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空描士見習いレニィの日記  作者: 昼寝枕
2/3

2.認定式の日

3か月前。私はひょんなことから空描士(スカイテラー)見習いの試験を受ける機会を得た。

初めて上がった空陸国には(といっても港だけなのだが)、数隻の大きな船と、多くの小型の船、それにおおよそ船には見えないような、自転車に似た二輪の乗り物が係留されていた。

そんな初めての港の風景を見まわす余裕もなく、私は港のとある建物に設けられた簡易的な試験会場で試験を受けることになり、そこで親方と出会うことになったのだ。

その場に来ていた空描士たちが私の話を

「現実的ではない」

「夢でも見ていたのだ」

と否定的に笑う中、後から現れた親方だけが私の話をちゃんと聞いてくれた。

そして、その時に、

「3か月くらい時間をくれ。そして準備が整ったら正式に弟子として迎え入れる」

と約束してくれた。

約束からおよそ3か月。親方からの手紙には『〇日に見習いの認定日をすることになった。前日にこっちへ来てくれ。来た日からお前は俺の弟子だ』という内容とともに、船のチケットが入っていた。

私は最高に幸せな気分で、手紙を読み終え、その日から指定された日まで、まだかまだかと待ち望んで、そしてようやくその日を迎えたのだ。


「おい!お前たち!!もう朝だぞ!!!起きねぇか!!!!」

その日は、親方のけたたましい大声で起こされた。

慌てて起きてみると、机の上の時計は朝5時を示していた。

私は着替えると、部屋の外に出る。ふんわりと漂ってくる美味しそうなにおいに導かれるように1階へと下りると、そこには不似合いなエプロンをした親方が立っていた。

「おはようございます」

「おう、おはよう」

私と親方はあいさつを交わすと、

「そこにある桶持ってって、外の井戸で顔洗ってこい。そしたら飯にしようや」

そう言って親方は部屋の一角に置かれた小さな桶を示した。

「外へは画材置き場のほうを通って行ってくれ」

親方の言葉に従い、私は昨日は入ることのなかった画材置き場の扉を開く。

中には、絵の具が置かれた棚や、筆や刷毛、溶剤なんかが綺麗に整頓されて置かれており、その一角には作業台もあった。

「割と綺麗に整理されてるだろ?」

部屋の様子に見とれていると、後ろからロッド先輩が声をかけてきた。

「あ、ロッド先輩、おはよう」

私があいさつすると、先輩もおはようと返してきた。

「もっと乱雑に置かれているのかと思ってた」

私が言うと、ロッド先輩は笑って、

「オレも最初ここに来たときは同じように思ってたよ。でも親方、絵に使うものだけは丁寧に扱うからさぁ」

この部屋はいつもきれいなんだよなぁという先輩に、私はクスクスと笑った。

先輩は、中に入って左手の扉の前まで行くと、

「まあ、早く顔洗おうぜ」

と言って、先に外へ出ていった。

私も先輩の後を追い、外に出る。今日の空は快晴だ。

私は井戸へ近づくと桶を下に置き、そこに水を注いで顔を洗う。ひんやりと冷たい水のおかげで、大分頭もすっきりしてきた。

「そういえば、今日は親方が朝ご飯を作ってるの?」

私が言うと、

「まあね。他のアトリエだと見習いだけで家事とかその他の細々とした用事はしなけりゃいけないらしいけど、うちは家事は親方も含めて当番制だし、他のことも手が空いてるやつがやればいいってスタンスだから、ほかのアトリエと比べると結構楽な方らしいぜ?」

先輩はニカッと笑う。

「料理当番のやつは朝は4時くらいに起きるんだ。5時にはご飯が食べられるように用意して、5時になったら他の人たちを起こす。昼は12時ごろ、夜は7時ごろに食べれるように用意するのが決まりだよ。で、食料が足りないと思ったら1層に買いに行ったり、外に出かける日は弁当を作ったりもするんだ」

