3日目 その1
朝食後、兵士達がワゴンを押して去っていく。
現在の時刻は7時半。
3人は一言も言葉を交わさず目線を合わせた。
『8時半以降に、兵士が貴方達を連れ出しに来る予定です』
『監禁部屋から出て長い廊下を抜けて、共用部まで来たら逃走を開始してください』
1時間後、クリスティナローラはガルフォンと共に脱走するのだ。
◇◇
西ブロックにて。
エイザクは戦闘シュミレーターの整備をしつつ、ちらりと時計を見た。
あと1時間だ。
(できる限りの手助けはした)
後は彼らの幸運を祈るしかない。
ーー
◇◇
圧迫感を感じ緩々と目を開ける。
眼前に壁があった。
背中に感じるのは柔らかく、だががっしりと固い感触。
仰向けになっていると気づいた慌てて彼女は起き上がろうした。
だが。
(・・・え?!)
動かない。金縛りにあったかのように体に力が入らない。四肢は勿論、首から上も動かすことができない。「どうして」という言葉も声にならず喉の奥で止まったままだ。
(あ・・・)
何故か瞼も重い。気力で押し上げかろうじて自由になる目だけを左右に動かした時、視界の端に移ったものに彼女は激しく動揺した。
左右の壁が動いている。蛍光灯の光が、後方へと移動している。
(・・・違う!)
クリスティナローラがどこかへ運ばれているのだ。
柔らかい布を敷かれたストレッチャーに乗せられている。
耳に絶え間なく拾う背後からの騒音。ガタゴトガタゴト。
これは、キャスターが床を滑る音に違いない。そしてその脇でカツカツ音を立てているのは・・・。
「おい、ゆっくりだ。揺らすな」
不意に頭上から聞こえてきた低い声に耳と手指がビクンと反応する。
「あまり音を立ててもいけない」
「分かってるって」
2人の男の声。フリージー兵士だろうが妙に聞き覚えのある・・・。
「食い終わってからもう1時間もたってる。滅多なことじゃ起きないさ」
朝食を運び、下げていったフリージー兵士達の声だ。
ハッ。
先程の朝食の光景が頭に浮かんだ。
朝食を食べている間、兵士達はずっと部屋にいた。何のためか。クリスティナローラ達が食事をとったことを近くで確認するためではないか。
「万が一にも2人に起きられちゃ困る。小型船に移す間に暴れる可能性があるからな」
「そうだな。睡眠薬の効き目が切れる前に小型船のカプセルに閉じ込めちまおう」
「3人を移して小型船を発進させたらバリッツ艦長代理に報告だな」
声無くしてクリスティナローラは絶望した。
自分達が脱走することをフリージー軍は想定していたのだ。それを阻止するために朝食に睡眠薬を盛り、こうして眠っている間に移送を済ませるつもりなのだ。
そして、目の前にある壁は壁ではない。ストレッチャーの上段部分だ。
ストレッチャーは2段づくりで、下にクリスティナローラ、上にガルフォンが寝かされている。
目覚めてしまった自分と違い、上段からは穏やかな寝息が聞こえてくる。彼は、自分の身に起こった出来事を感知せず安らかに眠っているのだ。2日間の自分の下準備が何もかも無駄になるとも知らずに。
「天王星の王子は勿論、異邦人全員に薬を盛ったんだよな?」
「ああ。邪魔されたら困るし」
彼女の焦りを2人の会話がどんどん駆り立てていく。皆、睡眠薬で眠らされているのだ。助けは望めない。
(いいえ、いいえあてになどしないわ)
弱い気持ちを振り払う。クリスティナローラ・ライヨルが助けなど必要としていてはいけない。
(私が・・・私が何とかするのよ。このまま小型船に乗せられるわけにはいかない!!)
