滅びの開幕
それは晴天の日だった。雲一つない快晴の日だった。
普段通り、人は生活を営んでいた。農民は自分の農地に行き畑を耕し、商人は商品の仕入れと他の町への輸送の準備をし、騎士や兵士は民を守るために練兵を行う。鳥の親子は子供たちのために餌を探しに行き、虫は花の蜜を集める。
たいそう平凡で、何もなければ明日もおなじことを繰り返しているだろう日だった。
しかし、その日常は一体の最悪によって潰えた。
◇
最悪の襲来にいち早く気づいたのは城壁の上でかなたを見張っている兵だった。
「よう。交代の時間だよ」
中年の兵士は若手の兵士にそう告げる。
「……そうっすか……。……じゃ、お疲れ様でーす」
「おう。早く家帰って寝ろよ」
倦怠感を滲ませた若手の兵士に中年の兵士はそう告げる。
自分も若手の頃、夜勤明けはつらかったなと思いながら。
しかし、若手の兵士は下に降りる階段の前で立ち止まる。
振り返って中年の兵士に質問を投げかける。
「……すいません。質問良いですか?」
「……あ?ああ。どうした?」
「今日、森が静かすぎませんか?いつものこの時間なら木の上を鳥が飛んでいると思うんですけど」
中年の兵士も森を眺める。
城壁から森まで1キロメートル程度はあるが、所詮1キロだ。
バリスタでは発射まで約1分程度の時間を擁するため大群で来られると弱い。それでも砲がかなりの数あるので、下手な大群では会敵する前に壊滅させることができる。
とはいえ、森が静まる級の大群や魔物に不意に突撃されると痛い。
だからこそ、二人は森を注視していた。
「……確かにな。いやに静かだ」
「なら、報告してきます」
「ああ。そうしてくれ」
若手の兵士は階段まで足早に駆ける。
しかし、それを中年の兵士が止める。
「おい!」
「なんですか?」
「……全軍呼べ!全軍だ!!」
切羽詰まったような声で中年の兵士は叫ぶ。
空に指をさしながら。
「ドラゴンだ!!この都市を放棄する!!その時間稼ぎのために全軍呼べ!!」
「鐘も鳴らしますか!?」
「早くいけ……!!俺たちがここに長くいるだけこの辺境都市フランセーズは危機に陥っているんだぞ!!」
そのセリフを受けて若手の兵士は走る。階段をすっ飛ばして、司令部へと。
早く。早く。
◇
鐘がなる。
フランセーズの誇りの鐘が民に言う。
危険が来ているぞ、と。
◇
その時、ウィリアムとアリアは部屋にいた。
普段通りウィリアムがアリアを起こしていた時、鐘がなった。
それまでの寝起きの悪さは何だったのかといわんばかりのスピードでアリアが跳ね起きる。跳ね起きると同時に剣をとり、防具を身につけ、ブーツをはく。
ウィリアムはオニキス加護を二人にかける。
そして、二人して窓から屋根に飛び移る。
「ウィル!!」
「わからん!!虫の知らせは確かにする。だが、その割に町の中が普通過ぎる!」
二人は町中に目を遣る。
火の手が上がっていないか。不審な人物が町にいないか。混乱が起きている場所はどこか。
「……俺はギルドに行く!!」
「私は城門の上に行くわ!!」
「「私が/俺が行くまで死ぬなよ!!」」
掛け声とともに、弾けるように移動する。
アリアは幼馴染が後悔で苦しまないために。
ウィリアムは子供が、人類の希望が絶望に侵されないようにするために。
◇
その時、リーナは自分の家にいた。
「鐘、ですか……」
リーナも支度をする。
フランセーズの民としてフランセーズが危機に陥った時、立たないわけにはいかないから。
支度が終わると思にギルドへ直行する。
冒険者にとって緊急時はギルドに行くものと教えられているから。
リーナも気づいていなかったが、リーナの心はここにあらずといった状態だった。
なまじ、決められた動きをしていたためリーナのことを知るフランセーズの住民も気づくことはなかった。
◇
ウィリアムとリーナがギルドにつき、アリアが城壁の上に飛び乗った時。
厄災がフランセーズに至った。
厄災、ドラゴンが。四肢二翼の赤きドラゴンが。
ドラゴンは都市の周りを旋回する。
それに気づいたすべての人はかたずをのむ。もしドラゴンがフランセーズを襲来でもすればこの町は跡形もなく滅ぶから。だから、若手の兵士が、中年の兵士が、アリアが、フランセーズの民が総じて願う。
来るな、と。
「グルァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
アリアがいる城壁の上から斜め45度の位置にドラゴンは停止する。
民の願いを踏みにじり、厄災はフランセーズに宣戦布告をする。
ドラゴンに恨みはない。理由もない。難癖付けることすらしない。食欲ですらない。
ただ、滅ぼす。
それが場所によっては神とあがめられ、悪魔と誹られた獣、ドラゴンの生きざまだから。
故に、次の一撃も必然だった。
ドラゴンの象徴。ドラゴンブレス。
フランセーズの上空でホバリングしたドラゴンがそれを町に放とうとしていた。
ウィリアムは咆哮が聞こえた瞬間にギルドから出た。
