少年になれなかった彼の物語 別離と永訣
5年の学校教育を終え、10歳になったガルフォンに就職の時がやってきた。
村の学校で三者面談が行われ、教師は一言「農家を継ぎなさい」と言った。
ガルフォン自身もその解答に納得していた。卒業時点での彼の成績は農業と運動が学年トップ。商業が上位。職人業と芸術は下から数えた方が早かった。
今、家族は父親だけではない。アデレイドもシャルルもデジレもいる。将来のことを考えるなら農業の道を行くべきだ。
だが、父親はその決定に真っ向から反対の意を述べた。
「こいつは絵を描くのが好きだ。家具を作る時も生き生きしている。農業を手伝ってくれる時よりもずっとな。俺としては、ものづくりの道に進ませてやりたいんだ」
「しかしガルフォンの成績は…」
教師は面倒くさそうに成績書を指さした。
「よく見てくださいね。ガルフォンは職人にも芸術家にもなれませんよ?」
ノコギリや斧を使って大雑把な作業をするのは得意だったが、ガルフォンは手先が器用ではなく細かい作業は苦手だった。釘を真っ直ぐに打つことさえ上手くいかなかったのだ。
芸術の授業はあまり多くなく、指導もきちんとしているわけはない。それでも上手な生徒はいて、家がある程度裕福ならその子は推薦を受けて都市部で芸術の学校に通うことができた。
ガルフォンは彫刻も下手で、絵画も全然上達しなかった。おまけに芸術の学校に通えるだけの資金もない。
ガルフォンは俯き、教師の言葉を胸で反芻した。
そう。「好き」なだけじゃダメなのだ。向いている向いていないが大事なのだ。自分は職人にも芸術家にもなれない。
農家を継ぐ。それでいいじゃないか。農業だって楽しいし、家族のためになるなら…。
「なあ先生」
ガルフォンの逡巡をピシャリと遮った力強い声。
「あんた方のいう才能がこいつにないのは分かった」
「だが、何事もがむしゃらになってやってみないと分かんねえ」
「才能ひとつで可能性を閉ざしちまうのはあんまりだと思う」
「俺はこいつ自身の選んだ道を全力で応援してやりたいんだ」
父親はガルフォンの方に顔を向けた。
「お前はどうしたいんだ?」
「僕…僕は…」
スケッチブックいっぱいに描いた村の全景。
2ヶ月かけてできた8畳の頑丈な東屋。内部の椅子。机。
都市の洗練された街並み。白い教会。
『今日くらいは俺が飯を作る。気にせず絵を描いてこい』
『お陰で涼しいよ、あんがとな』
『ガルフォンが楽しんでくれてよかったわ。連れてきた甲斐があった』
ガルフォンは膝の上で両手をぎゅっと握りしめた。心臓をバクバクさせながら口を開く。
口を閉じても心臓の鼓動は鳴り止まない。
自分が何と言ったのか分からなかった。ただ、ポカンと口を開けた教師、そして嬉しそうな父親の顔が視界に映った。
ガルフォンがアデレイドにも自分の選択を話すと、彼女も「よかったわ」と言って嬉しそうに頷いてくれた。
「進路が決まったことだしお祝いしなきゃね」
「ありがとう母さん」
ガルフォンに旅に出てはどうかと父親は提案した。
「こんな小さな村じゃ学べることは限られてくる」
「うん…」
「いい学校、学び舎、職場、なんでもいい。自分がものづくりを学べる場所を探してこい」
父親は彼の前に財布を置いた。触れずとも、ずっしりと重い、と呼ぶのがふさわしいような重量感が伝わってくる。
「これは旅費とお前が好きなことをするための軍資金だ」
「こ、こんなに貰えないよ」
ガルフォンが財布を返そうとすると、父親はその手を掴んで押し戻した。
「聞いてくれ」
いつになく真剣な眼差しで告げられる。
「お前は、農家じゃなくものづくりの道に進みたいんだろう?」
「うん…」
「こんな小さな村じゃ、お前が好きなことを思い切り発揮するのは難しい。お前が自分自身で見つける必要があるんだ。自分の夢を追求できる場所をな」
「うん…」
「これはお前が生まれた時から貯めてきた。正真正銘、お前のための金だ。遠慮なく使え」
「でも…」
ガルフォンがいなくなったら。
組合の経営はどうなるのか。家事、シャルルとデジレの面倒を見る人もいなくなる。
だが両親は、ガルフォンの心配を見透かしたように笑った。
「組合員はみんな大人だ。なんやかんやうまくやるさ」
「今は2人とも乳幼児じゃないのよ。家事ぐらいなんとかなるわよ」
決して裕福ではない生活の中、父も母も自分の肩を押してくれている。胸が熱い。幸せなのだ。なんて嬉しいことだろう。
ガルフォンは財布を握りしめて答えた。
「父さん、母さん、ありがとう」
「僕、これを持ってものづくりをしっかり学んでくるよ!」
