12 決裂
アキラの声を聞いた瞬間、コウメイは跳び退いた。
光の壁が目の前を隔て、高笑いするヘルハウンドとの距離が開く。一歩踏み込めば斬れるのに、光の壁さえなければ、とコウメイは奥歯を噛んだ。
『お前たち、やめなさいっ』
闇色は苦渋の表情で声を張り上げたが、炎色たちにその制止は届かない。アキラの背を踏んだ赤茶は、魔術陣の中からコウメイたちに向かって吠えた。
『そこの人族! これを助けたければ、お前を仲間だというその獣人を殺れ』
コウメイに人族の仲間か、それとも獣人族か、選んで示せと突きつける。
『転移獣人とやら、人族の本性を見るがいい!』
そしてシュウには、人族は獣人族を選ぶことはない、お前は裏切られたのだと嘲笑う。
『お前が仲間だという人族は、同族のためならば剣を向けるのだぞ』
『我らを襲い、捕えて売ろうとした人族を友だと言うお前を、俺は獣人族とは絶対に認めない!』
「卑怯だぞ、てめぇらっ!」
『お前たちがしたことではないか。同じことをしているだけだ!』
巨体に踏まれるアキラは、痛みに耐え必死に声を殺していた。
『獣人として認められたくば、我らに要求をするのならば、人族を切り捨ててからにしろっ』
絶対に認めないと叫びながら、認められたければコウメイを切り捨てろと言う彼ら。
「べつに認めてもらいたいわけじゃねーよ」
シュウは自身と、獣人とを怒鳴りつけたい気持ちをぐっと抑え込んだ。話せばわかるという考えが軽率だったのだ。獣人たちの事を何も知らないまま迂闊に交渉に臨んだ自分が間違っていた。
「コウメイ、ここまでだ」
次々とヘルハウンドへ変化する彼らを見ながら、シュウが剣を抜く。コウメイが横に並びその表情をうかがった。
「いいのか?」
「しゃーねーだろ。ダチを売れって言われちゃ無理だ」
闇色たちを見据えるシュウの目は醒めきっていた。
同じ境遇の転移獣人に対する思いはある。だが見知らぬ同郷の誰かと、友人との選択を迫られれば、最初からどちらを選ぶかは決まっていた。まして歩み寄る意思のない獣人族とコウメイたちとでは、選択すら必要ない。
「アキラ、思いっきりやってくれていーぜ」
「……では、遠慮なく」
重傷で動けないと思わせていたアキラが、赤茶色の足に隠し持っていた解体用ナイフを突き刺した。
『ぎゃあっ』
「炎弾!」
弛んだ前足から転がり退きながら氷色へと魔術を放つ。
煉瓦が弾け飛び、土埃りが舞い、火花が散った。
素早く立ち上がったアキラは、立ち尽くす闇色の横を走り、光の檻をすり抜けた。
『な、何故だぁっ』
『そんな馬鹿な、魔術陣があるんだぞ?!』
光の壁で捕らえたはずだと信じていた獣人たちは、なんなく仲間と合流したアキラを恐怖の目で見た。
『リアが燃えている!』
『耐えろ、火を消すんだっ』
魔術陣の中央でうずくまっていた氷色の足元から、氷の結晶がたちあがり、毛皮を焼く火を消していった。
「もういいだろ」
無駄な戦いでこれ以上消耗したくないのはお互い様だ。
「俺らは引く。そっちも引けよ」
自分たちはここから町に戻る。獣人たちも自分らの領域へと帰れ、と。コウメイが威圧を込めるまでもなく、魔術陣という守りを失った獣人からはそれまでの傲慢さが剥がれ落ち、動揺と恐怖と、そして同族に裏切られたという怒りに囚われているようだった。
『よくも、よくも――っ!!』
脚から流れる血を忘れ、炎色が身震いし吠えた。
体毛が逆立ち、炎が吹き出す。勢いよく燃えるヘルハウンドの身体が一回りも大きく膨らんで見えた。
「氷壁っ」
膨らんだ炎の塊が襲いかかる。
氷の壁を盾代わりに炎を防いだが、突進の勢いは殺しきれない。
地面に倒れたアキラを襲わせまいと、コウメイの剣が炎を斬る。その背に赤茶のヘルハウンドが牙をむいた。シュウが割り入り、太く頑強な犬歯と打ち合う。弾き飛ばし、その顎を蹴り退けて間合いを取った。
「伏せろ!」
アキラの声に反応して二人は即座に膝をついた。
