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六人の異邦人  作者: 椎名れう
異邦人追憶
93/107

天王星の第六王子 その1

ライオネルは彼女を背に乗せたまま、すいすいと流れに従って泳いでいく。先ほどよりも速くなった流れに全く影響を受けることなく、ペースを保てているのがクリスティナローラにも分かった。



(悔しい)

事実、右肩の痛みのせいで彼女が自力で泳ぐのは困難なのだ。ライオネルに身を委ねるしかない。並の戦闘しかできない軟弱な王子に。やれトカゲは嫌だの、肉か魚が食べたいだの我儘を言っていた子供に。


一方で、ライオネルは彼女の腕が自分の胸に回されていることに気をよくしたらしい。してやったりといった風に問いかけてくる。

「どうだ、良いペースであろう? 居心地も最高であろう?」

「私とてこのくらいの水泳は心得ておりますわ」

ツンとすましたような口調で答えたものの、泳ぎについてはこの王子の方が上であることを認めざるを得なかった。


人一人背負って、常にペースを保ちながら泳ぎ、さらに滑らかな会話までする。悔しいことだが、自分にはできない。

(カルメヂに帰ったら水泳の特訓をしましょう。兄上ならきっちりと指導してくださるはず)

トレーニングの予定を立てかけた時、ふとクリスティナローラは自分がとんでもない礼儀知らずであることに気が付いた。



「殿下・・・」

「ん? どうした?」

「助けていただいて、ありがとうございます」

ゆっくりと言葉を絞り出す。救われたことに対して礼を言うのは当然のこと。当然の礼儀。それ以上の意味などない。

それなのに。


言い終えたとたん、じくじくと顔が熱くなる。頬が火照っている、と感じた。

今の自分を鏡で見たらどんな顔をしているのだろう。自分はこの後何を言ったら。

思考がまとまらない。礼を言おう、と口を開いた時には冷静だったはずなのに。


流されかけたクリスティナローラを引き寄せた彼の腕の感触はまだ腰に残っている。

さらに、彼の胴に腕を回してしがみついているこの態勢が、後ろから抱きついているように見えなくもない。だからといって腕を離すこともできず、彼女は動揺を隠そうと彼の背に顔を伏せた。


そんな彼女の心情などお構いなしに、ライオネルは能天気に笑った。

「あははは、甘えるのは結構だが顔を水に沈めるなよ」

「誰がっ、」

人の気も知らないで、と続けそうになり慌てて口をつぐむ。


(やっぱり)

いつもと違う。この王子に対し感情的になってしまっている。悔しさと恥ずかしさ、そして・・・嬉しいと感じてしまう気持ちがごちゃ混ぜとなり、クリスティナローラの内部で鎮まることなく荒れ狂っている。



(駄目、駄目、駄目)

彼女は顔を上げ、必死で首を振った。


こんなことを考えていてはいけない。自分にとって一番大切なことはカルメヂから与えられた任務だ。せっかく死なずに済んだのだ、無事に草案を持って帰らねば。

この王子とて、陛下の命を受けたなら始末する対象に過ぎない。余計な情など持つべきではない。


顔から熱が引いていく。冷静さを取り戻し始めたものの、一抹の不安はまだ彼女に付きまとっていた。

(私はこの殿下を殺せる。何のためらいもなく。・・・本当に?)