その夜は弟妹とも思い切り遊んだ。
「にいたん、むらのおそとでおえかきするの?」
「ちーがーう、つみきだもん!」
「んーにいちゃんも迷ってるかなあ?」
3歳になったシャルルとデジレ。積み木のお家で暮らす、アデレイド自作のお人形さん遊び。いつも通りガルフォンも付き合っていた。
積み木は3つしかないし、人形も植物で作っているため3日も遊べば萎れて使えなくなる。取り合いなどが起こると半日も持たない。
都市に行けばもっといいものがあるはず。弟妹へのお土産に買おうとガルフォンは決めていた。
翌日、準備を整えたガルフォンは家族にしばしの別れを告げた。
「俺は農業以外はからっきしだ。だからお前がこの先どうするべきかアドバイスはしてやれない」
「うん」
「ただ、これだけは俺にも分かる。ものづくり、と一言で言っても、描くのと実際に作るのとじゃ全然違う」
「うん」
「大事な選択だ。どっちの道に行きたいのかよく考えてこい」
「分かった!」
正直、今は右も左も分からない。
でも、自分は確かにものづくりが好きなのだ。だから、巡り合ったものに対し一生懸命頑張ろう。それが自分にできる最善だ。
「今は漠然とした憧れでも、実際にやってみればいずれ自分のしたい将来の仕事が見つかるさ」
「それで、いっぱい稼いで私たちに楽をさせてちょうだいね」
うふふ、と笑いながらアデレイドはシャルルとデジレを前に押しやった。
「にいたん、いっちゃうの?」
「すぐ帰ってくる?」
服の裾を掴み、不安そうに見上げてくる弟妹。ガルフォンはしゃがみ、目線を合わせてにっこり微笑んだ。
「うん、すぐ帰ってくるよ。2人にもおみやげ買ってくるから楽しみにしておいてね」
「好きなことに集中するのもいいが、友達を作るのも忘れるなよ。お前の人生に関わる人たちを大切にするんだぞ」
「風邪をひかないようにね。何かあったらいつでも帰っていらっしゃい」
「うん、分かった。みんなも元気にしててね」
ガルフォンは家族に別れを告げ、生まれ育った農村を後にした。
面談の日、ガルフォンの決意表明を聞いても渋っていた教師。
だが、父親は最後までガルフォンの味方であり続けた。
『こいつの好きなことを追求させてやってほしい』
自分を育て、ずっと支えてくれた大きな背中。父親には感謝してもしきれない。
「僕は絶対ものづくりで大成する」
たくさんのお金を稼いで父親への恩を返したい。
そして母も弟妹にも楽をさせてあげよう。アデレイドは趣味用の薬草畑を欲しいと言っていた。弟妹にも美味しいお菓子や牛乳、チーズを毎日食べさせてあげたい。
ガルフォンは決意を新たに都市への道を歩いて行った。
ーー
父親は学校でもいいと言ってくれたが、ガルフォンは真っ先にそのルートを頭から消した。当たり前だが、農村から出てきた田舎者を入れてくれる学校などない。そもそも学費を納め続けるのが無理な話で、ガルフォンの芸術の成績では推薦も使えない。父親にこれ以上無理をさせたくはなかった。
まずは都市部でものづくり系の仕事を探す。進むは作る方、職人コース。
上手いこと職を得て修行に励めば、きっと安定して金を稼げるようになるだろう。もし芸術の方に行きたければ、その時自分の稼ぎで学校に通えばいい。
このプランが最も現実的だとガルフォンは思った。
とはいえ。
手先の器用ではない自分でも出来そうな仕事。なかなか見つからなかった。
そうして1ヶ月が経とうとしていた時。ガルフォンは石工の下働きの職を見つけた。工具や重い物を運んだり工房を掃除したりする仕事。買い物や職人の身の回りの世話なども含まれる。結構な重労働だが、ガルフォンにとっては特に苦でもない。それより気になるのは…。
「石細工は習えますか?」
「1年経ったら下働きから見習いに昇格だ。そうすりゃ教えてやる」
石工の仕事は危険が伴う。鋭い工具を使うので怪我する恐れがあり、また高いところでの作業中に転落する可能性もある。毎年の下働きや見習いの中には危機感を持たない者たちが一定多数いて、そういう者たちに限って利き手を負傷したり怖気付いて職場から逃走したりするのだそうだ。
農村から出てきたばかりのガルフォンが簡単に雇われたのは、石工のなり手が人手不足だったからというわけだったらしい。
事情はともあれ、彼はこの就職を大いに喜んだ。石工といえばものづくり中のものづくりの職業だ。
彫刻から建築物まで作れる物も多岐にわたる。そして今、自分はその一員になれたのだ。
(僕もいつか、たくさんの職人さんと大きな教会を作るんだ!!)
