ふろむ・○○○○（ライト）

ギフト編

勇者

　コツコツと、廊下に響き渡る足音。

　一歩一歩着実に、目的地へ向かう。

　私が目指すは、トイレ。

　腹部に伝わる振動を最小限に押さえながら、トイレの扉をふわりと開く。

　そこに広がるは見知らぬ森。

　私は驚くことなく、庭を散策するかのように森に入り、適当な茂みを探してベルトを緩め、チャックを外し、ズボンを下ろす。

　グイッと屈み、ケツを地面へ向け、ファイアー！

「うぉぉぉぉぉ！　ぐぐぐっ、で、でないだと！？」

　腹は尋常でない程に痛い。便意だってある。

　しかし、腹に宿りし生命の残影は地に堕ちることを否定する。

　この～、恥ずかしがり屋さんめ！

　しばらくの攻防……時はちょいと流れ、門を引き裂かんとする、金剛石の硬度とも張り合える茶黒の宝石がころりと落ちた。

　ホッとしたのも束の間、波は突如やってくる！

「ひ、ひ、ひゃぁぁぁぁぁ！　出るしかない、このビックウェーぶぅぉうぅぅ！」

　フッ、腸のチューブから波のチューブを再現してやったぜ！

　尻を拭きながら、今回の便について考察する。

「うむ、固いうんこが栓となり、塞いでいたのか。故に、奥にいる者は動けず、もがいていたのだな。フフフ、腹も痛いはずだ」

「う、うう……」

「む？」

　神も恐れ抱くであろう、完璧な考察に酔う私。

　だがそこに、男性のものと思しき呻き声が聞こえてきた。

　衣服を整え、声の発生源へ向かい茂みから出る。

　茂みの近くには、人が踏み慣らしてできた道があった。

　その道の脇で男が倒れている。

　男は全身傷だらけ。

　腰にはボロボロに傷ついた剣。

　右目には片眼鏡。いわゆる、モノクルをつけていた。

「おい、大丈夫か？　死んでいるなら返事をしろ！」

「し、死んでたら、返事なんか、でき、るか……」

「うむ、毒突くくらいの元気があるなら大丈夫だな。とりあえず、体を起こして傍の木に移動しよう。往来の邪魔だからな」

「どこの誰か知らないが、扱いが酷くないか……」

　私の親切心に悪態をつく男に肩を貸して、道外れにある木に背を預けさせた。

「身体中がボロボロだが何があった？」

「負けたのさ、神に……」

「神？」

「そうさ。俺は勇者として、神に人間の成長の証を見せようとしたが、失敗しちまった」

「話が見えんな。私はこの世界の存在ではないので、君の言っていることが理解できない」

「他の世界の……？　まぁいい、神により、魔物が跋扈する世界に変えられたからな。何が起こっても不思議ではないか」

「君たちの神とはどんなやつで、何を考えているんだ？」

「神は人からは遠くかけ離れた姿で、無数の腕を持つ存在だ」

「無数の腕……千手観音みたいのものか？　じゃんけんが強そうな神だな」

「なに？」

「いや、すまない。続けてくれ」

「ああ……神は我々に、成長の証を見せろと言った。もし人間が、神に一つでも傷をつけることができれば、そいつが成長の証。だが、できなければ、世界は消えてなくなると」

「で、無理だったのか」

「はっ、そうさ。せっかく作ってもらったモノクルが無駄になっちまった」

　勇者はモノクルを外して、地面へ落とした。

　私はモノクルを拾い上げる。

「これがあれば、神に傷をつけられたはずだったのか？」

「ああ……そのモノクルは弱点を見抜く力を持っている。だが、神には弱点が無かった。クソッ！」

「弱点ねぇ……」

　悔しがっている勇者を横目に、モノクルの力に興味が出てきた私は、自分の右目に装着し、彼を見てみた。

　勇者の左右の耳たぶが赤く光っている。

　私は指先を伸ばして、左耳たぶを掴んでみる。

　すると、彼は艶っぽい声を上げた。

「いやんって、貴様何をする！？」

「いや、弱点が見えたから、つい」

「ふざけるな！　寄越せ、お返しにお前の弱点を突いてやる。ほほぉ、お前の弱点は腹か。フフフ、覚悟しろよ」

「ふん、覚悟するのはお前の方だ！」

「なんだと！？」

「たしかに、私は腹が弱い。しかし、そこに触れれば……お前の精神は死を迎えるぞ！」

　腹を擦りながら威圧する。すると、事の重大さに気づいた勇者はモノクルを慌てて外し地面に置いた。

「クッ、なんて恐ろしい奴だ。弱点が同時に最大の攻撃とは！」

「わかったら、馬鹿な考えはよすんだな。そんなことよりも体を休めろ。私も明日には帰ることができるはずだから、それまで横になるつもりだ」

「お前の事情はわからないが、たしかに身体を休めないと持たないな。しかし……」

　勇者は辺りを見回して、鼻をスンスンと鳴らす。

「どうした？」

「いや、何か匂わないか？　ドブのような……」

「フッ、気にするな。睡眠に支障はない」

「……こ、この匂い。き、貴様のかっ！」

　彼は傷ついた身体を無理やり引き摺り、道の反対側にある木の袂に身体を預けた。

　傷が深そうに見るが、意外に元気そうで何よりだ。

　私はそのまま動くことなく、道を挟んで会話をし、勇者が疲れて眠ってしまったところで、明日の朝まで目を閉じることにした。

　日は昇り、目を開けると傍に勇者が立っていた。

「起きたか。妙な扉が森に現れたが、あれがお前の世界に通じる扉なのか？」

「ああ」

「不思議なこともあるもんだな。俺はそろそろ帰るとするよ」

「神はどうするんだ？」

「さぁな。弱点がないのなら、武器を向上させるしかない。もっと強力な武器を携えて、神に一太刀入れてみせるさ」

「健闘を祈っている」

「ああ、では機会があれば、また」

　勇者は別れを告げると同時に、一瞬にして視界から消え、風のように走り去った。神に挑むだけあって、回復力も身体能力も並みの人間ではないようだ。

「さて、私も帰るか。ん？」

　足元にモノクルが落ちている。

　昨日、勇者が地面に置いて忘れていってしまったようだ。

　それを摘みあげて、じっくりと見つめる。

「これが、この世界の手土産というわけか。弱点を見つける片眼鏡。使い道はおそらく……」