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拝啓、死望者ども  作者: 丈藤みのる
四月
3/26

四月上旬・三

【四月上旬・二】の続きです。

「いやー、嬉しいよ。新しい後輩が出来て。うちの部、ほんと少ねえから」


 授業の合間に書いておいた入部届を受け取るなり、先輩は声高らかにからからと笑った。


「二年生、あんまり入らなかったんですか?」


 僕が遠慮なく尋ねると、先輩は笑い声を止め、都合悪いことを聞かれたかのように乾いた笑みを浮かべながら僕から視線を逸らした。嫌な予感がする。


「……正直に答えてください」


「……うぃす」


「……二年生、何人ですか?」


 時計が鳴った。


「……………………てへぺろ☆」


 頭を軽く叩いた先輩のおどけた表情から、僕は全てを理解した。


 文芸部は、二年生部員が存在していない。先輩一人しかいない部活だった。


「……不味くないですかそれ?」


「不味いね。不味すぎるね。マイナス一つ星レストランだね」


「ふざけないでください」


「ごめんなさい」


 この学校は、最低三人はいないと、部活として受理されず、廃部となる規則が生徒会によって取り決められていた。更に訊くところによると、一年生の頃、やれ全国大会初出場だの団体戦優勝だのと偉業を成し遂げた運動部が十以上あったとのことで、それによって、現在の二年生にあたる新入生の大多数が運動部に流れてしまったらしく、文化部は三人入部すれば多い方と言われる位まで部員獲得戦が熾烈を極めたらしい。文芸部も例に漏れずその現象に巻き込まれ、電子本の普及に伴い、紙媒体の売上が悪くなってる現代の影響と、三人どころか一人も入部者がいなかったことで、当時の引退部員を除いた部員が先輩だけという。それもあり、廃部寸前まで追い込まれたが、演劇部への脚本提供など他の部との合同活動を積極的に行うことで、年内に廃部のところを今日まで期間を先延ばしてもらっていたという。尚、部長呼びはその演劇部の一人から「部長さん」と呼ばれたことで定着したらしい。


 今年は僕が入部申請したとして、それでも現状二人。文芸部が危機的状況下に置かれているのは変わりなかった。


「吞気に座ってる場合じゃありません。早く声掛けしないと」


「そうは言ってるけど、おま、友達いんの?」


「うぐ…」


 痛いところを突かれて、言葉に詰まってしまう。入学式から二週間経った今でも、僕はクラスメートとはあまり打ち解けていない。人付き合いが得意とは、お世辞にも言えなかった。


「でも、狙うなら、今日しかないじゃないですか」


「だいじょぶだいじょぶ。当てはあるからさ」


 なぜこれほど楽観的でいられるのか、僕には理解出来なかった。


 この学校は、部活の掛け持ちは原則禁止されているので、新たに部員を確保するには新入生を勧誘するか、誰かが転部してくるのを待つ以外に方法はなかった。部活の活動上、先輩の交流の幅が広いとはいえ、二年生と三年生の転部は期待出来ない。


「なんでそんなことが言えるんですか」


「そりゃあ、だって——」


 先輩は言いながら、部室の入口を指差した。


「もう、いるし」


 後ろを振り返ると、女の子が入口から顔を覗かせて立っていた。顔立ちはつい最近中学校を卒業した感じで、まだ幼い。ナンバープレートを見てみると、僕と同じ一年生だった。身体はほっそりしていて、ちゃんと食べているのかと心配になったが、病的な細さではない。背もそこまで高くない。傾けられた頭と重力に従い、横に流れている髪の毛は、先輩のとは打って変わって癖がなく真っ直ぐに整えられていて、ショートカットで首の高さに揃えられている。眼鏡の淵の色は大人びた濃い目の赤だった。


 僕が見ていると、女の子は何故だか驚いた表情を浮かべ、反射で幽霊の手をしながら、ぺこりと小さく頭を下げる。僕も釣られて頭を下げる。どこかで会っただろうかと考えてみて、今朝方、横断歩道前で見かけた女子高生を思い出し、その人だと気付く。