なるほど。地上で生活していた時は5時半起床だったから慣れるまでは少し大変かもしれない。

そう思いながら私はロッド先輩と一緒に部屋の中へと戻った。

すると、食卓にはパンとサラダ、何かの肉の塩漬け(だと思う)を炙ったものと色の濃い卵焼きが並んでいた。

「うわぁ~、美味しそう!」

私がそう言うと、

「そうだろう、そうだろう」

と、親方は胸を張って嬉しそうにしている。

「やった、ハイイロイノシシの塩漬け肉だ!」

先輩も嬉しそうに椅子へ座る。

「レニィ、こっちに座んな」

親方に促されて私も席に着くと、

「じゃあ食べるか!」

と、親方が言うと、みんな一斉にご飯を食べ始める。

「野菜は地上で採れるものと変わらないんですね」

サラダを一口食べ、私が言うと、

「まあな。根菜なんかは地上で採れるもののほうが美味いぞ」

と、親方が教えてくれた。

「こっちの卵焼きは色が濃いですけどこれは…?」

「それはミルミル鳥の卵だ。ミルミル鳥は肉は野生のものじゃないとまずくて食えたもんじゃないが卵は雲海のある空陸(アーク)で卵を取るために養殖してるやつがいるくらいポピュラーな食べ物だ」

美味いぞ、と言って親方が食べる。

私も食べてみると、濃厚で少し甘みを感じる。鶏の卵よりも美味しい。

ハイイロイノシシの塩漬け肉もしっかりとした味で、脂身はとろけそうで美味しい。夢中になって食べる私を、親方は嬉しそうに見つめていた。

「レニィ、お前今日は後で認定式に行かなきゃならねぇからな。しっかり食って、認定式の最中に腹が鳴らねぇようにしとけよ」

私はパンを頬張りながら、頷いた。

朝食を食べ終わり、食器を片付けているときだった。

「そうだ、昨日も言った通り、食事の準備と掃除と洗濯は当番制でな。アトリエに帰ってきたら明日からの順番を決めるから、お前らも覚えとけよ」

親方はそういって食器を洗い始めた。

私と先輩は台所を離れた。

歯を磨いたり、身だしなみを整えたりといつでも外に出かけられる準備をする。

時間が経つにつれ、段々と緊張してきた。

「レニィ、大丈夫か?」

先輩が声をかけてくれる。

「大丈夫、大丈夫」

そう言ってみたけど、ちょっと大丈夫じゃなかったりする。

「ちょっと庭に出てくる」

そう言って庭に出て、深呼吸をした。

真っ青な空を見上げると、段々と緊張がほぐれてきた。

「今日は地上とほぼ変わらねぇ、朝昼晩の色が見られるようだ」

振り返ると、親方が立っている。空を見上げる親方に、

「そういえば昨日は1日中夜空だったんですよね。…満天の星空にしてはちょっと暗かったし、星も大きさが均一な感じでなんか…その…」

私が言葉を濁していると、

「ほう、気づいてたか。昨日の星空はもうすぐ正式な空描士になるやつが描くにしてはえらく雑だった。きっとあの空を見せられた、その見習いのお師匠さんは凄く怒ったと思うぜ?」

親方はニヤリと笑うと、

「まあ、俺もそろそろ支度をするかな。30分後には出かけるから準備をしておけよ」

「わかりました!」

私は親方が建物内に入るのを確認し、もう一度だけ空を見上げて深呼吸をしてから部屋へ向かった。

最終確認をして、机の上に置かれた懐中時計を手に取る。落ちないように上着の内ポケットに入れると、

「よしっ」

気合を入れて、部屋を出た。

1階にはキッチリとした恰好のロッド先輩がいた。昨日と同じ帽子もかぶっている。

「準備できたかい?」

先輩に聞かれ、私はうん、とうなずいた。

「あとは親方だな」

そう先輩が言ったところで階段のほうから物音が聞こえてきた。

見ると、親方が青を基調とした礼服に身を包んで2階から降りてきた

「おう、待たせたか」

「親方、その恰好は…?」

「空描士としての正装だ」

「ただの正装じゃなく、最上位の空描士の正装でしょう。…レニィ、空描士の正装は普通はこんなきらびやかじゃないんだぞ。最上位の空描士だけ二つ名に入った色を使った正装を仕立ててもらえるんだ」

