ピアスする猫たち
オレンジ猫クラブ
地域猫の会に入った、とお母さんは教えてくれた。
「猫との約束って書類にサインしてきたの」なんて言っている。
近所の前田さんが入っている野良猫の世話をする会を見学してきた、というのはこの前、聞いた。
餌やりに行ったら、お母さんたちにしっぽを上げて嬉しそうに挨拶する猫が何匹もいたそうだ。餌は30分後に片付けられてしまうので、猫たちはいつも早くから集まって待っているらしい。
あんなにたくさんの猫を一度に見たのは初めて、と言って笑っていた。会費を積み立てて猫に不妊手術したり、うんちパトロールなんかもやるらしい。
「りえちゃん、これこれっ」と言って、ケータイの画面を見せてくれる。
『私はオレンジ猫クラブに加入し、地域猫たちのために尽くします』という印刷文字の下に、母が記入したサインとメール・アドレスが写っている。
「オレンジ猫って何?」
「この会の猫はオレンジ色のピアスをしているのよ」
どの猫が手術したのかわかるように、手術した猫にはピアスをつけるらしい。
「おっしゃれな猫!」
うらやましい。中学生はピアス禁止なんだから。
半年前までは我が家にも犬と猫が1匹ずついたんだけれど、父の転勤で街中のペット禁止の団地に住むことになったので、近所の家にもらってもらうことになったのだ。
母はケーキ屋さんでパートの仕事をしているので、時間の余裕がそんなにあるはずはない。何かもの足りなく感じて猫クラブに入ったのではないだろうか。
夜、リビングに行くと母がノートパソコンの画面を熱心に見ていた。猫の写真がずらっと並んでいる。
「猫、いっぱいいるね」
「オレンジ猫が26匹、オレンジじゃないのが9匹」
「チビ黒君にキトラ君、丸子ちゃんか…。今度、本物見せて」
「それがねえ、結構、ややっこしい問題があってねえ。餌をやる場所は秘密にしなきゃならないし…」
元気がない。
「何で秘密なの?」
「猫を捨てる人がいるの。苦情を言ってくる人もいて、いろいろと気を使うみたい」
『当猫クラブは中立の立場です』という文面をオレンジ猫クラブのサイトで見たのは、そういうことだったのかと気づく。
猫嫌いの人たちが野良猫を保護するのはけしからんと苦情を言ってきたり、地域猫が虐待されることもあるらしい。
猫に敷地内を歩かれるのも嫌と言う人がいるのを聞いたことがある。気持ちが悪いらしい。
国によっては、都会の飼い猫は家から出せない決まりがあると父は言っていた。
小鳥や小さな生き物をつかまえるという野生動物みたいな猫も中にはいるので、嫌がる人の気持もわかる気がする。
ネット・ミーティング
学校から帰ると、熱心にお母さんが電話しているところだった。
嫌がらせの投稿がオレンジ猫クラブの掲示板に寄せられたらしい。
メッセージの内容は、
「猫に出す金があるのならホームレスに恵んでやれ。猫なんか殺してやる」というもの。
クラブの会長が今夜、インターネットで臨時のミーティングを開くとメールで連絡してきたので、母と父はその準備をしている。
ヘッドフォンは耳によくないらしい。うちでは小型のマイクをつなぎ、スピーカーで音声を聞いてやるようだ。
その夜、テレビのお笑い番組を見ていると、猫クラブの人たちが話し合っているのがところどころ聞こえてきた。
「IPアドレスがわかっても、ネットカフェーから投稿すれば…」
とか、
「動物の虐待は一年以下の懲役、または百万円以下の罰金っていうのを知ってるんですかねえ」
なんて言っている。
母の話では、30人ぐらい参加しているらしい。でも、発言する人はそんなに多くない。
テレビ番組よりおもしろそうなので、お母さんのノートパソコンをのぞきに行く。
みんなニックネームで参加している。
蝶々:また、猫クラブ潰しがいちゃもんつけてきたんじゃないの?
モモ:私たちは野良猫が増えないようにボランティア活動しているだけなんだけどねえ。
タバサ:変なのがいつまでも出てきて嫌ね。日本にもアニマルポリスつくった方がいいんじゃない?。
店長:アニマルポリスって、虐待されている動物を助け出す24時間体制のレスキュー隊のことですよね。
【解説してくれる人もいるんだ!】
タバサ:そう。私、今、ブーメラン練習しているの、悪人やっつけられるように。誰か一緒にアニマルポリスやろうって方、いませんか?
クーカイ:一度、勉強会を開いてみるのがいいかもしれませんね。
との:鳩をいじめている人がこの前いて、驚きましたよ。いい大人が子供にけしかけているんですよ、全く…。
タバサ:いつも夕方、運動公園でブーメラン投げの練習をしているんですよ、私。皆さん、お時間あったらいろいろお話しましょう!