 笑い声が聞こえる。再び振り返ると、先輩が口を押さえて爆笑を堪えながら、足を忙しなく震わせている。


 先輩は落ち着きを取り戻すと、「こういうリアリティが欲しかったんだよね」と嬉しそうに僕の今の様子を記録し始める。カメラではなく、筆記で。ここで初めて、先輩がシチュエーションのイメージ定着のために、僕を手の平の上で踊らせていたことに気付く。見事なまでに騙されてしまった。


 僕が一睨みすると「どうよ。私の迫真の演技…‼」と先輩は記録を続けながらドヤ顔を決める。その得意気な表情に腹立たしさを覚え、顔面を殴って、ギャグ漫画みたく顔面に拳をめり込ませたい衝動に駆られる。先輩を通じて演劇部と知り合い、先輩が演劇部の活動場所を訪ねてきたら「転んで手を放してしまった」と称して、タライを先輩に向かって投げ飛ばしてもらうよう頼んでやろうかと思ったが、流石に仕返しの度が過ぎるので直ぐにその考えは捨てた。そんなことを瞬時に考え付いてしまう時点で、僕も結構大概だった。もしかしたら、僕は既にこの先輩の毒牙に掛かっているのかも知れない。


 訊いてみると、演劇部と交流を深めていく内に演技力を身に着けたらしい先輩は、一通り書き記すと、「では、読ませてもらいますか」と僕のとは別の入部届を机の中から取り出した。どうやらあの女の子は、既に提出していたらしい。


 この学校は珍しいことに、「将来的に早い内に書き慣れた方が良い」と、受験関連書類の志望動機書のように、入部届に入部動機を記す風習があるが、僕はあまり好ましく思ってなかった。大学受験や就職試験の小論文を書くのに苦労しないためだとは理解出来るが、その部で活動してみたいから入部したいのであって、必要以上の詮索は余計な気がした。書いた人の動機の良し悪しの感じ方はあくまで人それぞれだし、どれだけ素晴らしい動機だったとしても、それに対して試験官が個人的な感性で気に入らなかったらどうするんだという話だ。それによって、終活に失敗してフリーター・ニート化する事案が発生しているのではないかと思う。


 脱線した思考を元に戻して、まだ読んでなかったのかと問うと、「新刊は一気に読みたい派なんだよ」と分かるような分からないような理由を先輩は述べて、「先ずはお前だ」と僕の入部届を手に持ち、何故か声に出して読み出した。公開処刑されているみたいで恥ずかしいから止めて欲しかったが、女の子の入部動機も気になったので、ここは敢えて口には出さない。


「えーと…、『読書が好きだから』。やり直し‼」


 突然の先輩の暴挙に思わず「ええ…」と不満に塗れた声を上げてしまう。


 どうしてかと理由を尋ねると、「これだと、おめー、担任から『読書なら図書室でも出来る』と言われかねないねえぞ」と至極真っ当な意見を返されてしまう。全くの正論に僕は反論の余地が無くなり、黙って消しゴムを取り出して紙面に擦り付ける。「五時が締め切りだから確実に通りそうなの書いときな。次‼」と先輩はとんだ無茶振りを残して、今度は女の子の入部動機を読み上げる。僕は左耳を傾けて、傍聴する姿勢を取る。


「さて、こちらは……、『元々は美術部希望だったが、文章から登場人物像と場面の風景を想像して描いてみたくなり、色んな部を見学しに回った結果、図書室のとは違った本が置いてある文芸部の方が良いと思ったから』。採用‼」


「ぐふっ……」


 呆気ない合格宣言に、順番の概念は存在していないが、先を越されたショックで頭が勢い良く傾き、首の関節から嫌な音が鳴った。事あるごとに首の骨を鳴らす奇妙な癖が、僕にはあった。そんな僕に追い打ちをかけるように「それに、可愛い女子は大歓迎だしね‼」と先輩は男性ばかりの職場で実際にありそうなことを言い、わざとらしく舌なめずりをして女の子に迫る。


 女の子は貞操に危険を感じて長テーブルを中心に逃走を開始する。全くこの場に関係のないセクハラ発言をほざく先輩に、僕は軽く殺意を抱き、セクハラで通報してやろうかと思ったが、女の子がそうしようと言わない限り、顔見知りが警察に連行される姿は見たくなかった。何より、先輩を失ったら文芸部は廃部となり別の部活を探さなければいけなくなるし、自力で新たな部を探せる気がしないから携帯を取り出すことはしなかった。我ながら酷い利己的だと思ったが、今は入部動機を考える事で頭が一杯だった。


