世界を巡る~勇者~
包丁片手にトイレの扉を開けると、すぐさま男の悲鳴が聞こえた。
「きゃっ!? な、なんだ、お前か」
「勇者か。何をビクついている?」
「突然扉が現れ、刃物を手にした男が現れたら驚くだろ!」
「それはすまない。ここは、初めて出会った森かな?」
「ああ、ちょうど今から神の試練を受けに行くところだ。この剣で、次こそは神に一太刀入れてやる!」
勇者は背中に背負った、身の丈を遥かに越える剣をチラリと見ながら意気込む。
だが、そんな立派な大剣をもってしても、弱点のない神を傷つけられるとは思えない。
「本当に、そいつで神は斬れるのか?」
「それは……だが、やるしかない」
「自信があるわけではないのか。よし、私も同行しよう」
「なに? 危険だぞ」
「わかっている。だが、この包丁が神を傷つけられるかもしれない」
「包丁が? そんなはず――」
「まぁ、行ってみよう。私も君と同じで自信はないのだ」
「はは、お前から自信のない態度などまったく見れやしないが。わかった、ついてこい」
勇者に案内されて、山の頂へ向かう。
雲海広がる景色を前に、彼は大剣を両手で握りしめ、神を呼ぶ。
「神よ! 人の力を見せに来た。我らの成長の証を受け取るがいい!」
彼の言葉がやまびことなって山塊へ広がり、その言葉の響きに交じり、空気が震え始めた。
ソイツは陽炎の如く浮かびあがり、 今世へ姿を現していく。
神と呼ばれるものは、巨大な頭を持ち、ギラリとした巨大な目を見せる。
頭部の下部からはいくつもの腕が飛び出し、ぐにょりぐにょりと蠢いていた。
勇者は額に冷や汗を浮かべ、声を掠らせる。
「お、おぞましい姿だろ。アレが神の姿なんだぜ」
「あれが、神? 見た目は人からかけ離れ、無数の腕を持つ、か……フ、勝ったな」
「何っ!?」
私は八本の腕についた吸盤を見ながら、じゅるりと涎を拭く。
神の姿は――タコそのものだった!
タコ、もとい神は大気を震わせ、私に語りかけてくる。
『異界の者よ。何ゆえ、我が子らに与えた試練に介入する?』
「ほぉ、さすがは神だな。私が異界から来たと知っているとは。私は別に介入する気はないのだが……トイレの扉が彼らを放っておけないと言うので、少しばかり手助けをな」
『面白い。そこな勇者と違い、何の力も持たぬお前に何ができるか、示して見せよ!』
神は巨大な触手を振るい、私に襲い掛かってきた。
「ふふん、神よ。私が海洋国家の民であったことを後悔するがいい。いただきま~すっ!」
魔法の包丁をトイレのトルネード水流のように華麗に振るう。
刃は見事触手の先っぽが切り落とし、神は痛みと驚きにのたうち回った。
『ぐぉぉぉ! ば、馬鹿な、我を傷つけるとはっ!?』
「神よ、お前は食材だからな!」
『なんだと?』
「ほら、勇者。包丁を持て。お前が神を傷つけないと意味がないのだろう」
「あ、ああ。しかし、その包丁は一体?」
「これは、食材ならば何でも切れる包丁だ」
「しょ、食材? だが、神は食材では……」
「何を言う、美味そうじゃないか」
「いや、不味いだろアレは、不気味だし」
『お、お前ら、一体何を話している?』
「お前を食べる相談をしているんだ。ちょっと待ってろ」
『え?』
「勇者、火の魔法などは使えるか?」
「ああ」
「では、そこらで焚き火の準備をしてくれ」
「お? わ、わかった」
勇者が木の枝を集め、そこへ手を向けて炎を放つ。
焚き火の出来上がりだ。
私は神の破片を、適当な大きさにぶつ切りにして、木に刺し炙り始めた。
「どうだ、美味そうな匂いがするだろう」
「クンクン、たしかに」
「よし、焼けた。食ってみろ」
「く、食うのか、これを?」
「しょがないな。私が見本を見せるから……もぐもぐ、ごくん。美味い! 神よ、お前美味いぞ!」
『ええ~、我を食したの~……』
神はなかなかの美味で食が進む。
勇者は私の食べっぷりをみて安心したのか、神の破片を齧った。
「モグモグ。こ、これは、噛めば噛むほど味が染み出てきて、食欲が増し、モグモグ、旨味の凝縮された味わい。酒が欲しくなってくるな」
「美味いだろ。これで、食材と認識できたな。では、包丁を持ち、神を、食材を切れ!」
「おう、任せろ。神よ! おかわりをよこせ!!」
『ちょっと待て! 落ち着け! 少し考えろ!! おかしいと思わないのか!?』
「問答無用! うおぉぉぉぉぉぉぉ!!」
『く、くるなっ! こっちにくるなぁあぁぁぁぁぁ!!』
勇者は、神に人の力を示した。
御手を全て失った神は、人の成長に感涙し、世界を去った。
「これで世界は救われたのだな、勇者よ」
「ああ、そうだ……できれば、他の部位も切り落としたかったが、じゅるっ」
「ふん、涎とは。勇者とあろう者がはしたないぞ」
「これは失礼。神よ、またいつか……」
「では、私は帰るとするか」
「他の世界を救うために巡るんだな」
「ああ」
「そうか、頑張ってくれ」
私たちは固い握手を交わし、食で結ばれたタコ味の友情を噛み締めた。