、クッキーをかじる。生地のほのかな甘みと素朴な味わい、ジャムの濃い甘みとレギルの香りに、アキラは自然と穏やかな笑みをこぼしていた。
「シュウもクッキーでいいか?」
「コウメイの作ったケーキって、酒臭せーやつだろ、食えねーよ」
「醸造酒に漬けてないのもあるぞ」
「クッキーでいいって。おー、なんか宝箱みてーだな」
筋トレを中断してやってきたシュウは、クッキー箱を見て楽しそうに目を細めた。
「このナッツのにしようっと。あ、それと干し肉もくれよ」
「茶うけに干し肉なのか?」
「筋トレの後はプロテイン必須だろ」
サプリメントがないので干し肉で代用しているのだとシュウが説明すると、アキラは真剣に考えに沈んだ。
「……錬金薬が薬草の成分を抽出したものなんだから、たんぱく質を抽出して薬草と配合すれば、サプリメントの代用品は作れるかもしれない」
ぼそりと呟いたアキラの表情が真剣過ぎて恐ろしい。シュウは青ざめ止めに入った。
「やめてくれーっ。激マズなものはこれ以上食いたくねーよ」
何を当たり前のことを言っているのだとアキラは目を細めた。
「プロテインは不味いものに決まってるだろう」
「アキ、プロテイン飲んだことあるのか?」
「中学の時にな」
意外だと驚くコウメイに、アキラは運動部の同級生に味見をすすめられた時のことを話した。粉末プロテイン数種類と牛乳にバナナを混ぜたというそのドリンクは、一見するとミックスジュースのような見た目だった。最高気温を記録した猛暑のその日、冷たく汗をかくグラスにはいった美味しそうに見えるジュース。
「見た目が美味しそうだっただけに、あれは酷かった」
ほのかな期待と好奇心に負けて一口飲んだアキラは、そのままトイレに駆け込んだ。よほどの味覚音痴でないかぎり、好んで飲みたいと思うものではなかった。
「それ、蜂蜜入れてたらもう少し飲める味になってたと思うぜ」
「そういえば甘味は何も入っていなかったな」
あの味を基準にするのは流石に難しいが、不味くていいのなら似たようなものは作れそうな気がする。アキラがそう言うと、シュウは涙目で頭を振った。
「チョコ味とかはけっこーマトモだったっ、て、そーじゃなくて! 頼むからプロテイン作るとかやめてくれーっ」
しかも不味い前提というのはありえない。
「欲しいと言ったのはシュウじゃないか」
「言ってねーよ」
干し肉を食べる理由を説明しただけで、アキラにプロテインサプリメントを開発してくれとは言っていない、絶対に。
「干し肉で十分だから。百パーセントたんぱく質で問題ねーから?!」
「効率よく摂取したいんじゃないのか?」
「品質よりも味が大事! 味だからな、味!!」
大事なことなので二回じゃなくて三回も繰り返したが、アキラが相手ではまだ足りないかもしれない。そんな恐ろしい未来を想像したシュウは「独創的な薬草ブレンド断固お断り」とアキラに懇願したのだった。




