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月影に浮かぶ恋花火

作者: 倉宇戸まりも

1.はじめの一歩


 カウンターの一番に隅に座るのは、ここが一番落ち着くから。

 一人でジャズバーに行くのもすっかり慣れた。

 横濱老舗のバーで、大人のカップルか一人のお客さんが多いのもリピートしやすい。


 いつもは年配のトリオが演奏しているが、今日の奏者はちょっと若い。

 私と同じくらいの年かもしれない。

 ピアノとドラムとベースのトリオだった。

 やっぱり全体の音がとても若々しい。


 とりわけピアノの甘い響きを耳がよく拾った。

 演奏しているのは小柄で、とても可愛い顔をした男性。

 どこかで見たことがある気がした。

 

 一回目の演奏が終わると、次の演奏まで30分のブランクがある。

 その間奏者はお客さんと話したり、マスターのそばで小休止をしている。


「隣いい?」

 ピアノを弾いていた男性が声をかけてきた。

 バーには一人でよく来るけど、実際にナンパされることなどまずない。

 こんな声をかけられることも珍しい。

「いろんな人と話すのも疲れちゃうし、その端っこの席、俺好きなんだよね。今日は先約がいたから仕方ない」

 人懐っこい笑顔が、過去の思い出とリンクする。


 ――まさか、メガネ君?

 メガネのない目元が涼し気になって大人びてはいる。

 でも、お茶目な口調はあのときのままだ。


 高校の時、憧れていた連先輩の親しい友達。

「連くん、連くん」と一生懸命おしゃべりしている姿は、彼女のようでもあり……。

 穏やかに相槌を打っている連先輩は彼氏のようでもあり……。

 そんな二人がうらやましかったのを思い出す。

 

 連先輩たちは、中学生の頃から地元のメンバーとバンドを組んでいた。

 高校でも彼らを慕う後輩や仲間たちに囲まれていた。

 見ているばかりの私が、やっと言葉を交わしたのは卒業の時期……。

 彼が私を覚えているとは思わなかったが、つい顔を隠す。


「よく来るの?」

 誰にでも軽やかに好奇心を示せるところも、変わっていない。

 間違いないメガネ君だ。

「たまに。こういう感じで演奏が聞けるところ、好きなんです」

 

 この店では7時30分と、8時45分に40分の演奏タイムがある。

 二回目の演奏は、メガネ君ばかり見ていた。

 バンドではギターも弾いていたが、卒業ライブのピアノソロが一番印象的だった。

 甘さの中に、どこから来たのかわからない激しさが混じっていた。


 楽器とか音楽というのは、あなどれない。

 耳がよく拾った甘い音は、きっとメガネ君の音なんだろう。


「――思い出した!」

 二回目の演奏が終わると、彼は興奮した様子で私のところにやってきた。

「同じ高校だったよね?」

 ――どうしよう。


ここは他人のふりでもしようか。

メガネ君は人の顔を覚えるのが得意だった。

「連くんのこと追いかけてたでしょ?」

 その言葉を聞いて、思わず咳き込む。


 芸能人のおっかけみたいに言わなくても……。


 こんなところで、その懐かしい名前を聞くことになるとは思わなかった。

 私の反応を見たメガネ君は、確信を得たらしい。

「こんな偶然ってあるんだね!」

 可愛らしく喜んでいる彼を見て、つい笑ってしまう。

 ……そうだった。

メガネ君は、こんな風にさらっと、人との距離を詰めていけるところがあった。


「よく覚えてましたね」

「セッションしてるときに思い出した」

「え……?」

「俺たちのライブ、そういう顔で見てたよね」

「どういう顔ですか?」

 苦笑しつつ、否定もできない。

「このあと時間ある? せっかくだから外で飲み直そうよ」

 意外な申し出にちょっと驚く。

 でも、もう大人になった私たちなら、こんなことも朝飯前だ。

 


