1.始まりの日
空描士。それはこの世界の空の色を描き、天候を決めることを生業としている人々だ。
私は、昔から空を見上げることが大好きだった。
1日でも同じ色をしていることはなく、澄んだ青色、夕焼けのオレンジ色、夜空の黒、曇りの灰色と、刻々と変わるその色は、私の心をつかんで離さない。
ある時空描士という職業があると知ってから、私はずっとその職業に憧れ、その職に就くことを夢に日々努力をしてきた。
そして今日、ようやく私は、空描士見習いへとなったのだ。
ここから、私の空描士人生が幕を開けた
アルメディス空陸国。
ここは、空を描く空描士や空描士を支える人々で構成された空に浮かぶ国だ。
島全体がドームに覆われ、そこから見えている空は漆黒と星々のきらめきで埋め尽くされていた。
「おや大きな荷物をお持ちのお嬢さん、見かけない顔だねぇ」
島に降り立ち、綺麗な星空に見入っていると、後ろから声がかかった。
振り向くと、ほっそりと引き締まった体つきの女の人が立っている。
「は、初めまして!今日から空描士見習いとしてガロン師匠のもとで働くことになりました、レニィです」
私はドキドキしながら自己紹介をした。
「へえ、あんたがガロンのおやっさんの所で働く子かい。あたしはササムラ。空描士用の筆を作ってる筆屋さ」
そう言って差し出された手を私は握る。
「せっかくだ、おやっさんのところまで一緒に行こうか」
「はいっ!」
私はササムラさんの後について歩き出した。
前回試験を受けに来た時は、港から出ることはなかった。だから、街に入るのは初めてだ。
「うわ~…」
私は思わず感嘆の声を上げた。
建物が上へ上へと積み重なっているその様子は、まるで山に生えている木々のようだ。
「この国は3層に分かれていてね。今いるここが1層目、飲食街。この国の食を支える台所さ。そして2層目があたしらみたいな画材を取り扱う職人や有事の際にこの国を守る戦士が住んでるところ。そして3層目が今からあたしたちが行く、空描士の住まうアトリエさ」
ササムラさんは指さしながら教えてくれる。確かによくみると建物の途中に層を支える基盤や、透明の板のようなものが見えた。
「そういえばこの国はいつも夜なんですか?」
今は昼間のはずなのに、ドームから見えている空は夜の星空だ。たしか1か月ほど前に来た時もここまで星は出ていなかったが夜だった。
「ははっ、そういや地上じゃ毎日朝昼晩空の色が変わるんだったね。この国じゃ、空はもうすぐ空描士になれる、見習いも終わりかけの奴らが最後に自分の腕を磨くために順番にその日の空を好き勝手に描いていくのさ。昨日は朝から昼頃まで雨空でそのあとはずっと夕焼けだったよ。今日は夜日だねぇ」
「へえぇぇ」
私もいつか、見習いが終わるころにこんなきれいな空を描けるようになるだろうか。
さらに期待を膨らませながら、街中を通り抜ける。街の中心にくると、そこにはうっすらと光り輝く円が描かれていた。
「新しく来た空描士の見習いさんだ。3層まで頼むよ」
円の近くにいた人にササムラさんが話しかけると、その人は腰から下げていたいくつかの鍵の中から金色の鍵を手に取り、円の縁へ突き立てた。すると、円の光が強くなる。
「さあ、乗るよ」
ササムラさんに促され、私は円の中へと入った。すると、一瞬、強い風が下から吹き上げてくる。
「っ!!」
思わず一瞬だけ目を閉じ、次に目を開けた時には、すでにさっきまでとは違う景色が広がっていた。
「さあ、3層に到着だ」
ササムラさんの声に、私の胸はより一層高鳴った。
ここが、これから私が生きていく場所…
建物はガラスのように透明なのに中の様子は全く見えない。そして、星のようにキラキラと輝いている。
「すごい…綺麗…」
私のつぶやきに、ササムラさんはあっはっはっ、と豪快に笑う。
「空描士のアトリエは星鉱石でできているからね。空が朝の色や昼の色をしているとまた別の色に輝くのさ。さあ、ガロンのおやっさんのところに急ごう」
