正統を示す宝剣
イナバ国王城前広場での暴動、それは史上はじめてのことだった。
世界中から集まった観客達が暴動を起こし、軍まで出動した暴動が鎮静化し時には、もうすでに夕刻が近くなっていた。
オオナムチとムルは、王城の玉座の間で、イナバ国王の前に座らされていた。
手足に枷をつけられ、身動きを封じられた状態だ。
オオナムチは、ムルが錯乱していて判断ができなかったので、とりあえずイナバ国軍にされるがままに拘束されている。
頑丈な鉄の枷だが、オオナムチの膂力なら、簡単に外すことができるため、とくに現状の心配はしていない。
ムルは燃え尽きた抜け殻のようであり、白目を剥いてよだれを垂れ流し、床にぐったりと横たわっている。拘束されていなくても、身動きしない感じの物体と化していた。
(うっわ、怒ってるな…)
オオナムチを前にしたイナバ国王は、まるで悪鬼の憤怒の表情である。
目は血走り、口元は今にも噛みつきそうだ。手足は怒りに震えていて、剣を抜こうとしたり、ハッとした表情で戻したりを繰り返している。
賢王として名高いイナバ国王が、今は見る影もない。
溺愛する最愛の娘を奪われて嫉妬に怒り狂ったダメな父親そのものであり、すでに正気ではない。
そして、イナバ国王の隣には、ほぼ裸のナオヤが涙目で立っていた。
鉄の首輪を着けられている。
ムルが求婚の義の貢物の量で必勝を期すため、ナオヤを生口として追加で足しておいたのだが、献上されたナオヤは、すでにイナバ国王の寵愛を受けているのだ。
イナバ国王は、激しい怒りにとらわれながらも、どう対応するべきか迷っていた。
ヤガミ姫は別室で隔離していて、まずは少年とイズモ国兵士に話を聞くことにしたのだ。
最愛のヤガミ姫に求婚を承諾させた少年とイズモ国兵士は、今すぐにでも処刑してしまいたいのだが、そうするとヤガミ姫にどう思われるかわからない。
処刑するためには、ヤガミ姫を納得させるだけの理由が必要である。
イナバ国王は、その理由を必死で探し考えていた。
イナバ国王がこれほどうろたえているのは、溺愛するヤガミ姫が婚約するという理由だけではない。そのことによって、イナバ国の『真の主要産業である求婚の義』が行えなくなることを恐れているのだ。
貢物による直接収入はもとより、求婚の義を目当てにした観光客も来なくなるわけで、国民の生活に関わる死活問題なのである。
ヤガミ姫という国家財源を失うことは、イナバ国の存続を左右する大問題なのだ。
ヤガミ姫は傾国の美姫と例えられるが、実際にイナバ国の斜陽に大きな影響を与えるのである。
すると、一人の兵士が入ってきて、イナバ国王の前に跪いた。
「大陸の娘の処分はどうなされますか?」
「連れて参れ」
(そういえば夕刻に処分を決める予定だったな)
イナバ国王は、血族だと言いながら証も持たずにやってきたルウのことを思い出した。
しばらくして兵士がルウを連れてきた。
「あれ?ルウ?」
「オオナムチくんと…クズ?どうしたの?」
「よくわからないんだよね」
「そちたちは知り合いか?」
ルウとオオナムチが話しているのを見て、イナバ国王が聞いた。
「おそれながら申し上げますと、こちらのオオナムチがわたくしの従者であります」
ルウが答えると、イナバ国王は立ち上がった。
「なんと!?まことか?」
イナバ国王の顔が明るくなり、あからさまに喜んでいるのがわかる。
「まことでございます」
(アレ?これは助かったのかな?)
ルウは、あからさまに怒り狂っていたイナバ国王の様子が変わったことで、事態が好転したのだと思った。
しかし、それは誤りである。
イナバ国王は、大陸からの使者を騙るルウの一味として、オオナムチとムルを一緒に処刑できると喜んだのだ。
この理由なら、ヤガミ姫と国民の双方を納得させることができると踏んだのだ
「つまり、ルウとやら。この者たちは仲間だと言うのじゃな?」
「そのとおりでございます」
明るい笑顔で問うイナバ国王に、ルウも笑顔で答えた。
すると、イナバ国王が急に、いかめしい顔つきに変わった。
「この者どもを連れて行け!国賓を騙る大悪党の一味として、王城前広場で公開処刑とする。町中に触れを出し、人を集めよ!」
「お待ち下さい!」
ルウは叫び続けたが、連れて行かれてしまった。
(お待ち下さいってことは待てばいいのかな?)