どうやら親方の今の服は凄いものらしい。

「じゃあ、普通の空描士の正装って…?」

「白いんだ」

先輩の答えに、

「あれはあれで嫌なもんだよなぁ。汚れは凄く目立つしよ」

というので、

「汚さないでくださいよ」

と、先輩が言った。

「まあ、2人とも行くぞ」

「はい」

親方の後に続き、私たちはアトリエを後にした。

前を歩く正装姿の親方を見ていると、ふと、親方が腰につけている紋章が揺れているのが目に入る。

そういえば昨日時計屋に入る時も、レストランに入る時も、親方はあの紋章を見せていた。

「先輩、親方が腰につけてるあの紋章、何?」

先輩に聞いてみると、

「あれは正式な空描士の証さ」

と言う。

そして、気づいたように、

「親方、最上位の証はちゃんと持ってきたんですか?」

と言うと、

「持ってきてるって。ほれ」

と、胸のポケットから群青色の、吸い込まれそうなほど透き通った石がついた、筆をモチーフにしたタイピンのようなものをとりだした。

「綺麗ですね」

私が言うと、

「そうか」

とだけ言って、親方はピンをしまった。

「落としそうだからあんまり持ち歩きたくないんだよなぁ」

「そんなこと言って持ち歩かないから。買い物のときとかにそれを出してくれたら結構待遇もよくなるのに…」

「別に待遇なんて空描士証見せただけでも十分良いだろう?それ以上の待遇なんて俺は望んでません」

そう言う親方に、先輩はブーブーと文句を言う。まあ、その文句も本気では言っていないのがわかるんだけど。

そんな話をしていたら、目の前に転移門が見えてきた。

「そういえば今から行くのって空描士の本部ですよね?どこにあるんですか?」

それらしい建物は見当たらない。

先輩はにやにやとこちらを見て、

「まあまあ」

と、言うだけだ。

親方が転移門に近づくと、2つの証を見せつつ、

「よろしく頼む」

と、門番に言った。

門番は証を確認すると、

「ガロン殿、お待ちしておりました」

そう言って、腰にぶら下げた月の鍵と制服の内ポケットから取り出した太陽の鍵を合わせ、門に突き立てた。

いつもとは違い、青く光り輝く円に乗ると、一瞬で今まで見たことのない風景へと変わる。

ドームの天井が先ほどよりも近い。円から外に出ると、うっすらと光り輝く道が奥の建物へと続いていた。

「ここは…?」

「空描士とその見習いにしか立ち入れない、第4層。ここが空描士の本部さ」

先輩が嬉しそうに言った。

親方は、

「正確には空描士とその関係者以外は立ち入ることのできない、だがな。ここには3層の転移門からしか来ることができない。ここに入れるのは空描士、現役を引退した空描士、見習い、見習いから空描士の道を諦めてここに残ることにしたやつさ」