そう言って歩き始めたササムラさんの後を、私は慌ててついていく。
様々な様式のアトリエが立ち並ぶその道を抜けていくと、一番奥まった場所にこじんまりとした、ほかの建物に比べると質素にも見える建物へとたどり着いた。
「おやっさーん!お届け物だよー!!」
ササムラさんが扉をたたきながら大きな声で言う。
すると少しして、扉が開いた
「なんだァ…?」
開いた扉の向こうからでてきたのは、いかつい顔つきをした、筋骨隆々としたいでたちの中年の男性だった。
そう、この人こそ今日から私がお世話になるガロン師匠だ。
師匠はササムラさんと、そして私の顔を見るなり、
「いっけねぇ、もう船の到着時間過ぎてたのか!」
と言う師匠に、
「おやっさん、忘れてたのかい…?呆れたもんだねぇ」
とササムラさんが言った。
「まあ、なんだ。とりあえずは2人とも中に入んな」
師匠に招き入れられ、私たちはアトリエへと入る。
椅子に座ると、師匠が話し始めた。
「すまねぇな、ちょっと絵の具の調合をしててよ」
「まったく、相変わらず作業に没頭するとほかのこと忘れちまうんだねぇ」
「いやまったく、すまねぇなぁ」
師匠は照れたように頭をかく。
「にしてもあんたが弟子を取るなんて3年ぶりかい?しかも地上人を弟子にするなんて」
「まぁなあ。こいつは色を見る目がある。鍛えがいがありそうだったのさ」
ふーん、とササムラさんは私を見る。
「えと、これからよろしくお願いします」
私がお辞儀をすると、
「おうよ。まあ今日はゆっくりしな。明日からは忙しくなるからな」
そう、師匠は豪快に笑った。
「まあ、お届け物は済んだんでね。あたしは店に帰ろうかな」
「お?そうか?なら、もしもロッドの奴を見かけたらなるべく早く帰ってこいって伝えといてくれ。見習い同士の顔合わせもあるからな」
「はいはい」
そう言うと、ササムラさんはアトリエを後にした。
私は、椅子に座ったまま、師匠と何を話そうかと考え、
「あの」
と声に出すと、
「おお、そういえばまだ茶ぁも出してなかったな。まあまあ、そこに座っとけ」
と言って、奥の部屋へと行ってしまう。
一人となった部屋の中を、私は見まわしてみる。部屋には師匠が向かった奥の部屋へ続く扉のほかにあと3つ扉がある。さらに2階へと続く階段もあり、階段の下には頑丈そうなロープやハンマー、のこぎりといった、おおよそ絵を描くには必要のなさそうな道具が置かれていた。
「趣味の道具…?」
席を立って私がその道具類を見ていると、
「おう、刃物もあって危ねぇからあんまり触るんじゃねぇぞ」
そう言って師匠が奥の部屋から戻ってきた
「ほら、座んな」
師匠がテーブルの上に置いたカップにはコーヒーが入っていた。
「ありがとうございます」
そう言って、私はコーヒーを飲む。思ったよりも苦みが少ない。
「あそこに置いてあるのも仕事に使うからな。まあ、おいおい使い方は覚えていけ」
同じくコーヒーを飲みながら師匠が言う。
「仕事…に、使うんですか…?」
「まぁな」
にやりと笑って師匠は
「まあ、ほかのアトリエじゃあほぼ使わねぇけどな」
と続ける。
師匠はコーヒーを飲み干すと、
「ロッドのやつもまだ帰ってこねぇし、先にお前の部屋へ案内しようか」
そう言って立ち上がり、階段へと向かう。
「は、はい!」
私も荷物を持って師匠の後を追う。
2階へ上がると、扉が四方についており、さらに上へと昇る階段もある。
「3階が空を描く場所だ。…こっちだ」
そう言って左側の扉を開けた。
「…うわぁ~…」
私は、この国に来てから感動しっぱなしだ。
師匠が開けた扉の向こうには、ベッドと机、荷物をしまえるクローゼットがあった。
でも、私が感動したのはそこではない。
目の前に、ドームの外の夜空が広がっていた。
「星鉱石ってのは、加工次第で外側からは石が本来持ってる星の瞬きしか見えねぇが、内側からはバッチリ外の景色が見えるようになる。3層ってのは上も横ももう何も遮るもんも無いからドームの外の空がよく見えるのさ」
