慚愧
ゆっくりと浮上する彼の意識は、早く目覚めなければと珍しく焦っていた。
意識を失う直前は、まだ火蜥蜴のスタンピードは終結していなかったはずだ。無事に終わったのか、それともまだ戦いは続いているのか。続いているのなら気絶している暇はない。今すぐ目覚めて戦わなければ、と。
重い瞼を必死に押し上げると、ぼんやりと薄汚れた天幕が視界に入った。
「……ぁ」
人の気配を感じ声を出そうとしたが、渇ききった喉から出るのは掠れた息だけだ。彼の吐息のような声を聞いたのか、大きな影がのぞき込んだ。
「目が覚めたか。まずはこれを飲め」
太く強い腕に背と頭を支えられ、口に錬金薬の瓶を押しあてられた。錬金薬では渇いた喉は潤わないが、声はすぐに出せるようになる。
「マイルズさん、魔核はどうなりました?」
「破壊した。アキラは丸一日眠っていたんだ」
「一日」
短いような長いような、不思議な感覚だ。戸惑う彼に、マイルズはもう一本の錬金薬を差し出した。
「起きたばかりですまんが、一緒にきてくれ」
硬い表情の彼はアキラの返事を待たずに抱き上げようとする。
「や、やめてください。歩け……」
目覚めたばかりで身体は軋んでいるが、子どものように抱き運ばれたくはない。マイルズの手を押しのけようとして、下半身を覆う毛布の膨らみが一つであることに気づいた。毛布をめくってあらわれた右のズボンの裾は、ぺたりと寝床に横たわっている。
「……そう、でしたね」
「すまなかった……」
「何故あなたが謝るのですか?」
「あのとき俺がアキラの足を確保していれば、いや、しっかりと守れていれば、失わずにすんだはずだ」
火蜥蜴から足を取り戻せていればと、マイルズは繰り返し謝罪する。
「……そんな余裕はない状況でしたから」
火蜥蜴に囲まれたアキラを放り出して追っていれば、右足を取り戻せても左足が同じように噛みちぎられ持ち去られていただろう。最悪の場合、あの場で全身を食い散らかされ、何も残らない可能性だってあった。
「だが俺はアキラを守らねばならなかった。本隊と分断されなければ……俺の責任だ」
「いいえ、俺の油断が原因です。溶岩を冷やしながら火蜥蜴討伐もできると過信していたんです。魔核と噴火の力を見誤っていなければ、こんなことにはなりませんでしたし、もっと早くスタンピードを終結させられたんです。自業自得ですよ」
誰のせいでもないと微笑むアキラをまぶしそうに見て、マイルズは彼の膝下を支えて抱きあげた。
「どこに行くのですか?」
「壁の内側だ」
再び戦場に戻ると知り、アキラの身体が強張った。
「魔核は破壊したんですよね? まだ討伐が続いているのですか? 負傷者や……死者は?」
「死者はいない。負傷者は錬金薬で治療済みだ。最後は溶けた石の上を歩いていたようなものだったからな、火傷よりも靴が炭になってしまったことのほうが堪えたようだぞ」
彼の気持ちを軽くしようとしてか、マイルズが仲間の無事を滑稽に語る。
薄暗いテントを出ると、空のまぶしさがツキンとした痛みをもたらし、アキラは日の光を避けて目を眇めた。
光になれると忙しく働く冒険者らの姿が目に入る。無事な姿を目にして身体の力が抜けた。火蜥蜴を解体する彼らの表情はどれも朗らかで、深刻な被害を受けたようには見えない。素足に草で編んだ草履のようなものを履いている者が何人かいた。彼らはアキラに気づくとぎこちない笑みを向ける。契約魔術の影響だろうか。
「火蜥蜴の素材で討伐経費はまかなえそうですか?」
「魔核を掘り出しさえできればな。明日か明後日には向かいたいと思うのだが」
「噴火がおさまるのに日数がかかるんですね」
「いや、噴火は夜の間に止まっている。火蜥蜴の魔核を破壊したことで、噴火を増幅させていた力も消えた。半年をかけて噴火するチェトロ火山は、わずか十日でその力を出し尽くしたようだ」
アキラが意識を失い溶岩が熱を取り戻した直後は、とても人の立ち入れる場所ではなかったそうだ。だが噴火がおさまった直後から溶岩が冷え固まりはじめ、今では噴火孔直上でなければ問題なく歩けるほどになっているらしい。
ふと思い出してアキラは耳に手をやり、指先に冷たい魔石がぶつかるのを感じてほっと息を吐いた。気を失っている間に魔武具を着けてもらえたらしい。
「幻影の魔武具は壁を越える前につけた。シュウも額に銀の輪をつけてから壁を越えたから、心配はない」