オオナムチは、ルウがイナバ国王に待てと言ったのを、自分が言われたと勘違いしてしまった。
そのため、ルウに続いてオオナムチとムルも連れて行かれたのだが、抵抗しないでそのままルウの合図を待つことにしたのだ。
磔にされるときに、乱暴にされたので少しイラッとしたのだが、ルウが必死に待ってくださいと叫んでいたことを思い出し、グッとこらえて我慢したのだった。
王城前広場に、町中の人が集まってきた。
磔にされているムルやオオナムチを見て、ざわついている。
「大陸の国と手を組んでイナバ国を乗っ取りにきたイズモ国の工作員らしいぞ」
「我らがヤガミ姫を踏みにじるなど許せん」
人々は口々に好きなことを言っている。
そして、ついにイナバ国王が、ヤガミ姫を伴って、櫓の上に出てきた。
「みなの者よく聞けい!この者らは、我らがイナバ国に害なす賊である!」
イナバ国王がよく通る声で宣言すると、ざわめきはさらに広がっている。
「国王様、なにをなさるのですか!?」
ヤガミ姫がイナバ国王に声をかけるが、イナバ国王は無視している。
罪状を尋問し、処分を発し、処刑を持ってコトを終わらせてから、じっくりとヤガミ姫を納得させればよいと考えているのだ。
「尋問をはじめる!」
文官が宣言し、国王自らが尋問を行うことが告げられた。
「大陸のイナバ国王家血族を詐称するルウよ。証の宝剣を明かせぬ理由を述べよ」
イナバ国王は、ルウが言っていた『従者に預けている血族の証の宝剣』らしきものを、オオナムチが身に帯びていないことを確認した上で、問いただしている。
宝剣を出せないことがわかっていて、その理由を述べよと問うているのだ。
つまり、処刑することは確定している茶番であり、単なるプロセスなのだが、政治にはこういったことが重要なのである。
「従者オオナムチよ!宝剣を出すのです!」
ルウは、オオナムチに神剣オハバリを出すように言った。
神剣オハバリは神話級武器であり、誰が見ても特別なものだとわかる。
それを見せた上で、これが宝剣だと押し切ろうと、ルウはこの流れに賭けていた。
「はい」
磔の拘束金具を軽く引きちぎって、オオナムチが剣を取り出した。
オオナムチの右手は自由になり、その手には一本の剣が掲げられていたのだ。
しかし、それはルウの期待した神剣オハバリではなく、みすぼらしい銅の剣だった。
(どこから剣を出した!?)
剣など身につけていないはずのオオナムチが剣を取り出したことに、イナバ国王は一瞬驚いたが、その手にあるみすぼらしい銅の剣を見て、これでは宝剣と言えず、状況は変わらぬとほくそ笑んだ。
(なんでそんな剣が出てくるの!?)
ルウはみすぼらしい銅剣を見て絶句した。
オオナムチは、ムルがルウに渡せと言った銅剣を出したのだ。
ムルのいやがらせは、ルウの処刑を確定させるという最大限の効果を発揮したのである。
まあ、それによって自分も処刑されてしまうわけだが、すでに死体状態なので問題は無い。
「それが古代夏王朝の正統を示す宝剣と申すか!?」
イナバ国王はあざ笑いながら聞いた。
「そ、そのとおりでございます」
ルウは、最後まであがこうと思った。
こんなみすぼらしい銅剣を、王統を示す宝剣だと言い張ることに無理があるのはわかっている。
しかし、最後まであきらめるつもりはない。オオナムチに一度救われた命であり、オオナムチにもらった命なのだ。無様でも這いつくばってでも、けしてあきらめない。ルウはそう誓っていたのだった。
「認められんな。血族を偽った罪は先祖への冒涜であり極刑である。この者らを処刑する」
イナバ国王が処刑を確定し、観衆の前で告げた。
「お待ち下さい!本当です!この宝剣は本物なのです!」
ルウはあきらめずに叫び続ける。
極刑の処刑方法は火刑である。ルウたちの足元に、薪が積まれ油がまかれた。
オオナムチは、ルウが『お待ち下さい』と必死で叫ぶので、なんだか不穏な雰囲気だが、できるかぎり待ってみようと考えていた。
まあ、本当にやばくなったら、どうにでもできる力がオオナムチにはあるのだ。
ルウの足元に火が点けられると、生木が油で焼けて黒い煙がもくもくと立ち昇り、ルウがゴホゴホとむせている。
「国王様、おやめください!」
ヤガミ姫が必死でイナバ国王の元に向かおうとするが、女戦士たちががっちりと止めている。
「どうせ死ぬのだ。その宝剣とやらをあの者に握らせてやれ。己の嘘の愚かさを握りしめて死んでいくのだ」
ルウがあまりに必死に宝剣だと叫ぶので、イナバ国王は死出の旅路にその銅剣をもたせてやることにした。
兵士がオオナムチから銅剣を受け取り、ルウの手に握らせた。
ルウが銅剣を握ると、剣がまばゆい光を放った。
「え?」
ルウは驚いた。
みすぼらしい銅剣が、金色の宝剣に変わった。
その宝剣から、膨大な情報がルウの頭の中に流れ込んでくる。
「な、なんだこれは!?」
どこからか水が流れ込み、火刑の火が消えていく。
磔にされているはずのルウが、剣を持って中空に浮かんでいる。
宝剣がルウに知識と力を与え、ルウは水を操って火を消したのだ。
「これを待てってことだったのか!?」
オオナムチは、ルウが『お待ち下さい』と必死に言ったのは、これを見せるためだったのかと納得した。たしかにこれはすさまじい力だ。
神に育てられたオオナムチだからこそ、神の力がわかる。
今まさにルウが振るう力は、まぎれもない神力なのである。
ムルが持っていたみすぼらしい銅剣は、なんと本物の宝剣だったのだ。
「天界の神々より黄帝に賜り、我が始祖、大禹王に受け継がれし宝剣『夏兎剣』を示して申し付ける。我が名は流兎、大禹王の血の正統なり」
「こ、こんな…」
宝剣を向けられたイナバ国王は、顔面蒼白でへたり込んでいる。
文官も国民も、その場のすべての人々がルウに平伏していた。
夏兎剣は膨大な魔力を有し、剣身に日月星辰と山野草木の装飾が刻まれ、柄には農耕牧畜と四海統一の術策が記されていて、黄帝が刑天の首を落とし、蚩尤を打ち破った斬魔の宝剣である。
ルウは、あきらめないであらがうことで、絶体絶命の死地をくぐり抜けたのだ。
夏兎剣を帯びたルウはまさに現人神であり、イナバ国王はルウを神と認めて全面降伏したのだった。