と、周りを見渡す。

床は鏡のように空を映しているのに、人や建物の姿は映らない。まるで空の上を歩いているようだ、と思いつつ、私は親方と先輩の後に続いて光り輝く道を歩き出した。

本部は神殿のように荘厳で、中へ入る私も身の引き締まる思いがする。

本部にはロッド先輩と似た帽子を被った人や、空描士の証を腰に下げた人の姿がちらほらと見える。

中を進んでいくと、奥に巨大な地球儀のようなものが見えた。

「レニィ、こっちだ」

「はい」

親方の後ろをついていくと、やがて1つの扉の前で親方は止まった。

「ここが認定会場だ。今回認定を受けるのはお前1人だが、そんなに緊張せず気楽にいればいい」

親方はそう、私の頭の上にポンッと手を置いた。

「オレも親方と一緒に横から見守っとくから、落ち着けよ~」

先輩も笑ってそう言ってくれた。

「それじゃ、入るぞ」

親方はそう言うと、空描士の証を扉へと近づける。すると、扉がひとりでに開いた。

部屋はちょっとした広間のようになっていて、その一番奥に、優しそうな初老の女の人と、帽子を被った男性が立っていた。

「お待ちしておりました。空描士ガロンとその弟子たちよ。空描士ガロンと見習いロッドは右へ、見習いレニィはそのまま前へ進みなさい」

親方は、私を見て「お前なら大丈夫だ」というように力強く頷き、先輩と共に右側へと歩み始めた。

私も、

「はい!」

と大きく返事をして、前へ進む。

女の人の前まで行くと、

「本日はよく来てくれました。私は空描士認定員のアンと言います。これより、認定式を始めます」

女の人…アンさんはそういった後、私に近くに置いてあった椅子に座るように促した。

私が椅子に座ると、

「まず、あなたには絵を描いてもらいます。ただの絵ではありません。空の絵です。あなたが好きな空を、貴方が思うままにこの布に描きなさい」

そう言って、スケッチブック大の、薄く透明なガラス板のようなものを手渡してきた。周りがひらひらしているので、おそらくこれが布だろう。

「布はこちらに立てかけて、道具はここにあるものを好きに使いなさい」

言われるままに、手渡された布を立てかけると、私は筆と絵の具などの道具を手に、その透明な布に空を描き始めた。

地平線へ沈んでいく真っ赤な夕日に照らされ、赤く染まる空。高い位置ではもう夜が迫ってきている。

深く吸い込まれそうな夜空の青と、夕日に照らされた低い空の赤。

わたしは一心不乱にその絵を描き上げると、

「できました」

と告げた。

アンさんは、私が描いた絵を男性に手渡すと、男性はそのまま横にある扉から出ていった。

「彼が帰ってくるまでの間に、空描士という職業のはじまりについてお話をしましょう」

アンさんはそう言うと、私の目の前に座る。

「大昔、まだ空陸が地上にあった時の話です。その時はまだ空は空描士に描かれるものではなく、自然に朝、昼、晩と色を変えていました。晴れも、雨も、すべての天候が天の気のおもむくままだったのです」

そう言って、にわかには信じられない話をし始めたのだ。

「しかし、ある時、当時地上で栄えていたある大国が天候を操るすべを手に入れました。作物や天災などを避ける目的で天候を操り、ほかの大国もその方法を手にし、大国はさらに栄えていったのです。ですが、そのすべは段々と兵器として利用されるようになっていきました。自国に反抗的な他国に対し、絶え間なく雨を降らせ、土砂災害を引き起こしたり、反対に長期間晴れの天気から変えずに干ばつを起こしたり…大国同士の争いになると、互いに重要な施設がある場所に雷が落ち続けるようにしたり、自然であるなら100年に1度という大嵐を数週間にわたり起こし続けたり…そうやって、どんどん、地上では災害が多くなっていったのです。いえ、兵器利用される前からすでに天気を操れないところでは異常気象が起き、それに伴う災害が起きていました。それが、兵器利用されるようになり激化した、といった方が正しいでしょう。植物は枯れ、大地は衰え、生物も多く死滅し、それでも止まない争いに我々の祖先はただ天に祈るしかなかったのです」

アンさんはしっかりと私を見つめ、すると、と続ける

「ある日のことでした。突然、空が砕け散ったのです。世界は暗闇につつまれ、星も、月も、太陽も輝くことはありませんでした。雨も降らず、さらには風もほぼなくなり、段々と冷たくなっていくその世界で人々はただ恐怖しました。きっと神の怒りをかったのだ、と何もなくなった天へ祈りをささげる人もいたそうです。そうこうしているうちに、また突然に世界は動いたのです。世界にあった小さな島やなすすべなく翻弄されてきた小国などが突然地上を離れ空へと浮かび始めたのです。空へと上がった人々は、わけもわからずただ途方に暮れるだけ。そんな空へと上がった国の一つに芸術の国、と呼ばれ、優秀な画家を多く擁している国がありました。その国の画家に、空の絵を描くことを生きがいとしている者がいました。ある日、彼の手に1枚の布が落ちてきました。画家はその布を手に取った時に『その布に空を描きなさい』という声を聴いたといいます。画家は、わずかな灯りで布を照らし、一生懸命に空を描きました。そして、画家が絵を完成させると、それまで暗闇に包まれていた世界が突然明るくなりました。世界に空が戻ったのです。明るくなった世界で、空へ上がった人々は『これからはそなたたちが天候儀を見て空を描け』という声と、天井に浮かぶ巨大な球体を見つけました。巨大な球体こそが今もこの本部に置かれた『天候儀』。その時、天候儀から空を読み、描く『空描士』が誕生したのです」

そこまで話し終え、一息ついたところで先ほどの男性が手に箱を持って戻ってきた。

「ありがとう」

アンさんは箱を受け取ると、私に向き直り、

「…先ほど言った通り、空描士というのは天候儀に従い、空を描いていきます。もしも描くことになった空が大変な嵐だとしても、何日も続くような日照りであっても。レニィ、あなたは地上出身ですね。…もしもあなたが空描士になり、あなたの故郷の空を描くことになったとしましょう。その時天候儀があなたの故郷にとてつもない災害をもたらす空を映し出したとしても、あなたはその空を描き上げなければならない。どれだけの人や、動物が犠牲となってもです。あなたにその覚悟はありますか?」

そう、真剣に告げる。

私は、空が好きだった。こんな素敵な空を描けるようになりたいとずっと思っていた。でも、空は時として嵐を巻き起こし、さらに災害を引き起こす。

空描士になるということは、自分の好きな空を好きなだけ描く、ということではなく、時には地上に暮らすすべての生き物にとって非情な結果をもたらす空も描かなければならないということだ。

