黄泉の国のほころび
オオナムチとスセリは、スサノオ大王の指さした出口から出て、洞窟の中を歩いていた。
万宝袋から出した松明の明かりが、でこぼこの岩肌を照らしている。
上がったり下がったり、右に曲がり左に曲がり、ぐねぐねした洞窟だが、幸いにも一本道なので間違いはなさそうなのが救いだ。
「この先になにがあるのかな?」
オオナムチは、スセリに聞いてみた。
「わたしもはじめてなのでわかりません。オオナムチ様、振り向いてみてもらえますか?」
「ン?」
オオナムチが立ち止まって振り向くと、今歩いてきたはずの洞窟の形が変わっていた。
「え?なにこれ?」
「この根の国は黄泉の国の入り口で、幽界の一部です。ここではすべてが曖昧で定まっていません。父はそれを固めるために、ここに留まっているのです」
黄泉の国とは死者の国である。
はるか昔、国産みの二柱、イザナギとイザナミの夫婦神があった。女神イザナミは多くの神を産むが、火の神を産むときに火傷をして死んでしまった。
そして、最初の死者として、黄泉の国の女王となったのだ。
その黄泉の国入り口である根の国は、狭間の世界であり、世界そのものがあやふやで曖昧なのだという。
スサノオ大王は、そんな不安定な根の国を、固定化して安定させるためにここに鎮座しているというのだ。
スサノオ大王が、イズモ国で十年以上も姿を見せないというのは、こうした理由があったのである。
「お気づきでしょうが、父はもはや生者ではありません。神として鎮座し、黄泉の国のほころびを塞いでいます。それであの姿なのです」
スサノオ大王は、黄泉の国のほころびの穴の上に鎮座しているのだという。
たしかに長い間そこに留まり動いていない様子であった。
そして、この幽界は、本質の世界である。
長く留まるがために、スサノオ大王の神としての本質が強く顕現し、あのように巨大でいかめしい姿なのであった。
「黄泉の国のほころびとは?」
「黄泉の国は死者の国です。黄泉の国のほころびが広がれば、死者があふれ出てきてしまうのです。それは混沌であり現世は滅びます。父はイズモ国を死者の侵攻から守るため、今は根の国の大王となり、幽界と現世の境界となっているのです。」
「なるほど」
スサノオ大王のあの恐ろしさは、黄泉の国の死者からイズモ国を守るための強さなのだ。
裏返せば、それほど死者たちの力がすさまじいということになる。
黄泉の国と現世をしっかりと切り離すことが、世界を固めるということになるのだろう。
それを土台にして世界は広がっているのだ。
「あ、蛇」
オオナムチの足元を、小さな蛇が這っていった。
頭に銭形の紋、小さいとはいえ毒の強いマムシだ。
「大丈夫です。蛇のヒレがありますから」
「蛇のヒレ?」
蛇のヒレは、スセリの持つ神具である。
それを振ることで、蛇避けになるというのだ。
「あ、また蛇だ」
今度は3匹ほどの蛇が見えた。
「おまかせください」
スセリが蛇のヒレを振ると、蛇たちが慌てて逃げていく。
それから進むごとに蛇が増えていったが、スセリが蛇のヒレを振ると、その蛇の群れもすぐさま退散していった。
「すごいな」
オオナムチが感心していると、スセリはうれしそうに微笑んだ。
「って、え!?」
いきなり視界が蛇であふれた。
洞窟の床も壁も天井も、大小さまざまな蛇でびっしりと埋まっている。
オオナムチはとくに蛇が苦手というわけではなかったが、さすがにこの数には驚いた。
振り返ると、後ろも蛇でぎっしりである。
いつの間にか、蛇の大群に囲まれているのだ。
「これもいけるの?」
オオナムチは、この大群にも蛇のヒレが効くのかスセリに聞いてみた。
「おまかせください」
スセリは少し不安そうだったが、決意の表情で蛇のフレを振った。
すると、蛇の大群が逃げていく。
蛇の大群にも蛇のヒレは有効だったのだ。
「すごいなそれ…」
「はい」
スセリは得意げに蛇のヒレを振り、蛇の大群を追い払っていく。
洞窟は少しずつ広くなり、蛇の数は増え続けているが、蛇のヒレを振ると、どこかへ逃げていってしまうのだ。
「スセリのおかげで楽勝だね」
「はい」
ホールのような大きな空洞に出た。
蛇が山のようにいて、うねっているが、蛇のヒレがあるのでなんてことはない。
蛇たちが逃げていなくなると、空洞の床が山のように盛り上がっているのがわかった。
そして、その山が突然に動いたのだ。
荒波が岩に当たって弾けるような勢いで、それは首をもたげた。
オオナムチたちを見下ろす、大蛇の鎌首だ。
大蛇の胴は大人三人が手をまわしても、まだ足りないほどの太さがあり、黒曜石のように輝く鱗で覆われている。
赤く光る眼光の下の口は、熊ですら簡単に飲み込めるほどの大きさだ。
口の中からは三股に分かれた舌が、チロチロと不気味に動いていた。
「あの、スセリさん?」
「はい」
スセリは一生懸命に蛇のヒレを振るが、やはり、大蛇が逃げる様子はない。
振り向くと、来た道が無くなっていて、オオナムチたちは閉じ込められてしまった。