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六人の異邦人  作者: 椎名れう
異邦人追憶
87/107

少年の代償 皮剥ぎの助手

お待たせしました。

残酷な世界観その2。

そんなふうにかっぱらいをして生計を立てていたわけだが、いつまでも順調に事が運ぶわけがなく。

ついに、三日間連続で何も取れない時がやってきてしまった。


ずっと見張っていたが、道で休む人間は皆無。

空腹に苦しんだ三日目の夜、深く考えずに飛び掛かった相手に難なく返り討ちにされてしまったのである。


「首洗って出直してこい阿呆」

「・・・」

ハールドより遥かに白い肌。片目を隠す、顎まで伸びた髪。手首に結ばれた黄色いリボン。ハールドを片手で叩きのめしたその男は、それ以上彼を痛めつけることなく悠々と地べたに腰を下ろした。


「せっかく夜目が利くんだ、せめて襲う相手間違えんな」

ハールドはうつぶせになったまま答えなかった。腹が減りすぎて起き上がるのも返事をするのも億劫だった。



暗闇の中で身動き一つしないハールドだったが、不意にパキパキと音がしたので目を開いた。そばで枝が山ほど積まれていた。

「おいお前、いい加減起きろ」

顔を上げると、緑色の一つ目。いつの間にか男は立ってこちらを見下ろしていた。足元には荷物が置かれている。


「ちょっと離れる。荷物を見てろ」

「…」

「そこには口に入れるもんなんかないぞ」


男が立ち去ってすぐ、ハールドは寝そべったままそろそろと男の荷物に手を伸ばした。男が荷物を置きっぱなしにした。この好機に飛びつかずにはいられなかった。


汚い布の山をひっかきまわしていると、一つの硬い塊のような感触があった。取り出してみると膨らんだ小さい布袋で、それを逆さに振ると白い塊が滑り落ちてきた。

食い物だ。そう直感した。


これ以上空腹に耐えられなかった。一心にかぶりつく。

瞬間、口内に強烈な刺激が走った。

「ーーーーーっ!」

一呼吸おいて味覚がやってきた。苦い、とにかく苦い。


道端の草や木の実を食べて苦みを味わったことはある。だがそれらとは別次元の強烈な苦みだった。少なくとも人間が食べていい味では決してない。

「うっうげえええ」

無我夢中で口の中の塊を吐き出した。次いでぺっぺっと唾も吐く。なかなか苦みはなくならず、ハールドは地面に向かってもだえ苦しんでいた。



そうすること数分、気配を感じて顔を上げる。男がこちらに向かって歩いてきていた。

「よしよし、ちゃんと番をしてたみたいだな。っておいお前」


状況を察したのか、男は急に早足になった。

「食ったんだな、近くに川があるから口洗ってこい」

「うぅ…」

「早く行け、じゃなきゃやばいぞ」


追い立てられるようにして川に向かう。口を濯ぎ、苦みが完全になくなると今度は空腹が舞い戻ってきた。三日間水で腹いっぱいになろうとして失敗していた。水が苦々しい思い出を蘇らせ、ハールドはさっさと川のそばを離れた。



痛む腹を抱え戻ると、男が枝の山のそばでしゃがんで何かしているところだった。

「戻ったか、もう苦みはないんだろうな?」

こくんとうなずくと、男は特に表情を変えることなく再びハールドに背を向けた。


「ちょっと時間がかかるからな、それまではこれで我慢しとけ」

男は羽織っていた上着の内側からぽいと何かを地面に放った。ばらばらと散らばったそれらに、一瞬迷ってから手を伸ばす。


白くはなかった。硬い塊でもない。見た感じ黒ずみ、干からびた欠片だった。ハールドの手のひらより小さい。

一つだけつまみ、恐る恐る口に入れる。一口嚙んで彼は目を見開いた。


甘い。


それからはあっという間だった。食感を楽しむ余裕すらなく、彼は残りの欠片を無我夢中で口にほおばった。空腹に苦しんだ時間を埋めるように、彼はひたすら咀嚼を繰り返した。