この人の話を聞いて、私は今更ながらにそのことを考えた。

災害を引き起こす空を描くということは、とても恐ろしいことだ。

でも。

「はい。それが空を描く、ということなら」

どんなことを言われようが、私の心はすでに決まっていたのだ。

私は真っすぐにアンさんの目を見返して、きっぱりと言った。

そんな私を見つめ、アンさんは優しく笑うと、

「ならば、私はあなたを見習いとして認めましょう」

そう言って、箱を開ける。

中には帽子が入っていた。帽子についたリボンは、さっき私が描いた夕方の空と同じ色をしている。

「この帽子こそが見習いの証。リボンは先ほどあなたの描いた絵を加工したものです。このリボンになった絵は、あなたが見習いとして初めて描いた空となります。これからは常にこの帽子を身に着け、もしも心迷うことがあったなら、このリボンを見てその空を描いた時の心境を…今日という日を思い出しなさい」

私は手渡されたその帽子を、帽子についているリボンをしばらくの間見つめ、しっかりと被った。

「ありがとうございます」

これで本当に、見習いとなったのだ。

右側を見ると、親方とロッド先輩が嬉しそうにしているのが見えた。

「レニィ、最後に一つだけ言っておかなければならないことがあります」

アンさんはそういうと、真剣な顔つきになり

「先ほどの問いと似たような話になるのですが…我々空描士は天候儀に従い、空を描きます。しかし、やはり優先的に良い天気に恵まれるようにしてほしいと、口出しをしてくる国もあるのです。そういった国の中にはなんとしても良い天気を手に入れるために、大金を積んで便宜を図ってみたり、家族や大切な人を人質に取って脅してくるようなところもあります。それでも、天候儀によって定められた天候を変えることは許されません。もしも天候を勝手に変えてしまえばまた大昔のように地上が荒廃してしまうからです。何があっても空描士は空描士たれ、自らが天候を操る神になるべからず。そのことを忘れてはなりませんよ」

私も、真剣な顔をして

「わかりました」

と言った。

「それでは、認定式は以上です。あなたが立派な空描士になることを心から祈っていますよ」

そう言うと、アンさんと男性は横の扉から出ていった。

「レニィ、おめでとう!」

出ていくと同時に、祝いの言葉と共に、ロッド先輩が抱き着いてくる。

「先輩。ありがとう」

私もぎゅっと先輩を抱きしめて言った。

そんな私たちを見つめながら、親方も嬉しそうにしている。

「レニィ、まずは正式な見習い認定おめでとう。だが、ここからが大変だぞ。正直、見習いには師匠さえいれば誰でもなれる。だが、空描士になるために10年も20年も修行する奴がいる。それだけ空描士になるのは大変だってことだ。これからは俺の描く空の絵だったり、うちの書庫やこの本部に保管されている歴代の空描士たちが描いた空をまとめた本だったりを参考により多くの空を描け。お前ならいい空を描けるようになるさ」

親方はニッと笑って、私たちの入ってきた扉へ向かった。

「せっかくだし帰る前に天候儀でも見ていくか」

「はい!」

親方の言葉に、私は大きく頷いた。

親方の後ろについて私と先輩は歩く。その時に先輩の認定式の時はどうだったか、という話をした。

「オレが描いたのは青空だったんだ。雲一つない快晴。いまだにこの帽子のリボンを見ると思い出すよ」

そう、懐かしそうに語る先輩の話を楽しく聞きながら、巨大な地球儀のようなものが見える場所まで戻ってきた。

「あれが天候儀だ」

親方がその地球儀のような巨大な球体を見て言う。

天候儀の目の前まで行き、見上げると、ゆっくりと回転しているその球体は、晴れて青い場所、夕暮れで赤く染まっている場所、雷雲が光っている場所など様々な様子を見せている。

「空描士たちはこの天候儀をもとに空を描く。晴れならどんな青空にするか、雲の形をどうするか、雨でも小雨なら、大雨ならっていうので雲の色をどうするかとかな。そういったのが空描士の技術ってやつだ。天候儀をもとに描くって言ってもただの模写をやるわけじゃあねぇってことを忘れるなよ」

