カーテンの向こう側
漏れる! トイレの扉――バーン! はい、便器がない!
ざっと見回して、状況確認。
どうやら、古びた洋館の広間ようだ。
年代を感じさせるが、手入れは行き届いている様子。
「くはぁっ!」
大地唸り上げる衝撃が腸内を駆け巡る。狭い腸内、そんなに急いでどこへ行く!
もう、時間は残されていない。
足元に広がるお高そうな絨毯の価値を下げてしまう前に、トイレを目指さねば!!
――トイレはどこだ!?
左右に廊下。正面には上へ続く階段。
階段はお尻の穴によからぬ躍動を伝えるので却下。
残るは、右か左か。
出口の皺と皺を合わせて、皺合わせをしながらちょこちょこ歩く。すると、右の廊下からキコキコと車輪が回る音が響いてきた。
車椅子に座る気品の漂う老婆が、クラシカルなメイド姿の若い女性を伴ってこちらへ近づいてくる。
「あら、あなたは……私の幻覚かしら?」
「お館様。この男は現実です。事象変異が起きた形跡があります」
「まぁ、奇跡とは唐突に起きるものね」
二人は奇妙なやり取りをしている。
しか~し、そのようなことはどうでもいい!
トイレだ、トイレを出せ!!
「悪いが、事情を説明する前に、トイレを貸してもらえないか。我が門、堅牢なりとも、未曽有の災害の前に屈しそうなのだ!」
「それは大変ですね。彼をお手洗いまで案内してあげて」
「かしこまりました、お館様。では、お客様。こちらへどうぞ」
メイドに案内されて、お手洗いまでやってきた。
「ありがとう。君は下がっていろ。危険だ!」
「問題ありません。私は――」
「何を言う! 親切な君を穢すわけにはいかないっ! いいから早く離れるんだ!!」
「わかりました。そこまで仰られるのならば」
メイドは一礼して立ち去って行った。
私はトイレに飛び込み、崩れかけていた門を盛大に開放する。
「はおぉ~、カッ! ジャジャジャーン! ジャッジャッジャジャーン! ジャン!」
フッ、洋館に相応しいクラシックを奏でてやったぜ!
苦悶、逝く門から解放され、おのずと背筋がピンと張る。
モデル歩きでトイレから出ると、廊下の奥からメイドがやってきた。
「ご無事で何よりです」
「ああ、死を感じさせる痛みだったが、この通りだ」
「左様でございますか」
メイドは私を真っ直ぐと見つめ、時折、瞳の部分からキュイキュイと音を立てている。
不思議に思い、彼女の瞳を覗き込む。
どうやら、瞳の奥にカメラらしきものが仕込まれているようだ。
「君は、ロボットか?」
「はい、お館様の世話をするために作られたヒューマノイド型支援オートマトンです」
「お館様というのは、先程のご婦人か。彼女は人間なのか?」
「はい」
「他には誰か?」
「おりません。お話の途中失礼ですが、お館様があなたと話をしたいと仰せです。一緒に来ていただきますか?」
「ああ、もちろんだ。こちらも勝手に館へ侵入してしまった詫びと、トイレを貸してもらった礼をしなければならないからな」
彼女に連れられて、お館様がいるという部屋へ案内される。
奇妙なことに、そこへ至るすべての窓にはカーテンが掛かっていた。
そのため、外の景色を窺い知ることはできない。
ご婦人の部屋へ到着。彼女は天蓋付きの豪華なベッドに横になっていた。
「ようこそ、異星のお方」
「ああ、どうも。勝手に館に侵入したばかりではなく、トイレまで貸していただき、礼と詫び、何とすればいいのか」
「いえいえ、構いませんよ。驚きましたが、この驚きはとても新鮮でした」
「新鮮?」
「よろしければ、あなたの星の話をしていただきませんか? お時間があればですが」
「時間なら、明日までは。明日には、広間に扉が現れ、帰ることができます。それまででよろしければ、私の星の話をしましょう」
地球の話をしている間、ずっとご婦人は楽しそうに耳を傾けていた。
彼女の傍には、メイドが物言わず静かに立ち続けている。
かなり長い時間話をしていた為か、ご婦人が疲れを見せてきた。
私は話を閉じて、彼女に向かい頭を下げる。
ご婦人は部屋を用意してくれるといい、メイドに寝所まで案内するよう命じた。
部屋は二階。
そこに至るまでも同じく、窓にはカーテンが掛かっていた。
部屋までの案内を終えたメイドは、一礼をして立ち去った。
部屋に入ると同時に、自動で明かりが点灯する。
照らし出された部屋の窓には、やはりというか、カーテンが景色を閉ざしている。
しかし、カーテンは固定されているものではない。
カーテンをピラリとめくり、外の風景を覗いた。
「こ、これは……」
窓の外には、地平線の彼方まで草木一つない荒野が広がっていた。
空はどんよりとした分厚い雲が覆い、内部では稲光が何本も走っている。
――完全に滅びを迎えた世界――
私の目にはそう映った。
ふと、視線を下げると、館の庭先には銀色の飛行機のようなものがあった。
「なんだ、この世界は……まぁいい、寝るか」
考えても仕方ない。明日、二人に聞こう。おやすみなさい。
次の日、メイドが起こしに来たので、窓の外と飛行機について尋ねてみた。
すると彼女は、とても悲しい事実を口にする。
「この星は、滅んでしまいました。皆さんは別の星へ移住したのですが、お館様は一人、ここへ残りました。そして、世話係として私をお創りになられたのです」
「では、あの飛行機は宇宙船か?」
「はい」
「脱出する手段があるのに、どうして彼女は残る?」
「お館様は残された僅かな命を、故郷と共にありたいと。ですが、何もない時間をずっとお一人では……」
「そういうことか」
一人で残った老婆は、寂しさを紛らわすためにロボットを作った。
私を見て幻覚と言ったのも、寂しさから来たものだと勘違いしたからだ。
地球の話を聞きたいと言ったのは……滅んだ故郷を思ってか、人間を乞い偲んでか、それはわからない。
メイドとともに広間に向かう。
広間ではご婦人が車椅子に座り、トイレの扉の前で待っていた。
「ふふ、不思議ですね。私の家にこんな不思議な扉が」
「そいつの存在は私にも謎でして。いつもいつも、妙なところに飛ばされる」
「あら、ごめんなさいね、妙なところで」
「あ、これは失敬。失言でした」
「ふふふ、冗談よ。昨日は久しぶりに楽しかったわ。よろしければ、これを貰って下さらない」
ご婦人は膝の上に置いていた、透明なガラス板を私に渡した。
「これは?」
「あなたから聞いた地球の話は、私たちが歩んできた星の歴史に酷似していた。もしかしたら、あなたたちの星も同じように……不愉快かもしれないけど、その時が訪れた時のために、星を渡る船の作り方をまとめておきました」
「そうですか。ありがたくいただいておきます。ですが、私たちは星を滅ぼさぬように歩み続けてみせますよ」
「ええ、私も心からそう願っているわ」
不幸な歴史を歩んだ英知を脇に抱え、ご婦人とメイドに礼を述べ、トイレの扉をくぐった。
元の世界へ戻ってきた私は、ガラス板の表面をさっと撫でる。
板には小難しい数式が山ほど浮かび、宇宙船を模ったホログラムが現れた。
「こんなものが必要になる事態は避けたいな。その時が来ないことを祈りつつ、保管しておこう」