 彼は、3件隣のアメリカン風のカフェに躊躇なく入る。

 通りがけに外から覗いては、今度会社の子と来ようかなと思っていた場所だ。


「偶然の再会に乾杯、ということで」

 二つのグラスを合わせた。

 かつて彼らに話しかけるまでに、どれだけの時間を要したことか。

 ものの数分で一緒にお酒飲んでるのが笑えて来る。


「あの、昔の話ですけど……」

 せっかくの機会なら、彼に伝えておきたいことがあった。

「卒業ライブのとき、連先輩呼んでくれたのを覚えてますか?」

「覚えてるよ」

「連先輩と話せてすごくいい思い出の時間になりました。メガネ君にはずっと感謝してたんですよ」

「メガネ君?」

 グラスに口をつけたまま、キョトンとした顔でこちらを見る。


 ――しまった。


「……名前知らなかったし、勝手にそう呼んでたんです」

「そうなの? メガネ君……」

 不満そうなので、笑いながら謝る。

「ごめんなさい」

「連くんのことしか見てなかったもんね」

 恥ずかしさで顔が熱くなる。

「初恋の話ですから、そこは大目に見てください」

「ま、だから協力してあげたくなっちゃったんだけどさ」

「メガネ君にお礼が言える日が来るなんて、考えても見なかったな」


 大きな行事があるたびに、ふと先輩たちが遊びに来ないかと期待した。

 結局、自分が卒業するまで、ずっと彼らの影を追いかけて生活していた。


「ところで『メガネ君』終わりにしない? もうメガネかけてないし」

「あ、そうですね……っと、名前……」

 あたらめて名前を尋ねるのは可笑しくもあった。


「みんな名前で呼ぶから、真那でいいよ」

「真那?」

「どうせ女の子みたいだとか言うんでしょ。よく言われる」

 拗ねてみても、どこか可愛い。


 ――役得だなあ、彼は……。


「双子の姉ちゃんがいるんだけど、奈々、未菜、それで真那だからね」

「あはは」

 双子のお姉さんにして、彼あり。

 道理で女の子に揉まれ慣れているわけだ。


 高校に入学した年、初めて一目惚れを体験した。

 特別イケメンではないのに、なぜか心のど真ん中に入ってきたのが連先輩。

 彼を知りたくて、近づきたくて必死に過ごしていた。

 その他の生活をろくに思い出せないくらい、私の高校生活は彼らでいっぱいだった。


「俺も人のこと言えないか。そっちの名前も知らなかったね」

「神崎歩です……『あゆみ』じゃなくて『あゆむ』ですよ。こっちは男の子みたいな名前で苦労したんだから」

 彼が相好を崩した。

「OK。歩ちゃんね。今度、また誘ってもいい? 俺、あんまり友達いないからさ」

 おどけると昔の「メガネ君」そのままだった。


 

2.優しい雨の中で

 