「何か分かるか?」

「芋?」

「そう。じゃがいもを干したら甘くなんのよ」

いつの間にか枝の山に火がついていた。男はハールドに背を向けたまま、火の前に何かを突き刺した枝を指していた。

数分後、香ばしい匂いに鼻がぴくぴく動く。これは、肉を焼いているのだ。


しばらくして、男は枝の一つをハールドに渡した。焼きたての肉がぶっすりと刺さっている。

「数時間前に獲ったやつだから新鮮じゃないけどな」

「?」

「荷物の番の駄賃だ、食え」


こんがり焼けた肉にかぶりつく。ホカホカと熱くて旨い。衝撃で目を見開く。こんなに旨いものは初めてだった。



残飯屋では肉料理は高価だったので、細切れをまぜた飯で我慢していた。かっぱらった肉は硬く冷たかった。それでも旨いとは思っていたが、これとは到底比べ物にならない。

うま味を噛みしめるように、ハールドは一口ずつゆっくりと食べた。


「次の、焼けたぞ」

一つ食べても当然のようにおかわりが用意される。

視界が潤む。いつの間にか、目頭が熱くなっていた。肉をほおばりながら、ハールドは一人嗚咽していた。



ーー

「かっぱらいよりも確実な方法がある。森なら獲物を狩り放題だ」

ハールドが腹を満たした後、男は枝を片付けながら話し出した。


「なんなら果物とかもある、乾いてない新鮮なやつとかな」

「…」

「明日になったら、いろいろ教えてやる。寝ろ」


言われるままに、ハールドはごろりと横になった。全く知らない人間の前で無防備に微睡む。身も心も満たされて眠った最初の夜だった。



ーー

なし崩しに、ハールドは男と毎日会うようになっていた。

日中は走るなどして体を鍛え、夕方に男が仕事を終えた後にこの場所で待ち合わせる。狩り、獲物の解体、食べられる植物、調理方法、身を守るための格闘。いろいろな知識を伝授された。


狩りについてはすぐに覚えた。もともと足の速さにも気配を殺すことにも自信のあった彼は、すぐに男の期待以上の成果を出せた。

一方で獲物の解体は慣れるまで時間がかかったが、実践を繰り返すうちにそこそこ手際よくできるようになった。男には遠く及ばないが、一言「器用だな」とは言われた。

もともと汚れも血の匂いも気にならないので、もがく獲物を殺すのにも肉を捌くのにも全く抵抗感はなかった。よって彼が一人前に肉料理を拵えられるようになるまではすぐだった。


初めて獲ったのも、解体したのも、焼いたのもウサギだった。ウサギは男と会ったときにごちそうされた獲物でもある。ウサギの次は鳥を獲れるようになった。

自分の取った獲物をもくもくと咀嚼する男。その横顔を見るたび、ハールドは今までにない感情が胸を満たしていくのを覚えた。



今までは自分が腹いっぱいでありさえすればよかった。生きることに必死で、食べることに執着した。そのためならばかっぱらいや盗みを繰り返した。それ以外のことは全く考えてこなかった。

だが今は違う。自分で獲物を捕まえて飯を作る。それを食べる。やりがいがあってそして…楽しいのだろうか。今までにない技能を手に入れ、当たり前に自分で食事を用意できるようになった。余裕が生まれたのは確かだ。


なにより、男に自分の料理を振舞えるのが楽しみで仕方なかった。あからさまに褒めはしないが満更でもなさそうに焼肉を完食する男を見るたびに、次は何を獲ろうと早くも明日の飯について考えを巡らせた。

変わった自分を受け入れつつも、同時にハールドは非常に戸惑っていた。両親や周りの大人からろくな扱いを受けてこなかったため、男と一緒にいる自分の感情を受け止めきれずにいたのだ。


(満たされて…いる?)

かっぱらった飯を一人かっくらっていた時とは違う。でも確かに満たされていると感じるのだ。

しかし、まだ幼いハールドはその意味を深く考えることなくただただ毎晩をともに過ごした。



獲物の皮は男が売るのに任せていた。男が話そうとしなかったので聞きはしなかったが、たぶん皮を売るのが職業なのだろうと思っていた。


男は、ハールドが獲った獲物の皮や羽の代金は必ず日ごとに手渡ししてきた。狩に行かない日は、残飯屋で男の為にちょっといい飯を買った。金の使い道がないときは男に預けて布を買ってもらい寒さに備えたりした。