師匠は私から荷物を受け取ると、ベッドの上へと置いた。
「今日からお前はここで生活をする。この部屋は好きに使うといい。掃除は自分でするんだ。ここに住んでる間は共用スペースの掃除、洗濯、飯の用意は当番制で回していくからそのことはちゃんと頭に入れておけよ」
「はいっ!」
私は力いっぱい返事をした。その時だ。下のほうから何か声が聞こえてきた。
「お、やっと帰ってきやがったか」
師匠はそう言うと、階段を下りていく。
私も師匠の後に続き、下へと向かう。
「遅かったなぁ、ロッド!」
「すんません、親方」
下の部屋にいたのは、私よりも少し年下に見える、空色のリボンを付けた帽子を被った男の子だった。
「おう、ロッド。こいつが今日からここに暮らすことになるレニィだ。お前の妹分になるんだから、ちゃんと面倒を見てやれよ」
そう言って、ロッドと呼んだ男の子の背中をたたく。
「親方、痛いですよ!…初めまして、オレはロッド。3年前から親方の所に弟子入りしてる空描士見習いだ。よろしくな」
明るく挨拶をするロッドくんに、私も、
「はじめまして。レニィです。よろしく、ロッドくん」
そう言うと、ロッドくんは、
「くん、はやめてくれよ。ロッド先輩って言ってくれ」
と、胸を張って言ってきた。
「わかった。よろしくね、ロッド先輩」
私たちが握手を交わすと、
「よし、挨拶も終わったことだし、ロッド。レニィにアトリエの中を案内してやれ。俺は隣で絵の具の調合をしてるから終わったら声をかけろよ」
そう言って、師匠は隣の部屋へと行ってしまった。
「んじゃ、1階から案内するぞ。今いるこの部屋がオレたちが食事をとる部屋だ。んで、今親方が入っていったところが画材置き場だ。そして…」
そう言って部屋の奥へと進んでいく。
「こっちが台所だ。水はそこの扉から出たところに井戸があるから水を飲みたい時はそこから汲んできてくれよ」
ロッド先輩は台所を出ると、次の扉へと向かう。
「こっちは風呂場だ。水はやっぱりそこの扉から出た井戸で汲んでくれ。ここの外に出る扉は水汲みに行く以外はこうやって閂を閉めといてくれよ」
また元の部屋に戻り、次は玄関のほうへ向かう。玄関の近くにはもう一つ扉があった。
「そこの扉がトイレ。2階と3階にもあるから安心しろよ」
そう言って次は2階へと昇っていく。
「もうそっちの部屋には案内されたかい?」
そう言って左側のドアを指さす。
「うん、不思議な空を見ることができる、とっても素敵な部屋だった。あんな素敵な部屋で生活できるなんて幸せだって思ったわ」
「へ~、オレたちにとっては見慣れた景色だけど、地上の人にとってはそう見えるのか」
ロッド先輩は驚いたように言った。
「この国って地上の人はあんまりいないの?」
「食料とか生活品で地上にしかないものを売りに来る行商人は1層の飲食街で見かけるかな。でも2層と3層はにいるのはほとんどがこの国出身の人だよ」
「じゃあ、地上の人が空描士になることってほとんどないの?」
「まあね。地上の人が空描士になった場合、後々問題の火種にならないかって心配する奴らが多いからね。多分、地上の人で空描士見習いになったのは、レニィの前だと20年以上は前になるんじゃないかな」
「問題の火種?」
「まあ、詳しい内容は明日の見習い認定式で。この階は左側がレニィの部屋、右側が俺の部屋で目の前が親方の部屋になってる。後ろの扉は…」
そう言ってロッド先輩は後方の扉を開ける。
右側が書庫、左側の扉がトイレさ」
扉を閉める。そして、階段の前に戻ってくると、
「そしてこの上が空描士のアトリエ。親方が普段空を描く場所さ!」
そう言って昇っていく。私も続けて3階へ上がると、後方を除いてほぼ全面、外の景色が見えるようになっているドーム型の天井には、ランプが1つだけ吊り下げられていた。
「すっごーい…」
私が周りを見渡していると、
「その中央で親方は絵を描くんだ。そしてこっち側の扉が…」