まさか獣人族だったとはと、マイルズは複雑そうに顔をしかめた。
「契約魔術はアキラではなく、彼のためだったのだな」
「私も含め色々まとめて全部です」
「コウメイもか?」
「そうですね、彼の義眼も訳ありですから」
「義眼か……」
そういえば、とアキラは冒険者たちを見渡した。
「コウメイとシュウは何処ですか?」
負傷していないのならどこかで作業を手伝っているのだろうかと、彼は冒険者らの中に友人の姿を探す。
「シュウはノエルを連れて山を下りている。医者を連れてくると言って、止めるのも聞かずに飛び出したままだ」
「何故ノエルさん?」
「通行手形だそうだ」
意味がわからないとアキラは首を傾げる。マイルズも行き先は聞いていないそうだ。だが元気そうなのは確かなようだ。
「コウメイは……盾壁の内側だ」
「残務処理ですか?」
「……あいつは、探しているんだ」
盾壁沿いに歩くマイルズは、苦しげに顔を歪めた。
「アキラの足を探している」
「まさか……」
錬金薬で回復したはずのアキラの顔色が、見る見るうちに失せてゆく。
救護テントに運び込まれたコウメイは、魔力回復薬と治療薬を飲ませるとすぐに意識を取り戻した。そして隣で眠るアキラの右足が失われた状況を知った直後に、こちらも制止を振り切って単独で壁の内側に入ったのだという。
「……見つかるはずないのに」
「それは俺もノエルも、シュウも言った」
スタンピードはひとまず決着した。残された火蜥蜴は盾壁で囲い閉じ込めているのだから、負傷者の治療を終えてから討伐すればよい。そのつもりで計画を立てていたが、コウメイはマイルズやノエルの言葉を無視し、単独で火蜥蜴を狩り続けているのだという。
「目覚めたばかりのアキラには酷かもしれんが、コウメイを正気に戻してくれ。俺の声は届かないようだから」
アキラは固く握った左手の拳を見つめた。
「ずっと昔に……マイルズさんたちと会う少し前に、俺は左腕を失いかけているんです」
この世界に放り込まれた直後の記憶を思い出し、アキラは目を細めた。
「こちらのことを何も知らない頃でした。エルフを狙った奴隷狩りの男との戦いで、俺は左腕を切り落とされて。そのときにコウメイが錬金薬を使って接合してくれたんです」
はじめて人を殺し、理不尽と死が常につきまとう世界なのだと思い知った瞬間だった。
「コウメイは石礫に眼球を潰されて右目を失いました。俺は意識を失っていて、何もできなかった……それだけは今でも悔しいんです。たぶんコウメイも」
「アキラたちは、そのように考えるのか」
身体の一部を失う冒険者は多い。マイルズ自身も冒険者である限り負傷や欠損は避けられないと覚悟しているし、それが当たり前だった。むしろ身体の一部をくれてやった相手が大物であればあるほど、誉れとするのが冒険者という生き物だ。だがコウメイやアキラ、おそらくはシュウもそうではない。
コウメイの行動は狂気ではなく正気なのだ。それを理解したマイルズは何とか言葉を搾り出した。
「酷だが、アキラの足は戻らんぞ」
「わかっています」
コウメイもわかっているはずだ。
「だが受け入れられんか……難儀だな」
盾壁を見あげたマイルズは、やはり正気のコウメイは自分では止められないとため息をついた。
+
盾壁を越えたそこは、わずか一日で大きく変容していた。溶岩はまだ熱を持っていたが、触れたものを焼くほどではなくなっている。溶岩の流れとともに押し寄せていた火蜥蜴は、屍となって一面を覆い尽くしていた。どの死骸も腹を割かれ、内臓を垂らしたまま転がり、ぴくりとも動きはしない。
マイルズが一歩を踏み出すたびに、魔物の血だまりでちゃぷりちゃぷりと腐った血が跳ねた。
火山ガスと、地中の熱で立ちのぼる火蜥蜴の血の臭いに、顔を背けたアキラが嘔吐く。
「……地獄絵だろう?」
死の世界にただひとつだけ、動く者がいる。
彼は死骸の腹を割いては投げ捨て、まだ手をつけていない屍を探す。
マイルズは慎重な足取りだ。十分な間合いをとりつつ、気配を殺さず、あえて足音をたて彼の背後に近づく。マイルズの存在に気づいていないはずがないのに、コウメイはぴくりとも反応することなく火蜥蜴の臓腑を暴き続けていた。
アキラはマイルズの腕から下りると、身体を支えられて地に立った。
「コウメイ」