自分を奮い立たせる。いつもそうしてきたように。
なんとしてもこの状況を打破しなくては。動かない四肢。重い瞼。朦朧とする意識の中、クリスティナローラは必死に薬に抗おうとした。
咥内で舌を噛み、爪を掌に立てて握りこむ。痛みで眠気を追い払い、徐々に徐々に右腕からこわばりを解いていく。
(もう少し、もう少しで完全に動ける・・・)
「北ブロック到着」
(?! 急がないと・・・)
「お、先に来てたのか」
「そっちも、ちゃんと連れて来れてるな」
後方からキャスター音がしたと思うと、クリスティナローラの横にストレッチャーがぴたりと並んだ。上段部分からは灰色の髪が覗いており、むにゃむにゃと寝言が聞こえてくる。
(殿下・・・)
胸に広がる、無事で良かったという安堵。右手をストレッチャーのほうに伸ばそうとしてぴたりと動きを止める。無意識のうちに触れようとしていたのか。
慌てて右手を戻した時、爪にカツンと固いものが触れた。腰が金属製のベルトでストレッチャーに固定されているのだ。
留め具のようなものはない。両腕に力を籠め、ベルトから抜け出そうともがく。だがクリスティナローラをあざ笑うかのように、ベルトは強く締め付けるばかりで少しも緩みはしなかった。
(ああ・・・駄目、駄目。いけない・・・)
手持ちの武器はなく、ベルトを壊すこともできない。再び絶望感に襲われる。
「さあ、このまま船に乗せちまおう」
(いけない・・・)
2台のストレッチャーがぴたりと止まる。
「なっ」
ドンッ。
「あ゛あ゛っ」
突然、銃声と兵士の悲鳴が倉庫内にこだました。
ハッとして隣を見ると、肩から血を流して倒れこむ兵士の姿が。
ストレッチャーの上段では、体を起こしたライオネル。彼は奪った拳銃をベルトに押し付けている。
ガン、と音がしてベルトが割れた。
自由になったライオネルは素早く飛び降り、こちらの2人の兵士を自分のストレッチャーで押し倒す。そして俊敏な動作でクリスティナローラとガルフォンのベルトを破壊した。
「クリスティナローラ! 動けるな?」
「はい、殿下!」
クリスティナローラが這い出ると、ライオネルはストレッチャーを蹴って横倒しにする。ガシャン、と音が鳴り響き寝ぼけ眼のガルフォンが上段から転がり落ちた。
「私がこの者らの相手をする間にガルフォンを起こせ!」
北ブロックの奥から兵士達が銃を構えじりじりと近寄ってくる。10数人はいるだろうか。ライオネルは奪った銃を片手に、2人を守るかのように兵士達の前に立った。
いつになく大きく見えるその背中。クリスティナローラは、彼に希望と畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
(殿下が助けてくださる。私も・・・戦える!!)
ライオネルがダンッとけん制の弾を撃つ。それを合図にクリスティナローラは彼に背を向けた。
高揚感に支配されるがまま、彼女は起き上がろうとする兵士2人に飛び掛かった。装備を奪い肩を撃ち抜く。
2人が動けないのを確認し、クリスティナローラは地面に横たわるガルフォンに駆け寄った。
地面に叩きつけられた衝撃と銃声によって、ガルフォンはなんとか睡魔から逃れつつあるようだった。だがまだ目は開かず、体もこわばって思うように動かないらしい。
「ロインドさん! ロインドさん!」
「あ・・・あ・・・体・・・どうなって・・・」
こうなっては仕方がない。
「完全に目を覚ましていただきますよ!!」
胴の脇に添えられた右手を掴み、彼の頭上まで持ち上げる。左手も同じように、両足は開脚させる。一通り四肢を動かした後、クリスティナローラはガルフォンの胴を持ち上げ地面に叩きつけた。
「ああ、痛いな・・・」
顔をしかめ、膝を曲げ右手を腰に当てて呻くガルフォンを見てほっとしたのもつかの間。
背後からの気配に素早く振り向くと、こちらに突進してくる数名の兵士がいた。
「クリスティナローラッ」
ワンテンポ遅れて叫んだ主にふっと微笑む。
兵士の銃口の向きを見、瞬時にガルフォンの腕を引っ張って右に飛ぶ。刹那、引き金が引かれ銃弾は空を切って床にめり込んだ。
「なっ」
「貴方は後ろの2人を!!」
ガルフォンに任せたのはリロード中の兵士2名。
彼女自身は先頭の兵士が再度引き金を引く前に距離を詰める。手首を掴んで銃口の向きを変え、相手の一瞬の逡巡の隙に地面に叩きつけ銃を奪い取った。
敵の位置を確認し、東ブロックにつながる扉までの距離と測る。遠いが、立ちはだかる敵もいない。ここで船を奪って逃げると思われているようだ。
「ライヨルさん!! ライオネル!!」
視界の端で、ガルフォンが手にした銃を見つめている。
「青い銃に注意して!」
兵士達は黒い銃を腰に下げたままだ。使っているのはライオネルだけ。兵士が向けてくるのも、クリスティナローラが今奪ったのも青い銃。
「青いほうは実弾じゃない、麻酔銃だ!! 掠ってもいけない!」
ハッとして向けられた銃口を避けた時、倉庫の隅で電話を切る兵士の姿が目に映った。
(北ブロックに助っ人が来る)
悩んでいる暇はない。クリスティナローラは兵士達を薙ぎ払いながらガルフォンとともにライオネルの背後に近づいた。
「殿下、お願いがございます。ここで兵士達を足止めしていただけませんか」
「僕らは、行かなきゃいけないところがあるんだ」
ガルフォンは心底苦しそうな顔になる。
「急に言われても困るよな。後で全部説明する。だから・・・」
「任せよ」
ライオネルは皆まで聞かずにこりと笑った。
「ライオネル・・・」
「いいから行け。すべきことがあるのだろう?」
頷き、ガルフォンは走りながら振り返り叫んだ。
「無茶な願いだけど聞いてほしい。一人も殺さないで!」
「だそうだ。ガルフォンの慈悲に感謝するがいい」
ライオネルは兵士に向かって大げさに肩をすくめ、クリスティナローラが投げた青い銃を受け取り構えた。
「ライオネル、無事で。また会おう」
「殿下、ごきげんよう」
2人は北ブロックを一気に駆け抜けた。
盛り上がってきたところで暫く休載します。あと18話。今年中には何とか完成させたいです。