いくつもの風刃が頭上を通り越し、ヘルハウンドを襲う。
『させんぞっ!』
仲間へと跳び寄った闇色が風刃を叩き散らした。
「魔術って素手で防げるものなのかよ?」
「知らん」
「獣人すげーな」
闇色の相手をシュウに任せ、コウメイは炎色に斬りかかった。
アキラの魔術が赤茶を牽制している隙に、炎色の腹の下に滑り込む。
「くっそ熱いぜ」
チリチリと髪と肌が焼ける嫌な匂いを無視し、腹の下を抜けざまに剣を突き入れる。だが炎をまとった表皮は頑強さを増していて、皮を浅くなぞっただけに終わってしまった。
背後へと滑り出て振りかぶったコウメイを、後脚が蹴りあげた。負傷側の脇腹を蹴られ、背中から倒れ落ちたところに、炎の爪が落ちてくる。とっさに転がり避け起き上がろうとした目の前に、炎の壁が迫っていた。
「水――っ」
コウメイは戦闘で魔力を使うことに慣れていない。火を消すには水だと咄嗟に叫んだが、魔力を込めきれていなかったし、コントロールもしきれていなかった。コウメイが絞り出した水は、あっという間に蒸発して消えた。
ヘルハウンドの吐き出した炎は力を増し、じりじりと地面を焼き、コウメイを囲って迫る。
「丸焼きは勘弁だぜ」
両足でしっかりと立ち、剣を握りなおして気配を探った。コウメイを炎で囲んだことで勝利を確信したのだろう、ヘルハウンドは仲間を助けに向かおうとしてた。
「舐められたものだ」
コウメイはお守り代わりに持っていた魔力回復薬を飲んだ。今度は慎重に魔力の流れを追いかけながら、水をイメージする。剣を上段に構え、仲間の気配を探った。
「とどめ刺すまで終わりじゃねぇんだよっ」
ありったけの魔力を水に変え、それをまとわせた剣で炎の壁を斬った。
蒸発するそばから水を叩きつけ、斬り裂いた隙間から脱出したコウメイは、三体のヘルハウンドに囲まれるアキラの元へと向かった。
+
氷色のヘルハウンドは魔術陣の中央にしゃがんだまま、氷の咆哮をアキラへと撃ち放つ。
「火幕っ」
火の幕で防ぎきれなかった氷飛礫がアキラの全身を打つ。回避に踏み出した先には赤茶色が立ち塞がり、両の爪が交互に襲った。脇差で受け止め、打ち返し、何度か斬りつけるも、防ぎきれなかった爪先が肩や脇の服地を裂き、鮮血が散った。
ギリギリで致命傷をかわすアキラの視界の隅で、炎が高く上がるのが見えた。
「コウメイ!?」
炎色のヘルハウンドは満足げに鼻先をあげ、次はお前だというようにアキラを睨んだ。後ろ脚を引きずりながらゆっくりと迫ってくる。シュウは闇色に足止めされていて、助けは期待できない。
「まずは炎色、だ」
あれを越えて炎の中にいるコウメイを助けるのだ。アキラは炎をまとうヘルハウンドへと向きを変えた。大きく口を開けた炎色は、その犬歯でアキラの頭を狙う。両手で保持した脇差で受け止め、刃を滑らせて口腔を斬りつけた。すぐに引いて間合いを取る。
「後ろだ!」
炎の中からの声を聞き、アキラは振り返りざまに斬り払った。
『ウォ『ギャウォォ――』』
獣の悲鳴が重なった。
アキラに爪と指を切り折られた赤茶が飛び退いた。
正面にいたヘルハウンドから炎が消え、転がり倒れる。
火と片脚を失った炎色は、這って逃げようとしていた。
「危機一髪ってか」
「お互いにな」
切断し奪った後ろ脚を魔術陣の内側に投げ捨てたコウメイは、アキラのもとに駆け付けた。アキラの顔は青黒く変色した打撲痕と、その上からの擦り傷で痛ましい状態だし、爪に切り裂かれた多数の傷口からはダラダラと血が流れている。コウメイは「止血の暇もねぇのか」と吐き捨てた。
そのコウメイの狩猟服はいたるところが焦げ、髪の毛先もチリチリと焼けて縮れ、腕や顔は火傷で赤く腫れている。アキラは痛みを感じたかのように顔をしかめた。
「こんがり焼けたな」
「表面だけだ、美味そうだろ?」
「レアは好みじゃないな」
「ウェルダンは勘弁してくれよ」