親方の言葉を聞きながら、私はじっくりと天候儀を見つめる。しばらく見つめていると、

「もうそろそろ行くか」

と、親方が言った。

先輩が親方の後を追って歩き出す。

私も、最後に一度だけ天候儀を見上げると、2人の後を追った。

本部の出口に差し掛かった時、目の前から茜色を基調とした服を着た、男性が歩いてきた。

男性、とはいえ、恰好は女性のようだったけど。

その人を見た瞬間、親方は苦虫を嚙み潰したような顔になった。

ロッド先輩も嫌そうな顔をする。

「おや、あなたたちは…そう、今日が彼女の認定式だったのね」

妙にねっとりとしたしゃべり方のその男性に、

「モーガン、てめぇ何しにここに来たんだぁ?」

嫌そうに親方が言う。

私は、3か月ほど前に彼を見たことがあった。空描士見習いの試験を受けに来たときに、最後まで親方と2人、私をどちらの弟子にするか言い争っていた人だ。

「いやぁねぇ。私は天候布をいただきに来ただけよ。あら、そのリボン。あなた、夕暮れ時を描いたのね。…だったらやっぱり私のアトリエに来ればよかったのに」

親方の横を通り抜けながら、そんなことをモーガンさんは言う。

「あ、あの…?」

私はどう答えていいかわからず、戸惑いながら親方を見ると、

「けっ、よく言うぜ。…レニィ、そいつの言うことなんざほっとけ。とっとと行くぞ」

親方は心底嫌そうな顔でモーガンさんをにらみつけると、転移門に向かって歩き始めた。

「あら、態度の悪いこと。お嬢さん、あんな野蛮人のもとが嫌になったらいつでもおいでなさい。私が本当の夕空を教えてあげるわ」

そう私にささやくと、モーガンさんは建物の奥へと消えていった。

私は、モーガンさんに頭を下げ、親方たちの後を追う。

「あのー…あの人は…?」

空描士だというのは知っていたが、親方たちの態度が気になり尋ねてみると、

「あいつは『黄昏の魔術師』モーガン。親方と同じ最上位の空描士だよ」

と、ムッとした顔で先輩が教えてくれた。さらに、

「…何が私のアトリエに来ればよかった、だよ。見習いに教える気なんかなくって、小間使い程度にしか見てないくせに。なんであんな奴が最上位なんだよ」

と、ぶつぶつ文句を言っている。

「あんな奴のとこ行ったって、空を描く暇もなく働かされ続けて、しかも見習いをやめさせてももらえずに延々と奴隷生活になるだけだよ。そんな奴があいつのとこにはたくさんいるんだ。ほんと、たまたま親方が試験見に行っててよかったな」

先輩の言葉を聞いて、私は血の気が引いた。3か月前も今も、あの人は優しげに私に接してくれた。もしも、親方があの時名乗り出てくれなかったら、私は騙されたまま、絵を描くことすらできなくなっていたのかもしれない。

「まあ、本当に認めた奴にはちゃんと技術を教え込んでいるらしいがな。その本当に認めた奴っていうのも自分のアトリエに貢献してくれる家の子供とかばかりで、、そういう家の見習い以外はその見習いの小間使いにさせられてるからな。胸糞わりぃ」

親方は吐き捨てるように言うと、はぁっと大きくため息をついて、

「まあ、あんな奴の陰口をいろいろ言ったって面白いことも何もねぇし、気分変えて職人街に行くぞ」

親方はそう言うと、転移門の門番に、

「3層に頼む」

と行った。

職人街なら2層なんじゃ、と思っていると、

「ちょっとお前ら転移門の近くで待っといてくれ。さすがにこの恰好じゃうろつきたくないんでな、一回帰って着替えてくる」

そう言って、まずは3層へと下りた。


親方を待つ間、私は先輩としゃべっていた。

先輩が、

「そういえばレニィって夕空が好きなの?」

と尋ねてきた。きっと私が夕空を書いたからだろう。

「うん、結構好きかな。今日描いたのは故郷で最後に見た夕空なんだ」

私はその空を見たときに、もう夜が来ると思ったときに少しだけ泣いたことを思い出した。

たった2、3日前の話なのに、なんだかずいぶんと前の出来事のような気がする。

「…私が、夕空を好きになったのは10年以上前のことなんだ。当時4歳くらいで記憶もおぼろげなんだけどね」

そう、もう10年以上も前の話だ。

それが、私が空を好きになった理由。

「あの日、何かがあって、母と喧嘩して、怒って外に飛び出したのよ。お母さんなんて大っ嫌い!なんて言ってね。当時住んでた場所は農村でね。家を出るとすぐ目の前には収穫直前の小麦の畑が広がっていたの。私はそんな中を大声をあげて泣いて歩いて行った」