「トイレ?」
「その通り!」
私に言葉に、ロッド先輩は嬉しそうに笑った。そして、階段正面の窓の前まで行くと、
「こっちに来いよ!」
と私を呼ぶ。近くに行くと、明りに照らされた庭に、井戸が二つ見える。左奥にある井戸には少しだけ水がためられるようになっている洗い場が設けられているようだった。
「このアトリエの庭だよ。そこにある井戸が台所と風呂場で使う井戸、左の奥に見えるのが洗濯物とか石とかを洗う洗い場さ」
「石?」
「まあ、すぐにわかるって。これでこのアトリエの中は全部見て回ったかな。あ、もしも庭に出たい場合は台所か画材置き場からでてくれよ」
そう言ってロッド先輩は階段へと向かった。
「あ、待って~」
私もロッド先輩の後に続く。
「そういえばロッド先輩って、今何歳なの?」
階段を下りながら尋ねてみると、
「ん~と、今年で14かな。レニィは?」
「16よ。今年14ってことは先輩は11の時から見習いしてるの?」
「まぁね。うちは顔料を作るための石を売ってる鉱石屋だったんだけど、空描士に憧れててさ。親父にはすげー反対されたけど、家飛び出して試験受けて。そしたら面接で親方が拾ってくれたのさ」
「へぇ~、やっぱり師匠って見かけによらずいい人なんだよね」
「そうそう」
そんなことを話しながら1階へ戻ってくると、
「親方ぁ~!案内し終わりましたよ~!!!」
画材置き場の扉をノックしながら、ロッド先輩が大声で叫ぶ。
でも、師匠からの返事はない。
「もしかして、倒れてるとか?」
私が言うと、先輩は笑いながら、
「ははは、無いない。きっと絵の具混ぜるのに集中しすぎて聞こえてないんだ」
絶対こうなると思ってたんだよなぁ、とあまり気にも留めない様子で、
「まああと2時間もすれば夕飯時だし、その時にまた声かければきっと聞こえるよ」
そういえば、私がササムラさんとこのアトリエに来た時も絵の具を調合してたんだよね、と思い、
「そうなの?私が来た時はすぐに出てきてくれたけど」
「そりゃあ、運よくのどが渇いたとかトイレ行きたくなったってタイミングだったのさ」
呼んでも出てきてくれないことが、どうやら普通のようだ。
先輩は扉から離れると、
「じゃあ俺は部屋の掃除でもするかなぁ」
と、2階へ上っていった。
取り残された私は、庭に出てみることにした。
台所へ行くと、さらに奥にある扉を開ける。先輩の言った通り、そこは庭に通じていた。3階から見渡した時にも思ったが、とても広い。
目の前には台所とお風呂用の井戸があった。
私は井戸に近づいてみた。手押しポンプがついているこの井戸は、私が地上でよく使っていたつるべ井戸よりも楽に作業ができそうだ。
ほかの場所も見て回る。すると、洗濯用の井戸とは反対側に花壇があった。
青や紫の花が植わっているその花壇は、そこそこの広さを誇っている。
「案外、植物を育てるのが趣味なのかな?」
師匠や先輩が土いじりをしている様子を想像して、わたしはクスッと笑った。
こちら側にはあとは小さな小屋がある程度で、何もなさそうだった。
一応、小屋にも向かってみたが、中にあるのは、土いじりの道具やのこぎりなどの工具だ。
私は小屋を後にすると、次は洗濯用の井戸へ向かってみた。
こちら側から洗濯用の井戸までは少しだけ時間がかかる。
洗濯用の井戸もやはり手押しポンプがついている。水の出口側は、布団1枚分くらいの石畳のスペースがあり、水の出口とは反対側に向かって少しだけ傾斜している。一番水の出口に近いところは排水用の栓がついた、水をためることができるくぼみも付いていた。
近くに洗濯物を干すスペースもあり、洗濯もそこそこ楽にできそうだった。
一通り見終わると、私はその場に仰向けに倒れこんだ。柔らかく吹く風が芝生のにおいを運んで、空には満点の星空が広がっている。
最初は綺麗だと思ってみていたが、見ているうちになんとなく違和感を感じるようになった。
地上で見ていた星空はこんな感じの色だったかなぁ…?
