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拝啓、死望者ども  作者: 丈藤みのる
七月
9/26

七月下旬

今回は短めです

【七月下旬】


 朝から僕は妙な緊張を覚えていて落ち着きがなかった。立っても、座っても、戸を全開にして換気をしても、枕元に積み重ねた本の山を本棚に収納しても、部屋を全体的に掃除しても、布団を退けて昭和のお茶の間にありそうな丸テーブルを部屋の中央に設置しても、座布団を向かい合わせで二枚敷いても、腹の底から込み上げてくる胃の消化物ではない何かは治まってくれなかった。


 緊張しているのは、夏休みの課題を一緒に進める約束を凪沙さんとしていたからだった。夏休みの課題を一気にやってしまおうと終業式だった日の放課後に彼女から提案されたのだ。僕自身、課題は夏休み最初の十日間で粗方片付けて、残りはのんびりと終わらせる予定だったし、一人だとどうしても集中力に隙が生じてしまうだろうからありがたい、と二つ返事で承諾した。その勉強会が正に今日なのだ。


 時間潰しに、教科別に表記された課題範囲一覧のプリントを眺めてみる。夏休みに入る数週間前に「さっさと終わらせて遊びたいだろ」と言い出した藤ヶ谷先生が提示した国語の課題は既に終わらせていた。課題の範囲を公開されたその日、学生の心理を上手く利用してるなと感心すると共に夏休みの課題に余裕ができると心の中で感謝したことを思い出す。課題の量が非常に少なかったのもある。何故少ないかを緋山が訊いたら「課題は授業でやれなかった分だからだ。つまり量が少ない私は授業上手ということになる。つーか課題嫌いなんだよ、出すのも採点もめんどいし」らしい。後半を聞かなかったことにすれば誠に理に適った理由だった。その後の先生は「先生ステキー‼」「ハァーッ‼」と一部を除いたクラスメートたちに崇められ「そうだ崇めろ奉れ」と教祖の如く両手を広げていた。


 改めて愉快な先生が担任になったものだと思ったところで玄関の呼び鈴が鳴った。凪沙さんが来たらしい。時計を見ると、午前九時三十分。約束の時間だった。


 僕は一つ、深呼吸をして、玄関へ向かった。



 自室に招くや否や「おお」と凪沙さんは感嘆の声を上げて、言った。


「広い」


「元々は、泊まる用の部屋でしたからね」


 部屋の中を物珍しげに見回す凪沙さんに向かって僕は、言った。


「そうなの?」


 凪沙さんが振り向く。僕は「はい」と言って、続ける。


「そこに、進学の際、机とか何やら色々運び込んだという」


「そ」


 凪沙さんは短い返事をしながら、映画館の時とは別物の大きめの斜め掛けバックを外した。彼女には、興味があるのかないのか判らない時があった。


「本棚」


 僕の勉強道具が置いてある方と真向いの席にバックを置いてから、凪沙さんは本棚に近付き、ガラス越しに棚の中を覗き込む。


 僕の本棚は正面から見て右側の大棚は漫画が、左側の小棚は小説が占めていた。左下の引き出しと学習机付属の収納棚の下段の引き出しにはライトノベルがしまわれている。ライトノベルだけ目に見えないところに収納しているのは、何となく恥ずかしいからだった。小学生当時エロ小説と誤解していたのが影響してるのだろう。


「本いっぱい」


 凪沙さんはそう言ってるものの、本で埋まっているのはほんの一部で、大半が机の勉強棚や押し入れに収納し切れない小物や教科書といった類だった。途中で飽きてしまった作品は売り払い、別の作品への資金にする主義だからだった。中学生の頃、図書委員の受付をしている内に喋るようになった図書室の常連の学年上の女子生徒が「一度買った本は売らずに本棚に置いている」と言っていたことを思い出す。その人の顔の模細工はどれだけ記憶を辿っても取れることはなかった。


「あ」


「どうしました?」


 僕は何かを発見したような声を上げた彼女に近寄り、隣に立った。


「これ」


 凪沙さんが右棚を指差す。彼女が指した先にしまわれていたのは、僕が初めて全巻揃えた漫画だった。分類で云うとファンタジー学園漫画だった。魔法と怪物が存在する世界を股に掛ける冒険者…通称『旅人』を育成する学園を舞台に、学園で唯一魔法が使えない落ちこぼれの主人公が、退学処分回避試験で開花した魔法を駆使して誰もが認める存在へと成長していく、云わば『弱者の逆転劇』を絵に描いた漫画だ。自分もこんな日が来るのではないかと想いながら楽しんで読んでいた憶えがある。


「知ってるんですか?」


「昔、古本屋で途中まで読んだ」


 どうやら、この街には古本屋があるらしい。今夜にでも場所を調べ上げて、明日行ってみよう。


「因みに、誰がお気に入りですか?」


 僕は訊いてみる。


「じいさん」


 常に生徒をおちょくっている学園長のことだろう。自由人且つ飄々とした性格で、生徒の成長のためなら違法すれすれ(というか違法)の授業カリキュラムを平然と組んだり、物語途中で転校してきた主人公の幼馴染が風呂場に乱入したと聞くや否や「温泉って良いよね」と全く関係のない私情で風呂場を混浴露天風呂に、ついでに学生寮の部屋を男女二人で一部屋にしようと目論むものだから、学園集会を開く度に「教育界から追放されてしまえ‼」と全校生徒からブーイングを受けるのが恒例のキャラクターだった。しかしながらそれらの無茶苦茶な所業は、生徒達の潜在能力を宝の持ち腐れにさせたくないからとか、混浴もとい部屋を男女共同にしたのも、外の世界は資源が限られている分、生徒が将来そのような場面に立ち会っても動揺しないように慣らすためだったりと、生徒の成長を第一に考えた故の判断だったりするから文句が言えなくなるという愉快痛快な人物でもあった。彼女がキャラクターを特徴で伝えてきたのは、昔と言っていたから、名前が出てこなかったのだろう。


