あじのないおしょくじ。
二度寝は無事に成功して、瑛人が目を覚ました時にはとっくに1時限目が終わりそうな時間になっていた。
目覚まし時計を止めた記憶がない。
きっと同室のヤツの仕業だと思われる。
うっすらと、何事か声をかけられた記憶だけはあった。
あの時きっと起こしてやろうと声をかけていたんだろうとぼんやりした頭で考える。
慌てて起きることも、急いで授業に行こうともしなかった。
特科と予期せぬ接触をしてしまい、相手に自分の目的を知られてしまった今、普通の生徒のフリをする必要は無くなった。
何もなくても困難の二文字しかないのに、こんな状況でどうやって目的を達成すればいいのか、途方に暮れすぎて1時間先の予定も立てられない。
ただもう隠れてこそこそできなくなったので、堂々と真正面から行くしか道はない。
その第一歩目として、とりあえず今日の授業は放っておくと決めた。
窓の外の芝生の青さに目を細めながら、今から食堂で待っていれば特科と遭遇出来るだろうと、のそのそ着替えて、決して軽くはない足を食堂の方へ向けた。
2時限目が始まった食堂の中は、流石にひと気はほとんどない。
それでもちらほらと生徒は居て、思い思いにひとりで過ごしている。
瑛人もそのうちのひとりで、天窓の下にある席について、いつもより遅い朝食を食べながら、柔らかく差し込む陽の光を浴びていた。
「おーーー。おはよーーーえいちゃーーーん」
昨日聞いたよりも間延びした声に目線を上げると、史隆が食券の販売機の前で手を振っている。
販売機の周りには特科ご一行様が全員集合していた。
食事をカウンターから受け取ると、全員が何故か瑛人の居るテーブルにトレイを持って歩み寄ってくる。
「……ーーーまぁ、そうだと思ってたけど」
にこにこ笑いながら普通に近付いてくる特科が不気味で仕様がなかったが、ここで慌てたり逃げ出したりする意味も無いので、ゆっくり食事を続けた。
瑛人を囲むように全員が同じテーブルに着いた。
「なんだ、こんな時間に。ーーーもう普通のフリするのはやめたのか?」
わかりやすい奴だなと付け加えながら、瑛人の隣の席に上るように座りながら、都が絡んでくる。
「いい子にするんだぞ、エイト」
斜め向かいに座った夜と、都のふたりがいじめっ子の笑顔でプレッシャーをかけている。
夜の隣のリュカが何故かふたりに止めなさい、とブレーキをかけていた。
「あ。……俺ちょっとーー……」
席に着きかけた史隆が、トレイを持ち上げるとそのまま別の場所に移動を始めた。
「何、あいつーーー」
「あ!ホノカちゃんだ。ホノちゃーーーん‼︎」
史隆が進む先にいる人物を見付けて、夜が大きく手を振っている。
遠く離れた場所で、ひとりでいる女子生徒がおはようと小さく手を振り返す。
「え?あれ、誰?」
「ホノちゃん?アイス仲間ーーーホノちゃんはアイス食べないけど」
かなり説明不足の夜の話は、愛の溢れるリュカの通訳で、やっと全員の分かる話になった。
いつものように売店前でアイスを食べている時に出会い、話をするうちに仲良くなった、芸術科の3年生。
絵画を主に勉強中で、そのモデルを夜にと何度となく話しかけられ、断っているうちに史隆とも仲良くなった。
今ではほぼ毎日、売店前集合になっている。
ジャンクなお菓子が苦手なホノカちゃんは、史隆と夜がもりもりアイスやお菓子を食べている間、楽しそうにおしゃべりに付き合ってくれると、朝食をもりもり食べながら夜は説明した。
「へぇ……そういや少し前まで彼女欲しいとか言ってたけど、最近言わなくなったもんな」
「ーーーあの史隆が。どうだ、夜。史隆はあのホノカちゃんという女性と交際を始めたのか?」
聞こえてきたバリトンのいい声に、瑛人が顔を上げてきょろきょろし始める。
このテーブルに着いている誰もこんな渋い声は出ないから、近くに誰かが居るのかと視線を巡らす。
「こうさい? ってなに?」
「交際とはーーーお付き合いだ、あの女性と史隆は、好き同士なのか?」
琴野の横の椅子にちょこんと座らされている、綿でできた水色のサマードレスを着た、赤毛のアンのような三つ編み姿の人形に、夜は返事をする。
「うーんと。史隆は好きって言ってたけど、ホノちゃんは知らない。……聞いてこようか?」
立ち上がりかけた夜を、慌てて琴野が引き止める。
「ーーーこういう話は、いきなり直球で聞いてはいけない、と琴野が言っている。私もそう思うぞ、夜」
「……ーーー直球じゃない聞き方がわからない……」
琴野が座るようにと、くいくいと夜の制服の端を引っ張っている。
「ならば今は止めて、分かってから聞いたらどうだ」
「む……ーーーそうする事にしよう」
難しい顔をして、夜は席に座り直した。
「ちょ……ちょっと待って。ーーーその人形から、なんか……声が聞こえるんだけと……?」
テーブルを囲んだ特科の全員が同じ表情をしている。ぽかん、とか、きょとんと表現される類の顔。
全員の顔をひと通り見回して、瑛人は今の自分の発言がどれだけバカバカしい事か、改めて考えてみて、あまりの恥ずかしさに身震いした。
「……あ、いや。……ていうか、そんなワケ……」
「おおー……忘れてたわ。そういえばそういう設定だったな」
瑛人の発言を打ち消す大声を発したのは都で、それにバリトンボイスが返事をしている。
「設定という言い方はしないでもらえるか、かわいい都よ」
もう一度、間違いなく人形から聞こえてきた声に、今度は腕にびっしり鳥肌を立てて、別の種類の身震いをする。
「な……んで? 何で人形がしゃべってんだよ!」
都が、お前は馬鹿かという顔をしながら瑛人の肩に手を置いた。
「……人形がしゃべる訳無いだろ、瑛人。スピーカーだよ、スピーカー」
「え……? なに?」
「スピーカーが仕込まれてんの。遠くでこの話を聞いてるおっさんが、良い声で会話に参加してきてるだけだから。……そうビビんなって」
目の前にいる人形の隣に座った琴野が下を向いて肩を震わせている。
隣の都はにやにやと人が悪い笑みを浮かべているし、リュカもくくくと笑いながら食事をしている。
表情を見ると釈然としないが、納得出来ないでもない。というか都が言う以外に、人形から声が聞こえる理由を思い付かない。
だけどもしどこか遠くから、良い声のおっさんが会話に参加しているのなら、そいつは一体何者なのか、そいつはどんな立場なのか、それはそれで怖い話だ。
瑛人は眉間に入っていた力を抜いて、肩に乗った都の手を払い退ける。
瑛人には知らされていない、リサーチ不足の、新たに浮上した特科以外の第三の存在は気にはなる。
気にはなるが、そいつが遠くに居るのなら、そんな事は嘘ですぐ近くに居るとしても。
だからどうだというのだろう。
自分のすぐそばまで「もうおしまい」は近付いている。
一気に味のしなくなった朝食を、瑛人は無理矢理に飲み込んだ。




