世界を巡る~象の町~
料理本を片手にトイレの扉を前で、自分の予想が正しいこと祈る。
では、行こう。象の町へ。
扉を開き、まず目に飛び込んできたのは、テーブルに載る料理を前にして突っ伏している象人間たち。
象人たちは皆、虚ろな瞳をしていたが、かろうじて息はあるようだ。
私は大将に会うため厨房をのぞき込む。
彼は包丁を握り締めたまま床に倒れて、うめき声を上げていた。
「おい、大丈夫か!?」
「う、うぅ、お前さんは……」
「食べてないんだな?」
「ああ、見ての通りさ。もう、このまま……」
「待て! 諦めるのはまだ早い! こいつを大将に届けに来た!!」
私はリュックから料理本を取り出して、大将に見せた。
「この本を使って、新たな料理を作るんだ!」
「はっ、どんな料理本だろうと、俺たちの作る料理には敵わないよ」
「いいから試してみろ。料理人としての意地はないのか!?」
「くっ、料理人の意地だと!? わかった。そこまで言うなら、試してやろうじゃないか!!」
大将は料理本を長い鼻で受け取り、ページを捲っていく。
「文字がわからないぞ」
「絵があるだろう。絵から似たような食材を選び、料理すればいい」
「ほぉ、面白い。なら、いっちょやってみるか」
大将は気力を振り絞って立ち上がり、料理本を片手に調理を始めた。
文字がわからず、悪戦苦闘する彼の後姿を見つめながら、私は拳を握り締める。
これは賭けだ。
私はわざと料理本に翻訳フィルターをかけるのを避けた。
以前、私は料理本の絵から推測して、料理を作った。
できたのは、不気味な虹色の料理。
文字がわかれば、料理本通りの料理ができたはず。
だが、わからなかったために、不気味な虹色の料理が生まれた。
そこで私は考えた。
文字が読めなければ、大将もまた、不思議な料理を作るのではないか?
それこそが、彼らの救いになるのではないのだろうかと。
「できたぞ……これ、大丈夫か?」
大将が作り上げた料理……七色に輝いている。
私とは違い、プロの料理人が作った料理であれば、何か別のものになるのではないかと思っていた。だが、まったく同じで変わらない。
私の考えは間違っていたのか……?
匙を手に取り、七色の料理を口へ運ぶ。
「もぐもぐ……うん、不思議な味だ」
「美味いのか? 不味いのか?」
「わからん」
不味くもなく美味くもない料理。
失敗だ。
これでは、大将の舌を満足させることはできない。
私は諦め、皿の上の料理を片付けるべく、匙を口に何度も運んでいく。
すると、何を思ったのか、匙を片手に大将が手を伸ばしてきた。
「大将?」
「調理中、味見をしたが普通だった。しかし、なぜか完成すると七色に光ったんだ。理由が知りたい」
そう言って、大将は得体のしれない虹色の物体を口に頬張った。
「モグ……うっ!」
「どうした!? 不味いなら無理せず吐き出せ」
「ま、不味くはない。だけど、美味くもない。味はあるのに味がない。なんだこれは?」
大将は唸りながら、もう一口頬張った。
さらに眉間にしわを寄せて、頬張る。こめかみを抑えて、頬張る。
その行為は、虹色の料理が空になるまで続いた。
大将は両手と鼻で頭を抱えて、悩まし気な声を上げている。
「大将、大丈夫か?」
「これは……なんだ!?」
「いや、私に聞かれても。作ったのは大将だろ」
「わからない。わからない。未知の味。もう一度、食してみて……ん?」
大将は視線を私の後ろに向ける。
振り返ってみると、テーブルでくたばっていたはずの象人たちが集まっていた。
その彼らへ大将が声を掛ける。
「丁度いい、みんなもこれを食べてみてくれ。俺では判断がつかないんだ」
皆に虹色の料理を振舞う。
彼らは一様に、大将と同じく頭を抱えた。
象人たちの様子を見て、大将は笑い声を上げる。
「ふ、ふふ、あはははは、俺たちは鼻が短すぎたのかもしれないな」
「鼻が短い?」
「届かない場所という意味だ。転じて、世界が狭いという意味がある」
「つまり、どういうことだ?」
「俺たちは料理を、美味いと不味いの二元論で語っていた。しかし、この料理はどちらにも属さない料理。摩訶不思議な料理なんだ! 新たな料理の概念、味の概念の誕生だ!!」
大将が咆哮を上げる。
その声に呼応するかのように、他の象人たちも、鼻を天高く掲げて雄たけびを上げた。
あの味の何がいいのかさっぱりわからないが、ともかく、もう彼らは飢えに苦しむ必要はなさそうだ。
「今後は餓死者も出ずに済みそうだな」
「ああ。なんとも表現しきれない味。第三の味の誕生。不味くもなく美味くもない。味はあるのに、味がない。俺たちは新たな料理の階段を上がったんだ。このような料理の概念が存在するとは、俺たちもまだまだ修行が足らないってことか」
「味の頂に立ったことのない私にはよくわからないが、君たちに新たな刺激を与えられてよかった」
「ありがとう。俺たちはこれから、新たな味の研究へと踏み出す。美味い不味いを超越した、完全なる味への追及へと」
「うむ、頑張ってくれ」
「いずれ俺たちは、この謎の味を解明し、越えて見せる。その時は、新しい俺たちの料理を食べに来てくれよ」
「もちろんだ」
大将に返事をして、扉へ向かう。
本音を言えば、そんなわけのわからない味の料理よりも、大将の普通の料理を味わいたいが、ここは黙って去ろう。
去り際に、一言尋ねる。
「大将。魔法の包丁のことだが、食材なら何でも切れるのか?」
「食材ならな」
「何を基準に?」
「包丁を手にした者が、食材と思えば食材だよ」
「そうか……ありがとう」
踵を返し、トイレの扉へ。
次なる世界……私は、彼は、アノ存在を食材と認識できるだろうか?