炎の竜
魔核から生じようとする魔物を、彼らはただ見あげるしかできなかった。
炎の色に輝く鱗を持つ魔物の上半身はすらりと細く、まだ魔核に沈んだままの腰回りはどっしりと太い。両手の爪は鋭く、まるで宝石のような煌めきを放っている。背にある羽膜は赤黒く艶やかだ。関節とおぼしきあたりから、もう一つの手であるかのような鉤爪が見える。
「最悪だ……!」
伝説でしか耳にすることのない火竜を目にした冒険者らからは、絶望の呻きとともに戦意が失われていった。火蜥蜴ですら殲滅できないでいるのに、火竜を討伐できるはずがないと。
「怯むんじゃねぇ! そいつはまだ魔核から完全に抜けてねぇんだぞ!!」
張りあげたコウメイの声が、ノエルを正気に戻した。そうだ、魔核から完全に脱するまで、魔物は攻撃してこない。
「イルデ! エドータ! 二人は竜を!!」
ノエルは自分の錬金薬を二人に渡して、火竜を叩けと指示する。
最も魔核近くにいるコウメイに追いついたアキラが、彼の足先から向こうの溶岩を冷やし固めた。
「コウメイは魔核を! シュウは火竜だっ」
「俺ひとりでかよーっ」
勘弁しろと言ってはいても、彼の瞳は闘志に輝いている。
「俺は魔核、アキは冷却。目の前の竜は迷宮のよりも小さいんだぜ、一人で十分だろ」
「本能のままに、思いっきり暴れてこい」
「……いーのかよ?」
獣化しろと言われ、シュウは戸惑った。火竜に怯えているとはいえ、これだけ多くの冒険者に見られては誤魔化せないのに、いいのかと。
「心配するな、ちゃんと契約で縛ってる」
「ここにいる連中は、何を見ても絶対に喋れねぇんだ、思いっきりやれ」
アキラが三人を対象に契約魔術を求めた理由をコウメイは最初から理解していたが、シュウはやっと気づいたようだ。
「りょーかい」
シュウは焼け焦げのある鉢巻きごとサークレットを外し、アキラに預けた。行ってくるぜー、といつもの軽い調子で笑い、獣人の力を解放するやいなや火竜めがけ跳躍する。
身体の筋肉が膨らんで上着の縫い目を破り、焦げ茶の体毛が剥き出しの肌を覆う。毛先が銀毛の耳が、興奮に酔うかのように小刻みに動いた。
「狼……獣人!?」
火竜の存在に恐怖していた彼らは、仲間うちから飛び出た狼獣人の存在に呆気にとられた。
半獣にメタモルフォーゼを遂げたシュウは、振りかぶった不壊の剛剣で火竜に斬りかかる。
「くー、やっぱ硬ぇーわ」
首を斬りつけた剣は、炎色の鱗に弾き返された。さすがロビンの鍛えた剣だ、シュウの全力の一撃でも折れないし欠けもない。
「けど、斬れねー」
鱗は流れに逆らって削げと、コウメイによく注意されていたのを思い出し、二刀目は胸から首へと剣を滑らせた。
ガリガリと引っかかる鱗を強引に圧し斬ると、数枚がめくれ飛ぶ。
「こ、氷の矢!」
シュウの動きを追っていた魔術師らは、援護射撃の機会を狙っていたのだろう。エドータの狙いは確かだ、鱗の剥がれた肌に氷の矢が深々と刺さる。
「ナイス!」
刺さった次の瞬間に氷の矢は溶け消えたが、竜の傷が癒えるのを二呼吸ほど遅らせた。それだけの間があれば十分だ。黒い溶岩に着地したシュウは、再び跳びあがり傷口を広げにかかる。
「ぐおっ」
狼獣人の戦いに見とれていた冒険者は、足に感じた激痛に火蜥蜴の存在を思い出した。左足に噛みつく火蜥蜴の頭に剣を突き入れ、噛みちぎられる前に屠る。
「ボケッとしてんじゃねぇぞ、火蜥蜴を蹴散らせ!」
西島南部のギルド長が太槍を振り回しながら、男たちに檄を飛ばす。火竜との戦いに呆けていないで、斬って斬って斬りまくれと。
「うおぉぉーっ」
「負けてられねぇ」
シュウの戦いに触発されたか、彼らは疲れを忘れたかのような勢いで群がる火蜥蜴を屠りはじめた。
「飛ぶぞ、逃がすな!」
魔核を脱した途端に、火竜は飛膜を大きく羽ばたかせ噴火口を飛び立とうとする。
「行かせるかよっ」
鱗と鱗の隙間に爪を引っかけ足にしがみついたシュウは、そのまま火竜の背へと駆け上がる。
「落ちろ!」
逆手に持ち直した不壊の剛剣ごと、火竜の飛膜に突っ込んだ。