よくよく思い出してみると、星空の色は漆黒ではなく、ほんの少し暗い青色が混じった黒だったと思いつく。
それに、星の大きさも3種類くらいしかない。確か、星は大小さまざま色んな大きさがあったはずだ。
私は不思議に思いながら起き上がった。そういえば、まだ荷物の片づけをしていない。
時間的にはロッド先輩と別れて1時間ほどたっただろうか?
夕食の時間まで、部屋の片づけをしようと、私はアトリエの中へ入って2階の自分の部屋へ入った。
師匠に案内されて来たときも思ったが、やっぱりすごく素敵な部屋だ。
私はまず荷物の中から服を取り出しクローゼットの中へしまう。それと、数冊だけ持ってきた絵本や空に関する本を机の上の本棚にきちんと並べて置くと、その本棚の隣に地上を離れる際におじさんがくれたウサギと鳥をモチーフにしたガラス細工を飾った。
パレットや水彩絵の具、色鉛筆を取り出し、ベッドの横の座卓の上に置くと、一通り片づけ終わったころに、部屋の外で物音がしてきた。
部屋を出てみると、ロッド先輩が1階へ降りていく姿が見えた。
私も1階へと降りると、画材置き場の扉の前で先輩が、
「親方ぁ~!!もうそろそろ出てきてくださいよー!!!飯にしましょう!!」
と、大声で言っている。
すると、2時間ほど前とは違い、今度は部屋の中から物音が聞こえ、扉が開いた。
「おう、もうそんな時間か。おいおい、案内が終わったら呼べって言ったろ?」
「呼びましたよ。今回と同じくらい大声で。まったく、本当に集中してると何も聞こえないんですから、親方は」
そう先輩が言うと、師匠は少し照れたように、
「いやぁ、そりゃあ済まなかった。…まあ確かに腹も減ってきたし、今日は新入りの歓迎会ってことで下まで食べに行くか」
「やったあ!」
先輩は喜ぶと、玄関へと走っていった。
「よし、俺たちも行くぞ、レニィ」
「あ、はい、師匠!」
私が答えると、師匠の動きがピタッと止まる。そして、
「レニィよぅ、その~…なんだ、その師匠ってのはやめてくれねぇか。なんだかムズムズしていけねぇ。俺のことはロッドと同じように親方って呼んでくれよな」
「わ、わかりました。お…親方…」
「おう!」
少しだけ照れながら私が言うと、親方はにやっと笑って答えてくれた。
そうして、私たちは飲食街へと向け、歩き始めたのだった。
少しだけ歩いたところで、ふと気づいたように親方が、
「そういえばレニィ。お前、時計は持っているか?」
「え、いいえ。地上にいるときはおじさんに教えてもらっていたので。空を見ていれば大体の時間もわかったし」
「そうかい。ここじゃあ空からは時間は分からねぇ。その日の気分によって見習いが好き勝手に描くからな。だから、ここに住んでるやつらはみんな最低でも1つは時計を持ってるよ」
そう言って親方は懐から懐中時計を取り出した。
「そうなんですか?」
わたしが先輩のほうを見ると、先輩も頷きながら腰に下げた時計を見せてくれた。
「まあ、持ってないんじゃ不便だからな。飯に行く前に2層に寄って時計を買っていくか」
「えっと、私、お金持ってないんで…」
「何を言ってる?俺が買ってやるのさ。弟子の用立ては親方がするもんだぜぇ?」
がはは、と笑い、親方は言った。先輩も、
「そうそう。最低限、必要なもんってのはオレも親方に買ってもらったもんさ。感謝はしても気にする必要はねぇって!」
「ロッド、お前が言うなよ」
そう仲良さそうに言いあいながら、路地を抜ける。すると、昼間来た光の円が見えてきた。
「そういえば、ここって中心部なんですよね?下から見たときは透明で上のドームまできれいに見えてたのに、ちゃんと地面があるなんてちょっと不思議」
私が言うと、