また、狩り生活を始めてから洗浄の習慣ができた。ハールドは汚れを気にしなかったが、獲物の血がついたままだと狩りに支障が出ると男に教わった。

例の白い塊ーセッケンというらしいーを一つもらい、夕食後には必ず川で体を洗った。



ハールド、という名前を手に入れたのもウサギの解体がスムーズになってきた頃だった。

月明かりの下、暇つぶしのゲームで遊んでいた。四種類の記号の書かれたカードでやりとりする遊び。カードは遊び飽きた客にもらったという。


「これで」

赤い記号のカードを選び無造作に地面に放る。一瞥した皮剥ぎは手に持っていたカードをまとめて脇に置いた。

「やるじゃねえか」

「俺の勝ちか」

初勝利だった。


「そういやお前、名前は?」

「ない」

「じゃあ、ハールド。これ」

男は赤い記号を指さした。

「まあいいけど」


名前をつけることにどういう意味があるのかは分からなかったが、男に与えられた「ハールド」という名前には特別な響きを感じた。



ーー

そんな風に毎日会っていたが、男はなぜかハールドを自分の家に連れて行こうとはしなかった。

大抵夕方、たまに昼から森で行動を共にし翌日の早朝になったら別れる。皮が大量で、ハールドが「俺も持ってってやろうか」と言っても、いいと断りそのまま一人で帰ってしまうのだった。

そしていまだに人前では二人で行動しない。二人きりのときでしか男には会えなかった。


ハールドは男のことは何一つ知らなかった。ハールドと会話をするくらいなのだから、同じタルトクなのだろうというくらいしか考えていなかった。男から持ってくる飯も布も割といいものだったが、その理由も深く考えず、こんな上物見たことがないと彼は喜ぶのみだった。

男と交流はあれど、その関係はいたって淡泊で互いに踏み込んだ質問をすることもなかった。だからハールドも特に気にすることもなく、彼を「皮売りのおっさん」と呼んで毎晩を会えるのを楽しみにしていた。



ある日の真昼間、ハールドは一人で町の郊外をうろうろしていた。無論窃盗が目的ではなく、鍛錬に使う石を拾い集めていたのだ。

しばらくの間はまばらな人の行き来が続いていた。一応目立たないようにしていたため、屈んで石を探すハールドに目をくれる人間はおらず、余計な騒動は起きなかった。


10個目の石を手に取った時、離れたところから幼い少女の声が聞こえてきた。

「道に迷ってるの?」

「案内したげるよ」

「どこに行きたいの?」

「無視しないで、ねえおじさん」


顔を上げると、遠くに皮売りの男の後ろ姿が見えた。そしてその横に一人の少女が突っ立っている。周りは完全に人通りがなく、並ぶ二人の姿はかなり目立っていた。

少女はハールドよりも幼い顔立ちで、背丈もだいぶ低い。タルトクには縁遠い上物の上着を身に着け、困惑した表情で男の袖をつかんでいる。


(一般市民の子供か)

タルトクと話して大丈夫なのだろうかと思っていると、男は少女には目も合わせず一言も発さず足早にその場を立ち去ろうとした。



「ねえ待ってよ!」

追いすがる少女の手を払いのけ、皮売りの男がさっさと歩きだす。少女が彼の皮を掴んだその時だった。


「アディ!!!!」

町の住居の一つのドアがバンと音を立てて開いた。顔を真っ赤にした一般市民の男が二人に駆け寄り、ひったくるようにして少女の手を掴んだ。


「どうしたの、父さん?」

「いいから来い!!! うちに入るんだ!!!」

少女の父親は皮売りには目もくれず彼女を引きずって家に帰ろうとする。皮売りも踵を返して走り去ったが、困惑する少女はとっさに動けず、はずみでその手に男の持っていた皮が残った。



