世界を巡る~はじまりの草原~
最後に残った、別世界からの手土産……木の杖。
これをどう使えばいいのか、いまだにわからない。
木の杖……木の棒。
これは人の知恵の象徴。アイデア次第で様々なものへ生まれ変わる。
トイレの扉を前にし、目を閉じ、最後に残る『草原の世界』での使い道を模索する。
しばらく無言で思考を張り巡らせていると、聡明草が体を揺さぶってきた。
どうやら、寝ていると勘違いして起こしにきたようだ。
「やめろ、起きているぞ。思えば、お前が来て以来、ずっと朝は起こしてもらっていたな。もっとも、お前が…………なるほど、そうか。そういうことか!」
聡明草は私を起こそうとしたわけじゃない。
ヒントを与えたのだ。
そして、そのヒントは、聡明草が私の部屋に置いていた、とあるものを取り込んだことにもあった。
「よし、行こう。お前の世界に」
訪れた場所。始まりの世界。
風は常に一定間隔で同じ方向に吹き、草花が咲き乱れているが、活力を感じない。
絵画のように変化のない世界。
変化があるとすれば、太陽の動きくらい。
私はいつか屈んだ茂みをのぞき込む。
「いた」
そこには大地に還ることなく、私の生み出した茶色の物体がドンと構えていた。
辺りには、草花が足を生やし、逃げ出したくなるくらいの芳香が漂っている。
うんこを見ながら、私は確信へ至る。
「やはりな。では、この世界が失おうとしているもの、忘れようとしているものを思い出させてやるとしよう」
周囲をうろつき、ソフトボール大くらいの十二個の石を集める。
石は円周上にして等間隔に配置し、円の中心に私が立つ。
そこで木の杖を手に取り、空高く振り上げ、ご老公が話した人間の知恵の象徴の言葉を思い浮かべる。
『木の杖……木の棒は人が生み出した、知恵の証。強く擦りつければ、火を生む。火を燈せば、たいまつとなる。両手でしっかりと握りしめれば、身を守る武器となる。私のような老人の最高の相棒となる』
「そしてっ!」
私は木の杖を円の中心に深く突き刺す!
「このように地面へ刺せば……時計となる」
世界に向かい、必要なものを届ける。
「この世界は時間を失っていない! 忘れていない! 太陽の動きを見ろ! 木の棒に映る影の変化を見ろ! 時を刻んでいる! 時間は確かに存在する!!」
私の言葉に応え、突風が吹いたかと思うと、ドクンと巨大な鼓動が世界に響き、それは私の心臓の鼓動と共鳴した。
一定方向にしか吹いていなかった風は、縦横無尽に吹き荒れ、草のさざ波は様々な模様へと変化していく。
言葉は、届いたようだ。
聡明草が私の視線まで蔓を伸ばして、ぺこりと先端を下げた。
「ふふ、お前はずっと私にヒントを与え続けていたのだな。家の時計を抱き、時間を愛でていた。おかげさまで、目覚ましがなくて困ったが。まぁ、そこはお前が起こしてくれたからいいけどな……それで、お前はどうする? この世界に残るか?」
聡明草は、私の右手に根を下ろしギュッと締め付ける。
「そうか。では、帰ろう。私たちの世界へ」
私たちは、私たちの世界へ戻る。
私はノブを掴み、今まで訪れた世界のことを思い起こす。
「扉をくぐるたびに、妙な世界に飛ばされて、そこは常に何かの問題を抱えていた。それもようやく終わりか…………ん? 扉の先には、常に問題が。では、この先は……?」
扉に向かって、瞳をじわりと動かす。
瞳に映るは、手入れがいまいちなトイレの扉。
何も変わった様子はないはずなのに、手のひらに汗が浮かび、背筋は凍る。
ごくりと恐怖心を飲み込んで、ノブを回し、扉を開いた。
戻ってきた、私たちの世界……。
周囲は特に何の変化もなく、ただかすれた芳香剤の匂いの混じる、トイレ独特の匂いが漂っているだけ……そう、当たり前の地球の姿。
「考え、すぎか……」