「星鉱石と似たようなもんでね。草原晶って水晶に似た鉱物があってな。表には草が生い茂るが裏側から見たら透明に見える石さ。それを一面に敷き詰めて下まで空の光が通るようにしてんのさ」
親方の説明に、
「下からは私たちの姿も見えないんですか?」
「おお、その通りだ。どういう原理なのかは知らねぇが、草原晶ってのはそういう石なのさ」
親方はそういうと、光の円の近くにいる人に、
「2層まで頼む」
といった。
鍵を差し込まれ、光り輝く円に乗ると、また強い風が舞い起きる。そしてすぐに2層へとたどり着いた。
「あの円、転移門って言うんだぜ」
ロッド先輩が説明をしてくれる。こちらも原理は分からないが、行きたい場所にあった鍵を差し込むとそこまで一瞬で送ってくれるらしい。
「地上にも何か所かあって、門番に言えば地上にも行けるんだ。でも、地上には鍵がないから帰りはこの
国行きの船に乗るしかないんだけどね」
「へぇ~」
先輩の話に夢中になっている間に、どうやら目的地へたどり着いたようだ。
「邪魔するぜ」
親方が扉を開けて中へ入り、私たちもそれに続く。
親方はまず奥にいる店員のもとへ行き、腰から下げていた紋章のようなものをカウンターの上へ置いた。
「…好きに見てくれ」
その紋章を確認すると、店員が言った。
置時計に掛け時計、腕時計に懐中時計…
狭い店内には所狭しといろいろな時計が飾ってある。
「部屋には置時計と掛け時計、どっちが欲しい?」
親方の言葉に、私は少し悩んでから、
「置時計がいいです」
と答えた。
「そうか。それじゃあ、置時計を選びな」
そう言って、親方は懐中時計を見始めた。
置時計といっても色々な種類がある。どれにしようか迷っていると、奥のほうにおいてある置時計が目に留まった。
真ん中に文字盤、その下には羊飼いがおり、その羊飼いが見上げる文字盤の上には、雲と太陽が描かれている。
「…綺麗…」
私が見とれていると、
「決まったかい?」
と親方が声をかけてきた。親方は私の目線の先にあった、その羊飼いの時計を手に取ると、
「これだな」
「はい。それがいいです」
そう答えると、ニッと笑って、カウンターまでその時計を持っていく。
「これをくれ」
そう言って親方は置時計と懐中時計をカウンターに置いた。
支払いが済んだ後、店を出ると、親方は紙袋の中から懐中時計を取り出し、少しだけいじってから、
「これは常に身に着けとけよ。今時間も合わせたからな」
と言って私に手渡す。少しずっしりとしたその懐中時計は、時間の他に、方位がわかるようになっていた。
「迷子になったらその時計を見れば、大体の方位がわかるだろう」
「親方…ありがとうございます!」
私が頭を下げると、親方は
「いいってことよ」
と言って、飯だ飯だと転移門に向かい歩き始めた。
1層に着くと、昼に通り抜けた時よりも、人の姿が多くなっていた。
「食材屋は東側、飲食店は西側にあるよ」
ロッド先輩の言葉通り、西へ向かって進んでいくと、様々な飲食店が軒を連ねていた。
「普段はそこらの大衆食堂で済ますところだが。せっかくの歓迎会だ。今日は少し洒落たところへ行くか!」
親方はずんずんと奥へ進んでいく。しばらく進むと、左側に雰囲気のよさそうなレストランが見えてきた。
「今日はここで食べるぞ!」
レストランの前で、親方はそう宣言すると、中へと入っていく。
迎えたウエイターに紋章を見せ3人だ、と告げると奥へ通された。
にぎやかな店内を通り抜け、通された奥は個室になっており、同じ店内とは思えないほど静かで落ち着いた空間になっていた。
「ほれ、食べたいものを決めな」
そう言ってメニューを渡されたのだが、半分くらいは見たことのない食材を使った料理だ。
私が、どれにしようかと迷っていると、
「おっ?そういえばレニィは空陸の食材を見るのは初めてか。分からねぇもんがあったら遠慮なく聞きな」