シュウの勢いと落下の速度が飛膜を裂き、イルデの放った風刃がその裂け目を広げる。
バランスを失った火竜が傾いた。
「やべっ」
「風膜!」
火竜とともにマグマへ落下する彼は、アキラの声に反応しクルリと身をよじる。受け止める風の膜に身を預け、反転して再び跳びあがった。
「もうイッコ!」
裂け垂れている飛膜を掴み、反動をつけて背に跳び移ると、もう片翼の飛膜を斬り裂いた。
身体の周囲を動き回る邪魔な存在を追い払おうと、火竜は鋭い爪でシュウを追いかけ、首を激しく振り回しふるい落とそうとする。まとわりつくシュウのしつこさに、とうとう火竜は大口を開けると、軋んだ悲鳴のような音とともに炎を吐き出した。
シュウは身をよじり、炎から逃れた。
直撃を受けた噴火孔の壁がどろりと焼け溶け、炎息とともに地上で戦う冒険者らを襲う。
「氷盾!!」
アキラの声と同時に、火蜥蜴と戦う彼らの周囲に厚い氷の壁があらわれた。
火竜の炎にも溶けることのない、魔法の氷だ。
「遊んでんじゃねぇぞ、さっさと始末しろ!」
火蜥蜴を打ち飛ばしながらコウメイが叫んだ。氷の盾が頭上に出現したのと同時に、足下の溶岩が熱を帯びた。アキラを振り返れば、血の気を失い卒倒寸前だ。
コウメイに怒鳴られたシュウは「言われなくても!」と氷の盾に降り立つと、火竜の正面に回り込む。シュウを狙って炎が吐き出される瞬間に魔術玉を投げつけた。
魔核攻撃用に込められた氷の魔法は、炎息を追いかけ凍らせてゆく。
凍った炎を噛み砕いた火竜は、再び炎を吐こうと口を開けた。
「させるかよっ」
火竜の口に向けて跳びあがったシュウは、喉の奥で燃える炎に魔術玉を叩きつける。
喉奥を凍らせた魔法は、剥いだ鱗の喉にまで及んだ。
悲鳴にも似た軋んだ声が耳に響く。
シュウはのけ反る火竜の喉に不壊の剛剣を突き入れた。首骨で引っかかった剣を強引に引く。
「おらあぁぁぁぁ――っ」
腰を捻って力を溜め、剛力で凍った首を裂き斬った。
切り離された火竜の身体が沈み、首が追うように落ちる。
マグマの飛沫が高く上がった。
降り注ぐ溶岩の雨を受け止めてから氷の盾は消え、同時に足下の熱が引いてゆく。
「アキラの魔術玉、すげーな」
火竜とともに熱い溶岩に落下したシュウは、火蜥蜴の背中を飛び石のようにたどって確かな足場に戻った。
「や――やっちまった」
「すげぇ……!」
「竜を倒しやがったぞ」
「うおー、良いものを見たぜ」
ここにいるのはギルド長クラスの熟練冒険者ばかりだ。そんな彼らがまるで子どもか新人のように興奮している。
「ぼけっとしてんじゃねぇ。次がくる前に魔核をやるぞ!!」
討伐が疎かになる彼らを、マイルズが一喝する。火蜥蜴の排出は止まっていないのだ。
魔核がある限り、いつまでも火竜は生まれ続ける。そして戦いが長引けば魔術玉や錬金薬の消耗品は尽きるのだ。
「見ただろう、あの竜は飛ぶんだぞ」
シュウの戦いは見事だった。だが狼獣人とて魔術玉なしに次も火竜を討てるとの保証はない。自分たちが束になっても火竜を屠れはしない。そしてチェトロ山から飛び立たれれば、被害はマナルカトだけではおさまらないのだ。岩をも溶かす炎の威力は、大陸を焦土と変えるだろう。マイルズの一喝でそれに気づいた男たちは、慌てて目の前の魔物に集中する。
ひっきりなしに火蜥蜴を吐き出す魔核は、この距離まで近づくと肉眼でもはっきりと見分けがつくようになった。赤く波うつ溶岩とよく似た色をしている火属性の魔核だが、その中心にある墨のような色がまるで鼓動のように動くのが見えるのだ。
「アキ、あと三メートルだ」
火蜥蜴を蹴散らすコウメイは、波うつ溶岩に守られた魔核を睨み据えたまま、後方のアキラに教えた。
三本目の錬金薬を飲み干したアキラは、周囲で戦う冒険者らの位置を測りながら、魔核に向けて冷却の魔法を前進させる。火竜の息からみなを守る氷の盾は、思った以上に魔力を消耗した。足元の冷却と頭上の氷の二つの魔法の維持はギリギリだった。もう一度同じことをやれる自信はない。
「……冷えろ」