「じゃあ連くんのことも、本当に何も……名前すら知らなかったの?」

 数日後の水曜日、メガネ君あらため真那から誘いがあった。


 今度は私が仕事帰りだったので、創作居酒屋でビールジョッキをぶつけている。

 共通の話題と言えば、やはり連先輩なのでどうしてもそのあたりからの話になる。

 正直、幼さに恥ずかしくなる話なのだが、その青さを笑えるくらいは大人になった。


「一目惚れねえ。漫画みたい」

「私だって最初は戸惑ってましたよ、もちろん」

「でも、連くんを見初めるなんて、なかなかのセンサーだよ」

「私も自分を褒めました」

 彼は、最後まで憧れを裏切らない素敵な先輩のまま卒業していった。


「今でも、会ってるんですか?」

「一年に1.2回くらいかな。京都にいるんだ。仕事で関西に行くときに寄ったり」

「京都?」

「ワーホリでカナダとかヨーロッパとかで何年か暮らして、今、京都でゲストハウスやってる」

「へえ」

「東京オリンピックもあるから、今がやりどきなんだって」

「やっぱり連先輩ってバイタリティあるんだ」

 あどけない顔に穏やかな表情が印象的だったが、その裏にとてつもないエネルギーを感じていた。


「連くんは、何でもできるからね。いろんなことしてる……歩ちゃんは、今何してんの?」

 彼はあっという間に「歩ちゃん」と呼んできた。


 私の口調も少しずつ砕け始めるものの、真那くんなのか、真那さんなのか、そのまま真那と呼ぶべきなのか、決めかねている。

「文具のメーカーで営業してるよ」

「ちゃんと社会人してるんだ……って当たり前か。俺がレアだよね」

「ずっと音楽続けて来たんですか?」

「うん、まあ……ずっと。いろんな人に声かけてもらいながら」

「ずっと続けてるってすごいね。素直に尊敬する」

「好きだから続けてきたって言ったらカッコいいけど。俺には音楽以外できることがない」

 お茶目に笑うところも昔のままだった。

「突出した能力のない私には憧れの言葉だな」


 お世辞じゃない。

 何にでもなれるような気がしたのはいつまでだっただろう。

 時を重ねれば成長もしていくが、自分というのも見えてくる。

 そして、そんな自分と折り合いをつけられるようにもなる。

 彼が「音楽しかない」と言えるのが眩しかった。


 雨が降り始めていた。

 傘をさしている人と、そうでない人がそれぞれの表情で夜の街を歩いている。

 成り行き上、駅までの道を二人で歩く。


 ――通学時、朝の電車の時間まで彼らに合わせていたっけな……。

 挨拶一つを交換するために。


 男女が私的に会い始めたら、理由が必要になってくる瞬間はある。

 社会人になっていればなおさらだ。

 学生時代の友達や、同僚とだってプライベートに会う回数は限られる。


 偶然の再会に驚いて一回目、二回目に思い出話と少しの近況。

 三回目に会うとしたら、その理由はなんだろう。


「やっぱり傘さすね。小雨だけど意外と濡れる」

 私はバックの中から折り畳み傘を取り出した。

 連先輩と一緒にいるときは小柄に見えたけど、私より10センチくらいは背が高い。


 彼のきれいな手が、傘の柄を引き受けた。

 昼間だったら同じシチュエーションでも、もっと事務的だったはずだ。

 サーっと静かに降る雨と、夜の街が勝手に沈黙を包んでいく。


「――あいあい傘だ」

 彼は手元の柄をくるっと回しながら笑った。


「高校生だったら冷やかされるよね。そんな特別なことじゃないのに」

「そうだけど、なんかテンション上がらない?」

 女の子が聞いたら、舞い上がってしまいそうなことを平気で言う。

 

 真那とは構えずに話すことができた。

 同郷のよしみに似た安心感があるのかもしれない。

 高校でも、大学でも、どこか窮屈さがあって自分を肯定しきれずに来た。

 仕事を始めてようやく、上下左右の人間関係の中で楽しみを見出しているところで……。


 彼に再会したのが、今でよかった。

 あんまり情けない姿は見られたくない。

 彼らにはなおさら。


 彼のピアノは艶っぽくて甘く、時に激しい。

 高校の時も、その音に驚いた。

 彼の手や指は私を少し落ち着かなくさせる。

 触れられたいと思わせる手。


 カラダの部位で惹かれるとは、欲求不満かな。

 無粋、無粋と苦笑する。


 どっちかが意識したら、こういう関係は続かないんじゃないかと思う自分がいる。

 傷つかないのは最初だけだ。

 行くか、行かないか、選ぶときが来る。

 

 連先輩の友達にそんな思いを抱いたら、また傷つけて、自分も傷つくだけだ。


 大学時代にひとり。

 社会人になってすぐ、ひとり。

 彼氏だった人はいた。

 告白されて「付き合う」という経験をしてみたけれど、心はついていかなかった。


 誰かを好きになるということは、そうそう訪れる出来事ではない。

 街にはカップルがたくさんいるし、合コンでは次々に彼氏彼女が生まれるように見えるけれど、恋は簡単に落ちていない。


 横顔をちらりと見ると、彼も私を見た。

 

 強い風が吹いて傘が飛ばされそうになり、思わず柄をつかんだ。

 彼の手に自分の手が触れて慌てて放す。


「あっ……ごめん」

 ーー意識し始めてるんじゃないか、男として……。


 軽く笑って冗談でも返してくれるんじゃないかと思ったのに、彼は何も言わなかった。

 私とは逆の方向の足元に目をやってる姿は、もしかしたら少し照れたようにも見えた。

 心の奥が落ち着かない。


 ――恋する瞬間ってどんなものだったっけ?


 金曜日のお店では、感じの悪い初老の男性がマスターやバンドの人に絡んでいた。

 こんなこと今までになかったのに……。

 今日は、真那がピアノに入ると知っていて店に来た。


 バースデーソングのリクエストを受けて、イントロを奏で始めたとき、その男が水の入ったコップを彼の近くで床にたたきつけた。

 水が跳ねて、散ったガラスが真那の顔にひと筋の傷をつける。

 そこが赤い線になると、私は反射的に声が出そうになった。


 彼はピアノを弾き続ける。

 いつもは柔和なマスターが、強烈な凄みで男の首根っこを押さえると店外へ連れ出した。


 店の空気がよどむ中、真那は落ち着いた笑みを見せて、店員に目配せする。

 曲をリクエストしたカップルに拍手を送り、他のお客さんも我に返ったように拍手をする。

 