「わかります」


「それと、髪長い人」


 長髪のキャラが多い作品だから、どのキャラのことか見当が付かない。


「頭に鳥さん、棲み付いてそう」


 言われてみて、普段は昼寝をしたりと大人しいが、特に用はなくとも主人公達の周りをうろついたりと、不思議な行動をしながら学園生活を満喫している人物のことを言っているのだと察しが付く。確かに彼女の言う通り、あのキャラクターは髪が非常に長い上にボリュームがあるから、頭に巣を作られた状態で歩いている場面があったが、「~そう」と予想してる感じだったから、多分その場面は読んでないのだろう。


「めっちゃわかります」


 僕は深く頷き、肯定する。


「終わったら、読んでいい?」


「いいですよ」


 そう返事をすると、彼女は「ん」とちょっと嬉しそうに頷いた。


「じゃあ、早速始めますか」僕は本棚から離れ、座布団に腰掛けた。


 凪沙さんは座る間際、主人公の刀を構える仕草をして、僕を向きながら「やあっ」と腕を振り下ろした。一刀両断にされた僕は「ぐあああ」と悲鳴を上げて床に転がった。


 凪沙さんは楽しそうに笑った。



 凪沙さんが帰った後、僕は本棚を眺めながら悩んでいた。一学期末のテスト期間が終わったのを良いことに、二週間前から昨日に掛けて、今月の上旬に買い漁った本を全部読んでしまったのだ。


 現在所持している本は既に何周も繰り返し読んでいるので今更読み返す気にもなれない。本以外にはまず散財しないので貯金箱にはまだお金はあるが、気になる作品がない。試しに立ち読んでみた作品は全部外れだった。漫画も単行本で読み進める派だから連載先の漫画雑誌を読もうとも思わない。スマートフォンのゲームも惰性でやっているから面白味に欠けるし、アニメも似通ったものばかりで味気ない。テレビドラマは間違いなく怒声と罵倒と辛辣な発言を聞く羽目になるから見たくない。新しい音楽情報も出ていないし、映画のDVDを借りるにしても行くのが面倒くさいし、そもそも再生媒体が無い。古本屋巡りするにも限界がある。


 完全に詰んでいた。僕はこの夏休み、何を楽しみに過ごせばいいのだろう。凪沙さんとは後日会う約束はしていない。先輩はというと、夏休み明けの八月下旬に行われる文化祭で発表される演劇の脚本添削とアニメ制作部との制作打ち合わせで忙しく、夏休みに入ってから一度もメールのやり取りをしていない。どうして先輩が打ち合わせをしているのかというと、演劇部一年の菊地という男子が創造力と文章構成力があることを見込まれて六月下旬の内に文化祭の劇のための脚本を書き下ろす筈が、テスト勉強で書き起こす余裕がなかったらしく、急遽代役を担うことになったそうだ。成績が悪かったら補習で部活どころじゃなくなるから仕方ないと思うが、先輩は受験生なのに大丈夫なのかと出過ぎた心配を本人ではなく藤ヶ谷先生にしてみたところ、ヤマが外れた上で一学期末試験は学年総合四位と好成績を叩き出したらしいから勉強面に関しては大丈夫なのだろう。それでも、一日の勉強を大切にしないといけない三年生であることには変わりないので、僕の我が儘で連絡を取るのは邪魔になりそうで気が引ける。こんなにも人を恋しく思ったのは何時ぶりだろう。


 孤独感が僕を包み込もうとしたその時、僕は閃いた。


 楽しみがなければ作ればいい。自分が面白いと納得できる物語を自ら作ってしまえばいいのだ。僕は昔から「もしもあの作品に後日談があったら」と想像したりしているではないか。最近だって、

「演劇だったらどうなるんだろう。不良と誤解されている主人公が、ひょんなことから狐の面を付けた正体不明の先輩生徒と出会い、生徒会室に通い詰めるようになる話になるのだろうか。只の日常系じゃ面白くないな。もう一捻り加えよう。狐面を付けた生徒が存在することはそのままに、世界設定は魔法が発現した世界で、現在魔界と冷戦中なのを機に全国の高校に戦闘訓練義務を課した日本のとある港町が舞台。主人公も不良もどきじゃなくて髪が長いから陰湿な印象を持たれているにしよう。主人公は記憶喪失で倒れていたところを見つけてくれたヒロインと同居している。そのヒロインは、主人公と一緒に通っている私立高校の理事長の一人娘だ。ヒロインは早起きが苦手だから主人公にフライパンとおたまで合唱されるのが日課で、毎朝悲鳴を上げているのだ。理事長は四十代でありながら白髪で、常に吞気な微笑みを浮かべている。理事長は一番偉い立場でありながら容量が非常に悪く、冷戦突入で新たに導入された地方ごとの防衛大臣も務めているから不眠症気味で、学校の至る所で事切れたように寝落ちしている姿を目撃されているのだ」と、ライトノベルで文化祭の出し物を決める場面を読むなり何日と跨いで想像を膨らましたばかりだ。暇潰しと孤独感を紛らわすのには丁度良い。


 僕は早速枕元のスマートフォンを手に取ると、メモ機能を起動した。


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