マグマの熱を取り込んだ魔核は力を増し、魔核の魔力あるいは魔素に影響された溶岩は熱を高め続けている。長引けば足場を確保し続けられるかもわからない。現に魔核に近づくにつれて、溶岩が固まるスピードは遅くなっている。
「あと一メートルだ」
コウメイの声で、アキラはシュウやノエルらの準備が整っていると気づいた。火蜥蜴を蹴散らしつつ、いつでも魔核を突ける位置を確保している。剣の届く距離まで近づければ、あとは火蜥蜴とともに魔核の力を削ぐだけだ。
「冷えろ……冷え固まれ!」
アキラはコウメイやシュウの後ろ姿を見据え、回復したばかりの魔力を溶岩へと注ぐと、一気に魔核際まで冷やし固めた。
「うじゃうじゃと、邪魔だーっ」
シュウの一閃が魔核を覆う火蜥蜴をなぎ払った。
黒く固まった溶岩をコウメイの剣が叩き割る。
露わになった魔核に魔術玉を打ちつけた。
火竜の炎を凍らせるほどの攻撃魔術は、溶岩ともども魔核の表面を白く染める。
「くそっ、剣が通らない」
ノエルの剣先が弾かれ、硬く高い音をたてた。彼の剣技は一流だが、軽い。魔核を割るには重くて強い攻撃が必要だ。ダコタが打ち、コウメイが斬る。流れるような続けざまの攻撃にも、魔核はびくともしない。
「どいてろっ」
振りかぶったシュウが魔核に剛剣を突きたてる。
重く硬い一撃は、表面にわずかな亀裂を刻んだ。
冒険者らが次々と亀裂を狙い斬ったが、狼獣人のようにはゆかない。
「おい、氷が溶けはじめたぞっ」
魔術玉の効果が消えはじめていた。
炎に錬られた魔核は噴火エネルギーを取り込んで変容し、冷却が追いつかないほどに熱量を増しているのだ。
「アキ?」
攻撃の合間に振り返ると、アキラは再び分断された後方で、火蜥蜴と戦っていた。溶岩に突きたてた杖に手を置いたまま、空いた手で細剣を握り火蜥蜴を追い払っている。コウメイの声で視線をあげたアキラは、何とか合流しようと火蜥蜴の群れに踏み込もうとした。
「無理に動くな!」
そこから魔法をかけ続けろと、コウメイはアキラを止めた。大きな魔法を二つ同時に展開するよりも、魔法と剣戟を並行して行うほうが難しいはずだ。火蜥蜴はマイルズともう一人の冒険者に任せ、アキラは魔法に集中しろと指示しする。
「アキもシュウも自分の仕事をやってるんだ、魔核は俺がやる」
魔術玉もあるし、自分には水の魔力もあるのだ。
「この剣を試すチャンスだな」
コウメイは己を奮い立たせるように笑った。
「おー、やっと魔剣使うのか」
「魔剣じゃねぇっ」
「魔力通すんだから魔剣だろー」
火蜥蜴を引っかけたまま魔核を打つシュウの剣は、ジリジリと亀裂を広げている。
「コウメイの剣は魔剣か。ならば手本を見せてやるぞ」
二人の声を聞きつけたノエルは、魔核に剣を突き当て呪文を唱えた。
「核を守るもの、我の力となれ」
「えーと?」
「何の魔術だよ?」
火蜥蜴にも魔核にも、そしてノエルにも何も起こらない。むしろ彼が動きを止めたことで冒険者らの負担が増えている。遊んでいるんじゃない、と怒鳴りつけそうなコウメイに、ノエルは不敵な笑みを向けた。
「魔核の魔力を喰っている」
「はぁ?!」
「魔核の大きさからすれば微々たるものだがな、私のこの魔剣を通じて魔核の魔力を喰っているんだ。よく剣を見てみたまえ」
火蜥蜴を蹴散らす合間にノエルの剣を確かめた。魔石に突きたてた剣先から柄へと炎の色がゆっくりと移動しているように見えた。攻撃魔術を極めた者だからこそ、そして同じ火の属性だからこそできる裏技だとノエルは自慢げだ。溶岩の熱に増える魔術に消費する魔力を、魔核から補充する。そうすれば錬金薬は必要ないらしい。
「便利っつーか、ビミョー?」
「微々たるモンじゃ役に立たねぇだろ」
「私は、コウメイに、魔剣の、使い方を、教えているのだ!!」
ノエルは剣を持ち直し沸騰する溶岩の上に足を置いた。魔力が満ちているからだろうか、全く害される様子はない。そのまま火蜥蜴に怒りをぶつけている。
「俺の参考にはならねぇよ」
剣を持ち替えたコウメイは、亀裂に剣先を押し込むと、魔力を流し込んだ。