そう、あの時も私は泣いていたんだ。

「目の前には大きな夕日。ほとんど沈みかけていたけれど、沈む直前、すごく眩しくて、びっくりして…それでちょっと泣き止んだときだった」

そう。今でもその光景は目に焼き付いている。

「目の前が一瞬、黄金色に染まったの。夕焼け空でそういう比喩表現を使うことがあるけど、比喩とかじゃなくって、本当に空も、空に照らされた私や周りの風景も、一瞬金色に光り輝いたわ。その一瞬は、それまで泣いていたことも、怒っていたことも忘れてしまうくらいに綺麗で、私を追いかけてきた母に、その当時に使えた最大限の言葉で伝えようとしたの」

母は、そんな私を抱きしめて、うん、そっか。いいものを見たんだね、と言っていたっけ。

「でも、その時の言葉じゃ正確には伝えきれなくて。何年か経って、その時のことを母に聞いてみたけれど、私を追いかけてきたはずの母は、そんな光景を見ていないって言ってた。でも、あれは夢なんかじゃない。だって、あの一瞬だけはこんなにも鮮明に思い出せるんですもの」

私が空を見始めたのは、ずっと見ていればあの「黄金の一瞬」にまた出会えると思ったからだ。そこから段々と空自体が好きになり、やがて空描士に憧れ始めた。

私がそう夢中になって語っていると、

「その思い出に残る空があったから、お前は今ここにいる、いいことじゃねぇか」

いつの間にか戻ってきていた親方に、後ろから声をかけられた。

「親方、いつの間に!」

「ん~?母親と喧嘩したってあたりか?」

「ほぼ最初からじゃないですか!」

私が言うと、親方は悪い悪い、と笑って言う。

「それじゃ、職人街に行くぞ」

そう言って親方は門番に話しかけ、転移門へ乗る。

「あ、もう!待ってくださいよ」

私と先輩は、急いで親方の後を追った。

2層にたどり着くと、細い裏路地を抜けて、小さな店の前までやってきた。

店の軒先には筆の形をした看板がぶら下がっている。

「おーい、ササムラ。いるか~?」

扉を開けると、親方は店の奥へ呼びかけた。

すると、はいはーい、という声と共に、奥から昨日私を親方のアトリエへ案内してくれた女性、ササムラさんが現れた。

「やあ、おやっさんにロッドにレニィ。よく来たね」

ササムラさんは笑って言う。

「お、見習いの帽子か。認定式の帰りかい?」

その割にはおやっさんの恰好普通だけど、というササムラさんに、

「あんな堅っ苦しい恰好いつまでもしてられるかよ」

と、親方は肩をすくめて言う。

「おやっさんらしいねぇ」

ササムラさんは、ははっと笑うと、

「それで、今日はレニィの筆かい?」

「その通り。練習にいい筆はあるかい?」

親方が尋ねると、

「ちょうどいいのがあるよ」

と言って、ササムラさんは一度奥へと戻っていく。

次にこちらへやってきたときには、一抱えもあるケースを手に携えていた。

「この間片づけてた時に出てきたんだ。修理も済んでる」

そう言って、ケースを開くと、パレットと、飴色の柄の筆が小さいものから大きいものまできちんと整頓され、収められている。

「…これは…」

少し筆を見つめていた親方が、驚いたように目を見開く。

「どうかしたんですか?」

「いや…」

私の問いに親方は言葉を濁す。

すると、

「この筆は20年くらい前にとある空描士見習いが使っていた筆さ。その人は100年に一度の天才って呼ばれててね。わずか3年で正式な空描士になったのさ。そして、空描士になった時にここの先代…あたしの親父にこの筆たちを預けていった。もしも、この筆を必要とする人がいたら、その人にあげてくださいって言ってね。でも、先代も頑固でね。自分の眼鏡にかなう相手じゃないと譲らないって言って、結局そのまま死んじまった。そのあとどこにしまい込んだかもわからなくなってたが、ついこの間ひょっこりでてきたんだ」