 数秒後、逃走劇を繰り広げていた女の子は先輩専用の机に引っ掛かったことで捕まってしまい、両の頬を撫で回された。案外満更でもなさそうだった。物静かな印象と小さな体躯も相まって、女の子が飼い主に愛でられている猫のように見え、思わず口元が緩む。


 刹那、唐突に新たな文章を生み出そうと足掻いている僕の脳に閃光が走った。昼休みの時と同じ、あの感覚だった。気付いたのだ。入部を決意したものの具体的な理由が分からないまま入部動機を書いてしまった僕が文芸部を選んだ本当の理由に。


 この部に居ると安らげる。先輩と、後から現れた女の子と一緒に居ると自分の存在意義に悩まなくて済むのだ。何故それを記さなかったのかと授業の合間に書いた自分に疑問を抱く。もしかしたら、それを馬鹿正直に書くのが恥ずかしくて、無意識に言語化を拒んでしまったのかもしれない。


 自分の真意に辿り着いた途端、握っているシャープペンが動き出した。言葉が次々と「僕を」「俺を」「私を使って」と主張激しく浮かんできてはパズルのように構築されて紙面に書き出されていく。昼休みの時と同じ、本能が自分を半自動で動かしているような錯覚に陥る。今のこの状態を止めてはいけない。


 僕は本能に身を委ね、文字を記す機械と化した。


 ◇


 紙面の行を埋めに埋め尽くして、書いている間に肺で溜まっていた二酸化炭素を一気に排出する。先輩が「あ。終わった?」と僕に確認するなり入部届を取り上げる。先輩は女性にしてはかなりの高身長なため、紙の位置が高く、ようやく解放された女の子が踵を目一杯まで上げて横から覗き込もうとするが、高すぎてバランスが保てないのか足が震えている。先輩がからかって頭に右手を添えているのもあって、読むことに集中出来てるようには見えなかった。


 僕は筆を止めはしたものの、まだ文体と内容の見直しを済ませていなかった。また駄目出しされたらどうしようと、不安と焦りで顔が歪む。


 しかし、僕の心配に反して、先輩は口元の微笑みを絶やさず入部届から視線を外すと、何も言わずに廊下へ出て行ってしまった。唐突な退室に僕と女の子は顔を見合わせて首を傾げる。扉から見えた部室前の廊下は、蛍光灯の光が届いていないのか薄暗かった。


 ◇


「お前ら何通い?」


 数分後、何食わぬ顔で戻ってきた先輩は、筆記用具等の私物を鞄に詰めながら訊いてくる。再び女の子と顔を見合わせる。


「歩き、です…」と僕は戸惑いながら答える。


「歩き、です…」と女の子も僕と同様緊張した面持ちで応答する。可愛い声だった。声を聞くと同時に、初めて女の子の声を聞いたことに気付く。


「学校来るとき、駅んとこ、通る?」


 多分、跨線橋のことを言っているのだろう。つい最近覚えた言葉だった。


「通ります」と、今度は突っ掛からずに言えた。


「……通ります」女の子は何処のことなのか分からなかったのか、それとも、別の言い回しを想起出来なかったのか、数秒遅れて僕と同じ言葉を返す。


「じゃあ、これから予定ある? 見たいテレビとか」


「ありません」朝のニュース以外の番組は、半年以上前から見ていなかった。


「……ないです」予定があるかどうかを思い出してるのか少し上目遣いになり、数秒間天井を見つめた後に、女の子はそう言った。


 それを聞くや否や先輩は「なら、オッケー牧場だな」と、死語を吐きながら勝手に何かに納得する。自分の言葉が乱暴かを一々判断するのも面倒になってきたので、気にするのは止めようと思った。そんなことを考えていると、先輩は鞄を右肩にぶら下げて、言った。