アキラの声が聞こえているだろうに、彼は振り返ることも手を止めることもなく死骸を掻き分け続ける。
「もうやめるんだ、コウメイ」
「……邪魔すんな」
それは血泥の沼から助けを求めるような、追い詰められた声だった。
「探したって無駄だ」
「無駄じゃねぇ」
「見つからないから、そうやって火蜥蜴の腹を割いてるんだろう?」
「見つかるにきまってんだろ、俺が見つけてみせる」
「肉片を見つけて、どうするんだ?」
冷たく突き放すような声色に、コウメイの背中が震えた。
「肉片をつなぎ合わせるのか? 俺はそんなジグソーパズルはしたくないぞ」
ゆらりと彼の身体が起きあがる。
「かき集めた肉片にもし火蜥蜴が混ざってたら、火蜥蜴の足になるかもしれないじゃないか」
「……」
「俺はそんな足は嫌だ」
「…………アキ」
ゆっくりと振り返ったコウメイの全身は、火蜥蜴の血泥に染まっていた。汚れた前髪が彼の義眼を隠すようにはりついている。頬は強張り、唇は笑いの形を取ろうとして失敗していた。
「酷い顔だぞ。ただでさえコウメイはこの国での評判が悪いのに、これ以上悪評を積み上げるつもりか?」
アキラが微笑みかけると、コウメイの表情が泣きそうに歪む。
「……勝手に言わせとけばいいだろ」
「顔色悪いし、人相も最悪だ」
「……顔は関係ねぇ」
「俺は疲れてるんだ。ゆっくり寝たい。コウメイが荒ぶってるせいで後始末に取りかかれない連中が暇を持て余してうるさいし。俺の安眠を妨害するな」
平穏な朝のやり取りのような声と表情だ。
戸惑う彼にアキラは左手を差し出した。
薬草の汁で染まった彼の指先に触れたコウメイは、ひんやりとした肌の下にある脈動感じ、あふれるものを隠すように目を閉じた。
+
コウメイを正気に戻して気が緩んだアキラの膝が笑い、身体が傾いだ。
「危ねぇ」
「そういえば杖を忘れてきた」
「杖があってもここは歩きにくいだろ」
障害物だらけの場所をどうやって移動してきたのだと問う寸前で、ニヤニヤ笑いのマイルズに気づいた。
「……おっさんが連れてきたのか」
「やっと正気に戻ったな。いや、もとから正気だったのか?」
からかわれて拗ねたように口の端を歪めたコウメイは、マイルズからアキラを引き剥がして睨みつけた。
「これで貸し借り無しだぜ」
「いや、こっちが借りすぎだ。必ず返す」
「いらねぇ」と即座に返されてマイルズは彼の拒絶も当然かと苦笑いを浮かべた。力を貸してもらうという曖昧な契約魔術のせいで、彼らは命の危険にさらされ、秘密や身体の一部を失うことになったのだから。コウメイが嫌がろうとも、故郷と仲間を救った彼らへの恩はいつか必ず返そうとマイルズは心に決めた。
「二人には十分以上に助けてもらった。後始末は俺らにまかせてゆっくり休んでくれ」
アキラは支えようと差し出されたコウメイの腕をするりと避け、マイルズの腕にすがって見あげた。
「マイルズさん、お願いできますか?」
「かまわんが……コウメイが泣きそうな顔してるぞ?」
「アキぃ?」
「……生臭くて」
さりげなく視線を逸らせ、鼻と口を服の袖で覆ったアキラだ。血と火山ガスのまじる臭いですら耐えがたいというのに、血肉にまみれたコウメイに触れたら、その場で嘔吐してしまうだろう。
笑顔を引きつらせるアキラの言葉に、ようやく己の惨状に気づいたコウメイは顔をしかめて身体の匂いを嗅ぎ首を傾げる。彼の臭覚は完全に麻痺していた。
「せめて頭と顔の汚れは落としたらどうだ?」
苦笑いのマイルズに、そのまま壁の外に戻れば死神の逸話がもう一つ増えるだけだぞとからかわれたコウメイは、慌てて水を作り出した。手のひらに水を溜め顔を洗うが、こびりついた汚れは簡単に落ちはしない。
「めんどくせぇな」
頭から被って洗い流したほうが早いと、抱えるほどの水を作り出したとき、パキン、と右目の奥で何かが弾けた。
「……痛ぇ」
「コウメイ?」
「大丈夫だ」
右目を押さえたコウメイは、ツキツキと刺すような痛みをやり過ごして水を浴びた。
何度か水を浴び、したたり落ちる水滴に汚れがなくなったのを確かめたコウメイは、満足の息を吐いて前髪をかきあげた。
「コウメイ……義眼、が」
「ん?」
彼を見つめるアキラの表情が凍りついている。
汚れを洗い落とした剣に己の顔を映し、その理由を知った。
亀裂の入った彼の義眼から、色が失われていた。