「何持ってる?! 捨てろ、捨てるんだ!」

父親は額に青筋を立てて少女を怒鳴りつける。流石に困惑を超えて怯えた少女は皮を地面に放ろうとした。

だがその前に、近隣の家からかごを持った女が出てきた。女は少女の持つ皮に驚き、そして遠くを走る皮売りの後ろ姿を認めると二人を指さして金切り声を上げた。


「まさかあんたたち、()()と口をきいたの?!」

「違う! 違う! 誤解だ!!」

父親がぶんぶんと首を振る。その顔は汗まみれであり必死の色が浮かんでいた。


それを肯定と受け取ったのか、女は周囲の家々に向かって大声で呼びかけた。

「セスさんが穢れに触れてしまったよ!!」

「違う、違うんだ!!」

「みんな出てきておくれ、この町から追い出すんだ!」

女はもう、父娘には目もくれなかった。必死に否定する父親が弁解しようと近寄ると女はじりじりと後ずさる。もはや父親も穢れだというように。



そうこうしている間に、近隣の住人が残らず出てきて父娘を遠巻きに取り囲んだ。

「この町から出ていけ!!」

「今日中、今日中にだ!!」

「穢れに触れたクソ家族が!!」

罵声が飛び交い、完全に孤立した父娘を次々に攻撃する。威圧に耐えられなくなったのか、まだ幼い少女は泣き出した。


父親は顔面蒼白になっていたが、ふと我に返り必死に声を張り上げた。

「ちっ違うんだ」

「穢れに触れたのは俺じゃねえ!!」

「こいつだ、こいつなんだ!!」

泣きじゃくる少女を指さし弁解するも、群衆はその訴えには耳を貸さなかった。

(タルトクと話せば…ああなんのか)

その場にくぎ付けになったハールドだったが、次にかご持ちの女が発した言葉を聞いた時全身が硬直した。



()()はタルトク以下の穢れ!!」

「死刑も手伝うあの男!!」

「よりによって“皮剥ぎ”と口を利くなんて!!」



そこから先は町の様子も頭に入ってこなかった。

出て行けと叫び続ける群衆。泣き続ける娘。完全に取り乱し、お前なんか生むんじゃなかったと責める父親。家から出てきて少女を抱きしめて泣く母親。


ハールドは石を両手に、騒がしい街を後にした。



ーー

「おっさん、“皮剥ぎ”っていうやつなのか」

焚火を見つめたままぽつりと呟く。

男は少し驚いたようにハールドを見、少し間をおいて「ああ」と答えた。


「昼間のあれ、見てたのか」

「…」

「あの家族、だめだったみたいだな。…俺に話しかけようとするからだ、くそっ」


男は俯いていたので表情は暗くて見えない。ただ、小声とはいえ彼が珍しく感情を露にしているのは分かった。



「獲物の解体が上手いのは、“皮剥ぎ”だからなのか?」

「まあそうだな」

「タルトク以下って聞いたんだけど…」


男は顔を上げ、ふうと息を吐いた。

「血や穢れを扱う仕事だからな。同じ市民でも差別の対象なのさ」



男曰く、彼の身分はタルトクではなく、バウニアというらしい。バウニアというのは、四段階の身分の上から三つ目で一般市民にあたる。

“皮剥ぎ”は一般市民の中の賤業で、町や村の共同体からは事実上疎外されているらしい。

「賤業でも技術職だからな。仕事は来る。ただ、依頼者とほぼ対話はしないが」


彼はバウニアからは差別され、そしてタルトクからも忌み嫌われているという。

「同じ穢れでも、仕事が安定しているのは俺の方だ。…たまに臨時収入が入るしな」

それが死刑執行の手伝いだという。と言っても人間の皮を剥ぐのではなく、首を切られる罪人の体を抑えるだけらしいが。



話の重さを感じさせない軽い口調で語り、男は少々まじめな顔でハールドに向き直った。

「もし昼間に俺を見かけても話しかけようとするなよ?」

「なんでだよ。俺もタルトクだぜ? 今更差別なんて」

「そうじゃない。お前の仲間のタルトクの住人や親につまはじきにされるぞ」


それを聞いてもハールドは顔色を変えなかった。間を空けずに即答する。

「別にいい。ほぼ会わないし」

「あそう」

男はそれ以上追求することはなかった。



もしタルトク連中から口汚くののしられようが迫害されようがどうでもよかった。ハールドにとっては、目の前の男の存在の方がはるかに大きいのだ。

敬愛、感謝、という言葉を知らない彼はまだ、男に抱く感情について上手く言葉にできずにいた。


ただ、周りからどう思われようともこの男からこれからもいろいろ学んでいきたい。そう思った。



数日経ち、ハールドは男の自宅兼工房に出入りして皮剝ぎの仕事を手伝うようになった。

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