親方がそう言ってくれた。
「あ、じゃあこのミルミル鳥の串焼きシトロソースがけのミルミル鳥ってどんな鳥何ですか」
「ミルミル鳥か。雲海のある空陸に多く生息してる鳥でな。味は地上でいうところの鴨に似てる。ちなみにシトロは空陸特産の柑橘だ。甘さ控えめで爽やかな香りが特徴だな」
と、教えてくれる。
他にもいくつかの料理の説明を受け、私は結局、ミルミル鳥の串焼きと根菜類のサラダを頼むことにした。
親方と先輩も頼む料理を決め、注文をする。
「飲み放題も付けたことだし、お前ら、飲み物を取ってこい。俺は後から行く」
親方がそういうと、先輩ははい、と返事をして、私を連れてサーバーへと向かう。
先ほど通った時よりも、店内はさらににぎやかさを増し、楽しそうな声が聞こえてくる。
「さて、何を飲もうかなぁ~?」
先輩はグラスを片手にウキウキと飲み物を見比べる。私もどんな飲み物があるのか見てみたが、やはり4割ほどわからない。
とりあえず、先ほど教えてもらったシトロを使った炭酸ジュースを飲んでみよう。そう思い、透き通ったマリンブルーの液体をグラスへと注いだ。
「シトロスカッシュか。すっきりしててうまいんだよなぁ。オレは星空リンゴジュースにしたよ」
そう言って、グラスに注がれた透き通った藍色の液体を見せてきた。
「それ、リンゴジュースなんだ。へぇ~…。地上ではそんな色のリンゴジュースなかったよ。このシトロのジュースもそうだけど、綺麗だねぇ」
ニコニコしながら私が言うと、突然後ろから、
「はっ、なんだってこんなところに地上人なんかがいやがるんだ!!」
という怒鳴り声が聞こえてくる。
えっ、と思い、振り向くと、明らかに酒に酔っている男の人がニヤニヤとこちらを見つめ、
「おら、地上人がいっちょ前に空描士見習いに話しかけてんじゃねーぞ!!!」
と言って私を強引に横へと押しのける。その時に少しだけよろけてしまい、ジュースを少しこぼしてしまった。床と、服に、マリンブルーが広がる。
「レニィ!」
先輩が私に近づこうとすると、その男性が先輩の行く手を遮り、
「うわ~、きったねぇな、地上人は!ろくに飲み物すら運べないのかよ!!空描士見習いさんも近づかないほうがいいですよ。グズがうつる」
男性がぎゃはは、と笑うと、近くにいた店の客も、さらには近くにいたウエイターも同じように私を見てクスクスと笑い始める。
私がうつむくと、さらに、
「…やぁねぇ、これだから地上人は…」
「うつむくよりもやることがあるでしょうに、汚らしい」
「早く、出てけよ」
といった声が周囲から聞こえてきた。
「お前ら…!!」
ロッド先輩も何かを言おうとしていたが、その都度、さっきの男性に遮られていた。
どうしよう、と思っていたら、
「てめぇらっ!!!!!何してやがる!!!!!」
と、突然店内全体に響き渡る大声が聞こえてきた。
それと同時に私と先輩の間にいた酔っ払いの男性が後ろへと豪快に投げ飛ばされる。
驚いて顔を上げると、
「親方…」
明らかに怒り顔の親方がそこに立っていた。
「おう、お前ら、俺の弟子を嘲笑って面白いか…?」
シーン、と静まった店内に親方の、低く、静かな声が響き渡る。
「地上人だ空陸人だは関係ねぇ、こいつは俺の弟子だ」
そう言って、親方は私を支える。そして投げ飛ばした男性のほうを向くと、男性は投げ飛ばされたことへの怒りからか、先ほどより明らかに顔を真っ赤にしてこちらをにらみつけていた。
「お前、ムギダの工房の見習いだったか。見かけたことがある。なら、ムギダに伝えとけ。てめぇんとこの馬鹿弟子の、俺の弟子に対する態度について物申したいことがある、と。空描士ガロンが数日内にそのことで苦情を入れに行くってな!!!!!」