否、否。できるできないではなくやらねばならないのだ。仮に命じられたら絶対に。



彼女が雑念をどうにか頭から消し去ったその時。前方にあったライオネルの頭部がガクン、と下がった。続いて彼女を乗せた背が、水平から垂直方向に向きを変え滑っていく。


落ちている。


何かに引っ張られるようにただ落ちていく。これまでとは比べ物にならない速度で、クリスティナローラは崖から滑り落ちているのだ。


加速が止まらない。体に力が一切入らない。

今まで経験したことのない浮遊感に、クリスティナローラはとてつもない恐怖を覚えた。

精一杯、水中のライオネルの胴にしがみつく。もう、恥ずかしいだとか言っていられない。いや、今は自分の不注意がとてつもない恥でしかない。



「殿下、申し訳ありません!」

「構わん、離れるなよ!!」

「え?!」

その先の会話はできなかった。



数秒後、全身に強い衝撃が走る。地面に落下したのだ、とクリスティナローラは悟った。

ずきずきと痛む頭を押さえ目を開ける。角ばった大型の岩の上にいた。


そして岩塊と自分の間にはライオネルが。



「殿下!!」

背から降り、必死に体を揺する。顔を伏せたまま返事をしない。

こうなったのは自分のせいだ、何ということを。


「ご無事ですか、なにとぞお返事を、殿下!!」

「ん?」

間の抜けた返事とともにライオネルが顔を上げる。ホッとしつつも彼女は気を緩めなかった。問答無用で彼の顔を掴む。

額と頬から血が出ているが、眼球や口は無事のようだ。そこまで確かめて、クリスティナローラはパッと彼の顔から手を離した。


だが、顔は無事でも首から下はそうはいくまい。自分と違い、彼は直接岩に叩きつけられたのだから。

「骨折で済んでいればよいのですが・・・。殿下、立てるようでしたなら私の肩に寄りかかりください」

「骨折だと?」



唐突にライオネルは起き上がった。驚くクリスティナローラの前で岩から飛び降り、そして館の前で元気に走り回って見せた。

「このとおりだ、どこもなんともない!」

「・・・」

言葉も出ない。あの崖から落ちたのに、こんなに楽々と動けるわけがない。


「そんなことより、そなたこそケガはないのか?」

「いえ、大丈夫です・・・」

「本当か?」

体をずいいと近づけてくる。いつもなら鬱陶しいと感じるその仕草にも構っている余裕がない。


「まあいい。おっ、これはこれは立派な建物だな! この中に夕莉達がいるのか?」

硬直しているクリスティナローラを他所に、ライオネルはいつも通りの無邪気な笑顔で館に向かって歩いて行った。



ーー

◇◇

「いや、助かりました。ライオネルさんの先導のおかげで、どうにか船をすすめることができましたよ」

イチアールがソファーの上で腰掛けながらにこやかに笑う。ガルフォンも少しだが暗い気持ちが晴れ、カーペットの上でうんうんと頷いた。


クリスティナローラが船から去った後、ガルフォンはすぐにイチアールやライオネルと相談して後を追うことを決めた。そしてライオネルが先に水の中を泳いで、障害物となる丸太や岩をどけていたのだ。



「そうであろう、そうであろう。ところでここは何なのだ?」

ソファーの上でふんぞり返りながら、ライオネルがクリスティナローラに問う。彼女は目をそらし、分かりませんわ、と小さく呟いた。


「そうなのか、ならば仕方ない」

素直にその答えを信じたらしいライオネルはふうと息をついた。

「何でもよいが、腹が減ったな。ここに食べ物はないのか」

「ありますわ、すぐにご用意いたします」

男物の着物を身に着けたクリスティナローラがドアから出ていく。


「あっ、僕も行くよ!」

「私も。その人、見張っといてくださいね」

ライオネルと無言のエイザクを残し、ガルフォンはイチアールとともに後を追った。



ーー

「・・・快適な場所に来れたのはいいんだけどなあ」

「まああの人は別に、ここで悪さをしようと思ってないでしょうけどね」

建物に入ってすぐのことだった。クリスティナローラは、濡れてしまったからとタンスから勝手知ったように着替えを取り出したのだ。ライオネルがそれに続こうとしたのを見て、彼女が少々複雑な顔を見せたのを二人は見逃さなかった。


「得体のしれない建物とはいえ、まあ受け入れてくれてよかったじゃないですか」

「・・・夕莉とハールドの様子は見に行かなくていいかな」

「上で寝てるんならそっとして置いたらいいんじゃないですか?」

イチアールはそう言うが、なんだか胸騒ぎがする。彼らの居るであろう三階部分をチラチラと振り返ってしまう。


「寝息が二人分聞こえてるんでちゃんといますよ」

「うん・・・まあね」



ーー

「おお、すごい!! 御馳走ではないか!!」

丸テーブルに並んだ食事を見て、ライオネルは歓声を上げた。


テーブルの中心に陣取るのはスパゲッティ、ハンバーグ、シチュー。その周りに乾パンや果物などの缶詰が並んでいる。

北大陸に来てから、ほぼトカゲとミーネしか食べていない。ガルフォンにとっては、火入れ中でさえも地獄だった。一刻も早く食べたい。


「さあ食べよう!!」

彼の掛け声とともに、3人と1羽は湯気の立つメインディッシュに手を伸ばす。


ハンバーグを口に入れた瞬間、ガルフォンは顔をほころばせた。

湯煎しただけの、レトルト味のひき肉がとろけるように美味い。濃厚なソースも塩分を欲する体にはちょうどいい。

自分の分のハンバーグはあっという間になくなった。粉末を湯で溶いただけの具がほぼないシチューも、フリーズドライスパゲッティにも手を伸ばす。

フォークとスプーンを使って貪るように食べた。皿にもカトラリーにも不自由しないのは何日ぶりだろう。



「・・・」

「シチューはひと箱しかなかったんですよね。肉とか麺はまだありましたけど、まあ節約しなきゃいけませんしね」

空になった自分の器を見つめるガルフォンに、イチアールがなだめるように声をかける。

分かっている。分かっているのだが。

正直言って、足りない。


テーブルを見渡した時、一つの袋が彼の目に入った。

まだ誰も手を付けていない透明の袋。中には、謎の木片のような塊がゴロゴロ転がっている。多分、干された肉の塊だろう。



手のひらに収まる大きさの肉片を一つ手に取って口に運ぶ。硬くて嚙めない。仕方がないので、1分かけて数ミリの先端だけなんとか噛み千切った。

「!」

ガタン、と席から立つ。ぽとりと残りが手から落ちた。


「どうした?」

「どうしました?」

返事ができない。

辛い、辛い、辛い。あまりの辛さに反応できない。味わったことのない塩辛さと刺激で口内がめちゃくちゃになっている。



苦しみながらもなんとか飲み込み、塩分過多を心配できるようになった時。ライオネルが地面に落ちた肉片を拾った。

「なんだこれは」

「ひゃめらほうはひい、はらひはら」

水を片手に手を振って止めたが、ライオネルは構わず口に入れた。


ぼりぼり。ごきゅごきゅ。

真顔で口を動かし、彼は数秒で肉片を飲み込んだ。



「特におかしな味はしないぞ?」

水に手を伸ばすことなく笑うライオネルに、その場はしーんと静まり返った。

ライオネル無双回。

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