そして、その瞬間、大音声で呼ぶ。己の半身を。
「アリアァァァァァァァァァァァ!!」
町中に響いたその声はアリアの耳まで届く。
しかし、それはドラゴンにも届く。
ドラゴンは不快という感情を持たない。厄災は不快などという感情は持たないから。
だから、ウィリアムが狙われたのはただ単純に目立ったからだ。何もない草原に一本の棒があたら狙うのと同じだ。ただ、目立ったから狙う。
だが、大音声はドラゴンに狙われるためではない。無類の信頼を置いている幼馴染に伝えるためなのだ。
だから、城壁の上の幼馴染は阿吽の呼吸でウィリアムの意図を理解する。。
「ウィル!!合わせなさい!!」
剣を天に。足は地に。
掲げた剣をもって炎を斬る。斬らなければならない。
だから、私は炎を切れると信じる。
それでもふと思ったことが口からこぼれる。
「別にフランセーズがどうなろうと私にはどうでもいいのよ。悲しい気持ちになるだろうけど一年後にはきっと忘れてる」
それはアリアの本音だ。人間は忘れるようにできている。痛みを忘れなければ挑戦ができないから、さらなる発展に注力できないから人間は痛みを忘れる。
「けどね、私の幼馴染はそれを忘れられないの。優しすぎるから忘れられない。そして、私は最愛の幼馴染が後悔しながら人生を生きてほしくないの」
だから、引け。斬れろ。
そのためなら伝承、伝説、信仰あらゆるものを斬りとばす。
信念もって彼女は構える。信念の剣を。
「宝石よ。宝石よ。光り輝く富の象徴よ。厄災の一撃を象徴から実体に堕とせ」
ウィリアムも願う。
厄災の象徴。侵されず、あらがわせず、ただ滅びを提供するドラゴンブレス。
それを象徴からただの炎へ堕とすことを。
「ここでお前に無防備に殺されればお前はこれ以上災いを起こさないのかもしれない。そして、人類史に『辺境都市フランセーズ:ドラゴンに落とされる』とでも書かれる事件になるだけかもしれない。人類全体から見たらフランセーズは滅んだ方がいいのかもしれない」
可能性を夢想する。
最大多数の幸福を夢想する。
「だけど、そのために死ぬ?クソくらえ、だ」
吐き捨てながら続ける。
「ここで抵抗すらしないなら、それは人類ではなく猿の所業だ。あがいて、あがいて、あがいて、それでもだめなら別の方法を考える。人類史はそうやって作られてきた」
だから、厄災だろうとなんだろうとあがきとおす。
その決意をもってウィリアムは魔法を構える。
そして、放たれるドラゴンブレス。
赤き象徴が空気を切り裂く。
守護の英雄と不敗の英雄の祈りは一振りの剣に託された。
その剣を振り落とすために、アリアはドラゴンブレスの斜線上へと飛ぶ。
「鋼の剣に用はなし。我振り下ろすは歴史なり。人は火を生み、鉄を打つ。打って、研いだこの歴史。信仰となり剣に宿る。故にこの剣、かん難切り裂く無双の剣なり」
堕ちた象徴に信仰の剣が立ち向かう。
拮抗。
拮抗
拮抗。
「切れなさい!!!」
アリアが怒声と共に剣を振りぬく。
爆発。
爆音。
豪風。
フランセーズに吹き荒れる。滅びの残火。
人類の歴史は厄災をも平定する。故に、象徴の一撃は打ち消される。
されど、人類の歴史軽くはない。
幾多の天才と無数の愚者が積み上げたこの歴史。その身を削って積み上げたものこそ歴史なり。故に、歴史を扱うことはその身を削ることと同義なり。
ウィリアムは上空から落ちてきたアリアを受け止める。
「……やった……、わ……」
切れ切れの声でそう告げる。
体はやけどだらけ、剣も燃え尽きた。体に力は入らない。立つことなんて到底不可能。
それでもアリアは満足げな顔を浮かべる。明日を守れたから。
幼馴染が後悔にさいなまれない世界を守れたから。
普通ならドラゴンがいる今日が心配だけど、今日は大丈夫。
この最愛の幼馴染が守り通すから
「……死なないでね……」
心配なのはこれだけだ。
「ああ。死なん。アリアがここまでやってくれたからな」
幼馴染がここまでやったのだ、自分ができないなんて弱音は吐けない。
だから、ウィリアムはアリアを地に横たえる。
今日を守りに行くために。ドラゴンから人々を守るために。
◇
対空していたドラゴンはウィリアムとアリアの会話を待っていたかのように何もしなかった。城壁が死角となって見えていないはずなのに、何かを感じてドラゴンは上空にとどまっていた。
しかし、二人の会話が終わった瞬間、ドラゴンはフランセーズに侵入する。
一度上空に昇り、一気に急降下し大時計を壊す。
フランセーズの歴史と共にあった大時計を崩壊させる。
「グルァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」
町の中心で咆哮をはなつ。存在感を示す。
ドラゴンの体温は町を燃やす。
木造、石造、材料問わず燃やし尽くす。
これにて予言の一幕が始まる。
登場していないのはドラゴンに立ち向かう一人の少女の身となる。
されど、登壇が遅れれば、神の嘲笑と共に幕は下りるだろう。