親方がギロッとにらみつけると、男性の顔がみるみるうちに青く、血の気が引いていく。
周囲も、
「空描士ガロンって…あの…?」
「ガロンといえば群青の帝王ともいわれる最上位の空描士じゃないか…」
「帝王が地上人を弟子にしたっていうの…?」
とざわつき始める。
その様子に、ウエイターが慌てて、
「申し訳ございません。こちらの掃除は我々で行いますので、どうぞお気になさらず…」
と言いかけたところで、
「お前、客がほかの客に絡まれてるのを見ても助けるどころか一緒に笑ってたよなぁ?今更出てきてなんだぁ?」
と、親方がにらみを利かせると、涙目になり、
「も、申し訳ございませんでした」
と親方へ謝る。親方は、チッと舌打ちをすると、
「その謝罪は、この子に向けるべきだった」
と、怒りを押し殺した声で言い残して私たちを連れて席へと戻っていった。
「すまねぇな、変な奴に絡まれちまって。奥に通してもらえば大丈夫かと思ったが、配慮が足らんかった」
そう、肩を落とす親方に、
「いや、オレも近くにいたのに何もできなくて…ダメだったのは親方じゃなくてオレですよ」
と、私が何か言うよりも先に先輩が言う。私も、
「いえ、2人のせいじゃありません!まさか、地上人が嫌われてるなんて思わなくて地上のことを口にした私もいけなかったんです」
そう言うと、親方は深いため息をついた。
「お前が悪いわけじゃあないのに、すまねぇ。空陸人の中には一定数、ああいった輩がいてな。俺たちは神に選ばれた民だ、地上人とは違うんだっていう態度で、地上人を見下すことが自然だと思ってやがる。選民意識っていうのかね?ああいう奴とは極力付き合いたくはないんだがなぁ」
親方はうんざりとしたようにつぶやいた。きっと、それでも付き合わなければいけない人もたくさんいるのだろう。
その後、料理が運ばれてくる際に、支配人が直々に謝罪に来たり、その結果、料理・飲み物代がタダになったのだが、支配人が去った後で、
「もうしばらくはこの店は使わん」
親方はそう呟いた。
結局、黙々とご飯を食べ、仕切り直しに家で歓迎会をしよう、ということになって、私たちはちょっとつまめるものとジュース、お酒を買ってアトリエへと戻った。
「さて、改めて、だ。今日からここに住むことになったレニィを俺たちは歓迎する。さあ、グラスを取りな!乾杯!!」
そう言ってささやかな私の歓迎会が催され、楽しい時間が過ぎていく。
「そういえば親方って、群青の帝王とか呼ばれてるんですか?」
私が聞くと、照れくさそうに、
「よせやい、恥ずかしい。まったく、あの二つ名制度はどうにかならねぇもんかなぁ」
「えぇっ!?二つ名を授かるっていうのは名誉なことじゃないですか!最上位だと認められた証なんですから、胸を張ってくださいよ」
「俺ぁ別に最上位なんて位を求めてた訳じゃあないからよー」
なんてグチグチ言いながら、親方は照れくさそうにしていた。
歓迎会も終わり、お風呂に入り終わった後、私は自分の部屋に戻って机に座り、日記帳を開いていた。
まだ何も書き込まれていないこの日記帳は、空描士見習いになった今日からずっと書いていく予定だ。
私はまず、今日のこの国の天気…空の様子を書いた。そして、この国の港に着いてから今までの出来事を書いていく。今日の出来事が書き終わると、次のページには、今日のこの国の空を描く。色鉛筆を手に取り、黒い色に黄色や白色を使って、夜空を描き、その下に、『綺麗だけど、黒だけでさみしい』と感想を書いた。
そして、日記を閉じると、今日買ってもらった置時計を机に飾る。懐中時計も机の上に置くと、布団に入り、星空を眺める。
本当に、空陸国で生きていくんだなぁ…
そう思うと興奮して眠れない。私は、早く寝付くためにも灯りを消すと、目を閉じた。
…明日は、見習いの認定式だ。