ガルフォンは期待に胸を躍らせた。
就職、といってもこちらから入会金を払わねばならない。額は父親の一年分の稼ぎ。その場で一括で支払った。
また、10歳なので奉公するには保証人がいる。差し出された契約書に父親の名前を書き、ガルフォンは来月から見習いとして住み込みで働くことを決めた。これから数年、彼の保護者は父親ではなく工房の親方になるのだ。
ちなみにその親方は人の良さそうな好漢だった。
「この人のことは聞いてる。商人の友達が多くて色々話が入ってくるんだ。美味しい野菜を作ってくれる人なんだろ?」
父親の名前を見た親方がしきりに褒めるので、ガルフォンは誇らしい気持ちでいっぱいになった。
夕方に全ての手続きを終え、契約書の写しを貰ったガルフォンは長く止まり続けた宿への道を急いだ。旅費はもうあまりない。明日の朝一番に立つつもりだった。
だがいざ宿に着いてみると、目の前の光景に彼は言葉を失くした。
全ての出入り口が板で閉ざされ、壁の所々に生卵が投げつけられた跡がある。宿の前を通る人々は唾を吐きかけ、或いは鼻を摘んでその場を小走りで去っていく。朝出た時はいつも通りの、普通の宿だった。なのに数時間経った今ではこの有様である。
ガルフォンの荷物は、他の客のものとともに路上に放り出されていた。訳もわからず呆然と立ち尽くしていると、向かいの別の宿の女主人が出てきて喚いた。
「もうこのお宿はおしまいさ。さっさとお家に帰んな」
ガルフォンは訳がわからないまま、路上の荷物をまとめて都市から立ち去った。
宿がなぜ閉ざされたのか。一体何が起きたのか。不幸なことに、その答えを彼が知るまでにはそう時間がかからなかった。
農村に帰り着く頃には、宿のことなどすっぽり頭から抜けていた。ガルフォンは夜道を、息を弾ませ風を切って走り抜けた。家族に会いたい。自分の就職のことを話したい。お土産を渡したい。
父母と弟妹の喜ぶ顔を想像して、彼はあえて声かけをせずに一気に家のドアを開いた。
「ただいま!」
家の中は暗かった。蝋燭の光すらない。湿った空間にアデレイドとシャルルとデジレが身を寄せ合っていた。
「ガルフォン…」
アデレイドが一瞬シャルルとデジレから手を離し、ガルフォンの体を包み込むように抱きしめる。その手は冷たく、また腕は震えており力がこもっていなかった。
「母さん…」
一体何が、と聞こうとした時。シャルルとデジレが左右からガルフォンの足にしがみついてきた。
「こわいよ」
「にいたん…こわいよ」
2人とも顔を濡らして泣いていた。ガルフォンはしゃがみ、両腕で弟妹を強く抱きしめる。
「大丈夫、大丈夫だから。兄ちゃんがついてるから」
それでも2人は泣き止まず、アデレイドも3兄妹を包み込んで静かに嗚咽を堪えていた。
数分経つと泣き疲れた弟妹は眠り、ガルフォンは母から留守中に何が起きたのかを聞かされた。
「お父さんがね…病気で倒れたの。それで…亡くなってしまって…」
亡くなってしまって。
なくなってしまって。
ナクナッテシマッテ。
ガルフォンは母の言葉の意味をすぐには理解できなかった。
「父さんが…え…亡くなったって…」
「病気にかかって5日目には…もう…」
アデレイドは目を伏せていた。その肩は小刻みに震えている。手を前に組んでいるが、その手も異様なほど白くそして骨張っていた。
アデレイドのやつれた姿。泣きじゃくっていたシャルルとデジレ。
そして今、この家には母とガルフォンと弟妹の4人だけ。
ガルフォンは、否が応でもその事実を認めざるを得なかった。実感はない。受け止められない。でもそれが事実なのだと。
「いつの…こと?」
「亡くなったのは…一昨日よ」
「ーッ! なんで早くに言ってくれなかったの?!」
「呼ぼうって言ったわ。都市に手紙を出そうって。でも…あの人は…」
顔に、手に、胴に。沢山の茶色の斑点に覆われて。
『ガルフォンが道を見つける邪魔になってしまうだろ』
「そう言って…笑ってたの…」
アデレイドは顔を手で覆って泣いていた。
「ごめんなさい、知らせてあげたかった。でもあなたにとっては大事な旅でもあった。だから…あの人の意思を尊重したの」
「母さん…」
ガルフォンは、その様子をありありと思い浮かべることができた。あの父親だからこそ、ガルフォンを呼び戻そうとしないのだ。
父親はいつだって、ガルフォンの将来を考えてくれていた。学費を払うために無理をしつつも学校に通わせてくれた。貧しいのに、ガルフォンが好きなことを追求するのを応援してくれた。
しっかり者で優しかった。人を思いやり進んで力になってあげようとする人だった。自分の労苦を問わない父だった。
その父親は、もういない。
「僕は今日ね、職人の見習いになったんだ…」
「ガルフォン…おめでとう…」
「父さんにも報告したかったよ…」
自分がその道を見つけることができたのは父親のお陰だった。父親に恩を返したかった。
目が熱い。涙腺が緩むのを感じる。涙がとめどなく溢れ出した。
生まれて初めて、大声を上げてガルフォンは泣いた。なりふり構わず母の胸に縋りつき涙を流し続けた。アデレイドは、そんなガルフォンを強く抱きしめ背中をさすり続けてくれた。
悲劇の始まり…。




