心の傷 体の傷
う、浮いてる? なにあれ…念力?
少年の朱色の眼は真っ直ぐに迷彩服男を見据えている。その迷彩服男は今床から高く浮いている。
「このガキが、下ろしやがれ!」
迷彩服男が喚いても、少年は平然としている。彼がやったってこと? いやそれしかないだろう。しかも迷彩服男の体をロープで釣っているわけじゃない。つまりこの人…念力使えるの?
「あの…何をするの?」
あたしがおずおずと聞くと、少年は眼を迷彩服男に向けたまま淡々と言った。
「あんたさっきこの男に散々殴られただろ。俺も首を絞められた。今からその仕返しをする」
首を絞められたことへの仕返し…。何をするつもりなんだろう。
「どうやって…?」
「こうやってだ」
その言葉とともに迷彩服男の巨体が宇宙船の天井に叩きつけられる。ドーン! ものすごい衝撃音がしたかと思うと、気絶した迷彩服男がふわりふわりと落ちてきて、再び上昇し…。
ドーン、ドーン、ドーン、ドーン、ドーン…。
迷彩服男の顔が血だらけになった。おまけに酷く歪んでいる。本人の意志でそうなったのではないことは明々白々だ
「い、いつまでやってるの!」
ドーン!
少年はあたしの方を見ていない。動かない男の体をじっと見ている。
「ねえったら! いつまでやるの!?」
「まだまだ続けるさ」
まだまだ…って。
「あの人、死んじゃうかもしれないよ!」
ドーン! 少年はここで迷彩服男の体を壁まで移動させた。
「そりゃ死ぬかもな」
バシーン! 壁に肉を叩きつける音が響く。これだけ酷くやられても、男の体はピクリとも動かない。なんの意志も持たないただの肉のようだ。
「もう…やめよう? 本当にもう…」
「殺されかけて何言ってる。ちょっとでも手を緩めてみろ、こういうのはまた殺ろうとするぞ」
分かってる。だけど、さっきあたしもこの壁に叩きつけられた。
「うう…」
脚から力が抜けて床に崩れ落ち、口から呻き声が出た。
…嫌だ。もうこんな音なんて聞きたくない。さっきのことを思い出してしまう。あたしは銃で抵抗する間もなく、いきなり痛めつけられたんだ…。
今壁に叩きつけられてるのがあたしでなくて、迷彩服男だとしても…。
こんな音はもうたくさんだ。
「どうした」
いつのまにか音は消えていた。少年の瑠璃色の眼があたしを見下ろしている。激しい朱色でない穏やかな瑠璃色の眼が。
「やめてほしい…」
「もうやめたけど、なんでそんなに嫌なんだ」
やめたのか。良かった。顔を上げ、立っている少年を見る。あたしより頭一つ分くらい背が高くて、日に焼けているけどまあまあ男らしい顔で、服の上から茶色のケープを着ていて、焦げ茶色の髪をした十代後半っぽい少年。
「何が嫌って…あたしも同じことされたから」
言ってから恐る恐る壁に目をやった。そこには血まみれの顔の迷彩服男がもたれかかっていた。じっと見つめても身じろぎひとつしない。まさか…死んだ?
「死んだの?」
「かもな。調べるか?」
調べる気になどならない。死んだかもしれないからだけではなく、さっきこの男はあたしを痛めつけたからだ。もうちょっとで殺されるところだった。
「ま、あの身体だし死んでないと思うぜ」
もうちょっとで殺される…そうだ、あたしは助けてもらったことになるんだ。
「あの…」
「なんだよ」
少年はぶっきらぼうに答えた。
「た、助けてくれてありがとう」
「はい?」
「え、いや助けてもらったのに何も言ってなかったから…」
少年はあたしのたどたどしい言葉を聞いて、逆だろと呟いた。
「どっちがどっちを助けただと? 助けてもらったのは俺のほうだ」
「え、でも」
「さっきのは借りを返しただけだ。あんたに礼を言われても困る」
助けた…。さっき彼が首を絞められそうになってたのを止めたこと?
「でも、あんなの一時的な…」
「なんでもいい。たとえ一時的な妨害だろうが、あんたがどっからきたかもわからん不審者だろうが、」
そういえば、あたしはこの宇宙船に潜入したんだっけ。
「あ、ごめん。勝手に…」
「あんたが、」
ここで少年はにやりと笑った。
「年端もいかないガキだったとしてもな」
「ガ、ガキ?」
「十五いってないだろ、その身長じゃ」
失敬な! 確かにあたしは小さいけど、これでも十六だ。高校生なんだよ!