 演奏中の真那が纏うのは、白い薔薇のイメージ。

 とにかくイノセントで華やかで、人の目が勝手に見てしまう。

 でも時々、棘が出てきて、見ている人をぞくっとさせる。


「音楽しかできることない」

 自嘲を込めて話していた姿がよぎる。

 彼はこういう道を歩くしかない人。

 でも、それを許された人でもある。

 トリオのセッションが始まり、ご機嫌なアドリブが嫌な空気を洗い落とした。


「今日は驚いたでしょ?」

 気遣ってくれたが、危なかったのは彼の方だ。

 なんとなくまた一緒に駅まで向かう形になった。

「ああいうことって、たまにあるの?」

「そんなしょっちゅうはない」

「落ち着いててすごいなって思っちゃった」

「場数だけは踏んでるからね。……俺、ピアノを聞いてくれた人が楽しんでくれないと嫌なの」

 彼の持つ負けん気、頑固な一面がそっと顔を出した気がした。


 真那の顔にできた細い傷に、赤いものはもうない。

「深い傷じゃなくって良かったね。ガラスが、飛んで……。ここ……」

「目じゃなくて良かった」

「でも、せっかくの可愛い顔だから大事にしなきゃ」

「うーん。女の子に可愛いって言われると複雑だな」

「そ、そうだよね。ごめんっ」

 カワイイと言われて喜ぶ男はいないと、何かの記事で読んだことがある。

 

 真那は悪戯をしかける子どものような瞳で突然切り込んできた。

「俺、男としては見られない?」

「……そんなことは、ないよ」 

 

 真那の長くてきれいな指が、私の頬にそっと触れた。

 ……っ。


 氷を押し当てられたように強い感覚が入ってくる。

 訪れる甘い空気に少しだけ緊張するが、彼の手は私の頬っぺたをつまむ。

「ふぇ?」

「おもちみたい」

「ひどい」

 くすぐったい予感を共有しているのは、否定できない事実。

 


3.真那の港


『来週末、大阪で演奏あるんだけど、来ない?』

 ある夜、真那から届いたメール。


「来ない?」ってそんな簡単に誘われても……。


『連くんのゲストハウスにも顔出すつもり。一緒に行かない?』

 え、

 え、

 ええーっ!!!


 落ち着け! 落ち着くんだ。

 二つのことを整理しよう。

 まずは大阪に行くという話。

 次に連先輩のゲストハウスに行く話。


 真那、何を考えてるの?

 

 土曜日に仕事が入った私は「仕事が終われば行けるかも」と答えた。

 逃げの言い訳を準備したような自分に、ため息もつく。

 二つのことについて、私にはどういう意味があるのか考えを巡らせる。


 真那は朝から大阪に行っている。

 会えるのなら京都で落ち合う約束をしていた。

 

「3時の新幹線、乗った」

 メールを一本送ってしまえば、気持ちは前を向いた。

 連先輩に会う、これが何を意味するのか私にもよくわからない。

 卒業ライブの日、彼は私にドラムのスティックをくれた。

 好きだと最後まで言えなかった私に、すてきな思い出を残してくれた。

 しんどいときに抱きしめると「がんばれ」という声になって助けてくれた。


 大切にしてきた時間。

 今さら、連先輩に会うのはどうなんだろう。

 その思い出ごと、壊れるのは怖い。

 

 でも……。

 私がこれから、もし真那と会っていこうとするなら連先輩は避けて通れない。

 ずっと思い出の中にいるわけにはいかないのだから。

 現実を受け止める力が、私にあるのかどうか。

 

 ――どんな展開になっても、後悔はしない。


 あのくすぐったい予感を、なかったことには出来そうにないから。

 真那に会いに行くという意味を、ごまかさないと決めた。


 京都駅では真那が待っていてくれた。

 先輩のバンドに参加してきたらしい。

 ちょっと疲れて見える。

 