元気なおばさん、おじさんたちだ。どんな人たちなんだろう。一度会ってみたくなった。
タバサ
「ブーメランのおばさんって、どんな人なんだろうね」
「タバサってニックネームだったわね」
「タバサって何?」
「『奥様は魔女』という昔のテレビ番組に出てた名前じゃないのか?」
突然、横で夕刊を読んでいた父が言った。
「タバサは確か、魔女の娘じゃなかったかなあ」
次の日、部活の練習が終わった後、帰りに運動公園に寄ってみた。タバサはどこでブーメランの練習をしているのだろう。
前に挨拶したことがある犬の散歩グループが輪になって、楽しそうにおしゃべりしている。ヘルニアの手術をしたダックスフントのマリンが勢いよく走りだした。だいぶ元気になったようだ。
あちこち見ながら自転車で走って行くと、遠くの方で何かに向かって物を投げている人がいた。
体つきががっちりしているので、初めは男の人かと思ったが、違った。近づいて行くと女の人だった。70歳ぐらいのおばあさん。熱心にブーメランをいくつも投げている。
「タバサさんですか?」
声をかける。
「あなたもオレンジクラブなの?」
まぶしそうに見ながら言う。
「いえ、母が会員で…。失礼ですが、立派な体格ですね。何かスポーツされているんですか?」
「レガッタよ、わかる?オールで漕ぐボート。昔やってたの」
「あれ、女の人もやるんですか!」
「あなた、女だって何にでも挑戦しなきゃ。宇宙飛行士だって女の人いるの、知ってるでしょう」
「こうやって投げるの。腕は上から真っすぐ下へ!」
タバサにブーメランの投げ方を教えてもらう。うまく投げると、ブーメランは大きなカーブを描いて帰ってくる。
ブーメランに似た狩猟用のカイリーというのも見せてもらった。形はブーメランほど曲がっていなくて、ずっしりしている。これは投げても戻ってこないらしい。
立てかけたフランスパンに向かって、タバサが勢いよくカイリーを投げる。
みごとに命中してパンは飛び散る。
一緒にしばらく練習した後、芝生にすわってお話する。
「どこで投げ方、教わったんですか?」
「YouTubeを見て練習したの。インターネットでいろんなこと勉強できるわよね」
「私もよくYouTubeで音楽聴いています」
「あなたは部活動は何をやっているの?」
「合唱です」
「音楽は私も好きよ」
「タバサって名前は『奥様は魔女』のタバサからつけたんですか?」
「あなた、よく知っているわね。魔女にでもならなきゃって思ったのよ、ある時。それでその名前を借りることにしたの。……夢の中で声が聞こえたのよ。『弱い者たちが苦しんでいる。彼らを助けるのだ!』って、はっきり聞こえたの」
「えっ!誰が言ったんですか、それ」
「誰だかわからない。でもね、魔女にでもならなきゃできないと思ったのよ、そんなこと」
「はあ」
「そうじゃない?私だって強いわけじゃないんだから…」
「……」
「あなたも若いうちに体は鍛えておいた方がいいわよ。どんなのが出てくるかわからないからね」
猫殺し
「今日は楽しかったわ、来てくれてありがとう。暗くなってきたから、そろそろ帰りましょう」
「はい」
何だか不思議な人だった。夢の話をしてくれたからそう思うんだろうか。
それから何日かして、学校からの帰りにまた運動公園に行った時のことだ。タバサは倒れていた。腕から血が流れている。
少し離れたところに、私と同年齢くらいの少年がうずくまってうめいていた。タバサの近くで、犬を連れた老人がはきはきとケータイで誰かと話している。
「タバサ、どうしたの!大丈夫?」と叫びながら、飛んで行く。
左の二の腕は犬のリードでしばってある。でもタバサは、左脇にカイリーをいくつもはさみ、直ぐに投げられるよう右手にカイリーを持って、鋭い視線を周囲に走らせている。
「あの子は猫を襲ったのよ。逃げた二人はあっちに行った」
顎で示しながら言う。私も身構えながら辺りを見まわす。
電話していたおじさんが近づいて来て教えてくれる。
「やつら、そこの茂みの猫シェルターを見つけたんだよ。中にいた猫をナイフで刺しているのをこの人が見つけたんだ。止めさせようとしたら、襲ってきて…」
倒れている少年の足にはカイリーが当たったらしい。かなり痛そうだ。
おじさんは犬仲間たちを呼び集め、逃げた少年を探した。でも、見つけられなかった。
救急車とパトカーが何台もその後、やって来た。何が起こったのかと大勢の人たちが集まってきて、静かだった公園は大騒ぎになる。逃げた二人は名前もわかり、直ぐに逮捕された。
この出来事はテレビのニュースで直ぐに取り上げられ、いろんな分野の人たちが憂鬱そうな表情で意見を言っていた。
猫を殺したことがある少年が残虐な殺人事件を引き起して日本中がパニックになったのを人々はまだ忘れていなかったのだ。
次の日の朝、しんみりした声で母は私に言った。
「地域猫のために尽くしますって、約束したのに何もできなかった…」
「お母さん、タバサにブーメランの投げ方、一緒に教えてもらおうよ」
3人の少年に立ち向かっていくなんて、年をとっているのにタバサはすごい。言うだけじゃなく、やり抜こうとする生き方に感心してしまう。あの時、あのむき出しの闘争心を間近に見て、全力で生きるということがどういうことなのかがわかった。凶暴で手ごわい相手にも向っていかなければならない時があるということもわかった。魔女にでも何にでもなって、これからはいろいろなことに挑戦していこう、タバサみたいに。
この後を続けるか思案中です。そのことも含めて、感想、コメント等よろしくお願いします。