文句を言おうとしたら、いきなり少年の身体が地面に崩れ落ちた。倒れながら右肩を抑えている。
「ど、どしたの?」
「やばい、さっきの傷が…」
「さっきの傷?」
「あいつらが放った犬だ。…それで…」
苦しそうに息を吐いている。肩を抑える手には血が付いていた。
「大丈夫?」
「…じゃない」
「どうしたらいいの?!」
「救急セットが…俺の部屋に…ある。それがあれば…自分で縫える」
「分かった! 持ってくるね!」
物置から駆け出そうとしたら呼び止められた。
「なに? まだ何かいる?」
「そうじゃ…ない。なま…え」
「え?」
「あんた…の、名前は…?」
ああね、名前を聞かれているのか。
「…夕莉」
「ユーリ?」
「そう。そっちは?」
「ハール…ド」
「ハールドね。じゃあ待っててね、ハールド」
ハールドの部屋の場所を聞いてない。あたしはしばらく宇宙船の中を走ってから気づいた。
「一回物置に戻るしかないなあ」
方向転換しようとしたら、いきなり目の前に軍服を着た毛むくじゃらの大男が現れた。手にはヒゲもじゃのシャツ姿の男がつまみ上げられている。な、何こいつら。まさか敵か?!
あたしはこの宇宙船が敵の巣だということを今更ながら思い出した。慌てて麻酔銃を取り出して構える。
「夕莉ちゃん、私だよ」
大男の方が困ったように口を開いた。そこから出たのは聞き覚えのある女声。
「えっと…スピッツ?」
「そう!」
大男はニコニコ笑って頷いた。あそっか、粉を使って変身したんだな。
「運転室でこいつを捕まえるのに使ったんだ。最初は銃で足かどっか狙って怖がらせようと思ったけど、全然当たらなくってね」
「そいつが…犯人?」
吊り下げられた男はまだ若かった。
「そ。だけど、気絶する前のこいつの話ではまだいるらしいんだよね。今から探そうと思ってるんだけど…」
「あ、そのことだけど、ちょっとこっちに来て!」
あたしはスピッツの手を引いて物置に向かった。
ーー
「この男?」
壁にもたれかかった迷彩服男を指差してスピッツは聞いた。
「うん」
「なんで血だらけなの?」
「それは、あとで話すから…」
あたしはスピッツの目を倒れているハールドに向けさせた。彼は目を閉じて眠っている。
「あれは?」
「ハールドっていうの。この迷彩服男に襲われてたんだ」
「被害者だってこと?」
当たり前じゃんか。
「だから、何か薬をつけてあげて欲しいんだけど…」
「被害者ねえ…」
スピッツは難しい顔をして何か考え込んでいる。なんかあたし、変なこと言った?
「被害者だよ」
きっぱりと言い切る。だけど、スピッツの返答は予想外のものだった。
「なんでそう言い切れるの?」
え?
「なんでって、首絞められてたから」
「この子もこの船に乗ってたんだよね。仲間かもしれないじゃん」
仲間?
「仲間がなんで首絞められるの?」
「仲間割れってこともありうるよ」
心を鎮め、冷静にさっきまでのことを思い出す。確かにスピッツの言うことが正しい可能性はある。でも、そんなわけがない。仲間って感じじゃなかったし、何よりあたしのことを助けてくれた。彼のことは信じたい。
「あの、でもハールドは…」
なにもかも説明しようとした時、スピッツの肩掛けカバンからメロディーが流れてきた。
「おっと、電話だ」
スピッツはカバンから紫色の円柱形を取り出し、耳に当てた。無線電話らしい。しばらく黙っていたがやがて「はいっ」とだけ答えて無線電話をカバンにしまった。
「どこから?」
「私の上司の隊長。今さっき真空レールで話を聞いて、こっちに向かってるってさ」
「隊長? もしかして軍の?」
スピッツは胸を張った。
「まあね。他にもいっぱい兵士を率いてるんだって」
「救急班っている?」
いたら、ハールドの手当てをしてもらえるかもしれない。
「まあ、いるんじゃない?」
「良かった!」
「けどなんで救急班がひつよ…」
不意にあたしの顔を見たスピッツの顔色が変わった。
「そういえばなんか顔に血が滲んでるけど、それ…どしたの?」
「えっとそこの迷彩服男にやられ…」
「あいつが夕莉ちゃんを殴ったの?!」
「うん、そう。でね、ハールドがね」
「なんてことを!」
みなまで聞かずスピッツは壁に走り、迷彩服男の顔を殴ろうとした。
と、その時。
「グリーン星フェアーナ国の軍隊が到着した。中にいるフリージー星人は速やかに降伏せよ」
大きな声とともに、たくさんの足音が宇宙船に響いた。
いつか、この場面の回想シーンをハールド視点で描きたいです。
というか、描く予定です。