ササムラさんは懐かしむように言う。

「まあ、せっかく出てきたんだし、って思って修理してたんだけどね。数日前やっと仕上がったところだったのさ」

そう言うと、ササムラさんはケースを閉める。

「どうしようかと思ってたところにあんたが現れたのさ。レニィ。きっとこれも何かの縁だ。もらってやってくれ」

「えっ、でも…」

そんな大切なものを私がもらってもいいのだろうかと戸惑っていると、

「もらってやんな、レニィ」

と、親方が言った。

私は、ためらいながらもケースを受け取った。ケースは思ったよりも軽かったが、十分に気を付けて抱え込む。

「ありがとうございます」

私がお礼を言うと、

「いいって。大事に使ってやってよ」

と、ササムラさんは言った。

「ササムラ。あんがとよ」

そう言って、親方が外に出ようとすると、

「あ、おやっさん。あんた昨日派手に暴れたんだって?」

と、ササムラさんが思い出したように言ってきた。

「ああ?暴れちゃいねぇよ」

「そうかい?レストランの中が穴も開いてめちゃくちゃになるくらいに暴れてたって聞いたけど」

「そんなには暴れちゃいねぇ。大体、弟子に絡んできた酔っ払いをぶん投げただけだ」

と、親方が言うと、

「まあいいんだけどねぇ。ちょっと地上人(グランダー)と話をしてただけで突然群青の帝王が怒り狂って暴れだしたって噂を聞いてね」

もう噂になっているのかと、私は少しだけ驚いた。

「あれがちょっと話した、ねぇ…」

親方の目がすわっている。

ササムラさんも何かを察したのか、私に、

「よっぽどひどいことを言われたんだね。まったく」

と言ってきた。

「まあ、その噂を聞いた人たちはきっと群青の帝王が怒り狂うだけの何かをしたんだろうってバカにして嘲笑ってるやつが半分と、地上人なんかのせいで災難だって同情してるやつが半分ってとこだったよ」

「そんなもんだろうな」

親方は低くうなるようにいうと、

「まあ、ムギダのところにてめぇんとこの弟子はどうなってんだって抗議しに行こうと思ってたんでな。ついでにその変な噂広まるのをだまって見てるならただじゃおかねぇって脅してくるさ」

ニィっと笑って言う親方の顔は極悪人にしか見えない。

「まあ、ムギダさん自身は別に地上人差別主義者でもなんでもないんだから、あんまり怯えさすんじゃないよ」

やれやれ、といった風にササムラさんは言った。

店を出ると、

「お前らは先に帰れ」

と親方は言って、どこかへと行ってしまった。

おそらく、本当に抗議をしに行ったのだろう。

私と先輩は先にアトリエに帰り、手分けして掃除と洗濯をしていると、親方が帰ってきた。

「おう、お前ら、遅くなったが昼飯にするぞ」

そう言って買ってきた食べ物を食卓に並べる。

遅めの昼食を食べた後、明日からの掃除や洗濯の当番を決め、私はケースと、親方に手渡された絵の具を部屋へと運んだ。

部屋に入る前に、ふと親方の部屋のほうを見ると、少しだけ扉が開いている。その隙間から、少しだけ中が見えた。

「おっと、扉が開いてたな」

親方がそう言って上ってきた。そして、部屋の中へと入っていく。

「あ、あの、親方」

私が声をかけると、親方は振り返る。

「その、今少しだけ見えちゃったんですけど…飾ってある写真の男性って誰ですか?」

あまり聞かない方がいいだろうか、とも思ったが、好奇心を抑えきれずに聞いてみた。

親方は、少しだけ懐かしむように目を細めて、私の持っていたケースを指さすと、

「その筆の元の持ち主だ」

とだけ言って、部屋の中へと入っていった。

「ええええええええ!?」

取り残された私には、そんな声を上げることしかできなかった。


夜、私は日記帳を取り出し、今日の出来事を書き綴っていった。

空の絵を描いたこと、正式な見習いとして帽子をもらったこと、いやな人と出会ったこと、筆のこと。

筆はとても使いやすく、これなら練習がはかどりそうだと思ったこと。

そして、最後に、

『親方の部屋に飾ってある写真の男の人って、どんな人だったんだろう』

と書いて筆の入ったケースを眺めた。

あの後、晩御飯の時にあの男の人のことについて聞いてみようかとも思ったけど、結局聞けずじまいだった。

天才だといわれた人。いつか、会う機会はあるだろうか。

私はそんなことを考え、日記帳をめくった。そして、今日も空の絵を描く。

今日描いたのは、私が認定式で描いた夕空だ。

夕空を描き終えると、私は星鉱石の壁に近づき、壁際のひもを引いた。

すると、外の景色が見えなくなる。

夜になってもずっと日が沈まないこともあるから、と教えてもらったのだ。

またひもを引けば外の景色は見えるようになるといわれたので、今日からは寝る前と、朝一番にひもを引くことにした。

私は、布団に潜り込むと、

(明日聞く機会があったら、あの男の人のことをもう一度聞いてみようかな?)

と考えながら、眠りに落ちたのだった。

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