「お前ら二人、家に夕飯キャンセルの電話入れときな。ラーメン、食いに行くから」


「……は?」


「……ふぇ?」


 時計と見やると、五時四十分。丁度空腹になり始める時間帯だった。下級生同士、唖然とした声を上げると、先輩が意外な者を見るような目を向けてくる。


「あり? ラーメンあんまし好きじゃない?」


「いや、寧ろ好きですけど、なんでまた急に…」僕は豚骨派だった。


「味噌…」女の子が呟いて、「こくん」と小さく喉を鳴らした。


「そりゃあ、お前ら二人の歓迎会開くためだよ」


「……え?」


「何だ? 餃子も付けるか?」


「いえ、そうじゃなくて…。僕の入部届、どうなったんですか?」


「もう生徒会出したぞ。言ってなかったか? 言ってねえな、うん」自分に一人ツッコミを入れる先輩に驚いてみせると、「そんなに驚くことか?」と訊かれる。


「……てっきり、また読むもんだと思ったので」


「あ、なら言うか? 内容全部覚えてるぞ?」先輩が悪戯っ子のような笑みを浮かべる。どうやら墓穴を掘ってしまったらしい僕はやんわりと申し出を断るも、先輩が悪ノリして「一年三組。ほ——‼」と声に出すが、女の子が無言で先輩の口元を押さえて止めてくれたことで事無きを得る。


「そういえば、おまーら、自己紹介してなくね?」先輩に言われて初めて、お互い名乗り合っていない事に気付く。流石に名前を知らないまま食事をともにするわけにもいかないので名乗り出ようとしたら、向こうも喋ろうとしたのか声が重なってしまった。お互いに手で譲り合っていると、「拉致明かねーからそっちから」と先輩から指名される。『自己紹介』と言うより『人前での発言』を嫌っている僕は若干怯えながら名乗る。


「星野…、夜鷹です」案の定、緊張のあまり、一瞬口が硬直した。


「川口な、凪沙です…」女の子もとい川口凪沙さんは、途中で言い直してしまい、顔を赤くして俯いた。家の掘り炬燵の暖房部分を彷彿とした。可愛いと思ったが、傷口に塩を刷り込む趣味はないので黙っておく。


「では、私からも改めて挨拶させて頂こう」


 僕と川口さんが自己紹介を済ますと、先輩は大きく息を吸い込んだ。


「私は文学部部長、四ノ宮葵‼ 女の子は好きですが人並みです‼ 百合と思った奴ははっ倒す‼ 部長は呼ばれ飽きたから先輩呼びだと嬉しく思います‼ 何か段々と面倒になってきたのでスリーサイズは言いません‼ 勝手に想像してろ‼ 分かんねぇだろうがな‼ と、言う訳で——‼」


 先輩はそこで一区切りつけて、息を整える。


「ようこそ、文芸部へ…‼」


 僕たちに手を差し伸べながら、ファンタジー世界の国王が言いそうな台詞を放った先輩の目は、覇気に満ちていた。


「「……ふっ」」


 どこからツッコめば良いのか見当も付かないツッコミ所満載の自己紹介と、後の大真面目な雰囲気とのギャップに、僕は思わず吹き出してしまった。あまりに可笑しいものだから、落ち着くまで時間が掛かりそうだった。横を盗み見ると、川口さんも笑いのツボを突かれたのか、握り拳で口元を塞いでいる。


「……さて‼ 場も和んだことですし、行きますか‼」


 先輩は両手を合わせると、「二次会、二次か……、一次会~」と、はしゃぎながら部室の戸を開けて部室を後にする。僕と川口さんも、急いで椅子に引っ掛けていた鞄を持って、先輩に続いて廊下に出る。


 窓から見える外の景色は、日が落ち始めて夜になろうとしていた。窓に映り込んだ僕の口元は笑っていた。周囲に合わせて笑う事が出来ず、「自分は周りと違う」と孤立感と虚無感ばかり募らせていた僕が自分の意思で笑ったのは、半年前辺りが最後だった。


 廊下の先の広間には「因みに凪沙ちゃんのスリーサイズは(先は聞かなかったことにした)‼」と教師に捕まってしまえばいいと思いたくなる個人情報を流出してくる先輩と、顔を真っ赤にしながら、慌てて先輩の口を塞ぎに掛かる川口さんの姿があった。


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