イナバ国の平穏とイズモ国の不穏
第二章最終話です。
ルウの処刑騒動から二ヶ月が経過していた。
夏になり、暑い日が続いている。
夏兎剣により膨大な知識と力を得たルウは、イナバ国王の要請により、イナバ国守護の流兎神となった。
ルウに未来永劫この地にとどまってほしいと考える者たちは、『流』という字を嫌って、ルウのことを『兎神』とか『大兎神』と呼んだ。
大陸からはじまったルウの孤独な旅は、このイナバ国で流れを止め終焉を迎えた。ルウは自分の居場所と役割を見つけたのだった。
ルウは、治水の神としても名高い大兎王の正統の力により、イナバ国の治水事業を行うことを宣言した。
「オオナムチくん、ごめんね。ヤガミちゃんとの婚姻は、もう二年待ってほしいの」
ルウは血族であり年齢も近いヤガミ姫と意気投合し、オオナムチとヤガミ姫の婚約に賛成していた。
現人神になったことで、視野が広がり、心が広くなっていた。
そして、イナバ国王朝の繁栄と国益を考えると、ヤガミ姫とオオナムチの婚姻はベストの選択になる。自分の初恋はあきらめるしかないと考えはじめていた。
イナバ国王は、ルウに逆らえず、こうしてオオナムチとヤガミ姫の婚約は決まった。
ただし、治水事業が完了し、ヤガミ姫の求婚の義に頼らなくてもやっていけるようになるまで、そのことは伏せておくことになった。
ルウの隣に立つヤガミ姫は、照れて顔を隠すようにうつむいている。
ヤガミ姫もはじめての恋なのだ。
「よくわからないけどいいよ」
オオナムチは、事態が飲み込めていなかった。
しかし、器がでかいので、二年後のことなど、まったく気にしていなかった。
この二ヶ月は、廃人となったムルの療養に努めていた。
ムルもようやく元気を取り戻してきている。
「俺様のおかげでヤガミ姫と結ばれたってことを忘れるなよ!」
ムルは、いつの日かイナバ国王になったオオナムチから、金と女と権力を斡旋してもらう戦術に切り替えたのだ。
そして、ヤガミ姫への貢物は、オオナムチへの貸しであると言い張って損益をチャラにし、それによって精神崩壊から立ち直ったのである。
ナオヤはすっかりイナバ国王のお気に入りになって寵愛を受けていた。
こうしてなんとかイズモ国に帰れる準備が整ったのだった。
◆
その頃、イズモ国オウ町にあるイズモ国庁では、オオナムチを議題にした会議が開かれていた。
イズモ国、八十神のうち14名の武官と文官が並んで円卓を囲んでいる。
スサノオ大王とサルダヒコ元帥は不在であり、スサノオ大王の御子神であるイソタケル皇子や山神オオヤマツミなど欠席はあるが、大八洲最大の帝国であるイズモ国の現場レベルの最高幹部が集まる国津神最上位の会議である。
会議は紛糾していた。
「なぜ貧弱な文官どもと、顔を突き合わせて話さねばならぬのだ!?」
スサノオ大王とクシナダ姫の子であるヤシマジヌミ将軍は、嫌悪感をむき出しにして、文官の列を睨みつけた。
「卿ら武官のみでは会議にならぬからであろうよ」
オオトシ神の言葉に、武官たちがいきり立つが、古き海神ワダツミ大神が立ち上がった。
「皆、落ち着かれよ」
ワダツミ大神は、祖神イザナギとイザナミの御子神であり、その神威は並居る神々の中でも別格である。
そのワダツミ大神が、静かに語り始めた。
「そのオオナムチと申す神は、イズモ国にまつろわぬ神であり、イナバ国のヤガミ姫を娶り、イズモ国に仇なす畏るべき神だと申すのですな?」
イナバ国でのオオナムチたちの騒動は、イズモ国への脅威を誇張した形でイズモ国中枢部に届いていたのだ。
そして、神々はその対応を話し合っている。
ヤシマジヌミ将軍が椅子を蹴飛ばして、立ち上がった。
「ワダツミ大神よ。そのとおりだ。今討っておかねば憂いとなる」
スサノオ大王の血を色濃く引いたヤシマジヌミ将軍は、好戦的なことで有名であり、文官たちとは犬猿の仲である。
オオナムチ討伐隊を組み、オオナムチを討つべきだと力説している強硬派だ。
「しかし、我ら八十神が道理無く神を殺めては、我ら自身に返り事の憂いとなろうよ。さらに来るべき天津神との決戦のこともあろう。オオナムチをイズモ国に引き入れることこそ国益に適うというもの」
オオトシ神が答えると、文官たちが大きく頷いている。
文官たちは、まずは、オオナムチをイズモ国に従属させるために動くべきであり、イズモ国庁へ呼び寄せ、話を聞くべきだと考えていた。
しばらく目を閉じて考えていたワダツミ大神が立ち上がった。
「それではこうしようではないか。イナバ国へ勅使を放ち、イズモ国国庁への参内を促すがよかろう。オオナムチがこの場に辿り着ければ話を聞くがよいし、辿り着けなければ、それまでの神ということ。これで双方よかろうと思うが?」
長い会議の末のワダツミ大神の提案に、逆らう神はいなかった。
こうして、イナバ国のオオナムチに向けて、イズモ国の勅使が放たれたのだった。