中までしっかり焼けていたら死んでいたぞ、とコウメイは笑った。軽口の応酬の間にも、二人はヘルハウンドの攻撃を打ち返し、氷飛礫を避け、反撃した。
+
「どけよっ!」
苦戦しているコウメイたちの元へ駆けつけたいのに、闇色によってシュウの動きは的確に封じられていた。回り込んで抜けようとすればそれよりも早く進路に立ちふさがり、力任せに突破しようとすれば爆発するような怪力でシュウを押し返す。剣で斬り倒そうと攻撃すれば、鋭い爪で弾き返される。
技も力も闇色の方がはるかに上だった。だが彼はシュウの攻撃を受け止め、かわしはしても、自分からは攻撃してはこない。
「どけってんだ!」
『獣人同士が戦う悲劇は見過ごせない』
「ふざけんなっ」
怒りのままに斬りつけた剣は爪で薙ぎ払われた。バランスを崩したシュウは、致命的な隙を見せていた。だが闇色はすっと引いて距離をあけるだけ、進路を妨害するだけだった。
「俺にはな、あいつらがやられてることの方が見過ごせねーんだよ!」
正面から突進し、体当たりと同時に身体を捻って剣を引いた。闇色の毛皮が切れ、胸の位置に斜めに赤い線が入る。
胸に走った痛みと鮮血を見て、信じられないというように闇色がシュウを凝視した。
『同族よりも人族を選ぶのか?』
「言っただろ、友達だって。初対面のてめーらよりも、付き合いも長くて深いんだ。大事な仲間をあんなふうに痛めつけられて、許せるわけねーだろっ!!」
闇色の獣人を挟んで向こうに見えるアキラが、防ぎきれない氷飛礫に撃たれ膝をついていた。赤茶の前足に、コウメイの身体が地面に叩きつけられたのが見えた。
闇色にシュウの言葉は届くけれど、決して受け入れられない。ならば他の獣人たちのように敵対すればいいのに、それもしない。それに怒りが爆発した。
「殺す気で止めろ」
俺は二人を助けに行く。止めるなら、殺す。
シュウは身体の内側から湧き上がる、怒りとも焦燥ともわからない大きな力に身をゆだねた。
『な、なんとっ』
腹の奥から生まれた力が波のように全身に広がってゆく。つま先にまで力が行き渡り、全身の感覚が鋭く研ぎ澄まされる。毛先にまで神経が通っているような錯覚すらあった。
『邪魔すんなっ!!』
シュウの咆哮と圧に、闇色は狼狽え呼吸を忘れた。
みなぎる力を拳にこめて、シュウが闇色を殴り落とす。転がる毛皮を飛び越え、赤茶のヘルハウンドに体当たりし、氷飛礫を叩き落として二人に駆け寄った。
『コウメイ! アキラ! 死んでねーよな!?』
「シュウ、か? お前……その姿」
「お前こそ、死んで生まれ変わったとかじゃねぇよな?」
危機を脱した喜びや安堵よりも、困惑の溢れる二人の様子にシュウは戸惑った。
『はぁー? 何言ってんだ?』
「何って……」
黒と銀の毛に覆われた全身と、伸びた鼻先ときらりと光る犬歯、ぴくぴくと揺れるケモ耳を見た二人の顔が、驚いたのち複雑そうに歪んだ。
「それは後だ、先にこっちを片付けるぞ」
起き上がったアキラは二人に獣人たちを任せると、魔術陣の縁に杖を突きたてた。
「動くな!」
シュウの変化を目にした驚きで、ヘルハウンドらの攻撃が止まっていた。その隙にアキラは魔力回復薬を飲み干してピアスを外す。魔武具によって押し込められていた魔力が、久しぶりにあふれ出た。それを全て杖に注ぎながらアキラは獣人たちに判断を迫った。
「帰り道を失いたくなければ、手を引け」
『そんな、まさかエルフ……っ』
『エルフが人族と和解なんて、ありえない!』
『我々を裏切るなんて……エルフが、エルフがっ』
これまでの怒気や殺気が嘘のように引いてゆき、恐れだけがアキラに向けられていた。
「和解なんかしてねぇよ。こいつもシュウと同じだ」
転移獣人がいるのだ、転移エルフがいたっておかしくはないだろう、とコウメイが獣人たちを威圧した。
アキラは三匹のヘルハウンドを順番に睥睨し、闇色を見据える。