「タクシーで行っちゃおう」

「あの……連先輩にはなんて……」

「ん、偶然会った高校の後輩も一緒に行くって言っておいた」

「先輩、もう覚えてないと思うんだけど……」

「そういう話、連くんとはしたことないけど、絶対忘れるわけないよ」

「そうかな」

「逆の立場で考えてみてよ? 自分を好きになってくれた人のこと、忘れたりしないでしょ?」

 これには表情の選択に迷い、曖昧に笑っておく。


 連先輩のゲストハウスは三階建ての民家を改造したもので、一階がリビングを兼ねたカフェ、二階と三階が客室だった。

 京都の便利な場所に、これだけのスペースを確保するには相当な資金も必要だ。

 連先輩は相当なやり手と見える。


「連くーん!」

 高校生のときみたいに、真那がはしゃいで呼ぶ。

 カフェの対面キッチンから顔をだしたのは……。


 ――ほんとに、連、先輩だ……。


 卒業式から、ずいぶんしばらく引きずっていた。

 会いたい気持ちを、会いたさで燃やし尽くして、日常に戻ったのはいつだったろう。

 あどけなさは消えたが、春の日差しみたいな笑顔はそのまま。

 すぐに連先輩だとわかった。


 真那が紹介するのを受けて、ぺこりと頭を下げる。

「か、神崎です」

 連先輩も私の名前は知らないはずだ。

 ビジネスライクに「ゆっくりしていってね」と言葉を置いていく。

 気づいていないようだ。


 ――そうだよね。彼にとっては……。

 少し胸の奥が痛む。

 それも覚悟して来たのに、勝手な女……。


 宿泊客の西洋人グループやアジア系の旅行者がカフェに来ていた。

「真那、今日も弾いてくれるの?」

「もちろん。連くんも一緒にやろうよ」

「みんなも誘おう」

 連先輩が英語でカフェに来ていた人たちに何やら説明している。

 ざっと聞いたところ、つまりセッションしようと。

 歌でも楽器でもいいよと言っていた。

 アコースティックのギターや、カホンが置いてある。


 外がすっかり暗くなったころ、連先輩がカホンを、真那が電子ピアノを鳴らし始めた。

 まるで一気に時が戻って、夢を見てるみたいだった。


 持ってる楽器も場所も、曲だって違うのに卒業ライブの日を思い出す。

 連先輩と一緒に弾いているからか、真那は心底楽しそうだ。

 バーで聞くたびに、どこか寂しそうだったのは気のせいじゃない。


 海外からのゲストはノリが良く、あっという間に盛り上がり始めた。 

 高校の時も、音楽の要はやっぱり真那だったんだろう。

 ゲストの誰かがカホンに名乗りを上げたり、ギターをかき鳴らしても、全部ピアノで寄り添っていく。

 素人ばかりのはずなのに、みんなで音楽をしている感じに仕上がっていく。

  

 ひとしきり、みんなが楽しさを共有した後、真那はすっかり人気者だった。

 彼の音楽世界に触れてしまった人は、その魅力にはまってしまう。

 ゲストに写真を撮られたり、サインをねだられたりしている。


 ――どこかで見た事あるな、この風景。


 思い出すと、笑みが勝手にこぼれてくる。

 英語を話す真那も、初めて見た。


 ――意外と余裕だ。そうか、耳が良いから。

 音楽家の耳は、語学と相性が良いと聞いたことがある。


 カウンターに戻ってきた連先輩が、スタッフの若い男の子に指示を出す。

 私はカウンターの隅でその様子を見ていた。

 目の前に彼がいるというのが、まだ信じられない。


「偶然、真那が演奏するバーで会ったんだって?」

 作業中の彼が、一度顔を上げて私を見る。


「後輩を連れていくっていうから、男だと思ってたら、お前だったんだ」

 ――先輩、気づいてた?


「『お前』……って失礼だな、俺」

 屈託なく笑うのも昔と同じ。


「……覚えててくれたんですね」

「俺が、あちこちにスティック配ってたように見えた?」

 あの瞬間を、覚えててくれた……。


 じわっと目元が熱くなり、慌ててビジネスモードに戻す。

「すぐにわかりましたか?」

「正直、すぐ、ではないな……女性は化粧するから難しい」

「あはは」

「セッションを見てるときの顔は、あの頃とおんなじだった」

 私は、真那をちょこっと指さして肩をすくめる。

「それ、彼も言ってたな……」

 真那の真似をして、おどけて笑う。


「……きれいになったなって思ったよ」

 おまけとわかっていても、不意打ちに赤面する。

「先輩は口がうまくなったな。そんなことさらっと言えちゃうんだ」

「ま、今、こういう仕事してるし」


 すっかり大人になった連先輩がいる。

 びっくりするほどスムーズに、かつて交わした会話の数を越えていく。


 高校生が飛び越えられない壁は、あんなに高かったのに……。

 時間に揉まれた私たちは、こんなに近くで話ができる。


 目の前にカクテルが一つ、置かれた。

「サービス」

 グラスの中の液体が揺れている。

「真那、本気みたいだから」

 アンコールに応えて、切ないバラードを演奏中の真那を見る。

 電子ピアノでも、彼のピアノはやっぱり甘い。


「あいつを頼むな。ああ見えて、繊細だから」

「……うん、確かに」

「俺にまで、変に気を遣うことなんてないのにな」

 二人で顔を見合わせて笑った。


 ――ああ、昔。

 明るくて華やかな真那が先輩の女房役に見えていた。

 でも、違うんだ。

 本当は連先輩の方がずっと器用で、不器用な真那の女房だったんだ。

 ――きっと今も、真那の港なんだね。

 


4.真那と歩の恋花火


「真那が来ると、いつも楽しい夜になるんだ」

 連先輩はゲストたちが残したメッセージノートをいくつか見せてくれた。

 二人の関係はやっぱりうらやましい。

 女の私が入れない世界。


「また、来なよ」

 その言葉を背に、ゲストハウスを後にする。

 連先輩はどこまで行っても素敵な先輩。


 満月に近い月が、外套とは別の影をつくっている。

 熱気を冷まそうと言って、鴨川沿いを真那と二人で歩く。

 川沿いのお店の明かりが仕掛け花火みたいに見えた。

 周囲には思い思いに過ごすカップルや旅行者の姿。


 明かりから少し離れたところで真那が立ち止まった。

「少し、座らない?」

 川の流れを見ながら隣に腰掛ける。


「ちゃんと、消火活動できた?」

 真那がぽつりと聞いてくる。

「消火活動……?」

 それが、連先輩への恋心のことと気づいて吹き出した。

「消火活動もなにも……そんなのずーっと昔に燃え尽きて1ミリの炭も残ってないよ」

「ほんとに?」

「大人になった連先輩が、今も先輩らしくいてくれて嬉しかったけど」

 思い出と恋心は違う。


「今日、連くんに会わせたのは歩ちゃんのためじゃないからね。自分のため」

 右隣に座った彼は、メガネのフレームを触るようにこめかみに手を当てる。

「連くんに黙ったまま、先に進むのはどうしても嫌だったから」

「……」

 真那は連先輩のことが本当に大事なんだろう。


「連くんの思い出は、連くんのもの……歩ちゃんのこと、覚えてたでしょ?」

 覚えててくれて嬉しかった、と素直に言うべきか否か、ちょっと迷った。


「――さあ、どうだろ」

「なにそれ?」

 ちょっとにらまれた。

「歩ちゃんの表情見てたら、そんなのすぐわかるよ。……すっごい嬉しそうだったもん」

 真那の長い指が頬っぺたをつまむ。

「やっぱちょっと妬けるかも……うーん」

 この人はなんでこんなに可愛いんだろう。

 本人に言ったら絶対怒られるけど……。


「ばかだな。真那は」

 初めて自然に呼べた。

 呼び捨てにされた彼は、瞳に戸惑いの色を浮かべる。

「いろいろ考えてるのわかるけど、一番大事なことわかってない」

 小首をかしげる仕草すら、すでに愛おしい。

「今日は、私、真那に会いに来てるんだよ、わざわざ新幹線乗って」

 戸惑ったままの大きな黒い瞳をまっすぐ見返す。

「ほら、やっぱりそこ気づいてなかった」


 十代の頃の二年間は、とても広い川幅に見えた。

 今は、その二年分をいつでも飛び越していける。

 彼の頬っぺたを軽くつまんでみた。

「うわっ、めっちゃくちゃキレイだね、肌」

「ここで、そういうこと言うの?」

 真那の左手が私の右手を捕まえてぎゅっと握ると、頬に軽いキスをしてきた。

 目を閉じると、そのあたたかさが唇に移動する。


 ――真那らしいキス。


 ……屋外だし、すぐに放してくれると思っていたのだが、真那はさらに私の耳を食んだ。


「あっ、ちょっ……」

「いいな、その声。もっと聞きたい」

 反応に味を占めたのか、もう一度耳にキスを落とす。

「待っ……こ、ここでは無理!」

「ここじゃなかったらいいの?」

 嬉しそうに尋ねる真那に、すでに乱され始めている。

「……二人きりになれるところならいい」




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