「私はあなたたちの帰り道を破壊できます。どうしますか? 徹底的にやりますか、それとも引きますか?」
『卑怯な』
『どっちがヒキョーだよ。話し合いに割り込んで襲ってきたのはそっちじゃねーか。人質取ったのもあんたらだ。不利になった時だけこっちを悪者にすんなっ』
シュウはアキラの前に出て獣人たちから守るように威圧する。
『純粋なエルフでない奴に、できるわけがない』
「ではやってみましょうか?」
アキラは魔術陣へと己の魔力を流し込んだ。獣人たちが魔石で供給するよりも大量の魔力を注ぎ込み、魔術陣を染め直してゆく。二つの魔力が激しくぶつかり、術式のあちこちで、まるで火花のように光が弾けている。このまま異なる魔力がせめぎ合えば、オーバーヒートを起こすのは確実だ。
「無茶するな」
「やるしかないんだ、黙ってろ」
満身創痍でさらに魔力をありったけ注ぎ込もうとするアキラを心配した声は、苛立ちとともに突き返された。ここで決着、あるいは区切りをつけなければ、自分たちは生きて帰れないのだぞ、と。
杖を起点に魔術陣の色が変わってゆくのを目の当たりにした獣人たちは、恐怖に慄いた。
『やめろーっ』
魔術陣の中央にいた氷色が、侵食する魔力に堪えきれず悲鳴を上げた。
アキラの言葉がはったりでないと気付いた獣人たちは、魔術陣の中心へと踵を返した。片脚を失った炎色も、変色していない中心部へと這いずって逃げこむ。
『……魔力を引き上げてくれ。我々はここに残されては生きていけない』
闇色が炎色の脚を拾い、仲間を守るように立つと、アキラに向いて膝を折った。
人族に味方するエルフと獣人、それら裏切り者に対して屈服しなければならない絶望に、ヘルハウンドたちは嘆き、悲鳴を堪え、すがるように闇色を見つめていた。
『我々は、この道を失うわけにはゆかないのだ』
「私たちは侵略しにきたわけでも、これを破壊したかったわけでもない。シュウの言葉がすべてなんです」
『……わかっている』
闇色は仲間を振り返った。
『お前たちは先に帰って傷を癒せ。私は彼らが立ち去るまでここで見張る』
エルフに魔術陣を押さえられた時点で、いやシュウが獣人族だと判明した時点で、自分たちは勝てないのだと、闇色は覚悟を決めていたようだった。
ヘルハウンドらは帰還を促す闇色に、決意と、かすかな疑いをもってたずねた。
『お前は私たちを裏切らないな?』
『馬鹿なことを……私はすでに選んでいる』
厳しく問う仲間に頷き返し、闇色は炎色の脚を仲間に預けた。そして獣人たちのやり取りを見ていたアキラに『これで良いか』とたずねた。
「彼らが領域へ帰還したことを確かめてから、私たちはここを離れます。決して追っ手を向かわせないでください」
『約束する』
「シュウ、コウメイ、これでいいな?」
『いいぜー』
コウメイも頷いて剣を鞘に納めた。
二人に離れているように言って、アキラは魔術陣へと流し込んだ魔力を引き戻しはじめた。侵食していた虹色の輝きがゆっくりと杖に帰ってゆき、魔術陣が彼らの色を取り戻す。
『行け』
闇色の声で三人の獣人たちは順番に魔術陣の中央に触れた。シュウを、コウメイを、アキラを睨みつけながら、彼らの姿はあらわれた時と同じように光に包まれて消えていった。
仲間を見送った闇色は胸の傷を押さえながら一歩二歩と後退した。攻撃の意思はないと示すように距離をあけてゆく。
「シュウ、荷物を頼む」
闇色の獣人を警戒しながら、コウメイがゆっくりと動き出した。杖を構え、いつでも風刃を撃てる状態を維持したアキラがその後を追う。最後にシュウがひと蹴りで跳躍し、自分たちの荷袋を回収して二人の後に続く。
村の敷地を出て木々の間へと分け入ろうとしたシュウは、ふと背後を振り返った。
瞬きの間に雲が流れ、月の淡い光をうけた廃墟がぼんやりと浮かび上がる。
煉瓦の残骸の中にたたずむ闇色が、影のようにはかなく揺らいだように見えた。
戦闘シーン、ホント難しい。